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2015年03月29日

3月27日報道ステーション

管理人はあんまりTV観ない人なのでチェックしておりませんでしたが、放送事故だとか古賀茂明氏の電波ジャックだとかいわれてるようですね(yahooニュースの日刊スポーツニュースから)。

「そんなこと楽屋でやれ!」的な見苦しいかどうか基準の批判がネットで多いような感じしますが、でも一応娯楽番組でもないわけですから、その辺どうなんでしょう?

古賀氏の主張である、自身の番組降板が政治的圧力によるものだというのが真実であると仮定すれば、管理人はそこは知りたい部分ですから見苦しかろうがなんだろうが伝えてもらった方が助かりますが…。その時扱っているニュースと関連ない話はするな的意見も多いですが、そもそもニュースを扱う上での政治的検閲度合という報道番組としての前提にかかるテーマなので、古賀氏が番組収録後のインタビューで言うようにゲリラ的にならざるを得ない事情があったとすればしょうがないかなと思いますが…。「あぁ、この番組これくらい検閲かかってるんだ」っていう感じで自分のニュートラル補正できるんで…。ただ、古賀氏の主張が真実か否か、洞察が卓越して勘が鋭いのか、被害妄想なのかは周辺情報から推測する以外ないっていうのが少し面倒臭いですが、自己で考え判断する訓練だと思えば少しは調べる気になるというものです。単に与えられたモノを素通りさせる筒のような思考回路になるのだけは勘弁ですからネ。

一方で、言論の自由とはいっても、世の報道番組で何らかの政治的圧力がかかっていないという事はあり得ないんだから愚痴いってもしょうがない的な冷めた見方もあります。
こんな話をしていると管理人は、故ピエール・ブルデュー氏(フランスの社会学者)がTV出演に際して提示した条件っていうのを思い出します。幾つかあってウロ覚えですが、確かCM挿入タイミングは意見を遮るものであってはダメだとか結構細かい注文であったと記憶しております。同氏は、マスコミの象徴暴力(潜在的、半意識的に押してけようとする圧力)も研究のテーマにしており、このTV出演自体も一つの社会実験であったといったような分析も本で読みましたが、報道番組の社会構造上の立ち位置の関係で、中立報道とはいっても、当の番組編集権保持者すら気付かない内に人間の社会的本能によって通常皆が思っている以上に中立性は歪められてしまうものだというような話でした。確かにそれはあるでしょうし、そこまで取り除くのは困難ですから、観る方としてはそこは足し引きして判断する以外にないでしょう。しかしながら、今回の場合、古賀氏が主張している通りであるとすれば、時の為政者が好ましくないと判断した番組構成上の重要人物を編集権保持者に直接的に圧力をかけこれを除去するとなると象徴暴力レベルではないと思いますし、結構重要な問題だと思います。


こういう話をしていますが、古賀氏の主張を全面支持しているわけでもありませんし、そもそも、あんまりTV観ないんで主張全部を見聞きしているわけでもありません。同日番組にISISの理念に対して支持するかのような意見があり、これも批判されていますが、管理人的には、現実の行動と理念を一旦切り離して客観的に評価しようとする論理構成には賛成します。

でもこれは既存の主流メディア全般にいえることですが、そもそも、ISIS自体がそうした理念によって自然発生的に生まれたテロリストなのか?といったような前提への疑いとか洞察はほとんどないですね…。



(追記)グループシンク

集団浅慮と訳されますが、1970年代にアーヴィング・ジャニスという社会心理学者が提唱した概念で、集団で決めた事柄が大きな過ちにつながる現象のことです。専門的な概念なので複雑な話らしいのですが、要点だけかいつまんでチョー簡単にまとめると同調圧力によって視野が狭くなって妥当な判断が出来なくなるって感じでしょうか?
管理人は会社であんまり熟慮されていないような状況で賛成多数で頼りなさそうな案が可決されそうになったとき、よく反対意見を述べるときに前置きで使用するビジネス概念です。面倒臭いですが、皆さんも使用される時はついでにアービング・ジャニスっていう名前も憶えて間接話法で論理展開しましょう。「君はそう思うかもしれないが…」という出鼻を砕こうとするだけのくだらない反論に対処できて効果的です。特に、参加者全員が賛成というようなケースの場合落とし穴があると考えるべきで、そういう時こそ逆に有効な批判意見がないか熟慮しなければならないといいます。

