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2016年12月01日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十八話  「雲神2」

涅槃人…

涅槃といえばニルヴァーナ…

仏教では地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道…
所謂『生老病死』に起因する様々な迷い、悩みに苦しまねばならない六つの世界、または認識から脱却、つまり『解脱』したモノが至る絶対的な幸福世界、また認識の事をいう…
澪は、何かの本で読んだか、誰かから聞いたのか、記憶は曖昧だが、それがそういうモノを意味する言葉だと知っていた。
しかし、涅槃人(ネハンビト)という言葉は初耳である。
語感から、おそらく解脱した人間を指すのだろうと思うが、それならば、母親の魂はその絶対的な幸福世界に在るという事になる…
しかし、雲神も静馬も、それを喜ばしい事ではないと考えているように、澪には見える…
澪とて、先程のイメージの中の母親の姿を見るに、その場所が澪の知る涅槃であるとは考えにくいし、母親が幸福そうにも見えなかった…

「雲神様…涅槃って、涅槃人って、どういう意味なんですか?」

姿は見えないが、圧倒的なスケールの霊圧に包まれ、更に声が聞こえる神格に対し、一介の高校生である自分から声を掛けていいものか、という畏怖と尊崇の感情よりも、澪は母親が在るという『涅槃』の意味を、神格の声で確認したかった。
静馬が何も言わずに頭を垂れたままな事から、失礼には当たらないようだと判断し、澪はホッとしながら神格からの答を待った…

『澪よ…』

神格の涼やかでいて、哀しみを感じる声が響いた。

『涅槃とは…この宇宙に充満する生命を動かす渦…その渦の中心、生命が生まれ、還るべき場所なり…我等神格なれどもその理に漏れぬ…彼の地こそ、全ての苦しみより解放されし魂の揺籠…しかし、彼の時、彼の地、彼の者の猛りにより、涅槃は反転した…それにより、全ての生命は還るべき場所を無くした…涅槃へと至る道は閉ざされ、生命は還るべき場所を失った…渦は逆回りし、生命は永遠に彼の地には至れず、生命皆、すべからく永遠に苦しみの中を彷徨う運命となれり…それ全て彼の者、涅槃の王が業なり…彼の者、生きたるままに涅槃に至りし最初の者、涅槃人なり…然れども、彼の者独りなりけり…それ故、彼の者、念い呼び水に換え、意中の者が魂、彼の地に呼び込む事為すなり…汝が母、霞とて呼び水に流され、彼の地にて涅槃人となれり…』

涅槃とは、宇宙に充満している生命エネルギーの動きの起点となる渦、その中心にある生命が生まれ、還るべき場所である。
例え神格であろうとも、その原理から隔絶した存在ではない。
しかし、ある時、ある土地、ある人物の激しい感情の爆発により、涅槃は反転し、生命の渦も逆回転を始めた。
生命の渦が逆回転し始めた事により、生命は涅槃へ至る前に跳ね返され、永遠に涅槃に還る事ができなくなった。
それ故に、生命は安息を得られず永遠に苦しみの中を歩まねばならなくなった。
涅槃は、生きたまま涅槃へと至った涅槃の王の私物と化した。
しかし、涅槃の王は孤独であった為、意中の者のみを本人の意思に関係なく涅槃へと召喚される…召喚された者は、涅槃人と呼ばれる…

そういう意味なのだろうか?

その内容なら、自分達人間や生命あるモノ達は、一人の人間の激しい感情…おそらく怒りであろうが、そういう一人の人間のエゴにより、死しても尚、苦しみ続けねばならないし、生まれ変わってこれても、苦しみは終わらないのだ…

それほど絶望的な事があるか?

閉じた世界となった涅槃…
孤独の寂しさから魂を呼ぶのなら、その孤独は苦しみであるはずだ、なら、涅槃にも苦しみはあるのだ。
生命は、涅槃を無くしてしまったのだ…
イメージの中の母親も孤独に見えた…
よくはわからないが…孤独ほど耐え難い苦しみはないと思う。
意思や、意識、心と呼ばれるモノは他の存在があって初めて意味を得るものだと、澪は、昔から何と何となく考えていた。
おそらく、その涅槃の王は他者を拒絶しながらも、他者を求めるという矛盾した苦しみの只中にあるのだろう…
その溶けない呪いのような苦しみが、他者を召喚しながら、それを孤独という地獄に放り込んでいるのだ…
澪は思い至った…

涅槃の王とは、あの集合写真で母親に絡みついていた、あの蛇のような男の事ではなかろうか…?

それに、限りなく不可能だと言える事だが、母親を地獄と化した涅槃から救出してあげたい!

またおそらく、自分にも、その呼び水がもたらされているのだ…

「その通りだよ、澪…」

澪の耳に、聞き慣れた優しい低音が響いてきた。
振り向くと、自分の背後に土雲晴明が立っていた…

続く





2016年11月29日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十七話  「雲神」

澪は、土雲の祖神は厳しい髭を生やした老人…
または、蜘蛛のような異形を思い浮かべていた。

土雲家は、古事記に登場する『土蜘蛛』の名を冠する朝廷に従わなかった勢力の中核となった一氏族である。
土雲本家の口伝によると、上古天皇の御世、大和朝廷にまつろわず、抵抗を続けていた土蜘蛛であったが、その中核であった土雲家の祖、『威麻比古』の一族は押し寄せる朝廷からの討伐軍との善戦空しく葛城山中にまで追い込まれた。
しかし、威麻比古が一族救い給えと天に祈ると、雲中より『姿貴き
女の神』が降臨し、

『我、雲中に在りし雲神なり、汝等滅びしを見るに忍びず、我懇ろに祀らわば、汝等滅びずを見ぬなり』

と言った為、威麻比古は片膝ついて頭深く垂れ、

『我、喜びて祀るなり』

と答え、威麻比古の一族は雲神の眷属となり、威麻比古は雲神の真名を頂き、『土雲威麻比古(ツチグモノ)』と名乗り、それより威麻比古の一族は『土雲』の姓を名乗るようになった…

これは霊能の世界に漏れ出ている土雲家の起源にまつわる話だが、澪のようなまだ修行中で、高校に通っている普通の女子高生がこんな事を知るわけもない。
また、今、事の真偽を知るのは当主である晴明と雲神のみである。

しかし、声はすれども姿は見えない…
それは静馬とて同じ事のようで、

「無駄な詮索はやめとけ…雲神様の御姿は晴明にしか見えねぇよ…」

と、目でキョロキョロと雲神を意識していた澪を制した。
それを聞いた澪は、ハッとして頭を更に深く垂れた。

「雲神様…ここにいる土雲澪が彼の涅槃の王の毒気に当てられております…どうかその御力にて、この者を災いからお遠避け下さい…」

その静馬の声が背中から聞こえたと思う程、静馬は頭を下げていた。

『存じておる…澪よ…』

静馬の声に応えた雲神が自分の名を呼んだ事に、澪はどう答えてよいのかわからず、軽いパニックを起こした。

『恐れずともよい…澪よ、汝は今、その元なるモノに彼の涅槃の王が垂れ流したる毒に侵されておる…このまま捨ておけば、その瑞々しき身体も、近々に枯れ果て朽ち果てよう…その禍々しき強き毒を取り除く手は人にはない…澪よ…汝の母を、我は救えなんだ…この上は、何としてでも汝から毒を切り離すは、神たる我の務め…』

