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2016年11月23日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十三話  「澪5」

澪は、不本意ながらも作ってしまった『借り』を返す為、矢崎はるかと食卓についた。

食卓を挟んで向かい合わせ…

久々にはるかの顔を直視する。
あまり凹凸のない、いかにも幸の薄そうな顔には化粧気がない。
しかし、色白なので唇がやけに赤く見える。
服装も地味で、今はグレーのTシャツにデニム姿だ。
髪型も飾らないベリーショートで、一見子持ちの主婦のようだが、肌のきめ細かさが25歳という年齢を辛うじて証明している。

どう見ても晴明に釣り合う女ではない。
見た目だけなら、まだ三角綾の方がマシだろう。

「ハンバーグ、私なりには上手く焼けたと思うの…た、食べてみて?」

はるかが、澪の前に置かれた、茹でた人参とブロッコリーと共に皿に盛られたメインディシュであるハンバーグに視線を送る。
大根おろしが乗っているという事は、和風であるのだろう…

母親はハンバーグが得意で、澪は母親のハンバーグが大好物だった。
はるかにそれを話した覚えは無いが、晴明から聞いたのだろう…

いかにも手作りと言った具合に、褒められた形でないが、匂いは悪くない。

澪は、合掌すると

「いただきます…」

と小声で呟き、ハンバーグを箸で切って、口へ運んだ。
口に入れ、数回咀嚼した後、澪の頭の中に、

『お母さんのハンバーグ』

という言葉が浮かんだ。
何故そんな言葉が浮かんだのかを知るために、澪は更に咀嚼した。

はるかが作ったハンバーグは、母親のハンバーグの味がした。

いや、そんなわけはない。
この女に母親の味が出せるわけがない!
澪はもう一切れ口へ運ぶ。

やはり、口の中に広がるのは母親のハンバーグの味だ。

そんなわけはない…
そんなわけはない…

三切れ、四切れ口に運ぶが、やはり母親の味がする…

澪の手が止まった。

はるかはそれを見て、

「ダメかな?美味しくない?」

と恐る恐る、澪に尋ねる。

『はるかさんにしては悪くないんじゃない?』

澪はそう口に出そうとしたが、その言葉の代わりに、目から涙がこぼれた。

何で?

澪自身が、その涙の原因がよくわからない。

何で今、急に涙が溢れてくるの?

「う…ふぐっ…ううう…」

澪は嗚咽を漏らしながら、涙を流している自分が理解できず、軽いパニックを起こしていた。

はるかの澪に対する印象は、クールでシビア、そして生意気である。
自分は確かに晴明に惹かれている。

しかし、晴明から生命の起源や様々な神秘的な事象を学びたいという思いも本当である。
澪から見れば唯一心許せる晴明を奪われる可能性を排除したいと思うのは当然であろうし、その思いが自分に対するシビアな対応に現れている事も理解している。

それだけ、この土雲澪という少女の心は母親を亡くした寂しさに満ち満ちているのだ。

今、澪の目から溢れ出す涙は、その寂しさから生み出されているものだ。
おそらく、この涙は母親が亡くなって以来、彼女の中に蓄積されてきたのだろう…

何がきっかけになったのかはわからないが、今、その堰が切られたのだ。
そう思うと、はるかは無意識に澪の手の上に自分の手を置いていた。

澪の手からは少し拒絶を感じたが、はるかは構わずにその手を掴んだ。
そうする事で、少しでも澪の寂しさを分かち合える気がした。

そういえば、二ヶ月前にここに来て、彼女と触れ合うのは初めてだ。

澪の涙と嗚咽は止まらない。
はるかの手の温もりが、何故か心地よい。

母親にもこうしてもらった事があったように思う…
そういえば、母親が亡くなって以来、泣いていない…

自分の中にこれほどの涙が蓄積されていたなんて、全く気付いていなかった。
今それが爆発したのは、母親の姿を見、声を聞いたからだろうか…

そして、今気付いた。
今自分の手を握っている矢崎はるかを好きになれない最大の理由に…

何故か、母親を感じるのだ…

外見は似ていない、匂いも違う…

しかし…
ふとした時に何気ない所作から、何故か母親を感じるのだ…

「ううう…」

ポロポロと涙を流す澪の姿を見ていると、はるかは彼女の事が愛おしくてたまらなくなってきた。
何か、自分の奥深いところから、

『抱きしめてあげて』

という、誰かの声が聞こえてくる気がする。
それは次第に耐え難い衝動になって、はるかはまた半ば無意識に席を立つと、愛おしい澪の頭をその胸な抱いた。

澪は、また一瞬動きを止めたが、はるかは構わずにギュッと力強く抱きしめた。
すると、澪ははるかの腰に手を回し、その胸な顔を埋めると、

「うわあ〜ん」

と、幼子のように大声で泣き始めた。
涙と共に溢れ出る澪の中にあった様々な感情が流れ込んでくる…
はるかは澪の頭を撫でながら、無意識に、

「大丈夫、大丈夫」

という言葉が口をついた。

それは、澪が幼い頃泣いている時、いつも聞いていた言葉だった…
母親のその言葉は、いつも澪の中の不安や恐怖心を溶かしてくれたものだった…

もはや恥ずかしいとも思わない。
今、赤の他人のはずの矢崎はるかが母親と同じように自分を受け止めてくれている…
今は子供に戻って甘えよう…

「ぅああああ〜ん!お母さ〜ん!」

澪ははるかの胸を涙で濡らしながら、

『大きな胸も悪くないな…』

と、思った…

続く





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