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2016年05月05日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第一話 「霧子」著者:冨田武市

ふー

星のきれいな夜空に、昨日から始めた煙草の煙が溶け込んでいく…
自室の窓枠に腰掛け、煙草をふかしていると、少し大人になった気分に浸れる…
オレが煙草を覚えたのには訳がある…
親友、木林からの影響だ。
オレと木林は、週に一、二度、オレ達が暮らす泉佐川市が運営する『末平運動公園』の駐車場でダベる事がある。
四日前の夜、そこでダベっている時だ…
木林の黒いシャツの胸ポケットに煙草とライターが見える。
「あ、あ〜ん、胸ポケットから見慣れぬ四角いもん見えてんよ〜」
オレはそう木林に尋ねた。
すると木林はニヤっと口角を上げながら、胸ポケットから箱とライターを取り出す。
銘柄は『COLD』のメンソール…
木林はそいつから一本抜き取り、口に咥えると、ライターで火をつけ、一服吸い込むと、フーと夜空に向かって一筋の煙柱を上げた。
「この世には煙草というものが存在してるって知ってんけ?」
と笑う。
木林のその姿が、大人に見えた。
オレと木林はどちらかとい言えば嫌煙家であったのだが、大学に上がり周囲に喫煙家が増えた事により、許容範囲が広くなっていた。
更に、『ロビンフッド』というなかなかいかした店名の女性向けバーでバイトしている木林、ある日、客の女性達から煽られ、煙草を口にしたらしい。
すると、なかなか悪くない。
これさえあれば、強敵揃いの大人の女性とも対等に戦える気がする。
そんな思いから、煙草を始めたらしい。
親友がクールな大人に見える。
なら、このオレとて、そいつを身につければ大人に見えて然り!
そういう経緯があり、オレも今、夜空目がけて煙柱を立てる身になった。
しかし、困った。
今、オレの目に女性…
白いブラウスと濃紺のスカートをはいた痩せた女性が浮いている姿が見える。
自宅の二階にある自室の窓、そこから十メートルほど離れた場所で浮いている女性…
明らかに生きている女性ではあるまい。
内臓にそこはかとないプレッシャーを感じる。
プレッシャーを感じるという事は、それは『霊障』である。
まあ、蚊に刺されたのと変わらないような、微かな霊障ではあるが…
明らかにこちらを見ている女性の霊…
放っておけば、そのうち搔き消えるだろうが、寝ている時に金縛りに遭いでもしたら面倒だ。
まあ、百歩譲って彼女の胸が豊満であったなら、胸の大きな女性が好みのオレである、
例え金縛りに遭うとて、両手を広げ受け入れる準備はある。
しかし、今オレの目に映る彼女のそれは豊満ではない。
これは就寝後の無意味は苦しみを回避する為、断固としてこちらの意思を伝えておく必要がある。
オレはタバコを咥えながら、
『当方ニ胸ノ豊満デナイ女性、受ケレノ意思無シ、早々ニ立チ去ラレタシ』
と両手で大きく、旗信号のようなジェスチャーと共に念を送った。
それが届いたのか、判断をつける術は持たないが、しばらくすると女は夜の闇に溶け込むように、ゆっくりと消えた。



北尾の『絵画』事件から二週間が過ぎ、夏休みも終わりに近づいた夜…
オレには、あの事件以降、自分の霊感が徐々に鋭くなっている感覚があり、不安をおぼえていた…
また一本煙草をふかす…
立ちのぼる煙柱が、その不安と共に夜の闇に溶けていけばいけば命に…と漠然と思った…

「冨田君?『八龍』って聞いた事ある?」

翌日、朝から大学に顔を出し、カフェでコーヒーを啜っていると、同じ『形而上民族学部』の同級生である酒井霧子がそう声をかけてきた。
酒井霧子は入学当初より美人で有名であった。
長い黒髪をポニーテールにし、色白で小さな輪郭の中、目は切れ長で瞳が小さめ、すっと通った鼻筋の下には知的な薄い唇が配置されており、赤いフレームの眼鏡が白い輪郭に映えた。
身長は高めで、おそらく165センチ以上はあろう。
痩せて手足が長く、所謂モデル体型だ。
ゆえに、薄化粧でも学内を歩けば十分に目立つ。
しかし、彼女に声をかける男子学生は少ない。
彼女から発せられるミステリアスなオーラが男子学生のよからぬ欲望を寄せ付けないのだと思う。
オレにはそのミステリアスなオーラが何に起因するのか、何となく感じられていた。
酒井霧子…
彼女もオレと同じ霊感が鋭いタイプの人間なのだ。

霧子はオレの向かいの席に座る。
手にはアイスティーを持っていた。
「あ、ああ…知ってるけど?」
オレは何となく照れたような口調で答えた。
『八龍』…
地元では有名な心霊スポットである。
泉佐川市の隣、耳塚市の山手にある、元は料亭旅館だった廃屋である。
謂れに諸説あるが、おおまかには経営不振に陥った『八龍』が倒産し、そのまま打ち捨てられ、廃屋と化し、以来『出る』と噂が流れ、若者の肝試しの場となったという、まあ、ごくありふれた噂しかない心霊スポットである。
オレは行った事はないのだが、場所と進入方法は知っていた。
霧子は真剣な表情で前のめりの姿勢になると、
「連れていってもらわれへんかな?」
予期せぬ言葉であった。
霧子がその気になれば、まあ下心のオマケ付きではあろうが、喜んでそれに応じる男は多かろう。
何故、オレなのか?
まあ、美人からの誘い、悪い気はしないが…
オレは笑いながら答えと疑問を投げてみた。
「別にええけど…てか、何でオレやねん?」
オレの言葉に霧子は迷いのない声で即答した。
「頼りになりそうやから。」
頼りになりそう…?
どうやら霧子も感じていたようだ、同種の人間であろうと…
その時、背後から声がした。
「あ〜ん武市!酒井さんとお茶してるとは、なかなかの奮起見せてんよ〜」
振り返らなくてもわかる声…
木林である。
「冨田君が女の子とお茶してるの初めて見た!」
木林の隣からも聞き覚えのある明るい女性の声がする。
振り返ると、斎藤アズサがいた。
耳塚南高校時代の同級生…
高校時代は水泳少女だった彼女…
ショートカットで日焼けしていた印象はガラッと変わり、少し明るくなった髪色、ショートカットは相変わらずだが、パーマをかけたのかフワッとしたボリュームが女性らしさを増している。
服装は白いTシャツにジーンズだが、少し濃いめの化粧が女性としての成熟を感じさせた。
「久しぶりやな、あっちゃん。えらい大人っぽくなったやん?」
オレは高校卒業以来半年前近くの間、顔を合わせていなかった彼女に素直に再会の感想を述べた。
「へへへ…そっちも少しは成長したみたいやん、男として?」
あっちゃん…いや、アズサはまんざらでもないという感じで笑いながら、霧子に悪戯っぽい視線を送る。
しかし、軽く会釈しながらアズサに視線を返す霧子の目には
『そういう事ではない』
という意思がありありと見えた。
木林とアズサは近くからイスを引っ張ってきて、同じテーブルについた。
木林はトマトジュース、アズサは霧子と同じくアイスティーを持参していた。
女性はアイスティーが好きなんだな、とオレはアイスティーに目をやった。
「ほんで?撃沈か、武市?」
木林が唇から気を漏らしながら尋ねてくる。
「まあ、そんな用件やったら海の藻屑は必至やけどな…でも違うねん…彼女、八龍に連れていって欲しい言うてな…」
オレは霧子に視線を送りながら答えた。
「八龍?あの心霊スポットの八龍か?」
木林が尋ね返す。
すると、アズサがそれに被せるように、
「あ、知ってる!めっちゃヤバイんやんな?」
と目を輝かせてアピールしてきた。
めっちゃヤバイのかどうかは知らないが、
「へぇ、あっちゃん行った事あるん?」
と尋ねてみた。
「いや、私は行った事ないねんけど、あ、冨田君さ、河下君って覚えてる?」
河下…
高校時代の同級生で、結構いい奴なのだが、常に出会いを求める女性の関係にどん欲な男だった。
木林が
「あ〜ん河下!あの下心の塊がどうかしたのかい、あっちゃん?」
と オレより先にアズサの質問に答えた。
しかしアズサは少し声のトーンを落として
「その河下君な、今は専門学校に行ってるんやけど、そこの友達と、その八龍に行ったらしいねん…そこでめっちゃ怖い体験したみたいで…今、入院してるんやて…」
と答えてアイスティーに口をつけた。
少しテンションが下がるオレ達。
しかし、空気を察した木林が明るい声で
「ははは!まあ、あいつの事やから入院先の看護士さん口説いてエンジョイしてる事やろ!」
と場を和ませる。
「ははは!まあ、噂やからホンマかどうかはわからへんしね!ははは!」
アズサも続いて笑う。
しかし、霧子の目が鋭さを増した事に、オレは気づいた。
そこからしばらくの間、オレ達の高校時代の話になったが、霧子は黙って、薄く微笑みながらその話を聞いていた。
その様子に気づいた木林が霧子に尋ねた。
「酒井さん…八龍ってどこで知ったんよ?」
その問いに霧子が口を開いた。
「うん…私、那良から来たんやけど、那良でも有名でね。こっちに来たら行ってみたいと思ってたねん…」
意外にフレンドリーな口調に少し驚いた。
クールに見えるが、やはり同じ歳の学生なんだな、と思った。
霧子の返答にアズサが尋ねる。
「でも、また何でそんなとこに行きたいと思うん?そんなん好きなん?」
霧子は少し考え込んでから
「うん…小さい頃から、何でかそういうの好きなやってね…本とかテレビとかそんなんばっかり見てきたから…それもあって大学も刑民あるここを選んだし…あはは、変わってるやろ?」
初めて見る霧子の屈託ない笑顔に、オレは一瞬心を奪われた。
やはりそうだ。
霧子はオレや木林と同種の人間である。
目に見えない存在や事象に対する本能的な興味…
その知的欲求に支配されたタイプの人間なのである。
木林もその匂いを感じとったのか、
「酒井さん、オレ等も一緒に行ってええかな?」
と前のめりで申し出る。
「こんな武骨なゴリラみたいなんと二人きりは面白ないやろ?」
木林が続ける。
確かに、こんな美人と二人っきりで心霊スポット探訪など、正直どんな顔をすればいいのかさえわからない。
そうしてもらえるなら、それはゴリラとしてはありがたい。
しかし、そこにアズサが噛みついた。
「ちょっとアンタ!等って何よ?私も来いって事?」
木林をアンタと呼ぶアズサ…この二人、いつの間にそんなに距離を縮めていたのか?
「ええやんけ、あっちゃん!夏休み最後の思い出作りになるやんけ!」
アズサの言葉に無邪気に返す木林。
「アンタ、私がそんなん苦手なん知ってるやろ?」
知らなかった。
アズサはオカルト関係を苦手にしていたのか…
しかし、やはりこの二人の距離は高校時代より格段に縮まっていると感じた。
「苦手なら克服すべきやろ?よっしゃ!この四人で八龍に乗り込もうやないか!」
木林の中では既に決定事項らしい。
オレは、
「酒井さん、それでもええかな?」
とおそるおそる尋ねてみた。
霧子はオレの言葉に迷いを見せる事もなく
「うん、ええよ。二人より四人の方が心強いし、楽しそうやしね。」
と、言ってアズサの方をニヤリと見やる。
「え?嘘やろ酒井さん?ていうか、酒井さんてそんなキャラやったん?」
アズサが狼狽して霧子に突っ込む。
霧子はまたニヤリとして、
「うん、そんなキャラ」
と答えた。
アズサはガクリとうなだれて、それ以上何も言わなかった。
かくして、オレ達四人は明後日の土曜日の夜に八龍へと乗り込む事に決定した。
また木林が車を出してくれるそうだ。

翌日の深夜…
オレと木林は末平運動公園の駐車場にいた。
いつもの定席である青いベンチに座り、オレが飲み終わった缶コーヒーの空き缶を灰皿代わりに、煙柱を立ちのぼらせながらアホ話に華を咲かせていた。
「しかしよぉ、河下が入院したってホンマなんかなあ?」
オレが河下を話題に出すと、木林が唇から笑気を爆発させた。
「あ〜ん真実なら気の毒やが、そんな面白い話あるか〜よ!」
木林は腹を抱えながら足をジタバタさせながら悶絶している。
オレも唇から笑気を漏らしながら
「うむ。真実ならば奴の事、調子に乗って先頭を歩いていたであろう事、請け合いやな?」
と木林にその続きを促す。
木林はアヒアヒと悶絶しながらも続ける。
「先頭でありながら、逃げる時も先頭を走っていたであろう事、請け合いなんよ〜!」
木林の答えにひとしきり爆笑した後、オレは口を開いた。
「しかし、それが真実なら、八龍が危険な所であるという信憑性が高い事になるなあ…」
その言葉に木林の笑いが沈静化し、木林がなにか言おうと口を開いた瞬間、

ガサガサ!

