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ブログ移転のお知らせ

jtkの日常はlivedoor Blogに移転しました。これからも宜しくお願いします。

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なお、勝手ながら柏都市計画道路3・3・2号箕輪青葉台線シリーズの更新はしばらく控えさせていただきます。
【(カテゴリなし)の最新記事】

柏都市計画道路3・3・2号箕輪青葉台線B

そもそもこの道は、6号のバイパスとなる予定で、6号の七畝割(ななせわり)交差点から我孫子ICまでを全線4車線で結ぶ予定だ。しかし、松戸市内〜増尾間はなにも整備がされておらず、我々が生きている間に開通するかも微妙だ(汗)。(まあ、いずれ開業するだろうが。)一方、我孫子市内は全線が開業しており、旧沼南町内もほとんどが開通していて、あと残すは沼南庁舎付近と大津川付近のみ。そして、柏市内はこれまで手付かずの状態であったが、ここ最近工事が進められ、暫定的に2車線で増尾の華屋与兵衛から野田線を超える部分が開通した。(前回紹介したところだ。)また、その近くのデニーズも対応工事がなされている。

つづく
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柏都市計画道路3・3・2号箕輪青葉台線A

さて、以前紹介した、都市計画道路3・3・2号箕輪青葉台線の野田線交差部分がついに併用開始となりました。(詳しくはこちら)というわけで、行ってまいりました。というものの、前回も橋は渡ったので、箕輪青葉台線についての話をしばらくしたいと思います。(前回写真を撮ったと言ったのですが…容量が…(涙) というわけで、写真なしです(泣)

つづく
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柏トンネルの謎G

前回の航空写真により、柏トンネルは一旦土を削ってからかぶせる工法で造られたことが確定しました。ここで、前回示した理由の一つ、「遺跡の保存」という可能性はほとんど無いと考えてよいでしょう。ということは、やはり文京区が、国道を通すのに、簡単には賛成しなかったのでしょう。自然豊かな林間学校にぴったりな土地に、切り通しの国道を通し分断するのはとてもじゃないけど納得できるわけがありません。特に、騒音が問題になるはずです。そこで、柏トンネルを建設したのでしょう。これは、完成当時の未舗装道路には少しオーバースペックだったと思いますが、今となっては正解ですね。これによりある程度の騒音は軽減されていると思います。また、国道6号線松戸トンネルは、千葉大の敷地内にあるのですが、ここは、千葉大に迷惑をかけないようにとトンネルにしたようで、もしかしたら文京区の反発はあまりなかったのかもしれませんね。

終わり
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柏トンネルの謎F

以前、トンネルになった理由として、「遺跡の保存」と、「文京区が自然豊かな自分たちの土地に、16号をぶち通すのを嫌った」という2つの可能性が大きくなったわけですが、ここで、思わぬ展開が。1975年1月の航空写真には、完成したトンネルに土をかぶせているような作業が行われていることが激写されていました。

1975年1月の柏市上空航空写真

そして、この一か月後の2月に撮影された航空写真は、そのほとんどが土に覆われていることが分かります。

1975年2月の柏市上空航空写真

その4年後に撮影された航空写真は、現在とほとんど変わらぬ姿になっています。

1979年10月の柏市上空航空写真


つづく
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柏トンネルの謎E

これまた関係ない話だが、実は、柏トンネルは開通当初、現在の千葉方面へのトンネルしかなかった。その後、交通量の拡大による4車線化工事により、横浜方面のトンネルが建設された。それは、トンネルの断面が横浜方面の方がわずかに大きい事からもわかる。そして、この証拠写真が動かぬ証拠だ。


実は、この記事は、柏トンネル付近にある柏二中の創立50周年記念サイトからひっぱてきました。実は、あの有名な力士、麒麟児和春さんは、何と、この柏二中の出身。当時のランニングの様子が描かれています。そして、この中に、柏トンネルを発見した次第です…。

当時の柏隧道は、未舗装で現在とは風景がまったく異なることが分かります。

つづく
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柏トンネルの謎D

そしてもう一つ、理由がある。実は、この「文京区立柏学園」の建物は、中世の平山城である、「戸張城」の跡地に建っており、さらに、その戸張城は、弥生時代の住居跡に建設されているのである。なんと、この土地は弥生時代(もしくはそれ以前)から人々が暮らしてきた土地なのである! そのため、色々な「遺物」が出てくるため、トンネルになったのかもしれない。

つづく
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柏トンネルの謎C

ここで少し話がそれるが、目印1のところに、「学園入口」というバス停がある。


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しかし、あたりには、「学園」というような施設は存在しない。しかし、この「学園入口」バス停の近くにある5差路のうち一本は、この、「文京区立柏学園」へつながっているのだ。


powered by 地図Z


しかし、このバス停から柏学園までは、約1.6qも離れており、文京区のホームページも、柏駅から徒歩30分としか書かれていない。それなのに、停留所名になるということは、当時の柏市への影響は大きかったのかもしれない。ということは、敷地内に国道を通すことは、自然に囲まれた土地にあり、地元にも名が知られた文京区にとって、嫌であったに違いなく、技術的には簡単でも、実際に通そうとするのは難しかったに違いない。

つづく
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柏トンネルの謎B

実は、柏学園の建設は思ったより古く、昭和21年11月である。当時の柏学園周辺は田畑と森林しかなく、東京の小学生の林間学校にはうってつけだったのであろう。ちなみに、当時の航空写真がある。


昭和21年 柏市上空航空写真


この航空写真により、まだ国道16号線は開通はおろか、建設すらされていないのが分かる。なので、柏トンネルは、柏学園の建設後に造られたようだ。

つづく
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柏トンネルの謎A

実は、柏トンネルの上には、文京区立柏学園という、文京区立の小学校に通う小学生の林間学校に利用されている学校がある。文京区民以外の方たちは、柏で林間学校???と思うだろう。柏市は、東京のベットタウンとして昭和30年代頃から開発が進み、現在では40万人が暮らし、住宅や店がひしめき合っている。なぜそんなところで林間学校が行われているのだろうか…。


つづく

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