雲神の声が頭に響く。
それと同時に、澪の頭にイメージ映像の様なモノがサラサラと小川のように緩やかに流れ込んできた…

雲神が救えなかったといった、澪の母親、土雲霞の姿が、そこにはあった…

写真で見た、高校時代の母親だ…

その母親が、見慣れない場所…どこか知らない田舎の村を歩いている…
その表情にはありありと不安が滲み出ている。
その村は、時代劇に出てくる寂れた農村の様に見えるが…
何かが、どこかが違うように、澪は感じた…
何故こんな場所に母親がいるのか?
それは、イメージの中の母親にもわかっていないように見える…

澪は、悟った…

母親は…土雲霞は…未だこの場所にいる!

澪はバッと頭を上げた。

『察したか…賢い子だ…澪よ、汝が思い当たりしは誠なり…霞が魂は未だ彼の地、涅槃にある…』

雲神は澪の直感を肯定した。
しかし、その肯定された直感の意味がわからない…
霞の魂が、どこかわけのわからない場所にあるのなら、母親はその後どうやって生きていたのだ?
魂を無くして、人は生きていられるのか?
仮に生きていられるとして、魂が無い状態で人は認識を保てるモノなのか?
いや、それは生きていると言えるのか?
生きていないのだとすれば、自分は死人から生まれたのか?
いや、あの優しい母親が死人であるわけがない…
澪の頭の中は、次々に浮かんでくる答えの無い疑問で満ち溢れた。

「澪…お前の母親はな…一度死んだ…」

澪の様子を見て、静馬が口を開いた。
『一度死んだ』…
その言葉は母親の日記に書かれていた!
澪は静馬の目を見つめた。

「土雲霞は一度死んだ…そして、土雲霞じゃない別の何かとして、蘇ったのさ…それで霞姉ちゃんは宮司になれなかった…雲神様と通じあえなくなったのさ…でも勘違いするなよ、人格そのものは霞姉ちゃんそのものだった…優しい母ちゃんだったろ?」

静馬の声色には、母親への強い感情が感じとれた。
静馬は母親を実の姉のように慕っていたのだろう…

しかし、やはりわからない…

別の何かとは、一体何なのか?

『それ即ち、涅槃人なり…』

雲神は哀しみに満ちた声で、澪の疑問に答えた…

続く






2016年11月27日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十六話  「澪8」

地下室へと言うよりは…

少し降りてみると、鍾乳洞の洞窟のようだ…

地下とはいえ、なぜ狂都のど真ん中にこんな場所があるのか…?

澪は階段を降りながら、やはり暗闇の中でこんなに目が効く自分が不思議でたまらない…

それを感じたのか、静馬が背中を向けたまま口を開いた。

「不思議だよな…実はオレにもよくわかんねぇんだけど…多分、ここからすでに『この世』じゃねぇんだよ…神様ってのは、この世におわすもんじゃねぇからな…」

澪はゆっくりと落ち着いた口調で話す静馬に違和感をおぼえつつも、その話には妙に納得してしまった。

この暗闇の中、見える事自体普通ではありえない…

しばらく階段を下りると、階段の入り口よりは少し簡素で軽く見える観音開きの扉の前に行き着いた。

ここは施錠されていないが、おそらく、ここに辿り着けるのは入殿を許された者だけでありるからだろう…

「澪…扉を開けるけどな…開けたら変な感覚するかも…いや、するだろうけど、取り乱すなよ…何の害もねぇからな?」

静馬が珍しく、優しく気遣うような声で、そう言った。

澪には、その優しい気遣いが逆に恐ろしく思えた。

あの静馬にそんな事をさせるような事が、この扉を開けると起こるのだろう…

澪は緩く下唇を噛んだ後に、

「うん…」

と短く返事した。

静馬はそれを確認すると、

「じゃあ、開けるからな…」

と言うと、両手で扉の取っ手を握り、ゆっくりと、扉を開く…

その隙間から冷たい風が澪の頬を鋭くかすめた。

風そのものが凍っているよだと感じるほどの冷気を、その風から感じた。

静馬はまた、

「雲神の君、呪神が末たる者、入殿したるを是れ、許し給え」

と呟く。

乾いた音を立てながら、静馬が扉を開けきると、部屋の中の光景が目に飛び込んだ。

澪の真正面、10メートル以上離れた場所に祠のようなものが見えるだけで、何も無い…

いや、無色透明の空間ではあるが、そこに何らかのエネルギーの流れのようなものが存在する事は感じる…

「行くぞ…」

静馬はそう言うと、部屋に足を踏み入れた。

澪は、その光景に目を奪われた。

静馬が足を踏み入れた瞬間、その後ろ姿が、まるで螺旋の渦に巻き込まれたように、上下左右左右がクルクルと変化するのだ。

澪は無意識に一歩引き下がった。

静馬は足を止めてこちらを振り向くと、

「大丈夫だから入ってこい」

とこちらに声を投げるが、立ち止まっていながらも、その姿はクルクルと回り続け、その声すら螺旋を描いて、こちらに届いているように感じる。

澪は目眩をおぼえた。

「入ればわかる…とにかく入ってこい!」

静馬がこちらに手招きしてくる。

静馬が平気そうな顔をしているので、澪は静馬を信じて、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。

その瞬間、身体の中を風が吹き抜けたような気がした。

澪は、何となくだが、この部屋が何なのかわかったような気がした。

この部屋自体が、もう神様なのだ…

祠はあるが、あれはこの神様と交信しやすくする為の形だけのものなのだろう…

それに、おそらく自分の身体も外に出から見ればクルクルと回っているのだろうが、地に足のつかない浮遊感はあるものの、回転している感覚はなく、まっすぐ前に進んでいるようだ…

静馬は祠の前で立ち止まると、片膝をついて頭を垂れた。

澪も、何とか静馬に追いつくと、その隣で、片膝をついて頭を垂れた。

静馬に倣ったのではなく、無意識に身体がそう動いていた。

澪が頭を垂れると、澪の頭に…いや、澪の全身が耳になったように、全身に伝わる声が響いた。

『よく参った…我が末たる血統の者、汝、土雲澪…その眷属たる者、汝、都古井静馬よ…』

威厳に満ちているが、優しく、何か柔らかいモノに包まれたように感じるその声から、澪は自分の祖神が、女性の神格である事を、その時、初めて知ったのだった…

続く






2016年11月25日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十五話  「澪7」

澪は、都古井静馬の霊能者然とした所を初めて見た。

澪は、土雲家が土雲家の祖神を信仰しているように、都古井家にも信仰すべき神がいて、静馬はその神から力を分け与えられた立派な霊能者なのだと、今更ながらそれを再確認した。

