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2016年05月01日

扉シリーズ  第一章 『絵画』 第一話「北尾、大学辞めるってよ」著者:冨田武市

『暑っ!』
どうやら昼寝していたらしいオレはそんな事を口走りながら体を起こした。
ジメッとしている…
オレはベッドが嫌いで、マットレスの上に蒲団を敷いて、夏は上蒲団にタオルケットをかけて寝る…
しかし、この異常な蒲団の湿りようは何だ?
蒲団のみならず、枕までグッショリと湿っている…
寝汗だ…
湿り気の原因はオレの体から分泌されたであろう大量の寝汗だ。
大量と一言で言っても、その量は人類の汗の分泌量の範疇を越えているのではあるまいか…?
こんなに寝汗をかいて、オレの体は大丈夫なのか?
オレはとりあえず立ち上がり、グッショリ湿った蒲団を見下ろす。
『どうすんねんコレ?』
幼少の頃、オネショをした時の心境が甦る。
25坪程の生活感あふれる築30年以上経過した実家の自室、その中央に敷かれた蒲団から距離をとり、壁にもたれながら、この蒲団をいかに処理すべきか考える…
時間を確認するとまだ二時過ぎである。
あと五時間程は干していて問題あるまい…
オレはそう結論すると、すぐに行動に移した。
ベランダに出ると直射日光が肌を刺し、また汗が吹き出る。
『おのれ太陽め!』
とキッと睨んでみるが、睨みあいで勝てるわけもなく、秒殺された。
わずかな敗北感をひきずりながら、とりあえず一階の風呂場にある洗濯機に蒲団よりグッショリ湿ったTシャツを投げ込む。
あまりの暑さにまた服を着る意味もなかろうと、半裸のまま冷蔵庫を開けて麦茶を入れた容器を取りだしグラスに注ぐとそれを一気に飲み干す。
しかし、一杯くらいでは満足できぬ程水分を失っている。
面倒臭いので、容器のまま直接いった。
腹はタプタプしているが、乾きは癒された。
全部飲んだ事を後で母親に咎められるだろうが、そんな事はとるに足らぬ小事だ。
夏休み中である。
今日はバイトもない。
さて、部屋に戻って漫画でも読むか…
すると、インターホンが鳴った。
来客に半裸で応対するのは無礼であろうが、この季節なら構う事はなかろうと、ドアを開く。
ドアの外には、この季節には正気の沙汰とは思えぬ黒づくめの男、木林が立っていた。
「あ〜ん武市!これほど半裸の似合う男、他におるか〜よ!」
と笑う。
まあ上がれや、と木林を自室に案内する。
自室に入るやいなや、木林は開口一番
「暑っ!ここ何な?たぶん地獄より暑いぞ、ここ!」
と言いながら服を脱ぎ出す。
めでたく半裸の男がもう一人生まれた。
オレはさすがに悪いと思い、扇風機のスイッチを押す。
もちろん『強』である。
扇風機は健気に風を送ってくれるのだが、いくら頑張ってくれても送られてくるのは熱風である。
「あ〜ん武市!部屋に熱風機おいてんよ〜!」
木林が愛用の扇子で扇ぎながらそう言う。
しかし、
「まあ、飲んでくれ!」
とコンビニ袋から冷たい缶コーヒーを取り出して、オレにくれた。
木林はトマトジュースである。
さて、家まで来るという事は何か用事があるのだろうと、尋ねてみる。
すると木林はプププと吹き出して
「武市アカン!致死レベルのおもろい事件起こったの知ってんけ!?」
と腹を抱える。
おもろい事件…
お互い携帯電話を持つ身である。
しかし、家にまで来るという事は、本当に致死レベルなのだろう。
「致死レベルとはそそられるなあ…何よ何よ?」
と催促するオレ。
しかし木林は溢れる笑気を抑えられず
「プププ!」
と吹き出すばかりである。
「あ〜ん木林!スケベにも笑い独り占めしてんよ〜!」
吹き出す木林の姿につられて笑うオレ。
木林は何とか笑気を抑えつつ、息も絶え絶えにようやく言葉を発した。
「はひ!はひ!た、武市…プププ、き、北尾の家に幽霊出るの知ってんけ!?」
 オレの全身を凄まじい笑気が貫いた!
「だははははっ!」
この世にそんな面白い事があろうか?
あの北尾の家に幽霊が出るのである!
北尾…
フルネームは北尾公貴…
オレが知る中では世界一銀縁眼鏡が似合う男にして、他の追随を許さぬ圧倒的な個性の持ち主である。
オレは奴こそが『天才』というものであろうと思っている。
その天才北尾と幽霊のコラボがどんな化学反応を起こすのか?
それを想像すると、込み上げる笑気を抑えられぬ!
半裸の男二人は数分間、大汗をかいて爆笑する。
数分間爆笑するのには大量のエネルギーを消費する。
笑い疲れた頃、木林が口を開いた。
「き、今日の昼前よ…タバコを買おうとコンビニに行ったらよ…プププ!き、北尾いてんよ!」
木林はまだ笑気冷めやらず、吹き出しながらも言葉を続ける。
「そしたらよ…プププ!」
笑気が冷めやらぬのはオレも同じだが、話を続けてくれなくては話にならぬ。
「き、木林て…気持ちはわかるが、頑張って話を続けてくれ!」
すると、木林は力を振り絞って続けてくれた。
以下は木林から聞いた話である。
木林がコンビニに入ると何やら雑誌コーナーにただならぬ笑気を感じて、そちらを見た。
すると北尾が雑誌を立ち読みしていた。
週刊少年デーサンであった。
立ち読みのチョイスがいかにも北尾らしい。
木林が
「北尾!」
と声をかけると、北尾は木林の方を向き、
「ああ、木林か…」
と、力なく答えたそうだ。
みると顔色が悪い。
「えらい量産型スゴッグみたいな顔色してからに…一体どうしたんだい?」
量産型スゴッグとは世界的名作ロボットアニメ『希望戦士ギャンダム』に出てくる水陸両用のロボットで、そのボディーカラーは水色。
つまり、顔色が悪いという意味である。
木林の目にはそう映ったらしい。
北尾は木林の問いかけに戸惑いの色を見せたらしいが、すぐにスゴッグを思い出し、こう答えたらしい。
「スゴッグ…今オレのフェイスはそんな色をしているのか…しかし、オレのメンタルの色はゴフのそれでっさ…」
ゴフ…
これまたギャンダムに出てくる陸戦特化型のロボットてある。
そのボディーカラーはスゴッグよりも青く、深いブルーである。
つまり、顔色よりもメンタルは深く沈んでいるという事である。
木林は一瞬笑気に負けそうになったが、踏みとどまって尋ねた。
「お前のフェイスをスゴッグ色に、メンタルをゴフ色にしてしまうとは…一体何があったんだい?この木林に話してごらん?」
すると北尾は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに下を向き、
「話したいのは山々なのやが…それを話したところでビリーブしてもらえるとは思えないでっさ…」
と、小声で答えた。
木林は笑気を抱えつつも、やはり友人である。
こう答えたそうだ。
「北尾よ、友達の話ならいかなる内容でもビリーブするのが真の男というものさ…さあ、遠慮せずに話してごらん?悪いようにはしないからさ?」
すると北尾は数秒迷った後、
「リアリィ?」
と聞いてきたので、木林は
「リアリィ!」
と返した。
北尾はまた嬉しそうな顔をして、
「なら、ここから出よう。立ち読みしながら話す内容てはないのでな…」
と言うと、持ったままのデーサンを戻し、木林と共に飲み物を購入して外に出た。
二人は強烈な日差しの中、コンビニの駐車場で話をすることになった。
木林は、
『このアホ、こんな暑いとこで話せんでもファミレスかどっかで話すりゃええやないか』
と思ったが、仕方なくできるだけ日陰の場所を選んだ。
「ほな、話してくれるか、北尾…」
木林は扇子で扇ぎながら北尾に話を促した。
北尾はウム、と頷くと口を開いた。
「話をする前に確認しておきたいのやが…なあ木林て?お前はゴースト、つまり幽霊の存在をビリーブしているか?」
ゴースト、つまり幽霊というフレーズに笑気が込み上げたが、木林はそれをグッと堪えて答えた。
「お前の口からゴーストの言葉を聞けるとは…しかし、北尾よ、その質問はこの木林には愚問やで?」
北尾は力なくニコっとすると、
「ああ、そうだったな…お前と武市は昔からオカルト好きだったな…」
と乾いた笑いで答えた。
「北尾、お前は見たのか、そのゴースト、つまり幽霊を?」
木林は北尾が話やすいように質問した。
北尾は数秒固まると、頷きもせずに語り始めた。
「うむ、見た…見てしまったのでっさ…そう…あれは忘れもしない一昨日の夜やったでっさ…」
そりゃ一昨日の夜に見て忘れているなら今悩みもすまい、と思ったがスルーレベルの小事であると木林はこらえた。
「オレはマイルーム…つまりオレの部屋でベッドに入り、寝ようとしていた。
オレは毎晩ヘッドホンでミュージックをリッスンしながら寝るのやが、その晩もそうやった…
無論、ミュージックは細川ふみよのスコスコスーでっさ…」
細川ふみよ…
二、三年前に人気絶頂だった巨乳グラビアアイドル…
北尾曰く
『彼女が若い男性から搾取した(何らかの汁)は、世界四大大河の水量に匹敵するであろう』
らしい。
しかし、『無論』と言われても、その曲をリッスンしながら眠りにつく者は極々小数であろうから無論ではなく論じられて然るべきであろうと思うが、これも堪える。
『しかしなあ…彼女の曲をリッスンしていると、どうしてもあの見事なるバストが脳内にちらついて、何やら悶々としてきてなあ…」
こいつは何の話を聞かせるつもりなのかと木林は焦り、さすがに話を遮った。
「き、北尾!そこをそれ以上掘り下げる必要ないやろ?」
北尾はその言葉にハッとして、
「いや、スマン…お前に乗せられて余計な事までカミングアウトしそうになった…スマン」
さらっと木林のせいにしてしまう所がいかにも北尾らしい。
「さて、まあそんな具合に眠れずにいたのやが、急に尿意をもよおしてな…厠へ行こうとオレはヘッドホンをはずそうとした…しかし…」
北尾の顔色がスゴッグ色からゴフ色に変化したのを木林は見逃さなかったそうだ。
「ヘッドホンを外そうとしたら、ふみよの声に被さったように、何かが聞こえるのでっさ…」
ようやく怪談らしくなってきたと木林は思った。
「オレは耳を澄ませてみた…するとな、ヒソヒソと人が何かを言っている声が聞こえるのでっさ…それは少しずつボリュームを上げていく…」
おおっ、ええ感じやないかと北尾の話に集中する木林。
「どうやら女性の声のようだ…オレは更に耳を澄ませてみた…するとどうやらこう言っているみたいなのでっさ…」

『おいで…』

『おいで…』

「おいで、とは『こちらに来い』と言う意味だろう?しかし、オレがリッスンしていたスコスコスーにはそんなリリックは無い…そこでオレはふと気がついたのさ…この声、この世のモノならずと!」
北尾の呼吸が荒くなり、ゴフ色の顔に脂汗が滲む。
「オレは情けない悲鳴を上げながらヘッドホンをはずして壁に投げつけた!」
更に呼吸を荒くして、北尾はうなだれ、
「あんな恐ろしい経験をしたのは生まれて始めてやったでっさ…」
と呟き、話は途切れてしまった。


一分以上も黙ったままだ…
確かに嫌な経験ではあるが、北尾は見たと言った…
しかし、話の中ではまだ見ていない…聞いただけだ…
木林はその疑問を率直に尋ねてみた。
「なあ北尾?お前は見たと言うたよな?しかし、お前は聞いただけ、お前に言わせればリッスンしただけじゃ ないのかい?」
木林のその質問に反応して北尾は顔を上げると

「チッ!」

と大きな舌打ちをした。
悩める友人の話をうけとめる友情熱き木林に対して酷い仕打ちである。
更に、
「なあ木林て?こんな事を言ったらお前には悪いが、人の話は最後まで聞くのがマナーというものでっさ…」
と追い討ちをかけてきた。
流石の木林もこれは許容し難しと北尾の耳を引っ張ってやろうかと手が出かけたが、必死に堪えて尋ねる。
「…じゃあ北尾?その話には続きがあるんやな?」
北尾は機嫌の悪さを全面に押し出した声で、
「無論…」
と、一言だけ答えた。
また手がでかけるが、何とか堪えきる。
「スマンな木林…オレの精神は今、不安定のようや…」
己の態度の悪さに気づき、謝罪する北尾。
謝罪されて許さぬわけにはいかぬ。
木林は北尾の肩に手をおくと、
「最後まで聞かせてくれるかい?」
と優しく声をかけた。
北尾はホッとした表情を見せて話を再開した。
「…で、オレはその場にいるのが恐くなり、コンビニにでも行って夜を明かそうと玄関に向かいかけた。するとな…また声が聞こえるのさ、あの声がな…」
北尾は震えていたそうだ…
「オレはその場で動けなくなった。声ばかりではなく、オレの背後…つまリキッチンから強烈な何者かの気配がする…」
ついに来たか、と木林は身構えた。
「振り返ればそこには声の主であろう女性が経っている、そんな気配がしてならない。しかし、振り返りたい気もする…」
人間の心理とはそういうものである。
振り返ってはならないといういと振り返りたいという思いは表裏一体である。
そして、多くの者は危険を感じながらも、その危険を回避するために振り返らざるを得ない。
まあ、もしかしたらそれすら自分の意思ではないのかも知れないが…
「結果、オレは振り返った。しかし、暗いキッチンには誰も立っていない…オレが想像した女性の姿などどこにもない…しかし、声は聞こえるのさ…」

『おいで…』

『おいで…』

「オレは今でも信じがたいのやが、その声のするほうへ近づいていった…もしかするとオレの意思ではなかったのかも知れない…しかし、オレは近づいていく…どうやら声はキッチンの流し台から聞こえる…オレは流し台に近づいていった…流し台の前に立ったオレは、ようやく声の出所を突き止めた…排水口さ…排水口から声がするのさ…」
北尾の口調から感情が消えていくような、そんな感じがしたそうだ…
「オレは見るべきではない排水口に目をやった。
やはり、声の出所はそこさ…オレはただ排水口を見ていた…すると、排水口からなにかが這い出てきた…暗闇に目がなれてきていたのかも知れない…しかし、電気を消したらキッチンでは考えられないくらい、それはハッキリとよく見える…指さ…人間の指が…無数の人間の指が排水口から湧き出るように、そこに蠢いているのさ…」
北尾は先程までの不安定さが影を潜め、淡々と語った。
しかし、また急に呼吸が荒くなる。
「オ、オレは…恐ろしい事に気づいた…オ、オ、オレは…そ、その指を見て、涎を垂らしていたんだ…旨そうやと、思ったんだ…」
木林は、これはヤバイと思った。
しかし、生来のオカルト好きである木林は、同時に高揚した。
口角が上がるのを必死に堪えたそうだ。
無論、オレもそのクチだが…
「オレは自分が恐ろしくなって後ずさった…すると、オレの背中が柔らかい何かに当たった…女性のいい香りがした…そして、オ、オレの耳元にこう聞こえた…」

『おいで…』

木林は高揚を隠せず、ニヤついてしまったそうだ。
「オレは振り返って後ずさり、見た。彼女をな…」
木林の興奮は高まり、微かに下腹部に熱いものを感じたという。
「…白い、きれいな体をした全裸の女性だった…顔は…見れなかった…オレはそこで気を失ってしまった…」
いつのまにか、北尾の声が日常に戻った感じがしたそうだ。
そこで何故か、木林の興奮も少しおさまったらしい。
「そして、気がつくと朝になっていた…言うまでもなく、バッドモーニングやったでっさ…」
北尾は話疲れたようで、コンビニで購入した飲み物を一気に飲み干すと、
「ありがとう木林…話を聞いてもらって少し気分が楽になった…」
といって立ち上がり、何処かへ立ち去ろうとする。
「待てよ北尾!どこ行くねん!」
木林は北尾の手をつかんで引き留めた。
北尾はあっという顔をして、
「あ、そ、そうだな…オレはどこに行こうとしていたのやろう?」
と、また日常とはかけ離れた感情のない声で答えたそうだ。
北尾は実家から近いマンションで独り暮らしをしている。
そのため、木林は北尾にとりあえず実家に帰って待っておけ、夜に武市を連れていくから、とりあえず視てもらおうと云って別れた。
これが木林から聞いた話の全貌だ。


「な?ヤバイやろ!?」
木林は目を輝かせてオレに尋ねる。
「ヤバイというより、ヤババイな…」
オレはヤバイより更に悪い事をそう表現した。
「あ〜んヤババイとか言うてんよ〜!で、無論いくやろ?」
木林は更に目を輝かせて聞いてくる。
それこそ無論行くに決まっている。
オレはニヤッとしながら
「イエス」
と答えた。
「ほな、夜八時に北尾の実家に集合な!あ〜ん、夜が待ち遠しいんよ〜!」
無邪気に振る舞う木林だが、危険である事はわかっている。
しかし、オカルト好きの血が騒いで抑えられないのだ。
しかし、話を聞くところ、これはマジでヤババイ…
身内でこんなヘビーな事件が起こるとは…
オレは吹き出る汗を拭いながら、またニヤっと口角を上げた。