ベンチの後ろにある植え込みから物音が聞こえた。
ハッと振り返るオレと木林。
すると、植え込みの中から人間の上半身が姿を現した。
丸い輪郭の上部は脂でペッタリとした七三分け、丸く小さい目に同じく丸い鼻、横に広い口にぶ厚めの唇の周りは中途半端な無精髭に覆われ、着用している衣服は少し黄ばんだように見える白いランニングシャツ。
呆気にとられるオレ達に向かって横広な口が言葉を発する。
「突然失礼!小生、益井嵩と申す市井の心霊現象研究家!あなた方の興味深い話に惹かれ、無礼を承知で参上した次第!どうか小生も会話に混ぜて頂きたいと欲しますが、返答やいかに?」
その男からは、何日も風呂に入っていないような、すえた臭いがした…
第二話に続く


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2016年05月06日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第ニ話 「中古でない煙草」著者:冨田武市

益井と名乗る男は、ガサガサという物音を気にするでもなく、植え込みから出てきた。
上半身には白いランニングシャツ…公園に備えつけられている照明に照らされたランニングシャツは、やはり黄ばんで見える。
下半身には紺色の作業ズボンをはいている。
ベルトは巻いておらず、デップリと突き出た腹によってズボンが下がらずにいるらしく見える。
怪しい人物の登場に木林の本能が危険を察知したのか、木林が得意の鋭い中段蹴りを繰り出すモーションに入ったのをオレは見逃さず、くいっと木林の黒い袖を引いた。
木林は一歩後ずさりながらオレの顔を見ていた。
「いや、驚かせてしまって本当に申し訳ない!」
益井はそう言いながら両の掌をオレ達に見せる。
「オッサン何者な︎」
木林が敵を見る目で益井に怒鳴る。
「怪しい者ではありません!私はただの市井の心霊現象研究家です!」
これほど信用できない言い訳を聞いた事がない。
「何が怪しい者じゃないや!どない見ても、明らかに曲者やんけ!」
木林がまた怒鳴る。
曲者…
彼にはふさわしい身分であろう。
「何をそんなにお怒りなのか?私はただ、あなた方の魅力的な会話に混ぜて頂きたいと思う一心で…」
そういえばそんな事を口にしていた…
この益井という男、自分の事を心霊現象研究家と名乗ったな…
オレ達はここでよく怪談話で盛り上がったりしていた。
この間の北尾の絵画事件についてもここで語りあったりしていた。
もしかして、この男は以前からオレ達の会話を盗み聞きしていたのではあるまいか?
木林はまだ敵意むき出しの眼差しで益井を睨みつけている。
益井は額に汗を滲ませてまだ両の掌を見せたままだ。
オレは、このまま睨みあいを続けるのも不毛と思い、
「益井さん、でしたっけ?とりあえず、こっちに座りません?」
と立ち上がって席を空けた。
木林は
「おい、待てや武市!」
木林が声を荒げる。
しかし、オレはニヤニヤしながら木林に
『まあ、ええやん』
と視線を送った。
木林は
『嘘やろ?』
という顔でこちらを見たが、それは無視して益井をオレが座っていた場所に座らせた。
憮然とする木林は席に座らず、完全に益井に背を向けている。
益井は木林に警戒心を向けつつ、
「いや、かたじけない…あ、トマトジュースの方…」
トマトジュースの方?
益井は木林の方を向いている。
トマトジュースの方とは木林の事であろう。
確かに木林は普段からトマトジュースを愛飲し、ここでもトマトジュースを飲んでいる。
木林は自分がトマトジュースの方と呼ばれたのだと気づくと凄い早さで振り向き、
「誰がトマトジュースやねん!」とまた蹴りを繰り出そうとする。
オレはまた木林の黒い袖を引っ張り、
「木林、やめとこ」
と一言お願いした。
木林はまた益井から目を背けた。
木林をトマトジュースの方と呼ぶなら、
「益井さん、僕はコーヒーの方ですかね?」
と笑いながら尋ねた。
益井はそれにこう返してきた。
「ああ、誠に申し訳ない…実は、以前よりあなた方の魅力的な会話が拙宅まで聞こえてきておりまして…」
拙宅?
という事はこの近くに自宅があるのか?
ここは市が運営する公園、つまり公共の土地であって、決して宅地ではない…
オレは益井の身分がただの曲者ではなく、違う何者かである事を理解した。
益井は続ける。
「心霊現象研究家である小生にとって、あなた方の会話は実に、実に魅力的なのです。小生は時折聞こえてくるあなた方の会話に混ざりたい、混ぜてもらいたいと悶々としておりました…で、会話の中からあなた方のお名前は存じてはいたものの、親しみと尊敬の念をこめて冨田さん、あなたをコーヒーの方、木林さんをトマトジュースの方と呼ばせて頂いておりました…無礼は承知…何卒お許し願いたい…」
益井は深々と頭をさげる。
見た所、四十くらいの中年である。
その中年がまだ成人式を迎えていない我々に深々と頭を下げているのである。
身なりは悪く、喋り方に強い癖がある…
また、宅地でない土地に家を建てる事はよくない事だが、精神的には高潔な人物であろう、とオレは感じた。
そして、何故かはわからないが、この益井という人物を愛らしく感じる自分がいた。
「あ、益井さん、煙草吸います?」
オレは自分の煙草を益井に差し出した。
銘柄は『LOWLIGHT』だ。
「あ、これは…実は小生、若き頃より愛煙家でありましてな…よろしいのですか?」
益井が目を輝かせて前のめりに確認してくる。
「遠慮せんとやって下さい。」
そういって一本抜きとって益井に手渡した。
少し高揚した表情で煙草を受け取ると、口へ運ぶ益井。
横では木林が信じられぬという表情でその様を見ている。
それに構わず、オレは益井が咥えている煙草に火をつけるべくライターを点火した。
「至れり尽くせり、申し訳ない!」
益井はクイっと首を出すとライターの日に煙草の先をつけると、一息、ゆっくり大きく、吸い込んだ。
目を閉じ、深く、おそらく久しぶりであろう煙の味を満喫する益井…
その姿が何故か絵になった…
益井は口から一筋の煙柱を立てた後、
「う〜む至福…中古でない煙草を味わったのは何年ぶりの事か…」
と独り言のように呟いた。
『中古でない煙草』…?
それが未開封の煙草を指すのではない事はわかる。
それはおそらく、他人の吸いかけでない煙草を指しているのであろう…
彼は、何者からも守られる事のない、ハングリー極まりない野生に近い生活をしているのであろうと、オレは確信した。
木林は一言も声を発しない。
しかし、手で口を押さえ、その肩は揺れている。
『中古でない煙草』…
そのワードが、木林の笑気を刺激したのだろう。
オレは益井の横に腰をかけた。
「益井さん、中古でない煙草を楽しみながらでいいんですが…益井さん、心霊現象研究家っておっしゃってましたよね?どんな研究をされてるんですか?」
オレは益井に尋ねた。
すると益井は目つきを変え、姿勢を正すと、
「聞いて頂けますか?」
と尋ね返してきた。
「もちろん…聞かせてもらいたいのはこっちの方ですよ…」
オレは笑顔で答えた。
益井は一つ頷くと語り始めた…
「実は小生、若かりし頃は高校の教員の職にありまして…」
意外と言えば意外だが、喋り方から、何か納得させられた。
「小生は社会科教師で、担任も持っておりました…あ、お二人は高校はどちらを御卒業で?」
益井の問いに、オレは即答した。
「二人共、耳塚南ですが…」
すると益井は目を丸くして答えた。
「何という運命の悪戯!小生、その耳塚南に勤務しておりました!」
偶然とは恐ろしいものだ。
こんな事があるものか?
木林も目を丸くしている。
「いやあ、我々はここでこうして出会う運命にあったのでしょうか?はははっ!」
益井は上機嫌でまた煙草をふかす。
「しかし小生が勤務しておりましたのは、もう十年も前の事…あなた方には無関係な人間になりますな…まあ、それはさて置き、ある日、小生は生徒達数名から誘いを受けました…一緒に心霊スポットに行ってみないか?と…」
今、益井は心霊現象の研究を始めた理由から話してくれている…
こちらはそこまで遡って話してくれとは言っていないのだが…
しかし、生徒から誘いがあったということは、それなりに人気のある先生だったたのだろう。
「しかし、当時の私は心霊現象など信じておらず、ただ単に危険であると判断しました。ゆえに、教師として生徒を危険な場所へ連れていくわけにはいかない…当然、小生はやめるよう指導しました。しかし、生徒達はしつこく誘ってきました…当時は小生も若かった…それが嬉しく、ついに承諾してしまいました…それから数日後の夜、小生は生徒六名と共にある廃屋に忍び込みました…そこは『八龍』という看板が上がった元は旅館らしき廃屋でした…』
八龍…
明日の夜、オレ達が乗り込もうとしている心霊スポットだ…
木林もそのワードに反応している。
「先ほどあなた方の会話の中にその八龍という言葉が出た瞬間、小生は半ば本能的にあなた方の前に出てしまいました…木林殿、いきなりの無礼、平にご容赦願いたい…」
益井はまた、深々と頭を下げた。
木林はさすがに許さざるを得ないといった表情で、
「べ、別に、もういいっすよ…」
と、声はまだ憮然としているが、謝罪は受け入れたようだ。
「かたじけない…して、小生はその八龍での体験により、心霊現象の研究に人生を捧げる事となったのです…」
益井は、表情は緊張の色を強めた。
「八龍は極めて危険な場所です…小生はあの場所で、大事な教え子を一人、失ってしまった…」
益井は目を閉じて、うなだれた。
失ってしまった…
それはそこで、命を落としたというう事か?
「益井さん…いや、益井先生、それはどういう事ですか?」
オレは話の続きを待てずに、益井に尋ねた。
益井は顔を上げると力のない笑顔で話を続けた。
「厳密には、彼女が亡くなったのかどうかもわからない…消えてしまったのです…私の目の前で…」
彼女という事は女子生徒だったのだろう…
しかし、消えたとはどういう事なのか?
「小生を始め、他の生徒もあそこで何も見ていない…しかし、彼女が消えた瞬間を、そこにいた人間全てが目撃したのです…我々が地下室に足を踏み入れ、探索していた時です…各自、手に持ったライトで辺りを照らしていました…その最中に彼女が『あっ…』と声を上げました…我々は一斉に彼女にライトを向けました。
ライトは一瞬、彼女の姿を照らし出しました…しかし、その瞬間に彼女は何かに引っ張られるように闇の中に消えたのです…!』
益井の目には、それを作り話ではないと確信させる、何らかの強い意志がこもっていた。
「我々は何が起こったのかもわからず、しばらくその場に固まってしまいました…しかし、正気を取り戻した後、必死で彼女の姿を探した…しかし、手がかりすら見つからない…朝になり、多少は明るくなったものの、彼女の姿は見つからない…小生、覚悟を決めて警察に届け出ました…しかし、警察の捜索もむなしく、彼女は現在も行方不明のままなのです…小生は当然、罪に問われましたが、生徒達の証言もあり、罪はごく軽いものになりました…しかし、小生は全てを失った…大事な教え子を許さざるを知れずにしてしまった、当然の報いです…いや、小生はその罪を全く償えていない!」
益井は、今も教師としての魂を失っていないのだ、とオレは感じた…
「故に小生、決意しました…必ず彼女を取り戻すと!その為には彼女に何が起こったのか、知らねばならない…そうして行き着いたのが、心霊現象に対する研究でした…しかし、それに没頭するあまりに今のような生活に…彼女に対しても申し訳ない事です…」
益井はそう言って、摺り切れそうな膝を叩いた。
益井の胸中には、オレが想像もつかない壮絶な罪悪感で満たされているのだろう…
「小生は、様々な書物を読み漁り、多くの人物から話を聞かせて頂き、彼女に起こった事についての手がかりとなる心霊現象についての記述がある、ある書物に辿り着きました…それは、甲塚誓ノ介という人物が書いた『ある失踪事件の真相について』という論文的な小冊子でした…」
甲塚誓ノ介…
一度しか会った事はないが、オレが在籍する形民…形而上民族学の教授の名である。
甲塚教授はオカルト界では知らぬ者のない権威中の権威である。
「うちの教授ですね、その人…」
ボソっと呟いたオレの言葉に益井が凄い勢いで食いついた!
「何と︎あなたは泉大の形而上民俗学部に御在籍で?」
オレは益井の勢いに気圧されながら答えた。
「は、はい…でも、入学直後に一回会っただけで…」
それを聞いた益井は落胆の色を見せて
「一度お会いして教えを乞いたいと思っていたのですが、やはり御多忙のお方、難しそうですな…」
と下を向いた…
「その書には、こんな記述がありました…今から何十年も前の事…場所は記述されていませんでしたが、小生の体験と瓜二つの事件があったようなのです…甲塚師は、それについてこのように記述なさっておられた…霊体は本来、同次元にある霊体にのみその影響を及ぼせるものである。しかし、時にその念の強さ故か、次元を飛び越えて肉体に影響を及ぼせる事もあるようだ。金縛りや虫の知らせといったものはその代表的な例であろう…其れ等は、甚だしい場合には生きた者を生きたまま死したる彼らの住まう次元へと引き込む事も可能のようである、今回の事件の真相を私はそう結論づけた。しかし、その原理は未だ不明であり、現在の私の研究対象である…と。その書物が書かれたのが今から五年ほど前…甲塚師は、その原理について何らかの結論を出されたのか…御存知ではありませんか?」
オレは益井の迫力の気圧され、ただ首を横に振るしかできなかった…
益井はまた落胆の色を見せる。
「それはそうでしょうな…いかに甲塚師とて、簡単に結論にたどり着くような簡単な問題ではない…」
しばらくの沈黙のあと、木林が口を開いた。
「しゃあないな…」
オレと益井は目を丸くして木林を見た。
「オレ等、明日八龍に行く事になってるから、一緒に来たらいいっすやん…こいつ叔母さんがあの甲田福子先生で、めっちゃ霊感強いから、何かわかるかも知れんし…」
木林…こいつが女性にモテるのがわかる。
困っている人は、放っておけない質なのだ…
益井は顔を紅潮させ、
「よ、よろしいので?」
と尋ねる。
木林は溜息をつきながら、
「アカンかったらこっちから言わんでしょ?明日の八時頃迎えに来るから…ここで待ち合わせでいいですね?」
と言ってあちらを向いた。
「感謝いたします、木林殿!」
と、益井は歓喜の声をあげ、
「実は小生、あれから何度か八龍に足を踏み入れたのですが、根っからの鈍感なのか何を感じる事もありませんでした…しかし、あなた方の会話から冨田殿が霊感の鋭い方である事は存じておりました!しかも叔母御があの甲田福子師とは!誠に申し訳ありませんが、木林殿、あなたのご好意に小生、甘えさせて頂きます!」
紅潮する中年の横顔を見ながら、このオッサン、実は計画的な確信犯ではないのか?と、オレは思った…
第三話に続く