では、アーヴィング・ジャニスが提唱するグループシンクを避けるための対策とは、

1.リーダーはひとりひとりに批判的な目を持つ役割を割り振る
2.リーダーは自分の意見や予測を最初に言わない
3.信頼できる外部の意見を求める
4.最低1名のメンバーは常に反対する役割を担う
5.外部からの警告を検討する時間を確保する

とあります。
欧米ではディベート文化があるので自分の意見を割とはっきり述べる傾向がありますが、日本の場合、ただでさえ同調圧力が強いのでこの辺を意識しておかないとグループシンクに陥りやすい国民性であると思います。
こうしたグループシンクに陥りやすい集団は不祥事を起こす集団などに顕著にみられますが、実はこの辺が紙一重で、パフォーマンスが飛びぬけて高い集団とも特徴が似ています。集団凝集性が高いため、リーダーに卓越した先見性と洞察力(それと運)さえあれば、その命令に対して迷いがなくひじょうに運営効率が良くなるからですが、  ただし…、  それはあくまでレアケースですから、卓越しているとまではいえないようなリーダーの元では批判意見に耳を傾ける事は重要といえます。

話がだいぶそれているような気もしますが、自分の意見をしっかり表明する事があたかも秩序を崩す否定的な感じで捉えられている社会は思考停止推進しているみたいで嫌気するんですよね。







今日の朝日新聞1面の”プーチンの実像”っていう特集記事で、昨年8月の柔道世界選手権の貴賓席でロスアンゼルス五輪柔道金メダリストの山下康裕氏と同席したプーチン大統領とのやり取りを紹介しています。
山下氏が大統領に安倍首相から託された「二人のリーダーシップで日ロ関係を劇的に改善させたい」というメッセージを伝えると、大統領の表情が一変し、「山下さん。安倍首相はあなたにそう言ったかもしれないが、日本が今やっていることは、その言葉と正反対じゃないか」と、日本のウケライナ危機を理由にした対ロ制裁批判をしたとのことです。山下氏は大統領と長年の交流があるとのことですが、氏曰く「これまで私に見せたことがない、おっかない顔だった」とのことです。その後、大統領は直ぐに我に返ったように「まあ、ここでそれを話してもしかたがない。ヨシ(森元首相)に直接聞いてみよう」とつぶやいたということです。

この記事読んでて思ったのですが、スポーツに政治を持ち込んだらダメだ的な制約がありますよね。アレってなんなん?って思うんですよ。「プロスポーツ選手は豪華なサーカスをして国民の目を政治から遠ざける役割があるのに当の本人が政治的な意見言ってどうーすんのよ!」的に聞こえるんですよ。実際に政治的主張したらメダルはく奪されたりしますよネ。もちろん、歴史的にみて影響力のある人がプロパガンダに利用されたっていう反省からなんでしょうが、だからといって何も意見を述べるなっていうは不自然だし、逆に窮屈な感じするんですけど…。
プーチン大統領の「ここでそれを話してもしかたがない。」っていうつぶやきも、管理人には「君はスポーツ選手だから君にそんな話してもしかたがない。」って聞こえました。自分の意見を表明しない事を是とする文化に長らく浸かっていると、その意見表明が禁止されている分野について思考退行していくような気がします。

でも、これは何もスポーツ選手に限らないと思います。企業内に長く在籍していると、政治・宗教等についてはあまり話題にしないように誘導されるので、ボーっとしてるとその分野の思考退行が進むような気がします。周りを見てるとそう思う事があります。
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