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2019年08月14日

ぼっち”は駄目ですか?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

 今月のテーマは「『ぼっち』は駄目ですか?」。

独りぼっちをやゆする略語が若者を中心に定着しています。「寂しい」「周りの目が気になる」という声の一方で、「一人が好き」といった思いも寄せられました。年を重ねて病気になったときを心配する人もいるようです。さまざまな意見を通して、孤独との向き合い方も考えてみましょう。

 ●生活、マイペースで

 無職女性(69)=福岡市城南区 一人が苦手な人も周囲にはいるが、主体性がないと思う。基本、自分のペースで生活がしたい。友人と食べたいご飯が一致せず、別々の店に入ったこともあった。

 男子大学生(24)=福岡市東区 好きで一人でいるので、自分を「ぼっち」とは思わない。先日、採用試験の面接で「一人旅が好き」と自己紹介すると、面接官に「友達はいますか?」と聞かれて驚いた。「一人が好き」と「ぼっち」は別の話だ。

 会社員男性(36)=福岡県小郡市 生活は、一に仕事、二に家庭。必然的に「ぼっち」になる時間はない。あったとしても、つい仕事のことを考えてしまいそうだし、実際に休日も仕事の連絡がよく入る。思考停止するくらいの「ぼっち」の時間がほしいと思うことも。接待ゴルフでも家族に文句を言われるぐらいなので無理だろうけど…。

 ●いずれは、みんな…

/病気になると孤独に
 主婦(70)=福岡市博多区 好きで独りぼっちになる人はいないのではないか。でも子どもの独立や配偶者の他界で、みんないずれ「ぼっち」になるのだと思う。

今は夫と2人暮らしだが、どちらかが要介護になれば、友達と会うことも難しくなるだろう。以前暮らしていた田舎に比べ、今のマンションでは隣人同士の付き合いもない。この先、一人の時間が多くなっても楽しく生きられる方法を見つけていきたいとは思うが、妙案はまだない。

 契約社員男性(55)=福岡市南区 独身で、つるむような友達もいない。基本はほとんど一人で行動する。なので一人でいることにネガティブな感情はないし、今後もそんな生活を送ると思う。気掛かりは病気や年を取ったときの孤独感だ。ただ、それまでに人間関係を築いてこなかった人が、困ったときにだけ助けを求めるのは身勝手ではないか、とも思う。

 無職男性(79)=福岡市中央区 2年前に妻が他界。生前は「たまには一人になりたい」と思っていたが、今は寂しい。近所付き合いもなく、「おひとりさま向けバスツアー」などに出掛ける気にもならない。民生委員に頻繁に訪問されるのも少しうっとうしい。一緒にいてほしいのは誰でもいいわけではない。

 ●寂しい、楽しめない

 男子高校生(16)=福岡県朝倉市 一人旅や「ぼっち飯」ができる人は格好いいとは思うが、学校では人目が気になるので「ぼっち」になりたくない。寮の昼食に遅れてしまって、一人で食べるときは恥ずかしくなる。みんなが友達と行動しているので一人で何かをする方が目立つ。

 女子大学生(19)=福岡市博多区 周りに合わせて気疲れすることも多いが、一人は寂しいので、大学では常に友人10人ほどのグループで行動している。アルバイトも友人と一緒に応募したい。

 建設業男性(44)=福岡市中央区 独身で友人もいないから、とても寂しい。一人でいるのは好きではない。食事をしたり遊びに行ったりするときは、友人や家族と一緒がいい。

 会社員女性(23)=福岡市中央区 海外への一人旅が好きだ。ただ、旅行中も会員制交流サイト(SNS)で友人の行動をチェックし、自分も近況を報告。「自分のことを忘れられるのでは」という不安から、結局一人の時間を楽しめていない。「ぼっち」にならないようにしなければ、という強迫観念がある。

 ●傷心旅行に浸って 20歳からの手紙 自分の内面見えてきたこと、、、

 恋人との別れをきっかけに一人旅をした福岡市東区の女子大学生(20)が「『ぼっち』も時には悪くない」と長文の手紙を寄せてくれました。要旨を紹介します。

 彼と別れて1週間たたないうちに旅に出ました。頭では納得しても、心がつらい失恋を受け入れられずにいました。何の予定も入れず、いつ帰るかも決めずに出発。知らない土地で、一人で過ごす自分を客観的に見ると、すごく寂しくもなるのですが、失恋の傷は忘れ去るべきものではなく、どっぷりと浸っていてもいいものだと気付きました。

 誰かといれば無理に元気を出そうとしたり、吹っ切れたかのように騒いでみたりもできたでしょう。一人だと、とことん暗く落ち込んでいられました。知らない町を歩いて、温泉やカフェに入ったり、夜は宇多田ヒカルさんの「First Love」を聴きながらネットカフェに宿泊したり…。

 会員制交流サイト(SNS)など、つながりが多すぎる世の中だからこそ、自己の内面が見えにくくなることもあると思います。「人は一人では生きていけない」からこそ、あえて一人になって見えてくるものがあります。

  ●半面 一緒にいる楽しさも ?

 「一人でいたい」という考えは、本人の心からの意思であればそれでいいと思います。ただ、その思いの背景には「人に受け入れてもらえない」と疎外感を感じた経験が隠れているのかもしれません。周囲の環境が「一人でいたい」と思わせてしまっているのです。

 現代社会には、残念ながら「一般常識」や「基準」なるものから外れている人を排除するような雰囲気があります。その社会をつくっているのは私たち一人一人。もう少し寛容な社会でありたいですね。

 「一人が寂しい、つらい」というときは、思い切って誰かにありのままを話してみませんか。話を聞いてくれる人がいれば、それだけで孤独ではないとも言えます。感情を文章や詩、俳句、絵などで表現するのもいい方法です。気持ちが落ち着きます。

 仏教には「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」という教えがあります。独りで生まれ、独りで死に、来るときも去るときも独り−。人生は底知れないほど寂しいものだと説いています。でも寂しいと感じることがあるからこそ、誰かと一緒に過ごす楽しさ、心が通い合った喜びも感じられるのではないでしょうか。

 ●「選ばれない」不安を象徴?

 人間関係は、かつては地縁や血縁といった「共同体」が中心でした。社会保障が充実しライフスタイルも多様化した現代では、生きるために共同体を維持する必要がなくなり、人間関係は自らの好みや目的に応じてつくる「選択的」なものへと変わったのです。

 この関係は、自由に相手を選べる魅力がある一方、相手から「選んでもらえないかも」「切られないか」という孤立への恐れが常につきまといます。関係を維持するために無理したり、本音を隠したり。たくさんの人と「つながっている」のに孤独を感じるのはこのためです。

 ●近年急速に広まった会員制交流サイト

(SNS)は、友人数や「いいね」の数、応答の早さなどを可視化しました。人気や受容度が一目で分かるため、不安は一層膨らみます。そうした不安を背景に「ぼっち」という言葉が生み出されたと考えます。

 漠然と不安を抱くのは自然なことですが、頼りたいのに相手がいないという孤立は解消すべきでしょう。孤立死は増加傾向にあり、社会的な損失です。孤立した人が仲間づくりの場に出ていくのは難しい。買い物や美容院など日常生活の動線上に支援につながる場を設けることが必要だと言う事になるぺんっ、、、
posted by ぺぎそん at 09:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

ぼっち”は駄目ですか?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

 今月のテーマは「『ぼっち』は駄目ですか?」。

独りぼっちをやゆする略語が若者を中心に定着しています。「寂しい」「周りの目が気になる」という声の一方で、「一人が好き」といった思いも寄せられました。年を重ねて病気になったときを心配する人もいるようです。さまざまな意見を通して、孤独との向き合い方も考えてみましょう。

 ●生活、マイペースで

 無職女性(69)=福岡市城南区 一人が苦手な人も周囲にはいるが、主体性がないと思う。基本、自分のペースで生活がしたい。友人と食べたいご飯が一致せず、別々の店に入ったこともあった。

 男子大学生(24)=福岡市東区 好きで一人でいるので、自分を「ぼっち」とは思わない。先日、採用試験の面接で「一人旅が好き」と自己紹介すると、面接官に「友達はいますか?」と聞かれて驚いた。「一人が好き」と「ぼっち」は別の話だ。

 会社員男性(36)=福岡県小郡市 生活は、一に仕事、二に家庭。必然的に「ぼっち」になる時間はない。あったとしても、つい仕事のことを考えてしまいそうだし、実際に休日も仕事の連絡がよく入る。思考停止するくらいの「ぼっち」の時間がほしいと思うことも。接待ゴルフでも家族に文句を言われるぐらいなので無理だろうけど…。

 ●いずれは、みんな…

/病気になると孤独に
 主婦(70)=福岡市博多区 好きで独りぼっちになる人はいないのではないか。でも子どもの独立や配偶者の他界で、みんないずれ「ぼっち」になるのだと思う。

今は夫と2人暮らしだが、どちらかが要介護になれば、友達と会うことも難しくなるだろう。以前暮らしていた田舎に比べ、今のマンションでは隣人同士の付き合いもない。この先、一人の時間が多くなっても楽しく生きられる方法を見つけていきたいとは思うが、妙案はまだない。

 契約社員男性(55)=福岡市南区 独身で、つるむような友達もいない。基本はほとんど一人で行動する。なので一人でいることにネガティブな感情はないし、今後もそんな生活を送ると思う。気掛かりは病気や年を取ったときの孤独感だ。ただ、それまでに人間関係を築いてこなかった人が、困ったときにだけ助けを求めるのは身勝手ではないか、とも思う。

 無職男性(79)=福岡市中央区 2年前に妻が他界。生前は「たまには一人になりたい」と思っていたが、今は寂しい。近所付き合いもなく、「おひとりさま向けバスツアー」などに出掛ける気にもならない。民生委員に頻繁に訪問されるのも少しうっとうしい。一緒にいてほしいのは誰でもいいわけではない。

 ●寂しい、楽しめない

 男子高校生(16)=福岡県朝倉市 一人旅や「ぼっち飯」ができる人は格好いいとは思うが、学校では人目が気になるので「ぼっち」になりたくない。寮の昼食に遅れてしまって、一人で食べるときは恥ずかしくなる。みんなが友達と行動しているので一人で何かをする方が目立つ。

 女子大学生(19)=福岡市博多区 周りに合わせて気疲れすることも多いが、一人は寂しいので、大学では常に友人10人ほどのグループで行動している。アルバイトも友人と一緒に応募したい。

 建設業男性(44)=福岡市中央区 独身で友人もいないから、とても寂しい。一人でいるのは好きではない。食事をしたり遊びに行ったりするときは、友人や家族と一緒がいい。

 会社員女性(23)=福岡市中央区 海外への一人旅が好きだ。ただ、旅行中も会員制交流サイト(SNS)で友人の行動をチェックし、自分も近況を報告。「自分のことを忘れられるのでは」という不安から、結局一人の時間を楽しめていない。「ぼっち」にならないようにしなければ、という強迫観念がある。

 ●傷心旅行に浸って 20歳からの手紙 自分の内面見えてきたこと、、、

 恋人との別れをきっかけに一人旅をした福岡市東区の女子大学生(20)が「『ぼっち』も時には悪くない」と長文の手紙を寄せてくれました。要旨を紹介します。

 彼と別れて1週間たたないうちに旅に出ました。頭では納得しても、心がつらい失恋を受け入れられずにいました。何の予定も入れず、いつ帰るかも決めずに出発。知らない土地で、一人で過ごす自分を客観的に見ると、すごく寂しくもなるのですが、失恋の傷は忘れ去るべきものではなく、どっぷりと浸っていてもいいものだと気付きました。

 誰かといれば無理に元気を出そうとしたり、吹っ切れたかのように騒いでみたりもできたでしょう。一人だと、とことん暗く落ち込んでいられました。知らない町を歩いて、温泉やカフェに入ったり、夜は宇多田ヒカルさんの「First Love」を聴きながらネットカフェに宿泊したり…。

 会員制交流サイト(SNS)など、つながりが多すぎる世の中だからこそ、自己の内面が見えにくくなることもあると思います。「人は一人では生きていけない」からこそ、あえて一人になって見えてくるものがあります。

  ●半面 一緒にいる楽しさも ?