2016年05月08日

扉シリーズ  第ニ章 『八龍』 第三話 「アズサ」著者:冨田武市

昨晩…
オレと木林は、元オレ達の出身校の高校教師で、現在は無職の自称『市井の心霊現象研究家』である益井という男と出会った。
彼の壮絶な過去を聞かされたオレ達は、彼も八龍探索メンバーに誘い、オレ、木林、霧子、アズサ、益井の五名で、彼の地に挑む事となった…
夜七時すこし前、木林が迎えにきてくれた。
遠慮なく助手席に乗り込むオレ。
親父さん自慢の国産高級車の運転には慣れたようで、ハンドル捌きに余裕が見られる。
「いつも悪いなあ…でも親父さん、コレ大事にしてるんちゃう?
よく貸してくれるなあ?」
リラックスして独り言のように呟いたオレの問いを、木林は完全にスルーした。

親父さんに無断で拝借してきたであろう事請け合いである…
続いて車は霧子宅に向かう。
霧子から渡された地図を頼りに車を走らせるが、車は狭い路地に入り込んだ…
「武市!ほんまにこの道で合ってるんか!?」
木林のカリカリした声が車内に響く。
「…合ってる、はず…」
地図を見ればこの先に霧子のアパートがあるはずだが、すこし油断すればすぐガリガリと音をたてそうな狭い路地…
この先に本当にアパートなんかあるのか?
「あ、あ〜ん…極めて運転しづらい道なんよ〜!八龍行く前から、もはや霊障に苦しまなアカン、この気持ちよ〜!」
助手席にいても、木林の気持ちはよくわかる。
オレもこんな道を車で走りたくない…
途中、道の真ん中で立ち塞がる猫という最大の霊障をクラクション連打で乗り越え、路地を抜ければ、そこは開けた空間だった。
そこには、こじんまりとしているが、真新しい印象のアパートが建っている。
おそらく一人暮らしの女性向けなだろう。
そのアパートの前に赤いジャージに身を包んだ女性が立っている…



霧子?酒井霧子︎
「さ、酒井さんやでな、あれ…?」
木林が目を丸くして固まっている。
これは酒井霧子のかなりレアな姿だ…
クールビューティー、それが彼女に対する大多数の者がもつ印象である。
霧子はそれを見事にぶっ壊してみせてくれた。
運転席で固まる木林をそのままに、オレは車外に出て霧子に声をかけた。
「酒井さん!」
霧子はそれに反応して、こちらに駆けてくると、
「こんばんわ」
と緊張気味に頭を下げた。
「こ、こんばんわ!」
霧子の緊張に飲まれ、オレも緊張気味になってしまう。
オレは後部座席のドアを開けて霧子に乗車をうながす。
「あ、ごめんね…ありがとう…」
霧子はそう言うと後部座席に乗り込んだ。
木林はまだ信じられないといった表情で
「こ、こんばんわ…」
と呟いた。
霧子は、
「こ、こんばんわ…今日はあ、ありがとう…」
とまた緊張気味に返す。
異様な雰囲気の中、車は発進した。
次は最寄り駅まで電車で来ているアズサの元へと向かう。

車中は沈黙に支配されていた。
運転に集中する木林…
流れる景色を見つめるオレ…
同じく景色を見つめる霧子…



霧子が沈黙を破る。
「…ジャージやよね?」
その小さな呟きが、木林とオレの笑気を刺激した。
「何でジャージやねん!」
木林が笑気を爆発させながら突っ込む。
「ホンマやね!私、ヤル気満々やんな!二人共普通にカジュアルな格好やからめっちゃ恥ずかった!」
霧子は手を叩いて大笑いだ。
しかも、目から涙を流し、口からはヒイヒイと悲鳴のような声を漏らしている。
もちろん、オレも腹を抱えていた。
霧子曰く、動きやすい服装を追求していった結果、ジャージに辿り着いたらしい。
酒井霧子という人間は、合理的な性格のゲラ…即ち笑い上戸である事が、今ここに発覚した。
まだ笑気冷めやらぬまま、車は最寄り駅に到着した。
改札口にアズサが立っている。
アズサの姿を確認した時、車中がまた爆発した。
ピンク色の襟が大きめのブラウス、白いミニスカート、足元は白いサンダル…
清楚なファッションに身を包み、お前は、どこで誰とデートするつもりなのだ!?
言葉にしなくても車中の三人は同じ突っ込みを入れながら腹を抱えていた。
こちらに気づいたのか、アズサが駆けてくる。
笑顔で駆ける姿、それもまた清楚。
本来なら背景に花が咲くような場面であろうが、車中は爆笑の渦。
「真逆!真逆!」
霧子が腹を抱える。
動きやすさを追求した結果がジャージの霧子…
その対極を体現するアズサ…
コンコンと窓をノックする笑顔のアズサ。
霧子が笑いを堪えつつドアを開けた。
「こんばんわ〜」
後部座席に乗り込んできたアズサからは、爽やかな花の香りがした。

ブフー︎

三人が同時に吹き出した。
どんだけデートがしたいのだ、お前は!
爆笑の原因が、まさか自分であるとは思っていないアズサは
「何笑ってるんよ〜?」
と、自分にも笑いを分けろという顔をしている。
しかし、その笑いを分けるわけにもいかぬ。
そこで木林が口を開いた。
「いや、酒井さんジャージで来るんやもんよ〜笑けてしゃあないやろ?」
アズサの出で立ちには触れぬ言い訳。
ファインプレーだ。
アズサは霧子の出で立ちを改めて確認すると、
「ほんまや!あはは!酒井さんヤル気満々やなあ〜」
と笑っている。
どちらかと言えば、お前の方が面白いと思いながら、オレは口から漏れ出る笑気を堪えた。
さて、あとは益井である。
車は約束の末平運動公園に向かう。
その車中、オレは、霧子とアズサに元耳塚南高校の教師で、今は心霊研究家を自称する益井という男が同行する事を説明した。

一瞬驚いたように目を丸くしたが、
「別に構えへんけど?」
という霧子に対して、
「ちょっ!聞いてないんやけど?」
と、眉を潜めるアズサ。
アズサのリアクションはもっともだと思ったオレは、益井が八龍で体験したことを語った。
霧子は益井の体験談に対して特にコメントする事はなかったが、益井の同行に対して否定的な事は言わない。
しかしアズサは、
「でもさ…高校の時、そんな噂聞いた事ある?」
と尋ねてきた。
同じ高校を卒業したアズサだからこそ出てくる疑問である。
それは、オレも疑問に感じていた。
「そうやでなあ…そこはオレも気になってたんやけど…やっぱりさ、事件が事件だけに、あんまり公にはならんかったんちゃうかな?」
オレは自分の見解を述べた。
しかし、そこに霧子が
「冨田君も聞いた事なかったんや…木林君も?」
と質問してきた。
オレ達は、在学中にそんな噂を聞いたことをなかったと答えた。
霧子はそれを聞いて、少し口角を上げたように見えた。
「面白いよね…実はね…私が中学生の時なんやけど…私の友達の親戚がこっちの方におってね…今の話聞いて繋がったんやけど…その親戚の人、その益井先生と一緒に八龍に行った中の一人やったんやと思う…」
その霧子の言葉にいち早く反応したのはアズサだった。
「ちょっと待って!怖い怖い怖い!」
アズサは自分で自分の両肩を抱いてブルっと身震いした。
霧子の口から出た偶然の繋がりにより、益井の体験談の信憑性は増した。更に、その偶然が何者かが書いた筋書きのような気がした。アズサが怖がる様子を見て、オレにはそう感じられた。
「で?酒井さんは、その親戚の人から話聞いたとか?」
黙っていた木林が口を開いた。
霧子は、
「ううん…直接じゃなくて、友達から聞いたんやけど…その内容がほぼ同じやから、ああ、面白いなあと思ったねん…」
と答え、また口角が上がったように見えた。
この妖しい偶然を面白いと感じる者は少数であろう。
流石は刑而上民俗学部同期の紅一点である。
「その話さ、酒井さんの地元では有名なん?」
と、木林は質問を続けた。
「場所は伏せられてるけど、結構広まってると思うよ…私は友達から場所まで詳しく聞いてたから…」
霧子は先ほどの爆笑する姿とは違い、まさにクールビューティーを地でいくような表情で答えた。
「それはほんまに面白いなあ…地元で広まらんかった噂が別の土地では有名な噂か…オレ等形民の学生には面白い話やわ…なあ武市?」
木林は軽くない口調で答え、助手席のオレを見た。
「…まあ、面白くはあるけど、これから乗り込むとこやからなあ…あんまりええ気はせんわ…はははっ…」
おれの言葉にアズサが食いついた。
「そうやで!行く前からビビらせ過ぎやって!アンタ等はよくても、私は素人やからね!」
もう、その話はするなという意味か?
オレ達は必死なアズサの表情にまた笑気を爆発させた。
車はようやく末平運動公園に到着した。
オレは車から降りて、一人で益井と出会ったあのベンチに向かう。
照明に照らされたあのベンチに、男が座っている。
整髪料でキチっと分けられた七三分け、白い半袖のワイシャツ、首にはヒモ帯をしている。
濃紺のスラックスを履いているが、足元は薄汚れたスニーカーである。
そのスニーカーで、その男が益井であると判断し、
「益井先生!」
と、オレは男に声をかけた。
男はすっと立ち上がると、
「おお冨田殿!お出迎え感謝します!しかし…小生を先生と呼んで下さるとは…」
そう言う益井は、昨日はなかった黒縁の眼鏡をかけている。
レンズには無数の傷が入っているのか、白く曇っているように見えた。
「これからはそう呼ばせてもらいますわ!しかし先生、昨日と印象違うから、一瞬わかりませんでしたわ!」
オレの言葉に、益井は後頭部を掻きながら答えた。
「ははは、昨晩、あなた方は女性の方も来られるとおっしゃっていた。あなた方に御迷惑をかけてはと思い、銭湯へいき、一張羅を着てきました…」
一張羅…
かなり着古した上下は、それにふさわしくない傷み具合だが、その立ち姿は『教師』を感じさせた。
オレ達が車まで戻ると、全員が降車していた。
木林は車にもたれ、中古でない煙草を咥え、煙柱を立てていた。
みな、益井に会釈する。
益井は少し早足でみなの前までいくと、背筋を正して挨拶の言葉を述べた。
「こんばんわ、木林殿。本日は同行を許可して頂き、お迎えまでして頂き、誠にありがとうございます。また、女性の方々、初めまして…小生、市井の心霊現象研究家の益井と申します。本日はよろしくお願い致します。」
深々と頭をさげる益井。
木林はそっぽを向いて煙柱を立てたままだったが、霧子とアズサは丁寧すぎる挨拶に気圧されたのか、
「あ、酒井です…」
「さ、斎藤です…」
と、二人共深々と頭を下げた。
「ほな、行こか!」
オレはそう言って、また助手席に乗り込もうとした。
しかし、木林が、
「武市、後に乗る〜!」
と言う。
「えっ?」
と目を丸くしたオレに木林が小声で囁く。
「霊感するどいのに鈍感なんよ〜女子二人とオッサンを狭い後部座席に押し込める気か、お前は?」
木林の言葉に全てを察したオレは、
「先生!前に乗ってください!」
と、助手席のドアを開けて、益井に乗車を促した。
「あ、これは申し訳ない!」
益井は頭を下げながら助手席に乗り込む。
オレは後部座席に先に女子を乗り込ませた。
まずアズサ、霧子の順に乗り込み、オレは最後に乗り込んだ。
正直、真ん中は避けたかった。
知り合いとは言え、女性二人に挟まれるプレッシャーはオレにとっては耐え難い。
それなら一番端で、できるだけ女子にプレッシャーをかけぬようにGと戦う方が、気が楽である。
車は、八龍に向かって発信した…
時刻は現在、八時十分。
おそらく八時四十分くらいには八龍に到着する。



