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2016年04月14日

バイクが好き − 5 / HONDA 3RC164/RC165/RC166

rc166-2.jpg
3RC164はホンダが1963年WGP250ccクラスに投入したワークスレーサー
この3RC164のなにがワタシを虜にしているかというと、そのエンジンにある
並列6気筒 DOHC 4バルブ カムギヤトレイン方式
4サイクルエンジンにチョット詳しい方なら、これで十分ご理解できると思うが
現在では信じられないような型式である、これから先も作られることはないだろうと予想される
WGP250ccクラスに1960年から本格参戦したホンダは(1960年というと、このブログを読んでくれるほとんどのかたがまだ生まれてないでしょうネ^^)62年63年66年67年とタイトルを奪取した
この期間に使用されたマシンは、4気筒型がRC161、RC162、RC163、RC164、2RC164、6気筒型が3RC164、RC165、RC166
基本的にはRC161から2RC164まで、3RC164からRC166までとそれぞれほぼ同じレイアウトの性能進化型のようである
RC161緒現 : 並列4気筒 4バルブ カムギヤトレイン式 ボア×ストローク40×41mmの249.37cc 最高出力は38ps/14000rpm以上
しかし1964年、2ストロークエンジンを採用するヤマハなどライバル達の猛追を受けることとなる
ホンダはシーズン途中急遽、RC164をパワーアップさせた2RC164を投入するもタイトルを逃す結果となった
タイトルは逃したもののホンダは翌シーズンを見据え第11戦イタリアGPに、開発を進められていた6気筒マシンを投入する
6気筒エンジンを走行ギリギリまで隠すため、マフラーは2本が外され、名称も3RC164とされた
デビュー戦ではまだ問題をクリアできていない熱対策に苦しみながらもジム・レッドマンが3位完走、最終戦日本GPでは発熱対策を行なったRC165でみごと初勝利をおさめる
しかし翌1965年、期待されたRC165はエース、ジム・レッドマンの負傷などの原因でタイトルを獲ることは叶わず、ヤマハに連覇を許す結果となってしまった
rc166-1.jpg
1966年ホンダはタイトル奪還に燃え、エースライダーにマイク・ヘイルウッドをむかえ盤石の態勢で挑む
進化したニューマシンRC166は、RC165と基本的な構造に変化はないものの、最高出力は54ps/16500rpmから60ps/18500rpmへと高出力・高回転化を実現させ、さらにマグネシウムやチタンなどを多用し車両重量は112kg
この年、マイク・ヘイルウッドの出場したレースの全てを勝利という、圧倒的な強さでタイトルを納めた
ホンダのWGP参戦最後の年となった1967年は、水冷V4エンジンのヤマハRD05の追従に苦しみながらも接戦を制し、憂愁の美を飾る結果を残した
rc166-3.jpg
驚くべくは1960年前半という時代に250ccという排気量でありながら6気筒化を完成させている点である、それも市販車両ではなく過酷な状況下でのみ酷使されるレーサーとしてである
最終型のRC166にいたっては60馬力、リッターあたりナント240馬力である・・・それも4サイクルNA
さらに18500回転もまわるエンジン・・・、小排気量NAエンジンで高出力を実現するには高回転化が最も効率よいコトは理解しているつもりではあるが・・・
それにしても1960年前半である・・・、恐るべし当時の技術者達の能力と努力、創造性に独創性、熱意、他たくさん

この記事を書くために資料をネットで拝見してるさいに、タミヤからRC166のプラモが発売されている情報を入手ス
が・・・チョットお高めの¥5,616(税込)・・・
であるが買いでしょコレ





