ざっくりと説明、要は集団としてのオタクの終焉
要は「民族としてのオタクが絶滅する」と著者は説いているのである。個人単位でのオタクは居るものの、集団としての共通認識を持ったオタクが消えるのだ…と。
元々著者はSFオタクの第1世代オタクと呼ばれる人種であり、それがガンダムなどの世代の第2世代オタクが台頭してくると、彼らは既存SFに興味を持たず、結果オタクを成り立たせていたSF大陸と言うべき共通認識が崩壊したと説く。
実は私はゲーマーとしてこの著者が言う現象を経験している。ゲーマー、時にオタクの1分野扱いされるこの層は今崩壊している、90年代くらいまではゲーマーと言う概念がたしかにあった、いくつかのグループに別れつつも、なんとなく共通認識があった。
(狭義の)ゲーマーとは岡田斗司夫が言う「第三世代オタク」に大半が属している、第12世代と第3世代の差はゲームに有ると言っていい。
ゲーマーの崩壊は、まずゲームボーイから起こった、ゲームボーイ末期に発生した事件、ポケットモンスター、こいつがすべての始まりだった…今思えば。
このゲームボーイ、既存のゲーマーはあまり興味を示さず、ほぼユーザーが子供だった。ここで旧世代の据え置き勢と新世代の携帯機勢が別れる。更に旧世代が見捨てたハード任天堂64、これがポケモン世代のキッズにとってはちょうど良かった、ここで旧世代のJRPG層との分離が明確になり始める。更に携帯機勢は勢力としてはアーケード勢と距離があり、そこでアーケードとの距離もできる。
これはPS2時代まではまだなんとか誤魔化せていたがDSの登場で市場の主役が携帯機になると、ハード売上がDS>PSP>据え置きと言う事態になり、結果据え置き系のIPの多くが携帯機世代に継承されなくなった。そこにスマホの台頭が加わり、ゲーマーと言う単語はもはや空中分解した…と言う減少を私は経験している…なので著者が説くSF大陸の崩壊はそういうことを指すのかなと。
私が考えるこの本の背景 00年代中盤
この本、特徴は「00年代中盤に構成され、00年代後半にリリースされた」ということ。この本の背景は00年代中盤、ゲームで言うとPS2の黄金期が終わりに差し掛かってDSバブルが始まりかかっていた、据え置きの終焉とも言える微妙な時代、オタクバッシングは薄まるも続いており、ゲーム脳問題が世間を騒がし、アニメは徐々に深夜に移行、ラノベが隆盛し、何よりこの後の時代で重要になるSNSや動画サイトが産声をあげていた、漫画はやや衰退傾向で定番以外の漫画原作アニメは減少、まさにそんな時代。
本当に中途半端な時代に書かれた本だと思う。だから「古い時代の終わり」が明確で、でも「新しい時代は始まっていたがまだ目に見えてなかった、一過性のものだと思われていた」それがこの本の内容につながっていると思う。
第3世代オタクについての私の補足
私としてはこの本、第三世代オタクについて補足しておきたい事があります。第3世代が持つ鈍感さ的なことを強調していたのですが、第4世代の私から見る第3世代特有のセンシティブさみたいなものが有る。
著者はSFオタクで孤高を尊ぶオタク貴族主義の第1世代、アニメオタクでオタクを自覚した頃に某事件が起こりオタクバッシングと戦ったオタクエリート主義の第2世代オタク、そしてもはやオタクとしての定義が曖昧な萌えに走るだけの第3世代オタクみたいな定義をしています。
著者は「顕在化したオタクっぽいオタク」のみを考察対象としている(これは著者のオタクの定義の問題でも有るが)ので、所謂「萌え豚」と呼ばれる層のみを考察している。
ただ第3世代には隠れオタクと言うべきか、第2世代がオタクになってからオタクバッシングを受けたのに対して、第3世代はまだオタクとはいい難い前段階の頃にオタクバッシングを受けたため「オタクっぽい性質を持ちながらにオタクを隠すオタク」や「オタクなのか違うのか曖昧」な層、「オタクやオタク的なものを否定するがどう考えてもオタク」な層が結構目立つ。硬派厨と呼ばれる層も割とこのグループに属していると思う。
こういったセンシティブなオタクのような何かについては言及されていない、まあ当然なのだ彼らは当時の基準ではオタクではないから、20年の基準では多分オタク。