しかし…

確かに今日は『変な物』に見たり、触れたりしている。
母親に関しては、澪の母親なのだ、静馬のいう『ヤベーもん』であるはずがない…
ならば、心当たるのは、あの集合写真に写り込んでいた蛇のような男だ…
あれは、明らかに悪霊の類のモノである。
しかし、それが写る写真を見ただけで影響を受けてしまうものなのだろうか…?
憑かれているという事は、呪詛の類ではなく、その霊体から直接霊障を受けている事になるが、自覚症状は全くない…

しかし、静馬の顔つきの変貌ぶりからして、決して冗談やおふざけでない事はわかる。

「心霊写真…見た」

泣いた事に繋がって欲しくないという思いから母親の姿を見たり、声を聞いた事を伏せたからか、片言になってしまったが、1番無難な回答であると、澪はそう答えた。
静馬は眉間にシワを寄せながら、腕組みして椅子に深く腰掛けなおすと、

「どんな写真だ?」

と、前のめりで尋ねてきた。

「私の部屋にね、お母さんが残したアルバムがあって…」

澪がそう言いかけると、静馬は眉間のシワを更に深くした。

「それに、土雲家の集合写真みたいなのがあって…子供の頃の晴明とアンタも写ってた…もちろんお母さんもね…で、そこに写ってるお母さんにね…何か、蛇みたいな男が…」

澪の話を聞き終わらないうちに、静馬はスマホを取り出すと、誰かに電話し始めた。
相手はすぐに出たようで、静馬が話を始めた。

「晴明、オレだ…ああ、それはいいよ…てか、早く帰ってこい!澪があの写真見ちまったようだ…ああ、憑かれちまってんな…とにかく、やれる事はやっとくから…ああ、早くな!」

相手は外出中の晴明だった。
静馬は電話を切ると、ふっと立ち上がり、澪を見た。

「澪、神殿に行くぞ…」

静馬はそう言うと、乱暴に澪の腕を掴む。

「ちょっと何よ?何すんのよ!?」

澪は静馬の手を振り解こうとするが、男の腕力には敵わない。

「いいから、言う事聞いとけ…マジでヤベーからよ!」

静馬はそう言うと無理矢理澪を立たせる。

「あ、あのっ…」

はるかは狼狽して静馬を止めにかかるが、

「アンタは神殿に入る資格ねぇから、悪いけどここにいてくれ…」

と言う静馬の言葉に逆らう事ができずに下唇をかみしめた。

澪の身に何が起こったのか?

それの想像もつかないはるかは、胸が締め付けられる思いがしたが、自分の奥底から

『彼に任せて』

という声が聞こえた気がして、静馬と澪を見送った…

『神殿』とは、土雲神社の御神体が鎮座する地下室の事である。
ここには、土雲本家の血筋の者と『認められた者』のみが入る事が許される…
『認められた者』とは、即ち土雲家の臣家、都古井家の当主を指す。

都古井家の祖神、俗名『呪神(トコイガミ)』は、土雲家の祖神である俗名『雲神(クモガミ)』の従属神である為、入殿が許されているのだ。
資格のない者が入殿すると、その者には雲神の祟りがあるとされる。

神殿、つまり地下に降りる階段は土雲宅の真ん中を通る廊下の突き当たりにある。
階段のある場所は観音開きの扉に締めきられた小部屋になっており、毎朝、晴明が祝詞と供物を奉納するのと、年に四回ある祭祀以外の時には厳重に施錠されている。
その鍵を持つのは、晴明と静馬の二人だけである。

その観音開きの扉の前に、静馬と澪はやってきた。
扉は黒檀でできた仏壇の扉のような作りで、いかにも神秘的な黒い輝きを放っている。

静馬は懐からジャラジャラとキーホルダーを取り出しながら、

「お前…初めてだよな?」

と、目線も合わせずに尋ねる。

「うん…」

扉の重厚さが澪の声を緊張感させていた。

「ふふっ、初めての相手がオレとはな…」

声には笑気を乗せながらも、静馬の表情は固いままだ。

「変な言い方しないで…」

静馬の冗談の意味を察して切り返した澪だが、その声もまた張り詰めたままだ。

静馬はキーホルダーの中から、一つを、絵馬程の大きさもある、見るからに頑丈そうな南京錠に差し込んだ。
南京錠に見合う大きさで、何やら紋様のような装飾が施されている。

澪は、その大きさと装飾に目を奪われた。
静馬が鍵を回すと、

ガッ、チャン

という、重厚な音がして南京錠が外れた。
静馬はそれを、扉に備え付けてある棚のような所へ置くと、両手で扉の取っ手を掴むと、

「雲神の君、御願い奉る…」

と、感情のない、作業的な声色で呟いた。
おそらく、決まり事なのだろうと澪は思った。

静馬がゆっくりと扉を開く。
見た目より軽いのか、手入れが行き届いているのか、扉は重厚な見た目より簡単に開いた。

扉が開いた隙間から流れてきた香の匂いに、澪は何故か懐かしさをおぼえる。
この匂いは時々、晴明からも感じるものだ…

中は暗黒の世界だ。
しかし、不思議とその暗黒が気にならないくらいに、見える。

「何で…?」

澪は無意識にその疑問わ声にしていた。
その意味を察したのか静馬が、

「普通の人間なら何も見えやしねぇだろうな…見えるなら、それが土雲本家の人間だって証だ…」

暗黒の中、そう言った静馬の口元が笑ったように見えた。

「さ、降りるぞ…」

暗黒の中、何の躊躇もなく、静馬は階段を降り始めた…

あの静馬の背中が、やけに頼もしく見える事に、澪は小さな溜息をつき、静馬の後に続くのだった…

続く






扉シリーズ第五章  『狂都』第二十四話  「澪6」

どれくらいそうしていたのか…

澪の中にあった様々な感情を含んだ重い涙が、ようやく底をつき始めた。
澪の鼻をすする音さえ、はるかには愛おしくて仕方ない。
今まで自分に対して疑心丸出しの冷たい態度を貫いてきた澪を、何故ここまで愛おしく感じるのか、はるかには理解できなかったが、それは考えるべき事ではないと、はるかはその愛おしさを全て自分の心に受け入れていた。

澪は、はるかの胸に顔を埋めたまま、

「ごめんね…ありがとう」

と、いつもの鋭く刺すような声ではない、まだ十代の少女らしい丸く愛らしい声でそう呟いた。

「もう大丈夫?」

はるかは澪の頭を撫でながら、そう声をかける。
澪はまだ顔を埋めたまま、

「うん…もう大丈夫」

と、はるかの腰に回した腕を緩める。
はるかは未婚で今まで母親の気持ち等、想像の域のモノでしかなかったが、少し、それを理解できたような気がして、席へ戻った。

澪ははるかの方を向いているが、顔は伏せたままだ。
そして、右手の人差し指で頬をポリポリと掻きながら、

「めっちゃ…恥ずかしいんだけど…」

と、低い声で呟いたが、その声には照れからくる笑気も含まれていた。
はるかもウフフと笑気を漏らし、薄い唇の前で人差し指を立てながら、

「今のは、二人だけの秘密だね?」

と、笑気と共に囁く。

「うん」

澪は、まだ顔を伏せたまま、そう返した。

「ごめんよ〜」

食卓を挟んだ二人の耳に、玄関の方から男の声が響いた。
声の主は玄関を上がり、こちらへ歩いてくる。

「静馬さんね…」

はるかが笑気を漏らしながら眉間にシワを寄せた。
澪は、

『危なかった!』

と、冷や汗をかいた。
あんな希代の性悪男にさっきの姿を見られていたら、どちらかの生命が終えるまでネタにされるに違いない!
いや、絶対に先に死ぬわけにはいかない。
あの男なら、死後であってもネタにされ続けるからだ!

