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2019年11月01日

沖縄と首里城の歴史

“沖縄の象徴” が焼失

昨日の未明、沖縄県那覇市の首里城で火災が発生し、正殿を含む7棟の建物が全焼してしまいました。

折しも首里城では10月27日から11月3日まで「首里城祭」が開催されていた最中での出来事だったので、関係者のショックは計り知れないものと思われます。

首里城が世界文化遺産に登録されていることはご存じの方が多いと思いますが、世界遺産であることとは別に、地元の人々にとって首里城とは、沖縄の歴史そのものと言っても過言ではないほど貴重なものであると言えるのです。

近年、沖縄というと米軍基地の辺野古移設など住民と在日米軍の問題を取り上げられることが多いのですが、この首里城は沖縄がまだ琉球(りゅうきゅう)と呼ばれていた時代から“琉球王国のシンボル”として長い間、地元の人々に親しまれていた歴史ある建造物なのです。

僕も1990年代に首里城が復元されてから興味を持っていて、いつか訪れたいと思っていただけに本当に残念でなりません。

今回は焼失してしまった首里城の再建を願いつつ、沖縄と首里城の歴史について語りたいと思います。

琉球王国の誕生

14世紀頃の沖縄本島は北山・中山・南山の3つの地域に分立していましたが、15世紀に入り永享元年(1429年)、中山の尚 巴志(しょう はし)によって統一され、琉球王国が誕生します。

この時から首里城は琉球王朝(国王は尚一族が代々続く)の王宮となりました。

15世紀から16世紀にかけて琉球王国は日本や中国や朝鮮、東南アジア諸国を結んだ中継貿易によって繁栄しました。

江戸時代に入ると、慶長十四年(1609年)薩摩(鹿児島県)の島津氏が武力で琉球を征服します。

しかし、琉球は島津氏に服属しながら中国(当時は)との朝貢貿易を継続したので、琉球は日本と中国に両属するという複雑な状態が長い間続くことになります。(中国は1644年、明が滅びが建国するも琉球との関係は変わらず)

日本が明治維新を迎えると、明治政府は明治四年(1871年)廃藩置県により琉球を鹿児島県に編入、翌年には琉球藩を設置し、当時国王だった尚 泰(しょう たい)を藩主に任命しました。(廃藩置県したのに?)

当然、清は日本の一方的な琉球統治を認めなかったのですが、さらに日本は明治十二年(1879年)琉球に軍隊と警察を派遣、琉球藩を廃止し沖縄県設置を強引に決定してしまいます。(琉球処分

この時、尚 泰は東京に移住させられてしまったので、王宮としての首里城は役目を終えることになりました。

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太平洋戦争を経て再び日本へ

昭和二十年(1945年)太平洋戦争も終盤に差し掛かり日本が防戦一方になると、アメリカは沖縄を日本本土攻略のための重要拠点と考え、4月にアメリカ軍が沖縄に上陸します。

アメリカ軍が侵攻してきてからの沖縄では各地で筆舌に尽し難いほどの殺戮が繰り返され、絶望した人々の集団自決なども相次ぎ、4月から7月初めまでのわずか三ヶ月間で約19万人の尊い命が失われ、その半数以上は沖縄市民でした。

この沖縄戦では痛ましい数の犠牲者が出てしまっただけでなく、日本本土から出兵した守備部隊の目的も沖縄を守るためでなく、本土決戦を遅らせるために沖縄をいわば“捨て駒”にしたに過ぎないといわれました。

このような歴史から現在の米軍基地問題も含め、沖縄の方々が本土の人間に対して抱く複雑な気持ちが察せられるのです。


戦後、日本が独立を果たした(9月8日付ブログ参照)後もアメリカの占領下にあった沖縄ですが、昭和四十六年(1971年)アメリカと沖縄返還協定が結ばれ、翌年の昭和四十七年(1972年)5月15日ようやく沖縄の日本復帰が実現しました。




沖縄の王宮・首里城の歴史

首里城.jpg

首里城は上記のように永享元年(1429年)から明治十二年(1879年)までの約450年間、琉球王朝の中心的な城として琉球の政治と文化の中心にありました。

首里城正殿は大正十四年(1925年)に国宝に指定されますが、昭和二十年(1945年)の沖縄戦で焼失してしまいます。

戦後、首里城の跡地は一時琉球大学のキャンパスになりましたが、大学移転後の平成四年(1992年)本土復帰20周年を記念して首里城正殿が再建されました。

平成十二年(2000年)7月に開催された九州・沖縄サミットでは、首里城において社交夕食会が開かれました。

また、サミット開催の記念として、新しく発行された二千円札に首里城の守礼門が描かれました。

サミット開催と同年の平成十二年(2000年)12月、首里城は世界文化遺産に登録されます。(正式な名称は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

平成元年(1989年)11月から始まった首里城全体の復元工事は約30年の歳月を費やし、今年1月に全ての工事が完了したばかりでした。

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まとめ

  • 15世紀に建国された琉球王国は江戸時代には日中両国に属し、明治に入り沖縄県となった

  • 太平洋戦争において沖縄は日本で唯一地上戦が展開され、多くの市民が犠牲となった

  • “沖縄の象徴”首里城は平成十二年(2000年)世界文化遺産に登録された


決して簡単なことではありませんが、首里城が一日も早く再建されることを祈っています。
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カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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