夜8時…

オレと木林は北尾の実家前にいた。
無論、半裸ではない。
木林は着替えてはいるが黒ずくめである事に変わりはない。
オレは北尾の実家の場所は知っていたが、来たのは初めてだ。
まあ、オレの家で集まる事が多いので仕方ない事だが…
木林も一度だけしか来た事がないという。
まあ、北尾にはいってあるのだから、よかろうと迷わずインターホンを押す。
何故か『かごめかごめ』のメロディが流れた。
横断歩道でもあるまいに…と二人で笑った。
インターホンには北尾の母親がでた。
「は〜い、どちら様?」
上品でやさしい印象を受けるキレイな声だ。
木林が、
「あ、あの、夜分にすみません。公貴君の友人の木林と冨田ですが…公貴君御在宅でしょうか?」
と、オバ様受けしそうな爽やかな声で名乗る。
しかし、
「あ、公貴のお友達?そやけど公貴、マンションにおるよ?」
母親の答えに、オレ達は二人して顔を見合わせた。
話が違う…
いや、それより、悪い予感がする。
木林も同じ事を考えたのだろう。二人して口角を上げた。
「あ、すみません。マンションのほうに行ってみます」
この男の声は本当に年上受け…いや、女性に受ける声だ。
野太く武骨な声のオレには羨ましい限りである。
母親は
「ごめんね〜、よろしくお願いします〜」
と送り出してくれた。
オレ達は実家から歩いて五分程度の北尾のマンションへと移動した。
『スカイハイツ鶴澤』
学生の身ながら12階建ての高級マンションで暮らす北尾…それをよく仲間内にいじられるのだが、おそらく理由は家庭の事情というやつだろう。
下から見上げると、今さらながら立派なマンションだ。
しかし、まだマンションの中に入ってもいないのに、すでに軽い頭痛がする…
それに、マンションの外壁にへばりついている黒い人影が見える。
無論、生きているものではあるまい。
やはりヤババイ…
大学に入って以降、オレの霊感は鋭さを増してきている。
原因は何となくわかっていのだが…

オレ達はマンション内に入る。
やはり高級マンションだ、集合ポストに集合インターホン。
相手先の部屋番号を押してインターホンを鳴らし、相手先にロックを解除してもらわないと、それ以上中には入れない仕組みのやつだ。
この仕組みに微かな疎外感をおぼえるのはオレだけだろうか…?
しかし、このマンション内に漂うプレッシャーはなんだ?
それに、空調が働いている様子の割りには暑い。
視界の端に映る人影の数も多い…
木林は迷いなくツカツカとインターホンに向かって歩き、立ち止まると凄まじい速さで部屋番号を入力し、インターホンを押す。
すぐにガチャガチャという音がした。
「北尾〜!おるか〜!」
木林は高校時代の恩師中辻先生のモノマネでインターホンに出た北尾に呼び掛ける。
しかし、数秒の沈黙の後、またガチャガチャという音がして、切れてしまった。
ロックも解錠されない。
「あ〜ん!北尾の態度よ〜!」
木林はそういうとすぐに部屋番号を入力し、
「チェスト!北尾チェスト!」
と呟きながらインターホンを連打する。
するとまたガチャガチャという音がして、
「…何の用だ?」
という北尾のぶっきらぼう声が聞こえた。
何の用だ?という事は相手はわかっているが、用件はなんだ?という事か?
木林は
「お前何言うてんなよ!実家におれって言うたのにマンションにおるし、何か用とは一体どういう事やねん!?ええから開けろ!武市連れてきたから!」
と怒気を含んだ声で一気にまくしたてた。
しかし、



少しの沈黙の後、北尾が答えた。
「帰ってくれ。オレはもうダメだ。大学もやめる。もう、放っておいてくれ。」
ガチャガチャという音がして、インターホンは切れた。
数秒の沈黙の後、木林がオレにいった。
「北尾、大学やめるってよ?」
頭痛が激しくなってきた…
第二話に続く







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扉シリーズ 第一章 『絵画』 第二話 「曼陀羅」著者:冨田武市

大学を、やめる?

入って半年を待たずして大学をやめるだと?
オレの腹の中でマグマが煮えたぎる。
「あ〜ん北尾!ふざけた事抜かしてんよ〜!一発ブン殴らなおさまりつくか〜よ!」
木林がオレの怒りを代弁してくれた。
オレも木林もわかってはいる。
北尾は、情緒不安定だ。
それは、確実に『霊障』である。
しかし、北尾の『大学をやめる』という言葉がどうしても許せなかった。
一発と言わず、二発三発ブン殴ってやりたい気分である。
しかし、北尾をブン殴る為には北尾の所まで辿り着かねばならぬ。
すかさず携帯を鳴らすが、ガン無視である。
一体どうすればよいのか?
しばし二人で思案したあと、木林が呟く。
「しゃあないな…」
木林は北尾宅ではない別の部屋番号を入力してインターホンを押した。
すると、
「は〜い」
と若い女性の声がした。
木林は
「あ、ヒカルさん!木林やけど!」
と気安い感じで名乗る。
「木林…あ、ヒデ君?」
ヒデ…?
ああ、そういう事かと合点がいった。
「そうそう、ヒデやな、ヒデて言わなわからんよね。はははっ!」
週三日ほど、夜の盛り場で女性向けのバーでバイトしている木林。
そこでは木林の名は『ヒデ』に変わる。
このヒカルさんという女性は、そこのお客さんか何かだろう。
「どうしたん?もしかして私に会いにきてくれたん?」
ヒカルさんとやらは嬉しそうな声を出している。
しかし、我々はヒカルさんとやらに会いに来たわけではなく、北尾をブン殴…北尾に会いに来たのだ。
「うん…何かヒカルさんの顔見たなってな…気ついたらここに来てた…」
どう切り返すのかと木林を見ていたが、こいつはとんでもない優男だ!
いや、プロだ!
まだ学生であるにも関わらず…いや、学生故にその初々しさを武器に年上のお姉さんの心を巧みに掴んでいる!
「…開けるわ」
ヒカルさんは女の声で答える。
「うん…お願いします」
木林の言葉の後、インターホンが切れてロックは解除され、自動ドアが開いた。
「あ〜ん!道開けてんよ〜!」
木林が笑う。
しかし、我々の目的地は北尾宅であってヒカルさん宅ではない。
ヒカルさん宅の方が魅力的ではあるが…
一体どうするのかと木林に尋ねると、
「武市君、オレがそんな事も考えずに行動すると思うのかね?」
というと、すかさず携帯を取りだして何処かへ電話する。
数秒後、相手が出たようだ。
「あ、ヒカルさん?ごめん!ここに友達住んでるんやけど、今電話あってな…何かめっちゃ悩んでるみたいやねん…うん…ちょっとそいつのとこに寄っていくから…うん…当然やん…うん…ほな、ごめんな…うん…ほな、ちょっと遅くなるけど、必ず行くから…うん…うん…じゃあ切るね?うん…ほな、後で…」
何故かは全くわからないが、その話を聞いていると照れてきた。
鼻の穴が膨らみ、ニヤけてしまう。
少しの罪悪感もある。
しかし、木林は平然と
「ほな行くぞ武市!」
とエレベーターに向かう。
木林との間には、圧倒的な差がある、とオレには感じた。
エレベーターは上の階で止まっていた。
木林は早く北尾をブン殴りたいのだろう、エレベーターのボタンを連打している。
エレベーターが下りてきて、ドアが開く。
そこには、歳の頃五、六歳の全裸の男の子が立っていた。
オレはエレベーターに乗り込もうとする木林を引っ張る。
「な、何なよ武市?」
ていう木林にこう答えた。
「いてんよ〜…全裸の少年いてんよ〜…」
木林は目に見えない先客在りとわかってくれて、
「ヤバイ?」
と尋ねてきた。
オレは一つ頷いた。
すると木林、
「あ、あ〜ん…階段使わなしゃあないな…」
とエレベーターから離れる。
あの少年、ヤババイ。
目と口が暗闇のように真っ黒なのである。
そういう霊は、危険度が高い。
まるで砂を詰めたバスケットボールを腹に落とされたような内臓にズシリとくるプレッシャーが半端ではなかった。
オレは胃のあたりをさすりながら階段へ向かう。
北尾宅は五階。
ちなみにヒカルさん宅は最上階であるらしい。
階段を登りだしたオレ達だが、脚が重い。
登るに従って少しずつ重力が増しているような感じがする…
木林も少しそれを感じているようだ…
無言で階段を登るオレ達…しかし、ようやく四階と五階の間に辿り着いた時…

ゾォン!

と、極めて強力な悪寒がオレの前進を貫いた。
脚が止まる。
オレより前を行っていた木林がそれに気づいて振り返る。
「武市?」
と呼び掛ける木林の背後にオレは見た。
黒く長い髪…
ガリガリに痩せた体に、無数の傷やミミズ腫れを浮かばせた全裸の女性が、膝を抱えて丸まった形で空中に浮かんでいる…
いや、液体の中を漂っているようにも見える…
それは、子宮の中の胎児を連想させた。
激しい頭痛がして、鼻の奥が鉄臭いと思ったら、ツーと血が垂れてきた。
「武市、鼻血!」
木林がポケットにいれていたティッシュをオレに差し出すが、オレは手も出せないプレッシャーを、目の前に浮かぶ女から受けていた。
これはヤババイ…
いや、ヤバババイ…
霊感の鈍い人間でも、こんな所に住んでいたら健康に深刻な悪影響が出る事必至である。
木林はティッシュを数枚引き出し、オレの鼻を押さえて血を拭くと、ティッシュをちぎってオレの鼻にねじ込む。
「何か、見えてんか?」
木林が尋ねてきた。
オレは一つ頷いて
「こら、何とかせんと、このマンション自体がヤバイ…」
女は膝を抱えながら、こちら横目でじっとを見ている…
内臓が熱い…
北尾が見たのは、おそらくこいつだ…
オレがそう思った時…

『おいで…』

という女の声が脳内に響いた。
木林もはっとして振り返った。
木林にもそういう素養がある。
今の声が聞こえたのだろう。
「この声か?」
木林の口角が上がる。
オレも自然と口角が上がる。
しかし、オレが瞬きした瞬間、女は消えていた。
プレッシャーが緩まる。
二人してしばし固まった後、オレは口を開いた。
「今、そこにおったやつ、たぶん北尾が見た女の霊やと思う…」
木林はまた後ろを振り返る。
「あ、あ〜ん…何かしんどいと思ってたけど、そいつのせいか?」
と尋ねる木林。
「かなり危険度高いぞ…北尾の様子おかしいのもわかる…そら大学もやめたくなるわ…」
オレはそういいながら、また階段を登り始めた…

ようやく五階に辿り着き、北尾宅前へとやってきた。
ここに来るまでに、オレは体力をかなり消耗し、もはや北尾をブン殴る気力は失せていた。
しかし、木林はまだその気力旺盛のようだ。
「北尾め〜!数々の非礼、この木林ナックルにて償わせてやるんよ〜!」
と拳を握りしめる木林。
木林はインターホンを押さず、鉄製のドアを叩いた。
「北尾〜!出てこい!」
ガンガンとうるさい音を立てるドアと木林。
しかしドアは開かない。
木林は目を血走らせて更に激しくドアを叩く。
すると、北尾の隣宅のドアか開き、気弱そうな男性がおそるおそる顔を出した。
木林はあろう事か、
「何見てんな隣人!!」
と理不尽極まりない八つ当たりの言葉を吐いた。
これは通報されて然るべきレベルの無礼である。
オレはすかさず木林の前に立ち、
「すみません、ちょっとここの北尾君ともめてしまいまして…迷惑かけてすみません…あの、静かにさせますので、安心してください。」
と頭を下げた。
すると隣人は会釈した後、ゆっくりとドアを閉めた。
落ち着きを取り戻した木林がインターホンを押す。
すると、ガチャッという音と共に鍵が空いた。
ドアが開き、北尾が顔を出す。
「ああ…来てくれたのか…」
という意外な言葉より、北尾の顔色の悪さが気になった。
北尾の目は死んでいる。
かなり疲れた様子で、目には隈ができている。
やはり、北尾の精神は不安定…しかも体調にまで影響が出ているようだ。
木林も北尾の顔を見て、
「お前、その顔色…」
と絶句している。
わずかな時間で、北尾の霊障から受ける影響がかなり進行しているのだと思った。
「まあ、入ってくれ」
とドアを全開にする北尾。
その瞬間、

『おいで…』

と、またあの声が聞こえた。
オレは確信した。
このマンションの異変は、北尾宅からひろがっている。
なぜなら、玄関に立つ北尾の背後…廊下の奥にある、おそらくリビングてあろう部屋から、今まで感じた事のない、異常なプレッシャーを感じるからだ。
元凶はそこにある。
しかし、正直、北尾宅には入りたくないという思いもある。
生命の危機すら感じるからだ。


心臓に

『ミシリ』

とくるプレッシャー…
北尾宅はもはや、非日常の空間へと変貌している…
こんな空間に長い時間いたら正気を保てるはずがない…
それは霊感の鋭鈍に関係なく万人に平等に影響を与える。
要は、気づくか気づかないか、それだけの違いてある。
「何をしているんだ?早く上がるでっさ…」
北尾の声が日常のそれではなく、別人のように聞こえる。
「き、北尾?大丈夫か?」
ブン殴る気満々だった木林だが、北尾の異変に気づいたのだろう、その気は失せたようだ…
「大丈夫とは言えんな…何だか体調が悪い…まあ、はやく上がれ…」
北尾はそう言うとリビングへと歩いていく…
やはり、そこに行くのか…
木林は靴を脱ぎ、
「お邪魔するで…」
と律儀な挨拶をして、上がり込む。
オレもそれに続く。
リビングのドアを開けてなかに入る北尾。
木林はそれに続いてリビングに入ろうとしたが、立ち止まっておれに小声で
「なあ武市…玄関のドア開いた時から思ってたんやけど、景色が黒くないか?」
と尋ねてきた。
それは、木林の霊感が周囲の異変を察知し、それを脳を使って木林にそう見せているのだ。
危険を知らせる為に…
「お前には黒く見えてるんか…オレには…」
とオレが答えかけた時、

「何をしているんだ?」

リビングから北尾の声がした。
その声はまた、一層異様に聞こえた。
歪んだような耳障りな声である。
木林が
「すまんすまん」
と中に入る。
オレは心臓に重みを感じながら、木林の後についてリビングへと足を踏み込んだ。

ゾォン!!

また全身を悪寒が走り抜け、毛穴という毛穴が総毛立つ。
左手に…
リビングに入って左手にとんでもないモノがある!
何かはわからない。
ただ、それは人が視てはならないモノだ。
それだけはわかる…

ソファに座っている北尾はオレの知っている北尾ではないようだ…
木林もこの部屋の雰囲気を感じ、立ち尽くしている。
オレはたまらず
「北尾…オレの左の方に、何かある?」
と、右の方に顔を背けながら尋ねた。
北尾はまた異様な声で答える。
「絵をかけてあるが?」
絵?
その絵から発せられているのだろうか…
このプレッシャーは?



見なければならない…
見て確認しなければならない…
気づくと木林がソファに座っている。
その絵の真正面の位置にだ…
木林の目は光を失い、口を半開きにしている…
おそらく、その絵に魅入られている…
ここに長居は無用だ。
オレには覚悟を決めて左手を向いた!



その絵を見た瞬間、オレは何者かに心臓をワシ掴みにされた感覚に襲われた。
ミシミシと音を立てる心臓の鼓動は乱れ、呼吸ができない…
スーと血の気が失せ、じわっと尿意が忍びより、足がすくむ…
思ったとおり、それは人が見てはいけない絵だった…
油絵のように見えるが、何の塗料で描かれているのかわからない…
それは、炎のように真っ赤に塗られた背景の上に、老若男女問わず無数に描かれた骸…
首を切られた者…
腹から内臓を引き出された者…
手足がありえない方向に曲がっている者…
からだの半分が何かにた潰されている者…
毒に侵されたのか全身が紫色の者…
それら全てが全裸で描かれている…
そこにはありとあらゆる死…いや、殺人の方法が描かれているように感じた。
しかし、最も引き付けるのは中央に描かれた

『生きた男』

である。
この男だけ、どんな手法を使ったのか、浮き出たように見える…
その男も全裸である。
黒い長髪を振り乱し、
その全身は血にまみれ、右手には切断された人間の腕、左手には同じく切断された足を握り、口には人間の指らしきものを数本くわえている。
男の下には全身傷だらけの女が這いつくばる形で描かれており、男はその上にあぐらをかいて座している。
男は笑っている。
仏像や仏画で描かれている仏や明王の顔で恐ろしい表情で描かれているものがある。
それは憤怒相と呼ばれ、その中でも極めて恐ろしいものは暴悪大笑面と呼ばれる。
怒りが限界を越え、笑っている相だ。
男の表情はオレにはそう映った。
仏教で宇宙の真理を図で現したものを曼陀羅と呼ぶ。
オレにはその絵が人間の怒りを現した曼陀羅のように映った。
この絵を見ていると心が砕けてしまいそうだ。
「き、木林、北尾…とにかく外に出よう…この絵、やばすぎる…」
と、オレはよろめきながらリビングから出た…
一刻も早く、このマンションから離れたかった…
第三話へ続く


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2016年05月03日

扉シリーズ 第一章 『絵画』 第三話 「AYA」 著者:冨田武市

足が言う事を聞かない…
これほどのダメージは初めてだ…
改めて『霊障』というものの恐ろしさを確認する…
あの絵からは、作者の凄まじい念…
この世の全てを憎み、全ての人間を

