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2022年01月08日

シドニー・ポワチエ 死去





またひとり名優が。
「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線」「招かれざれ客」など見たことあります。
黒人初のアカデミー賞は「風と共に去りぬ」のハティ・マクダニエルでしたが、
主演部門ではポワチエが最初でした。















posted by jimmy8989 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2020年08月14日

渡哲也死去





読売

俳優の渡哲也さん死去、78歳…ドラマ「西部警察」などで活躍

産経

俳優の渡哲也さん死去 「西部警察」「仁義の墓場」

朝日
号外:「西部警察」などのドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也さんが死去。78歳 (19:53)

日経

渡哲也さんが死去 俳優、「西部警察」など

毎日

俳優の渡哲也さん死去 78歳 ドラマ「西部警察」 「くちなしの花」ヒット 石原プロ前社長



テレビでも速報を流すほど。
3年前に亡くなった渡瀬恒彦氏の兄としても知られる。

昭和がどんどん遠くなっていくなぁ








posted by jimmy8989 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2020年07月28日

オリヴィア・デ・ハヴィランド氏死去






Gone With the Wind star Olivia de Havilland dies at 104


「風と共に去りぬ」出演 オリビア・デ・ハビランドさん死去


オリビア・デ・ハビランドさん死去、104歳…映画「風と共に去りぬ」メラニー役


オリビア・デ・ハビランドさんが死去 女優


O・ハビランドさん死去 風と共に去りぬ出演女優



各紙伝えています。
「風と共に去りぬ」でメラニーを演じた、オリヴィア・デ・ハヴィランドが104歳で亡くなりました。
一番有名な役がメラニーでしょうが、本作ではアカデミー賞助演女優賞のノミネートにとどまっており受賞はなりませんでした。受賞したのは同じ「風と共に去りぬ」のハティ・マクダニエルです。

映画初出演が1935年であり、ハリウッドの黄金期に活動していた女優の一人。
おそらくハリウッド黄金期に活躍した俳優の最後の生き残りであったと考えられます。

今朝起きてニュース見て結構驚きました。
104歳と非常に高齢でしたから、若いというわけではないんですが、「風と共に去りぬ」を見て
まだこの人はまだ存命してるんだよなぁと思ってたところですから。

これでハリウッド黄金期を知る人物がいなくなったということ。


また生まれが東京都ということもあり、日本とも多少は関係があります。


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posted by jimmy8989 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2019年09月18日

Gary Cooper (1901-1961)





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Gary Cooper (1901-1961) ゲイリー・クーパーはハリウッド黄金期を代表する俳優である。

1901年アメリカ・モンタナ州生まれ。
父親は弁護士や裁判官をしており、家庭は裕福でした。

1924年に父親がモンタナ州最高裁を辞めることになり、ロサンゼルスに移ることになりました。
クーパーもそこに移って、様々な仕事をするわけですが、
友人に紹介され、西部劇エキストラを始めます。
ここから36年にわたる俳優のキャリアが始まります。


クーパーの出演作はエキストラも含めれば
相当な数です。
代表作を3作度軽く紹介します。


1930年 モロッコ
 マレーネ・ディートリッヒ共演
 ディートリッヒ演じる歌手に恋する女たらしの陸軍兵を演じる
 クーパーの名前を広げたのはやはりこの作品であると思う



1935年 オペラハット
    初めてアカデミー賞にノミネート


1941年 ヨーク軍曹
    1941年度アカデミー主演男優賞受賞
    実在のアルヴィン・ヨーク(この映画公開時は生存中)を演じる
   大根役者であるとか言われてたこともあるクーパーですが、オスカー受賞でそのような評価を覆す。
   まだこの作品は記事にしてないので、そのうちやります。


長きに渡って活躍したクーパーですが1961年に前立腺癌のため60歳で亡くなります。
母親よりも先に亡くなったそうで、息子に先に逝かれるというのはかなり衝撃だったでしょう。
前立腺がんは今だど進行が遅いので、かなりの確率で生存・治癒が期待されます。

 








posted by jimmy8989 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2018年12月19日

James Stewart (1908-1997) ジェームズ・ステュアート




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今回はこの俳優について。
ジェームズ・ステュアートです。