 「一人でいたい」という考えは、本人の心からの意思であればそれでいいと思います。ただ、その思いの背景には「人に受け入れてもらえない」と疎外感を感じた経験が隠れているのかもしれません。周囲の環境が「一人でいたい」と思わせてしまっているのです。

 現代社会には、残念ながら「一般常識」や「基準」なるものから外れている人を排除するような雰囲気があります。その社会をつくっているのは私たち一人一人。もう少し寛容な社会でありたいですね。

 「一人が寂しい、つらい」というときは、思い切って誰かにありのままを話してみませんか。話を聞いてくれる人がいれば、それだけで孤独ではないとも言えます。感情を文章や詩、俳句、絵などで表現するのもいい方法です。気持ちが落ち着きます。

 仏教には「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」という教えがあります。独りで生まれ、独りで死に、来るときも去るときも独り−。人生は底知れないほど寂しいものだと説いています。でも寂しいと感じることがあるからこそ、誰かと一緒に過ごす楽しさ、心が通い合った喜びも感じられるのではないでしょうか。

 ●「選ばれない」不安を象徴?

 人間関係は、かつては地縁や血縁といった「共同体」が中心でした。社会保障が充実しライフスタイルも多様化した現代では、生きるために共同体を維持する必要がなくなり、人間関係は自らの好みや目的に応じてつくる「選択的」なものへと変わったのです。

 この関係は、自由に相手を選べる魅力がある一方、相手から「選んでもらえないかも」「切られないか」という孤立への恐れが常につきまといます。関係を維持するために無理したり、本音を隠したり。たくさんの人と「つながっている」のに孤独を感じるのはこのためです。

 ●近年急速に広まった会員制交流サイト

(SNS)は、友人数や「いいね」の数、応答の早さなどを可視化しました。人気や受容度が一目で分かるため、不安は一層膨らみます。そうした不安を背景に「ぼっち」という言葉が生み出されたと考えます。

 漠然と不安を抱くのは自然なことですが、頼りたいのに相手がいないという孤立は解消すべきでしょう。孤立死は増加傾向にあり、社会的な損失です。孤立した人が仲間づくりの場に出ていくのは難しい。買い物や美容院など日常生活の動線上に支援につながる場を設けることが必要だと言う事になるぺんっ、、、
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ぼっち”は駄目ですか?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

 今月のテーマは「『ぼっち』は駄目ですか?」。

独りぼっちをやゆする略語が若者を中心に定着しています。「寂しい」「周りの目が気になる」という声の一方で、「一人が好き」といった思いも寄せられました。年を重ねて病気になったときを心配する人もいるようです。さまざまな意見を通して、孤独との向き合い方も考えてみましょう。

 ●生活、マイペースで

 無職女性(69)=福岡市城南区 一人が苦手な人も周囲にはいるが、主体性がないと思う。基本、自分のペースで生活がしたい。友人と食べたいご飯が一致せず、別々の店に入ったこともあった。

 男子大学生(24)=福岡市東区 好きで一人でいるので、自分を「ぼっち」とは思わない。先日、採用試験の面接で「一人旅が好き」と自己紹介すると、面接官に「友達はいますか?」と聞かれて驚いた。「一人が好き」と「ぼっち」は別の話だ。

 会社員男性(36)=福岡県小郡市 生活は、一に仕事、二に家庭。必然的に「ぼっち」になる時間はない。あったとしても、つい仕事のことを考えてしまいそうだし、実際に休日も仕事の連絡がよく入る。思考停止するくらいの「ぼっち」の時間がほしいと思うことも。接待ゴルフでも家族に文句を言われるぐらいなので無理だろうけど…。

 ●いずれは、みんな…

/病気になると孤独に
 主婦(70)=福岡市博多区 好きで独りぼっちになる人はいないのではないか。でも子どもの独立や配偶者の他界で、みんないずれ「ぼっち」になるのだと思う。

今は夫と2人暮らしだが、どちらかが要介護になれば、友達と会うことも難しくなるだろう。以前暮らしていた田舎に比べ、今のマンションでは隣人同士の付き合いもない。この先、一人の時間が多くなっても楽しく生きられる方法を見つけていきたいとは思うが、妙案はまだない。

 契約社員男性(55)=福岡市南区 独身で、つるむような友達もいない。基本はほとんど一人で行動する。なので一人でいることにネガティブな感情はないし、今後もそんな生活を送ると思う。気掛かりは病気や年を取ったときの孤独感だ。ただ、それまでに人間関係を築いてこなかった人が、困ったときにだけ助けを求めるのは身勝手ではないか、とも思う。

 無職男性(79)=福岡市中央区 2年前に妻が他界。生前は「たまには一人になりたい」と思っていたが、今は寂しい。近所付き合いもなく、「おひとりさま向けバスツアー」などに出掛ける気にもならない。民生委員に頻繁に訪問されるのも少しうっとうしい。一緒にいてほしいのは誰でもいいわけではない。

 ●寂しい、楽しめない

 男子高校生(16)=福岡県朝倉市 一人旅や「ぼっち飯」ができる人は格好いいとは思うが、学校では人目が気になるので「ぼっち」になりたくない。寮の昼食に遅れてしまって、一人で食べるときは恥ずかしくなる。みんなが友達と行動しているので一人で何かをする方が目立つ。

 女子大学生(19)=福岡市博多区 周りに合わせて気疲れすることも多いが、一人は寂しいので、大学では常に友人10人ほどのグループで行動している。アルバイトも友人と一緒に応募したい。

 建設業男性(44)=福岡市中央区 独身で友人もいないから、とても寂しい。一人でいるのは好きではない。食事をしたり遊びに行ったりするときは、友人や家族と一緒がいい。

 会社員女性(23)=福岡市中央区 海外への一人旅が好きだ。ただ、旅行中も会員制交流サイト(SNS)で友人の行動をチェックし、自分も近況を報告。「自分のことを忘れられるのでは」という不安から、結局一人の時間を楽しめていない。「ぼっち」にならないようにしなければ、という強迫観念がある。

 ●傷心旅行に浸って 20歳からの手紙 自分の内面見えてきたこと、、、

 恋人との別れをきっかけに一人旅をした福岡市東区の女子大学生(20)が「『ぼっち』も時には悪くない」と長文の手紙を寄せてくれました。要旨を紹介します。

 彼と別れて1週間たたないうちに旅に出ました。頭では納得しても、心がつらい失恋を受け入れられずにいました。何の予定も入れず、いつ帰るかも決めずに出発。知らない土地で、一人で過ごす自分を客観的に見ると、すごく寂しくもなるのですが、失恋の傷は忘れ去るべきものではなく、どっぷりと浸っていてもいいものだと気付きました。

 誰かといれば無理に元気を出そうとしたり、吹っ切れたかのように騒いでみたりもできたでしょう。一人だと、とことん暗く落ち込んでいられました。知らない町を歩いて、温泉やカフェに入ったり、夜は宇多田ヒカルさんの「First Love」を聴きながらネットカフェに宿泊したり…。

 会員制交流サイト(SNS)など、つながりが多すぎる世の中だからこそ、自己の内面が見えにくくなることもあると思います。「人は一人では生きていけない」からこそ、あえて一人になって見えてくるものがあります。

  ●半面 一緒にいる楽しさも ?

 「一人でいたい」という考えは、本人の心からの意思であればそれでいいと思います。ただ、その思いの背景には「人に受け入れてもらえない」と疎外感を感じた経験が隠れているのかもしれません。周囲の環境が「一人でいたい」と思わせてしまっているのです。

 現代社会には、残念ながら「一般常識」や「基準」なるものから外れている人を排除するような雰囲気があります。その社会をつくっているのは私たち一人一人。もう少し寛容な社会でありたいですね。

 「一人が寂しい、つらい」というときは、思い切って誰かにありのままを話してみませんか。話を聞いてくれる人がいれば、それだけで孤独ではないとも言えます。感情を文章や詩、俳句、絵などで表現するのもいい方法です。気持ちが落ち着きます。

 仏教には「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」という教えがあります。独りで生まれ、独りで死に、来るときも去るときも独り−。人生は底知れないほど寂しいものだと説いています。でも寂しいと感じることがあるからこそ、誰かと一緒に過ごす楽しさ、心が通い合った喜びも感じられるのではないでしょうか。

 ●「選ばれない」不安を象徴?

 人間関係は、かつては地縁や血縁といった「共同体」が中心でした。社会保障が充実しライフスタイルも多様化した現代では、生きるために共同体を維持する必要がなくなり、人間関係は自らの好みや目的に応じてつくる「選択的」なものへと変わったのです。

 この関係は、自由に相手を選べる魅力がある一方、相手から「選んでもらえないかも」「切られないか」という孤立への恐れが常につきまといます。関係を維持するために無理したり、本音を隠したり。たくさんの人と「つながっている」のに孤独を感じるのはこのためです。

 ●近年急速に広まった会員制交流サイト

(SNS)は、友人数や「いいね」の数、応答の早さなどを可視化しました。人気や受容度が一目で分かるため、不安は一層膨らみます。そうした不安を背景に「ぼっち」という言葉が生み出されたと考えます。

 漠然と不安を抱くのは自然なことですが、頼りたいのに相手がいないという孤立は解消すべきでしょう。孤立死は増加傾向にあり、社会的な損失です。孤立した人が仲間づくりの場に出ていくのは難しい。買い物や美容院など日常生活の動線上に支援につながる場を設けることが必要だと言う事になるぺんっ、、、
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2019年07月27日

ストレスに強い人がやっているたった2つのこと嫌なことをあえて思い出す?自分を機械ととらえる?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

※この記事は、ひろゆき氏の著書『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』=SB クリエイティブ出版、2019年4月15日刊=の中から一部を抜粋・編集していますぺんっ!

(1)理不尽な上司・同僚を撃退する3つのテクニック

(2)仕事ができる人の秘訣は「それっぽさ」?正論よりも雰囲気が重要

(3)ストレスに強い人がやっているたった2つのこと「嫌なことをあえて思い出す」「自分を機械ととらえる

■「ネガティブな感情」を消す2つのルール
●あえて、イヤな記憶をフラッシュバックさせる

日々生きていると、イヤな目に遭うことは避けられません。

他人から理不尽に怒られたり、近所の人にゴミ出しのことで文句を言われたり、いきなり天気が崩れて休日の予定が台無しになったり。誰かにぶつかってこられたとか、足を踏まれたとか、どんなにお金持ちだろうと、イヤな思いをすることは必ずあります。


時には、過去の失敗や不運がフラッシュバックしてきて、「ああーっ」と頭を抱えたくなることだってあるでしょう。
僕自身もこういうことはあるんですけど、対処法を見つけてからは、大して気にならなくなりました。

注意してほしいのは、「イヤな記憶」への対応方法は、人のタイプによるということ。人間のタイプには大きくわけて次の2つがあります。

・イヤなことを考え続けられる人
・イヤなことを考え続けるとそれがストレスになり、自爆してしまう人

僕は前者だということがわかっているので、それに応じた対処法を取るようにしているわけですが、もしあなたが後者の場合は、これから紹介する方法を無理に実行しないほうがいいでしょう。一、二度試してみて、どうしてもストレスが悪化するのであれば、あとでお伝えする別の方法を検討してくださいね。
「イヤな記憶」に対する僕の対処法は簡単で、あえて何度もそのことを思い出すようにするというもの。

たとえば、電車の中で足を踏まれて、なおかつ怒鳴られるなんて理不尽な目に遭ったら、すごくムカつきますよね。

だけど、それを何度も何度も思い出していると、そのうち何も感じなくなる。人間の脳は、同じ刺激に慣れる性質がありますからね(繰り返しますが、何度思い出しても慣れない人は、無理に思い出そうとはしないでくださいね)。

足を踏まれて怒鳴られた時、自分ははたしてどうすればよかったのか。こっちも怒鳴り返してやったら、すっきりしたのか。でも、そんなことをすればさらにもめてもっとイヤな気分になっていたかもしれない。

いや、やっぱり怒鳴り返すべきだったのか。でも現実にはそうしなかったし、今さらどうしようもない。じゃあ、やらなかった過去の自分が悪いのか。だけど、自分に非がないのに、なぜ自分を責めなければいけないのか……。
こんなことを繰り返し考えていると、僕はどうでもよくなってきちゃうんですね。

●「イヤなこと」が思い浮かんだ時のリアクションを決める

イヤなことがあった時にあれこれ悩んでしまうのは、「こうすればよかった」という後悔があるからです。だけどたとえば、いきなり怒鳴られて動揺したら、とっさにうまい反応なんてなかなかできないですよね。だから、その時の自分の反応なんて、どうしようもないことです。よく考えてみると人間って、そんなに自分の言動に主導権を持っていません。

雨が降ってきた時、雨に対して真剣に怒る人はいないじゃないですか。もちろん、にわか雨に降られたらぶつくさ文句は言うにしても、雨自体に怒っているわけではないでしょう。僕たちは、自然現象に対してある意味あきらめている。

であれば、自分自身の反応も自然現象だと考えてみる。「自分のできること」ではないと認識すれば、雨に怒らないのと同じで、どうでもよくなってくるわけなのですよ。

では、イヤな記憶を思い出すことがどうしてもストレスになってしまう人は、どうすればいいか。

これは僕の知り合いが実行している方法なんですが、彼は「イヤなことを思い出した時」にするリアクションを決めているそうです。

たとえば、「大事なプレゼンで失敗してしまった」ということを思い出して、「ああーっ」となってしまったら、「左手をぐっと握る」。

「告白したけどふられた」ことを思い出したら、「右の耳たぶを引っ張る」とか。

そうやってリアクションをあらかじめ決めておいて実行するようにすれば、アクションのほうに意識が向きますから「イヤなこと」自体がだんだん気にならなくなってくる。これはうまい対処の仕方だと思います。

イヤなことをずっと考えるのが辛い人は、思い出した時に意識を別のことに向けるように心がけるのがいいでしょうね。寝るのでもいいでしょうし、運動するのでもいいでしょう。とくに運動は集中しやすいので、おすすめです。余計なことを考える暇をなくしましょう。

●自分自身を「機械」or「動物」として俯瞰してみる?