『殺してやる』

という『怒り』の念を感じた…
「おい武市!」
後ろから木林が北尾を引っ張って追いかけてきてくれた。
「ちょっ、そんなにヤバかったんか、あの絵?」
歩きながら木林が訊ねてくる。
「…あの絵は、それ自体呪いみたいなもんや…とにかく、場所変えよ…」
オレは情けなく、喘ぐように答えた。
エレベーターにはまだあの少年がたっているかも知れない…
しかし…オレはエレベーターに辿り着き、ボタンを連打した。
「あ〜ん武市、お前ヘロヘロやないか…」
リビングであの絵を見た時の木林の顔はオレが知る木林の顔ではなかった。
しかし、今の木林はいつもの木林だ…
エレベーターが到着した。
ドアが開く。
しかし、少年はいない。
オレはエレベーターに倒れるように乗り込んだ。
続いて木林が北尾を引っ張って続く。
一階のボタンを押し、ドアが閉まる。
ドアが閉まるとそのガラス窓の向こうに少年の顔があった…
オレは目を背けた。



エレベーターが一階に到着した。
ドアが開くと同時にオレは走った。
もう、限界だった。
マンションの外に出て、マンション前の歩道の植え込みに嘔吐した。
後から木林が駆けてきて、オレの背中を擦ってくれる。
周りの明かりに照らされた嘔吐物には、赤い色が交じっていた。
オレは脱力感から、大の字になって歩道に寝転がった。
北尾がようやく口を開いた。
「た、武市?一体どうしたんだ?」
北尾は目を丸くして狼狽している。
今の北尾はいつもの北尾だ…
「だ、大丈夫や…」
まだ体がだるくて仕方無いが、オレは体を起こした。
木林の姿がないと思ったら、近くの自販機の前にいる。
木林は自販機で購入したペットボトルをつかんで走って戻ってくる。
「武市!とりあえず飲む〜!」
とスポーツドリンクのペットボトルをオレにくれた。
キャップをはずし、口の中に注ぎ込む。
スポーツドリンクが不快感を洗い流す。
ようやくひと心地着いたオレは、北尾に尋ねた。
「北尾…あの絵…どうしたんや?」
北尾は少し考えて
「あの絵?」
と聞き返してきた。
北尾の言動はおかしかった。
しかし、今の北尾はまともだ。
たぶん、北尾は無自覚であるが、あの絵の影響により、精神や記憶が錯乱していたのではなかろうか…
しかし、大事な事だ。
流す事はできない。
「あのリビングに飾ってる絵の事や…」
オレはもう一度尋ねた。
北尾はようやくハッとして答える。
「うむ…あの絵か…あの絵…ん?」
北尾が固まった。
「あ〜ん北尾!フリーズしてる場合に非ず!」
木林が催促するが、北尾は困り顔だ。
「う〜む…」
やはり北尾は記憶が錯乱しているようだ…
今はとりあえず北尾をあの絵から遠ざける必要がある。
そして、あの絵を処分しなければならない。
出所は二の次だ。
「北尾…お前はとりあえずマンションには帰るな。今日はとりあえず実家に帰れ。」
オレの言葉を聞いて、北尾はいちど頷き、
「あ、ああ、お前がそうしろというなら、そうした方がいいんだろうな…わかった。そうする。」
と、答えた。
北尾の声にはハッキリとした意志が感じられた。
大丈夫だろう。
しかし問題はあの絵である…
極力世話になりたくはないが仕方無い。
オレは携帯を取り出し、電話帳である名前を呼び出した。

『甲田福子』

テレビ出演も多く、高名な霊能者であるオレの叔母だ。
「武市?いずこに電話かけるんよ?」
との木林の問いに、
「叔母ちゃん」
とだけ答えて通話ボタンを押した。
叔母のファンである木林は腹を抱えて笑っている。
事情を知らない北尾は木林になぜ笑っているのか尋ねている。
数回のコールの後、伯母が出た。
「もしもし?」
あまり機嫌がよさそうではない。
「あ、伯母ちゃん?武市やけど…」
と名乗るオレを遮るようにして、
「アンタどこにおるん?」
と尋ねてくる伯母。
「えっ?友達のマンションの前やけど…?」
オレが答えると、
「こん馬鹿が!私の言う事聞かんと、また馬鹿な事に足突っ込んでからに!」
と叱責された。
「アンタの周り、よくないもんがウヨウヨしとうばい!早よそこから離れり!」
と矢継ぎ早に叱責を受ける。
それはわかっている。
「そんなんわかってるよ!とりあえず話聞いてや伯母ちゃん!」
と、とりあえず叱責を終わらせる。
「こん馬鹿が偉そうに…で、何ね?一体どんな状況ね?」
オレは伯母に、今日の出来事を報告し、絵の処分方法を相談した。
伯母はしばらく思案した後、
「わかった。ばってん、私は仕事あるからそっちに行かれんけん…ちょうどそっちに私の優秀な弟子がおる…明日その子に行かせるけん、その子にその絵を預けなさい。私が処分しとくけん…」
と、指示してくれた。
「ごめんな、叔母ちゃん迷惑かけて…」
オレは素直に御礼を述べたが
「これは貸しやけん…しっかり帳面につけとくけんね?明日、その子からアンタに連絡させるけん、すぐそこを離れて家に帰ったら塩で清めてから寝なさい。ええね?わかったね?切るからね?」
と返され、電話を切られた。
木林はまだ笑っている。
北尾は
「悪いなあ武市…オレのせいでお前には大変な迷惑をかけたようだ…」
と頭を下げてくる。
オレは気にするなと言ってから、叔母からの指示を説明した。
二人共真摯に聞いていたが、話終わった後、木林が信じられない事を言う。
「ほな解散やな?ほなオレはヒカルさんとこに行くわ!」
絶句した。
「約束は破れんし、欲望は満たす為にあるからなあ…」
木林はじゃあと敬礼すると颯爽とマンションに消えていく…
オレはただだだ、木林の豪胆さと欲望への素直さに心の中で最敬礼をして見送った…

翌日…
オレは朝早く目が覚めた。
まだ倦怠感はあるが、叔母の指示通り塩で清めたのが効いたのか…
塩は最近叔母が大量に送ってくれたので、何か特別な物なのだろう…
で、昨日の晩の事…
家に帰ると両親はすでに寝ていた。
『塩で清める』というのは以下のような事だ。
まず風呂を沸かす。
風呂が沸いたら、その塩を手で適当にすくい、風呂に投げ込む。
叔母が
『アンタやったら勝手に適量になるけん、思っただけ放り込み』
と言っていたので、それでよい。
よくかき混ぜて、その風呂に浸かる。
浸かっていると、ポカポカして、寝てしまっていた。
眠ったまま、一時間以上は浸かっていた。
目が覚めるとお湯が濁り、うっすら赤黒く変色していた…
オレは湯船から出て、すぐにお湯を抜いた。
入念に体を洗い、湯船もシャワーで流しておいた。
そして自室に向かう…
よく考えたら布団を干したまま忘れていたのだが、母親が取り込んでくれたのだろう、部屋には布団が敷かれていた。
その布団に倒れ込む。
あのグッショリ湿っていた布団が嘘のようにフカフカで、優しい日向の匂いがする。
オレは安心感の中眠りについた。
一人で朝食を食べた後、居間で扇風機の風を受けながら寝転がっていると携帯が鳴った。
見ると、知らない番号からだ。
叔母の言っていた弟子の人であろうと電話に出る。
「もしもし…」
すると、若い女性の声がする。
「あ、冨田武市さんの携帯電話でしょうか?」
上品そうな、キレイな声だ。
「あ、そ、そうです。間違いないです。」
その声から相当な美人を連想して、緊張してしまう。
「よかった。ふふふ…あ、私、福子先生の弟子でAYAと申します。
 先生から話は聞きました。
 早速なんだけど、お昼の二時頃にそちらに到着予定になります。
 申し訳ないんだけど、最寄り駅まで迎えに来てもらってもいいかな?」
  優しそうな人だ。
しかも、結構フレンドリーな感じがする。
叔母の弟子だというから強力なキャラを想像していたが、違う意味で『強力』そうだ。
「あ、も、もも、もちろんお迎えに伺います。あ、何か目印持っときましょか?」
オレは少々舞い上がっているようだ。
「うふふ、大丈夫。たぶん何となくわかるから…それに、携帯もあるしね?」
AYAさんは、キレイな声でクスクスと笑う。
AYAさんの声からはやはり相当な『力』を感じた。
叔母が『剛』ならAYAさんからは『柔』を感じる…
オレが感じたそれを『何となくわかるから』というセリフがそれを確信させた。
「は、はははっ!」
オレは照れを笑いで誤魔化した。
AYAさんは
「はい。では、お願いします。では、また後でね…うふふ。」
と、電話を切った。
オレの鼻の穴は膨らんでいた…

オレは北尾と木林に連絡した。
北尾は
「本当にすまないなあ…いや、申し訳ない」
と恐縮しきりてあったが、木林はと言うと…
「昨日よ〜ヒカルさんとこ行ったら、遅いってめっちゃ怒っててよ〜!なだめるの大変やったけど、その分燃えたわ〜!」
と聞いてもいないのに元気一杯で昨晩のアバンチュールを報告してくれた。
AYAさんとのやり取りを説明すると、
「あ、あ〜ん!美人霊能者とは、これほど燃えるシチュエーションあるか〜よ!そんなもん、行かずにおれるか〜よ!」
と鼻息を荒くする木林だった。

かくして、昼の二時を迎えた。
木林は一時間前に親父さんの国産高級車に乗って颯爽とあらわれた。
「美人を北尾宅まで歩かせるわけにいくか〜よ!」
木林の言葉はもっともである。
それをすぐ行動に移すのがオレと木林の差であろう…
オレ達は早めに駅に移動してAYAさんの到着を待った。
二時になった。
駅に電車が到着する。
降車して駅から出てくる明らかに地元民であるである客の中で、光輝く美しい女神が異彩を放っている。
明らかに、AYAさんだ。
「武市、彼女に間違いあるまい?」
木林がAYAさんから視線をはずさずに尋ねてきた。
「うむ…」
オレがそう答えると、木林は常備しているサングラスを外して颯爽と歩き出す。
するとAYAさんはこちらに気づいたようで、少し大きめのカバンを持って小走りに駆け寄ってくる。
声をかけようとする木林だったが、完全にスルーされ、振り返る姿に、オレは唇から笑気が漏れた。
オレの眼前に女神が立つ。
「武市君だよね?」
ニコっと笑う女神。
真夏の熱さの中でサラリとなびく落ちついたブラウンのセミロング…
色白の小さな輪郭の中に配置された、黒目がちな切れ長の目に、小さいが肉厚の唇…
ブルーの半袖ブラウスからは細く白い腕が伸び、
タイトな白いスカートから下には同じく白く長い脛が伸び、足元はエナメル質のブルーのハイヒールだ。
年の頃二十代後半の、紛れもない美人である。
見とれて言葉の出ないオレに
「AYAです」
と、再び笑いかけてくれた。
控えめな香水のいい香りが鼻をくすぐる。
「あ、あ、す、すみません、あの、冨田武市です。」
オレはようやく名乗れた。
木林が駆けて戻ってくる。
「あ、AYAさんですよね?僕、武市君の親友の木林と言います。」
木林が自分を『僕』と言ったのは何年ぶりの事だろう。
すると、AYAさんは笑いだして、
「あ、さっき擦れ違ったよね?あははっ!ごめんね〜!」
木林も同じ事を思ったはずだ。

『か、かわいい』

オレ達三人は車に乗り込む。
木林め、珍しくミスりやがった。
運転手は無論、木林。
ミスにきづいた木林は小声で
「武市!助手席乗る〜!もしくは運転する〜!」
と言ってきたが、そんな戯言は無視無視無視の完全無視である。
オレはAYAさんと後部座席に乗り込んだ。
後部座席はいい香りのする天国であった。
ルームミラー越しにオレを睨む木林の視線などまた無視。
そんなものより、細い割りには膨らんだAYAさんの胸元にオレの興味は集中していた。
こんな美人と肩を並べた事などない。
もはや、夢見心地である。
「武市君?」
突然のAYAさんの声にオレは焦って、
「は、はい?」
と頭の天辺から発声してしまった。
木林の肩が揺れている。
「その、北尾君の絵なんだけど…私、心当たりがあるかも知れないの…」
AYAさんの言葉がオレを夢見心地から現実に引き戻した…
「心当たり…?」
オレは尋ね返した。
木林も黙って聞き耳を立てているようだ。
AYAさんは眉を潜めて語り出す。
「私がまだ高校生の時なんだけど…あ、私元々東京出身なの…それでね、それは東京の地元であった事なんだけど…私が通っていた高校の友達から相談があって…私、高校の頃から霊能者やってて…」
高校生でありながら霊能者?
漫画みたいな話だが、AYAさんなら、何故か納得できる…
「私の実家がそういう家なの…でね?その子の友達のお父さんが絵画好きな人で、どこからか絵を買ってきたらしいの…でも、その絵が家に来てから、まずお父さんの様子がおかしくなって…どうおかしいって言うと、まず自分の部屋に飾ってある絵の前から動かなくなって、仕事も休むようになった…お母さんと病院に連れて行ったら鬱病じゃないかと言われて…でも、ある日ね…無気力になっていたお父さんがキッチンで楽しそうに料理しているのをお母さんが見たらしいの…フライパンで、何か肉を焼いていたらしいのね…でもね…流しに何か毛がついた肉片があったらしいの…お母さんが『何をやいてるの?』とお母さんが聞いたら、こう答えたらしいの…『ああ、猫だけど?』って…その猫、近所の飼い猫だったらしいのね?その後、お母さんもおかしくなってしまって…その子は絶対に絵のせいだと思って、私の友達を通じて相談してきたの…
でね、私はその子の家に様子を見に行ったのね…すると、その子の家には全裸の霊が数体浮遊していたわ…」
全裸の霊…
同じだ。
木林も反応している。
「私を寄せつけまいとする凄いプレッシャーも感じる…正直、入るのは怖かったけど…私は中に踏み込んで友達とその子でお父さんの部屋に入ったの…その時、お父さんとお母さんは私の助手の人が押さえてくれていたの、暴れるから…」
北尾も放っておいたらそうなっていたのだろうか…そう考えるとゾッとする…
「私は絵を見た…武市君?君は北尾君の絵を見た時、曼陀羅みたいだって感じたんだよね?」
オレは、一つ頷いて
「は、はい…」
と答えた。
オレの目をじっとみつめるAYAさん…
その目に吸い込まれそうな感じがした。
「私も、そう感じた…正直、足が震えたわ…結局、その絵は私が預かって処分する事になった…私は師匠である祖母に相談した。祖母もその絵を見て絶句したわ…それで祖母は福子先生に相談した…その二日後に福子先生が家にきて、三人で儀式を行って、その絵を、焼いて処分したの…」
焼いた?
焼いたなら、今その絵が存在するわけがない…
木林の視線はルームミラーに釘付けだ。
「木林、すまん、前見てくれ…」
オレの言葉に木林はフッと息を吐いて運転に集中する。
「焼いたんだから、今、その絵が存在するわけがない…でも…確認しないといけない…北尾君の絵が、私の見た絵と同じものなのか…」
喉がカラカラになってきた。
オレはゴクリと唾を飲んだ。
北尾宅は、もう目と鼻の先だった…
第四話に続く