車は八龍近くにある公園の駐車場に到着した。
一番最初に降車したのは、オレだった。
途中、アズサが
「狭い!しんどい!」
を連発した為、オレは必死にGと戦い、かなりの体力を消耗したので、はやく新鮮な空気に身をさらしたかった。
アズサも逆のドアから降車すると、
「冨田君でかいんよ〜!」
と腰に手を当ててストレッチしている。
オレは、壮絶なGとの戦いが全て徒労であった事を悟り、同時に恨んだ…己の身体のデカさを…
『恵まれた体格』は、時として『迷惑な体格』になり得るのだ…
降車してきた木林と霧子の肩が上下に揺れていた。
さて、八龍はこの駐車場から階段を降りた所にある森、この公園の散歩道からも外れた暗い森の中にある。
トランクからバッグを取り出す木林。
その中には人数分のマグライトが入っていた。
木林は全員にそれを配る。
「何から何まで、すまんなあ木林。結構したんちゃうん?」
オレは感謝の言葉を述べた。
それに対して、
「霊障ならまだしも、しょうもない事で怪我とかされたら嫌やしな…どうせ武市、気ぃつけへんやろ?」
とオレに苦言を呈した。
どうやら、今はオレのターンではないらしい。
益井は緊張が表情に顕れている。
それはそうだろう、益井には因縁の土地だ。
霧子は、ジャージと同じ、赤いリュックを背負っていた。
結構、重そうに見えた…

オレ達は、駐車場の階段を降り始めた。
駐車場の照明が届く範囲はよかったが、その範囲を過ぎれば闇は深い。
みな、一斉にマグライトを点灯する。
五つの明かりが深い闇を照らす。
踏み外さぬよう、ゆっくり確実に一段ずつ階段を降りる。
オレと木林が並んで先頭を歩き、その後ろにアズサと益井。
何故か霧子は殿を歩く。
無事、階段を降りきったオレ達は、森の中に入った。
闇は更に深くなる。

ガサガサ

一歩踏み出す度に地面に溜まった落ち葉や小枝が音をたてる。
また、それらが腐った湿り気のある独特な臭いが鼻につく。
「めっちゃ怖いんやけど…やっぱり来んかったらよかった〜」
アズサが正直に現在の気持ちを口にして出す。
それを聞いて振り返ると、アズサの背後を何かが横切った。
それは森の小動物や、昆虫の類いではない事を、オレの霊感が告げていた…
第四話へ続く











2016年05月09日

扉シリーズ 第ニ章 『八龍』第四話 「憑依」著者:冨田武市

八龍にほど近い闇深き森の中…
アズサの後方を横切ったモノは、オレの内臓に微かなプレッシャーを与えた。
見れば、霧子も固まっている。
この微かなプレッシャーを感知したのならば、彼女も鋭いタイプなのだ…
オレの視線に気づいたのか、霧子は
「ははっ!」
と短かく笑う。
「何か、あったのですか?」
益井が眼鏡を小さく上下させながら尋ねてきた。
「いや、今あっちゃんの後ろに…」
益井の問いにオレが答え終わらないうちに
「いやあ〜!!」
という悲鳴が響いたあと、重大な霊障が木林に降りかかる。

バシバシ

アズサの前に立っていた木林の背中に、アズサの凶暴な張り手が遅いかかった。
「あっちゃん痛い!あっちゃん痛い!」
木林の悲鳴が響く。
アズサははっとして手を引っ込めるが、
「怖い事言わんといてよ!アンタ、アホちゃうか!?」
と、何故か木林を責める。
「オレちゃうやろ!しかも何たる張り手の威力!」
木林が背中を気にしながらアズサをたしなめる。
益井は呆気にとられ、霧子の肩は揺れている。
一行は気をとり直し、闇深き森の中を進む…
空気が肌にまとわりつくようだ…
かなり湿度が高いのだろう。
足元も少し緩い感じがする。
しかし、最近雨が降った記憶はない。
いくら日陰になっているとはいえ、こんなに湿り気を感じるものなのだろうか…
八龍が近いのか、内臓に重さを感じ始めた…
「あ〜ミスったな〜」
アズサの声が聞こえた。
振り返ると、アズサはかなり足元を気にしている。
そりゃあサンダルなんか履いてきているのだ、足はかなり汚れているだろう…
「あっちゃん大丈夫か?」
木林も察したのか、アズサに尋ねた。
「足ビチャビチャやわ…どうしてくれんの、コレ?」
アズサが木林に絡む。
木林は
「どうしてくれんのって、サンダルなんか履いてくるからやろ?」
とアズサを刺激する。
「無理矢理連れてきたのアンタやろ?責任とってもらうで!」
アズサは怒気を前面に出した声で木林を責める。
木林もそれを受けて応戦する。
「無理矢理って、断ればええやんけ!それに、責任とれってなんやねん!」
しかし、アズサは強敵であった。
「このサンダル、弁償な…明日、買い物連れていってもらうで…」
アズサの声には断固として己の意思を貫き通さんとする気迫に溢れていた。
もはや、木林に言葉はなかった。
身内の痴話喧嘩は、微笑ましくもあるが、聞くに堪えないものだと思った…
オレは空気を変えるために益井に話しかけた。
「先生…確か森を出たら、もう敷地内なんですよね?」
益井は、
「ええ…八龍がまだ営業していた頃は直接、車でこれたそうですから…おそらく駐車スペースが広めにとられていたのでしょう…それ故に敷地はかなり広いですな…」
と答え、手首で額の汗を拭っている。
そういえば、オレもかなり発汗してきている…
いやな湿度だ…
しばらく歩くと、樹々の密度が徐々に低くなり、ようやく森を抜けた。
益井の言った通り、かなり広大な敷地である。
地面は砂利っぽくなり、地面の緩さはかなりマシなようだ。
四方を森に囲まれている八龍は、上空から見れば発見は容易であろう。
森の中心あたりに、四角く切り取られたようにその敷地が存在している為だ。
料亭旅館として営業中していた頃は、隠れ家的な感じで、富裕層を相手に、なかなか繁盛していたらしいと聞く。
その『八龍』が今、オレの視線の先に存在している。
名前から、木造の日本家屋を想像していたが、意外にも、鉄筋コンクリート造りの建物だ。
四方を囲む森をバックに、月明かりに照らされた八龍は、充分な迫力を持ってオレを威圧する。
しかし何より、内臓へのプレッシャーが増している。
闇に紛れて、輪郭がおぼろげな黒い人影が揺らめくように数体蠢めいているのが、オレの目に映る。
「冨田君、見えてるよね?」
気がつくと、霧子がオレの横に立っていた。
「酒井さんも?」
尋ね返したオレに、霧子はひとつうなづいた。
二人して、広角が上がる。
木林はまた気色が黒っぽくみえるのか、常備のサングラスを外し、シャツの胸ポケットにそれをしまった。
「やはり、何か見えるのですか?」
益井が後ろから声をかけてくる。
「判然とはしませんけど、やっぱり居てますね…」
と、オレは控えめに答えておいた。
アズサは木林の後ろにピッタリ張り付いている。
ここの探索が終わったら、木林を問い詰めてやろう…
何故かはわからないが、オレは隣の霧子が気になった。
八龍を見つめる霧子の横顔を見ていると、
『睫毛、長いんやなあ…』
と見とれている自分に気づき、プッと吹き出してしまった。
それに気づいた霧子は、
「え?何?私また何か変な事した?」
と一歩離れてキョロキョロしている。
「ごめんごめん、何もないから、気にせんといて!」
オレは笑って誤魔化した。
霧子はまだ自分の匂いを嗅いだりして気にしてしているが、
「そろそろ行きませんか、冨田殿?」
と、益井が促してきた。
それを合図に、みな引き締まった表情になり、今度は益井が先頭を歩き始めた。