多くの人は、自分たち人間のことを「知性的な存在」だと考えているようですが、僕はそうでもないと思っています。なぜなら、人間が物事を判断する際に使われるのは、たいていの場合、知性というより、「勘」や「その時の気分」などといった動物的な本能だからです。

たとえば、目の前にお茶と水を出されたとしましょう。あなたは、あれこれ考えた末に、お茶に手を出したつもりかもしれませんが、はたしてそれはあなたの意思によって選択した行動といえるでしょうか?

自分で選んだつもりでも、その日の温度や湿度といった環境に影響されたのかもしれないし、以前見たテレビのCMに影響されたのかもしれない。生まれつき、お茶の香りを好む遺伝的な形質があったのかもしれない。

人間は自由意思で選択したと思っているけど、たんに受けた刺激に対して、機械的に反応を返しているだけなのかもしれません。

恋愛や結婚にしてもそう。自由恋愛では、自分の意思で相手を選んだと多くの人は思っているけど、たんに脳のニューロンがたまたまそういうタイプに強く反応しているだけで、それを恋とか愛とか思い込んでいるだけ、と考えることもできるわけです。

もしかしたら皆さんは、「人間は機械じゃない!」といいたくなるかもしれませんが、自分のことを機械的な反応を返す機械、あるいは本能で行動する動物だと客観的にとらえてみると、メンタルを整えやすくなりますよ。

落ち込んだり不安になったりした時、「この機械あるいは動物に、どういう刺激を与えたら、調子がよくなるだろう」と考えてみましょう。

【POINT】
・イヤな記憶への対処法は、

「1.イヤなことを考え続けられる人」
「2.イヤなことを考え続けるとストレスになる人」の2タイプによって異なる。

・「1」のタイプの人は、イヤな気持ちに慣れてどうでもよくなるまで何度も思い出してみる。「2」のタイプの人は、イヤな記憶が浮かんだ時のリアクションを決める。

・自分自身を「機械」もしくは「動物」としてとらえてみると、精神状態を整えやすくなる。

■ネットのバカを華麗にスルーするスキル

●ネット上では「自分の理想像」がこじれるとキツい

本書でご紹介してきたバカな人やムダなものに振り回されない技術は、リアル社会だけではなく、ネット社会でも応用できます。

ネット、とくにSNSが普及したことで、僕たちは自分以外の人がどんな暮らしをしているのかをリアルタイムで知ることができるようになりました。

次々にタイムラインに流れてくる他人の「リア充投稿」を見て、自分と比較してがっかりする、なんていうことも、多くの人が普通にSNSを使い始める前の時代には考えられないことでした。とはいっても、SNSに上がっているのはあくまでも偶然生まれた「人生のキラキラした瞬間」を切り取ったものなんですけどね。

そうやって他人の人生をのぞき見できるようになると、人によっては「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむことになるわけです。

いい暮らしをしている人を見て「うらやましいな」ですめばいいんですが、マイナスの感情をこじらせて論理が歪んでいくとけっこう厄介です。

こじらせてしまう人は、「自分はこうあるべきである」という「理想の自分」を持っています。

理想の自分像に近づくための「建設的努力」ができれば何の問題もないのですが、「理想の自分」になれないフラストレーションはやがて、次のような順序で、周囲の人への攻撃へと向かっていくことが多々あります。

「自分はこうあるべきである」
     ↓
「理想的な人生を送っている(ように見える)人がいる」
     ↓
「自分は理想通りに生きていない」
     ↓
「なぜこうあるべき状態にないのか」
     ↓
「きっとアイツが悪いに違いない」

こういう人ってリアル社会にもいますよね?

やたらと他人を攻撃する迷惑な人は、「自分へのマイナスの感情をこじらせてる人なんだ」と認識して、自分からはなるべく関わらないのが吉ですよ。

●SNSにはびこる「上から目線」の構造

TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSは、アカウントを持っていない人のほうが珍しいくらい、みんながやっています。
だけど、たいていの人は、SNSを使っても大してトクしないと思うのですよ。

ニュースサイトや有益な情報を発信する人をフォローして、情報源として活用するのであればいいですけれど、普通の人がべらべら世間話をしているのを見たり、ましてやそこに自分も参加したりするのは、基本的に時間のムダです。

前述したように、SNSにアップされる写真やテキストは、投稿者の日常全部ではなく、たまたま発生した「キラキラした瞬間」を切り取ったものにすぎません。

「こんなにおいしいパンケーキを食べている」「こんなにすてきな異性とつき合っている」「こんなにきれいな場所を旅行している」、そういうのを見聞きすると、うらやましくなったり、自分はこんなにキラキラしてない、と落ち込んだりする。

すごい数のフォロワーがいるインスタグラマーも、ほとんどの時間はだらだらと過ごしているかもしれないけど、そういうところは見えない。他人の最高の瞬間だけを延々とながめ続けていても、手に入るのはマイナスの感情だけです。そのために貴重な時間を使うのはもったいない。

ただし、僕はアラブ石油王なんかのInstagramはよく見ますね。「白いヒョウを買った」という投稿を見て、「すごい! ヒョウって買うモノなんだ!」と感心しても、べつにそれが妬ましくなったりはしません。自分自身とはまったく別次元のネタとして楽しめるんですよね。

こんなふうに、あくまでSNSは、自分と関係のない面白ネタやお役立ちネタの情報源だと割り切り、マイナスの感情とは距離を取ることが重要です。

●ネットで絡んでくる人は「正義感」を持っている

SNSでは「炎上」が頻発していますが、あれはシェアやリツイートといった情報拡散の仕組みによるだけではなく、マイナスの感情を持つ不幸せな人が増えているということの現れなのでしょう。

SNSがなかった頃でも、会社の給湯室や居酒屋で愚痴をこぼすという文化はありましたが、SNSの登場以降、不幸な人の割合が増えている印象を受けます。

Twitterで炎上したり、クソリプを飛ばしたりしてくる人たちは「正義」を振りかざす人の割合が高いです。それは、他人を攻撃する「大義名分」を得ていると思って、自分的には気分よくなってしまっているんですね。他人を攻撃するのって気持ちいいんですよ。だって、自分としては、いいことをしてるんですから。

彼らからすると、「落ち度は悪いヤツにある」ので、いくらでも攻撃していい。すると、いつも言わないようなキツい言い方にエスカレートしていきがちです。

でも、炎上している人としては、相手は「悪者」なので、自分のしている行為は、正義なんです。他人を貶めたり罵倒したりすることで、自分のマイナス感情を何とか処理しようとする。幸せなプラスの感情になるわけではないのに、他者を引き下げることで自分のマイナスを相対的に減らそうとするんですね。

幸せな人ならそんなことをする必要はありません。ネット上で知らない人を罵倒するよりも、友達や恋人と遊んだりしているほうがぜんぜん楽しいわけですから。

僕は1999年に匿名掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げましたけど、匿名掲示板と、実名あるいは固定アカウントが基本のSNSでは、かなり文化に違いがあると感じます。
匿名のやり取りであれば、論争になっても、面倒くさくなった時点でやめてしまえばいい。自分の書き込みに対して攻撃が加えられたところで、べつに守らなければならないものがあるわけでもないですし。

●身元を特定されると、論争が泥仕合になる
とはいえ、実名や固定ハンドルネームのSNSだとそうはいきません。

自分とひもづけられたアカウントがあるかぎり、それに対する攻撃には反応せざるをえません。とくにTwitterはわずか百数十文字でやり取りするわけですからね。

論争に決着がつきにくいわけです。
SNSで激しく炎上したり、粘着質な人に絡まれたりして面倒だと感じた場合は、アカウントを消すのが一番の対応策です。固定のアカウントがあるかぎり、自分の周りの人にも炎上が波及したり、過去の発言まで根掘り葉掘り調べられたりして揚げ足を取られてしまう。それよりは、アカウントを削除して、被害を最小限に食い止められたほうがいいでしょう。一度SNSをやめたら、冷静になれると思いますよ。

ネット上で発信をしたいのであれば、SNSではなく、ブログがおすすめです。ある程度まとまった量のテキストを書こうと思えば、頭の中を整理してロジックを組み立てる必要がありますし、書いたテキストは成果物になります。成果物は長文のテキストでなく、詩や音楽、映像でもいいんですけどね。

SNSに投稿すると何かをやった気になりますけど、これって、たんなるガス抜きです。せっかくわいてきたモチベーションをムダに消費するだけで、何の成果物も残りません。

●「自分に関係ないこと」を気にするだけムダ

ネット上には、いろんなことで怒ったり、不満になったりしている人がたくさんいます。「中国が攻めてきたらどうしよう」とか、「トランプ大統領のせいで、これから世界はどうなるんだろう」「日本経済はこれからどうなるんだろう」とか。

日本や世界がどうなっていくのかについて、情報を集めて冷静に考えてみることには意味があるでしょう。

だけど、中国がどうだとか、アメリカがどうだとか、日本の政治がどうだとか、憤ったり憂いたりしても、ぶっちゃけ、僕たち自身がその状況を変えられるわけではありませんよね。

国のことを心配するよりも、自分自身のことを心配したほうがメンタル的にも身体的にもよほど建設的で、意味があると思うのですよ。

まずは、自分の生活をきちんと立て直して、快適に暮らせることを優先しましょう。

それ以外のことは考えてもしょうがないし、自分の関与なしに決まることを「そうなったら困る」と心配してもあまり意味がありませんからね。

洗濯物を干して外出したら、雨が降ってきた。「洗濯物を取り込まないと!」なんて出先で考えても、雨がやむわけではありません。雨が降っているのはどうしようもないことだし、そんなことを考えること自体が無意味です。

だから、僕は「自分がどうにかできること」以外は、こだわらないようにしています。
匿名掲示板「2ちゃんねる」に関して、今現在も僕はたくさんの係争を抱えてるんですけど、それもべつにストレスにはなっていません。

なぜかといえば、裁判についてはすべて弁護士に任せてありますし、判決を決めるのは裁判官だから。今僕が何か考えたところで判決が変わるわけではありませんから、考えてもしょうがないですもんね。

自分にはどうにもできないこと、どうでもいいことより、自分の人生にとって有意義なことを考えたほうがずっとおトクです。
「自分の人生にとって有意義なことを考える」なんていうと、皆さんの中には意識高い系っぽく感じる人もいるかもしれません。

・すごく好きなもの
・強く興味があること
・やると楽しくなれること

こんなふうに言いかえてもいいでしょう。
肉が好きなら、安くておいしい肉を通販サイトで探すのもいいですね。怒ったり不安になったりしているよりも、そちらのほうがよほど意味のあることだと思うのですよ。

【POINT】

・SNSは、自分と無関係の「ネタの宝庫」として割り切り、「リア充投稿」に対するマイナスの感情とは距離を取ろう。

・ネット上で炎上したり、クソリプを飛ばしたりしている人は、自分流の「正義」が他人を攻撃する「大義名分」になっているので、厄介。

・「自分がどうにかできること」以外のことはこだわらないことが、メンタルを整える上では大切ぺんっ!





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ストレスに強い人がやっているたった2つのこと嫌なことをあえて思い出す?自分を機械ととらえる?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

※この記事は、ひろゆき氏の著書『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』=SB クリエイティブ出版、2019年4月15日刊=の中から一部を抜粋・編集していますぺんっ!

