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2018年10月25日

バルチック艦隊

大江志乃 中央公論社

前に海の史劇を読んで、何となく気になっていた話。バルチック艦隊の誕生から日本海海戦までの軌跡。

いろいろ細かいことがいろいろ書かれていますが、ざっくりと読んだことを書くと
そもそもロシアの海軍力は割と貧弱で、幕末にプチャーチンの使った蒸気船はイギリス製の小型船で、日本行きが決まってから来たようなものであり、旗艦に至ってはポンコツの帆船だったという状態で、アメリカやイギリスのような余裕のある状態ではなかった。
当時の蒸気船はイギリスに一日の長があり、アメリカの船と比べると小型だが、より効率のいい船を使っていたらしい。
その後ロシアも艦隊の近代化に勤しんだものの、バルチック艦隊、つまり第二第三太平洋艦隊の大砲は旧式のものが大半であり、大砲の更新が終わっていた連合艦隊と比べると射程が大幅に劣っていた。
それ以外にもそもそも旅順は艦隊の基地としてあまりよくなかった、艦隊があっても根拠地が不足した状態。
さらに開戦すらロシアの極東太守が強硬姿勢取りすぎた部分があり、準備不足。
そしてバルチック艦隊には全くこれといった港がない状態で、海上で補給船を手配する始末、さらに石炭の質も悪い、マダガスカルでの停泊が長すぎて士気も下がり病人も出る始末、訓練もできないので訓練不足、さらに足の遅い艦が混ざった編成で動きも悪い、というかなぜか機関の調子の悪い艦が主力のほうに編成されている、などなどどうしようもない状態。そして補給が困難なために予備の石炭を積みすぎて重量オーバー。

つまり張子の虎状態だった模様。

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