オレ達は『八龍』の正面玄関にたどり着いた。
やはり外観は旅館というよりホテル…鉄筋コンクリートの三階建てである。
看板はかなり錆びて傷んでいるが、ライトを照らすと何とか読む事ができた。
『御食事・御宿泊 八龍旅館』
と、おそらくそう書かれてある。
正しくは『八龍旅館』であるようだ。
しかし、正面玄関はベニヤ板が打ち付けられ、厳重に封印されている…
見渡すと、窓にもベニヤ板が打ち付けられている。
「あ、あ〜ん…これ、どうやって侵入するんよ?」
木林がもっともな疑問を口にした。
すると益井が、
「正面玄関はここですが、入り口はここではありません。さ、裏手に回りましょう…」
と言って建物の裏手に向かって歩き始めた。
オレも噂に聞いていた。
たしか、裏手にある窓や勝手口はここを訪れたであろう者たちに破壊されており、侵入は容易のはずだ。
今、この建物の持ち主がだれであったとしても、長年取り壊しもせずに打ち捨ててある建物を修理をするはずもない。
また、何か事件があったとしても、勝手に侵入した者の自己責任である。
裏手にまわったオレ達を
「ここが一番安全です。」
と、おそらく厨房の勝手口であろうドアに案内する益井。
ドアに手をかける益井…
ドアを開けるかと思いきや、益井はドアを取り外した。
益井は取り外したドアを慣れた手つきで、丁寧に壁に立てかけると、
「もし、この中で何かが起こり、逃走せねばならない時にドアが開かなくなっていたりしたらゾッとしませんか?」
と笑った。
ホラー映画の中では定石といえる展開だが、実際にそうなるのは御免こうむる。
益井の行動は正しいと思った。
みな、申し合わせたように一斉にライトで中を照らした。
業務用のシンクや冷蔵庫がそのままにされている。
フライパンなどの調理器具がわけのわからないゴミと一緒に地面に散乱し、あまり安全ではない。
「あっちゃん!気ぃつけろよ!サンダルなんやから!」
と、一番防御力が低い出で立ちのアズサを気遣う木林。
しかし、
「もうグチャグチャなんやから、手遅れ!」
と、足が汚れて不機嫌なアズサには逆効果だった。
しかし、中に入ると一層内臓にくる…
霧子もあまり体調がよさそうではない。
「あなた、大丈夫ですか?」
益井が霧子の様子に気づき、声をかけた。
「あ、まだ、大丈夫です。ありがとうございます…」
と答える霧子だが、声に力をがない…
「あなたも、鋭い方のようだ…飲まれぬようにお気をつけ下さい。」
益井のこの言葉を聞いて、オレは心霊現象研究家を名乗る益井の知識が確かなものだと感じた。
霊感の鋭い者が、霊体からのプレッシャー…『霊圧』とでも言えばよかろうか…その霊圧が高い場に入ると、霊障を受ける。
オレの内臓に感じるプレッシャーなどは明らかに霊圧である。
幼少から霊感が鋭いオレは経験を積んでいるし、叔母からの教えである程度の知識を持っている為、そうなる事はほとんどないが、『飲まれる』とは、その霊圧に負けて、体調不良になり、ひどい場合には行動不能…最悪の場合になると肉体を乗っ取られる…所謂『憑依』されるというやつだ…そういう状態に陥る事を、その筋の専門用語で『飲まれる』と表現するのだ。
霧子は、オレが感じるに、オレと同じくらい鋭い。
しかし、経験ではオレとは雲泥の差があるように感じられる…
この間の北尾の絵画事件の時に感じたプレッシャーと比べれば、全く問題にならないレベルである。
しかし、霧子は今、その低い霊圧に押されている。
オレはポケットからメンソールキャンディを取り出した。
この間、AYAさんに教えてもらったのだが、メンソールの清涼感は、霊圧による体調不良を和らげる効果があるのだという。
それで、ポケットに入れて五個持参していたのだ。
「酒井さん、これ舐めときや。ちょっとマシになるよ。」
オレはキャンディを霧子に手渡した。
「あ、ありがとう…」
霧子は包みを開けて、キャンディを口に入れた。
キャンディを口の中でコロコロと転がす霧子。
「どう?気分マシかな?」
オレは霧子に尋ねた。
「うん…ちょっとスーとしたかな…」
そりゃスーとはするだろう、メンソールなのだから…
「あ、頭がね!」
自分が当たり前の事を言ったと自覚したのか、霧子は少し笑いながら答えた。
霧子は頭タイプのようだ。
オレは胃からくるタイプで、AYAさんもそうらしいが、まあ、色々いる。
霊圧を受けると、瞼が痙攣するタイプ、唇が痙攣するタイプ、尿意をおぼえるタイプ…変わり種では、鼻の穴の周りが痒くなるという人もいるらしい。
それは、アレルギーの症状に似ているのかも知れない。
さて、厨房にはめぼしいものが何もない。
オレ達は厨房を出て、廊下に出た。
暗い。
建物の奥へ行けば行くほど暗くなるのは当たり前だが、人間は本能的に暗闇を恐れる。
やはりいい気はしない。
しかし、木林のライトは明るい。
どこから入手しているんだろう、これを…?
廊下を歩くと、引き戸の部屋を見つけた。
見ると、木製の看板が挙げられており、
『一龍の間』
おそらく、そう書かれている。
益井が口を開いた。
「ここ、八龍には一から八までの龍の名がついた客室があったようです…それをまとめて八龍という名前になったのかも知れませんな…」

それを聞いた時、何故かはわからないが、オレは激しい嫌悪感を覚えた…
その名前のつけ方がひどく不遜な事のように感じたのだ…

しかし、わからない事に思いを馳せている場合ではない…
隣で、何やらバシバシと音がする。
「ちょっ、やめろや、あっちゃん!痛いって!」
ライトで照らすと、アズサがまた、木林の背中を左手で叩いている。
アズサは、笑っている。
「あははははははっ!」
木林は、
「何やねん!ほんまにやめろや!」
とアズサを振り払おうとするが、アズサは笑ってやめようとしない。
はっとしたオレは、アズサの顔をライトっ照らした。

アズサの両目の瞳が、まるでそれ単体の生き物のように不規則にグルグルと回っている!

「ええ加減にせえ!やめろ言うてるやろ!」
ついに切れた木林がアズサを突き飛ばそうとした。
「待て木林!あっちゃんおかしい!」
木林ははっとして手を止めた。
霧子がアズサを抑えようと駆け寄る。
「斎藤さん!」
アズサの体に手をかけた霧子だが、それを凄い勢いで振り払うアズサ。
その勢いで背中から壁に激突する
霧子。
「あははははは、あははははは!」
アズサの笑い声が激しくなるにつれて瞳の回転が増しているように見えた。
突然の事に、オレ達は固まってしまった。
次の瞬間、アズサは手に持っていたライトを投げ捨て、走り出した。
更に深い闇の中へ、アズサの姿が消えていく。
アズサの履いたサンダルがコンクリートを打ち叩く音が、建物中に響いていた…
第五話へ続く






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2016年05月10日

扉シリーズ 第ニ章 『八龍』 第五話 「暗黒」著者:冨田武市

アズサのスピードは人間離れてしていた。
高校時代、陸上部の短距離ではエース格にあったオレが
『追いつけない』
と諦めるほどのスピードである。
人間は、己の身を守る為、本来の身体能力の数割しか使わないよう、本能的に制御しているという。
しかし、『憑依』された人間は、その制御装置がOFFになるらしい…
アズサはその異常なスピードで、ライトも持たずに、闇の中を駆けているのである。
それは、最早人間業とは呼べない。
「アズサー!!」
木林が叫びながら後を追いかけようと走り始めた。
危険である。
ライトがあるとは言え、この闇を中を走る事は二次災害を引き起こす可能性がある!
オレは全力でダッシュし、木林の肩を掴み、叫んだ。
「木林!とりあえず落ち着け!」
しかし木林は、
「邪魔すんな!」
とオレの手を振りほどこうと暴れる。
「落ち着け!とにかく落ち着け!」
何とか押さえようとするが、こうなった木林はなかなか言う事を聞いてくれない。
暴れる木林を抑えているのでやっとで、なかなか話ができない。
その時、

ピピー!!

場に相応しくないホイッスルが鳴り響いた。
ビクっとして音が聞こえた方向を見ると、霧子がホイッスルを咥えていた。
呆気に取られるオレと木林に対し、霧子は教育的指導のジェスチャーを見せ、
「二人共、落ち着いて」
と、涼やかな声で言うと、まるで申し合わせたように益井が口を開く。
「取り乱すのは無理もありません…しかし、二次災害を防ぐ為にも、我々は落ち着いて行動せねばなりません…斎藤女史は…明らかに憑依状態にあります…彼女は無自覚ながら強い霊媒体質の持ち主であるのかも知れない…しかしながら…あ、これは小生の見解に過ぎませんが、ここ八龍に存在する霊は地縛霊…即ち、何らかの理由や原因により、この八龍という場所に縛られた霊です…よって、斎藤女史…彼女はこの八龍から離れる事はない…どうでしょうか、冨田殿?」
地縛霊…その定義は今益井が口にしたのとほぼ同じ事を叔母から教えられている。
確かに、その定義の内にあるものならば、アズサは必ずこの建物の中にいるはずだ…
あくまで、定義の内にあるものであれば、の話だが…
おれは益井の問いに答えた。
「確かに、今、先生が言われた事とほぼ同じ事を叔母から教えてられてます…でも先生、霊という存在は僕等の知識では推し量れん存在です…叔母からいつも言われてます…霊に対しては、絶対に油断するなって…だから、早くあっちゃん見つけんと…」
益井は何度もうんうんと首を縦に振りながら、オレの言葉に答える。
「然り。あなたのおっしゃる通りです、冨田殿…故に、我々は心をひとつにして、このトラブルを乗り越えるべきなのです…逸る気持ちはわかります。しかし、今はゆっくり確実に探索を進める事がトラブル解決に対して一番の近道であると、小生は考えます…」
闇雲に追いかけるより、確実に一歩一歩という事か…
「でも益井さん!地下室!地下室がヤバイんでしょ!?もしアズサが地下室に行ってたら…!」
木林が声を荒げる。
しかし、益井はまたひとつうなづきながら、
「それは安心してください…私はあの日以来、ここを二百回以上訪れていますが、地下室はありません…無いのです…」
益井の言葉に耳を疑う…
益井は言っていたではないか、地下室に行ったと…
そこで大切な生徒を一人、失ってしまったと…
オレが惚けていると、木林が益井に噛み付く。
「いや、益井さん地下室の話してましたやん!一体どういう意味なんすか!?」
そこに霧子も、
「地下室ないんですか?私も友達から地下室の話聞いてたけど…?」
と疑問を口にする。
オレも噂で聞いていた。
地下室が一番ヤバイと…
益井は、
「申し訳ない…大事な所が抜け落ちていたようです…」
と頭を下げて、己の言葉の意味を語り始めた…
「小生はあの日、地下室に行った…それは事実です…あの日、我々は一階から三階までをくまなく探索し、一階へと戻りました。
しかし、大浴場の付近に先程は気がつかなかったのか、地下へ下りる階段がある…階段を降りると、そこは広さも、何の為の部屋なのかもわからない…正に、黒いインクで塗り潰されたような、真の闇でした…そして、そこで彼女は姿を消した…四宮という、女性徒でした…我々はその真の闇の中、ライトを頼りに彼女を捜索しましたが足取りさえ掴めない…我々はそこから出て、朝になるまで捜索を続けましたが、その甲斐はなく…後は警察に任せましたが、無いのです。あの地下室が…小生はそれ以来、先程申した上げた通り、二百回以上ここを訪れていますが、やはり無いのです、あの大浴場の近くにあった階段さえ見つからない…私は独自に調査し、この八龍がまだ営業中に仲居として働いていた女性に話を聞く機会を得ました…彼女は言っていました…地下室、そんなものは元々無い、と…」
元々…無い?
元々無いというのは、元々つくられてはいない、という意味か?
じゃあ、益井達は『有り得ない空間』に入り込んだという事になる…
それが引き金になったのか、おれは記憶の彼方に追いやっていた、叔母の話を思い出した…

オレが中一の頃、当時既にテレビ出演もしていた霊能者の叔母、甲田福子が年末の休暇で家に遊びに来ていた…
大晦日の夜、両親とオレ、叔母はコタツに入ってテレビを見ながらミカンを食べていた。
両親は横になってそのまま寝てしまい、叔母と二人、おしゃべりをしていた…
「叔母ちゃんさあ、霊能者やってて怖いと思った事ないん?」
オレは前々から思っていた疑問を叔母にぶつけた。
叔母は、はははっと笑う。
「そんなもん、怖がっちょったら商売にならんばい。…ばってん、叔母ちゃんが小学校ん時、本気で怖いと思った事はあったっちゃけど…」
叔母の声のトーンが落ちた。
それはオレの好奇心を刺激した。
「何よ何よ?教えてや!」
そう催促するオレに、叔母は真剣な顔で答える。
「お前も鋭いけんね…知っといた方がええかもね…よかばい、話してやるけん、よう聞き…」
そうして叔母は自分の体験を語り始めた。
「叔母ちゃんが小学校六年になってすぐばい…叔母ちゃんは山の中で友達と遊んでたっちゃけど、気づいたら叔母ちゃん一人になってたんよ…しかも、遊び慣れた山の中で道に迷ったっちゃ…叔母ちゃんもまだ小学生やったけん、泣いて彷徨い歩きよった…すると、トンネルみたいな穴が見えよった…その穴を覗いたら、穴の向こうが明るい…叔母ちゃん心細かったけん、明るいところに行きたい思って、その穴に入ってしもっちゃ…
穴をくぐるとな…そこは…お前にはまだ早いけん、こうとだけ言うとく…そこは、この世ではなかったばい…」
この世ではない…叔母の言葉のその意味を尋ねても、叔母は答えてくれなかった。
叔母は笑って誤魔化しながら話を続ける。
「そこには、うまそうな果物みたいなんがあった…叔母ちゃん、お腹も空いてたけん、それを食べようとして口に持っていったばい…そしたら、後から声がするんよ、『それ食べたらいけん…』って、叔母ちゃん振り向いたら、凄い大きい男の人が立ってるんよ…お前のお爺ちゃんの倍くらいあったから三メートル以上はあったかもしれん…そんでね、その男の人、顔の真ん中に大きな目が一つなんよ…一つ目ばい…でも、不思議と怖いっちゃ思わんかった…『それ食べたら帰れんなるけん、やめときなさい』って男の人が言うた…叔母ちゃん、そこで怖くなってね…その果物みたいなもんを投げ捨てたっちゃ…そしたらそれが地面に落ちて潰れた拍子にオギャーって赤ちゃんみたいに泣いた…叔母ちゃん、また怖くなって大泣きしたんよ…そしたらその男の人が、『かわいそうに…迷いこんだんか…おじちゃん送っていってあげるけん、家に帰りや。』て言うて、叔母ちゃんの手ひいて洞窟の外に連れていってくれた…気がついたら、目の前に友達がおって『福ちゃん、どこ行っちょったんよ!』って怒られた…武市、よう覚えとき…変なとこ、有り得んとこに迷いこんだら、そこはこの世とは違うとこに繋がってるんよ…その入り口も突然、どこに繋がるかもわからん…そやから、忘れんと、よう覚えとき…」