(1)理不尽な上司・同僚を撃退する3つのテクニック

(2)仕事ができる人の秘訣は「それっぽさ」?正論よりも雰囲気が重要

(3)ストレスに強い人がやっているたった2つのこと「嫌なことをあえて思い出す」「自分を機械ととらえる

■「ネガティブな感情」を消す2つのルール
●あえて、イヤな記憶をフラッシュバックさせる

日々生きていると、イヤな目に遭うことは避けられません。

他人から理不尽に怒られたり、近所の人にゴミ出しのことで文句を言われたり、いきなり天気が崩れて休日の予定が台無しになったり。誰かにぶつかってこられたとか、足を踏まれたとか、どんなにお金持ちだろうと、イヤな思いをすることは必ずあります。


時には、過去の失敗や不運がフラッシュバックしてきて、「ああーっ」と頭を抱えたくなることだってあるでしょう。
僕自身もこういうことはあるんですけど、対処法を見つけてからは、大して気にならなくなりました。

注意してほしいのは、「イヤな記憶」への対応方法は、人のタイプによるということ。人間のタイプには大きくわけて次の2つがあります。

・イヤなことを考え続けられる人
・イヤなことを考え続けるとそれがストレスになり、自爆してしまう人

僕は前者だということがわかっているので、それに応じた対処法を取るようにしているわけですが、もしあなたが後者の場合は、これから紹介する方法を無理に実行しないほうがいいでしょう。一、二度試してみて、どうしてもストレスが悪化するのであれば、あとでお伝えする別の方法を検討してくださいね。
「イヤな記憶」に対する僕の対処法は簡単で、あえて何度もそのことを思い出すようにするというもの。

たとえば、電車の中で足を踏まれて、なおかつ怒鳴られるなんて理不尽な目に遭ったら、すごくムカつきますよね。

だけど、それを何度も何度も思い出していると、そのうち何も感じなくなる。人間の脳は、同じ刺激に慣れる性質がありますからね(繰り返しますが、何度思い出しても慣れない人は、無理に思い出そうとはしないでくださいね)。

足を踏まれて怒鳴られた時、自分ははたしてどうすればよかったのか。こっちも怒鳴り返してやったら、すっきりしたのか。でも、そんなことをすればさらにもめてもっとイヤな気分になっていたかもしれない。

いや、やっぱり怒鳴り返すべきだったのか。でも現実にはそうしなかったし、今さらどうしようもない。じゃあ、やらなかった過去の自分が悪いのか。だけど、自分に非がないのに、なぜ自分を責めなければいけないのか……。
こんなことを繰り返し考えていると、僕はどうでもよくなってきちゃうんですね。

●「イヤなこと」が思い浮かんだ時のリアクションを決める

イヤなことがあった時にあれこれ悩んでしまうのは、「こうすればよかった」という後悔があるからです。だけどたとえば、いきなり怒鳴られて動揺したら、とっさにうまい反応なんてなかなかできないですよね。だから、その時の自分の反応なんて、どうしようもないことです。よく考えてみると人間って、そんなに自分の言動に主導権を持っていません。

雨が降ってきた時、雨に対して真剣に怒る人はいないじゃないですか。もちろん、にわか雨に降られたらぶつくさ文句は言うにしても、雨自体に怒っているわけではないでしょう。僕たちは、自然現象に対してある意味あきらめている。

であれば、自分自身の反応も自然現象だと考えてみる。「自分のできること」ではないと認識すれば、雨に怒らないのと同じで、どうでもよくなってくるわけなのですよ。

では、イヤな記憶を思い出すことがどうしてもストレスになってしまう人は、どうすればいいか。

これは僕の知り合いが実行している方法なんですが、彼は「イヤなことを思い出した時」にするリアクションを決めているそうです。

たとえば、「大事なプレゼンで失敗してしまった」ということを思い出して、「ああーっ」となってしまったら、「左手をぐっと握る」。

「告白したけどふられた」ことを思い出したら、「右の耳たぶを引っ張る」とか。

そうやってリアクションをあらかじめ決めておいて実行するようにすれば、アクションのほうに意識が向きますから「イヤなこと」自体がだんだん気にならなくなってくる。これはうまい対処の仕方だと思います。

イヤなことをずっと考えるのが辛い人は、思い出した時に意識を別のことに向けるように心がけるのがいいでしょうね。寝るのでもいいでしょうし、運動するのでもいいでしょう。とくに運動は集中しやすいので、おすすめです。余計なことを考える暇をなくしましょう。

●自分自身を「機械」or「動物」として俯瞰してみる?

多くの人は、自分たち人間のことを「知性的な存在」だと考えているようですが、僕はそうでもないと思っています。なぜなら、人間が物事を判断する際に使われるのは、たいていの場合、知性というより、「勘」や「その時の気分」などといった動物的な本能だからです。

たとえば、目の前にお茶と水を出されたとしましょう。あなたは、あれこれ考えた末に、お茶に手を出したつもりかもしれませんが、はたしてそれはあなたの意思によって選択した行動といえるでしょうか?

自分で選んだつもりでも、その日の温度や湿度といった環境に影響されたのかもしれないし、以前見たテレビのCMに影響されたのかもしれない。生まれつき、お茶の香りを好む遺伝的な形質があったのかもしれない。

人間は自由意思で選択したと思っているけど、たんに受けた刺激に対して、機械的に反応を返しているだけなのかもしれません。

恋愛や結婚にしてもそう。自由恋愛では、自分の意思で相手を選んだと多くの人は思っているけど、たんに脳のニューロンがたまたまそういうタイプに強く反応しているだけで、それを恋とか愛とか思い込んでいるだけ、と考えることもできるわけです。

もしかしたら皆さんは、「人間は機械じゃない!」といいたくなるかもしれませんが、自分のことを機械的な反応を返す機械、あるいは本能で行動する動物だと客観的にとらえてみると、メンタルを整えやすくなりますよ。

落ち込んだり不安になったりした時、「この機械あるいは動物に、どういう刺激を与えたら、調子がよくなるだろう」と考えてみましょう。

【POINT】
・イヤな記憶への対処法は、

「1.イヤなことを考え続けられる人」
「2.イヤなことを考え続けるとストレスになる人」の2タイプによって異なる。

・「1」のタイプの人は、イヤな気持ちに慣れてどうでもよくなるまで何度も思い出してみる。「2」のタイプの人は、イヤな記憶が浮かんだ時のリアクションを決める。

・自分自身を「機械」もしくは「動物」としてとらえてみると、精神状態を整えやすくなる。

■ネットのバカを華麗にスルーするスキル

●ネット上では「自分の理想像」がこじれるとキツい

本書でご紹介してきたバカな人やムダなものに振り回されない技術は、リアル社会だけではなく、ネット社会でも応用できます。

ネット、とくにSNSが普及したことで、僕たちは自分以外の人がどんな暮らしをしているのかをリアルタイムで知ることができるようになりました。

次々にタイムラインに流れてくる他人の「リア充投稿」を見て、自分と比較してがっかりする、なんていうことも、多くの人が普通にSNSを使い始める前の時代には考えられないことでした。とはいっても、SNSに上がっているのはあくまでも偶然生まれた「人生のキラキラした瞬間」を切り取ったものなんですけどね。

そうやって他人の人生をのぞき見できるようになると、人によっては「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむことになるわけです。

いい暮らしをしている人を見て「うらやましいな」ですめばいいんですが、マイナスの感情をこじらせて論理が歪んでいくとけっこう厄介です。

こじらせてしまう人は、「自分はこうあるべきである」という「理想の自分」を持っています。

理想の自分像に近づくための「建設的努力」ができれば何の問題もないのですが、「理想の自分」になれないフラストレーションはやがて、次のような順序で、周囲の人への攻撃へと向かっていくことが多々あります。

「自分はこうあるべきである」
     ↓
「理想的な人生を送っている(ように見える)人がいる」
     ↓
「自分は理想通りに生きていない」
     ↓
「なぜこうあるべき状態にないのか」
     ↓
「きっとアイツが悪いに違いない」

こういう人ってリアル社会にもいますよね?

やたらと他人を攻撃する迷惑な人は、「自分へのマイナスの感情をこじらせてる人なんだ」と認識して、自分からはなるべく関わらないのが吉ですよ。

●SNSにはびこる「上から目線」の構造

TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSは、アカウントを持っていない人のほうが珍しいくらい、みんながやっています。
だけど、たいていの人は、SNSを使っても大してトクしないと思うのですよ。

ニュースサイトや有益な情報を発信する人をフォローして、情報源として活用するのであればいいですけれど、普通の人がべらべら世間話をしているのを見たり、ましてやそこに自分も参加したりするのは、基本的に時間のムダです。

前述したように、SNSにアップされる写真やテキストは、投稿者の日常全部ではなく、たまたま発生した「キラキラした瞬間」を切り取ったものにすぎません。

「こんなにおいしいパンケーキを食べている」「こんなにすてきな異性とつき合っている」「こんなにきれいな場所を旅行している」、そういうのを見聞きすると、うらやましくなったり、自分はこんなにキラキラしてない、と落ち込んだりする。

すごい数のフォロワーがいるインスタグラマーも、ほとんどの時間はだらだらと過ごしているかもしれないけど、そういうところは見えない。他人の最高の瞬間だけを延々とながめ続けていても、手に入るのはマイナスの感情だけです。そのために貴重な時間を使うのはもったいない。

ただし、僕はアラブ石油王なんかのInstagramはよく見ますね。「白いヒョウを買った」という投稿を見て、「すごい! ヒョウって買うモノなんだ!」と感心しても、べつにそれが妬ましくなったりはしません。自分自身とはまったく別次元のネタとして楽しめるんですよね。

こんなふうに、あくまでSNSは、自分と関係のない面白ネタやお役立ちネタの情報源だと割り切り、マイナスの感情とは距離を取ることが重要です。

●ネットで絡んでくる人は「正義感」を持っている

SNSでは「炎上」が頻発していますが、あれはシェアやリツイートといった情報拡散の仕組みによるだけではなく、マイナスの感情を持つ不幸せな人が増えているということの現れなのでしょう。

SNSがなかった頃でも、会社の給湯室や居酒屋で愚痴をこぼすという文化はありましたが、SNSの登場以降、不幸な人の割合が増えている印象を受けます。

Twitterで炎上したり、クソリプを飛ばしたりしてくる人たちは「正義」を振りかざす人の割合が高いです。それは、他人を攻撃する「大義名分」を得ていると思って、自分的には気分よくなってしまっているんですね。他人を攻撃するのって気持ちいいんですよ。だって、自分としては、いいことをしてるんですから。

彼らからすると、「落ち度は悪いヤツにある」ので、いくらでも攻撃していい。すると、いつも言わないようなキツい言い方にエスカレートしていきがちです。

でも、炎上している人としては、相手は「悪者」なので、自分のしている行為は、正義なんです。他人を貶めたり罵倒したりすることで、自分のマイナス感情を何とか処理しようとする。幸せなプラスの感情になるわけではないのに、他者を引き下げることで自分のマイナスを相対的に減らそうとするんですね。

幸せな人ならそんなことをする必要はありません。ネット上で知らない人を罵倒するよりも、友達や恋人と遊んだりしているほうがぜんぜん楽しいわけですから。

僕は1999年に匿名掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げましたけど、匿名掲示板と、実名あるいは固定アカウントが基本のSNSでは、かなり文化に違いがあると感じます。
匿名のやり取りであれば、論争になっても、面倒くさくなった時点でやめてしまえばいい。自分の書き込みに対して攻撃が加えられたところで、べつに守らなければならないものがあるわけでもないですし。

●身元を特定されると、論争が泥仕合になる
とはいえ、実名や固定ハンドルネームのSNSだとそうはいきません。

自分とひもづけられたアカウントがあるかぎり、それに対する攻撃には反応せざるをえません。とくにTwitterはわずか百数十文字でやり取りするわけですからね。

論争に決着がつきにくいわけです。
SNSで激しく炎上したり、粘着質な人に絡まれたりして面倒だと感じた場合は、アカウントを消すのが一番の対応策です。固定のアカウントがあるかぎり、自分の周りの人にも炎上が波及したり、過去の発言まで根掘り葉掘り調べられたりして揚げ足を取られてしまう。それよりは、アカウントを削除して、被害を最小限に食い止められたほうがいいでしょう。一度SNSをやめたら、冷静になれると思いますよ。

ネット上で発信をしたいのであれば、SNSではなく、ブログがおすすめです。ある程度まとまった量のテキストを書こうと思えば、頭の中を整理してロジックを組み立てる必要がありますし、書いたテキストは成果物になります。成果物は長文のテキストでなく、詩や音楽、映像でもいいんですけどね。

SNSに投稿すると何かをやった気になりますけど、これって、たんなるガス抜きです。せっかくわいてきたモチベーションをムダに消費するだけで、何の成果物も残りません。

●「自分に関係ないこと」を気にするだけムダ

ネット上には、いろんなことで怒ったり、不満になったりしている人がたくさんいます。「中国が攻めてきたらどうしよう」とか、「トランプ大統領のせいで、これから世界はどうなるんだろう」「日本経済はこれからどうなるんだろう」とか。