澪が冷や汗を拭っていると、静馬が台所に姿を現した。

「よう…あれ?晴明いねぇのか?人を呼びつけといて何だそりゃ…おっ、ハンバーグか!いいねぇ…はるかちゃん、オレの分ねぇの?」

澪は思った。

お前の分など、あるわけがない…

いや、もしあったとしても『無い』と答えるのが、この男への正しい対応である。

性悪に加えてガサツ…
真面目とは言えないが、友達が少ない事を除けば普通の女子高生である澪からすれば、静馬は大人になるべき時期に大人になれなかった同情すべき存在である…
しかし、その同情すら芽生えぬ程、澪は静馬を軽蔑している。

「すみません静馬さん…あとは晴明さんの分しか…あ、まだ手をつけてないんで、私の分でよければ…」

はるかはそう言って席を立った。

「えっ?いいのか?じゃあお言葉に甘えて…」

この男は、本当にこうなんだ!
お前に食わせるハンバーグはないんだよ!

澪は、席についた静馬の目の前ではるかの物であったハンバーグを箸でヒョイと持ち上げると、自分の皿に運ぶ。
電光石火の澪の動きに、一瞬惚けた静馬だったが、すぐに我に帰り、

「おい澪!お前何すんだよ!?それはオレの…」

と言いかけたが、そこに澪が被せる。

「ここにはアンタの物なんか何一つないんだよ!」

そう言うと、澪はハンバーグを食べ始める。

「このガキャ〜!こちとら腹ペコなんだよ!ちょっとぐらいくれたっていいだろうが!」

静馬はそう言って澪に突っかかっるが、澪の顔を直視してトーンを落とした。

「あれ?お前…泣いた?」

静馬の問いに、澪は咽せ、はるかは狼狽する。
その様子で問いの答えを理解した静馬は口元を歪ませると、その性悪を発揮する。

「あははっ!澪ちゃん、お目目が充血されておりますわよ?何だよ?男にフラれでもしたか?あ、んなわけないか…お前、友達すらいねぇもんなあ…何だよ?何があったんだよぅ?」

静馬の口撃が始まった。
澪は何とか起死回生の方策を考えようとするが、さっき咽せたのは致命的なミスだった…
どうする?
どうすれば話題を変える事ができる?

「あ、静馬さんそれは…あっ!澪さんさっきまでアレよね?『火垂るの墓』のDVD見てたんだよね?」

はるかが助け舟を出してくれた…
しかし、その舟は明らかに泥舟である…
火垂るの墓は鉄板で泣ける…でも、普通の女子高生が学校から帰ってすぐに火垂るの墓を見る確率は、おそらく宝くじの三等が当たるのと同じくらいの確率だろう…
しかし、

「えっ?マジで?お前、アレ好きなの?オレもさ、テレビでやってたら絶対見るくらい大好きなんだよ!えっ?DVD持ってんの?持ってんなら貸してくれよ!」

静馬は、澪の想定を上回る『馬鹿』であった…
はるかが漕ぎ出した泥舟は、奇跡的に渡るべき河を渡りきった。
しかし、その向こう岸に新たな問題が発生した…
火垂るの墓のDVDなど、持っているわけがない!
大方の人間がそうであろうが、嫌いではないが、買うほど好きではない…
現に大好きであるとのたもうた静馬が持っていないくらいだ…

どうする?
DVDはどうする!?
奇跡は連続しないから価値のある事だ…
ここは己の全知全能をもって切り抜けるより他はないのだ!

澪の目は、そのストレスから、皿に充血の度合いを増した。

「ん?」

突然、静馬のトーンが変わった…

「澪…お前、変なもん見たり、触れたりしたか?」

澪は、再び奇跡を目の当たりにした。
そして、コロコロと興味の対象が変わる静馬の集中力の無さを、土雲の神に感謝した。

「えっ?べ、別に…?」

母親の姿や声、日記の事を話せば、さっきからの実績から考えれば可能性は極めて低いが、泣いてしまった事と繋がる事が考えられる…こう答えるのが無難だ!

しかし、静馬は似合わない真剣な表情で、

「チッ!ちょっとジッとしてろ…」

舌打ちしながら、澪の頭に両手を伸ばす…
静馬の迫力に気圧され、澪は静馬に従ってしまった。
静馬は澪のコメカミあたりに両手をかざすと、

「フッ!」

と、大きな息を吐き出す。
すると、ジュッという何かが一瞬で燃え尽きたような音と共に、静馬の両手から黒い煙のようなモノが上に向かって昇り、消えた。

「嘘言ってんじゃねえよ…今のは一部だ…お前、何かヤベーもんに憑かれてるぞ…」

奇跡の連続の後に澪に訪れたのは、これから降りかかる災いの前触れであった…

続く





2016年11月23日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十三話  「澪5」

澪は、不本意ながらも作ってしまった『借り』を返す為、矢崎はるかと食卓についた。

食卓を挟んで向かい合わせ…

久々にはるかの顔を直視する。
あまり凹凸のない、いかにも幸の薄そうな顔には化粧気がない。
しかし、色白なので唇がやけに赤く見える。
服装も地味で、今はグレーのTシャツにデニム姿だ。
髪型も飾らないベリーショートで、一見子持ちの主婦のようだが、肌のきめ細かさが25歳という年齢を辛うじて証明している。

どう見ても晴明に釣り合う女ではない。
見た目だけなら、まだ三角綾の方がマシだろう。

「ハンバーグ、私なりには上手く焼けたと思うの…た、食べてみて?」

はるかが、澪の前に置かれた、茹でた人参とブロッコリーと共に皿に盛られたメインディシュであるハンバーグに視線を送る。
大根おろしが乗っているという事は、和風であるのだろう…

母親はハンバーグが得意で、澪は母親のハンバーグが大好物だった。
はるかにそれを話した覚えは無いが、晴明から聞いたのだろう…

いかにも手作りと言った具合に、褒められた形でないが、匂いは悪くない。

澪は、合掌すると

「いただきます…」

と小声で呟き、ハンバーグを箸で切って、口へ運んだ。
口に入れ、数回咀嚼した後、澪の頭の中に、

『お母さんのハンバーグ』

という言葉が浮かんだ。
何故そんな言葉が浮かんだのかを知るために、澪は更に咀嚼した。

はるかが作ったハンバーグは、母親のハンバーグの味がした。

いや、そんなわけはない。
この女に母親の味が出せるわけがない!
澪はもう一切れ口へ運ぶ。

やはり、口の中に広がるのは母親のハンバーグの味だ。

そんなわけはない…
そんなわけはない…

三切れ、四切れ口に運ぶが、やはり母親の味がする…

澪の手が止まった。

はるかはそれを見て、

「ダメかな?美味しくない?」

と恐る恐る、澪に尋ねる。

『はるかさんにしては悪くないんじゃない?』

澪はそう口に出そうとしたが、その言葉の代わりに、目から涙がこぼれた。

何で?

