アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2015年10月31日

第十五章 川島芳子と戴笠

歴史的記録によれば、川島芳子は一九四五年十月十一日に北平の住まいで逮捕されたが、国民党軍統粛奸小組が逮捕した第一陣の対象であった。しかしながら、国民党北平当局による逮捕の過程と案件の処置においては、名実の伴わない個人的動機がかなり混じったものであったようだ。

歴史的記録によれば、かつて満州国安国軍司令であった金璧輝(川島芳子)は一九三五年初めに「関東軍」により職務を剥奪されて事情聴取を受けている。つまり、その時から川島芳子はすでにいかなる日本軍内部での身分も持たなくなったのであり、彼女はただの日本人川島浪速の養女であった。一九三五年から日本敗戦に至るまでの十年の間、川島芳子は天津で東興楼の食堂を経営したが、その期間は日本軍の駐華北の高級将官多田駿と密接な交際があった。しかし個人の身分で当時の日本陸軍大臣東条英機に自推で「日中和平工作」の仲介役を買って出た際には、東条英機の厳しい制裁を受けて日本から追い出されてしまったのである。こうして寄る辺をなくした川島芳子は故郷北京へ帰るしかなかった。この時期の川島芳子はたいした力のない品行不良な個人に過ぎなかった。それなのに彼女は華北政務委員会の大物漢奸である王揖唐・殷汝耕・斎燮元や、汪精衛政権の要員など重量級の漢奸と同様の待遇を受けているのである。その原因は一体何だったのか、我々は国民党の軍統内部から暴露された秘密から知ることが出来た。それは軍統北平弁事処主任馬漢三が背後で操った私怨から生じていた。

我々が調査した歴史資料によれば、国民党の軍統(情報機関)内部で、川島芳子の死刑問題に関連して、二つの派による勢力闘争が存在していた。軍統北平事務所の主任馬漢三を主とする一勢力は川島芳子の処刑を主張し、彼女を殺して口封じをしようとしていた。しかし局長戴笠をトップとする軍統当局者は川島芳子を生かしておき、馬漢三の裏切りと日本への敵通を調査する証人とすることを考えていた。馬漢三と戴笠はどうして一人は殺そうとし、もう一人は生かそうとしていたのか?その主要な原因は川島芳子の北京の住宅に隠してあった、清朝乾隆帝の宝物である九龍宝剣という一振りの剣にあった。この宝剣が原因となって、川島芳子は捕縛され、さらには戴笠の生命まで奪うことになるのである。

戴笠

一九二八年の下半期、東陵は大盗掘に遭ったが、それは国民党四十一軍軍長孫殿英が軍事演習という名目で、清朝の東陵にあった乾隆帝と西太后の墓荒しをしたことによる。一九三九年八月上旬に、孫殿英は沢山の宝物を持って重慶を訪問して、彼はまず国民党の軍統局長戴笠に面会し、いつもの通りに盗掘品の宝物を上納した後、戴笠にそっと打ち明けた。彼にはこれらの宝物の他にもっと貴重な九龍宝剣があり、それを戴笠を通じて蒋介石に渡したいというのである。この九龍宝剣というのは、乾隆帝の帝墓のなかから盗まれた宝物で、剣の長さは五尺、柄はやや長くそこには九匹の金の龍が象嵌してあり、「九九帰一」と至尊の皇位を象徴していた。剣の刀身は光り輝き、錆も欠損もなく、その鋭いことは毛が触れただけで切れ、鉄を泥のように切ったという。剣の鞘は高級なサメの皮で造られており、ルビーやダイヤモンドが沢山ちりばめられており、太陽の光をあびると、キラキラ輝いて眩しいほどであった。孫殿英はかつてこれを見せびらかして言った。
「この剣を得た後、私は密かに考証させたが、それによるとこの剣は乾隆二十八年、新疆、アフガン、バダクシャン、フェルガナ、カザフ各部落の使節が北京を訪れ、高宗乾隆帝に謁見した際に献じた宝物である。当時乾隆帝は玉座に座ってこの剣を帯びると、宮殿中が光で満たされ、光で目がくらみ、宮殿の中が天上の雲の上の世界のようで、朝廷にいた文武大臣はみなこれを称えた。乾隆帝は大いに喜び、特に龍泉と二字を命名し、使節と文武大臣に紫光閣で宴を賜った。これから後、乾隆帝はこの剣を愛して身から放さず、崩御するまで常に持ち歩き、遺言によりこの剣をともに葬り、永遠に離れることがないようにした。」
戴笠はこの情報を得た後に、各地を視察する機会を利用して、山西五台山孫殿英の部署にわざわざ出向いてこの宝物を受け取りに行った。

