広告


この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。

新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。

posted by fanblog

2017年03月16日

フェリチン1.8でした

血液検査の結果を聞きに行きました。

ピロリ菌はなし。
健康的な胃粘膜だそうです。
甲状腺も問題なし。
糖過剰もなし。

ヘモグロビンの値は11.7。
低いけど、二桁なので自分ではまずまずと思ってしまいました。

そして問題のフェリチンの値は1.8でした。

1.8?

初めて検査したので、この数値が低いのかどうかわかりませんでしたが、1.8ってきっと低いんだろうなと思ったら、とてつもなく低いそうです。
二桁はあったほうがいいし、欧米では100以下は貧血と見なされるらしい。
だったら、めちゃくちゃ低いんじゃん!!

不定愁訴は更年期のせいかと思ってたけど、鉄分不足なんだ。

あと、マグネシウムも足りないらしい。
最近、寝ている時に布団の中で背伸びをしたら足がよくつるのはマグネシウム不足だったようです。
疲れると目の下がぴくぴく痙攣するのもマグネシウム不足。
緊張が取れないのもマグネシウム不足。
筋肉の緊張を緩ませるマグネシウムが不足していると血圧も高くなるらしい。

とりあえず鉄剤とマグネシウムスプレーを処方してもらいました。
カルシウムはあまり取らないようにという注意も受けました。
ちゃんと説明をしてくれたけど、何でだっけ?思い出せない・・・。
カルシウムとマグネシウムのバランスが大切だとか何とか。
だから乳製品は取らないようにと。
積極的に取るべきものは豚肉と海藻。

ビタミンDの結果はまだです。
いろいろ過去を振り返ってみると、産後うつも育児ノイローゼもパニック障害も全部鉄分不足だったのかも。
子どもを生んでから心身ともに雪崩のように崩れていったんですよね。
出産で相当鉄分を放出するらしいです。

閉経後の女性が元気で生き生きしているのは、生理がなくなってフェリチンの値が増えるからなんだろうな、きっと。
60代、70代の女性の方と接する機会があるけど、まあ、元気なこと。
40代の私はしょっちゅう体調を崩しています。
第2の青春とか言っている人もいました。

私も閉経してしばらくしたら元気になるのかなと期待していますが、閉経までにはまだ数年。
待てません。
フェリチン値、上げます!!
【このカテゴリーの最新記事】
posted by keika at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧血

2017年03月05日

最近の貧血検査

私のパニック障害履歴の続きを書いている途中で、そんな余裕がなくなる出来事があり中断していました。
義父が肺がんになり、入院した時点で末期。
本人の希望で退院し、最初は歩けていたのにみるみるうちに容体が悪化しました。
3週間で寝返りも打てなくなり、肺がんとわかってから3ヶ月もしないうちに亡くなりました。
あっという間でした。

葬儀が終わってから、どっと疲れが出て、年明けから体調が良かったのに、何だかめまいがしてきました。
貧血の症状がまた出てきたようなので、病院に行って検査をしてもらうことにしました。
血液検査の結果によっては栄養療法を行おうと思い、栄養療法をやっている病院を検索して行きました。

10年前から貧血で血圧が高めなこと、3年前からは喘息の症状も出てきたことを話すと、ピロリ菌の検査もしましょうということに。
ピロリ菌があると鉄剤を飲んでも吸収が悪く、貧血が改善しづらいそうです。
そんな情報初めて知りました。

もちろん貧血の検査ということでフェリチンの値も調べてもらいますが、あとアレルギーがあるならビタミンDの検査もしておいたほうがいいと言われました。
自費になるので強要はしないと言われたけど、ついでなのでお願いしました。
結局、会計は1万5,000円くらいになりました。
高い・・・。

血もいっぱい採りました。
ただでさえ貧血なのに、こんなに抜いて大丈夫か???
結果は1週間後、ビタミンDだけは3週間後だそうです。

貧血にピロリ菌、アレルギーにビタミンDという視点は初めてです。
結果が出るまでは、空腹時に糖類を食べない、牛乳・ヨーグルトを食べないという宿題が出ました。
もともと牛乳とヨーグルトは好きではないのでこれは簡単にクリア。
空腹時に糖類を食べないというのは結構つらい。

三時のおやつとか無理じゃん。
お昼にうどん、夕食に焼きそばとかダメなので、どうしよう。
うどんの前にサラダでも食べるとか?