叔母とのその記憶が、鮮やかに脳裏に蘇った。
この世ではない世界…
天国や地獄、黄泉の国、常世の国…呼び方は数あれど、そこは生きた人間が行っていい場所ではない…叔母は、運が良かったのだ…

「とりあえず、その大浴場に行ってみましょ!まずはそこを確認しましょ!」
オレは益井に声をかけた。
益井は、
「ええ、それが今、我々が一番先にすべき事ですな…」
とライトを廊下の先へと向けた。
ライトの光が届かぬ空間は、まさに暗黒だった…
第六話に続く

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2016年05月12日

扉シリーズ 第二章『八龍』第六話「四宮」著者:冨田武市

大浴場に向けて、暗黒の空間をゆくオレ達…
木林はかなり速足になっている。
気が焦るのは無理もない事だ…
途中、二龍の間があるのを見かけた…
やはり理由のわからぬ嫌悪感を抱いてしまう…
しかし、今はその理由を自己詮索している精神的余裕はない。
ここを訪れた誰かが開けたのか、引き戸が開いたままになっている…
アズサの姿を求め、ライトで照らすと、一龍の間もそうであったが、中は和室である。
五、六人は宿泊できそうな広さで、腐り、朽ち果てた畳と食卓が
残されているだけでアズサの姿はない…
「アズサ〜」
木林がアズサの名を呼びながら押入れを開けようとしたが、傷んでいて開かない。
開かないのなら、そこにはいまいと、二龍の間を後にした。
どうやら、大浴場は厨房の対局にあるようだ。
廊下を進むと玄関に出た。
二階へ続く階段もある。
表は入り口をベニヤ板で封印していたが、内側からもベニヤが打たれている。
窓は外側だけしかベニヤを打っていないのに…
玄関だけが厳重に封印されているが、大した意味は無さそうだった。
玄関には受付カウンター兼事務所であったと思われる部屋があり、一応そこも探索したが、時間の無駄だった。
すぐ近くに三龍の間があったが、二龍の間と同様、アズサの姿はない。
物品倉庫兼従業員詰所のような部屋もあった。
その隣はボイラー室…
オレ達は、ようやく、大浴場に到着した…
大浴場は男湯、女湯に別れているようだが、今となってはどちらでもよい事である。
大浴場入り口前から周りを照らしてみるが、益井のいう『階段』は見当たらない…

「やはり…ありませんね…」

益井の声に、明らかな落胆の色が見てとれた。
益井は、その日姿を消した四宮という女性徒…オレと木林の先輩にあたるその女性徒に対して、オレが想像もできない程の罪悪感を抱いているのだろう…
階段が見つかり、その場所に行けたとして…
また、生死を問わないとしても…彼女に会える、保障はないのだ…
それでも、益井にとって何らかの決着がつくまで、彼は求め続けるのだろう…
「武市、二階に行くぞ!」
木林がそう行って二階の続く階段へ向かって歩き出す。
木林は目的達成の為には非常に合理的に動く男だ。
階段が無いのなら、ここに居ても時間の無駄。
そういう事である。
オレ達は木林を追って階段へと向かった。
二階へ上がる階段…
見上げると、なかなかの急角度で、途中が踊り場になっているようだ…
木林は一歩一歩踏みしめるように階段を上っていく。
木林の足取りからして、傷んでは見えるものの、安心して上がれそうだ…
オレの後には霧子、その後には益井が続くが、益井が落胆した様子は振り返らなくても伝わる。
胃のあたりが、またズンと重くなる…
階段を登り始めてから、プレッシャーが増したようだ。
視界の端で、陽炎のように揺らめく黒い人影を感じる。
おそらく…彼等はこの八龍とは無関係で、外界を漂う浮遊霊の類が、ここに存在する地縛霊にひかれてきたものだ。
これくらいなら、まず問題はない。
「冨田君…」
霧子がオレの名を呼んだので振り返る。
「何?」
オレがそう尋ねると、
「冨田君、平気なん?」
と、霧子は不安そうな声でそう尋ね返してきた。
「酒井さんも見えてるやんなあ…でも、コイツ等は問題ないよ…」
オレがそういうと、霧子は、
「ちゃうねん…斎藤さん、あれってやっぱり何かに憑依されたんかな?私、あんなん初めてやから…」
と自分の肩を抱いた。
叔母の仕事を見学した時に見た事はある…
しかし、身内の人間が憑依されたのは、初めての経験である。
それに、人間の目があんなに速く動くのも初めて見た。
叔母が行っていた。
憑依された人間は、まず九十九パーセント、憑いたものに対して拒絶反応を示す。
人様々だが、アズサの場合はあれが拒絶反応なのだろう。
木林の背中を叩いていたのは、薄れゆく意識の中、己の異常を知らせる為の本能的な行動であったのではないか、とも思う。
そして、笑いながら走り去ったのは、憑いたものの意思であろう。
「経験ない事はないんやけど、身内の人間が憑かれたのは初めてやわ…とりあえず確保して、対処はそれからやな…」
オレのその言葉に霧子はひとつ、ゆっくりとうなづいた…
二階に着いた。
「アズサ〜!!」
闇の中、木林の声が響く。
激しく揺れる木林のライトの明かりから、その焦りが伝わる。
「あっちゃん〜!」
自然とオレの口からもアズサの名前が出る。
「斎藤さ〜ん!」
「さ、斎藤女史〜!」
つられて霧子と益井もアズサの名を呼ぶ。
しかし、やはり応答はない…
二階には、ビリヤード台やダーツ板などがそのまま残された遊戯場、雀卓だけが残された部屋…
売店のような所もあった。
また、四龍の間、五龍の間、六龍の間があった。
やはり、八龍まであるのだろう…
しかし、ひとつだけ趣の違う部屋がある…
『龍神の間』…
ここだけ神の名がついている…
しかも、引き戸ではなくドア…
ここも玄関と同じようにベニヤ板を打ち付けて厳重に封印し、さらにその上に
『天津鶴澤姫命』
という、日本神話に出てくる神のような名が書かれたお札が大量に貼られている。
『天津鶴澤姫命』…?
聞いた事のない神だ…
そんな神がいるのか…?
内臓にズシリとくるプレッシャーも感じる。
ここには触れない方がいい…
見ると、木林はもう二階の端にたどり着いたようだ。
ライトを上に上げて、見上げている。
三階に続く階段があるのだろう…
しかし…
「おい!嘘やろ!何やねんコレ!」
木林が怒気を含んだ声で叫んだ。
「どうした!?」
オレはかけよって、木林がライトで照らしている先を見た。

三階への階段が途中で途切れている…
いや、途中から消えている…?
ライトで照らした先が真っ黒だ…

何だ?
何なんだ、この光景は!?
駆けよった霧子と益井もその光景を見た。
声も出せず、片手で口を押さえて固まる霧子…
「な、何だコレは…前に来た時は階段はちゃんと…」
益井が震える声で、絞り出すようにそう言った。
数秒、ライトに照らされた『闇』に目を奪われた…
しかし…

ゾォン!!

全身を強烈な悪寒が走る抜ける。
霧子が一歩後ずさった。

ライトに照らされた『闇』から、何かが姿を現す…
ゆっくりと、陽炎のように揺らめきながら、闇そのものが形を成していく…
闇の黒が、次第に灰色に変わる…
オレ達の目の前に、白黒映像のような老人が姿を現した。
頭髪も、眉もなく、頰はこけ、ガリガリに痩せた浴衣のような和服を着た老人が、大股を広げ、首をかしげた格好で階段に腰掛け、オレ達を見降ろしている…
呼吸すらままならない圧倒的なプレッシャーに、オレはハウハウとただ情けない息を漏らす…
河下がここに来た後入院しているというのを思い出した!
こいつだ!
絶対にこいつのせいだ!
こいつは…マジでヤバイ!
隣では霧子が過呼吸気味になっている。
老人は、ニヤリと口角を上げる。

『……………』

老人がオレ達に何かを言った…

「うおわあああああ!!」

何を言ったのかはわからない!
でも、それを言われていけなかった!
オレ達は、何かヤバイ事を言われた!
そんな直感が働いて、オレは無意識に悲鳴をあげた。

「うああああ〜!」

オレはその場で腰が砕けながらも、必死で後ずさった。
オレの様子を目の当たりにした木林は、この場の対処法として最良と本能が判断したのか、
「何見てんな、このジジイ!」
と怒鳴って、老人にライトを投げつけた!
しかし、ライトは老人をすり抜け、その先の闇に吸い込まれる。
固まる木林。
老人は、また口角を上げると、出現したのと同じように陽炎のようにゆらめきながら、消えた…
しかし、階段は変わらず、途中でかき消えたままだ…
「あ、あ〜ん…」
木林が呆気にとられた時に出すいつもの声を聞いて、オレはようやく人心地になった…
見ると、霧子が益井にしがみついている。
歯をカチカチと鳴らし、膝が笑っているようだ…
益井が霧子の背中をさすりながら、
「大丈夫!大丈夫ですよ酒井女史!」
と、必死に励ましている。
しかし、益井の足も震えているように見える…
あれは…
あの老人は、北尾の絵…あれと同等以上にヤバイ…

「うっ…!」

突然、胃が燃えるように熱くなり、激しい嘔吐感が襲いかかってきた。

「うえ!うえええ!」

オレは激しく嘔吐した。
胃液の味とともに、何か違和感を感じる味わった事のない味がする…
「武市!」
木林が駆け寄り、背中をさすってくれた。
ひとしきり嘔吐した後、手に持っていたライトが嘔吐物を映し出した。
見るべきではなかった…
オレの嘔吐物には、剥がされた人間の爪のような物が大量に混ざっていた…
木林は気づいたが、アイコンタクトで、これは二人の秘密にしておいた…
オレはようやくよろめきながら立ち上がる。
すると益井が霧子を抱きとめながら、
「みなさん…斎藤女史の件はありますが、一旦一階に戻り立て直しましょう…どのみち、三階には行けない…」
と提案してきた。
そうするより他ない…
オレ達は益井の提案通り、益井を先頭に歩き始めた。
霧子は子供のように震えている…霧子には、あの老人の言葉が聞き取れたのだろうか…?
そんな事を考えていると階段にたどり着いた。
踊場まで降りた時、一階の廊下までライトの明かりが届いた。
一階の廊下を制服を着た女の子が歩いている…
あれは…オレと木林の出身校であり、益井のかつての職場、『耳塚南高校』の制服である…
しかし、その女の子は瞬きの一瞬で姿を変えた。
アズサだ…!
次の瞬間、
「アズサ〜!」
「四宮!」
そう叫んで木林と益井がそのかいだんを駆け下り、アズサを追って駆けていく。
オレと霧子も何とか足を動かして一階に下りた。
木林と益井の後ろ姿が見えた…
二人が駆けていく方向、それは、あの大浴場がある方向だ…