孫殿英はこっそりと戴笠の耳にささやいた。「この剣は私が東陵から盗み出した数多くの珍宝貴宝の中でも最も貴重なもので、この剣を得てからは秘密の場所に隠し、誰にも見せませんでした。いまこの宝剣を渡しますから、雨農(戴笠の号)から蒋委員長に献じてください。」

戴笠はこの剣を得た後、手にとってまじまじと眺めてみると、宝剣はたしかにその名にまごうことなく、今まで見たことのないような珍宝で、次のように考えた。確かにこの宝剣を校長(蒋介石)に献ずれば、校長の歓心を買い、信任を得るだろう。戴笠はこの宝剣を重視したが、まだ引き続いて中原に赴き各部隊を視察しなければならず、この剣を身辺に置いておくと徒に噂を招き万一の紛失することを恐れて、戴笠が河南林県を過ぎる際に、この宝剣を特務の馬漢三に自ら手渡し、よくこの剣を保管しておき、後々に彼本人が校長蒋介石に手渡すようにと命じた。馬漢三は元々は軍統北平区張家口察綏所所長であったが、このたび戴笠により配置換えされて軍統陜壩工作組組長となり、内蒙古一帯のスパイ活動を専門に受け持つこととなった。

馬漢三は戴笠の手中よりこの九龍宝剣を受け取ると、すぐにこの類まれなる宝物に驚かされた。彼にはその価値が黄金でも計算できないことがよくわかった。この宝剣を手に入れて後、彼は終日この剣に魂を奪われたかのように、食事ものどを通らないのであった。馬漢三はもともと非常に貪欲な男で、手に入れた剣を重慶に送り手放すのが惜しくなったが、またその後に載局長に罪を問われることを恐れた。いろいろ考えた挙句、ずるがしこい彼は、宝剣の上納をしばらくせずに、状況を見守ることにした。戴笠はしばらくしても馬漢三が宝剣を重慶に持ってこないので、至急電報で問い尋ねると、馬漢三はびくびくしながら戴笠に電報で答えた。宝剣はとても貴重なもので、現在の形勢は不利であるので、安全の為に宝剣は孫殿英のところに送り保管させ、時機を見て再度計画したい等々言い訳をならべた。戴笠が再び電報で孫殿英に尋ねると、孫殿英はとっくに戴笠に宝剣を差し出したはずなのに、戴笠が今になって再び宝剣を差し出せと言うとは、どういう意味かわから疑問に思うのみであった。その他に、彼はちょうど日本軍へ投降する手続きについて話し合っている最中で、その他のことを顧みる暇なく、そのためすぐに電報に答えなかった。戴笠は孫殿英が宝剣を手放すのが惜しくなりネコババしているのではと疑ったが、再びこのことを持ち出すの機会もなかった。孫殿英は日本軍に投降したことが明らかになり、宝剣を要求することはなおさらできなくなったのである。馬漢三はこうして幸いにも隠匿した宝剣を私蔵したままやり過ごすことができたのであった。

戴笠は馬漢三が大胆にも宝剣を隠しているとはまったく思いもつかなかった。彼はただ、この宝剣がなお孫殿英の手元にあると思っており、もう一方では、彼自身もすぐにこの宝剣を蒋介石に献じる気がしなかったので、真剣にこのことを調査することもなかった。こうして戴笠が目を放しているうちに、この九龍宝剣はまたも持ち主を変えることとなった。一九四〇年代初頭に、馬漢三は商人の身分で張家口一帯で活動していたときに、日本の特務機関が運営していた大隆洋行と接触した。馬漢三の金遣いが荒く、生活が豪華であったため、大隆洋行の影の支配人である日本軍特務田中隆吉の注意を引いた。