朝一発目に口にするものが果物だったので、それもダメ。
果物は食後に回せばいいのかな。
葬儀の果物のお下がりが大量にあるんだけど、どうしよう。

早く血液検査の結果が知りたいです。
タグ:貧血
posted by keika at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧血

2017年02月07日

2.パニック障害だと気づいた時期(2002年)

「2.パニック障害だと気づいた時期」(2002年)
ここまではちゃんとまじめに書いてましたね。

***ここからコピペ

さて、パニック障害だと気づいたのは大きな発作が起きたのがきっかけです。
ダンナが転職し、引っ越したのを機に体調を崩していったのは以前書いたとおりです。

それから1年で今度は転勤になり、また引っ越しをすることになったのです。

今住んでいる愛知県に引っ越すわけですが、愛知県はダンナの実家もあり、毎年帰省しているのでなじみもあり、また知り合いもいたのでそんなに大変ではないだろうとそのときは思いました。
むしろ楽しみにしていたぐらいです。

でも、1年で転勤はきつかったですね。
長男は小学2年になったばかり。
次男は年長になったばかり。
次男は結局、幼稚園を3回かわったことになります。

住むところは自力で探さなくちゃいけないので、ダンナが出張のときに不動産屋に寄って探しました。
そこで大活躍したのが、全国賃貸情報 アパマンショップです。

最近はネットで賃貸情報が簡単に得られます。
家賃、家の外観、間取り等を確認し、目ぼしい物件をチェックしてから不動産屋に行ってもらいました。
今ではこの地域でも結構広くてきれいな賃貸物件が多くなりましたが、あのときは広くてボロボロか、きれいで狭い物件しかなかったんです。

結局、妥協を重ね、ダンナが選んだ物件は見た目一軒屋で、1階と2階で2世帯暮らせるような物件でした。
私は実物を見ないまま引っ越し当日を迎えました。

引っ越し当日、全部の荷物を一台のでっかいトラックに詰め込み、私たちは車でダンナの実家に向かいました。
でっかいトラックを送り出しながら、このトラックに何かあったら我が家の家財道具一式全部パーになっちゃうんだろうなぁなんて思っちゃいました。

では私たちも、いざ北関東から愛知県へ出発!
時間がかかるので、途中運転を交代しながら行きました。

ところが、そのときに私の体に大きな異変が起こったのです。
長い長い恵那山トンネルを運転中、突然心臓がドキドキし、気分が悪くなりました。
さらにハンドルを持つ手は汗をかき、震えだしました。
それでも恵那山トンネルは長いので全く出口が見えません。

何これ? 何これ?
完全にパニックになりました。

「やばい・・・。無理・・・」

そんなことトンネルの中で言われても困りますよね。

ダンナが「大丈夫か? と、とりあえずトンネルを出るまでそのまま、そのまま・・・・」。
ダンナも慌ててました。
そりゃそうですよね。
震えている私の腕に家族の命がかかってるんですから。

息も絶え絶え、失神しそうなのを耐え、何とかトンネルを出ました。
トンネルを出た瞬間、急ブレーキをかけ車を止めました。
もしあのとき後続車がいれば完全に追突されていて、最悪死んでたかもしれません。
そう思うと今でもゾッとします。

すぐダンナと交代しましたが、私は震えが止まりませんでした。

自分でも気がつかないうちに心身共にいっぱいいっぱいだったのでしょう。
私は理想が高く、完璧主義者です。
自分に自信がなく、もっと頑張れる、もっと頑張れるっていつも思っていました。
限界を超えていたのかもしれません。

長い長いトンネルの中でブチッと張り詰めていた糸が切れちゃったのかも・・・。
私はあれ以来、高速道路もトンネルもダメになりました。
8年も経っているのにまだ高速道路とトンネルでの運転はできません。

トンネルの中での私の状態って一体何なんだろうとそのときやっと気になり、インターネットで調べました。
そうしたら、そのときの症状にぴったり当てはまるものが見つかりました。

それが「パニック障害」でした。

ああ、私はパニック障害なんだとわかったものの、じゃあ、どうすればいいのかはそのとき全くわかりませんでした。
パニック障害だと自覚してからは、今度は予期不安に悩まされました。