日本や世界がどうなっていくのかについて、情報を集めて冷静に考えてみることには意味があるでしょう。

だけど、中国がどうだとか、アメリカがどうだとか、日本の政治がどうだとか、憤ったり憂いたりしても、ぶっちゃけ、僕たち自身がその状況を変えられるわけではありませんよね。

国のことを心配するよりも、自分自身のことを心配したほうがメンタル的にも身体的にもよほど建設的で、意味があると思うのですよ。

まずは、自分の生活をきちんと立て直して、快適に暮らせることを優先しましょう。

それ以外のことは考えてもしょうがないし、自分の関与なしに決まることを「そうなったら困る」と心配してもあまり意味がありませんからね。

洗濯物を干して外出したら、雨が降ってきた。「洗濯物を取り込まないと!」なんて出先で考えても、雨がやむわけではありません。雨が降っているのはどうしようもないことだし、そんなことを考えること自体が無意味です。

だから、僕は「自分がどうにかできること」以外は、こだわらないようにしています。
匿名掲示板「2ちゃんねる」に関して、今現在も僕はたくさんの係争を抱えてるんですけど、それもべつにストレスにはなっていません。

なぜかといえば、裁判についてはすべて弁護士に任せてありますし、判決を決めるのは裁判官だから。今僕が何か考えたところで判決が変わるわけではありませんから、考えてもしょうがないですもんね。

自分にはどうにもできないこと、どうでもいいことより、自分の人生にとって有意義なことを考えたほうがずっとおトクです。
「自分の人生にとって有意義なことを考える」なんていうと、皆さんの中には意識高い系っぽく感じる人もいるかもしれません。

・すごく好きなもの
・強く興味があること
・やると楽しくなれること

こんなふうに言いかえてもいいでしょう。
肉が好きなら、安くておいしい肉を通販サイトで探すのもいいですね。怒ったり不安になったりしているよりも、そちらのほうがよほど意味のあることだと思うのですよ。

【POINT】

・SNSは、自分と無関係の「ネタの宝庫」として割り切り、「リア充投稿」に対するマイナスの感情とは距離を取ろう。

・ネット上で炎上したり、クソリプを飛ばしたりしている人は、自分流の「正義」が他人を攻撃する「大義名分」になっているので、厄介。

・「自分がどうにかできること」以外のことはこだわらないことが、メンタルを整える上では大切ぺんっ!





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ストレスを抱える現代人におすすめ!
現代の哲人 Dr.ディマティーニによる
『マインドフルネスの本質』を学べるオンライン講座
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ストレスに強い人がやっているたった2つのこと嫌なことをあえて思い出す?自分を機械ととらえる?

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こんにちは!

ぺぎそんです。

※この記事は、ひろゆき氏の著書『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』=SB クリエイティブ出版、2019年4月15日刊=の中から一部を抜粋・編集していますぺんっ!

(1)理不尽な上司・同僚を撃退する3つのテクニック

(2)仕事ができる人の秘訣は「それっぽさ」?正論よりも雰囲気が重要

(3)ストレスに強い人がやっているたった2つのこと「嫌なことをあえて思い出す」「自分を機械ととらえる

■「ネガティブな感情」を消す2つのルール
●あえて、イヤな記憶をフラッシュバックさせる

日々生きていると、イヤな目に遭うことは避けられません。

他人から理不尽に怒られたり、近所の人にゴミ出しのことで文句を言われたり、いきなり天気が崩れて休日の予定が台無しになったり。誰かにぶつかってこられたとか、足を踏まれたとか、どんなにお金持ちだろうと、イヤな思いをすることは必ずあります。


時には、過去の失敗や不運がフラッシュバックしてきて、「ああーっ」と頭を抱えたくなることだってあるでしょう。
僕自身もこういうことはあるんですけど、対処法を見つけてからは、大して気にならなくなりました。

注意してほしいのは、「イヤな記憶」への対応方法は、人のタイプによるということ。人間のタイプには大きくわけて次の2つがあります。

・イヤなことを考え続けられる人
・イヤなことを考え続けるとそれがストレスになり、自爆してしまう人

僕は前者だということがわかっているので、それに応じた対処法を取るようにしているわけですが、もしあなたが後者の場合は、これから紹介する方法を無理に実行しないほうがいいでしょう。一、二度試してみて、どうしてもストレスが悪化するのであれば、あとでお伝えする別の方法を検討してくださいね。
「イヤな記憶」に対する僕の対処法は簡単で、あえて何度もそのことを思い出すようにするというもの。

たとえば、電車の中で足を踏まれて、なおかつ怒鳴られるなんて理不尽な目に遭ったら、すごくムカつきますよね。

だけど、それを何度も何度も思い出していると、そのうち何も感じなくなる。人間の脳は、同じ刺激に慣れる性質がありますからね(繰り返しますが、何度思い出しても慣れない人は、無理に思い出そうとはしないでくださいね)。

足を踏まれて怒鳴られた時、自分ははたしてどうすればよかったのか。こっちも怒鳴り返してやったら、すっきりしたのか。でも、そんなことをすればさらにもめてもっとイヤな気分になっていたかもしれない。

いや、やっぱり怒鳴り返すべきだったのか。でも現実にはそうしなかったし、今さらどうしようもない。じゃあ、やらなかった過去の自分が悪いのか。だけど、自分に非がないのに、なぜ自分を責めなければいけないのか……。
こんなことを繰り返し考えていると、僕はどうでもよくなってきちゃうんですね。

●「イヤなこと」が思い浮かんだ時のリアクションを決める

イヤなことがあった時にあれこれ悩んでしまうのは、「こうすればよかった」という後悔があるからです。だけどたとえば、いきなり怒鳴られて動揺したら、とっさにうまい反応なんてなかなかできないですよね。だから、その時の自分の反応なんて、どうしようもないことです。よく考えてみると人間って、そんなに自分の言動に主導権を持っていません。

雨が降ってきた時、雨に対して真剣に怒る人はいないじゃないですか。もちろん、にわか雨に降られたらぶつくさ文句は言うにしても、雨自体に怒っているわけではないでしょう。僕たちは、自然現象に対してある意味あきらめている。

であれば、自分自身の反応も自然現象だと考えてみる。「自分のできること」ではないと認識すれば、雨に怒らないのと同じで、どうでもよくなってくるわけなのですよ。

では、イヤな記憶を思い出すことがどうしてもストレスになってしまう人は、どうすればいいか。

これは僕の知り合いが実行している方法なんですが、彼は「イヤなことを思い出した時」にするリアクションを決めているそうです。

たとえば、「大事なプレゼンで失敗してしまった」ということを思い出して、「ああーっ」となってしまったら、「左手をぐっと握る」。

「告白したけどふられた」ことを思い出したら、「右の耳たぶを引っ張る」とか。

そうやってリアクションをあらかじめ決めておいて実行するようにすれば、アクションのほうに意識が向きますから「イヤなこと」自体がだんだん気にならなくなってくる。これはうまい対処の仕方だと思います。

イヤなことをずっと考えるのが辛い人は、思い出した時に意識を別のことに向けるように心がけるのがいいでしょうね。寝るのでもいいでしょうし、運動するのでもいいでしょう。とくに運動は集中しやすいので、おすすめです。余計なことを考える暇をなくしましょう。

●自分自身を「機械」or「動物」として俯瞰してみる?

多くの人は、自分たち人間のことを「知性的な存在」だと考えているようですが、僕はそうでもないと思っています。なぜなら、人間が物事を判断する際に使われるのは、たいていの場合、知性というより、「勘」や「その時の気分」などといった動物的な本能だからです。

たとえば、目の前にお茶と水を出されたとしましょう。あなたは、あれこれ考えた末に、お茶に手を出したつもりかもしれませんが、はたしてそれはあなたの意思によって選択した行動といえるでしょうか?

自分で選んだつもりでも、その日の温度や湿度といった環境に影響されたのかもしれないし、以前見たテレビのCMに影響されたのかもしれない。生まれつき、お茶の香りを好む遺伝的な形質があったのかもしれない。

人間は自由意思で選択したと思っているけど、たんに受けた刺激に対して、機械的に反応を返しているだけなのかもしれません。

恋愛や結婚にしてもそう。自由恋愛では、自分の意思で相手を選んだと多くの人は思っているけど、たんに脳のニューロンがたまたまそういうタイプに強く反応しているだけで、それを恋とか愛とか思い込んでいるだけ、と考えることもできるわけです。

もしかしたら皆さんは、「人間は機械じゃない!」といいたくなるかもしれませんが、自分のことを機械的な反応を返す機械、あるいは本能で行動する動物だと客観的にとらえてみると、メンタルを整えやすくなりますよ。

落ち込んだり不安になったりした時、「この機械あるいは動物に、どういう刺激を与えたら、調子がよくなるだろう」と考えてみましょう。

【POINT】
・イヤな記憶への対処法は、

「1.イヤなことを考え続けられる人」
「2.イヤなことを考え続けるとストレスになる人」の2タイプによって異なる。

・「1」のタイプの人は、イヤな気持ちに慣れてどうでもよくなるまで何度も思い出してみる。「2」のタイプの人は、イヤな記憶が浮かんだ時のリアクションを決める。

・自分自身を「機械」もしくは「動物」としてとらえてみると、精神状態を整えやすくなる。

■ネットのバカを華麗にスルーするスキル

●ネット上では「自分の理想像」がこじれるとキツい

本書でご紹介してきたバカな人やムダなものに振り回されない技術は、リアル社会だけではなく、ネット社会でも応用できます。

ネット、とくにSNSが普及したことで、僕たちは自分以外の人がどんな暮らしをしているのかをリアルタイムで知ることができるようになりました。

次々にタイムラインに流れてくる他人の「リア充投稿」を見て、自分と比較してがっかりする、なんていうことも、多くの人が普通にSNSを使い始める前の時代には考えられないことでした。とはいっても、SNSに上がっているのはあくまでも偶然生まれた「人生のキラキラした瞬間」を切り取ったものなんですけどね。

そうやって他人の人生をのぞき見できるようになると、人によっては「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむことになるわけです。

いい暮らしをしている人を見て「うらやましいな」ですめばいいんですが、マイナスの感情をこじらせて論理が歪んでいくとけっこう厄介です。

こじらせてしまう人は、「自分はこうあるべきである」という「理想の自分」を持っています。

理想の自分像に近づくための「建設的努力」ができれば何の問題もないのですが、「理想の自分」になれないフラストレーションはやがて、次のような順序で、周囲の人への攻撃へと向かっていくことが多々あります。

「自分はこうあるべきである」
     ↓
「理想的な人生を送っている(ように見える)人がいる」
     ↓
「自分は理想通りに生きていない」
     ↓
「なぜこうあるべき状態にないのか」
     ↓
「きっとアイツが悪いに違いない」

こういう人ってリアル社会にもいますよね?