田中が特務を派遣して調査した結果、馬漢三の本当の身分がすぐに露呈し、田中隆吉はすぐに張家口特務機関長田中新一に指示を出して馬漢三を逮捕して尋問させた。馬漢三は自分が既に残虐な日本特務田中隆吉の手中に陥ったことを聞き、状況が好ましくないことを悟って、全ての情況を供述し、さらに命を助けてもらうために九龍宝剣を差し出した。思ったとおり、田中隆吉はこの宝剣を得た後にたいそう喜んで、馬漢三をの命を助けただけでなく釈放して、影で日本軍特務機関の為に働かせた。一九四〇年春、田中隆吉は日本軍部により日本軍山西派遣軍の少将参謀長として派遣され、同年十二月に、田中隆吉は山西作戦の指揮で失敗したため、免職されて国内での職に回された。田中隆吉は自身の仲間内で好き勝手に振る舞い、評判が悪かったため、帰国後の先行きに不安を覚え、中国で一番信頼できる人間を探して、九龍宝剣を保管させようとした。いろいろ考えた挙句に彼の頭に浮かんだのは以前の恋人であった川島芳子だった。

芳子のことを思うと、田中隆吉の心は底なしの沼に落ちて抜け出せないかのようであった。彼の心の深いところでは、以前に上海で芳子と過ごした美しい日々のことがずっと忘れられなかったのである。一九三二年初頭に、川島芳子が彼の下を離れて行ったのは、田中というこの重荷を遠くに捨て去りたかったからだということを、彼は知りすぎるくらいにわかっていた。彼のように独占欲が人一倍強い人間から言えば、惚れた女から捨てられるというのはこれとない屈辱であった。それで田中は悩み苦しみかつ怒り狂い、彼の手にある権力を利用して、一九三五年には日本軍に川島芳子を始末させようとした。それにより、田中隆吉と川島芳子は愛憎半ばした感情を骨にさらに一層深く刻み込んだ。しかし時が経つにつれて、芳子と別れてこの八年間というもの、芳子と過ごしたあの刺激に満ちた忘れがたい日々を思い起こすたびに、田中はなおも捨てがたくも苦しい恋の思い出がよみがえるのであった。

田中隆吉が手中の九龍宝剣を撫でながら、最終的に決断したのは、この世にまたとない宝をいまも忘れられない芳子に贈ることであった。そこで、田中隆吉は帰国の途上に北平に立ち寄り、わざわざ北池子に住む川島芳子を探し出し、九龍宝剣を贈って彼女の許しを求めたのであった。川島芳子も高価なものには目がない人間であったので、この貴重な宝物をひと目見てそれが自分の手に入るとなると、自然と機嫌もよくなり、以前の田中隆吉への怒りも恨みも消え去ってしまっていた。この宝剣に免じて、再び田中とベッドを共に温めさえした。しかし、川島芳子も田中隆吉もまだ気づいていなかったことだが、この九龍宝剣には手にするものに不幸と流血をもたらす呪いがかかっており、後々に川島芳子はこの九龍宝剣のために命を危険にさらすことになるし、戴笠も自分の命を失うことになるのである。

馬漢三は田中隆吉から釈放されると、彼のこの裏切りと敵への投降はいまだ暴露していなかったが、馬漢三の心は病的にも宝剣のことが気に係り、彼は常にこっそりと田中隆吉の行方を注視して追っていた。
一九四一年に田中隆吉が帰国した後、馬漢三は田中のような敗戦の将の身分では、この宝剣を日本に持って帰るような危険は冒すまいと考えた。そこで、馬漢三はあちこち聞き回り、田中隆吉が帰国前にどんな人間と接触したのかを調べた。こうして、彼はついに田中隆吉が帰国前に、北平へ行って川島芳子と密会していたことを知った。そこで、馬漢三は秘密裏に手下の特務を送り、日本側の情報を盗撮するという理由で、長期にわたり川島芳子の住所の周囲に潜伏し、情況を把握しようとした。

抗日戦争勝利後に、馬漢三は軍統北平事務所の主任、平津地区粛奸委員会主任委員、北平行営軍警督察処処長に任命された。馬漢三は宝剣を早く探し出すために、北平に赴任すると最初に手をつけたのは、始まったばかりの漢奸粛清を利用して、自から川島芳子逮捕の命令を下すことであった。川島芳子は九条会館の三重の門の中の四合院に居住していたが、馬漢三の右腕である鐘慧湘が人を率いてまる半日かかって、土地を三尺掘り進めて探し、ようやく川島芳子の住所の秘密の地下室に九龍宝剣を見つけた。一九四五年末に、戴笠がちょうど日本軍の漢奸特務を捜索していた時に、内蒙古方面の反共特務を組織して、内蒙古の広大な地区に派遣して活動させた。川島芳子は長期にわたり華北地区で活動し、またかつて蒙古族のカンジュルジャップと婚姻していたため、内蒙古方面の情況に比較的詳しく、彼女の手にある人間関係を利用することができた。そのため、戴笠は北平で秘密裏に北平第一監獄にいた川島芳子を尋問した。川島芳子はこの有名な載局長が自分と差し向かいに座るのを見て、すぐにあることを思いついた。彼女は戴笠が必要としている情報を提供する外に、戴笠があっと驚く秘密を密告した。それは軍統特務の馬漢三が抗日戦争時期に裏切って日本に投降したことや、彼女の家から九龍宝剣を持ち去ったということであった。