澪自身が、その涙の原因がよくわからない。

何で今、急に涙が溢れてくるの?

「う…ふぐっ…ううう…」

澪は嗚咽を漏らしながら、涙を流している自分が理解できず、軽いパニックを起こしていた。

はるかの澪に対する印象は、クールでシビア、そして生意気である。
自分は確かに晴明に惹かれている。

しかし、晴明から生命の起源や様々な神秘的な事象を学びたいという思いも本当である。
澪から見れば唯一心許せる晴明を奪われる可能性を排除したいと思うのは当然であろうし、その思いが自分に対するシビアな対応に現れている事も理解している。

それだけ、この土雲澪という少女の心は母親を亡くした寂しさに満ち満ちているのだ。

今、澪の目から溢れ出す涙は、その寂しさから生み出されているものだ。
おそらく、この涙は母親が亡くなって以来、彼女の中に蓄積されてきたのだろう…

何がきっかけになったのかはわからないが、今、その堰が切られたのだ。
そう思うと、はるかは無意識に澪の手の上に自分の手を置いていた。

澪の手からは少し拒絶を感じたが、はるかは構わずにその手を掴んだ。
そうする事で、少しでも澪の寂しさを分かち合える気がした。

そういえば、二ヶ月前にここに来て、彼女と触れ合うのは初めてだ。

澪の涙と嗚咽は止まらない。
はるかの手の温もりが、何故か心地よい。

母親にもこうしてもらった事があったように思う…
そういえば、母親が亡くなって以来、泣いていない…

自分の中にこれほどの涙が蓄積されていたなんて、全く気付いていなかった。
今それが爆発したのは、母親の姿を見、声を聞いたからだろうか…

そして、今気付いた。
今自分の手を握っている矢崎はるかを好きになれない最大の理由に…

何故か、母親を感じるのだ…

外見は似ていない、匂いも違う…

しかし…
ふとした時に何気ない所作から、何故か母親を感じるのだ…

「ううう…」

ポロポロと涙を流す澪の姿を見ていると、はるかは彼女の事が愛おしくてたまらなくなってきた。
何か、自分の奥深いところから、

『抱きしめてあげて』

という、誰かの声が聞こえてくる気がする。
それは次第に耐え難い衝動になって、はるかはまた半ば無意識に席を立つと、愛おしい澪の頭をその胸な抱いた。

澪は、また一瞬動きを止めたが、はるかは構わずにギュッと力強く抱きしめた。
すると、澪ははるかの腰に手を回し、その胸な顔を埋めると、

「うわあ〜ん」

と、幼子のように大声で泣き始めた。
涙と共に溢れ出る澪の中にあった様々な感情が流れ込んでくる…
はるかは澪の頭を撫でながら、無意識に、

「大丈夫、大丈夫」

という言葉が口をついた。

それは、澪が幼い頃泣いている時、いつも聞いていた言葉だった…
母親のその言葉は、いつも澪の中の不安や恐怖心を溶かしてくれたものだった…

もはや恥ずかしいとも思わない。
今、赤の他人のはずの矢崎はるかが母親と同じように自分を受け止めてくれている…
今は子供に戻って甘えよう…

「ぅああああ〜ん!お母さ〜ん!」

澪ははるかの胸を涙で濡らしながら、

『大きな胸も悪くないな…』

と、思った…

続く





2016年11月22日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十二話  「澪4」

1992年1月20日
今日は授業が終わった後、結花と真千子、三人で真千子の友達の劇団の舞台を見に行った。
前衛的な舞台だったので、正直よくわからなかったけど、結花と真千子は受験で大変なので、久々に三人揃ってのお出掛けだった。
帰りに、『松果苑』の宇治抹茶パフェを食べた。
やっぱり絶品!
結花は本当に泣いてた、ははは!
卒業しても、三人で美味しいものを食べに行こうと約束した。
友達っていいな!


1992年1月24日
今日はお父さんとお母さんの三回忌だ。
あの事故からもう3年経ったんだね…
流石の晴明も顔も覚えていないだろうから、退屈そうにしてた。
都古井のおばさん夫婦は仲が良かったから凄い泣いてくれてた。
お父さん、お母さん、私も晴明も元気だよ。
いつかまた、必ず家族になろうね。
その時は、ちゃんと孫の顔見せるからね。


1992年2月3日
今日は節分だった。
晴明と静馬の為に、都古井のおじさんが鬼になってくれた。
ドサクサに紛れて私も豆を投げたら晴明に本気で怒られた。
大人は投げてはダメらしい。
私もまだ子供なんだけどな…


澪は、日記を読み進める。
書かれてあるのは、本当に日常の他愛もない出来事だ。

母親は過去をほとんど語らない人だったので、澪には新鮮な事ばかりだ…
しかし、文章からは、この頃の母親は明るく前向きな性格であった事がうかがえる。

澪が知る母親は、優しい性格だったが多くを語らない控えめで大人しい性格だった。
かなり印象が違う…
祖父母が亡くなっているのは聞いていたが、事故死とまでは知らなかった?
高校生にして、やはり『死』という事については捉え方が一般とは違う。

澪は母親から人間の霊魂は『生命の海』という場所の『渦』から生まれ、そこに還るモノなのだと教えられた。

母親は、生まれ変わった時はまた家族になろうと書いている…
自分に対しても、また母娘になりたいと思ってくれているのだろうか…


1992年2月14日
バレンタインデー…
受験生にも大事なイベントだ。
結花は前から好きだったサッカー部の中山君、真千子は4組の三浦君にチョコを渡していた。
どちらも反応はまんざらでもなかった様子、良い方向への進展を祈る!
と言うか、私は特に渡すべき相手がいなかった…ので、晴明と静馬、都古井のおじさんにチョコを渡した。
都古井のおじさんは小躍りして喜んでくれたが、晴明と静馬は渡した瞬間、何の躊躇いもなく包みを破り、口に運んでいた。
まだ意味がわかっていないので無理もないが、切ないバレンタインデーだった。


1992年3月11日
お父さん、お母さん、無事に高校を卒業したよ。
結花は美容専門学校、真千子は釜倉芸大に進学します。
三人共地元に残る形になったので頻繁に会えそう。
でも、これから本格的に宮司になる為の修業に入る私は、遊びに行かせてもらえたりするのかな?
不安はいっぱいあるけど、チカラをつけて、土雲家を変える為にも、しっかりしなくちゃ!
お父さん、お母さん、見守っててね!