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2016年05月04日

扉シリーズ 第一章『絵画』第四話「笑顔」 著者:冨田武市

車は北尾宅に到着した。
「着きました!」
木林が、爽やかな声でAYAさんに伝える。
「お疲れさま。ありがとう。」
優しいAYAさんの声に上機嫌になる木林。
オレ達は車外に出て北尾宅の前に立つ。
インターホンを鳴らす木林。
すると北尾が顔を出した。
オレ達を確認すると北尾はビクッとした。
おそらくAYAさんの美しさに面食らったのだろう。
北尾はタタタと歩寄ると
「遠い所、誠に申し訳ありませんでっさ。さ、中にお入り下さいでっさ…」
と中に入るよう促す。
オレ達は客間に通された。
なかなかいいソファが設置されている。
座ると、悪くない心地だ。
オレとAYAさん、木林が並んで座り、北尾はテーブルを挟んだ向こうに座る。
「霊能者の、AYAです。」
AYAさんが名乗る。
北尾は完全にAYAさんの美しさに飲まれている。
ガチャっとドアが開き、北尾の母親が飲み物と御菓子を持ってきてくれた。
「暑い中ごめんなさいね…これ皆で上がってね…でもまあ、色の白いキレイな人やねえ…あ、ごめんごめん、ゆっくりしていってね…」
北尾の母親はAYAさんも友達の一人だと思っているのだろう…
AYAさんの今回の『仕事』のギャラは、叔母から支払われる。
その叔母へは、オレがその借りを体で返す事になる。近い将来に…
「北尾君…調子悪い?」
突然AYAさんが北尾に尋ねた。
見ると、北尾の顔色はスゴッグ色だ。
「あ、ええ…かなり体がだるいでっさ…」
と首を擦りながら答える北尾。
するとAYAさんは
「ちょっと失礼するね…」
と立ち上がり、北尾の後ろに回り込む。
北尾はかなりドキドキしているようだ。
AYAさんはポケットから小瓶を取り出す。
中身は液体のようだ。
「北尾君、掌を出して」
というAYAさんの指示に
素直に従う北尾。
AYAさんはその掌に瓶の中身を数滴落とす。
「舐めてみて」
北尾は素直に舐める。
すると北尾は眉をしかめて
「に、苦いでっさ!」
と舌を出す。
するとAYAさんは
「また失礼するね」
と腰を曲げると北尾の首筋にフッと息を吹き掛けると北尾の両肩に手をおき、
「はっ!」
と気合いをいれる。
北尾はドキドキしている。
AYAさんはまた北尾に掌を
出すように言い、北尾が掌を出すとまた小瓶の中身を落とす。
「舐めてみて?」
悪戯っぽく笑うAYAさんが眩しい。
北尾も素直に舐めざるを得ない。
「甘い…甘いでっさ…」
AYAさんは笑って
「今、北尾君にまとわりついてたモノを落としたから…それ、ちょっと清めた砂糖水なの。甘くて当然よね?」
と説明する。
久々に北尾のほっこりした笑顔を見た。
それを見た木林が首を振り、擦りながら、
「AYAさん、実を言うとオレも…」
と見えすいた芝居を始める。
お前がその気ならオレもと、
「じ、実はオレも…」
と首を擦る。
しかしAYAさんは
「木林君は凄い強い存在に守られてるし、武市君は福子先生の甥っ子さんでしょ?二人共必要なし!」
といいながら、また元の席に戻る。
勝ち誇った北尾の目に激しい怒りが込み上げる。
「次に何かあっても絶対に助けてやらん!」
オレは心に誓った。
しかし、これはたぶんAYAさんに対する北尾の
半信半疑を見抜いた故に行った、AYAさんの霊能者としてのパフォーマンスなのだろう。
実証を示せば、誰でも信じる心が強くなる。
AYAさんは、
「折角だから、頂くね?」
と出された飲み物に口をつける。
オレ達も続いて口をつける。
なかなか旨いアイスティーだ。
AYAさんは、グラスを置くと
「北尾君…あのね、私が高校生の時の話なんだけど…」
と、さっき車の中で語ってくれた話を北尾に語り始めた。
北尾は珍しく前のめりで話に聞き入っている。
時折、眉をしかめたり、体を引いたりして体で感情を表現している。
その感情は『恐怖』に他ならないだろう。
AYAさんの話が終わると、北尾はソファに身を沈めて溜め息をついた…
「もし、木林に武市…お前達が友達じゃなければ、オレもおかしくなっていたんだろうな…」
呟くようにそう言う北尾の顔はスゴッグ色になっていた。
AYAさんは
「そうね…」
と北尾の呟きに答え、続いて
「聞いておきたい事があるんだけど、いいかな?」
と北尾に尋ねる。
北尾は、ハッとしてソファから身を起こす。
「は、はい…な、何でっさ?」
と尋ね返す。
AYAさんは、
「北尾君…その絵って、どこで手に入れたの?」
と尋ねる。
明らかに今までとはトーンが違う。
入手ルート…
昨晩オレが尋ねた時には答えられなかった北尾…
絵の影響から記憶が錯乱しているのだと判断したが、今はどうなのだろう…オレは、その答えに注目した。
北尾は眉をしかめて返答に困っているようだ…
「そ、それが…昨日武市から同じ質問をされてからずっと思い出そうとしているのでっさ…しかし、どう記憶を遡っても、リビングの壁に貼ってある映像しか頭に浮かばないのでっさ…」
やはり思い出す事はできないようだ…
北尾は申し訳なさそうな顔で黙り込んでしまった…
じっと北尾を見つめているAYAさん。
それは北尾を観察しているように見えた。
「ごめんね…ありがとう北尾君。あと、もう一つ確認したい事があるの…北尾君、最近どこかに行った?あ、旅行とか…」
AYAさんは質問を変えた。
北尾は一人で結構な遠出ができるタイプの人間だ。
将来は全国都道府県を制覇するのが目標だと、常日頃から口にしている。
もしかして、それを見抜いた上で、絵の件と関係があると判断したのだろうか?
「最近は…日帰りで那良県の亜祖香古墳を見に行ったでっさ…」
北尾はその質問にはほぼ即答した。



察するに、今現在、北尾の記憶は整理されている…しかし、あの絵に関しての記憶のみ曖昧になっている…
そういう状態なのだろうか…
「那良、か…」
AYAさんがボソリと呟く。
那良に、何か関係があるのか?
「わかった。ありがとう。」
何がわかったのか、AYAさんは立ち上がると、
「じゃあ行きましょうか、現場へ…」
と言う言葉と共に両手を組むと

バキバキ?

と指の間接を鳴らす。
見た目から想像できない行動に、オレはAYAさんという霊能者の底知れ無さを感じた…

オレ達一行は、徒歩で北尾のマンションへと向かった。
時刻は五時前。
今の季節では、まだまだ明るい時間帯である。
一行はマンションの正面玄関に立つ。
マンションを見上げるAYAさん。
オレもその視線の先を追う。
その視線の先は北尾宅だ。
AYAさんが北尾宅の場所を知るはずはない。
やはりプロの霊能者は違うのだと感じた。

「同じね…」

AYAさん視線を外さずに呟く。
その目は、鋭く、攻撃的である。
まさしく『敵』を見る目だ。
戦闘モードに入った、そんな印象を受ける。
マンションの壁には北尾宅を中心として、まるで光学迷彩によりカモフラージュされたような朧気な人影が複数貼り付き、蠢いている。
しかし、あんなものはザコ共だ。
『解放』すればオレでも近づけない事ができる。
しかし、問題は全裸の少年と同じく全裸の傷だらけの女…
あの二体だけは、オレには無理だ。
「武市君、見えてるよね?」
AYAさんが尋ねてきた。
「はい…でもまあ、問題は中に出てくる奴等ですわ…」
オレはAYAさんと視線を合わせる事なく答えた。
「全裸の少年と、傷だらけの女でしょ?」
オレはAYAさんの顔を見た。
やはりレベルが違う。
「今そこの壁には張り付いてるモノも、少年と傷だらけの女も、みんなその絵の中にいるモノ達…問題はね、『絵』そのもの…」
やはりそうだったのか…
あの絵の中には目をえぐられ、口から杭を打ち込まれている少年の姿があった…
傷だらけの女は、あの絵の中心に描かれた『生きた男』の下に描かれた女…
どちらも、登場人物なのだ…
壁には貼り付き蠢くモノ達も、すべからく皆、登場人物…
あの絵から抜け出してきたとでも言うのか…?
木林と北尾は口をポカンと開けて、会話についてこれない心情をアピールしてくるが、今は致し方ないのでスルーするしかない。
「さ、行こう…」
そう言ってAYAさんはマンション内へと歩みを進めた。
オレの達もそれに続く。

やはりマンション内は不快なプレッシャーに満ちている…
北尾がロックを開ける。
もはやAYAさんが先頭を歩く事に違和感はなかった…
AYAさんはエレベーターへと向かって颯爽と歩いていく。
歩くのが意外に早い。
このプレッシャーの中ではついていくのがやっとだが、一歩毎に揺れるAYAさんの髪から漂ういい香りが、まるで漂う邪気を祓ってくれているような気がした。
右を見ると木林が鼻の穴を膨らませている。
左の北尾の鼻の穴も同様に膨らんでいた。
さて、問題のエレベーターである。
少年はいるのだろうか…
迷いなくボタンを押すAYAさん。
ウウン…と音を立ててエレベーターが降りてくる。
階数を映すディスプレイを見つめるAYAさんの口角が少し上がっているように感じた。
エレベーターが到着した。
「いるわよ…」
AYAさんが呟いた瞬間、チンという音とともにドアが開く。



いない。
しかし、強烈な気配は感じる。
木林と北尾は顔をみあわせて、えっ?という表情をしている。
AYAさんは無言でエレベーターに乗り込む。
オレも急いで駆け込む。
AYAさんはオレに右手の人差し指でチョイチョイと天井を指差す。
それに乗せられ天井を見上げると…いた!
あの全裸の少年が天井に張り付いてる!
AYAさんは表情を変えるでもなく、
「私の気で何もできないだろうけど、一応祓っとくね。」
と言うと、またポケットからあの小瓶を取り出すと、それに口をつけて一口だけ含むと、それを天井めがけて吹き出した。
一面がAYAさんの吹き出した少し清めたという砂糖水の霧に包まれる。
すると、少年はその霧に溶け込むようにして、かき消えた…
しかし、ちょっと待て!
口に含んだ量からして、あたり一面霧に包まれるはずはない!
オレが焦っていると、AYAさんは
「企業秘密」
と口の前で人差し指を立ててウインクする。
この人、どこまで魅力的なんだ!
エレベーターの外にいる木林と北尾は更に状況が理解できない。
「た、武市?今のは?」
外の二人も口に含んだ量と霧の広がりが不思議でたまらないらしく。
北尾が、
「た、武市?今のはなにがどうなったんだ?」
と尋ねてきたが、
「わからん…企業秘密らしい…」
と答える事しかできなかった。
エレベーターは五階に向かう。
AYAさんと一緒にいる為か、昨日ほどのプレッシャーは感じない。
何て頼りになるんだ…
こんな風になれるのなら、霊能者になるのも悪くない…
AYAさんを横目で見ながら、オレはそんな事を考えた。
エレベーターが五階に到着する。
北尾宅はエレベーターから離れた場所にある為、そこまで歩かねばならない。
エレベーターから降りると、さすがにプレッシャーは強くなる。
木林が
「あ、あ〜ん…ここまで景色黒くなってんよ〜」
と呟く。
その声がきこえたのか、前を歩くAYAさんが振り向き、
「木林君は…そう見えるんだ?」
と木林に尋ねる。
木林はこの状況の中、嬉しそうな顔で
「は、はい!ヤバそうな場所はそんな風に見える時があります!」
と答えた。
AYAさんはニッと口角を上げただけでなにも言わなかった。
「ちょ、武市?あれ、どういう意味?」
木林が必死な顔でたずねてくるが、
「わからん…また企業秘密かな…」
と答えるしかない。
北尾宅に近づくにつれ、足が重くなる。
北尾の顔色もゴフ色になっていく。
無理もない。自分がした体験とAYAさんから聞かされた話…
同じ立場なら、オレでもそうなる。
AYAさんが北尾宅前に立つ。
オレ達は一切場所を伝えていない。
AYAさんは一応指を差し
て表札を確認し、
「ここで間違いないないよね?」
と北尾に尋ねる。
北尾は
「へ、へい!左様でっさ!」
と答え、背中を丸めて鍵を開けにかかる。
お前はどこの召し使いだ、と心の中で突っ込む自分の余裕がAYAさんの存在から生まれていると思うと、唇から笑気が漏れた。
北尾が鍵を開け、ドアを開ける。

ガチャン

北尾がドアを開けると閉じ込められていた熱気と共に、

『おいで〜』

というあの声が聞こえた。
外はまだ明るいというのに以上な暗さだ。
「あ〜ん、見えるか〜よ!」
木林が常備のサングラスを外す。
サングラスを外す程、木林には景色が黒く見えるのだろう…
「やっぱり同じ…」
AYAさんがまた呟いて北尾宅に踏み込む。
オレはやはり足の重さが増す…
床が何やらジメっとした感じがする…
この暗さの中、AYAさんの姿が一筋の光明のように感じる。
廊下の突き当たりにあるリビング向けて歩くAYAさんが、ついにリビングのドアの前で立ち止まる。
ドアノブを握ると、背を向けたまま、オレ達に、
「開けるね?」
と声をかけて、ノブを回して、ドアを開ける。
ドアの隙間から、また強烈な熱気が吹き出した。
一歩後退するオレ達だが、AYAさんは一歩もひかずに、ただ、
「やっぱり強烈ね…」
と呟いてドアを全階にしてリビングに踏み込んだ。
顔は見えないが、たぶんAYAさんの口角は上がっていただろう…
続いてリビングに足を踏み入れるオレ達…
AYAさんは、また迷わず左手の壁に飾られている絵に身体を向けた。
「やっぱり、あの絵…」
その鋭過ぎる霊感と強力な霊能により、わかってはいただろう…
しかし、違う物であって欲しいという思いが、かつてこの絵を『焼却処分』した当人であるAYAさんの中にはあったと思う。
しかし、その絵は同一の物であるらしい。
「北尾君…一応確認するんたけど、この絵、処分していいよね?」
絵から目を逸らさず、AYAさんは尋ねた。
「も、もちろんでっさ…」
北尾の声は少し、震えている。
それほどの緊迫感がリビングを支配していた。
AYAさんはバッグからレースのついた白い手袋と紫色の大きな風呂敷を取り出すと、手袋を両手にはめて絵に近づいていく。
正直、オレにはなにもできなかった。
情けない事だが、動く事すらままならない状態だ…
「この手袋は糸の段階から清めた特別製…この布も同じく特別製…大きめの物を持ってきてよかった。何とか包めそうね…」
自分に言い聞かせるように呟くAYAさんの声の重さから、その緊張感が伝わる。
オレ達は声も出せずにいた…
丁寧に床に布を敷いた後、
AYAさんが絵をいれた額に手をかける。
息を飲むオレ達…
ゆっくりと確実に作業するAYAさん…
絵を取り外して壁から離した時、AYAさんが
「うっ!」
と小さなうめき声を上げた。
壁が…
絵に隠されていた壁が…
焼け焦げたように赤黒く変色している。
それは、黒い窓のように見えた…
固まるオレ達を気にもせず、絵を床の布の上に置き、絵を包み出すAYAさん…
布と絵が触れあう度に

ジュッ

という焼けた音が聴こえたような気がする…
丁寧に絵を包み終えたAYAさんが、

「ふ〜」

と大きく息を吐く。
何やらリビングのプレッシャーが柔いた気がする。
「は、ははは、な、何とか除去は完了ね…」
その場にへたりこむAYAさんの顔に、脂汗が滲んでいる…
少しの間の後、
「北尾君…」
といいながら立ち上がるAYAさん。
AYAさんは自分の背後の壁の変色部分を親指で指しながら、
「この壁の変色、この絵の仕業…清めておくから、一週間くらいしたら壁紙変えた方が…」
と言いかけた瞬間、

ズシリ

以上なプレッシャーがリビングを支配した!
内臓がミシミシと音をたてる…
オレの霊感がそうさせたのか、オレは壁の焼け焦げた部分に目がいった。
焼け焦げた部分が、何か時空の歪みのような…
ブラックホールのような暗黒の空洞へと変貌しているように見えた。
その奥から、何かがこちらにやってくる…
そんな嫌な映像が頭に浮かんだ瞬間、

ガシ!

AYAさんの両肩を、白い手が掴んだ!
無数の傷とみみず腫に覆われた白い女の手…
あの女の手だ!
信じがたい事だが…
変色部分から伸びているのだ、女の手が!
「武市君!バッグ!」
AYAさんが叫ぶ。
オレは、ハッとしてバッグをとろうとしたが、先に木林が動いていた。
これは流石に木林と北尾にも見えているはずだ。
証拠に、何年もの付き合いの中で見たことのない表情をしている。
こんなのは生まれて始めてだ!
「あうっ!」
AYAさんが悲鳴を漏らす。
捕まれている部分が白い煙を上げて焼け焦げてきている!
「木林君!瓶!瓶があるから!その中身私にふりかけて!早く!」
木林は言われた通りバッグの中身を探すが、焦ってなかなか取り出せない!
またプレッシャーが大きくなる!
見ると、女の頭が変色部分から顔を除かせている。