行動範囲が徐々に徐々に狭まっていき、最後には家から出ることもままならなくなりました。
心も体もボロボロになり、ただ息をしているだけの状態。
家事もできなくなり、妻として、母としての役割も全くできなくなりました。

そんな自分を責め続け、口癖は「死にたい」。
状態はどんどん悪化していきました。


「3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期」に続きます。

(2010年06月04日記)


***追記です。

う〜ん、重い・・・。
この頃は子ども優先で自分は二の次、三の次でしたね。
今は疲れたらすぐ休みますが、子育て真っ最中の時は自分が疲れていることにさえ気づいていなかったです。

さて、ここで頓挫してしまった「私のパニック障害履歴」ですが、思い出しながら書いていこうと思っています。

2017年02月06日

1.パニック障害だとわからなかった時期(続き)

さて、「1.パニック障害だとわからなかった時期」の続きです。

「ん? 変だなぁ〜」と気づいたのはディズニーシーに行ったときのことです。
あれは忘れもしないクリスマスシーズンのときです。
小1の長男、年長の次男を連れてウキウキしながらディズニーシーに行きました。

でも、行ったアトラクションについては1つしか覚えてないんです。
『海底2万マイル』というアトラクションです。
わざわざファストパスをとってまで入った『海底2万マイル』で自分の体の異変に気づきました。

小型潜水艇に乗って海底の旅をするというアトラクションです。
潜水艇には私たち家族4人とカップル1組が乗り込みました。
どんどん暗い海底に沈んでいくというシチュエーションだったと思うんですが、別に本当に海底に沈むわけではありません。(←当たり前だっ)

なのに、だんだん息苦しくなっていき、動悸もし、冷や汗も出て、息ができなくなりました。
「なんじゃこりゃぁ〜!」って初めての経験でビックリしてダンナに助けを求めようと思ったけど、カップルに迷惑かなと思って我慢して、一人でパニックになっていました。

やばい、やばい、死んじゃうー、うーーーー・・・とか思っているうちに終わりました。
そのときは何がなんだかわかりませんでした。

私は乗り物は好きなほうです(でした)。
遊園地も好きで、ジェットコースター系、お化け屋敷系も全然平気です。(「でした」ですね)
高いところも平気で、観覧車に乗っても全然平気。
電車も新幹線も車も、映画館も好きなほうです。(「でした」。これも過去形で)
それがそれ以来、次々とダメになっていったんです。

『海底2万マイル』はその序章に過ぎなかったんです。

それから、お正月映画『ハリー・ポッター』を観に行ったときも、満員電車に乗って宇都宮の友達に会いに行ったときも、同じ状態になりました。

何かおかしいと思っていましたが、そのときは「パニック障害」という言葉すら知りませんでした。

しばらく何がなんだかわからない日々が続きましたが、決定的な激しい発作が起こり、ようやく気づきました。

これはパニック障害というものだと。

(2010年05月01日記)


***追記です。

知り合いも誰一人いない、縁もゆかりもない土地にダンナの転職により移ったのですが、大変でしたね。
ダンナは転職したばかりなので正月休みもなく働きづめ。
一人で幼い子2人の面倒を見ていました。

田舎なので圧倒的に人口が少なく、公園に行っても誰も遊んでいません。
夏は毎日、雷と夕立があり、冬は雪でしょっちゅう幼稚園バスが運休して自由登園になりました。
私は車を持っていなかったので、みんな車で子どもを幼稚園に送っていく中、私は雪の中歩いて次男を幼稚園に送り届けていました。

あまりに雪が降っている時はつらくて涙が出てしまい、ローンでいいから、軽でいいから車を買ってほしいとダンナに泣きついて買ってもらいました。

仕事は在宅でできる仕事だったので家でやっていました。
仕事をしている間はたとえ家にいても子どもの相手ができないので、幼稚園には行ってほしかったんです。

ダンナ以外の話し相手は、次男の幼稚園のバスの送り迎えで一緒になるお母さん2〜3人とバスを待っている間話す程度。
寂しすぎるのでジムに入会したのですが、一度初級エアロビで生徒が私一人という時がありました。
ジムに通っている人も少な過ぎ・・・。

とにかく孤独。ひたすら孤独の毎日でした。

2017年02月04日

1.パニック障害だとわからなかった時期(2001年)