1908年ペンシルベニア州生まれ。両親は金物屋を経営していました。
大学はプリンストン大学で、そこでは建築学を勉強していました。
大学の研究で、奨学金を貰うほど優秀でしたが、ステュアート自身は演劇や音楽クラブに興味を持つように。
ハリウッドに来たのは1934年。友人のヘンリー・フォンダが舞台で成功したのを見てでした。
ハリウッドに来たあと、MGMのスカウトの目にとまり、1935年にMGMと契約します。
同年1935年の「舗道の殺人」映画デビュー。
1938年の「我が家の楽園」、1939年の「スミス都へ行く」の2つのフランク・キャプラ作品で主演を務め、高い評価を受け、どちらの作品も大ヒット。大スターの仲間入りします。
1940年の「フィラデルフィア物語」ではアカデミー主演男優賞を受賞しました。

映画で成功を収める一方、この頃は第二次世界大戦が起きていました。
ステュワートは率先して軍隊に参加し、1941年の「美人劇場」を最後に一旦は映画に出演することをやめます。
軍隊では陸軍航空隊に所属し、爆撃機パイロットとして活躍。1968年に退役しました。
戦後は再び俳優として活躍。
戦後の代表作としては「素晴らしき哉、人生!」(1946年)、「ハーヴェイ」(1950年)、「裏窓」(1954年)、「めまい」(1958年)、「或る殺人」(1959年)などがあります。
晩年まで一線で活動した後、1997年に89歳で亡くなりました。


ー代表作ー
1936年 「夕陽特急」 "After the Thin Man"
1938年 「我が家の楽園」 "You Can't Take It with You"
1939年 「スミス都へ行く」 "Mr. Smith Goes to Washington"
1940年 「フィラデルフィア物語」 "The Philadelphia Story"
1946年 「素晴らしき哉、人生!」 "It's a Wonderful Life"
1948年 「ロープ」 "Rope"
1950年 「ハーヴェイ」 "Harvey"
1952年 「地上最大のショウ」 "The Greatest Show on Earth"
1953年 「グレン・ミラー物語」 "The Glenn Miller Story"
1954年 「裏窓」 "Rear Window"
1956年 「知りすぎていた男」 "A Man who Knew Too Much"
1958年 「めまい」 "Vertigo"
1959年 「或る殺人」 "Anatomy of a murder"
1962年 「リバティ・バランスを射った男」 "The Man Who Shot Liberty Valance"
1977年 「エアポート'77/バミューダからの脱出」 "Airport'77"









posted by jimmy8989 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2018年09月14日

Gene Kelly (1912-1996) ジーン・ケリー

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Gene Kelly (1912-1996)

ジーン・ケリー、本名Eugene Curran Kellyはアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の俳優。

1912年、アイルランド系の両親のもとに生まれる。8歳でダンスを始めるも周りから"sissies"と言われ、辞めるが15歳の時に再開。
俳優としてのキャリアはまずブロードウェーから。
1938年、Leave It to Me!というミュージカルのダンサーとしてデビュー。
数年はブロードウェーの舞台で活躍します。

映画界に入ったのは1942年。MGMのミュージカル映画、For Me and My Gal (ジュディ・ガーランドと共演)で映画初出演を果たします。
そして1940年代、50年代は「踊る大紐育」「錨を上げて」「雨に唄えば」「巴里のアメリカ人」など数多くのMGMミュージカル映画に出演します。
「雨に唄えば」などでは自ら監督も務めました。

MGMを去ったあとも映画出演は続けますが、1960年代になるとミュージカル自体が下火になっていくので、普通の俳優として出演することも多くなりました。
1980年の「ザナドゥ」が最後の映画出演となり、1994年の「ザッツ・エンターテインメントPART3」を最後に映画界から引退。
1996年2月2日に83歳で死去。


ジーン・ケリーは1940年、50年代のミュージカルスターです。
同じ時期のミュージカル映画スターにフレッド・アステアが居ます。
共演はほとんどなく2回だけだったはずです。


ー主な出演作ー
1942年 "For Me and My Gal" 「フォミー・アンド・マイ・ギャル」
1945年 "Anchors Aweigh" 「錨を上げて」
1945年 "Ziegfeld Follies" 「ジーグフェルド・フォリーズ」
1949年 "On the Town" 「踊る大紐育」
1951年 "An American in Paris" 「巴里のアメリカ人」
1952年 "Singin' in the Rain" 「雨に唄えば」
1955年 "It's Always Fair Weather" 「いつも上天気」
1957年 "Les Girls" 「魅惑の巴里」
1960年 "Inherit the Wind" 「風の遺産」
1967年 "The Young Girls of Rochefort" 「ロシュフォールの恋人たち」
1974年 "That's Entertainment!" 「ザッツ・エンターテイメント」
1980年 "Xanadu" 「ザナドゥ」













posted by jimmy8989 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2018年09月11日