そこまでゆっくりと、微笑ましく読み進めていた澪は、

1992年4月2日

の日記を目にして、動きが止まった。


1992年4月2日
今日、私は死んだ…


その短い文章の意味が、澪には全く理解できない。

一体どういう意味だ?

何かショックな事が起こって、その比喩として書いた事なのか?
そうじゃないと、一体どういう意味なんだ!?
澪は、空を見つめて考えを巡らせるが、答えなど出るわけがない。
頭に爪を立てて答えを絞りだそうとするが、やはり無駄だ…

ポスポス

また襖をノックする間抜けな音が聞こえた。

「澪さん、御飯冷めちゃう…」

はるかの哀しそうな声が聞こえた。
忘れていたわけではない…
でも今、夕食なんかどうでもいい事だ!

「先に食べててよ!」

澪は机を叩いて怒鳴った。
それから少し、10秒程の無音の間ができた。
澪は少しキツく言いすぎたかなと思いながらも、日記を読み進めようとした。
しかし、

ポスポス

また間抜けな音が響いた。
澪は椅子から腰を浮かせて、

「しつこいなぁっ!先に食べててって言ってんでしょ!こっちにも都合があるんだからさぁっ!」

と、少しの反省とは裏腹にさっきよりもキツい物言いになってしまった。
しかし、またポスポスと言うノック音と共に、

「澪、御飯冷めるわよ…」

という、はるかではない女性の声が聞こえた。
明らかに、忘れもしない母親の声だ。

澪は自分でも驚くくらいの素早さで襖を開けた。
そこには母親…ではなく、はるかが立っていた。
はるかは少し怯えたような顔をしながらも、控えめに、

「澪さん…御飯食べよ?」

と、伏し目がちに澪に言った。
澪は、大きくため息をついた後、頭をボリボリと数回掻いて、無言で部屋を出て階段を降り始めた。
後から、はるかの

「澪さん、ハンバーグ好きだったよね?」

という、嬉しそうな声が聞こえた…

続く





扉シリーズ第五章  『狂都』第二十一話  「澪3」

一族の集合写真の中央あたりにいる高校生の母親…
その母親に絡みついている『透明な男』…
透明ならは可視化できるはずがない。
しかし、澪の目には見えている…
いや、見えてしまった…

まるで透明なゴムホースが巻きついているかのように、蛇のように身体をくねらせた男が母親に巻きつき、長く伸びた首の先についている頭部…髪は逆立ち、大きく見開かれた眼からは狂気を感じさせ、口の両端をあげた嗤いの表情には悪意が滲み出ている…
こう見ると、母親の表情は何かを諦めているようにも見えてくる。

何かとは、即ち、生きる事…

母親は死因は、仕事中の心不全だと聞かされていたが…

絶対にコイツだ!
コイツが自分から母親を奪ったのだ!

澪は激しく憤りをおぼえたが、同時にこの男に対する恐怖心で身体を震わせている自分にも気がついていた。
しかし、眼を離したくても、まるで吸い付けられるかのように眼を離せない。
しかも、金縛りにかかったように身体が動かない…
鼻腔の奥で金属のような臭いもする…
おそらく霊圧というやつだ…
写真を通して感じる、この男の圧倒的な霊圧に、澪は完全に気圧されている事を、澪は理解した。

駄目だ…

この男を見ているだけで…心が爆発してしまいそうだ!

そう思った直後、

ポスポス

間の抜けた音が聞こえて、澪の視線はその男からバッと引き剥がされたように襖に向かった。

「澪さん…夕食…一緒に食べてくれないかな?」

襖越しに、はるかの控えめで寂しそうな声が響いた。

はるかが襖をノックした音が、澪を日常へと引き戻す形になったのだ。
澪は、バッとアルバムを閉じると、他の二冊と一緒に箪笥にしまい込み、乱れた鼓動をてで抑えつつ、『助かった』と思った。

「ダ、ダメかな?」

また、はるかの声が響く。
澪は、不本意ながらも借りができたと思った。

「分かった。すぐに降りるから、ちょっと待ってて…」

澪がそう答えると、

「ありがとう!待ってるわね!」

はるかは年甲斐もなく、少女のように弾むような声で答えると、鼻歌まじりに階段を降りていった…

思えば、部屋に入ったときに感じた冷気…
あれを感じた時に、何かに魅入られていたのかも知れない。
今、この部屋には一人でいない方がいい。
正直、今は食欲が湧かないし、はるかと二人きりの食事も気が進まない…
しかし、澪は今、一人でいる事に耐えられないと思ったのも、はるかの誘いを受け入れた理由の一つだった。
澪は、少し気怠さを感じながら、ゆっくりと立ち上がる…

リィン

部屋に、鈴のような音が響いたような気がしたと思うと、自然と学習机に眼がいった。
これも母親が使っていたものだ。

その椅子に、誰かが座っている…

肩まで伸びた美しく豊かな黒髪…
肩幅の狭いホッソリとした身体を見た覚えのある制服に包んだ女性が、澪に背中を向けた状態で座っている…

「お、お母さん…?」

アルバムで見た、高校時代の母親の後ろ姿に、澪は絞り出すように声をかけた。

ドーナツ屋で見た時のように、動きのない、無機質な感じ…
まるでアルバムの写真がそこに映し出されているかのようだ…

これは、見間違いではあり得ない…
気の迷いでもない…
大好きだった母親が高校時代の姿で、今、自分の目の前にいる!

「お母さん!」

澪は、母親に駆け寄り、肩に手をかけようとした、しかし、その手は空を掴んだ。

一瞬で、母親は姿を消した。

澪は、下唇を噛み締めると、ゆっくりと、今、母親が座っていた椅子に腰をかけた。

母親が使っていた学習机…澪は、机に手をつけ、机を撫でる…

『お母さん…何か伝えたい事があるんだね…』

澪は、心の中で母親にそう呼びかけながら、机に突っ伏した…
こうした事はなかったが、何か、母親の温もりを伝わるような気がする…

「お母さん…お母さんが死んだのは…あの男が関係してるの?」

澪は机に顔をつけながら、机に囁くように、そう、呟いた。

『澪…』

母親の声が聞こえたような気がして、澪は眼を見開く。
それとほぼ同時に、机の中でカタッという音が聞こえた。
澪はハッとして、音がなったと思われる引き出しをスッと開いて見た。

引き出しの中に、見慣れない、古ぼけたノートがある…

澪はそれを取り出すと、机の上にそれを置いた。

『Diary』

水色のノートの表紙には、ピンクの蛍光ペンを使って、筆記体でそう書かれている…
毎日は開かないが、コレは自分の物ではないし、今までこんな物は無かった…

どう考えても、母親の物だ…!