私のパニック障害履歴です。
以前のブログでは最後まで書いてなかったのですが、移転を機に最後までまとめてみようと思っています。

「1.パニック障害だとわからなかった時期」を書いたのは今から7年前です。
今では忘れてしまったことも書いてあり、若い頃の私って悲惨というか頑張ってたなと思います。



**********************

さて、私のパニック障害履歴ですが、簡単にまとめるとこんな感じです。

1.何かおかしいなと気づいていたけど、パニック障害だとわからなかった時期(2001年)
  〜*人生の転機でした〜
2.これはパニック障害だと気づいた時期(2002年)
3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期(2003年)
4.どん底まで落ち、あることをきっかけに治りたいと努力するようになった時期(2004年)
5.いったんよくなった時期(2005〜2006年)
6.家を建てて再発(2007年)
7.ちょっとよくなったけど交通事故でまた再発(2008年)

**********************

今回は「1.パニック障害だとわからなかった時期」について書きます。

いわゆる人生の転機というものは誰しも持っていると思いますが、私の場合、まずは「結婚」でした。

で、もう一つの転機は「ダンナの転職」でした。
これはしんどかった。本当に私もよく頑張ったと思います。

今も不況だ、不況だと言われていますが、10年前、ダンナが勤めていた会社も相当不況でした。
給料は上がらないわ、ボーナスは出ないわでお先真っ暗でした。

マンションのローンどうするのよ〜って感じ。
私も働いたけど、小さな子どもを抱え、誰も頼る人もいない土地では4〜5万稼ぐのがせいぜい。
ダンナはそのうちメニエールになっちゃうし、本当ヤバいかもと思っているうちにダンナが転職をすることになりました。

転職自体は反対ではありませんでした。
でも、トントントンと転職話が進んでいき、最初の赴任先が北関東の超田舎って聞いたときは「無理!」って思いました。
当時は中国地方のある都市に住んでいました。

マンションはどうするの?
長男はあと4ヶ月で幼稚園を卒園するのに転園?
どこに住むの?
引っ越費用すらないよ〜。
絶対ムリ!

結局、「妻が反対しているので」と内定を断りました。
一次面接、二次面接と大阪に行ったり、愛知に行ったりと頑張っていたのはわかってるけど、現実的に受け入れることができなくて猛反対してしまいました。

しか〜し、何と会社のほうから私に電話があったのです。
「奥さんが反対されているということですが、ぜひうちに来てください」みたいな内容で、そんなにダンナを必要としてくれるのかとちょっとビックリ。
引っ越し費用を出してくれるという条件で受け入れることにしました。

それからが大変でした。
最初の3ヶ月ぐらいは試用期間ということなので、ダンナだけ先に行くことに。
そして、その間に住むところを見つける。
私と子どもは残って、長男の卒園と同時に引っ越す。

マンションの借り手を見つけたり、引っ越し業者を見つけたり、引っ越し先の次男の幼稚園を探したりするのは全部私一人でしなくてはいけませんでした。

何だかとっても大変だった覚えがあります。

当時、1台しか持っていなかった車はダンナが乗っていったため、足は自転車のみ。
ある日、夜中に次男が「耳が痛い」と泣き始めたことがあります。
とりあえず様子を見ようと思ったけど、あんまり「痛い、痛い」って言うもんだからタクシーで病院に行きました。

そのとき、家には現金が全然ありませんでした。
銀行に行けばあるんだけど、手持ちのお金がない。
今みたいにコンビニ銀行とかないので、ないまま行きました(よく行ったよ)。
タクシーにも病院にも「絶対後で払いに行きます」と言い、後日払いに行きました。

そんなことを同じマンションのママ友に話したら、「何で言ってくれなかったのよ。お金ぐらい貸すし、車も出したのに」と涙目で言ってくれました。
よっぽどかわいそうに見られたのでしょうね〜(^_^;)

結局、ただの中耳炎でした。
子どもが2人とも中耳炎になり、病院に通って治療しました。
私も実は中耳炎だったけど、自分のことは放っておきました。
そのせいで後々ひどい目に遭いました。

引っ越し業者を見送り、電気・ガス・水道の手続きもし、すぐ飛行機に乗ったのですが、中耳炎のまま飛行機に乗るもんじゃないですね。

バリバリバリッというものすごい音が耳の中でし、飛行機から降りたらほとんど耳が聞こえなくなっていました。

引っ越してすぐやったことは耳鼻科通いでした。

就学前の子どもを2人連れ、飛行機から降りて今度は新幹線に乗らなくちゃいけないというのに耳が痛くてほとんど聞こえない。
あまりにも自分が悲惨に思えて泣けてきました。