岡田時彦 (1903-1934)




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岡田時彦 (1903-1934)


昨日「滝の白糸」というサイレント映画を紹介しました。
その主演の一人が岡田時彦という人です。
活躍していた時期が大正から昭和の初期にかけてです。
なので今では知っている人が少ないと思いますが、紹介します。
この時代を代表する二枚目俳優の一人ですから。

生まれは1903年東京府東京市神田区(現東京都千代田区)。
映画界に入ったのは1920年で17歳の時。この時は野羅久良夫、野良久良男という芸名を使っていました。
後に谷崎潤一郎に岡田時彦という芸名をもらいます。(本名は高橋英一といいます)

1925年、日活大将軍撮影所に入りますが、1928年には松竹蒲田撮影所に移籍。
そこでは小津安二郎監督作品に出演し、普通のどこにでもいるような小市民を演じています。
鈴木傳明、高田稔とともに松竹蒲田の三羽烏と呼ばれました。
その松竹も1931年には退社。不二映画社を作るが長続きせず。
1933年には京都に戻り、新興キネマ京都太秦撮影所に入社。
そこで昨日紹介した溝口健二監督の「滝の白糸」などに出演。
だがこの頃から持病だった結核が悪化。1934年1月16日に、30歳の若さで亡くなります。

女優の岡田茉莉子は長女です。
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ドラマとかで見かけます。
岡田茉莉子さんは高校時代「滝の白糸」を見たことを母に話すと、その主演の岡田時彦が父親であることをはじめで伝えられたそうです。
ちなみに岡田茉莉子さんの芸名も谷崎潤一郎が付けたものです。






posted by jimmy8989 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2018年07月27日

Clark Gable (1901-1960)









Clark Gable (1901-1960)
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クラーク・ゲーブルはアメリカ・オハイオ州出身の俳優。

俳優になろうと決心したのは17歳の時。The Bird of Paradiseという舞台を見てからでした。
1924年にエキストラとしてサイレント映画に出演し、映画デビュー。
その後、舞台俳優に戻りますが、舞台出演がメトロゴールドウィン・メイヤーの幹部の目にとまり、1931年にトーキーで映画デビューします。1931年には12本の映画に出演しました。
1934年に「或る夜の出来事」に出演し、アカデミー主演男優賞を獲得しました。
この映画も確かに有名なんですが、ゲーブル出演作の中で一番有名なのにやはり1939年の「風と共に去りぬ」でしょう。レット・バトラー役が非常に知られています。
レット・バトラーの役があまりにも有名なので、他の役が陰に隠れてしまうほど。
ちなみに「風と共に去りぬ」でゲーブルはアカデミー主演男優賞にノミネートされましたが、受賞は逃しています。最も有名な役で受賞を逃すというのは、よくある話です。

第二次世界大戦中は戦争に参加し、終戦後に退役。
その後俳優として、再び活動をし始めます。
ただ、戦前のような輝きはなく、小規模な作品、B級映画などの出演になりました。
1960年に、59歳の若さで冠動脈血栓症のため亡くなりました。


Filmography
1931年 "A Free Soul" 「自由の魂」
1932年 "Red Dust" 「紅塵」
1934年 "It Happened One Night" 「或る夜の出来事」
1935年 "Mutiny on the Bounty" 「戦艦バウンティ号の叛乱」
1938年 "Test Pilot" 「テストパイロット」
1939年 "Gone with the Wind" 「風と共に去りぬ」
1940年 "Boom Town" 「ブーム・タウン」
1945年 "Adventure" 「冒険」
1953年 "Mogambo" 「モガンボ」
1958年 "Run Silent Run Deep" 「深く静かに潜航せよ」
1961年 "The Misfits" 「荒馬と女」 (死後公開)








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2018年07月02日

ワーナー・バクスター Warner Baxter




懐しのアリゾナ [ ワーナー・バクスター ]

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Warner Baxter (1889-1951)