『おいで〜』

またあの声だ!
「早く!お願い!」
AYAさんの悲鳴がリビングに響く。
木林は見たことのない真剣な顔でようやく瓶を掴むと蓋を開け、中身をAYAさんに振りかけた!
今度は白い手から煙が上がる。
AYAさんの肩を掴む手が緩まる。
その一瞬の隙に手から脱出したAYAさんは、まるで体操選手のような身軽い動きで壁から体をはなし、壁に体を向けると、右手で見た事のない印を切り、聞いた事のない…いや、聞き取れない言葉を唱え始める。
すると、女の手がゆっくりと後退を始めた。
段々とボリュームをあげるAYAさんだが、やはり聞き取れない。
AYAさんの声が女の手を押し返すように見える。
やがて、女の手は暗黒の空洞に消えた。
最後に大きく印を切り、
一言大きな声で唱えた。
「カン!」
とオレには聞こえた。
ドサッとへたりこむAYAさん。
オレ達はAYAさんにかけより、
「AYAさん大丈夫ですか!?」
と、口々に声をかける。
しばし口も聞けなかったAYAさんだが、
「は、はははっ大丈夫…大丈夫よ…」
と、まだ苦しそうだが、愛くるしい笑顔を向けてくれた。
ホッとするオレ達だが、次の瞬間…
「でも…」
というAYAさんの声に再び緊張が走る…
AYAさんが
「髪と洋服が…これは高くつくわよ、君達?」
と悪戯っぽく笑った。
再びホッとするオレ達だが、髪は女の命!洋服もまた然りだ!
オレ達は、ほぼ同時に
「すみませんしたっ!」
とAYAさんを囲んで土下座した。
「あははははっ!」
AYAさんは大笑いしながら
「冗談、冗談だから!洋服は買えばいいし、髪は短くしようかな〜って思ってたところだから…悪いのは私…油断しちゃったな〜…まだまだ未熟者だ…」
と、言うとゆっくりと立ち上がり、衣服を正すと
「とりあえず…この辺り、いい美容室あるかな?このままじゃちょっとね?」
と焦げた髪をさわる。
「AYAさん、ええとこ知ってるんで行きましょ…ていうか、服も何とかせんとね!」
その件は木林に任せるとして、せめてもの罪滅ぼしにと、絵はオレが持つ事にした。
さすがAYAさんである。
ちゃんと着替えを用意していたようで、別室で着替える事になった。
着替えを待つ間、オレ立ち三人の鼻の穴がひろがっていた事は言うまでもあるまい。
着替えが完了したAYAさんが別室から出てきた。
焦げたら髪を束ね、ブラウスは鮮やかなブルーから、今度は可愛らしく清楚なピンク色だった。
さっきより胸元の開きが大きく、オレの鼻の穴は更に広がった。
木林の案内で美容室に向かう。
なかなかお洒落な店だ。
木林に何故こんな店を知っているかと尋ねたら、あのヒカルさんの御用達の店らしい。
車の中で待つ間、オレ達は今回の件について色々話した。
時間が遅めだったので店が空いていたのか、AYAさんは一時間過ぎた頃に店から出てきた。
バッサリ切ったものだ。
AYAさんの髪は首の付け根くらいまで短くなり、完全にショートヘアになっていた。AYAさんの小顔を強調し、細い首が際立つ。
それがまたAYAさんのスタイルを更によく見せた。
危険の伴う霊能者より女優にでもなればいいのにと、オレは素直に思った。
オレ達は車の中で、せめてもの罪滅ぼしに、寿司でもご馳走させてくれないか、と申し出た。
AYAさんは
「私、食べるけど、後悔しない?」
と笑う。
オレ達は地元で一番うまい店に誘ったのだが、
「う〜ん、お寿司より、ラーメンの気分かな〜、ねっ?おいしいラーメン屋さんある?」
というAYAさん。
気を使ってくれているのだろう。
オレ達がそう話していると、
「ラーメン!ラーメンが食べたいの!」
と、しきりにラーメンといい、譲らないので木林曰く
『地元最強店』
てある『旭山』へと向かった。
四人掛けテーブル席に陣取る一行。
AYAさんの隣には何故か北尾が座っていた。
こいつには後で制裁を加える必要がある。
店員が注文をとりにきた。
「スタミナラーメン大盛りで!」
AYAさんという人は、本当に底の知れない女性だ。
AYAさんは見事スタミナラーメン大盛りを平らげたあと、替え玉を三回投入した。
本当に底の知れない女性だ。
食べ終わり、ひと心地ついたAYAさんがふいに語り始める。
「あの絵なんだけど…実は、実は私、三回目の遭遇なの…」
三人のイスが、ガタッと音を立てる。
「前のは、北海道の刹幌だった…東京、刹幌、そしてこの泉佐川…他にも、私達の知らない所で同じ事が起きてるのかも知れない…」
オレ達は声もなく、ただAYAさんの話を聞くしかできない。
「武市君?あの絵の中心にいる男…どう思う?」
いきなりの質問に面食らったが、オレは感じた事を言ってみた。
「はい…あの男だけ、浮き出てるように見えました…あの絵に描かれてる他の人物とは隔絶されたみたいな…他の者は死人やのに、あの男だけ生きてるみたいな…」
AYAさんは一つ頷くと、
「合格。流石は福子先生の甥っ子さんね…そう、あの男は、今もどこかで生きている…」
また三人のイスがガタッと音を立てた。
「そ、それはどういう事なのでっさ!?」
北尾が興奮気味に尋ねる。
AYAさんは店の外の景色に目をやりながら答える。
「あの絵は…呪いそのもの…描かれたものではなく、念写みたいなものね…一人の男の怒りと歪んだ欲望を何らかの呪術を使ってキャンバスに焼きつけた物…だから、あの絵をまた焼いたとしても、その男が生きている限り、またどこかにあらわれるんじゃないか…私は、そう考えてる…」
呪術…
考えてもみなかった…
オレは確かに霊感が鋭いし、霊体を見る事もできる…
しかし、呪術というものが現代に生き残っているものなのか…?
しかし、あの男が生きている、という事はオレも強く感じる…
「まあ、何の根拠もない私の勘みたいなもんなんだけどね…でも、私は何故かあの男と因縁みたいなものを感じるの…」
因縁…
三度もまみえたのだ、そう感じるのは至極当然のように思う…
「でも、あの絵は私が責任をもって処分するから。安心してね、みんな?」
ようやくAYAさんが笑った。
オレ達は
「よろしくお願いします!」
と、頭を深々と下げた。
AYAさんは今、叔母の指示で関西を拠点にして活動しているそうで、王阪市内の西区のマンションに住んでいるそうだ。
「だから、何かあったら連絡してね!」
と、オレ達三人に連絡先を教えてくれた。
木林は車で家まで送ると強く申し出たが、まだ電車があるから大丈夫、と軽くいなされ、木林の野望は潰えた。
駅で見送る際に、オレは持ってい絵をAYAさんに手渡した。
AYAさんは特別だという布に包まれた絵を見つめながら、
「私、この絵の事はずっと追っていくつもり…何かわかったら連絡するから、その時は手を貸してくれる?」
とオレに尋ねてきた。
オレは
「力になれるかわかりませんけど、もちろん!」
と答えた。
AYAさんはニコッと笑うと改札を抜け、ホームへと消えていった…
しかし、あの布はなんなのだろう?
あの絵から発せられているはずの邪気みたいなものを完全にシャットアウトし、重さもほとんど感じなかった…
そんな事を考えていると、隣で北尾が呟いた。
「いや、本当に美しい女性だったでっさ…」
そういえば、この男には制裁を加える必要があった…
さて、どうしてやろうかと思った瞬間、
「いだだだだっ!」
北尾が悲鳴をあげた。
見ると、木林が北尾の左耳を引っ張っている。
「いだだだだだ!」
痛がる北尾に追い撃ちをかける為、オレは北尾の右耳をつかんで引っ張る。
「いだ!いだだだだだ!」
悲鳴をあげながらも何故か笑顔になっている北尾の顔を見て、悪くない二日間だったな、と思った…
第一章 完

エピローグ

あれから数日後、AYAさんから絵の処分が終わったと連絡があった為、北尾にそれを伝えるべく電話した。
北尾は安心したようだったが、あの件で思い出した個とがあると言って騙り始めた。
「あの時、オレは最近那良の亜祖香古墳に行ったと言っていただろう?そこで不思議な老紳士と出会ったのさ…この暑い中、更に古墳にはにつかわしくない格好でな…中折れ帽というのかな?そういう帽子を被り、立派な白い髭をたくわえ、上下黒のスーツというか背広を着ていてな…ステッキを持っていた…その老紳士と絵画の話で盛り上がってなあ…まあ、何の関係も無いのかも知れないが…不思議な紳士だったさ…」
オレは何故か、その老紳士の話が頭に残った…

第二章へ続く




Yahoo!JAPANプレミアム




扉シリーズ  第一章 あとがき

冨田武市です。
この度は私の処女作となる扉シリーズ第一章を読んで頂き、誠にありがとうございます。
また、数件のコメントを頂きまして、重ねて御礼を申し上げます。
ありがとうございます!
この扉シリーズ。
木林先生の告知にあったとおり、数年前から温めてはいたものの、形にはできずにいました。
それを形にし、発表の場を与えてくれた木林先生にも感謝!
さて、この扉シリーズ、私こと冨田武市と木林先生が主人公という少々アバンギャルドな設定ですが、敢えてそうすることによって、今までにないホラーを創ろうというコンセプトの元、生まれました。
また、サブカルチャーズマンションにて連載のショートストーリー『耳塚シリーズ』の常連キャラ『北尾』など耳塚キャラも、これからドンドンと出演予定でございます。
耳塚シリーズも読んで下さっている方は、その時にはニヤリとしてください(笑)
耳塚キャラのみならず、AYAのようなキャラもこれから数多く出てきます。
冨田は若い頃、演劇畑におり、役者もやりつつ脚本を描かせて頂いていたという過去の延長上で、今、作品を発表させて頂いておりますので、描写が未熟で物足りないと思われる方もおられるかと思いますが、そこは書けば磨かれるものと、温かい目で冨田の成長課程もお楽しみ頂ければ幸いと思っております(笑)
また、冨田も日々多忙な生活を送っている為、このGWが終われば更新ペースがほんの少し遅くなる事もあるかも知れません。
しかし!
速い更新を心掛け、また第二章、第三章と書き続けてまいりますので、温かい応援、また、コメントは本当に力になります!何か感想を残して頂けますと幸いでございます。(笑)
時には酷評でも謹んで承り、
今後の参考にさせて頂きたく思っておりますので
今後とも是非よろしくお願い致します!

2016年05月05日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第一話 「霧子」著者:冨田武市

ふー

星のきれいな夜空に、昨日から始めた煙草の煙が溶け込んでいく…
自室の窓枠に腰掛け、煙草をふかしていると、少し大人になった気分に浸れる…
オレが煙草を覚えたのには訳がある…
親友、木林からの影響だ。
オレと木林は、週に一、二度、オレ達が暮らす泉佐川市が運営する『末平運動公園』の駐車場でダベる事がある。
四日前の夜、そこでダベっている時だ…
木林の黒いシャツの胸ポケットに煙草とライターが見える。
「あ、あ〜ん、胸ポケットから見慣れぬ四角いもん見えてんよ〜」
オレはそう木林に尋ねた。
すると木林はニヤっと口角を上げながら、胸ポケットから箱とライターを取り出す。
銘柄は『COLD』のメンソール…
木林はそいつから一本抜き取り、口に咥えると、ライターで火をつけ、一服吸い込むと、フーと夜空に向かって一筋の煙柱を上げた。
「この世には煙草というものが存在してるって知ってんけ?」
と笑う。
木林のその姿が、大人に見えた。
オレと木林はどちらかとい言えば嫌煙家であったのだが、大学に上がり周囲に喫煙家が増えた事により、許容範囲が広くなっていた。
更に、『ロビンフッド』というなかなかいかした店名の女性向けバーでバイトしている木林、ある日、客の女性達から煽られ、煙草を口にしたらしい。
すると、なかなか悪くない。
これさえあれば、強敵揃いの大人の女性とも対等に戦える気がする。
そんな思いから、煙草を始めたらしい。
親友がクールな大人に見える。
なら、このオレとて、そいつを身につければ大人に見えて然り!
そういう経緯があり、オレも今、夜空目がけて煙柱を立てる身になった。
しかし、困った。
今、オレの目に女性…
白いブラウスと濃紺のスカートをはいた痩せた女性が浮いている姿が見える。
自宅の二階にある自室の窓、そこから十メートルほど離れた場所で浮いている女性…
明らかに生きている女性ではあるまい。
内臓にそこはかとないプレッシャーを感じる。
プレッシャーを感じるという事は、それは『霊障』である。
まあ、蚊に刺されたのと変わらないような、微かな霊障ではあるが…
明らかにこちらを見ている女性の霊…
放っておけば、そのうち搔き消えるだろうが、寝ている時に金縛りに遭いでもしたら面倒だ。
まあ、百歩譲って彼女の胸が豊満であったなら、胸の大きな女性が好みのオレである、
例え金縛りに遭うとて、両手を広げ受け入れる準備はある。
しかし、今オレの目に映る彼女のそれは豊満ではない。
これは就寝後の無意味は苦しみを回避する為、断固としてこちらの意思を伝えておく必要がある。
オレはタバコを咥えながら、
『当方ニ胸ノ豊満デナイ女性、受ケレノ意思無シ、早々ニ立チ去ラレタシ』
と両手で大きく、旗信号のようなジェスチャーと共に念を送った。
それが届いたのか、判断をつける術は持たないが、しばらくすると女は夜の闇に溶け込むように、ゆっくりと消えた。



北尾の『絵画』事件から二週間が過ぎ、夏休みも終わりに近づいた夜…
オレには、あの事件以降、自分の霊感が徐々に鋭くなっている感覚があり、不安をおぼえていた…
また一本煙草をふかす…
立ちのぼる煙柱が、その不安と共に夜の闇に溶けていけばいけば命に…と漠然と思った…

「冨田君?『八龍』って聞いた事ある?」

翌日、朝から大学に顔を出し、カフェでコーヒーを啜っていると、同じ『形而上民族学部』の同級生である酒井霧子がそう声をかけてきた。
酒井霧子は入学当初より美人で有名であった。
長い黒髪をポニーテールにし、色白で小さな輪郭の中、目は切れ長で瞳が小さめ、すっと通った鼻筋の下には知的な薄い唇が配置されており、赤いフレームの眼鏡が白い輪郭に映えた。
身長は高めで、おそらく165センチ以上はあろう。
痩せて手足が長く、所謂モデル体型だ。
ゆえに、薄化粧でも学内を歩けば十分に目立つ。
しかし、彼女に声をかける男子学生は少ない。
彼女から発せられるミステリアスなオーラが男子学生のよからぬ欲望を寄せ付けないのだと思う。
オレにはそのミステリアスなオーラが何に起因するのか、何となく感じられていた。
酒井霧子…
彼女もオレと同じ霊感が鋭いタイプの人間なのだ。

霧子はオレの向かいの席に座る。
手にはアイスティーを持っていた。
「あ、ああ…知ってるけど?」
オレは何となく照れたような口調で答えた。
『八龍』…
地元では有名な心霊スポットである。
泉佐川市の隣、耳塚市の山手にある、元は料亭旅館だった廃屋である。
謂れに諸説あるが、おおまかには経営不振に陥った『八龍』が倒産し、そのまま打ち捨てられ、廃屋と化し、以来『出る』と噂が流れ、若者の肝試しの場となったという、まあ、ごくありふれた噂しかない心霊スポットである。
オレは行った事はないのだが、場所と進入方法は知っていた。
霧子は真剣な表情で前のめりの姿勢になると、
「連れていってもらわれへんかな?」
予期せぬ言葉であった。
霧子がその気になれば、まあ下心のオマケ付きではあろうが、喜んでそれに応じる男は多かろう。
何故、オレなのか?
まあ、美人からの誘い、悪い気はしないが…
オレは笑いながら答えと疑問を投げてみた。
「別にええけど…てか、何でオレやねん?」
オレの言葉に霧子は迷いのない声で即答した。
「頼りになりそうやから。」
頼りになりそう…?
どうやら霧子も感じていたようだ、同種の人間であろうと…
その時、背後から声がした。
「あ〜ん武市!酒井さんとお茶してるとは、なかなかの奮起見せてんよ〜」
振り返らなくてもわかる声…
木林である。
「冨田君が女の子とお茶してるの初めて見た!」
木林の隣からも聞き覚えのある明るい女性の声がする。
振り返ると、斎藤アズサがいた。
耳塚南高校時代の同級生…
高校時代は水泳少女だった彼女…
ショートカットで日焼けしていた印象はガラッと変わり、少し明るくなった髪色、ショートカットは相変わらずだが、パーマをかけたのかフワッとしたボリュームが女性らしさを増している。
服装は白いTシャツにジーンズだが、少し濃いめの化粧が女性としての成熟を感じさせた。
「久しぶりやな、あっちゃん。えらい大人っぽくなったやん?」
オレは高校卒業以来半年前近くの間、顔を合わせていなかった彼女に素直に再会の感想を述べた。
「へへへ…そっちも少しは成長したみたいやん、男として?」
あっちゃん…いや、アズサはまんざらでもないという感じで笑いながら、霧子に悪戯っぽい視線を送る。
しかし、軽く会釈しながらアズサに視線を返す霧子の目には
『そういう事ではない』
という意思がありありと見えた。
木林とアズサは近くからイスを引っ張ってきて、同じテーブルについた。
木林はトマトジュース、アズサは霧子と同じくアイスティーを持参していた。
女性はアイスティーが好きなんだな、とオレはアイスティーに目をやった。
「ほんで?撃沈か、武市?」
木林が唇から気を漏らしながら尋ねてくる。
「まあ、そんな用件やったら海の藻屑は必至やけどな…でも違うねん…彼女、八龍に連れていって欲しい言うてな…」
オレは霧子に視線を送りながら答えた。
「八龍?あの心霊スポットの八龍か?」
木林が尋ね返す。
すると、アズサがそれに被せるように、
「あ、知ってる!めっちゃヤバイんやんな?」
と目を輝かせてアピールしてきた。
めっちゃヤバイのかどうかは知らないが、
「へぇ、あっちゃん行った事あるん?」
と尋ねてみた。
「いや、私は行った事ないねんけど、あ、冨田君さ、河下君って覚えてる?」
河下…
高校時代の同級生で、結構いい奴なのだが、常に出会いを求める女性の関係にどん欲な男だった。
木林が
「あ〜ん河下!あの下心の塊がどうかしたのかい、あっちゃん?」
と オレより先にアズサの質問に答えた。
しかしアズサは少し声のトーンを落として
「その河下君な、今は専門学校に行ってるんやけど、そこの友達と、その八龍に行ったらしいねん…そこでめっちゃ怖い体験したみたいで…今、入院してるんやて…」
と答えてアイスティーに口をつけた。
少しテンションが下がるオレ達。
しかし、空気を察した木林が明るい声で
「ははは!まあ、あいつの事やから入院先の看護士さん口説いてエンジョイしてる事やろ!」
と場を和ませる。
「ははは!まあ、噂やからホンマかどうかはわからへんしね!ははは!」
アズサも続いて笑う。
しかし、霧子の目が鋭さを増した事に、オレは気づいた。
そこからしばらくの間、オレ達の高校時代の話になったが、霧子は黙って、薄く微笑みながらその話を聞いていた。
その様子に気づいた木林が霧子に尋ねた。
「酒井さん…八龍ってどこで知ったんよ?」
その問いに霧子が口を開いた。
「うん…私、那良から来たんやけど、那良でも有名でね。こっちに来たら行ってみたいと思ってたねん…」
意外にフレンドリーな口調に少し驚いた。
クールに見えるが、やはり同じ歳の学生なんだな、と思った。
霧子の返答にアズサが尋ねる。
「でも、また何でそんなとこに行きたいと思うん?そんなん好きなん?」
霧子は少し考え込んでから
「うん…小さい頃から、何でかそういうの好きなやってね…本とかテレビとかそんなんばっかり見てきたから…それもあって大学も刑民あるここを選んだし…あはは、変わってるやろ?」
初めて見る霧子の屈託ない笑顔に、オレは一瞬心を奪われた。
やはりそうだ。
霧子はオレや木林と同種の人間である。
目に見えない存在や事象に対する本能的な興味…
その知的欲求に支配されたタイプの人間なのである。
木林もその匂いを感じとったのか、
「酒井さん、オレ等も一緒に行ってええかな?」
と前のめりで申し出る。
「こんな武骨なゴリラみたいなんと二人きりは面白ないやろ?」
木林が続ける。
確かに、こんな美人と二人っきりで心霊スポット探訪など、正直どんな顔をすればいいのかさえわからない。
そうしてもらえるなら、それはゴリラとしてはありがたい。
しかし、そこにアズサが噛みついた。
「ちょっとアンタ!等って何よ?私も来いって事?」
木林をアンタと呼ぶアズサ…この二人、いつの間にそんなに距離を縮めていたのか?
「ええやんけ、あっちゃん!夏休み最後の思い出作りになるやんけ!」
アズサの言葉に無邪気に返す木林。
「アンタ、私がそんなん苦手なん知ってるやろ?」
知らなかった。
アズサはオカルト関係を苦手にしていたのか…
しかし、やはりこの二人の距離は高校時代より格段に縮まっていると感じた。
「苦手なら克服すべきやろ?よっしゃ!この四人で八龍に乗り込もうやないか!」
木林の中では既に決定事項らしい。
オレは、
「酒井さん、それでもええかな?」
とおそるおそる尋ねてみた。
霧子はオレの言葉に迷いを見せる事もなく
「うん、ええよ。二人より四人の方が心強いし、楽しそうやしね。」
と、言ってアズサの方をニヤリと見やる。
「え?嘘やろ酒井さん?ていうか、酒井さんてそんなキャラやったん?」
アズサが狼狽して霧子に突っ込む。
霧子はまたニヤリとして、
「うん、そんなキャラ」
と答えた。
アズサはガクリとうなだれて、それ以上何も言わなかった。
かくして、オレ達四人は明後日の土曜日の夜に八龍へと乗り込む事に決定した。
また木林が車を出してくれるそうだ。