あと、テンパってたなぁ〜っていうエピソードがもう一つ。
卒園式が終わったらすぐ引っ越しということで前日に引っ越し業者が準備に来て、家具や荷物を梱包して1部屋に集めてくれました。

全部終わったぁ〜と思ったら、自分の着替えを用意してなかったことに気づきました。
子どもの着替えはちゃんと用意していたのに、自分の着替えはすっかり忘れていました。

引っ越すということで、とにかく子どものメンタル面が気になったし、自分のことは常に二の次でした。
結局、下着まで含め前日と同じ格好で旅立ちました。

まあまあの都市から超田舎への引っ越し。
慣れ親しんだ西日本から東日本への移動はカルチャーショックの連続でした。
言葉が違う、気候が違う、何もかも違う。
見渡す限りの田園風景、昼間歩いていても誰にも会わない。
映画館もない、病院も総合病院だけ。
大きなスーパーは2軒だけ。

今の私だったら、そういう田舎も十分楽しめます。
むしろそっちのほうが犬には住みやすそうだし。
でも、当時の私はショックのほうが大きかったです。

大変なことは重なるもので、このとき「ダンナの転職」だけではなく、人間関係のトラブルもありました。
特にダンナが先に行っていた4ヶ月間はひどく、相談する相手もいないし、頑張っているダンナに心配させたくないということでダンナにも話しませんでした。

引っ越しと人間関係のトラブル、う〜ん、本当に大変だったなぁ(しみじみ)。
引っ越してからはよく隠れて泣いていました。

でも、ま、引っ越しちゃったんだし、トラブっていた人間関係も引っ越しを機に何とかなったわけだし、これからこれから。
そう自分を励ましつつ生活をしていました。
ディズニーランドも近いんだし、楽しまなくちゃね〜♪ということで、ディズニーシー(何でランドじゃなくシーに行ったのかよくわからないが)にも行きました。

そのディズニーシーで自分の異変に初めて気づきました。
長くなったので(続く)。

(いったん書き始めると長いし、くどいですね〜)

(2010年04月20日記)



若いときは本当苦労してましたね。
車もない、金もない、助けてくれる人もいない。
私もダンナも実家が遠いので親にも頼れない。

今では一人一台車があるし、家に現金がないなんてことはありません。
友人、知人もたくさんでき、困ったときは助けてくれる人もいます。
若い頃の私はよく頑張ったと思います。

2017年02月03日

自己紹介

keikaです。

2017年2月現在で46歳、アラフォーなのかアラフィフなのか微妙な年齢です。
「パニック障害完治を目指すアラフォー主婦の日記」というブログをSeesaaブログで書いていましたが、FAN BLOGに移転することにしました。

理由は2つ。

1.Seesaaブログではスマホでの広告非表示ができないので。

2.パニック障害はほぼ克服し、今は喘息の治療日記になりつつあり、タイトルと記事が合わなくなったので。


ということで、記事を改編しながら気長に移転しつつ、更新していきたいと思っています。


私がSeesaaブログを始めた当時はパニック障害に悩んでいました。

2010年1月に初めて投稿した自己紹介記事を読み返すと、正直情けないというか恥ずかしいというか、悲劇のヒロイン的思考で自分でゲンナリします。

でも、当時は真剣に悩んでいたんですよね。
パニック障害の発作で死ぬことはないけど、喘息の発作では死ぬことがあります。
パニック障害の発作で死ぬんじゃないかと何度も思いましたが、喘息の発作のほうがはるかにやばいです。
このまま窒息死なのかなと何度思ったことか・・・。

パニック発作はしばらくすると収まるけど、喘息発作はそのまま放っておくと死ぬ場合もあります。
病院に行って点滴を打ってもらうと収まるんだけど、自力で病院に行けない時は家族か救急車頼みです。