ワーナー・バクスターはアメリカ・オハイオ州出身の俳優。第2回アカデミー主演男優賞受賞者。

1889年に父 エドウィン・F・バクスター (1867-1889)、母ジェーン・バレット(1869-1962)の下で生まれる。
父親はワーナーが5歳の時に21歳の若さで亡くなっています。
ワーナーはコロンバス、ニューヨークと母親と転々し、1898年にサンフランシスコに移り住みますが、そこで地震に遭遇します。

初めはボードヴィルでしたが、1914年に映画デビューします。
まだこの頃はクレジットもされないエキストラとしての出演ですが、1921年にはクレジットされる役に抜擢されます。

バクスターの最も著名な役は1929年の「懐かしのアリゾナ」のシスコ・キッドの役。
バクスターはこの役で1929年度のアカデミー主演男優賞を獲得しました。
その後も出演の続け、1930年代はかなり稼いで人気もありました。
しかし映画俳優というのは、なかなか人気を維持していくのが難しい仕事。
1940年代には人気が低下した、出演作もB級映画が中心になっていきました。
また関節炎にかかり、ロボトミー手術をしましたが、晩年まで映画出演は続けましたが、1951年に62歳で亡くなりました。
母親よりも先に亡くなっています。



ワーナー・バクスターの主な出演作
1914年 "Her Own Money" (Extra)
1925年 "The Golden Bed" 金色の寝床
1928年 "In Old Arizona" 懐かしのアリゾナ
1933年 "42nd Street" 四十二番街
1936年 "The Robin Hood of El Dorado" ロビン・フッドの復讐








posted by jimmy8989 at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優

2018年05月17日

Spencer Tracy (1900-1967) スペンサー・トレイシー

我は海の子 [ (洋画) ]

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スペンサー・トレイシー (1900-1967)

トレイシーはアメリカ・ウィスコンシン州出身の俳優。
1900年父ジョン、母キャロラリンの次男として生まれる。
アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学んだ後、1923年舞台デビュー。
同年にはA Royal Fandangoでエセル・バリモアと共演するも、評価は芳しくありませんでした。
その後『The Last Mile』の舞台に出ていたところを監督のジョン・フォードに見出され、1930年の「河上の別荘」の主役に起用され映画デビュー。ただこの頃はまだ認められておらず、悪役も多かった頃です。
1933年の「春なき二万年」ぐらいから、ようやく認められるようになりました。
1937年の「我は海の子」と1938年の「少年の町」で2年連続でアカデミー主演男優賞を受賞し、大スターへの道を駆け上がっていきます。

トレイシーと言えば有名なのはキャサリン・ヘプバーンとの共演。
9作品で共演しています。
二人は交際まで発展して、ヘプバーンがトレイシーの死を看取っていますが、トレイシーは死ぬまで妻のルイーズとは離婚しませんでした。

トレイシーは1950年代も映画出演を続け、「老人と海」「花嫁の父」などの作品を残しています。
ただ1960年頃になると心臓を悪くし、1967年「招かれざる客」の撮影終了後わずか17日後に、心臓発作のため67歳で亡くなりました。

トレイシーは生涯でアカデミー主演男優賞に9回ノミネートされていますが、これは男優ではローレンス・オリヴィエに並んで最多です。
役柄としては「少年の町」で見せたような温和な人格者が多いような感じですが、実際は気が強いところもあり、上層部と対立することもあったそうです。


主な出演作
1936年 激怒 "Fury"
1937年 我は海の子 "Captain's Courageous"
1938年 テスト・パイロット ""Test Pilot
少年の町 "Boy's Town"
1941年 ジキル博士とハイド氏 "Dr. Jekyll and Mr. Hyde"
1942年 女性No.1 "Woman of the Year"
1944年 東京上空三十秒 "Thirty Seconds Over Tokyo"
1949年 アダム氏とマダム "Adam's Rib"
1950年 花嫁の父 "Father of the Bride"
1955年 日本人の勲章 "Bad Day at Black Rock"
1958年 老人と海 "The Old Man and the Sea”
1960年 風の遺産 "Inherit the Wind"
1961年 ニュールンベルグ裁判 "Judgment at Nuremberg"
1963年 おかしなおかしなおかしな世界 "It's a Mad Mad Mad Mad World"
1967年 招かれざる客 "Guess Who's Coming to Dinner"









posted by jimmy8989 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優
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