マイヒストリー
| 0歳 | 母の実家留萌の産院で元気にうまれました |
| 1歳から4歳 | 札幌の円山に住んでいました。
近くの公園に大きなトランポリンがあって、大好きでした。 |
| 5歳から15歳 | 父の地元富良野で過ごしました。
中学では吹奏楽部でした。 14歳で初めてアメリカにホームステイ。 これが私のこれからの人生に大きな影響を与えました。 この間、グアムに旅行に行ったことがのちのマレーシアへの抵抗感の無さにつながりました。 |
| 16歳から22歳 | 高校・大学は札幌でした。
英語を専攻。 大学入ってすぐに「大地の子」に触発され中国語の勉強をはじめる アメリカに1回、カナダに1回ホームステイへ行きました。 カナダにいた1か月の間に韓国人の友人ができ韓国語を始めました。 中国・韓国にそれぞれ短期で語学留学にいってきました。 より都会な印象が残ったので、卒業後に韓国に行くことを決意しました。 |
| 22歳から23歳 | 韓国はソウルの西江大学に語学研修にいきました。
韓国語の難しいところは擬態語・擬音語などにありと気づき、子供向けの国語の本を勉強し始めました。 それがきっかけで韓国の民話へ興味をもちました。 また、民画にも興味がわき、書店で書籍を買いあさってきました。 お気に入りは「カッチホランイ(別名チャクホド)」トラとかささぎが一緒に描かれているめでたい画です。 |
| 23歳から25歳 | 遅い社会人時代。
IT系の会社とホテルに勤務。 hippo!ファミリークラブに入り、さまざまな人と 交友・交流を深め充実した毎日を送りました。 このころ、香港、タイ、マレーシアの友人がおおくでき、今でも継続しておつきあいしています。 マレーシアの親友から結婚式の招待状をもらい、結婚式出席のため仕事を辞めました。。 試しにマレーシアで就職試験を受けたら、仕事をもらえることになりました。 |
| 26歳 | タイ・香港の友達のところに遊びに行きました。
同時にマレーシアでお仕事がはじまりました。 慣れない南国で、慣れない仕事の始まりです。 フリーペーパーの記者を半年、ストックフォト会社のマーケティングを1年ほどしました。 記者時代、ラッキーなこと有名な人が多くマレーシアを訪れ、インタビューする機会に恵まれました。 その中の一人、車いすテニスのプロ選手国枝選手の大ファンになりました。 フェスピック取材を通して、障害者スポーツを知りました。 障害者スポーツをもっと身近に観戦してみたいとおもうようになりました。 |
| 27歳 | つわりがひどく日本へ帰国。
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| 28歳 | 札幌の産院で、元気な男の子を出産。再び故郷富良野へもどってきました。
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| 29歳 | このブログを開設しました。
北海道通訳案内士試験を夏に受けましたが、 合格ならず。 夏に道東へ旅行し、北海道の魅力におくればせながら気づいた年でした |
| 30歳 | 富良野から札幌へ戻ってきました。
しばらくお休みしていたヒッポファミリークラブに再入会しました。 春から遅い社会人復帰。 子供は保育園に入りました。 約1カ月半の就職活動ののち、臨時職員としてですが無事社会復帰を果たしました。 同時に、子供が保育園に通い始めました。 |