なので、「まだまだ甘いね」って過去の自分に言いたいですね。

せっかくなので、コピペします。


ここから−−−−−−−−−−−


はじめまして。keikaです。

私は30後半の主婦です。
いわゆるパニック障害に長年悩まされています。

現在の症状は、閉所恐怖症、暗所恐怖症、広場恐怖症、不安神経症、過呼吸等々です。

日常的な生活ではスーパーでの買い物ができません。
スーパーに行くと息苦しくなり、レジに並ぶと恐怖心が出ます。
レジで会計をしているとき、息苦しくなり、呼吸の仕方がわからなくなります。

一度、スーパーで倒れて救急車で運ばれたことがありました。
そのとき、脳や心臓には異常なく、血液検査でひどい貧血と言われました。
ヘモグロビンの数値は6.9でした。
今現在、13ぐらいまで数値が上がっているので、相当の貧血でした。

映画館、電車やバスなどの公共の乗物、遊園地、人混みがだめです。めまいがします。

今、家にいますが、頭痛と息苦しさがあり、頭もぼーっとしています。
そんな自分がすごく情けないです。

過去にも何とかしようといろんな努力をしました。
運動がいいと聞き、ヨガやテニスに通いました。
食事に気をつけるといいと聞き、甲田先生の本を参考にし朝食抜きを続けたり、肉や砂糖を抜いたマクロビオティック食にしたりしました。

サプリメントも飲んでいます。

レイキヒーリングやカラーセラピー、カウンセリングの勉強もしました。

整体やアロマトリートメントを受けたりもしています。

良くなるときもあります。
でも、すぐまた悪くなるんです……。

昔から神経質で、人に気を遣いすぎたり、すぐ落ち込んだり、自己嫌悪に陥りやすい性格です。
体質的に体力がなく、疲れやすいです。

ちょっとよくなってはまた悪くなりの繰り返しで、もう泣きそうです。
今も何だかよくわからないけど体が疲れているようで、左のまぶたの下がぴくぴくと痙攣しています。
疲れるとよくそういう症状が出ます。

何で私はいつもこうなるのかなぁ。
元気はつらつでエネルギッシュに動き回れる人が本当にうらやましいです。

ストレスがたまっているのは事実です。
主婦には休みがありません。
毎日毎日、掃除、洗濯、食事の支度を気にしながら生活しています。

子どもは小学生と中学生の息子2人です。
勉強はできませんが、明るく素直で友達も多く、毎日楽しそうです。
うらやましい限りです。
私は子どものとき、おとなしく、父親の顔色をうかがってビクビクしていました。

ダンナも明るく包容力があり、働き者で家事もよく手伝ってくれます。
仕事もガンガンこなしていくタイプです。稼ぎもそこそこいいです。
うらやましい限りです。
私にはそんな能力がありません。

子どもやダンナがうらやましい。
私なんかどうせただの主婦だし……。
そういう気持ちが一番のネックなんでしょう。

去年から黒のラブラドールを飼い始めました。
とっても癒やされます。
でも、また思ってしまいます。
ラブちゃんはいいな。いつも寝て、食べて、遊んでばっかりで。
世話は全部私。ダンナと子どもはかわいがるだけ。
何で私ばっかり・・・。

こんなふうに思う私って嫌な人間なんでしょうか?
でも、主婦ならわかってくれるはずです。

主婦同士の会話、うっとおしいときもあるけど、救われるときもあります。
あれ? 私って結構幸せじゃんって。

ただ一つ、パニック障害さえ治ってくれたらもっと幸せなんだけどな。
今までできていたことができなくなることの不安と恐怖は経験した人にしかわからないと思います。

私も昔、過呼吸とかになる人のことをバカにしていました。
電車に乗れない? 何それ、と思っていました。
そんな私がなっちゃったんですね。

周りの人に言っても理解してもらえないことはわかっています。
ブログにしか吐露できる場所はありません。

夢の国、ディズニーランドでさえ、私には苦痛の国になってしましました。

それでもいつかは夢の国を夢の国として楽しめる日がまた来ると信じたいです。

(2010年1月21日投稿)

ここまで−−−−−−−−−−−


自分で書いた記事にイラッと来ましたが、当時は本当に真剣に悩んでたんですよね。

posted by keika at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 私について
ファン
検索
<< 2017年03月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール
keikaさんの画像
keika
2002年にパニック障害を発症。
一時はうつ病にも陥りました。
良くなったり、また悪くなったりを繰り返してきましたが、現在ほぼ治っています!
ところが2014年に突然、喘息になりました。 今は薬でコントロールしています。
プロフィール