2021年03月12日
奇跡のクラス
先週は、白馬スネルゴイオンラインキャンプという、オンラインで、インターネット上で、セミナーをしたり、聖会をおこなったりの、キャンプがありました。
Google meet を使ったりして、セミナーを行いましたが、自分でも、賜物のクラスをして恵まれました。
今年は、早めにクラスの担当が決まってきたので、クラスの用意の時間の余裕があって、助かりました。
担当は、奇跡の賜物のクラスでしたが、まとめて用意していくうちに、この証や、あの証、と奇跡の
聞いた証を思い出して、まとめていくうちに恵まれてしまいました。
例えば、雲の間にある虹の過去の雑誌に、カリフォルニアの祈祷院の話が載っていました。その祈祷院
を作った方の、奇跡の証が載っていました。荒野だった、広い敷地に、祈祷院を立てようとしていた。水がなかったので、水が与えられるように祈ったら、原因不明の山火事のようになってしまった。「神様、私は、水を求めたのになんで、火事になり、火を与えたんですか?」と祈っていたら、燃え残った一箇所に積もった枯葉が濡れていたのを見つけた。小さく水がしみ出ていた。どうやら、小さいけど泉のようなものだったので、さらに掘っていったら、かなり大きなものになっていき、さらに掘っていったら、川のように水が湧き出してきて、さらに、滝のようになってしまったと。私は、この祈祷院を、何人かの方々と見に行きましたが、ごうごうと、水が流れていました。まさに、川があり、滝があったのです。まさか、荒野だったなんて、想像もつきません。荒地に川が、荒野に滝が現れたのです。まさに奇跡ですね。
その方は、韓国人で、英語や日本語はできなかったそうです。ところが、誰にも教えられずに、奇跡的にしゃべるようになったというのです。まさに奇跡ですね。聖書に、ロバが喋ったというところがあったので、「神様はロバをしゃべれるようにしてくださったのだから、私にも、英語や日本語しゃべれるようにしてください」と祈ったというのです。そしたら急にしゃべれるようになったというのです。信じれない奇跡ですね。
本当ですか?
2021年03月11日
神は死んだのか
以前に映画館で見た、God's not dead (日本語訳タイトルは、神は死んだのか)が、アマゾンプライムのビデオで、出ています。
本当に、あったことをもとに、作られていると聞いてます。私は、実話が大好き人間なので、この映画も
好きです。ぜひお勧め。とってもとっても、クリスチャン的な映画。キリスト教的に言えば、伝道的な映画。
と言った途端に、見たくなくなる人もいるかもしれませんね。
でも、主人公が、大学の教授に訴えかけて、神がいることを哲学的に証明しようとするところは、難しいかもしれませんね。 だから、そこは、何回も見ることができます。映画館で見たときは、チンプンカンプンだったかもしれません。いや、きっとそうでした。でも、私も、哲学的に論証したり、考えたりすることが好きなタイプの人間なので、そこも興味津々です。
大学時代に、一般教養の学科で、哲学を取った時、面白くて、Aをとりました。あくまで、聖書的な、考えにのっとって、答えていたにもかかわらず、教授が良い評価をくれました。
『 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、
限界をはっきりさせねばならない。 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 』
まさに、哲学は何かといえば、これですね。
「神はいない。神は死んだ。」という主張する人々に、この映画の主人公の考え方を、聞いて欲しいですね。
2021年03月10日
いつまでも続くもの
第二コリント4:18
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
いつまでも続くものを、私たちは求めるものですね。
コロナの病が、ゆるされて、こんなにも簡単に人間の社会や経済、またシステムが、混乱をきたすものなのか、驚いています。コロナなんてちょっとした病気に過ぎないと思うのです(もちろん、コロナに関しては十分注意しなければなりません)がしかし、本当に大きな影響が出て、大きく騒がれています。平和や安定した状態が続いていてもらいたいと私たちは切に願うものですね。だから、いつまでも続くものを求めるものです。
例えば、普通の人は、長生きしたいと思うだろうし、
「いや、私は、ひどく老化してまで長生きしたいとは思わない」
という人も、では、いつまでも若くありたいと思っているわけですね。
ようするに、「いつまでもこうでありたい」と、いずれも思っているわけです。
こんなことも言えます。「風と共に去りぬ」の映画で、感動的なエンディングで、「この世で唯一価値あるものは土地だけだ。土地は永遠に残る」と言っています。しかし、土地、大地さえも永遠ではないことが、
福島の、原発の問題で、明らかにされてきました。たくさんの方が、その土地に住めなくなって、大変な思いをされました。
科学者は、いつまでも変わらない法則を見出そうとして、科学を見出してきました。
いつまでもつづく物を、求めるのが人間の心理ですね。