2016年03月22日

バイクが好き - 4 / Kawasaki GPZ750R

今思うと、生きてきたなかで最もフラフラとしていた時期に出会ったバイク
カッコつけているようにとられるであろうが、そんな時に出会った
確か20歳過ぎくらいだったと思うが、車も買ってみたがその頃そんなに好きではなかったためか、すぐ飽きる
勤めていた会社にも残る意味が見出せず、海外のボランティア活動をTVで見て、真剣に行ってみようか?などとボンヤリ考えたりしていた
その頃、居た社員寮で限定解除免許を取るのが流行った?
友人がみな通うので、俺も行ってみるかと…のノリで…
当時はバイクの限定解除(大型二輪?)は一発試験のみであり、難関であった
そのうえ住んでる地域が静岡県、静岡や名古屋など自動車/バイクメーカーが多い県は特に合格率が低いらしく、平均3%ほどであったと記憶する
合格率が低いうえ受験者が多いため、失格したその日に次の試験日を予約しても約1月後という状況であった
約半年ほどかけて、どうにか7回目ほどで合格したと記憶する(まだ7回目だと早いほうと言われた記憶がある)
合格はしたものの、田舎に帰るか、どこか違う場所にでも行こうかなどと考え、バイクが欲しいとは特別強く思わなかった
そこに職場の先輩から「俺の友達のニンジャ買わねーか?」 とのオファー
中学生の頃からバイクに夢中で、当時最もマイナーであった「カワサキ」派であったためドキリとする
退職するから見るだけとは言ったものの、たぶん買っちゃうなと変な確信を持ちつつ見にいった
gpz750r-2.jpg
そのニンジャは私の想像していたものと全く違っていた
ニンジャといえば赤/グレーのイメージだったため、こんな色もあったんだと思った
なんでも限定カラーらしい、当時既に型遅れであったし、モデル末期になんとか売ろうとするメーカーの常等手段の限定バージョンであろう
今思えば、ニンジャの底値の時期であったようだ
予想していたとうり、即決で買ってしまった
「オレなに考えてんだ」と思いつつも「これも運命か?」などと笑いながら帰ったようだ
しかしこのニンジャ(正確には当時国内向け750にはニンジャの名称は冠されてなかった)、最も長く、最も愛着のある相棒となった
友達とのツーリングは楽しき思いでとなり、もちろんソロでもいろんなところに出かけた
楽しい思い出をくれたバイクである、その後田舎ににも持ち帰りケッコウ永く乗ったが、最後にはエンジンが壊れてしまいどうするか悩んでいた頃、静岡の仲のいい友人がバイク事故で逝ってしまった
それが理由かは解らないが、ニンジャは手放しその後バイクにはしばらく乗らなくなった
大事に想う友人をバイク事故でなくしたのは3人目であったが、若い当時の私にとってはこたえた経験だったのであろうと、今は思う



2016年03月15日

バイクが好き - 3 / YAMAHA FZ400N

fz400n1.jpg
原付やコンペモデルを除いて初めて所有した中型自動二輪車、たぶん19歳の頃
ヤマハ FZ400N
この時期、お金のかかる他の趣味?をやっていたため、全く買う気も買う余裕もなかったのだが、 友人から格安でのオファー
当時の最新型でもあり、私自身公道を走れる原付以上のバイクを所有したことがなかったため、誘惑に負け購入ス
短期間所有の運命ではあったが、とても印象に残っているバイクのひとつ

カウルレスバージョンのレーサーレプリカであるため、パワフルで楽しい
どこか遠くまでツーリングに行きたくなる気持ちにさせてくれた
しかし、上で述べた「お金のかかる趣味」でお世話になってる師匠に、「テメー何考えてんだ!」とお叱りを受け
まぁ充分に予想し覚悟はしていたが…
強制売却?^^;;
わずか数カ月で、あえなくお別れとなってしまった
ではあるが、ツーリングなどの楽しみを教えてくれた一台である



2015年05月02日

バイクが好き - 2 / なんにも無いと欲しくなる

もうバイクに乗らなくなってずいぶん経つな〜
若い頃は、歳イッたら「883スポーツスター」あたりに渋ーくノンビリ乗りたいかな、なんて薄っすら思ったりしていた
ホンで現実に歳くってみて思う…
バイク…やっぱりなにも持ってないと寂しい…、しかし若い頃みたく「コレが欲しい!」ってのが思い当たらず…
オフロードバイクはイイネ、ぶらりと乗れて河原なんかの近場で楽しめる
んでネットで情報検索ス…
4ストがイイな〜、カワサキKLXあたりの初期型くらいなら結構お手軽お値段に…なっていない…
やはり昔ほど新車が売れないせいか、人気車種は中古車の値段が落ちにくいようだ
元の新車価格に対して、年式や走行距離などから割高な感じすらしてしまう…
デカいのは…、最後に乗ったZRXでチョット…って感じがまだいまだに変わらない
私にはパワーが有り過ぎなんですよネ…
国内仕様の100psだったのですが…イヤイヤ乗れないね…100ps…
違った意味ストレス溜まっちゃう、普通の国道50キロですよ制限速度
有り余るトルクでギヤなんて何速に入ってるのか判んないし、動きだしたら追い抜くのにシフトダウンなんていらないから、ロングツーリングでは楽なんだろうケド…
もっと気楽に2〜3時間ほど楽しめるようなのが欲しいかな
ツイン(2気筒)なんてイイんじゃ?と、検索ス
ホンダブロス、イイですネ、650cc、なんと片持ち式プロアームですか…、新旧混ざってマスけど…イヤイヤこれがフツ−ですよね?
技術は進歩したのに、旧車ブームのおかげか、古いルックスが多いですよね
ZRXでもそう思った点があった、別にリヤ2本サスじゃなくてもイイのにね…
その古そうなルックスからは格段に、その前に乗っていたGPZ750Rを遥かに凌ぐ性能でしたネ
ブレーキやサスの性能は、別次元的に進化してました、特にリヤサスはイイカンジで…
まぁ、私のノーガキなんてドーデモイイですな
ツイン(2気筒)とシングル(単気筒)でナンカナイデスカね…イイヤツ…、んで安いヤツ…
ネットで探してみますワ・・・オヤスミなさい