澪は、嬉しいような、怖いような、複雑な心持ちでノートをゆっくりと開いてみた…

1992年1月1日
元旦!
今日から日記をつける事にした。
日付が変わって、土雲家の一年は神様への挨拶から始まる。
毎年聞いてきたけど、お婆ちゃんの祝詞は本当に上手だ。
私もいつかあんな風になれるのかな?
それにしても、我が弟ながら晴明は大した奴だ!
まだ4つなのに、夜中にちゃんと起きて正座して長い祝詞を聞いてるのだ…
まあ、その後電池が切れたみたいにすぐに寝てしまったけど…
何はともあれ、今年は高校卒業…
その後は、本格的にお母さんから宮司としての訓練を受ける事になる…
できるのかな?
いや、頑張らんとイカン!
今年も一年頑張るぞ!

少し丸みのある母親の字は、自分の字に似ている…
しかし、この内容だと…母親は土雲家の当主、つまり宮司を継ぐ事になっていたようだ…
それが何故、シングルマザーとして釜倉で保険の外交員をしていたんだろう…?

澪は、母親の日記に引き込まれていた…

続く






2016年11月20日

扉シリーズ第五章  『狂都』第二十話  「澪2」

『お母さん!?』

その無機質な女性を姿をそうだと思った瞬間、澪は無意識に立ち上がった。

ガチャンという、飲み物が倒れた音が耳に入り、我に戻る。
それに気をとられた一瞬で、母親らしき姿は消えていた…
しかし、今、確かに母親がそこにいたと感じる…

「ちょっと澪ちゃん?ど、どうしたの?」

真由子が目をパチクリさせながら澪を見ていた。

「えっ?あ、いや…」

澪は高鳴る鼓動を抑えつつ席に座りなおす。
真由子が倒れた飲み物を起こし、テーブルを拭きながら、

「だ、大丈夫?」

と、心配そうに控えめな声で尋ねる。
澪は一つ深呼吸をすると、いつもの真顔に戻し、

「ごめん…ちょっと変な物見た…」

と答え、テーブルを拭く。

「変な物って…アレ?」

真由子はそう言って瞳を輝かせる。
藤田真由子は、心霊現象やオカルトに興味のある人間である。
澪の血筋が霊能者の血筋であると知った時の瞳の輝き方を、澪は終生忘れはしないだろう。

「わかんない…でも、もうどっかいっちゃったよ…」

澪は少し笑気を漏らしながら、そう答えた。

「そ、そう…残念…はははっ」

真由子も笑気を漏らしながら飲み物に口をつける。
澪は思った。
普通は知覚できない存在を知覚できるという性質はそれ程魅力的なのだろうか…?

神秘的な感じがするのだろうが、神秘的だと言えるのは晴明レベルの霊力を持つ、ごく一部の限られた人間だけであって、自分みたいなレベルでは知覚できるモノに振り回されているだけだ。
神秘的でもなんでない…

しかし、今のは『霊体』であったのだろうか…?
うまくは表現できないが、そこに映し出された立体映像であったようにも感じる…それも、動画ではない、静止画のように見えた…

『晴明に聞いてみよう』

澪はそう思いながら、真由子の恋話を聞かされて、家路に着いた。

今、澪の自宅は狂都市内の商業ビルに囲まれた築百年を超える二階建ての古民家…所謂、狂町屋造りの木造家屋である。

築百年超と言っても、実際の歴史はもっと古い。
土雲家の本家がそこに居を構えたのは江戸時代中頃であったらしい。
その時代から何度か修理や改築を重ねてきたが、大正初期に建て直されてからは、ほとんど手を入れていない。

晴明が当主になってすぐに、客間を洋風にリフォームしたくらいのものだ。
そこは土雲本家の住居であると共に、全国に散らばる土雲家の総本山『土雲神社』でもあるのだ。

澪は敷地の入り口にあたる赤い鳥居をくぐり、玄関の引き戸に手をかけると、

「ただいま〜」

と言いながら引き戸を開く。
すると、台所から

「おかえりなさい〜」

と言う間延びした女の声が響いて矢崎はるかが現れた。
家に帰ると、この女性が『おかえりなさい』と出てくる事が理解できないし、認めたくない。
澪は明らかな嫌悪感を表にだしながら、

「晴明は?」

と、はるかに尋ねる。
はるかがここに来た直後は、澪の嫌悪感丸出しの顔と声に怯えを見せていたが、二週間程でそれも克服してしまった。
地味で大人しそうな外見とは裏腹に、その性根は図太く、大胆であると、澪は認識している。
何より、その突き出た胸を目にする度に、澪の嫌悪感は募っていくのだ…

「晴明さん、お昼過ぎに外出なされて、帰りは十時過ぎになるとおっしゃってました…」

それを聞いた澪は、

「そう…」

と一言返して、二階にある自分の部屋へ向かう…

「あの、澪ちゃん…」

最初は『さん』だったのに、今は『ちゃん』…
澪がそれに対して露骨に眉をしかめると、はるかは、

「あの、澪さん?夕食用意してあるんだけど…?」

と、澪の名を呼び直して、そう尋ねてきた。
澪は間髪入れずそれに答えた。

「一人で食べて…」

はるかはその答えに哀しそうな表情を見せると、一つ頭を下げてキッチンへと下がっていった。
彼女は弟子入り志願でここに来たはずだ。

誰も料理を作ってくれとか家事をしてくれとか、頼んではいない。
そんな暇があるなら、早く一人前の霊能者になってここから巣立つ努力をすべきだ。
アンタは家政婦じゃないんだから、と澪は心の中でそう思いながら自室の襖を開いた。

襖を開いた瞬間、いつもと違う雰囲気が澪の肌に伝わった。

冷たい…

エアコンをつけているわけでもないのに、部屋の空気がいつもより冷たく感じる…
澪は不審に思いながらも襖を閉めると、机にカバンを置いてベッドに寝転がった。

ふ〜っと大きく息をすると、ドーナツ屋で見た、母親の姿が頭の中で再生される。
それと同時に、今自分が使っている部屋は、自分の母親が高校卒業まで使っていた部屋であると言う事を思い出した。

押入れには、母親が使っていた様々な物が残されている。
二段の押入れの下段には小さな引き箪笥が収められており、その中には母親の高校卒業までの写真を収めたアルバムが数冊残されている。
それを思い出した澪はベッドから起き上がると、押入れを開け、下段の箪笥からアルバムを取り出す。

埃も被らず綺麗なままのアルバムを、澪は一ページ、一ページ、ゆっくりと開き進めていく。

今まで何回かアルバムを開いたが、その度にフィルム写真の温かみが母親への郷愁を増幅させて涙腺を刺激するのか、澪の瞳には切ない涙が滲む…
やはり似ている…

澪の顔立ちはどうやら父似らしいのだが、澪の母親は晴明とよく似ている…
澪が晴明に抱く好意には、これも関係しているのかも知れない…
母親は中学時代にはテニス部に所属していたようだ。