翌日の深夜…
オレと木林は末平運動公園の駐車場にいた。
いつもの定席である青いベンチに座り、オレが飲み終わった缶コーヒーの空き缶を灰皿代わりに、煙柱を立ちのぼらせながらアホ話に華を咲かせていた。
「しかしよぉ、河下が入院したってホンマなんかなあ?」
オレが河下を話題に出すと、木林が唇から笑気を爆発させた。
「あ〜ん真実なら気の毒やが、そんな面白い話あるか〜よ!」
木林は腹を抱えながら足をジタバタさせながら悶絶している。
オレも唇から笑気を漏らしながら
「うむ。真実ならば奴の事、調子に乗って先頭を歩いていたであろう事、請け合いやな?」
と木林にその続きを促す。
木林はアヒアヒと悶絶しながらも続ける。
「先頭でありながら、逃げる時も先頭を走っていたであろう事、請け合いなんよ〜!」
木林の答えにひとしきり爆笑した後、オレは口を開いた。
「しかし、それが真実なら、八龍が危険な所であるという信憑性が高い事になるなあ…」
その言葉に木林の笑いが沈静化し、木林がなにか言おうと口を開いた瞬間、

ガサガサ!

ベンチの後ろにある植え込みから物音が聞こえた。
ハッと振り返るオレと木林。
すると、植え込みの中から人間の上半身が姿を現した。
丸い輪郭の上部は脂でペッタリとした七三分け、丸く小さい目に同じく丸い鼻、横に広い口にぶ厚めの唇の周りは中途半端な無精髭に覆われ、着用している衣服は少し黄ばんだように見える白いランニングシャツ。
呆気にとられるオレ達に向かって横広な口が言葉を発する。
「突然失礼!小生、益井嵩と申す市井の心霊現象研究家!あなた方の興味深い話に惹かれ、無礼を承知で参上した次第!どうか小生も会話に混ぜて頂きたいと欲しますが、返答やいかに?」
その男からは、何日も風呂に入っていないような、すえた臭いがした…
第二話に続く


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2016年05月06日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第ニ話 「中古でない煙草」著者:冨田武市

益井と名乗る男は、ガサガサという物音を気にするでもなく、植え込みから出てきた。
上半身には白いランニングシャツ…公園に備えつけられている照明に照らされたランニングシャツは、やはり黄ばんで見える。
下半身には紺色の作業ズボンをはいている。
ベルトは巻いておらず、デップリと突き出た腹によってズボンが下がらずにいるらしく見える。
怪しい人物の登場に木林の本能が危険を察知したのか、木林が得意の鋭い中段蹴りを繰り出すモーションに入ったのをオレは見逃さず、くいっと木林の黒い袖を引いた。
木林は一歩後ずさりながらオレの顔を見ていた。
「いや、驚かせてしまって本当に申し訳ない!」
益井はそう言いながら両の掌をオレ達に見せる。
「オッサン何者な︎」
木林が敵を見る目で益井に怒鳴る。
「怪しい者ではありません!私はただの市井の心霊現象研究家です!」
これほど信用できない言い訳を聞いた事がない。
「何が怪しい者じゃないや!どない見ても、明らかに曲者やんけ!」
木林がまた怒鳴る。
曲者…
彼にはふさわしい身分であろう。
「何をそんなにお怒りなのか?私はただ、あなた方の魅力的な会話に混ぜて頂きたいと思う一心で…」
そういえばそんな事を口にしていた…
この益井という男、自分の事を心霊現象研究家と名乗ったな…
オレ達はここでよく怪談話で盛り上がったりしていた。
この間の北尾の絵画事件についてもここで語りあったりしていた。
もしかして、この男は以前からオレ達の会話を盗み聞きしていたのではあるまいか?
木林はまだ敵意むき出しの眼差しで益井を睨みつけている。
益井は額に汗を滲ませてまだ両の掌を見せたままだ。
オレは、このまま睨みあいを続けるのも不毛と思い、
「益井さん、でしたっけ?とりあえず、こっちに座りません?」
と立ち上がって席を空けた。
木林は
「おい、待てや武市!」
木林が声を荒げる。
しかし、オレはニヤニヤしながら木林に
『まあ、ええやん』
と視線を送った。
木林は
『嘘やろ?』
という顔でこちらを見たが、それは無視して益井をオレが座っていた場所に座らせた。
憮然とする木林は席に座らず、完全に益井に背を向けている。
益井は木林に警戒心を向けつつ、
「いや、かたじけない…あ、トマトジュースの方…」
トマトジュースの方?
益井は木林の方を向いている。
トマトジュースの方とは木林の事であろう。
確かに木林は普段からトマトジュースを愛飲し、ここでもトマトジュースを飲んでいる。
木林は自分がトマトジュースの方と呼ばれたのだと気づくと凄い早さで振り向き、
「誰がトマトジュースやねん!」とまた蹴りを繰り出そうとする。
オレはまた木林の黒い袖を引っ張り、
「木林、やめとこ」
と一言お願いした。
木林はまた益井から目を背けた。
木林をトマトジュースの方と呼ぶなら、
「益井さん、僕はコーヒーの方ですかね?」
と笑いながら尋ねた。
益井はそれにこう返してきた。
「ああ、誠に申し訳ない…実は、以前よりあなた方の魅力的な会話が拙宅まで聞こえてきておりまして…」
拙宅?
という事はこの近くに自宅があるのか?
ここは市が運営する公園、つまり公共の土地であって、決して宅地ではない…
オレは益井の身分がただの曲者ではなく、違う何者かである事を理解した。
益井は続ける。
「心霊現象研究家である小生にとって、あなた方の会話は実に、実に魅力的なのです。小生は時折聞こえてくるあなた方の会話に混ざりたい、混ぜてもらいたいと悶々としておりました…で、会話の中からあなた方のお名前は存じてはいたものの、親しみと尊敬の念をこめて冨田さん、あなたをコーヒーの方、木林さんをトマトジュースの方と呼ばせて頂いておりました…無礼は承知…何卒お許し願いたい…」
益井は深々と頭をさげる。
見た所、四十くらいの中年である。
その中年がまだ成人式を迎えていない我々に深々と頭を下げているのである。
身なりは悪く、喋り方に強い癖がある…
また、宅地でない土地に家を建てる事はよくない事だが、精神的には高潔な人物であろう、とオレは感じた。
そして、何故かはわからないが、この益井という人物を愛らしく感じる自分がいた。
「あ、益井さん、煙草吸います?」
オレは自分の煙草を益井に差し出した。
銘柄は『LOWLIGHT』だ。
「あ、これは…実は小生、若き頃より愛煙家でありましてな…よろしいのですか?」
益井が目を輝かせて前のめりに確認してくる。
「遠慮せんとやって下さい。」
そういって一本抜きとって益井に手渡した。
少し高揚した表情で煙草を受け取ると、口へ運ぶ益井。
横では木林が信じられぬという表情でその様を見ている。
それに構わず、オレは益井が咥えている煙草に火をつけるべくライターを点火した。
「至れり尽くせり、申し訳ない!」
益井はクイっと首を出すとライターの日に煙草の先をつけると、一息、ゆっくり大きく、吸い込んだ。
目を閉じ、深く、おそらく久しぶりであろう煙の味を満喫する益井…
その姿が何故か絵になった…
益井は口から一筋の煙柱を立てた後、
「う〜む至福…中古でない煙草を味わったのは何年ぶりの事か…」
と独り言のように呟いた。
『中古でない煙草』…?
それが未開封の煙草を指すのではない事はわかる。
それはおそらく、他人の吸いかけでない煙草を指しているのであろう…
彼は、何者からも守られる事のない、ハングリー極まりない野生に近い生活をしているのであろうと、オレは確信した。
木林は一言も声を発しない。
しかし、手で口を押さえ、その肩は揺れている。
『中古でない煙草』…
そのワードが、木林の笑気を刺激したのだろう。
オレは益井の横に腰をかけた。
「益井さん、中古でない煙草を楽しみながらでいいんですが…益井さん、心霊現象研究家っておっしゃってましたよね?どんな研究をされてるんですか?」
オレは益井に尋ねた。
すると益井は目つきを変え、姿勢を正すと、
「聞いて頂けますか?」
と尋ね返してきた。
「もちろん…聞かせてもらいたいのはこっちの方ですよ…」
オレは笑顔で答えた。
益井は一つ頷くと語り始めた…
「実は小生、若かりし頃は高校の教員の職にありまして…」
意外と言えば意外だが、喋り方から、何か納得させられた。
「小生は社会科教師で、担任も持っておりました…あ、お二人は高校はどちらを御卒業で?」
益井の問いに、オレは即答した。
「二人共、耳塚南ですが…」
すると益井は目を丸くして答えた。
「何という運命の悪戯!小生、その耳塚南に勤務しておりました!」
偶然とは恐ろしいものだ。
こんな事があるものか?
木林も目を丸くしている。
「いやあ、我々はここでこうして出会う運命にあったのでしょうか?はははっ!」
益井は上機嫌でまた煙草をふかす。
「しかし小生が勤務しておりましたのは、もう十年も前の事…あなた方には無関係な人間になりますな…まあ、それはさて置き、ある日、小生は生徒達数名から誘いを受けました…一緒に心霊スポットに行ってみないか?と…」
今、益井は心霊現象の研究を始めた理由から話してくれている…
こちらはそこまで遡って話してくれとは言っていないのだが…
しかし、生徒から誘いがあったということは、それなりに人気のある先生だったたのだろう。
「しかし、当時の私は心霊現象など信じておらず、ただ単に危険であると判断しました。ゆえに、教師として生徒を危険な場所へ連れていくわけにはいかない…当然、小生はやめるよう指導しました。しかし、生徒達はしつこく誘ってきました…当時は小生も若かった…それが嬉しく、ついに承諾してしまいました…それから数日後の夜、小生は生徒六名と共にある廃屋に忍び込みました…そこは『八龍』という看板が上がった元は旅館らしき廃屋でした…』
八龍…
明日の夜、オレ達が乗り込もうとしている心霊スポットだ…
木林もそのワードに反応している。
「先ほどあなた方の会話の中にその八龍という言葉が出た瞬間、小生は半ば本能的にあなた方の前に出てしまいました…木林殿、いきなりの無礼、平にご容赦願いたい…」
益井はまた、深々と頭を下げた。
木林はさすがに許さざるを得ないといった表情で、
「べ、別に、もういいっすよ…」
と、声はまだ憮然としているが、謝罪は受け入れたようだ。
「かたじけない…して、小生はその八龍での体験により、心霊現象の研究に人生を捧げる事となったのです…」
益井は、表情は緊張の色を強めた。
「八龍は極めて危険な場所です…小生はあの場所で、大事な教え子を一人、失ってしまった…」
益井は目を閉じて、うなだれた。
失ってしまった…
それはそこで、命を落としたというう事か?
「益井さん…いや、益井先生、それはどういう事ですか?」
オレは話の続きを待てずに、益井に尋ねた。
益井は顔を上げると力のない笑顔で話を続けた。
「厳密には、彼女が亡くなったのかどうかもわからない…消えてしまったのです…私の目の前で…」
彼女という事は女子生徒だったのだろう…
しかし、消えたとはどういう事なのか?
「小生を始め、他の生徒もあそこで何も見ていない…しかし、彼女が消えた瞬間を、そこにいた人間全てが目撃したのです…我々が地下室に足を踏み入れ、探索していた時です…各自、手に持ったライトで辺りを照らしていました…その最中に彼女が『あっ…』と声を上げました…我々は一斉に彼女にライトを向けました。
ライトは一瞬、彼女の姿を照らし出しました…しかし、その瞬間に彼女は何かに引っ張られるように闇の中に消えたのです…!』
益井の目には、それを作り話ではないと確信させる、何らかの強い意志がこもっていた。
「我々は何が起こったのかもわからず、しばらくその場に固まってしまいました…しかし、正気を取り戻した後、必死で彼女の姿を探した…しかし、手がかりすら見つからない…朝になり、多少は明るくなったものの、彼女の姿は見つからない…小生、覚悟を決めて警察に届け出ました…しかし、警察の捜索もむなしく、彼女は現在も行方不明のままなのです…小生は当然、罪に問われましたが、生徒達の証言もあり、罪はごく軽いものになりました…しかし、小生は全てを失った…大事な教え子を許さざるを知れずにしてしまった、当然の報いです…いや、小生はその罪を全く償えていない!」
益井は、今も教師としての魂を失っていないのだ、とオレは感じた…
「故に小生、決意しました…必ず彼女を取り戻すと!その為には彼女に何が起こったのか、知らねばならない…そうして行き着いたのが、心霊現象に対する研究でした…しかし、それに没頭するあまりに今のような生活に…彼女に対しても申し訳ない事です…」
益井はそう言って、摺り切れそうな膝を叩いた。
益井の胸中には、オレが想像もつかない壮絶な罪悪感で満たされているのだろう…
「小生は、様々な書物を読み漁り、多くの人物から話を聞かせて頂き、彼女に起こった事についての手がかりとなる心霊現象についての記述がある、ある書物に辿り着きました…それは、甲塚誓ノ介という人物が書いた『ある失踪事件の真相について』という論文的な小冊子でした…」
甲塚誓ノ介…
一度しか会った事はないが、オレが在籍する形民…形而上民族学の教授の名である。
甲塚教授はオカルト界では知らぬ者のない権威中の権威である。
「うちの教授ですね、その人…」
ボソっと呟いたオレの言葉に益井が凄い勢いで食いついた!
「何と︎あなたは泉大の形而上民俗学部に御在籍で?」
オレは益井の勢いに気圧されながら答えた。
「は、はい…でも、入学直後に一回会っただけで…」
それを聞いた益井は落胆の色を見せて
「一度お会いして教えを乞いたいと思っていたのですが、やはり御多忙のお方、難しそうですな…」
と下を向いた…
「その書には、こんな記述がありました…今から何十年も前の事…場所は記述されていませんでしたが、小生の体験と瓜二つの事件があったようなのです…甲塚師は、それについてこのように記述なさっておられた…霊体は本来、同次元にある霊体にのみその影響を及ぼせるものである。しかし、時にその念の強さ故か、次元を飛び越えて肉体に影響を及ぼせる事もあるようだ。金縛りや虫の知らせといったものはその代表的な例であろう…其れ等は、甚だしい場合には生きた者を生きたまま死したる彼らの住まう次元へと引き込む事も可能のようである、今回の事件の真相を私はそう結論づけた。しかし、その原理は未だ不明であり、現在の私の研究対象である…と。その書物が書かれたのが今から五年ほど前…甲塚師は、その原理について何らかの結論を出されたのか…御存知ではありませんか?」
オレは益井の迫力の気圧され、ただ首を横に振るしかできなかった…
益井はまた落胆の色を見せる。
「それはそうでしょうな…いかに甲塚師とて、簡単に結論にたどり着くような簡単な問題ではない…」
しばらくの沈黙のあと、木林が口を開いた。
「しゃあないな…」
オレと益井は目を丸くして木林を見た。
「オレ等、明日八龍に行く事になってるから、一緒に来たらいいっすやん…こいつ叔母さんがあの甲田福子先生で、めっちゃ霊感強いから、何かわかるかも知れんし…」
木林…こいつが女性にモテるのがわかる。
困っている人は、放っておけない質なのだ…
益井は顔を紅潮させ、
「よ、よろしいので?」
と尋ねる。
木林は溜息をつきながら、
「アカンかったらこっちから言わんでしょ?明日の八時頃迎えに来るから…ここで待ち合わせでいいですね?」
と言ってあちらを向いた。
「感謝いたします、木林殿!」
と、益井は歓喜の声をあげ、
「実は小生、あれから何度か八龍に足を踏み入れたのですが、根っからの鈍感なのか何を感じる事もありませんでした…しかし、あなた方の会話から冨田殿が霊感の鋭い方である事は存じておりました!しかも叔母御があの甲田福子師とは!誠に申し訳ありませんが、木林殿、あなたのご好意に小生、甘えさせて頂きます!」
紅潮する中年の横顔を見ながら、このオッサン、実は計画的な確信犯ではないのか?と、オレは思った…
第三話に続く