2015年04月19日

バイクが好き - 1 / 永遠のナンバー1

中学生の頃といえば思春期である、なにかと皆はアイドルだガンダムだと流行り、下敷きに入れたりしていた
私もそれなりに皆に遅れまいと入れたりしていたが、当時の私は周りのようにそれらのモノに熱中はできず、ただ皆と同じ事をしていないと浮いた存在になってしまうような気がする自分を強く持てない少年であったようだ
そんな私にも転機が訪れた、中学2年生の頃であろうか従兄のウチに遊びに行くとあいにく不在、待っているあいだにと置いてあるバイク雑誌を広げた
「バイクか…カッコイイな…」パラパラとページをめくる
とあるバイクの写真に私の視線は釘付けとなった、正に衝撃といおうか心を奪われたような気持ちになった
一目惚れである
その日を境に私の環境は一変した、部屋のポスター類(スーパーカー除く)は全て何のためらいもなく廃棄、部屋中がバイクの写真とプラモだらけとなった
もちろん下敷きの写真も同様で、学生カバンにはいつも雑誌「Mr.Bike」を持ち歩くようになった
z400fx-2.jpg
その一目惚れしたバイクが、カワサキ「Z400FX」である
すでに爆発的な人気はピークを越え、ライバルのヤマハ「XJ400」や満を持して登場したホンダ「CBX400F」に追い越されるという状況であったが、私にとってはナンバー1であり40代後半となった現在でも憧れのバイクである
そんなFXであるが、なぜにか所有する事はなくおそらくこのまま一生乗るコトは無いであろうと思う
なぜそうなったのかと言うと、理由らしきものはある
高校生になると校則で原付以上の免許は取れなかった、それでも免許は欲しいがあいにく私の誕生日は9月であり、1年生の夏休みに試験を受ける事が出来なかった
冬休みには必ず…と貯金していたのだが、毎日のように学校の帰りに立ち寄るバイク屋さんでモトクロスにのめり込んだ
モトクロスが中心というほどにのめり込む、その後中型免許の試験も2度ほど受けたのだが失格し、どのみち免許を取ってもFXを買える財力も無いしモトクロスを優先させたい気持ちでもあった
その後興味はモトクロスからロードレースへと移行してゆく
社会人となり所有できる立場になった頃、何気に初めて入ったバイク屋さんに置いてあるFXを見つけた、それも最も好きな左写真の最終型(再生産型除く)である
「アレ?こんなに小さかったっけか?」とまず思う…
中学生の頃あれだけ巨大で荒々しい無骨な鉄のかたまりは、ずいぶんとホッソリしたイメージに映った
「あぁ、俺って中学生の頃は前から2番目のチビ助だったもんな…」ひとりゴチる
「試乗してもイイよ」というバイク屋さんに、すでにその当時レーサーレプリカなどのハイパワーマシンに乗ったコトがあるため、丁重にお断りした
実物を見ただけでも大切な何かが壊れたような気がしたし、当時のレーサーレプリカほどのパワーが無い事は明らかであった
それいらい今でもFXを見かけると、中学生の頃と同じように心を奪われるが(趣味の悪い改造車除く)遠くから見るだけで近づくコトはない
私のなかで永遠のナンバー1であり、ヒーロー?であるのだ



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