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2017年10月23日
宗教改革記念礼拝
しかし、人は律法の行いによっては
義と認められず、ただキリスト・
イエスを信じる信仰によって
義と認められる、ということを
知ったからこそ、私たちもキリスト・
イエスを信じたのです。これは、
律法の行いによってではなく、
キリストを信じる信仰によって
義と認められるためです。
なぜなら、律法の行いによって
義と認められる者は、
ひとりもいないからです。
(ガラテヤ人への手紙 2:16)
Joy All Rights Reserved
今年はマルティン・ルターが
宗教改革をしてから500年(厳密には
10月31日)の記念の年です。
昨日は教会で「宗教改革記念礼拝」
を持ちました。
私は今のカトリックも好きですが、
500年前の当時、カトリック教会が
形骸化していた時にルターが
信仰の本質を突きつけたのが
「宗教改革」となりました。
今まで仲介者がいなくては神様と
話せないような状態だったのが
(念のため言いますが、今のカトリックは
そうではないと思います)、信者が
直接神様と交わりを持つことが
できるようになったのが、
「万人祭司」と言われるものです。
そして、努力や修行ではなくて
ただただ信仰のみによって
救われる、というのが「信仰義認」
と言われるものです。
見かけではなく信仰が問われる
ようになった、この改革の恩恵に
預かっている感謝と同時に、また
宗教改革が必要になるくらい
プロテスタント教会も形骸化
してはいないかどうか、振り返る
ことも必要なのではないかと
思います。
命を賭けて信仰の形を残して
くださったルター師を追いつつ、
私たちも命を賭けて信仰を
守っていきたい、と思うものです。
写真、文章の無断転載はご遠慮ください♪
義と認められず、ただキリスト・
イエスを信じる信仰によって
義と認められる、ということを
知ったからこそ、私たちもキリスト・
イエスを信じたのです。これは、
律法の行いによってではなく、
キリストを信じる信仰によって
義と認められるためです。
なぜなら、律法の行いによって
義と認められる者は、
ひとりもいないからです。
(ガラテヤ人への手紙 2:16)
Joy All Rights Reserved
今年はマルティン・ルターが
宗教改革をしてから500年(厳密には
10月31日)の記念の年です。
昨日は教会で「宗教改革記念礼拝」
を持ちました。
私は今のカトリックも好きですが、
500年前の当時、カトリック教会が
形骸化していた時にルターが
信仰の本質を突きつけたのが
「宗教改革」となりました。
今まで仲介者がいなくては神様と
話せないような状態だったのが
(念のため言いますが、今のカトリックは
そうではないと思います)、信者が
直接神様と交わりを持つことが
できるようになったのが、
「万人祭司」と言われるものです。
そして、努力や修行ではなくて
ただただ信仰のみによって
救われる、というのが「信仰義認」
と言われるものです。
見かけではなく信仰が問われる
ようになった、この改革の恩恵に
預かっている感謝と同時に、また
宗教改革が必要になるくらい
プロテスタント教会も形骸化
してはいないかどうか、振り返る
ことも必要なのではないかと
思います。
命を賭けて信仰の形を残して
くださったルター師を追いつつ、
私たちも命を賭けて信仰を
守っていきたい、と思うものです。
写真、文章の無断転載はご遠慮ください♪