2016年05月13日

扉シリーズ第二章『八龍』第七話「声無き声」著者:冨田武市

木林と益井が大浴場のある方向へ全力で走っていく…
アズサは…いや、あれはアズサだったのか?
益井は『四宮』と呼んでいた…
アズサに憑依したのは…
この八龍のあり得ないはずの地下室で消えたという、オレと木林の先輩…『四宮』だったという事か?
オレと霧子はまだうまく歩けないくらいにダメージを受けていた。
二人とも壁伝いに木林と益井の後を追う…
木林と益井はもう大浴場に辿り着いた様で、廊下の行き止まりでライトの明かりが激しく動いている。
「アズサ〜!あっちゃん〜!」
「四宮〜!先生だ〜!君を迎えに来たぞ〜!」
二人の声が響く。
しかし、木林の声が途絶え、ライトの動き止まる。
続いて益井の声も途絶え、ライトの動きが止まる。
二つの明かりは、一点を照らして動かない…

『あったんや…』

オレは、木林と益井があり得ないはずの『地下室』への階段を発見したのだと確信した。
「酒井さん…見つけたみたいやな…」
オレが霧子にそう言うと、霧子は一呼吸後に、
「…うん」
と一言だけ応えた。
オレ達もようやく大浴場前に辿り着いた。
木林と益井はやはり一点を照らして立ち尽くしていた。
大浴場の入り口に向かって右手に、さっき来た時はただの壁だった所が空洞になっていて、そこに下へ降りる階段が見える…
「冨田殿…ありました…これです…」
益井は背を向けたまま、オレにそう告げた。
木林が振り向いて、
「武市…またあっちゃん消えたわ…どう考えても、ここやでな?」
と、オレに尋ねたきた。
正直、そうとしか思えない…
行くしかないのだ、この階段を降りて、あり得ないはずの地下室へ…
オレはポケットからメントールキャンディを取り出す…
ちょうど人数分ある。
それを皆に配ると、オレはそれを口に放り込むように言い、説明と自分の意思を伝える。
「メントールには浄化作用あるから、口に入れといたら気休め程度にはなると思う…もう、行くしかないしな…」
すると霧子が、
「これ、結構美味しいよね…ありがとう、冨田君…」
と口に放り込んだ。
それを見て、木林と益井もキャンディを口に放り込んだ。
皆が口の中でキャンディを転がす音がする。
「なるほど…なかなか美味」
と益井が少し笑う。
オレは、
「先生…先生にはアズサが四宮さんに見えたんですか?」
と単刀直入に尋ねてみた。
益井は数秒間をおいてから、
「ええ…一瞬でしたが、あれはまぎれもなく四宮でした…状況から察するに、斎藤女史に憑依したのは、四宮だと言う事になるのでしょうか?」
と尋ね返してくる。
「そういう事でしょうね…まあ、この階段降りたら、はっきりするかも知れないです…」
と答えて、オレは階段に目をやった…
やはり内臓へのプレッシャーを感じるが、さっきの老人のそれとは比較にならないほど軽い…
「ほな、そろそろ行こうぜ、武市…」
木林はそう言うと、階段に足をかけた。
木林、益井、霧子、そして殿はオレが務める事にした。
特に意味はないが、そうした方がいいと思った。
階段を照らすと角度はかなり急で、何故か苔むした石段である…
あり得ない空間なのだ、今更気にする事はない…
やたら冷え込むし、どこからか水滴の音がする…
洞窟…なのか?
しかし、それも気にする必要はないだろう…
オレ達は、ゆっくりと確実に一段一段を踏みしめながら階段を降りていく…



「長過ぎへんか?」
木林が呟く。
誰もが、そう思っていたと思う…
もう、振り返ってライトを照らしても入り口は見えないだろう…
かといって、前方にも出口らしきものは見えない…
キャンディも、口の中で溶けて無くなってしまった…
しかし、前へ進むしかない、降りていくしかないのだ…



「我々は取り返しのつかない状況にあるのかも知れない…」
今度は益井が呟く。
しかし、言葉とは裏腹に彼の足はとまらない。





霧子が肩で息をし始めた。
少し休憩をとった方がいいのか?
しかし、途方もない長い階段だ…もはや、これが階段なのかも定かではなくなってきた…
もはや聞くまでもなく、益井が前にこの階段を降りたときは、こうではなかっただろう…
確信する。
ここはもはやオレ達が生活する世界とは隔絶された世界だ…
考えたくはないが…

オレ達は既に…

「出口か!?」
木林が大きな声を出した。
ライトを照らすと、明るい…?
ライトをずらしてみる。
やっぱり明るい!
階段の終わりに、明るい空間が広がっているようだ…
みな、一斉に階段を駆け下りる。

オレ達が辿り着いた場所は…
教室だった…
見覚えのある作りの教室…
おそらくここは、オレと木林が卒業した耳塚南高校の教室だ…
窓を見ると、外から日光がさしている…
太陽があるのか…?
黒板の前に教卓があり、その前の席に一人の女性徒が机に突っ伏して、寝ている…
「四宮!」
益井が叫んで、その女性徒に駆け寄る。
女性徒は益井の声に反応して顔を上げた。
「四宮…先生だ…迎えに来たぞ…」
益井の声が震えている…
益井はようやく巡り会えたのだ、あの日消えてしまった教え子に…
『先生遅かったやん…』
女性徒が口を開いた。
いや、開いていないが、声は聞こえる…
ダイレクトボイスか…
何かの本で読んだ…
霊体の出す声は、肉声ではない。
その声は直接、脳に届くものだ…それで別名を『声無き声』と言う…
「すまないなあ四宮、先生頑張ってみたんだが、本当に遅くなってしまったなあ…すまないなあ…」
四宮の言葉に答える益井の声は、明るく、若々しい感じがする。
『ほんまに遅すぎるよ…遅すぎて私、自分の姿形すら忘れかけてたやんか…』
四宮は、そんな事を言いながら、その場で立ち上がり、オレ達の方を振り返る。
『ごめんな…私、自分の姿さえ見失ってたみたいやから、この子の身体借りんと、自分の存在を伝える事もできんかったねん…もう少しだけ、この子の身体、貸してな?』
四宮の言う『この子』とは、アズサの事で間違いなかろう…
「よかった!あっちゃん帰ってくるんやな?よかった!よかった!」
木林がその場にへたり込んだ。余程気が張っていたのだろう…少し足が震えている。
霧子はそばにある席のイスを引いて、そのイスに腰掛けた。
「ははっ、座れる…」
実体があるのかを確かめたかったのか、霧子は座れた事に笑っている…
四宮は、色白で丸顔、ポニーテールがよく似合う。
紺色のブレザーの胸には校章のワッペンがあり、スカートはグレー。足元は懐かしい上履きだ…
アズサの身体を借りていると言っているが、その姿は四宮そのものなのだろう…
彼女は今までオレが遭遇してきた霊体とは、全く別の存在であるように感じた…
『先生、ごめんな…迎えにきてくれてありがとう…でもな、私、先生に言わなアカン事あるねん…みんなもちょっとだけ話につきあってくれる?』
無邪気な声だが、哀しみに満ちたような目でそう言われたオレ達には、首を縦にふるしか答える術がなかった…







2016年05月15日

扉シリーズ 第二章 『八龍』第八話「神隠し」著者:冨田武市

四宮は立ち上がると、教卓に向かい、黒板を背にしてオレ達に向きなおる。
まるで、これから授業を始める女教師のようだ…
しかし、どうなっているのだろう…
この身体はアズサのはず…
四宮の思念のようなものがオレ達の脳に作用して、アズサを四宮に見せているのか?
『まず…』
四宮が語り始める…
しかし、口は動いていない。
やはりダイレクトボイスだ…
『先生、何回も来てくれてありがとう…私、嬉しかったよ…』
四宮のその言葉を聞いて、益井は嗚咽した。
身体を震わせながら、拳を握りしめ、下を向いて、ただ嗚咽した。
眼鏡の奥にある大きくない目から、大粒の涙を流す。
その涙は、どんな計測機器をもってしても数値化できない程重い涙だと、オレは思った。
『先生…あのね…あの時、私が言い出したの知ってる?ここに来ようって…』
四宮の問いに、益井は答える事ができない。
四宮は悲しそうな目で話を続ける。
『ここに来たのには理由があったねん…実はね…先生も知ってると思うけど、私、元々霊感強くて、小さい時から色んなものを見てきたんやけど…小さい時から時々ね…私が寝てる時に来る人がおったねん…白い浴衣みたいな着物を着た女の人で…凄い綺麗な黒髪…色白で背が高くて…モデルさんみたいな美人やねん…その人、私のベッドの脇にいてるだけで何をするでもなく、言うでもなく、ただそこに立って私を見てるだけ…最初は怖かった…でも、中学に上がった頃に思ったねん…この人、私を何かから守ってくれてるんちゃうかなって…でな、あの日の二日前やったと思う…またその女の人が来て、初めて話しかけてきたねん…やはりお前は血が濃い、この世にあっては身内に災いを為す…って…』
身内に災…?
どういう事だ?
『お前は私の所においでって…意味はわからへんかったけど、その人がいうてる事はホンマなんやって確信みたいなもんがあったねん…その人はそれだけ言うと、私の頭に手を乗せた…そしたら、頭の中に色んな映像が浮かんで、私わかったねん…この八龍に来いって事なんやって…』
この四宮という女性は、かなり霊感が鋭いというのは感じる…
しかし、気になるのは血が濃いという言葉の意味だ。
霊感の鋭鈍というのは、ある程度血筋に由来する事は、そういう血筋であるオレにもわかる…
霊感が鋭いというのは、不幸であるとも言える。
しかし、『災』という言葉にはもっと深い意味を感じるのだ…
『そして、私はあの地下の空間で闇の中から伸びてきた白い手…たぶん、あの女の人の手に引っ張られて…今、先生等がいてる世界じゃない、違う世界の人間になったねん…』
ち、違う世界?



別の次元の世界だとでも言うのか?
『私からはこっちが見えても、そっちからは私が見えない…私も、私自身の姿が見えない…見える物に触る事もできひんし、話かけても私の声は届けへん…そんな世界やねん…私は、自分が死んだんやと思った…でも不思議なんやけど、私は息もしてるし、心臓も動いてるみたい…不思議と喉乾けへんし、空腹感もない…自分の意思で動けるし、寝る事もできるねん…』



それは…『神隠し』と呼ばれるものではないだろうか…?
この世には突然、何の前触れもなく、何の手がかりも残さず、人間が行方不明になることがある。
その現象は、太古から、西洋では悪魔や妖精…日本では『神隠し』と言われた…神に見込まれてしまった者が、神の住まう常世の国に召されたのだと、考えたのだ…
だとすると、四宮の前に現れた女性は…
『神』なのか…?
その考えに至った瞬間、オレの脳裏に鮮やかに蘇る、あの名前…

