2022年08月02日
信仰
信仰を強められたいと、願うなら、信仰が試されるような状況から逃げてはなりません。
ですって。私の言葉ではありません。ジョージ・ミュラーの言葉です。
逃げるとは、どういうことを意味するのか、もっと文章の前後を読まないと、わからないで、誤解してしまうかもしれません。でも、なんとなくわかるような、重みのある言葉ですね。(本日、祈りの時間番組、祈りの恵みが現されて感謝でした。)
2022年08月01日
母との会話
2022年07月31日
人生、これから
2022年07月30日
これも導き
今日は、なぜか?どーしても、実家に電話をしなくては、という思いがあり、夕方頃、実家に電話をしてみると、なかなか電話にでない、電話がかかったら、電話口に父がでたのですが、なんか様子が変。すぐ電話を切る感じに。なんかある、なんか起こってる!気になってまた電話をかけて問い詰めたら、父は白状し、その後母が電話に出て話がまとまった次第。父は朝起きたらめまいがしてふらふらになったそう。今までこんなことは、なかったから、今安静にしていると。いつも行く畑も、この暑さでは危険だと。昨日もあの暑さで畑に行ってたから、熱中症?食事はしっかり食べられて、血圧も高くないので、様子を見ることに。来週は、レンタカー借りて、お助けに行く予定です。私の周りには、介護で大変な方々、既に親が天国にいる方々、病気の親の対応をしてる方々など、たくさんおられるので、自分にもそういう時が来たら落ち込まず、ちゃんと対応できるように!そう思っています。テモテさんも愛するご両親を天に送られたんだもんね。今、一番会いたい人は、お父さんだって。天国で再会する日が、楽しみなんだよね。H
2022年07月29日
ありがたや
2022年07月28日
ハレルヤおばさん
ハレルヤおばさんは、TLEAの教会を本当によく見てくださった、器の方でした。
日本に、特別の重荷を持って祈ってくださった特別な祈りの器でした。
まさに、韓国リバイバルの中心で、用いられたリバイバリストだったと思います。
その方が、私たちの、当時の小さな教会に来てくださったのは、恵みでした。
非常に小さな貧しき教会から、70万人の教会に成長した、その牧師だった方です。
いつも、ハレルヤと大きな声で、ご挨拶する方で、本当に純粋な神の器だったと思います。
神が、この教会に特別送ってくださった、本物のリバイバリストでした。
ハレルヤおばさんの証の本は、私たちの心を打ちます。
今日は、ハレルヤおばさんのことを、思い出してしまいました。
2022年07月27日
昨日の話
2022年07月26日
今日までの、、、セーフ
今朝は早速いただいたかわいい紅茶で、ストロベリーの香りをクンクン嗅ぐのが幸せでした。そして今日は火曜日。キタキタ来た〜祈りの時間。でもそれは22時からとはいえ、戦いは始まったばかりなのです。それまでにやらなくてはならないことが、、、白馬キャンプ、コロナ騒ぎと続き、今日締め切り原稿、夕方に、ようやくやり遂げることがまず終了。なんとか切り抜けました。ストレスになると、むしゃむしゃ、ちょっとしか食べてないと思っていたら、体重1キロ!原因は、カップラーメン、スパゲティだ!反省!そんな私にテモテさんは驚いてました。今日は午後と夜と祈祷会もありまして、ビシッと!そして祈りの時間がお待ち〜感謝なのであります。H
2022年07月25日
2022年07月24日
教会
教会とは、日本語では、教える会となってしまっていますが、ギリシャ語の聖書の原語ではエクレシアです。
これは、集まるところ、つまり、教会より ”集会” の意味に近い言葉です。
教会は、キリストの神を信じる者たちの集まるところ、または、集まりを指すのですね。
エペソ1:22、23には、キリストが教会のかしらであり、教会はその体である。そして、そこにキリストが、満ちていると書いてあります。つまり、神を信じる者たちの集まりに、キリストは満ちているのです。教会にキリストの働きを、神は大きくもうけているのです。教会にいるだけで、癒されたりわざを受けたりするのです。
電車の中に、キリストが満ちているのではありません。学校に、キリストが満ちているのではありません。
家(うち)に、キリストが満ちているのではありません。サークルに、キリストが満ちているのではありません。
教会に、キリストが満ち満ちているのです。教会につらなる時、そこで私たちは、祝福を受けるのです。
つらなることで、霊的に強まり、解放を受け、特別な祝福を受けるのです。
また、教会につらなることで、奉仕という恵みがあります。奉仕をする中で、解放を受けるのです。
例えば、秋元牧師は、全く解放されるのはとてもムズカいしいと思っていた、人前での赤面症が、全く解放されてしまいました。
例えば、私は、祈りの牧師と言われています。祈ることがメインのご奉仕です。神学生時代に、毎週、徹夜祈祷会に出ていました。ところがある日、体調が悪くて、どうしても今日は、徹夜祈祷をお休みしたいという日がありました。しかし導かれて、その祈祷会に無理にでたら、祈祷会に出ているうちに癒されてしまいました。普通徹夜で、集会に出れば、体調を崩すはずです。しかし、逆だったのです。教会の奉仕の恵みです。それから、そんなことを、2、3回体験しました。それで、今は、必ず、徹夜祈祷を、行うようにしています。それは私にとって、大事な奉仕だからです。そうするときに、逆に、体が強められるのです。
一つの教会に、つながり続ける時、大きな恵みを受けます。一つの同じ秩序である、教会につながり続ける時に、受ける解放や、癒しがあるのです。ですから、教会をいくつもかえたり、同じ権威や秩序の中にとどまらないのは、解放をとどめます。同じところに、み体に、とどまる時に恵みを受けるのです。確かに、別のところに、主が導く場合がありますのも事実です。しかし、原則は、同じところにいる時に、解放され癒されていくのです。