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2019年05月31日

風濤

井上靖 新潮社

井上靖の小説、元寇を主に高麗の視点から描く。
有名な人の作品なので読み応えはあります。描写はえらくあっさり。


何故か私の今月言うか来月のテーマがモンゴル帝国になったのでいろいろ読みあさった作品の一つです。
漢字これであってたっけ?

2019年05月12日

テキヤはどこからやってくるのか?

厚香苗
 光文社

テキヤをテーマにした本。

テキヤという目につくけど謎が多い集団に対しての取材などからわかったこと。

例えばテキヤは神農を信仰しており(医者も神農を信仰しているがこちらは比較的表に出ているが、テキヤの神農は資料不足)またいわゆる極道とは関連性はあるが明確な別集団で「自分たちは極道ではなく神農道だ」というような言葉を言っているというのも紹介されている。
またテキヤ葉各地に団体があり親分がおりその下で組織化されているが、タビのテキヤもおり祭りとなると半分はよそ者だったりする、またテキヤは名刺ではなく専用のテキヤ集団にしか通じない口上を持っている(近年は衰退気味)

個人的にテキヤではない露天商との違いにも言及して欲しかった(多少あるだけにやきもきする)が、なかなか興味深い内容、気になったら一読を勧めます。

昭和の消えた仕事図鑑

澤宮優 平野恵理子

昭和の仕事、主に職人系自動化で消えた仕事、テレビネットの発達で消えた広告通信系の仕事、交通機関の車掌とか人力系とか、ほかにも修理屋とかいろいろ。

今の時代全く知らない仕事、寺男や伯楽などや、また今でもぎりぎり残ってる畳屋や伝統として残ってるちんどん屋などいろいろな職業があるのですね。

この文章を書いていたら4回くらい消えました。こっちのほうが消えるってどういうことなの。

幽霊 近世都市が生み出した化物

高岡弘幸 吉川弘文館

幽霊とは何かという内容。

大雑把にいうと幽霊と妖怪で性質が違い、妖怪は主に田舎に出現、幽霊は都市に出現する。
妖怪は種類はあるが個体はなく、幽霊は元人間なの人間としての属性を持っている。
産女は元人間だがもともとの人間の名前を失っているため妖怪的でもありややこしい存在。

そして幽霊は現実の人間がいろいろなことを仮託するための存在で、その時の社会がダイレクトに反映されるというもの。
また近世日本は厳密な意味での都市がないため都市化すればそこは幽霊の土地、田舎かすれば妖怪の土地に変化するとも。

幽霊と妖怪との違いは名前だったと言うのはへーな話。

北条早雲と家臣団

下山治久 有隣堂

北条早雲と家臣団、そのままの内容。

北条早雲〜氏綱までの北条氏の概説。

早雲とは何者なのか、伊勢の浪人ではなく京都の名門生まれ、幕府の名によって堀越公方の鎮圧のために関東へ向かい、その後は幕府の北条氏に対する統制が緩んでいき徐々に幕府から距離をおいていく。
家臣団は最初から従っていたもの、鎌倉府から引き継いだもの、在地豪族など。

やや古いものの北条氏の基本的な知識をつけるには割りと良い感じ、ただし細かいところがよくわからない。

鉄砲伝来

宇田川武久 中央公論社

鉄砲が日本に伝来して普及〜その後形骸化するまでの歴史をわかりやすく綴ったもの。

大雑把に
・鉄砲はポルトガルから直接ではなく倭寇によって東南アジアで当時生産されていたタイプの鉄砲が伝わった、ヨーロッパのものより東南アジアの鉄砲に日本の火縄銃は酷似している、更に当時火縄銃はヨーロッパでは時代遅れになりつつあった
・鉄砲はたちどころに普及したとあるが、戦国末期になるまで東日本では本格的に普及しなかった、戦国末期になりやっと北条氏に本格的に普及したとある(ある程度の数は東日本にも入っていたが、普及までは至っていなかった模様)、武田氏の方はそれ以前に長篠での鉄砲の総数での敗北から数を揃える方に動いていたらしい
・朝鮮出兵の時に火縄銃が朝鮮に伝わった、それ以前は火箭を放つ兵器があり、その後鉄丸を放つ鉄丸銃筒という武器が倭寇対策として普及していたが、鉄砲とは違う武器(鉄砲は鍛造、銃筒は鋳造など)であり、鉄砲に対抗できるものではなかった模様、また鎧の耐久力も不足していたらしく鉄砲対策としては物足りなかったようで、
・戦国時代は鑓>鉄砲だったのが朝鮮出兵では鉄砲の数が勝るようになった
・大阪では徳川の鉄砲、大砲のほうが圧倒的で、豊臣方は大砲不足から木砲で補っており火力で劣勢であった模様



北条氏は末期まで弓と鉄砲がまとめて編成されていた(西国では早い時期に分離している)、朝鮮では鉄砲以前に火箭とか鉄丸銃筒とかいう武器が使われていたとか、初耳という話も結構あります。
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