アフィリエイト広告を利用しています

ホームレスと会話する私

私はホームレスと普通に会話します。
今日は洒落たオヤジさんのマイカーを紹介します(笑)



これは↓アップの写真です。なんか可愛いでしょ(笑)



私は缶を集めてる人に缶をたまにプレゼントしたりします。



理由はホームレスの人たちの気持ちが分かるからです。

私は小学生中学年くらいまでは わりと裕福な家庭に育ちました。
突然、小学6年の頃、父が経営する会社が倒産しました。

私の生活はそこから地獄が始まりました。
当時の借金額は数千万円。今の金額だと億は越えてると思います。

私がヤクザと普通に話しが出来るようになったのも
ちょうどこの父の会社の倒産がキッカケでした。

小学生ながらヤクザの電話対応、直接の訪問者の対応をさせられたからです。

両親が短い期間ですが私と妹を置いていなくなったので
対応せざるえない状況にありました。

そうなんです。私の両親は私たち姉妹を二人置いて自分たちだけ逃げたのです。
正直、今も両親の事は↑こういう事があったので あまり好きではありません。

ホームレスに近い生活も送った事があるので
ホームレスのオヤジさんたちと話すのはわりと得意な方です。

思春期の時はみんながやってる部活動、私もやりたかった。
普通の子供たちが出来てる普通の生活が当時の私には出来なかった。

ユニホームも買うお金もなかったし、高校は卒業しましたが
都立高校を1校だけ受験させてもらって受験料は当時たったの1000円。
私立高校の受験料の平均は当時1校2万〜2万5000円くらいでした。

高校では授業が終わると掃除は友達に任せて毎日すぐに帰宅して
平日も土日もアルバイトに明け暮れてました。

アルバイトも色んな事をしました。

今のように携帯電話がない時代でしたので当時はまだポケベルも
音しか鳴らないものが主流で一番最新のポケベルでも
やっと文字が打てる、そんな時代でした。

携帯電話が販売し始めたのは私が高校卒業の頃。
自動車電話で設置料込みで35万位かかった時代でした。

私はお金のいいアルバイトを高校の時からしていました。
夜学の学生と偽れば当時は居酒屋のバイトなら採用されました。

私は全日制でしたが夜学もある高校に通っていたので
夜学の生徒とも仲が良く夜学の内部情報も詳しく知っていたので
夜学が終わるのはだいたい夜の20時過ぎ。

21時以降の夜のアルバイトなら都内の繁華街なら朝8時まで
やってる居酒屋もありましたし だいたい深夜2時頃までバイトをしてました。

夕飯は毎晩、今のクラブで食べてました。
当時ディスコと呼ばれていた時代に夕方6時まで入れば
女性は無料で飲み放題、食べ放題だったので不味い食事ではありましたが
自宅に帰っても借金だらけの家ではロクに食べる物がなかったので
毎日ディスコに食べに行って それから21時過ぎからアルバイトの毎日でした。

今、思い出してみても中学、高校時代、部活はやりたかったですね。

私は東京都大会で毎年、義務教育の中学3年生までは
成績が悪くても3位。良い時は1位を短距離でとれてたので
部活は陸上部に入りたかったな・・・・

でも出来なかった。借金の取立てのヤクザたちが凄い勢いで
本当に部活どころではなかった毎日を送っていました。

父の会社が倒産と同時にイジメも始まり
私の学生時代の思い出は いい思い出が一つもありません。

私は友達たちが本当に羨ましかった。

親が学費から食費から、そして18歳になれば免許のお金から
裕福な友達は親に車まで買ってもらって・・・・

私は学生時代、思春期の頃は本当に貧乏だったので
私をイジメた奴らを見返すために法律ギリギリのバイトもしました。

私はわりと暴力的な事が慣れていて そういった事が平気な
性格でしたので その性格に合った法律ギリギリのアルバイト・・・・

高校卒業して自分の貯めたお金で大学も入ったけど2ヶ月で中退。

お金が続かなかった。そしてバイトで疲れすぎて勉強に集中できなくなった。
退学した理由は生活を優先したから。。。。

なんて情けない私・・・・

退学してから私はある賭博場のアルバイト店員からもらった物を
転がす事によって、ちょっとした財を築く事が出来ました。

そうです。プチわらしべ長者の始まりです。
私には当時怖いものが全くありませんでした。

今、死んでも構わない。来週の自分の生活、姿がいつも暗闇で見えなかったから。
何も失うものはない。そして守るものも何もない。

私が死んでも悲しむ者も誰もいない。いつもそう思って死ぬほど働いた。
「法律に触れなきゃ逮捕もされない、合法だろ。」いつもこんな腐った気持ちだった。

因みに私が退学した大学は法学部でした。
私は自分の夢や希望と逆の世界に気付いたら自然と入っていました。

私は自殺するほど気の大きな人間ではありません。
自殺する勇気はなかった。命を絶つ。そんな怖い事が私には出来なかった。

自殺しようとする人たちに言いたい。

「自殺する、そんな凄い勇気があるならホント君は何でも出来るよ。
  死ぬ前に一度考えた方がいい。どうせ自殺したいんだろ。
  自殺する前にちょっとだけ時間、他に使ってみなよ。
  自殺なんてものは いつでも出来る。焦る必要はないさ」って私は言いたい。

学校でイジメにあって自殺してる人も多いけど、学生時代なんて ほんの数年。
悪口、言いたい奴ら、色々してくる奴ら、自分の心の中から存在を消せばいい。

聞こえてくるものは全て無視して「いつかこいつらを見返してやるぜ!」
こんな気持ちで構えていたら学生時代の数年なんて あっという間に終わるよ(笑)

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
本当はこの話を書く予定ではありませんでした。
ホームレスのマイカー写真を見ていたら話題がこれしか思い浮かばず(苦笑)

過去の私の人生の学生時代に自然と触れる内容になってしまいました。

詳しくはまた波乱万丈な人生シリーズで書き綴りたいと思いますが
話しが長くなるため、どこから手をつけて書いたらいいのか迷ってる最中です。

今日のタカちゃんはデイサービスがお休みです。
朝からパニック炸裂〜(>。<) ずっと泣いてましたがやっと落ち着きました。

今日のオヤツは精神安定にも良いチョコレートです。
ジャイアントカプリコ いちご 1本×10本入(004025) グリコチョコが美味しいカプリコの、で...



これ↑美味しいですよね〜(^-^)
    >>次へ
リンク集
<< 2011年01月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
https://fanblogs.jp/jiheisyou/index1_0.rdf
月別アーカイブ
プロフィール

Natari
★ブログをいくつか分けて更新していましたが、こちらのブログはヤプログへ半分移転しました→ http://yaplog.jiheisyo.com/ 過去記事はここへ、このまま残しておき更新は不定期です。◆自閉症・パニック障害・多動症・自傷行為・睡眠障害・ミオクロヌス癲癇(てんかん)・両膝離断性骨軟骨炎・など複数の病気をもつ息子と私の生活日記です。日々の変化はあまり見られませんが少しでも世間の皆様にこういった病気があるという事を知って頂きたいです。◆息子の話題がない時は、『 独り言ブログ&私の体験談 』 に変更し書き綴らせて頂きます。※ブログ内容には著作権がありますが、リンクフリー(アダルトサイト不可)です。
カテゴリアーカイブ
最新記事