川島芳子が宝剣のことに触れたとき、本来の意図はただ馬漢三がこの宝剣を田中隆吉に贈ったことを証明して、彼が日本に投降したことを示そうとしただけであった。しかし意外にも、戴笠は「九龍宝剣」という四文字を聞くと、すぐに神経を緊張させ、すぐに孫殿英が当時彼に送った九龍宝剣のことを思い出し、詳細に川島芳子にこの宝剣の情況を尋ねた。川島芳子がこの剣の外観、長さ、剣の柄に彫られた龍および鞘の上にちりばめられた宝石の数や形状を詳細に戴笠に説明すると、戴笠はすぐにこの剣が孫殿英が差し出したあの九龍宝剣であると断定し、数年来心にひっかかていた疑問がついに解けたのである。自分がずっと追い求めてきた九龍宝剣がいまだ馬漢三のところにあると知り、馬漢三が影で団体を裏切り、国家の異族に歯向かったことを知ると、大きな怒りが心中に巻き起こり、すぐにでもその肉を食らわなければ気がおさまらないほどであった。そこで、戴笠は心腹の秘書龔仙舫を呼んで対策を密かに話し合い、まず龔仙舫が馬漢三に話を伝えることに決定した。そのさいただ「金璧輝の家から出てきた宝剣」のことだけを尋ねて、その他のことは話さないこととした。龔仙舫が宝剣のことを話すと、馬漢三はすぐに内情が暴露されたことに気づいたが、その場では調子を合わせるふりをして、すぐに宝剣を差し出して、彼がいかに命をかけて宝剣を保護してきたかを釈明したが、このすぐにばれる嘘は当然謀略にたけた戴笠をだますことはできなかった。載局長は考えを表に出さなかったが、しばらく馬漢三を泳がしておき、しばらくたってから、手を出して彼を片付けても遅くないと考えていた。馬漢三はかねてより準備していた十箱におよぶ莫大な価値のある書画骨董、金銀財宝を宝剣と一緒に、自ら北平弓弦胡同什綿花園にある戴笠の住所に護送した。戴笠はよろこんで受け取り、馬漢三のこの忠実な行動に疑いを少しも抱くことなく、すぐにまえもって準備してあった軍統特務文強に宛てた手紙を馬漢三に手渡した。この戴笠の失策が、ついに彼を馬漢三の手により非命に至らせることとなる。馬漢三は戴笠がすぐに彼に手を下して殺そうとしないのを見て、先手を打とうと自分の秘書劉玉珠を呼び出して、二人で戴笠が文強に宛てた手紙を盗み見た。手紙には、戴笠のこの度の旅程が書かれており、まず天津に行き、その後青島に行き、上海に行く行程が書かれてあった。そこで馬漢三は先手を打って証拠を戴笠ごと隠滅することとした。そこで劉玉珠は車を駆って飛行場に急行し、二二二号戴笠の専用機を警備する特務に飛行機の中に入り安全情況を検査させるよう要求した。劉玉珠は軍統華北督導員という特殊な身分であったし、軍統内の特務はみな彼をよく知っていたので、誰も彼を疑うことはなかった。そこで劉玉珠はなんなく一人で飛行機に入り込み、馬漢三が彼に渡した鍵を使って、九龍宝剣の入った木箱を開けて、中に偽装した爆発力の高い時限爆弾を入れて、時限爆弾の時刻をセットした。