しかし、聖書が言っているのは、目に見えるものは続かないよと言ってます。一時的です。普遍に見えた科学的な真理さえも実は、違っていたということがよくあるのです。科学も、私たちの五感で認識でき説明できるものですね。これは、いわゆる目に見えるものです。これは、変わります。
目に見えないものとは、私たちが、正確に測れないもの、形で明確に現せないものです。これは、かわらないと言っています。例えば、神の愛。変わりません。神ご自身。すべてのものをご支配していて、変わりません。
神の言葉、聖書は変わりません。何千年であろうといつの時代にも、色あせない、真理です。イエスキリストも変わらずに、今も私たちを助けてくださる方です。しかし、今、目に見えないのですね。目に見えないものは、変わらないのです。これらのものに、目を向けなければなりません。
2021年03月09日
白馬スネルゴイオンラインキャンプ
2021年03月08日
新しいもの
2021年03月07日
神の恐るべきわざ
日本一、大きな教会になっていくと、我々の教会が。
確かに、そんなふうに神は語っておられると思います。
現在も、日本各地にTLEAの東京アンテオケ教会の人々が起こされています。
そして、世界各地に同じように、東京アンテオケ教会の人々が起こされていくようになるでしょう。
すでに、オンラインで、起こされ始めています。
832の教会。これってすごい数の数字です。でもそのようになっていきます。
一人が100万人の救いに関わるような働き。これもすざまじい数です。100人で、1億という数字に到達しますから。でも、世界中にリバイバルが起きていきますから、このようになっていくでしょう。
ということは、どういうこのブログを見る人も、すごい増えていくと信じることなんですね。
だから、このブログは1日1万、2万ぐらいのアクセスにすぐ増えていきます。一人が100万人の救いに関わっていくなら、1日のアクセス数が100万ぐらいになってくと言えるのではないでしょうか?
すごいですねー。
2021年03月06日
信仰的に踏み込むこと
パウロ秋元牧師のメッセージは、出エジプト34:10から。
力強いメッセージでした。
ますます、神が力強い業をなされることを、期待させるメッセージでした。
柏教会のディボーション箇所というのがあります。1990年の1月に、牧師に立たされました。
それから、その1月1日から、毎日1章づつ読んできた聖書箇所が、今の柏教会のディボーション箇所です。
今回、3月3日、4日がヘブル人の手紙の3章、4章でした。「今日、もしみ声を聞くならば、〜心をかたくなにしてはならない。」の箇所です。ですから、今回の白馬スネルゴイオンラインキャンプ、ぴったりの場所です。
東京アンテオケ教会のディボーション箇所は、今日が、ペンテコステの箇所で、三千人が救われたところです。
キャンプで、主は、信仰的に、明らかに踏み込むように語っておられました。特にインターネットです。
「えー、もっと踏み込むんですか」と言いたくなる方がいるかもしれませんが、踏み込もうとする時はいつも
踏み込むのが、大変に思えたり、難しく思えたりするものです。でも、踏み込んでから、後ろを見ると、大変でもなく、それほど難しいことでもなかったことに気づくはずです。
文句を言わないで、というよりも、喜んで、期待して、踏み込んでみましょう。神のわざが現わされます。
2021年03月05日
書きとめること
今日は、白馬キャンプで、全体セミナーがありました。
秋元不思議さんのセミナーがありました。
感謝ノートのことが、お話しの中で、出てきていました。
私も、書きとめることには、とても大事な御心があると、思います。
昨年は、コロナで冬のキャンプが中止になったので、一昨年のキャンプで、
不思議さんが、感謝ノートのことを言っていたのでした。その頃、改めて、神から、祝福されたことや、祈りについての、ノートに書くことを語られていたので、印象的で、少しずつやっていたのですが、これはやはり恵まれるのです。祝されたことは、すぐ忘れるのです。サタンも、祝されたことはすぐに忘れさせようとすると思います。聖書で、十人のらい病人が、癒されて、神に栄光を帰すためにイエスさまのところに戻ってきたのは、一人だけでしたと、あります。
神によくしていただいたことは、感謝して、あろがとうございますと、神に言うべきですが、我々はなかなか
できないものです。きっとやはり、サタンが、これを阻んでいるのではと思います。ですから、書き留めておくことは、素晴らしいことです。
何回か、幻でペンを見たり、筆記具で何かを書いている手を見たりしたことがあります。
それは、神が書きとめるようにと語っていたことだと、思っています。
アルゼンチンリバイバルの時、預言がたくさん与えられました。その時、神は、その預言を書きとめるように
指示してきたと、「栄光のおとずれ」という証の本の中に、書かれています。
ハバクク書では、幻を書くように神が指示してこられたことが書かれています。幻は、神の預言であり、神の言葉ですが、それを書くようにハバククは神に言われたのです。
神の言葉、預言を書くことも(預言は今の時代吟味が必要ですが)、神がよくしてくださったことを、証として、書きとめることも、その中に神の語りかけがありますから、神は、書きとめることを望んでおられます。
と私は、語られています。
最近は、フロイスという、宣教師の記録を通して、書くことの重要性を、神から語られていました。