やたらと他人を攻撃する迷惑な人は、「自分へのマイナスの感情をこじらせてる人なんだ」と認識して、自分からはなるべく関わらないのが吉ですよ。

●SNSにはびこる「上から目線」の構造

TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSは、アカウントを持っていない人のほうが珍しいくらい、みんながやっています。
だけど、たいていの人は、SNSを使っても大してトクしないと思うのですよ。

ニュースサイトや有益な情報を発信する人をフォローして、情報源として活用するのであればいいですけれど、普通の人がべらべら世間話をしているのを見たり、ましてやそこに自分も参加したりするのは、基本的に時間のムダです。

前述したように、SNSにアップされる写真やテキストは、投稿者の日常全部ではなく、たまたま発生した「キラキラした瞬間」を切り取ったものにすぎません。

「こんなにおいしいパンケーキを食べている」「こんなにすてきな異性とつき合っている」「こんなにきれいな場所を旅行している」、そういうのを見聞きすると、うらやましくなったり、自分はこんなにキラキラしてない、と落ち込んだりする。

すごい数のフォロワーがいるインスタグラマーも、ほとんどの時間はだらだらと過ごしているかもしれないけど、そういうところは見えない。他人の最高の瞬間だけを延々とながめ続けていても、手に入るのはマイナスの感情だけです。そのために貴重な時間を使うのはもったいない。

ただし、僕はアラブ石油王なんかのInstagramはよく見ますね。「白いヒョウを買った」という投稿を見て、「すごい! ヒョウって買うモノなんだ!」と感心しても、べつにそれが妬ましくなったりはしません。自分自身とはまったく別次元のネタとして楽しめるんですよね。

こんなふうに、あくまでSNSは、自分と関係のない面白ネタやお役立ちネタの情報源だと割り切り、マイナスの感情とは距離を取ることが重要です。

●ネットで絡んでくる人は「正義感」を持っている

SNSでは「炎上」が頻発していますが、あれはシェアやリツイートといった情報拡散の仕組みによるだけではなく、マイナスの感情を持つ不幸せな人が増えているということの現れなのでしょう。

SNSがなかった頃でも、会社の給湯室や居酒屋で愚痴をこぼすという文化はありましたが、SNSの登場以降、不幸な人の割合が増えている印象を受けます。

Twitterで炎上したり、クソリプを飛ばしたりしてくる人たちは「正義」を振りかざす人の割合が高いです。それは、他人を攻撃する「大義名分」を得ていると思って、自分的には気分よくなってしまっているんですね。他人を攻撃するのって気持ちいいんですよ。だって、自分としては、いいことをしてるんですから。

彼らからすると、「落ち度は悪いヤツにある」ので、いくらでも攻撃していい。すると、いつも言わないようなキツい言い方にエスカレートしていきがちです。

でも、炎上している人としては、相手は「悪者」なので、自分のしている行為は、正義なんです。他人を貶めたり罵倒したりすることで、自分のマイナス感情を何とか処理しようとする。幸せなプラスの感情になるわけではないのに、他者を引き下げることで自分のマイナスを相対的に減らそうとするんですね。

幸せな人ならそんなことをする必要はありません。ネット上で知らない人を罵倒するよりも、友達や恋人と遊んだりしているほうがぜんぜん楽しいわけですから。

僕は1999年に匿名掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げましたけど、匿名掲示板と、実名あるいは固定アカウントが基本のSNSでは、かなり文化に違いがあると感じます。
匿名のやり取りであれば、論争になっても、面倒くさくなった時点でやめてしまえばいい。自分の書き込みに対して攻撃が加えられたところで、べつに守らなければならないものがあるわけでもないですし。

●身元を特定されると、論争が泥仕合になる
とはいえ、実名や固定ハンドルネームのSNSだとそうはいきません。

自分とひもづけられたアカウントがあるかぎり、それに対する攻撃には反応せざるをえません。とくにTwitterはわずか百数十文字でやり取りするわけですからね。

論争に決着がつきにくいわけです。
SNSで激しく炎上したり、粘着質な人に絡まれたりして面倒だと感じた場合は、アカウントを消すのが一番の対応策です。固定のアカウントがあるかぎり、自分の周りの人にも炎上が波及したり、過去の発言まで根掘り葉掘り調べられたりして揚げ足を取られてしまう。それよりは、アカウントを削除して、被害を最小限に食い止められたほうがいいでしょう。一度SNSをやめたら、冷静になれると思いますよ。

ネット上で発信をしたいのであれば、SNSではなく、ブログがおすすめです。ある程度まとまった量のテキストを書こうと思えば、頭の中を整理してロジックを組み立てる必要がありますし、書いたテキストは成果物になります。成果物は長文のテキストでなく、詩や音楽、映像でもいいんですけどね。

SNSに投稿すると何かをやった気になりますけど、これって、たんなるガス抜きです。せっかくわいてきたモチベーションをムダに消費するだけで、何の成果物も残りません。

●「自分に関係ないこと」を気にするだけムダ

ネット上には、いろんなことで怒ったり、不満になったりしている人がたくさんいます。「中国が攻めてきたらどうしよう」とか、「トランプ大統領のせいで、これから世界はどうなるんだろう」「日本経済はこれからどうなるんだろう」とか。

日本や世界がどうなっていくのかについて、情報を集めて冷静に考えてみることには意味があるでしょう。

だけど、中国がどうだとか、アメリカがどうだとか、日本の政治がどうだとか、憤ったり憂いたりしても、ぶっちゃけ、僕たち自身がその状況を変えられるわけではありませんよね。

国のことを心配するよりも、自分自身のことを心配したほうがメンタル的にも身体的にもよほど建設的で、意味があると思うのですよ。

まずは、自分の生活をきちんと立て直して、快適に暮らせることを優先しましょう。

それ以外のことは考えてもしょうがないし、自分の関与なしに決まることを「そうなったら困る」と心配してもあまり意味がありませんからね。

洗濯物を干して外出したら、雨が降ってきた。「洗濯物を取り込まないと!」なんて出先で考えても、雨がやむわけではありません。雨が降っているのはどうしようもないことだし、そんなことを考えること自体が無意味です。

だから、僕は「自分がどうにかできること」以外は、こだわらないようにしています。
匿名掲示板「2ちゃんねる」に関して、今現在も僕はたくさんの係争を抱えてるんですけど、それもべつにストレスにはなっていません。

なぜかといえば、裁判についてはすべて弁護士に任せてありますし、判決を決めるのは裁判官だから。今僕が何か考えたところで判決が変わるわけではありませんから、考えてもしょうがないですもんね。

自分にはどうにもできないこと、どうでもいいことより、自分の人生にとって有意義なことを考えたほうがずっとおトクです。
「自分の人生にとって有意義なことを考える」なんていうと、皆さんの中には意識高い系っぽく感じる人もいるかもしれません。

・すごく好きなもの
・強く興味があること
・やると楽しくなれること

こんなふうに言いかえてもいいでしょう。
肉が好きなら、安くておいしい肉を通販サイトで探すのもいいですね。怒ったり不安になったりしているよりも、そちらのほうがよほど意味のあることだと思うのですよ。

【POINT】

・SNSは、自分と無関係の「ネタの宝庫」として割り切り、「リア充投稿」に対するマイナスの感情とは距離を取ろう。

・ネット上で炎上したり、クソリプを飛ばしたりしている人は、自分流の「正義」が他人を攻撃する「大義名分」になっているので、厄介。

・「自分がどうにかできること」以外のことはこだわらないことが、メンタルを整える上では大切ぺんっ!





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2019年06月27日

中途半端なエリート"ほど不幸になる理由?

こんにちは!

ぺぎそんです。

SNSで「幸せアピール」をする人は何を考えているのか。ビジネス書作家のムーギー・キム氏は「価値ある人生を送っているかどうか、自分基準で決められない人が『いいね!』の追認を欲しがる。自分が幸福になる“計算式”を考えたほうがいい」と説く――。
※本稿は、ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方』(KADOKAWA)を再編集したものです。

この仕事、この人生に意味はあるのか?
国内外で働く中で、あまりにも多くの“エリートビジネスパーソン”の相談に乗ってきた。彼らは頭もよく、たくさん働き、人並み以上の収入を得て、一見、成功しているように見える。しかしその本音を聞けば、不安やコンプレックスに苦しむ人は非常に多い。

「頑張った結果、それなりに高く評価されたけれど、別に価値や意味はなかったよね」
「生産性を追い求めてきたけれど、この人生の価値ってなんだったっけ?」

といったコンプレックスが、実に多くのビジネスパーソンの心に巣くっているのだ。
これは、もともと強かった社会的承認欲求に加え、“社会的にすごいとされる人々”と日々、接近戦で自分を比較するようになってきているからだ。SNSで「世の中は自分より成功している人だらけ!」という幻想ができあがったことも、この他者との比較から生じる不安とコンプレックスに拍車をかけているといえよう。

「首相官邸に呼ばれました」「資金調達30億成功しました」「大手企業と提携を結びました」「創業2年で上場しました」「ハーバードの同窓会でボストンに来ています」「出版物が50万部を突破しました」……などなど、“私すごいでしょ合戦”が、世界中のSNSを埋め尽くす。

しかしながら実際は、対外的なリア充パフォーマンスとは裏腹に、内心苦しむ人が多い。
人々を襲う「幸福アピール合戦」疲れ
私の親しい友人に、オーストラリアの投資ファンドのディレクターとモデルの美男美女カップルがいる。彼らのフェイスブックを見ていると、毎日が幸福人生の絶頂であるかのように見えるのだが、最近、その男性側と会ったとき、離婚調停中である旨を知らされた。そのとき、“SNSアピールと実態の乖離”を痛感したものである。

フェイスブックでは妻が夫を「ハンサムで頭が良くて家族思いで……」と讃える投稿があれほど多かったのに、と私が驚いてみせると、「彼女は自分たちが幸せだというアピールをしたいだけで、その実、家庭は問題だらけだったんだ」と嘆息する。そして息子を連れてヨーロッパに戻って、今後何をするか考え直したいと悩んでいた。

このような事例は引きも切らない。多くのSNSの実態は、自分が幸せなのかどうか、価値ある人生を送っているのかどうか、自分基準で決められないため、知人に「いいね!」と追認してもらうことで、つかの間の安心に浸るのである(SNS上の自分が本当の自分の人生でないことを内心わかりつつ――)。
悲しきマウンティング・ゴリラたち

「僕は、いつも親に『なぜおまえはばかなんだ』と言われ続けてきたから、東大を首席で卒業しても、まだまだ自分はダメなんだって、不安なんです」

ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き

こう語るのは、なんでも彼は、昔からあらゆるテストで1位を獲ってきたのに、それでも自己肯定感が低いというのだ。自分の価値を「勉強ができる」という点に置いているため、私との間で共通の知人を評するときも「あの人、でも、頭は悪いよね」「あの人が出た大学と学部、テストの点がよくなくても入れるよね」と、聞いていてこちらがしんどくなるくらい、人物評価の軸が、出身大学や入試難易度です。

●このような不幸な思考パターンに陥っているエリートは、恐ろしく多い。

やれ私は数学が得意だった、やれ私は世界有数の投資ファンド出身だ、やれ私は年収が何億だ、などなど、とにかく隙あらば“マウンティング”しにかかるのである。彼ら、彼女らがそれらをひけらかそうとするのは、ゴリラが胸をたたいて相手を威嚇するのと同様、「自分は優れていて価値があるぞ!」というパフォーマンスだ。

なお、ここでゴリラの名誉のために書いておくが、ジャングルに住む本当のゴリラは、いたずらに自分の力を見せつけるためにその胸をたたくことはない。敵や別のゴリラが近寄ってくるなど、自分の守るべき群れに脅威が迫った際にドラミングをする。大変な力持ちなのに普段はそれをひけらかさない、まさに見上げた霊長類なのだ。

それとは逆に、限られた基準で自分の価値をアピールし、必要もなしにマウンティングにかかる人間は、内心が不安でいっぱいだからその胸をたたいているのである。こうした悲しい習性を持つ人間を、私は“マウンティング・ゴリラ”と名付けた。

●ビル・ゲイツは「人より金持ち」自慢をしない?

さて、学歴や職歴や年収など、社会的に評価されがちな一部の価値観だけで自分および人の序列を決めようとする試みは、それ以外の要素に価値を置いていない価値観の貧しさの表れかもしれない。

何かの軸で自分のほうが「相対的に」優位に立っていることを確認しないと、自分の価値を自分で感じられないという、闇の深いコンプレックスの表れであるようにも思える。

たとえばビル・ゲイツは「俺はジャック・マーより金持ちだ!」と自慢しないし、ウォーレン・バフェットは「俺はソロスより投資がうまい!」とアピールしないし、ホーキング博士は「私は人よりIQが高い」などと自分で言うことはなかった。

なぜ人はマウンティングをやめられないのか
では、なぜいわゆる“中途半端な偏差値エリート”に限って、このようなエリート・コンプレックスを抱きがちなのか? この傾向は、自分の絶対的価値に自信がなく、子供のときから自分が褒められ、また怒られる基準がそれらの社会的相対評価に限定的だった人に多い。

そして“自分に価値がある理由”を必死に探す苦しみの中で、心の中でのメンタルカーストを、自分が上に来るような基準で設定した結果、立派すぎるマウンティング・ゴリラに成長してしまったのである。

●皆成功しているように見えるSNS?