2016年05月08日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第三話 「アズサ」著者:冨田武市

昨晩…
オレと木林は、元オレ達の出身校の高校教師で、現在は無職の自称『市井の心霊現象研究家』である益井という男と出会った。
彼の壮絶な過去を聞かされたオレ達は、彼も八龍探索メンバーに誘い、オレ、木林、霧子、アズサ、益井の五名で、彼の地に挑む事となった…
夜七時すこし前、木林が迎えにきてくれた。
遠慮なく助手席に乗り込むオレ。
親父さん自慢の国産高級車の運転には慣れたようで、ハンドル捌きに余裕が見られる。
「いつも悪いなあ…でも親父さん、コレ大事にしてるんちゃう?
よく貸してくれるなあ?」
リラックスして独り言のように呟いたオレの問いを、木林は完全にスルーした。

親父さんに無断で拝借してきたであろう事請け合いである…
続いて車は霧子宅に向かう。
霧子から渡された地図を頼りに車を走らせるが、車は狭い路地に入り込んだ…
「武市!ほんまにこの道で合ってるんか!?」
木林のカリカリした声が車内に響く。
「…合ってる、はず…」
地図を見ればこの先に霧子のアパートがあるはずだが、すこし油断すればすぐガリガリと音をたてそうな狭い路地…
この先に本当にアパートなんかあるのか?
「あ、あ〜ん…極めて運転しづらい道なんよ〜!八龍行く前から、もはや霊障に苦しまなアカン、この気持ちよ〜!」
助手席にいても、木林の気持ちはよくわかる。
オレもこんな道を車で走りたくない…
途中、道の真ん中で立ち塞がる猫という最大の霊障をクラクション連打で乗り越え、路地を抜ければ、そこは開けた空間だった。
そこには、こじんまりとしているが、真新しい印象のアパートが建っている。
おそらく一人暮らしの女性向けなだろう。
そのアパートの前に赤いジャージに身を包んだ女性が立っている…



霧子?酒井霧子︎
「さ、酒井さんやでな、あれ…?」
木林が目を丸くして固まっている。
これは酒井霧子のかなりレアな姿だ…
クールビューティー、それが彼女に対する大多数の者がもつ印象である。
霧子はそれを見事にぶっ壊してみせてくれた。
運転席で固まる木林をそのままに、オレは車外に出て霧子に声をかけた。
「酒井さん!」
霧子はそれに反応して、こちらに駆けてくると、
「こんばんわ」
と緊張気味に頭を下げた。
「こ、こんばんわ!」
霧子の緊張に飲まれ、オレも緊張気味になってしまう。
オレは後部座席のドアを開けて霧子に乗車をうながす。
「あ、ごめんね…ありがとう…」
霧子はそう言うと後部座席に乗り込んだ。
木林はまだ信じられないといった表情で
「こ、こんばんわ…」
と呟いた。
霧子は、
「こ、こんばんわ…今日はあ、ありがとう…」
とまた緊張気味に返す。
異様な雰囲気の中、車は発進した。
次は最寄り駅まで電車で来ているアズサの元へと向かう。

車中は沈黙に支配されていた。
運転に集中する木林…
流れる景色を見つめるオレ…
同じく景色を見つめる霧子…



霧子が沈黙を破る。
「…ジャージやよね?」
その小さな呟きが、木林とオレの笑気を刺激した。
「何でジャージやねん!」
木林が笑気を爆発させながら突っ込む。
「ホンマやね!私、ヤル気満々やんな!二人共普通にカジュアルな格好やからめっちゃ恥ずかった!」
霧子は手を叩いて大笑いだ。
しかも、目から涙を流し、口からはヒイヒイと悲鳴のような声を漏らしている。
もちろん、オレも腹を抱えていた。
霧子曰く、動きやすい服装を追求していった結果、ジャージに辿り着いたらしい。
酒井霧子という人間は、合理的な性格のゲラ…即ち笑い上戸である事が、今ここに発覚した。
まだ笑気冷めやらぬまま、車は最寄り駅に到着した。
改札口にアズサが立っている。
アズサの姿を確認した時、車中がまた爆発した。
ピンク色の襟が大きめのブラウス、白いミニスカート、足元は白いサンダル…
清楚なファッションに身を包み、お前は、どこで誰とデートするつもりなのだ!?
言葉にしなくても車中の三人は同じ突っ込みを入れながら腹を抱えていた。
こちらに気づいたのか、アズサが駆けてくる。
笑顔で駆ける姿、それもまた清楚。
本来なら背景に花が咲くような場面であろうが、車中は爆笑の渦。
「真逆!真逆!」
霧子が腹を抱える。
動きやすさを追求した結果がジャージの霧子…
その対極を体現するアズサ…
コンコンと窓をノックする笑顔のアズサ。
霧子が笑いを堪えつつドアを開けた。
「こんばんわ〜」
後部座席に乗り込んできたアズサからは、爽やかな花の香りがした。

ブフー︎

三人が同時に吹き出した。
どんだけデートがしたいのだ、お前は!
爆笑の原因が、まさか自分であるとは思っていないアズサは
「何笑ってるんよ〜?」
と、自分にも笑いを分けろという顔をしている。
しかし、その笑いを分けるわけにもいかぬ。
そこで木林が口を開いた。
「いや、酒井さんジャージで来るんやもんよ〜笑けてしゃあないやろ?」
アズサの出で立ちには触れぬ言い訳。
ファインプレーだ。
アズサは霧子の出で立ちを改めて確認すると、
「ほんまや!あはは!酒井さんヤル気満々やなあ〜」
と笑っている。
どちらかと言えば、お前の方が面白いと思いながら、オレは口から漏れ出る笑気を堪えた。
さて、あとは益井である。
車は約束の末平運動公園に向かう。
その車中、オレは、霧子とアズサに元耳塚南高校の教師で、今は心霊研究家を自称する益井という男が同行する事を説明した。

一瞬驚いたように目を丸くしたが、
「別に構えへんけど?」
という霧子に対して、
「ちょっ!聞いてないんやけど?」
と、眉を潜めるアズサ。
アズサのリアクションはもっともだと思ったオレは、益井が八龍で体験したことを語った。
霧子は益井の体験談に対して特にコメントする事はなかったが、益井の同行に対して否定的な事は言わない。
しかしアズサは、
「でもさ…高校の時、そんな噂聞いた事ある?」
と尋ねてきた。
同じ高校を卒業したアズサだからこそ出てくる疑問である。
それは、オレも疑問に感じていた。
「そうやでなあ…そこはオレも気になってたんやけど…やっぱりさ、事件が事件だけに、あんまり公にはならんかったんちゃうかな?」
オレは自分の見解を述べた。
しかし、そこに霧子が
「冨田君も聞いた事なかったんや…木林君も?」
と質問してきた。
オレ達は、在学中にそんな噂を聞いたことをなかったと答えた。
霧子はそれを聞いて、少し口角を上げたように見えた。
「面白いよね…実はね…私が中学生の時なんやけど…私の友達の親戚がこっちの方におってね…今の話聞いて繋がったんやけど…その親戚の人、その益井先生と一緒に八龍に行った中の一人やったんやと思う…」
その霧子の言葉にいち早く反応したのはアズサだった。
「ちょっと待って!怖い怖い怖い!」
アズサは自分で自分の両肩を抱いてブルっと身震いした。
霧子の口から出た偶然の繋がりにより、益井の体験談の信憑性は増した。更に、その偶然が何者かが書いた筋書きのような気がした。アズサが怖がる様子を見て、オレにはそう感じられた。
「で?酒井さんは、その親戚の人から話聞いたとか?」
黙っていた木林が口を開いた。
霧子は、
「ううん…直接じゃなくて、友達から聞いたんやけど…その内容がほぼ同じやから、ああ、面白いなあと思ったねん…」
と答え、また口角が上がったように見えた。
この妖しい偶然を面白いと感じる者は少数であろう。
流石は刑而上民俗学部同期の紅一点である。
「その話さ、酒井さんの地元では有名なん?」
と、木林は質問を続けた。
「場所は伏せられてるけど、結構広まってると思うよ…私は友達から場所まで詳しく聞いてたから…」
霧子は先ほどの爆笑する姿とは違い、まさにクールビューティーを地でいくような表情で答えた。
「それはほんまに面白いなあ…地元で広まらんかった噂が別の土地では有名な噂か…オレ等形民の学生には面白い話やわ…なあ武市?」
木林は軽くない口調で答え、助手席のオレを見た。
「…まあ、面白くはあるけど、これから乗り込むとこやからなあ…あんまりええ気はせんわ…はははっ…」
おれの言葉にアズサが食いついた。
「そうやで!行く前からビビらせ過ぎやって!アンタ等はよくても、私は素人やからね!」
もう、その話はするなという意味か?
オレ達は必死なアズサの表情にまた笑気を爆発させた。
車はようやく末平運動公園に到着した。
オレは車から降りて、一人で益井と出会ったあのベンチに向かう。
照明に照らされたあのベンチに、男が座っている。
整髪料でキチっと分けられた七三分け、白い半袖のワイシャツ、首にはヒモ帯をしている。
濃紺のスラックスを履いているが、足元は薄汚れたスニーカーである。
そのスニーカーで、その男が益井であると判断し、
「益井先生!」
と、オレは男に声をかけた。
男はすっと立ち上がると、
「おお冨田殿!お出迎え感謝します!しかし…小生を先生と呼んで下さるとは…」
そう言う益井は、昨日はなかった黒縁の眼鏡をかけている。
レンズには無数の傷が入っているのか、白く曇っているように見えた。
「これからはそう呼ばせてもらいますわ!しかし先生、昨日と印象違うから、一瞬わかりませんでしたわ!」
オレの言葉に、益井は後頭部を掻きながら答えた。
「ははは、昨晩、あなた方は女性の方も来られるとおっしゃっていた。あなた方に御迷惑をかけてはと思い、銭湯へいき、一張羅を着てきました…」
一張羅…
かなり着古した上下は、それにふさわしくない傷み具合だが、その立ち姿は『教師』を感じさせた。
オレ達が車まで戻ると、全員が降車していた。
木林は車にもたれ、中古でない煙草を咥え、煙柱を立てていた。
みな、益井に会釈する。
益井は少し早足でみなの前までいくと、背筋を正して挨拶の言葉を述べた。
「こんばんわ、木林殿。本日は同行を許可して頂き、お迎えまでして頂き、誠にありがとうございます。また、女性の方々、初めまして…小生、市井の心霊現象研究家の益井と申します。本日はよろしくお願い致します。」
深々と頭をさげる益井。
木林はそっぽを向いて煙柱を立てたままだったが、霧子とアズサは丁寧すぎる挨拶に気圧されたのか、
「あ、酒井です…」
「さ、斎藤です…」
と、二人共深々と頭を下げた。
「ほな、行こか!」
オレはそう言って、また助手席に乗り込もうとした。
しかし、木林が、
「武市、後に乗る〜!」
と言う。
「えっ?」
と目を丸くしたオレに木林が小声で囁く。
「霊感するどいのに鈍感なんよ〜女子二人とオッサンを狭い後部座席に押し込める気か、お前は?」
木林の言葉に全てを察したオレは、
「先生!前に乗ってください!」
と、助手席のドアを開けて、益井に乗車を促した。
「あ、これは申し訳ない!」
益井は頭を下げながら助手席に乗り込む。
オレは後部座席に先に女子を乗り込ませた。
まずアズサ、霧子の順に乗り込み、オレは最後に乗り込んだ。
正直、真ん中は避けたかった。
知り合いとは言え、女性二人に挟まれるプレッシャーはオレにとっては耐え難い。
それなら一番端で、できるだけ女子にプレッシャーをかけぬようにGと戦う方が、気が楽である。
車は、八龍に向かって発信した…
時刻は現在、八時十分。
おそらく八時四十分くらいには八龍に到着する。



車は八龍近くにある公園の駐車場に到着した。
一番最初に降車したのは、オレだった。
途中、アズサが
「狭い!しんどい!」
を連発した為、オレは必死にGと戦い、かなりの体力を消耗したので、はやく新鮮な空気に身をさらしたかった。
アズサも逆のドアから降車すると、
「冨田君でかいんよ〜!」
と腰に手を当ててストレッチしている。
オレは、壮絶なGとの戦いが全て徒労であった事を悟り、同時に恨んだ…己の身体のデカさを…
『恵まれた体格』は、時として『迷惑な体格』になり得るのだ…
降車してきた木林と霧子の肩が上下に揺れていた。
さて、八龍はこの駐車場から階段を降りた所にある森、この公園の散歩道からも外れた暗い森の中にある。
トランクからバッグを取り出す木林。
その中には人数分のマグライトが入っていた。
木林は全員にそれを配る。
「何から何まで、すまんなあ木林。結構したんちゃうん?」
オレは感謝の言葉を述べた。
それに対して、
「霊障ならまだしも、しょうもない事で怪我とかされたら嫌やしな…どうせ武市、気ぃつけへんやろ?」
とオレに苦言を呈した。
どうやら、今はオレのターンではないらしい。
益井は緊張が表情に顕れている。
それはそうだろう、益井には因縁の土地だ。
霧子は、ジャージと同じ、赤いリュックを背負っていた。
結構、重そうに見えた…

オレ達は、駐車場の階段を降り始めた。
駐車場の照明が届く範囲はよかったが、その範囲を過ぎれば闇は深い。
みな、一斉にマグライトを点灯する。
五つの明かりが深い闇を照らす。
踏み外さぬよう、ゆっくり確実に一段ずつ階段を降りる。
オレと木林が並んで先頭を歩き、その後ろにアズサと益井。
何故か霧子は殿を歩く。
無事、階段を降りきったオレ達は、森の中に入った。
闇は更に深くなる。

ガサガサ

一歩踏み出す度に地面に溜まった落ち葉や小枝が音をたてる。
また、それらが腐った湿り気のある独特な臭いが鼻につく。
「めっちゃ怖いんやけど…やっぱり来んかったらよかった〜」
アズサが正直に現在の気持ちを口にして出す。
それを聞いて振り返ると、アズサの背後を何かが横切った。
それは森の小動物や、昆虫の類いではない事を、オレの霊感が告げていた…
第四話へ続く











2016年05月09日

扉シリーズ 第ニ章 『八龍』第四話 「憑依」著者:冨田武市

八龍にほど近い闇深き森の中…
アズサの後方を横切ったモノは、オレの内臓に微かなプレッシャーを与えた。
見れば、霧子も固まっている。
この微かなプレッシャーを感知したのならば、彼女も鋭いタイプなのだ…
オレの視線に気づいたのか、霧子は
「ははっ!」
と短かく笑う。
「何か、あったのですか?」
益井が眼鏡を小さく上下させながら尋ねてきた。
「いや、今あっちゃんの後ろに…」
益井の問いにオレが答え終わらないうちに
「いやあ〜!!」
という悲鳴が響いたあと、重大な霊障が木林に降りかかる。

バシバシ

アズサの前に立っていた木林の背中に、アズサの凶暴な張り手が遅いかかった。
「あっちゃん痛い!あっちゃん痛い!」
木林の悲鳴が響く。
アズサははっとして手を引っ込めるが、
「怖い事言わんといてよ!アンタ、アホちゃうか!?」
と、何故か木林を責める。
「オレちゃうやろ!しかも何たる張り手の威力!」
木林が背中を気にしながらアズサをたしなめる。
益井は呆気にとられ、霧子の肩は揺れている。
一行は気をとり直し、闇深き森の中を進む…
空気が肌にまとわりつくようだ…
かなり湿度が高いのだろう。
足元も少し緩い感じがする。
しかし、最近雨が降った記憶はない。
いくら日陰になっているとはいえ、こんなに湿り気を感じるものなのだろうか…
八龍が近いのか、内臓に重さを感じ始めた…
「あ〜ミスったな〜」
アズサの声が聞こえた。
振り返ると、アズサはかなり足元を気にしている。
そりゃあサンダルなんか履いてきているのだ、足はかなり汚れているだろう…
「あっちゃん大丈夫か?」
木林も察したのか、アズサに尋ねた。
「足ビチャビチャやわ…どうしてくれんの、コレ?」
アズサが木林に絡む。
木林は
「どうしてくれんのって、サンダルなんか履いてくるからやろ?」
とアズサを刺激する。
「無理矢理連れてきたのアンタやろ?責任とってもらうで!」
アズサは怒気を前面に出した声で木林を責める。
木林もそれを受けて応戦する。
「無理矢理って、断ればええやんけ!それに、責任とれってなんやねん!」
しかし、アズサは強敵であった。
「このサンダル、弁償な…明日、買い物連れていってもらうで…」
アズサの声には断固として己の意思を貫き通さんとする気迫に溢れていた。
もはや、木林に言葉はなかった。
身内の痴話喧嘩は、微笑ましくもあるが、聞くに堪えないものだと思った…
オレは空気を変えるために益井に話しかけた。
「先生…確か森を出たら、もう敷地内なんですよね?」
益井は、
「ええ…八龍がまだ営業していた頃は直接、車でこれたそうですから…おそらく駐車スペースが広めにとられていたのでしょう…それ故に敷地はかなり広いですな…」
と答え、手首で額の汗を拭っている。
そういえば、オレもかなり発汗してきている…
いやな湿度だ…
しばらく歩くと、樹々の密度が徐々に低くなり、ようやく森を抜けた。
益井の言った通り、かなり広大な敷地である。
地面は砂利っぽくなり、地面の緩さはかなりマシなようだ。
四方を森に囲まれている八龍は、上空から見れば発見は容易であろう。
森の中心あたりに、四角く切り取られたようにその敷地が存在している為だ。
料亭旅館として営業中していた頃は、隠れ家的な感じで、富裕層を相手に、なかなか繁盛していたらしいと聞く。
その『八龍』が今、オレの視線の先に存在している。
名前から、木造の日本家屋を想像していたが、意外にも、鉄筋コンクリート造りの建物だ。
四方を囲む森をバックに、月明かりに照らされた八龍は、充分な迫力を持ってオレを威圧する。
しかし何より、内臓へのプレッシャーが増している。
闇に紛れて、輪郭がおぼろげな黒い人影が揺らめくように数体蠢めいているのが、オレの目に映る。
「冨田君、見えてるよね?」
気がつくと、霧子がオレの横に立っていた。
「酒井さんも?」
尋ね返したオレに、霧子はひとつうなづいた。
二人して、広角が上がる。
木林はまた気色が黒っぽくみえるのか、常備のサングラスを外し、シャツの胸ポケットにそれをしまった。
「やはり、何か見えるのですか?」
益井が後ろから声をかけてくる。
「判然とはしませんけど、やっぱり居てますね…」
と、オレは控えめに答えておいた。
アズサは木林の後ろにピッタリ張り付いている。
ここの探索が終わったら、木林を問い詰めてやろう…
何故かはわからないが、オレは隣の霧子が気になった。
八龍を見つめる霧子の横顔を見ていると、
『睫毛、長いんやなあ…』
と見とれている自分に気づき、プッと吹き出してしまった。
それに気づいた霧子は、
「え?何?私また何か変な事した?」
と一歩離れてキョロキョロしている。
「ごめんごめん、何もないから、気にせんといて!」
オレは笑って誤魔化した。
霧子はまだ自分の匂いを嗅いだりして気にしてしているが、
「そろそろ行きませんか、冨田殿?」
と、益井が促してきた。
それを合図に、みな引き締まった表情になり、今度は益井が先頭を歩き始めた。