スポーツとは無縁の自分には理解できないが、試合中の写真であろうか、ラケットを握り試合相手を見据えている母親の真剣な表情が輝いて見える。

時々、母親のこんな表情を見た事があるが、こんな輝きは見たおぼえがない。
高校時代は部活に参加していないようで、友人達と写っているものが多い。
どれも楽しそうで、澪は母親が羨ましい気持ちになった。
アルバムを二冊見終わった。

後は、今まで開いた事がなかった小さなアルバムが一冊残されている。
何故かわからないが、今まで開く気になれなかった一冊だ。
しかし、今日は開いてみたい気持ちになった。

澪は少し緊張しながらページをめくる…
これには、この家でとられた写真が収められているようだ…
主に中学から高校時代あたりの母親が写っている。

しかし、

最後のページには、一族の集合写真が収められている。
二十人程の老若男女の中心に、当時の当主であろう女性、その膝に抱かれている小さな男の子は晴明だ。女性の左に立っている男の子は静馬…女性の右には高校の制服に身を包んだ母親が立っている…

『!!?』

澪は写真の母親を見て、小さな悲鳴を口から漏らした。

女性の隣に立つ母親に纏わりつくように写り込んでいる『透明な男』が、澪には見えた…

続く






扉シリーズ第五章  『狂都』第十九話  「澪」

土雲澪は、高校二年生である。
少し小柄だが長い手足に白い肌、黒目がちな目をした和風の顔立ちに、ツインテールがトレードマークであり、街ですれ違う男性が思わず振り返る美少女である。

シングルマザーだった母を亡くし、昨年の春、それまで育った釜倉から、狂都の土雲本家に引き取られた。
現在は叔父にあたる土雲家当主、土雲晴明の養育下にある。
母親は、土雲晴明の十二離れた姉である。

霊感の鋭い女性だったが、保険の外交員として働き、澪を育てた。
父親の事については知りたいと思った事もないので、全く知らないに等しい。
しかし、霊能関係の人間であった事は聞かされていた。

澪も、土雲の血を受け継いで霊感が鋭い。
今は晴明について霊能者としての訓練を受けている。

元来孤独を愛すし、他人に興味を持たない性格である為、友人と呼べる人間は非常に少ない。
今までの人生で澪が自分の好意を自覚できているのは、母親、母親の同僚で親友だった女性、現在唯一の友人の藤田真由子、そして現在の養育者、土雲晴明のみである…
母親の親友だった女性は、母親と同年齢で独身だった。

澪は、その女性から母親と変わりないくらいの愛情を受けており、母親が亡くなった時には一月程その女性の元で暮らした。

澪は幼い頃、父親がいなくても母親が二人いる自分は皆より恵まれていると思っていたくらいだ。
藤田真由子は学校でできた初めての友人だ。

決して嘘をつかず、どうしようもなく不器用だが、何に対しても正直に体当たりでぶつかっていく生き方に、澪は自分に無いモノを感じ、妙に魅了されてしまっている。

そして晴明…
幼い頃にはわざわざ狂都から釜倉まで遊びに来て、遊んでもらったり一緒に風呂に入ったりもした。
晴明は、ただ底ぬけに優しい。

ついつい甘えて反抗的な態度をとってしまうが、澪の全てを受け入れてくれる。
しかし、澪は子供の時に晴明を一度だけ『恐い』と感じた事がある。

母親の葬儀の時である…
そこには晴明と共に土雲家の人間が何人か来ていた。
澪には全く面識の無い面々であったが、その面々は憎々しい表情で、

『家を出たから罰が当たった』

『本家でありながら能無し』

などと、澪にはわからない事で母親の悪口を口にしていた。

それを耳にした晴明は、それまで澪が見た事のない明らかな『怒り』の表情を見せた。
その面々に向かい、晴明は瞬き一つ見せず、まるで氷のような…いや、氷でさえ氷つくような冷たい目でただじっと見ている。

熱の無い冷たい怒り…

その怒りが生み出す冷気は、そこにいた面々にも伝わった。
その面々はバタバタと倒れ、救急車に乗せられ、その後どうなったかは澪は知らないし、知りたくもないが、おそらく無事ではあるまい…

澪は、その時初めて人間が氷つく様を見た…
澪には、彼等の生命の流れ…つまり血液の流れが止まったのだと感じられたのだ…

しかし、それは優しい晴明をそこまで怒らせてしまった彼等の自業自得であり、同情の余地は微塵もないとも、澪は思った。

しかし、それと同時に晴明の力に対する『恐れ』も、澪の心の奥深くに刻まれた…

澪には、今嫌いな人間が三人いる。

まず、都古井静馬という男である。
土雲家の支配下にある都古井家当主で、晴明とは幼馴染である。

根が悪い人間でない事はわかっているが、ニヒリストを気取っている所が生理的に気にくわない。
でも、晴明の役には立っているようなので、我慢するしかないと思っている。

次に、矢崎はるか。
一度晴明に除霊してもらいに来たのだが、それから間もなく弟子入りさせてくれと押しかけてきたのが3ヶ月前…

その目的は、明らかに晴明狙いである。
晴明は何故か簡単に受け入れ、今は住み込みで家事や事務仕事もこなしている。

しかし、澪は彼女の偉そうに突き出た大きな胸が気に入らない。
一日でも早く出ていって欲しいと、毎日考えている。

そして、一番気にくわないのは三角綾である。
テレビにもよく出ている有名な霊能者…美人霊能者であるのは否定しないが、澪には計算高い策略家にしか見えない。

この女も、明らかに晴明狙いで、腹の立つ事に、晴明はすっかりこの計算高い女の策略に乗せられているように見えるのだ。

とにかく、静馬はいいとして、矢崎はるかと三角綾は土雲神社から排除せねばならない。
しかし、彼女等を排除する有効な策を見いだせず、皮肉や嫌味を言う小姑のような事しかできていない状況だ。

その日、澪は学校の授業を終えると、友人の藤田真由子と狂都駅構内にあるマスタードーナツで寄り道をしていた。

「晴明さん、本当に美形で優しいもんね〜」

真由子はそう言うとドーナツをほうばった。

その答えに、澪はイラッときた。
どうすれば目障りな年増女達を排除できるのかと言う澪の相談に対する答えにはなっていなかったからだ…

澪は、店の外に目を向ける…

店の外を行き交う人を眺めていると…
澪の目に、一人の着物姿の女性が映り込んだ…

純白の着物、襟からは赤い襦袢がのぞき、豊かな黒髪を結い上げた色白な女性が、店内の澪から十メートルと離れていない場所から、澪の方を向いて立っていた…
いや、立っているというよりは、そこにあると表現するのが正しいと思える程無機質な感じがする…
まるで、その女性だけ時間が止まっているかのような…

澪は目を細めた…

その女性に、見覚えがあるように思えたからだ…

澪は視力が悪い方ではないが、十メートル離れた人間の顔を確認できる程の視力を持ち合わせてはいない…

しかし、澪は女性が誰であるかわかった…

四十を過ぎてはいるが、色白で美しい顔立ちのその女性は…

まぎれもなく、母親だった…

続く






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