マウンティング・ゴリラたちの生態について、もう少し詳しく書こう。

彼らは、ビジネスクラスのラウンジを使っていることが人生最大の誇りの源泉であり、羽田空港のサクララウンジから、カレーの写真(ここのカレーがおいしいことは、このラウンジを使う人の中では有名)をアップして“リア充”ぶりをアピールする。

そして機内では、ウェルカムドリンクのシャンパンを片手に、180度倒れるフルフラットシートで足を伸ばしている写真をアップして、“ビジネスクラスに乗っているVIPな私”を大々的に演出するのだ。

もちろん、生まれも育ちもドメドメ(日本生まれ、日本育ち)で、フェイスブックの人間関係も9割がた日本人なのに、なぜだかSNS投稿はすべて英語である。

最悪のケースでは、地元の友人からの小学校の同窓会の連絡に、なぜか英語で返してしまうマウンティング・ゴリラたち。想像しただけで「ドンドコドンドコ」、胸を大きくドラミングしている勇姿を思い浮かべてしまうが、彼らの飽くなきマウンティングはまだまだ終わらない。

実は自分が泊まるのは4スターホテルでも、近所にあるマンダリン・オリエンタルホテルのロビーにいそいそ出向き、「マンダリン・オリエンタルホテルにチェックイン」という記しをフェイスブック上に残す、マウンティング・ゴリラたち。

そして「今日も忙しかった〜 誰か今、香港のマンダリンオリエンタル本館近くにいたら、連絡してね!」などと、“たまたま周りに知人などいるわけがないのを重々承知の上で、ひとアピール”食らわせ、100万ドルの夜景を背景に、深夜にドンドコと雄叫びを上げるのである。

「相対的な幸せ」を競うと不安は無限に続く
さて、ここまで述べてきたマウンティング・ゴリラの生態を聞いて、あなたは心から笑えただろうか――? 「いるいる、そういう人」と笑いながらも、心の片隅で、こっそり自分の胸に手を当ててはいなかっただろうか?

私は思うのだが、私自身も含め、誰もが自分の中に大なり小なりマウンティング・ゴリラを住まわせているのが実態ではなかろうか。それはそれでいいのである。承認欲求も、まぎれもない人間の欲求の一つだ。ただ、自分の中のマウンティング・ゴリラに気づいたら、成長し巨大化する前に、ここでいくつかのことを知ってほしい。

まず、人が生きる上で欲求や価値を感じるものは、100年前にマズローが唱えたように5つなんてものではなく、少なくとも下記のように10個くらいはある、ということだ。

▼新・10大バリューレバー

(1)生理的欲求、安全
(2)闘争・競争
(3)愛情・帰属
(4)承認欲求
(5)貢献欲求
(6)学習・成長
(7)遊び(没頭・熱狂)
(8)認知欲(哲学・信仰)
(9)美術・芸術(感動)
(10)生きがい

私はこれを、価値を感じるレバー「新・10大バリューレバー」と名付けた。この10個は私がまとめたものだが、これ以外に自分なりのバリューレバーがある方もいるだろう。

いずれにせよ、自分の人生に「価値がある!」と感じさせるものは承認欲求ただ1つ、という方は少なく、多くの方は複数あてはまるのではないだろうか。その組み合わせや優先順位から、あなたの「幸福関数」が見えてくる。

●「幸福度」を上げるための計算式

生きる目標をひたすら「社会的承認欲求」に絞りがちだ。そうなると、他人の幸福度が低いほうが自分の幸福度が上がる、という悲しい事態が起きる。

● あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方より

そうではなくて、まずは「承認欲求以外にもたくさん、重要な価値ってあるよね」と気付いて認め、「幸福関数」に入れる欲求を多様化することが必要だ。

そして、さまざまなバリューレバーを意識したうえで、「自分の幸福関数を、他人の幸福度で割らない」という決意が、幸福の絶対値を高めるために重要ぺんっ!
posted by ぺぎそん at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

中途半端なエリート"ほど不幸になる理由?

こんにちは!

ぺぎそんです。

SNSで「幸せアピール」をする人は何を考えているのか。ビジネス書作家のムーギー・キム氏は「価値ある人生を送っているかどうか、自分基準で決められない人が『いいね!』の追認を欲しがる。自分が幸福になる“計算式”を考えたほうがいい」と説く――。
※本稿は、ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方』(KADOKAWA)を再編集したものです。

この仕事、この人生に意味はあるのか?
国内外で働く中で、あまりにも多くの“エリートビジネスパーソン”の相談に乗ってきた。彼らは頭もよく、たくさん働き、人並み以上の収入を得て、一見、成功しているように見える。しかしその本音を聞けば、不安やコンプレックスに苦しむ人は非常に多い。

「頑張った結果、それなりに高く評価されたけれど、別に価値や意味はなかったよね」
「生産性を追い求めてきたけれど、この人生の価値ってなんだったっけ?」

といったコンプレックスが、実に多くのビジネスパーソンの心に巣くっているのだ。
これは、もともと強かった社会的承認欲求に加え、“社会的にすごいとされる人々”と日々、接近戦で自分を比較するようになってきているからだ。SNSで「世の中は自分より成功している人だらけ!」という幻想ができあがったことも、この他者との比較から生じる不安とコンプレックスに拍車をかけているといえよう。

「首相官邸に呼ばれました」「資金調達30億成功しました」「大手企業と提携を結びました」「創業2年で上場しました」「ハーバードの同窓会でボストンに来ています」「出版物が50万部を突破しました」……などなど、“私すごいでしょ合戦”が、世界中のSNSを埋め尽くす。

しかしながら実際は、対外的なリア充パフォーマンスとは裏腹に、内心苦しむ人が多い。
人々を襲う「幸福アピール合戦」疲れ
私の親しい友人に、オーストラリアの投資ファンドのディレクターとモデルの美男美女カップルがいる。彼らのフェイスブックを見ていると、毎日が幸福人生の絶頂であるかのように見えるのだが、最近、その男性側と会ったとき、離婚調停中である旨を知らされた。そのとき、“SNSアピールと実態の乖離”を痛感したものである。

フェイスブックでは妻が夫を「ハンサムで頭が良くて家族思いで……」と讃える投稿があれほど多かったのに、と私が驚いてみせると、「彼女は自分たちが幸せだというアピールをしたいだけで、その実、家庭は問題だらけだったんだ」と嘆息する。そして息子を連れてヨーロッパに戻って、今後何をするか考え直したいと悩んでいた。

このような事例は引きも切らない。多くのSNSの実態は、自分が幸せなのかどうか、価値ある人生を送っているのかどうか、自分基準で決められないため、知人に「いいね!」と追認してもらうことで、つかの間の安心に浸るのである(SNS上の自分が本当の自分の人生でないことを内心わかりつつ――)。
悲しきマウンティング・ゴリラたち

「僕は、いつも親に『なぜおまえはばかなんだ』と言われ続けてきたから、東大を首席で卒業しても、まだまだ自分はダメなんだって、不安なんです」

ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き

こう語るのは、なんでも彼は、昔からあらゆるテストで1位を獲ってきたのに、それでも自己肯定感が低いというのだ。自分の価値を「勉強ができる」という点に置いているため、私との間で共通の知人を評するときも「あの人、でも、頭は悪いよね」「あの人が出た大学と学部、テストの点がよくなくても入れるよね」と、聞いていてこちらがしんどくなるくらい、人物評価の軸が、出身大学や入試難易度です。

●このような不幸な思考パターンに陥っているエリートは、恐ろしく多い。

やれ私は数学が得意だった、やれ私は世界有数の投資ファンド出身だ、やれ私は年収が何億だ、などなど、とにかく隙あらば“マウンティング”しにかかるのである。彼ら、彼女らがそれらをひけらかそうとするのは、ゴリラが胸をたたいて相手を威嚇するのと同様、「自分は優れていて価値があるぞ!」というパフォーマンスだ。

なお、ここでゴリラの名誉のために書いておくが、ジャングルに住む本当のゴリラは、いたずらに自分の力を見せつけるためにその胸をたたくことはない。敵や別のゴリラが近寄ってくるなど、自分の守るべき群れに脅威が迫った際にドラミングをする。大変な力持ちなのに普段はそれをひけらかさない、まさに見上げた霊長類なのだ。

それとは逆に、限られた基準で自分の価値をアピールし、必要もなしにマウンティングにかかる人間は、内心が不安でいっぱいだからその胸をたたいているのである。こうした悲しい習性を持つ人間を、私は“マウンティング・ゴリラ”と名付けた。

●ビル・ゲイツは「人より金持ち」自慢をしない?

さて、学歴や職歴や年収など、社会的に評価されがちな一部の価値観だけで自分および人の序列を決めようとする試みは、それ以外の要素に価値を置いていない価値観の貧しさの表れかもしれない。

何かの軸で自分のほうが「相対的に」優位に立っていることを確認しないと、自分の価値を自分で感じられないという、闇の深いコンプレックスの表れであるようにも思える。

たとえばビル・ゲイツは「俺はジャック・マーより金持ちだ!」と自慢しないし、ウォーレン・バフェットは「俺はソロスより投資がうまい!」とアピールしないし、ホーキング博士は「私は人よりIQが高い」などと自分で言うことはなかった。

なぜ人はマウンティングをやめられないのか
では、なぜいわゆる“中途半端な偏差値エリート”に限って、このようなエリート・コンプレックスを抱きがちなのか? この傾向は、自分の絶対的価値に自信がなく、子供のときから自分が褒められ、また怒られる基準がそれらの社会的相対評価に限定的だった人に多い。

そして“自分に価値がある理由”を必死に探す苦しみの中で、心の中でのメンタルカーストを、自分が上に来るような基準で設定した結果、立派すぎるマウンティング・ゴリラに成長してしまったのである。

●皆成功しているように見えるSNS?

マウンティング・ゴリラたちの生態について、もう少し詳しく書こう。

彼らは、ビジネスクラスのラウンジを使っていることが人生最大の誇りの源泉であり、羽田空港のサクララウンジから、カレーの写真(ここのカレーがおいしいことは、このラウンジを使う人の中では有名)をアップして“リア充”ぶりをアピールする。

そして機内では、ウェルカムドリンクのシャンパンを片手に、180度倒れるフルフラットシートで足を伸ばしている写真をアップして、“ビジネスクラスに乗っているVIPな私”を大々的に演出するのだ。

もちろん、生まれも育ちもドメドメ(日本生まれ、日本育ち)で、フェイスブックの人間関係も9割がた日本人なのに、なぜだかSNS投稿はすべて英語である。

最悪のケースでは、地元の友人からの小学校の同窓会の連絡に、なぜか英語で返してしまうマウンティング・ゴリラたち。想像しただけで「ドンドコドンドコ」、胸を大きくドラミングしている勇姿を思い浮かべてしまうが、彼らの飽くなきマウンティングはまだまだ終わらない。

実は自分が泊まるのは4スターホテルでも、近所にあるマンダリン・オリエンタルホテルのロビーにいそいそ出向き、「マンダリン・オリエンタルホテルにチェックイン」という記しをフェイスブック上に残す、マウンティング・ゴリラたち。

そして「今日も忙しかった〜 誰か今、香港のマンダリンオリエンタル本館近くにいたら、連絡してね!」などと、“たまたま周りに知人などいるわけがないのを重々承知の上で、ひとアピール”食らわせ、100万ドルの夜景を背景に、深夜にドンドコと雄叫びを上げるのである。

「相対的な幸せ」を競うと不安は無限に続く
さて、ここまで述べてきたマウンティング・ゴリラの生態を聞いて、あなたは心から笑えただろうか――? 「いるいる、そういう人」と笑いながらも、心の片隅で、こっそり自分の胸に手を当ててはいなかっただろうか?

私は思うのだが、私自身も含め、誰もが自分の中に大なり小なりマウンティング・ゴリラを住まわせているのが実態ではなかろうか。それはそれでいいのである。承認欲求も、まぎれもない人間の欲求の一つだ。ただ、自分の中のマウンティング・ゴリラに気づいたら、成長し巨大化する前に、ここでいくつかのことを知ってほしい。

まず、人が生きる上で欲求や価値を感じるものは、100年前にマズローが唱えたように5つなんてものではなく、少なくとも下記のように10個くらいはある、ということだ。

▼新・10大バリューレバー

(1)生理的欲求、安全
(2)闘争・競争
(3)愛情・帰属
(4)承認欲求
(5)貢献欲求
(6)学習・成長
(7)遊び(没頭・熱狂)
(8)認知欲(哲学・信仰)
(9)美術・芸術(感動)
(10)生きがい

私はこれを、価値を感じるレバー「新・10大バリューレバー」と名付けた。この10個は私がまとめたものだが、これ以外に自分なりのバリューレバーがある方もいるだろう。

いずれにせよ、自分の人生に「価値がある!」と感じさせるものは承認欲求ただ1つ、という方は少なく、多くの方は複数あてはまるのではないだろうか。その組み合わせや優先順位から、あなたの「幸福関数」が見えてくる。

●「幸福度」を上げるための計算式

生きる目標をひたすら「社会的承認欲求」に絞りがちだ。そうなると、他人の幸福度が低いほうが自分の幸福度が上がる、という悲しい事態が起きる。

● あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方より

そうではなくて、まずは「承認欲求以外にもたくさん、重要な価値ってあるよね」と気付いて認め、「幸福関数」に入れる欲求を多様化することが必要だ。

そして、さまざまなバリューレバーを意識したうえで、「自分の幸福関数を、他人の幸福度で割らない」という決意が、幸福の絶対値を高めるために重要ぺんっ!
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中途半端なエリート"ほど不幸になる理由?