オレ達は『八龍』の正面玄関にたどり着いた。
やはり外観は旅館というよりホテル…鉄筋コンクリートの三階建てである。
看板はかなり錆びて傷んでいるが、ライトを照らすと何とか読む事ができた。
『御食事・御宿泊 八龍旅館』
と、おそらくそう書かれてある。
正しくは『八龍旅館』であるようだ。
しかし、正面玄関はベニヤ板が打ち付けられ、厳重に封印されている…
見渡すと、窓にもベニヤ板が打ち付けられている。
「あ、あ〜ん…これ、どうやって侵入するんよ?」
木林がもっともな疑問を口にした。
すると益井が、
「正面玄関はここですが、入り口はここではありません。さ、裏手に回りましょう…」
と言って建物の裏手に向かって歩き始めた。
オレも噂に聞いていた。
たしか、裏手にある窓や勝手口はここを訪れたであろう者たちに破壊されており、侵入は容易のはずだ。
今、この建物の持ち主がだれであったとしても、長年取り壊しもせずに打ち捨ててある建物を修理をするはずもない。
また、何か事件があったとしても、勝手に侵入した者の自己責任である。
裏手にまわったオレ達を
「ここが一番安全です。」
と、おそらく厨房の勝手口であろうドアに案内する益井。
ドアに手をかける益井…
ドアを開けるかと思いきや、益井はドアを取り外した。
益井は取り外したドアを慣れた手つきで、丁寧に壁に立てかけると、
「もし、この中で何かが起こり、逃走せねばならない時にドアが開かなくなっていたりしたらゾッとしませんか?」
と笑った。
ホラー映画の中では定石といえる展開だが、実際にそうなるのは御免こうむる。
益井の行動は正しいと思った。
みな、申し合わせたように一斉にライトで中を照らした。
業務用のシンクや冷蔵庫がそのままにされている。
フライパンなどの調理器具がわけのわからないゴミと一緒に地面に散乱し、あまり安全ではない。
「あっちゃん!気ぃつけろよ!サンダルなんやから!」
と、一番防御力が低い出で立ちのアズサを気遣う木林。
しかし、
「もうグチャグチャなんやから、手遅れ!」
と、足が汚れて不機嫌なアズサには逆効果だった。
しかし、中に入ると一層内臓にくる…
霧子もあまり体調がよさそうではない。
「あなた、大丈夫ですか?」
益井が霧子の様子に気づき、声をかけた。
「あ、まだ、大丈夫です。ありがとうございます…」
と答える霧子だが、声に力をがない…
「あなたも、鋭い方のようだ…飲まれぬようにお気をつけ下さい。」
益井のこの言葉を聞いて、オレは心霊現象研究家を名乗る益井の知識が確かなものだと感じた。
霊感の鋭い者が、霊体からのプレッシャー…『霊圧』とでも言えばよかろうか…その霊圧が高い場に入ると、霊障を受ける。
オレの内臓に感じるプレッシャーなどは明らかに霊圧である。
幼少から霊感が鋭いオレは経験を積んでいるし、叔母からの教えである程度の知識を持っている為、そうなる事はほとんどないが、『飲まれる』とは、その霊圧に負けて、体調不良になり、ひどい場合には行動不能…最悪の場合になると肉体を乗っ取られる…所謂『憑依』されるというやつだ…そういう状態に陥る事を、その筋の専門用語で『飲まれる』と表現するのだ。
霧子は、オレが感じるに、オレと同じくらい鋭い。
しかし、経験ではオレとは雲泥の差があるように感じられる…
この間の北尾の絵画事件の時に感じたプレッシャーと比べれば、全く問題にならないレベルである。
しかし、霧子は今、その低い霊圧に押されている。
オレはポケットからメンソールキャンディを取り出した。
この間、AYAさんに教えてもらったのだが、メンソールの清涼感は、霊圧による体調不良を和らげる効果があるのだという。
それで、ポケットに入れて五個持参していたのだ。
「酒井さん、これ舐めときや。ちょっとマシになるよ。」
オレはキャンディを霧子に手渡した。
「あ、ありがとう…」
霧子は包みを開けて、キャンディを口に入れた。
キャンディを口の中でコロコロと転がす霧子。
「どう?気分マシかな?」
オレは霧子に尋ねた。
「うん…ちょっとスーとしたかな…」
そりゃスーとはするだろう、メンソールなのだから…
「あ、頭がね!」
自分が当たり前の事を言ったと自覚したのか、霧子は少し笑いながら答えた。
霧子は頭タイプのようだ。
オレは胃からくるタイプで、AYAさんもそうらしいが、まあ、色々いる。
霊圧を受けると、瞼が痙攣するタイプ、唇が痙攣するタイプ、尿意をおぼえるタイプ…変わり種では、鼻の穴の周りが痒くなるという人もいるらしい。
それは、アレルギーの症状に似ているのかも知れない。
さて、厨房にはめぼしいものが何もない。
オレ達は厨房を出て、廊下に出た。
暗い。
建物の奥へ行けば行くほど暗くなるのは当たり前だが、人間は本能的に暗闇を恐れる。
やはりいい気はしない。
しかし、木林のライトは明るい。
どこから入手しているんだろう、これを…?
廊下を歩くと、引き戸の部屋を見つけた。
見ると、木製の看板が挙げられており、
『一龍の間』
おそらく、そう書かれている。
益井が口を開いた。
「ここ、八龍には一から八までの龍の名がついた客室があったようです…それをまとめて八龍という名前になったのかも知れませんな…」

それを聞いた時、何故かはわからないが、オレは激しい嫌悪感を覚えた…
その名前のつけ方がひどく不遜な事のように感じたのだ…

しかし、わからない事に思いを馳せている場合ではない…
隣で、何やらバシバシと音がする。
「ちょっ、やめろや、あっちゃん!痛いって!」
ライトで照らすと、アズサがまた、木林の背中を左手で叩いている。
アズサは、笑っている。
「あははははははっ!」
木林は、
「何やねん!ほんまにやめろや!」
とアズサを振り払おうとするが、アズサは笑ってやめようとしない。
はっとしたオレは、アズサの顔をライトっ照らした。

アズサの両目の瞳が、まるでそれ単体の生き物のように不規則にグルグルと回っている!

「ええ加減にせえ!やめろ言うてるやろ!」
ついに切れた木林がアズサを突き飛ばそうとした。
「待て木林!あっちゃんおかしい!」
木林ははっとして手を止めた。
霧子がアズサを抑えようと駆け寄る。
「斎藤さん!」
アズサの体に手をかけた霧子だが、それを凄い勢いで振り払うアズサ。
その勢いで背中から壁に激突する
霧子。
「あははははは、あははははは!」
アズサの笑い声が激しくなるにつれて瞳の回転が増しているように見えた。
突然の事に、オレ達は固まってしまった。
次の瞬間、アズサは手に持っていたライトを投げ捨て、走り出した。
更に深い闇の中へ、アズサの姿が消えていく。
アズサの履いたサンダルがコンクリートを打ち叩く音が、建物中に響いていた…
第五話へ続く






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2016年05月10日

扉シリーズ 第ニ章 『八龍』 第五話 「暗黒」著者:冨田武市

アズサのスピードは人間離れてしていた。
高校時代、陸上部の短距離ではエース格にあったオレが
『追いつけない』
と諦めるほどのスピードである。
人間は、己の身を守る為、本来の身体能力の数割しか使わないよう、本能的に制御しているという。
しかし、『憑依』された人間は、その制御装置がOFFになるらしい…
アズサはその異常なスピードで、ライトも持たずに、闇の中を駆けているのである。
それは、最早人間業とは呼べない。
「アズサー!!」
木林が叫びながら後を追いかけようと走り始めた。
危険である。
ライトがあるとは言え、この闇を中を走る事は二次災害を引き起こす可能性がある!
オレは全力でダッシュし、木林の肩を掴み、叫んだ。
「木林!とりあえず落ち着け!」
しかし木林は、
「邪魔すんな!」
とオレの手を振りほどこうと暴れる。
「落ち着け!とにかく落ち着け!」
何とか押さえようとするが、こうなった木林はなかなか言う事を聞いてくれない。
暴れる木林を抑えているのでやっとで、なかなか話ができない。
その時、

ピピー!!

場に相応しくないホイッスルが鳴り響いた。
ビクっとして音が聞こえた方向を見ると、霧子がホイッスルを咥えていた。
呆気に取られるオレと木林に対し、霧子は教育的指導のジェスチャーを見せ、
「二人共、落ち着いて」
と、涼やかな声で言うと、まるで申し合わせたように益井が口を開く。
「取り乱すのは無理もありません…しかし、二次災害を防ぐ為にも、我々は落ち着いて行動せねばなりません…斎藤女史は…明らかに憑依状態にあります…彼女は無自覚ながら強い霊媒体質の持ち主であるのかも知れない…しかしながら…あ、これは小生の見解に過ぎませんが、ここ八龍に存在する霊は地縛霊…即ち、何らかの理由や原因により、この八龍という場所に縛られた霊です…よって、斎藤女史…彼女はこの八龍から離れる事はない…どうでしょうか、冨田殿?」
地縛霊…その定義は今益井が口にしたのとほぼ同じ事を叔母から教えられている。
確かに、その定義の内にあるものならば、アズサは必ずこの建物の中にいるはずだ…
あくまで、定義の内にあるものであれば、の話だが…
おれは益井の問いに答えた。
「確かに、今、先生が言われた事とほぼ同じ事を叔母から教えてられてます…でも先生、霊という存在は僕等の知識では推し量れん存在です…叔母からいつも言われてます…霊に対しては、絶対に油断するなって…だから、早くあっちゃん見つけんと…」
益井は何度もうんうんと首を縦に振りながら、オレの言葉に答える。
「然り。あなたのおっしゃる通りです、冨田殿…故に、我々は心をひとつにして、このトラブルを乗り越えるべきなのです…逸る気持ちはわかります。しかし、今はゆっくり確実に探索を進める事がトラブル解決に対して一番の近道であると、小生は考えます…」
闇雲に追いかけるより、確実に一歩一歩という事か…
「でも益井さん!地下室!地下室がヤバイんでしょ!?もしアズサが地下室に行ってたら…!」
木林が声を荒げる。
しかし、益井はまたひとつうなづきながら、
「それは安心してください…私はあの日以来、ここを二百回以上訪れていますが、地下室はありません…無いのです…」
益井の言葉に耳を疑う…
益井は言っていたではないか、地下室に行ったと…
そこで大切な生徒を一人、失ってしまったと…
オレが惚けていると、木林が益井に噛み付く。
「いや、益井さん地下室の話してましたやん!一体どういう意味なんすか!?」
そこに霧子も、
「地下室ないんですか?私も友達から地下室の話聞いてたけど…?」
と疑問を口にする。
オレも噂で聞いていた。
地下室が一番ヤバイと…
益井は、
「申し訳ない…大事な所が抜け落ちていたようです…」
と頭を下げて、己の言葉の意味を語り始めた…
「小生はあの日、地下室に行った…それは事実です…あの日、我々は一階から三階までをくまなく探索し、一階へと戻りました。
しかし、大浴場の付近に先程は気がつかなかったのか、地下へ下りる階段がある…階段を降りると、そこは広さも、何の為の部屋なのかもわからない…正に、黒いインクで塗り潰されたような、真の闇でした…そして、そこで彼女は姿を消した…四宮という、女性徒でした…我々はその真の闇の中、ライトを頼りに彼女を捜索しましたが足取りさえ掴めない…我々はそこから出て、朝になるまで捜索を続けましたが、その甲斐はなく…後は警察に任せましたが、無いのです。あの地下室が…小生はそれ以来、先程申した上げた通り、二百回以上ここを訪れていますが、やはり無いのです、あの大浴場の近くにあった階段さえ見つからない…私は独自に調査し、この八龍がまだ営業中に仲居として働いていた女性に話を聞く機会を得ました…彼女は言っていました…地下室、そんなものは元々無い、と…」
元々…無い?
元々無いというのは、元々つくられてはいない、という意味か?
じゃあ、益井達は『有り得ない空間』に入り込んだという事になる…
それが引き金になったのか、おれは記憶の彼方に追いやっていた、叔母の話を思い出した…

オレが中一の頃、当時既にテレビ出演もしていた霊能者の叔母、甲田福子が年末の休暇で家に遊びに来ていた…
大晦日の夜、両親とオレ、叔母はコタツに入ってテレビを見ながらミカンを食べていた。
両親は横になってそのまま寝てしまい、叔母と二人、おしゃべりをしていた…
「叔母ちゃんさあ、霊能者やってて怖いと思った事ないん?」
オレは前々から思っていた疑問を叔母にぶつけた。
叔母は、はははっと笑う。
「そんなもん、怖がっちょったら商売にならんばい。…ばってん、叔母ちゃんが小学校ん時、本気で怖いと思った事はあったっちゃけど…」
叔母の声のトーンが落ちた。
それはオレの好奇心を刺激した。
「何よ何よ?教えてや!」
そう催促するオレに、叔母は真剣な顔で答える。
「お前も鋭いけんね…知っといた方がええかもね…よかばい、話してやるけん、よう聞き…」
そうして叔母は自分の体験を語り始めた。
「叔母ちゃんが小学校六年になってすぐばい…叔母ちゃんは山の中で友達と遊んでたっちゃけど、気づいたら叔母ちゃん一人になってたんよ…しかも、遊び慣れた山の中で道に迷ったっちゃ…叔母ちゃんもまだ小学生やったけん、泣いて彷徨い歩きよった…すると、トンネルみたいな穴が見えよった…その穴を覗いたら、穴の向こうが明るい…叔母ちゃん心細かったけん、明るいところに行きたい思って、その穴に入ってしもっちゃ…
穴をくぐるとな…そこは…お前にはまだ早いけん、こうとだけ言うとく…そこは、この世ではなかったばい…」
この世ではない…叔母の言葉のその意味を尋ねても、叔母は答えてくれなかった。
叔母は笑って誤魔化しながら話を続ける。
「そこには、うまそうな果物みたいなんがあった…叔母ちゃん、お腹も空いてたけん、それを食べようとして口に持っていったばい…そしたら、後から声がするんよ、『それ食べたらいけん…』って、叔母ちゃん振り向いたら、凄い大きい男の人が立ってるんよ…お前のお爺ちゃんの倍くらいあったから三メートル以上はあったかもしれん…そんでね、その男の人、顔の真ん中に大きな目が一つなんよ…一つ目ばい…でも、不思議と怖いっちゃ思わんかった…『それ食べたら帰れんなるけん、やめときなさい』って男の人が言うた…叔母ちゃん、そこで怖くなってね…その果物みたいなもんを投げ捨てたっちゃ…そしたらそれが地面に落ちて潰れた拍子にオギャーって赤ちゃんみたいに泣いた…叔母ちゃん、また怖くなって大泣きしたんよ…そしたらその男の人が、『かわいそうに…迷いこんだんか…おじちゃん送っていってあげるけん、家に帰りや。』て言うて、叔母ちゃんの手ひいて洞窟の外に連れていってくれた…気がついたら、目の前に友達がおって『福ちゃん、どこ行っちょったんよ!』って怒られた…武市、よう覚えとき…変なとこ、有り得んとこに迷いこんだら、そこはこの世とは違うとこに繋がってるんよ…その入り口も突然、どこに繋がるかもわからん…そやから、忘れんと、よう覚えとき…」

叔母とのその記憶が、鮮やかに脳裏に蘇った。
この世ではない世界…
天国や地獄、黄泉の国、常世の国…呼び方は数あれど、そこは生きた人間が行っていい場所ではない…叔母は、運が良かったのだ…

「とりあえず、その大浴場に行ってみましょ!まずはそこを確認しましょ!」
オレは益井に声をかけた。
益井は、
「ええ、それが今、我々が一番先にすべき事ですな…」
とライトを廊下の先へと向けた。
ライトの光が届かぬ空間は、まさに暗黒だった…
第六話に続く

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