戴笠専用機は青島の滄口飛行場を離陸した後、濃霧が発生していたため、飛行時間がさほど経っていない間に、上海の龍華飛行場と連絡すると、相手方は上海方面が大雨のため、飛行機が着陸できないと述べたため、戴笠は南京に直行することに決定した。飛行機が南京地区の上空に差し掛かった際、大雨に遭遇し、さらに雲が低層に立ち込めていたため視界が悪く、飛行機は通常の飛行ルートから外れてしまった。午後十三時十三分、飛行機が南京郊外区江寧県板橋鎮上空に差しかかった時、劉玉珠が飛行機に仕掛けた時限爆弾が爆発し、飛行機はコントロールを失い、板橋鎮南の二百米ほどの高さの載山に激突した。飛行機には充分に燃料が備蓄してあったので、飛行機が墜落した後、雨の中でも火は消えず二時間あまりも燃えた後にようやく鎮火した。戴笠と同乗者十三人は全員死亡した。興味深いことに、戴笠が一生忌み嫌っていた十三という数字と、彼が水の欠乏により死ぬ運命という予言が、全て重なって的中した。三月十七日は陰暦の二月十三日、十三時、十三分、十三人が濃霧と大雨の中で載山で死んだ。戴笠の死体は困雨濠の水中から引き上げられた。さらに山麓には載廟があった。三月十九日、軍統成員の沈酔などは戴笠の遺品の捜索のため、わざわざ載山の飛行機墜落現場に踏み込み、古剣を探し出したが、この剣こそは戴笠が馬漢三の手中から奪還した九龍宝剣であった。この剣は烈火にさらされて、鞘と柄は共に毀損していたが、剣身は依然として鋭く光り、切れ味は鋭く、人々を感嘆させた。三月二十一日、国民党『中央日報』及びその他の新聞は戴笠の搭乗した二二二号専用機が青島から上海に行く途中に、南京上空で大雨に遭遇し、飛行機が江寧県で山に衝突し、戴笠および机上の人員全員が死亡したとのニュースを掲載した。

戴笠の死因は、『中央日報』のニュース報道により結論とされた。国民党全体および軍統内外な基本的にこの結果を受け入れている。こうしてこの事件の真相は隠蔽された。一時盛名を轟かせたスパイ王は、結果的に原因不明の死を遂げた。戴笠のような一代の英雄が、やすやすと馬漢三の手中に落ちたと言うことは、まさに信じがたいことであった。二年後に、戴笠が自ら書いた手紙に基づき、軍統局北総督察王蒲臣は、戴笠が生前に秘密裏に託した使命を果たすべく、馬漢三およびその一党の平津での行動を監視し、軍統局に戴笠の死が馬漢三の手によるものであるとの確実な証拠を報告した。軍統を受け継いだ毛人鳳は馬漢三らのグループを消すよう命令を下し、馬漢三と劉玉珠などを秘密裏に処刑し、内々に戴笠の死の謎を解決した。毛人鳳は川島芳子の生死に関する問題を処理する際に、戴笠が生前に残した遺言に基づいて妥当に処理するよう指令したであろう。

川島芳子の馬漢三が敵に投降したという供述と、九龍宝剣の行方をしゃべったために戴笠は生前に川島芳子のことを自己の忠実な部下である王蒲臣に任せ、川島芳子を生かしておいて馬漢三を処置する際の証人にしようとしたのではないか。馬漢三はすでに河北省高級法院に川島芳子を死刑判決を下すよう圧力をかけていたのだが、彼の勢力が失墜すると同時に、王蒲臣が馬漢三の地位にとって代わり、新たに川島芳子の死刑の問題を処理したと考えられる。当然、一九四七年十月にすでに川島芳子の死刑が宣告されており社会的影響も大きいため、判決結果を変えることはできずやむなく「替え玉」という方法によって馬漢三を除くのに功があった川島芳子を救った。我々が後に調査した結果から見て、川島芳子の保護のため北平から東北長春に護送した秀竹・于景泰・段連祥の三人は、軍統の王蒲臣など上層部の支持を受けていた可能性がある。この三人の中に軍統の成員がいた可能性があり、第五章で述べたように于景泰がおそらく軍統の特別任務を帯びていた可能性が高い。
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4353209
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
カテゴリーアーカイブ

川島芳子 [ 川島芳子 ]

価格:1,944円
(2015/10/30 15:54時点)
感想(0件)

清朝十四王女 川島芳子の生涯

価格:802円
(2015/10/30 15:55時点)
感想(0件)

ミュージカル 李香蘭 [ 野村玲子 ]

価格:5,205円
(2015/11/4 13:59時点)
感想(2件)

上戸彩/李香蘭

価格:6,264円
(2015/11/4 14:00時点)
感想(0件)

清朝の王女に生れて改版 [ 愛新覚羅顕キ ]

価格:864円
(2015/11/4 13:58時点)
感想(2件)

戦雲アジアの女王 【DVD】

価格:1,731円
(2015/11/4 18:05時点)
感想(0件)

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。