こんにちは!

ぺぎそんです。

SNSで「幸せアピール」をする人は何を考えているのか。ビジネス書作家のムーギー・キム氏は「価値ある人生を送っているかどうか、自分基準で決められない人が『いいね!』の追認を欲しがる。自分が幸福になる“計算式”を考えたほうがいい」と説く――。
※本稿は、ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方』(KADOKAWA)を再編集したものです。

この仕事、この人生に意味はあるのか?
国内外で働く中で、あまりにも多くの“エリートビジネスパーソン”の相談に乗ってきた。彼らは頭もよく、たくさん働き、人並み以上の収入を得て、一見、成功しているように見える。しかしその本音を聞けば、不安やコンプレックスに苦しむ人は非常に多い。

「頑張った結果、それなりに高く評価されたけれど、別に価値や意味はなかったよね」
「生産性を追い求めてきたけれど、この人生の価値ってなんだったっけ?」

といったコンプレックスが、実に多くのビジネスパーソンの心に巣くっているのだ。
これは、もともと強かった社会的承認欲求に加え、“社会的にすごいとされる人々”と日々、接近戦で自分を比較するようになってきているからだ。SNSで「世の中は自分より成功している人だらけ!」という幻想ができあがったことも、この他者との比較から生じる不安とコンプレックスに拍車をかけているといえよう。

「首相官邸に呼ばれました」「資金調達30億成功しました」「大手企業と提携を結びました」「創業2年で上場しました」「ハーバードの同窓会でボストンに来ています」「出版物が50万部を突破しました」……などなど、“私すごいでしょ合戦”が、世界中のSNSを埋め尽くす。

しかしながら実際は、対外的なリア充パフォーマンスとは裏腹に、内心苦しむ人が多い。
人々を襲う「幸福アピール合戦」疲れ
私の親しい友人に、オーストラリアの投資ファンドのディレクターとモデルの美男美女カップルがいる。彼らのフェイスブックを見ていると、毎日が幸福人生の絶頂であるかのように見えるのだが、最近、その男性側と会ったとき、離婚調停中である旨を知らされた。そのとき、“SNSアピールと実態の乖離”を痛感したものである。

フェイスブックでは妻が夫を「ハンサムで頭が良くて家族思いで……」と讃える投稿があれほど多かったのに、と私が驚いてみせると、「彼女は自分たちが幸せだというアピールをしたいだけで、その実、家庭は問題だらけだったんだ」と嘆息する。そして息子を連れてヨーロッパに戻って、今後何をするか考え直したいと悩んでいた。

このような事例は引きも切らない。多くのSNSの実態は、自分が幸せなのかどうか、価値ある人生を送っているのかどうか、自分基準で決められないため、知人に「いいね!」と追認してもらうことで、つかの間の安心に浸るのである(SNS上の自分が本当の自分の人生でないことを内心わかりつつ――)。
悲しきマウンティング・ゴリラたち

「僕は、いつも親に『なぜおまえはばかなんだ』と言われ続けてきたから、東大を首席で卒業しても、まだまだ自分はダメなんだって、不安なんです」

ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き

こう語るのは、なんでも彼は、昔からあらゆるテストで1位を獲ってきたのに、それでも自己肯定感が低いというのだ。自分の価値を「勉強ができる」という点に置いているため、私との間で共通の知人を評するときも「あの人、でも、頭は悪いよね」「あの人が出た大学と学部、テストの点がよくなくても入れるよね」と、聞いていてこちらがしんどくなるくらい、人物評価の軸が、出身大学や入試難易度です。

●このような不幸な思考パターンに陥っているエリートは、恐ろしく多い。

やれ私は数学が得意だった、やれ私は世界有数の投資ファンド出身だ、やれ私は年収が何億だ、などなど、とにかく隙あらば“マウンティング”しにかかるのである。彼ら、彼女らがそれらをひけらかそうとするのは、ゴリラが胸をたたいて相手を威嚇するのと同様、「自分は優れていて価値があるぞ!」というパフォーマンスだ。

なお、ここでゴリラの名誉のために書いておくが、ジャングルに住む本当のゴリラは、いたずらに自分の力を見せつけるためにその胸をたたくことはない。敵や別のゴリラが近寄ってくるなど、自分の守るべき群れに脅威が迫った際にドラミングをする。大変な力持ちなのに普段はそれをひけらかさない、まさに見上げた霊長類なのだ。

それとは逆に、限られた基準で自分の価値をアピールし、必要もなしにマウンティングにかかる人間は、内心が不安でいっぱいだからその胸をたたいているのである。こうした悲しい習性を持つ人間を、私は“マウンティング・ゴリラ”と名付けた。

●ビル・ゲイツは「人より金持ち」自慢をしない?

さて、学歴や職歴や年収など、社会的に評価されがちな一部の価値観だけで自分および人の序列を決めようとする試みは、それ以外の要素に価値を置いていない価値観の貧しさの表れかもしれない。

何かの軸で自分のほうが「相対的に」優位に立っていることを確認しないと、自分の価値を自分で感じられないという、闇の深いコンプレックスの表れであるようにも思える。

たとえばビル・ゲイツは「俺はジャック・マーより金持ちだ!」と自慢しないし、ウォーレン・バフェットは「俺はソロスより投資がうまい!」とアピールしないし、ホーキング博士は「私は人よりIQが高い」などと自分で言うことはなかった。

なぜ人はマウンティングをやめられないのか
では、なぜいわゆる“中途半端な偏差値エリート”に限って、このようなエリート・コンプレックスを抱きがちなのか? この傾向は、自分の絶対的価値に自信がなく、子供のときから自分が褒められ、また怒られる基準がそれらの社会的相対評価に限定的だった人に多い。

そして“自分に価値がある理由”を必死に探す苦しみの中で、心の中でのメンタルカーストを、自分が上に来るような基準で設定した結果、立派すぎるマウンティング・ゴリラに成長してしまったのである。

●皆成功しているように見えるSNS?

マウンティング・ゴリラたちの生態について、もう少し詳しく書こう。

彼らは、ビジネスクラスのラウンジを使っていることが人生最大の誇りの源泉であり、羽田空港のサクララウンジから、カレーの写真(ここのカレーがおいしいことは、このラウンジを使う人の中では有名)をアップして“リア充”ぶりをアピールする。

そして機内では、ウェルカムドリンクのシャンパンを片手に、180度倒れるフルフラットシートで足を伸ばしている写真をアップして、“ビジネスクラスに乗っているVIPな私”を大々的に演出するのだ。

もちろん、生まれも育ちもドメドメ(日本生まれ、日本育ち)で、フェイスブックの人間関係も9割がた日本人なのに、なぜだかSNS投稿はすべて英語である。

最悪のケースでは、地元の友人からの小学校の同窓会の連絡に、なぜか英語で返してしまうマウンティング・ゴリラたち。想像しただけで「ドンドコドンドコ」、胸を大きくドラミングしている勇姿を思い浮かべてしまうが、彼らの飽くなきマウンティングはまだまだ終わらない。

実は自分が泊まるのは4スターホテルでも、近所にあるマンダリン・オリエンタルホテルのロビーにいそいそ出向き、「マンダリン・オリエンタルホテルにチェックイン」という記しをフェイスブック上に残す、マウンティング・ゴリラたち。

そして「今日も忙しかった〜 誰か今、香港のマンダリンオリエンタル本館近くにいたら、連絡してね!」などと、“たまたま周りに知人などいるわけがないのを重々承知の上で、ひとアピール”食らわせ、100万ドルの夜景を背景に、深夜にドンドコと雄叫びを上げるのである。

「相対的な幸せ」を競うと不安は無限に続く
さて、ここまで述べてきたマウンティング・ゴリラの生態を聞いて、あなたは心から笑えただろうか――? 「いるいる、そういう人」と笑いながらも、心の片隅で、こっそり自分の胸に手を当ててはいなかっただろうか?

私は思うのだが、私自身も含め、誰もが自分の中に大なり小なりマウンティング・ゴリラを住まわせているのが実態ではなかろうか。それはそれでいいのである。承認欲求も、まぎれもない人間の欲求の一つだ。ただ、自分の中のマウンティング・ゴリラに気づいたら、成長し巨大化する前に、ここでいくつかのことを知ってほしい。

まず、人が生きる上で欲求や価値を感じるものは、100年前にマズローが唱えたように5つなんてものではなく、少なくとも下記のように10個くらいはある、ということだ。

▼新・10大バリューレバー

(1)生理的欲求、安全
(2)闘争・競争
(3)愛情・帰属
(4)承認欲求
(5)貢献欲求
(6)学習・成長
(7)遊び(没頭・熱狂)
(8)認知欲(哲学・信仰)
(9)美術・芸術(感動)
(10)生きがい

私はこれを、価値を感じるレバー「新・10大バリューレバー」と名付けた。この10個は私がまとめたものだが、これ以外に自分なりのバリューレバーがある方もいるだろう。

いずれにせよ、自分の人生に「価値がある!」と感じさせるものは承認欲求ただ1つ、という方は少なく、多くの方は複数あてはまるのではないだろうか。その組み合わせや優先順位から、あなたの「幸福関数」が見えてくる。

●「幸福度」を上げるための計算式

生きる目標をひたすら「社会的承認欲求」に絞りがちだ。そうなると、他人の幸福度が低いほうが自分の幸福度が上がる、という悲しい事態が起きる。

● あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方より

そうではなくて、まずは「承認欲求以外にもたくさん、重要な価値ってあるよね」と気付いて認め、「幸福関数」に入れる欲求を多様化することが必要だ。

そして、さまざまなバリューレバーを意識したうえで、「自分の幸福関数を、他人の幸福度で割らない」という決意が、幸福の絶対値を高めるために重要ぺんっ!
posted by ぺぎそん at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

2019年06月10日

あなたの身体が壊れる前に、、、

こんにちは!

ぺぎそんです。


みなさんこんにちは!毎日元気に過ごしていますか?

仕事が忙しくてろくに休日も休んでいないことはないですか?嫌な同僚、上司に嫌味を毎日言われて会社に行きたくない人もいると思います。

今回は、あなたの大事な身体を壊す前に読んでほしいお話をしたいと思います。

■会社勤めだけが仕事ではない

みなさんは毎日せっせと会社に通って仕事をして帰ってきていると思いますが、それが肌に合っていればいいですが、そうでない場合は非常につらいと思います。そんな人はフリーランスの道を選んではいかがでしょうか?フリーランスは自分のスタイルで自由に働けるので、会社の組織の中で働くのが苦手な人にはもってこいの職業だと思います。

■身体を壊してもだれも助けてくれない

あなたが身を粉にして一生懸命、一生懸命働いて、会社に貢献しても、身体を壊したところで会社は何のフォローもしてくれません。あなたがいくら頑張ったところで、あなたの代わりは沢山いるのです。あなたが身体を壊してしまったらその壊れた身体と一生付き合わなければならないのはあなたなのです。

■全部100%じゃなくていい


仕事に100%全力投球する必要はありません。むしろ、うまくうまく仕事は手を抜きつつ、ここは頑張らなきゃ!とうところだけ一生懸命やればいいのです。一生懸命を続けるとガス欠しちゃいます。適度に力を抜きましょう。

■休日一日は思いっきり寝る

休日はその次の仕事を元気で乗り切るためにゆっくり休むことで設けられているものです。ですから、休日だからと言って遊びまわったりするのはあまりお勧めできません。少し気分転換程度に外に出るのは構いません。休日のどちらか一日はゆっくり家でお昼寝しましょう。脳を休めてあげましょう。



■あなたの一生懸命は誰かが見てる

人の行動は必ず誰かが見ています。必ずです。なのであなたが一生懸命仕事を頑張っている姿は必ず誰かが見てくれているでしょう。いつも頑張ってるね。と声はかけられなくても、必ず見ていてくれる人はいます。ですからもちろんサボっている人も見られています。だから、あなたが無理しすぎていたら、きっと誰かが声をかけてくれるかもしれません。

もし、そんなありがたい言葉をかけてもらったら、大いに感謝しましょう。

■まとめ

人間は身体が資本、健康は財産です。あなたの身体はこの世で一つしかありません。代わりなんていないのです。だからこそ、無理をし過ぎず、あなたの心を大切にしてあげてくださいぺんっ!
posted by ぺぎそん at 12:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言
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kouさん助手 兼 雑用係の僕ですが、   皆さまの恋愛や結婚などのお手伝いが出来たらと 思って毎日お昼のPm12:00とPm20:00を目安に更新しているので 良かったら見て頂いかたら幸いです。、 ペギソンでした。
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