『天津鶴澤姫命』

あの『龍神』の間に貼られていたお札にあった神名だ…
オレはたまらず、口を開いた。
「あ、あの、四宮先輩…?」
四宮は一瞬キョトンとしたが、
『あ、君も耳南の生徒?」
と懐かしそうな表情を見せた。
「はい、冨田と言います。今年卒業して、今は泉州大学の学生です…こっちの木林もそうです。で、今、先輩が身体を借りてる斎藤も…」
オレがそう答えると、四宮はクスクスと笑い声ながら、
『そうなんや…懐かしい感じするなと思ったら、そうやったんやね…』
オレは直球で尋ねてみた。
「先輩…先輩をここに引き込んだその女性は…神なんですか?」
オレの口から出た『神』という言葉に、益井の涙は止まり、木林と霧子は目を丸くした。
四宮はしばらく考え込んだあと、
『それは…わかれへんわ…でも、あの人も私も死んではないんちゃうか、とは思う…難しい事はわかれへんけど、命の在り方が変わった、みたいな…』
命の在り方が、変わった…?
おそらく、オレ達は今、とんでもなく高次元な話を聞かされた。
オレにはその言葉が、人間が人間を卒業し、別の高次の何かに変わったという意味に感じられたのだ…
『普段は、闇の中に溶けたみたいになってて…居心地は悪くないねん…で、時々ここに人が来たら刺激されて意識がハッキリしてくる…あ、先生?お父さんとお母さんは?弟は元気かな?』
四宮は益井に尋ねた。
「あ、ああ!お元気だ!君が居なくなった後は、流石に大層落ち込まれておられたが、いつかは君が帰ってくると思われ、頑張っておられる…弟さんも結婚されて、今は一児のお父さんだぞ!」
益井は涙に濡れた頬を拭いながら答えた。
『そうなんや…あの子、結婚したんや…はははっ。みんな、元気なんやね…ありがとう先生…じゃあ、私がここに来た意味はあったんや…ははは…よかった…』
四宮は寂しそうに笑う。
「先輩…でも、それはホンマなんですか?先輩が身内の災になるって…」
オレは四宮の境遇に腹が立っていた。
四宮は、明らかに優しい性格の善良な女性である。
そんな女性が、何故こんな目に遭わなければならないのか?
どんな理由であっても、理不尽極まりない事だ。
『…あの、さっきあの女の人が私に映像見せたって言うてたやろ…その映像の中に、その理由みたいなのを感じるのがあったねん…それが何なのかは言われへん…言いたくないんやけど…私の一族の血は、呪われてる…例えとかじゃなくて、ホンマに呪われてるねん…最初は私の先祖の一人が呪われたんやと思う…その呪いが代々子孫に引き継がれて…それで、私のその呪いを強く引き継いでしまった…この呪いがどんなものなんかはよくわかれへん…でも、血筋自体が爆弾に繋がってる導火線みたいになってて、いつか呪いという爆発が爆発する…私があのまま普通に生活するしてたら、その火種になってしまってたかも知れんなあ…』
いつ爆発するかわからない爆弾…
それが爆発したら、何が起こるかもわからない…
そう語った四宮の目には、何者かに向けた嫌悪感が見てとれた…
その嫌悪感は最初に呪われた先祖に向けられたものなのか、それとも、呪いをかけたものに向けられたのか…
「四宮…君は帰ってこれないのか?」
突然、益井がそう言った。
四宮はその問いに対する答えが見つからないように、押し黙った。
「今日、また再び君に会えた…次は、君を取り戻す事が先生のやるべき事だ…四宮、先生は諦めないぞ…!」
そう言う益井の目には、いかなる試練も乗り越えるという決意に満ち満ちていた。
オレは…いや、木林と霧子も気づいているだろう…
益井と四宮…
この二人は教師と生徒、それ以上の絆で結ばれているのだ。
『ありがとう、先生…でも、ここにはもう来んほうがええと思う…』
四宮は哀しそうな目で、微笑みながらそう言った…
「何故だ!?」
益井が大きな声を出す。
『みんな、怖いお爺ちゃん見たやろ?』
あの、三階へ続く階段に現れた老人か…
『この八龍は、たぶんやけど、元々あの女の人の領域やねん…でも、いつの頃からかここで見るようになった、あのお爺ちゃんが徐々に自分のものにしていってるみたいやねん…私はあの女の人に守られてるみたいやから、まだ私には何もできんみたいやけど、三階はもう完全にあのお爺ちゃんの領域みたい…私はこの八龍から出られへんのやけど、あのお爺ちゃんは時々見らんようになるから、外にも出られるみたい…あのお爺ちゃん、この世の全てに対して恨みを持ってるみたいに思うから、ホンマに危険やねん…だから、もうここには来んほうがええねん…それを伝えたくて、私、あの女の人に手伝ってもらって、斎藤さんやったかな?この子の身体を借りて、この空間を作ったねん…』
今まで聞いた話の全ては荒唐無稽な、漫画や小説の世界の出来事であると言える。
しかし、その話をしている本人が目の前でアズサの身体を借りて、ダイレクトボイスで伝えてきているのだ…
それに、あの老人も、オレ達全員が見ている。
他の誰が何と言おうと、オレ達四人はその話を否定する事はできないのだ。

ズウウウウン!

突然、聞いた事のない、何かが歪むような音がした。
そこにいた全員が音のした方向に目をやった。
四宮の背後の黒板が生き物の様に波打ち始めている。
一歩、二歩、後退る四宮は
『な、何コレ?』
と、震える声で言った。
この空間を作ったという四宮がわからない事をオレ達にわかるわけがない。
すると、黒板の上にある校内放送のスピーカーからノイズと共に声が聞こえた。
『下校の時刻となりました。まだ残っている生徒は速やかに下校しましょう』
笑いを含んだその声が、ひどく禍々しく聞こえた。
直感がささやく、あの老人だと…
黒板の波打ちが激しくなる。
その波の一つ一つが、無数の真っ黒い人間の腕にに変異していく…
次の瞬間、その腕が一斉に四宮に襲いかかった!
四宮は逃げ遅れ、その無数の手に捕まれる。

『つぅかまえたぁ』

スピーカーから老人の声が響く。
男三人は無意識に身体が動いた。
四宮、いやアズサを奪われんと必死に腕を引き剥がそうとするが、数が多すぎる!
腕に触れるたびに頭の中に流れ込む、

『女』『爪』『骨』『肉』

などの声無き声。
絶対に持って行かれるわけにはいかない!
しかし、やはり数が多すぎる!
その時…

「このボケがぁ!!!」

木林がながい付き合いの間に聞いた事がない雄叫びを上げて黒板に凄まじい蹴りを入れた!

ドオオオオオン!!

凄まじい轟音がなり、黒板から伸びてきた腕が一斉に引っ込んだ。
呆気にとられたオレ達だが、一番驚いたのは木林当人の様だった。
しかし、まだ黒板はうごめいている。
いつ第二波が来てもおかしくない状態だ!
そこに、

ビュン!

と黒板に向かって何かが飛んでいく。
それは黒板に吸い込まれた。
すると、それが吸い込まれた所が起点となって、渦を巻き始めた。
「ははっ!効いた!?」
見ると、霧子が投球姿勢で何かを握っている…桃だ。
霧子は大きく振りかぶり、それを全力で投げた!
桃はなかなかの球速で黒板に飛んでいくと、また吸い込まれた。
渦がまた激しくなる!
「四宮さん!今のうちにこの空間閉じてください!」
霧子が叫ぶ!
四宮はコクンとうなづくと、
「先生…私は大丈夫やから、もうここには来たらアカンよ?」
と益井にいう。
「四宮、それは無理だ…君の事を諦めたら、先生は生きている意味をなくす…ダメだと言うなら、先生もここに残してくれ!」
四宮はその言葉を聞いて、目から涙をこぼしながらも、
「そんな事、できるわけないやん…」
というと、その姿は一瞬でアズサに変わった…いや、戻った…
意識なく、倒れるこむアズサを木林が受け止める。
それと同時に、まるで停電のように一瞬で気色が暗転した。
闇の中で、四宮の声無き声が頭に響いた。

『先生…』

益井に対する呼びかけのあとに続けたかった彼女の言葉は、何となく想像できた…
気がつくと、オレ達はあの大浴場の前にいた。
あの階段は…見当たらない。
木林の声が響く。
「あっちゃん、おい、あっちゃん!アズサ!」
木林はアズサを抱き、身体を揺さぶって起こそうとしている。
しかし、憑依された後、気を失っている人間を急に起こすとパニックを起こすことがあると叔母が言っていたのを思い出した。
「木林、無理に起こすな。とりあえず外にでて、あっちゃん起きるの待とう…」
木林は、
「そ、そうやな…ほな、オンブするから手伝ってくれ。」
とアズサに背を向ける。
オレと益井が手伝おうとしたが、横から霧子が出てきて、
「私が手伝う」
と、アズサを抱いて木林に覆いかぶせた。
霧子の判断は正しいと思った。
もし途中で気がついたら、何を言われるか分かったものではない。
オレ達は入ってきたルートと同じルートで八龍から脱出した。
闇夜を照らす月明かりを見て、安心感から、少し腰が砕けた。
あまり汚れなさそうなコンクリートの地面にアズサを寝かせる。
その時、アズサのスカートが少し捲れた。
オレがいる角度からはよく見えなかったが、益井はおそらくまともに見たのだろう、その眼鏡は月明かりを反射し、鼻の穴が少し広げながら、顔を背けた。
その姿に笑ってしまった自分に、何とか無事に帰れそうだと、胸を撫で下ろした…
その瞬間…また、激しい嘔吐感が襲いかかった。
オレは皆から離れ、

「うっ!うええええっ!」

と激しく嘔吐した。
嘔吐物の中に、今度は女性のものと思われる長い毛髪が大量に混ざっていた。
木林が心配そうな顔をしている。
オレは何くわぬ顔で皆の所に戻り、
「はははっ、スッキリしたわ!」と、作り笑いで誤魔化した。
これは、叔母に相談する必要がありそうだ…
オレは場を和ませようと、霧子に尋ねてみた。
「酒井さん、何で桃やったんよ?」
霧子は少し口角を上げると、
「あれ?あれはな、桃って邪気を退ける力があるって言われてるねん…古事記にもあるし、有名なのは桃太郎さん。鬼退治してるやろ?だから、こんなとこに来る時は、何かが起こった時の切り札に持つようにしてるねん。初めて使ったけど、はははっ!効いてたね〜」
そういえば、そう聞いた事がある…
しかし、この霧子の笑顔…
この子も、本物の好事家だ…
今度は木林が益井に尋ねる。
「益井さん、気になってたんやけど…もしかして四宮さんと益井さんって、アレですか?」
益井は鼻を膨らませると、
「そ、それは…まあ、いいではないですか…しかし、木林殿、あなたの方も斎藤女史とはただならぬ関係にあるとお見受け致しましたが?」
益井に笑顔が戻っている…
依然、四宮先輩は救われぬままだが、今日彼女に再会して新しい目標ができたからなのか、悲壮感は微塵もなかった…
それからしばらくして、アズサが目を覚ました。
「あっちゃん!だ、大丈夫か?」
木林がアズサを抱き起こす。
「…私、どうかなったん?」
安心した反動か、キョトンとするアズサに、木林が悪態をつく。
「どうかなったよ!ほんまによ〜、お嬢様ファッションで来るわ、憑依されるわ、豚に追いかけられるわ!勘弁してくれよ!」
そこにアズサが噛み付く。
「豚に追いかけられたのは高校の時やろ!て言うか、私、何?幽霊に取り憑かれたん?」
怯えた表情になったアズサに、
「うん。でも、もう大丈夫。憑いたのも悪いもんちゃうからな。さ、もう帰ろうや、オレ疲れたわ…」
と説明し、オレは駐車場に向かって歩き始めた…
後から、木林の背中を叩いているのであろう、バシバシと言う音が聞こえてきた…

エピローグ

あれから三日…
オレはやはり嘔吐感に悩まされていた…
嘔吐すれば、必ず人間のどこかのパーツが混じり込んでいる。
今日、耳のような肉片が混じり込んでいたのを見つけて、いよいよだと思ったオレは、叔母に電話した。
叔母から激しく叱責されたが、叔母が遠隔霊視を行なってくれた結果、オレは何者かに『呪詛』を受けているという事だった。
その相手があの老人であるのかは、叔母でも確証が得られないらしい。
厄介な事になった。
それからまた激しく叱責されたが、近いうちに見に行くから、それまで毎日塩風呂を欠かすなと指示を受けた…
しかし、今回の件も謎だけが残った…
あの老人、三階、四宮先輩、白い浴衣の女性、神隠し、龍神の間、天津鶴澤姫命…
もしかすると、あの八龍には何かとんでもない秘密が隠されているのかも知れない…
しかし、オレが気になっているのは、木林が黒板を蹴った時に感じた、何か異質な力…
もしかして、あいつは何か凄い力を持っているのではないか?
そんな気がしていた…

第二章完

第三章へ続く



第ニ章 あとがき

扉シリーズ第ニ章『八龍』を読んで頂き、誠にありがとうございます。
今回は第一章よりかなりボリュームが増え、今後の伏線だらけになっております(笑)
これから少しずつ、それらの伏線を回収しつつ、話が膨らんでいくかと思います。
今回登場した新キャラ達、
斎藤アズサはサブカルチャーズマンションの耳塚シリーズに登場し、エピソードアズサでは主役を務めるキャラです。
耳塚シリーズの『豚難の相』を始めとするエピソードを読んで頂ければ、彼女をもっと詳しく知る事ができるでしょう(笑)
また、市井の心霊現象研究家を自称する益井先生。
彼は、高校時代の先生をモデルにしたキャラです。
今後も活躍してくれる事でしょう(笑)
続く第三章にも新キャラが登場します。
AYAさんも再登場するかも…?
引き続き第三章もお付き合い頂けますと幸いです。
それではまた、ウホウホ!
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