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2018年02月19日

体調、悪いです

■今日の体調
1月まで体調がまずまずだったのに、2月に入ってから突然体調が激悪になりました。
予定はすべてキャンセル。
楽しみにしていた予定もあったのに・・・。

やっぱり食べ過ぎだったのかなぁ。
朝食はほとんど食べなかったのに、食欲があることと、胃腸の調子がいいこと、そして私の周りにいる元気な人はしっかり三食食事をとっているので、ついつい私も三食きっちりとるようになりました。

胃腸の調子がいいので食べられるんです。
なので、つい調子に乗って食べていました。
あと、年齢的に更年期障害も入ってきてるかも。

でも、一番の反省点は食べ過ぎでしょう。
栄養療法をやっているのですが、血液検査でγ-GTPの値が上昇し、お酒も飲まないのに上がってるのはストレスか糖質のとりすぎで血糖値が乱高下している疑いありと言われたのに、きっちり食生活を見直していませんでした。

血圧と基礎体温は毎日きっちり測っていますが、急に血圧は上がり、体温も下がってきました。
体調も悪くなり、動悸とめまい、喘息が出て、しばらく起き上がることができませんでした。
体が冷えないような努力もしてたのに、最近コーヒー飲みすぎだし、前より減ったとはいえ、ドーナツやパンはよく食べていました。

ある朝は、動悸がひどく、胸が苦しくて、これってやばい???死んじゃう???と思うと不安感がますます増大し、あ、これってパニック障害の発作と同じ!
パニック障害、再発かも。
喘息も治らないし、更年期障害もあるし、そしてさらにパニック障害再発って、一体私は何をやってるんだか。
栄養療法で随分良くなった体調が一気に元に戻りました。

また振り出しです。
どっちみち食欲もないので、いい機会だと思い、少食と糖質制限の食事に戻します。

基本は
朝 なし、または手作り野菜ジュース、またはフルーツ少々
昼 サラダとタンパク質がとれたらとる
夜 糖質控えめで好きなもの

今日は
朝 ほうれん草とキウイとリンゴのジュース 
低速ジューサー(ヒューロムスロージューサー)はピカイチ野菜くんで購入しました。
私が購入したときより1万円安い・・・。
この価格は2月24日までだそうですが。

昼 サラダとゆで卵
あんまりお腹が空いてなかったので、これも食べるべきじゃなかった???

夜 八宝菜と酢の物を作る予定。あと、昨日の残りものの味噌汁。
どのくらい食べられるだろうか・・・。



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posted by keika at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の体調

2017年12月30日

パニック障害は鉄不足が原因?

かつて、うつやパニック障害はストレスが原因だとか、まじめな人が頑張りすぎてなってしまうものと言われていましたが、今はちょっと違ってきましたね。
糖質過多、タンパク質不足の食生活が原因だと言われ始めてきました。

最近ではそれよりもちょっと進んで、鉄不足がうつや・パニック障害の原因だと言われるようになりました。
「うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった」 ( 藤川徳美 著)という本も出ましたね。



最初ネットで、うつやパニック障害は鉄不足が原因という説を見かけ、「え? 鉄不足が原因なの??」と衝撃を受け、貧血の私は貪るように関連記事を読みあさりました。
思い当たる節がありまくりの私。

なんでも鉄はセロトニンなどの神経伝達物質を作る際に必要な酵素を助ける働きをしているため、鉄が不足するとセロトニンなどが必要なときに作られなくなり、結果うつやパニック障害を引き起こしてしまうそうです。

貧血かどうかはヘモグロビンの値ではなく、フェリチン値で判断します。

藤川先生のFacebookで「フェリチン4以下の女性はこうなる」という記事があり、フェリチン1.8だった私は読んで愕然としました。

・いわゆるうつ病やパニック障害と判断される精神疾患になる → なりましたね。
・イライラしやすく凶暴になる → まさに今そうです。更年期と重なり、イライラしまくり。
・気候変動に弱くなる → これって鉄不足だったの???
・甘いものが欲しくなる → 頑張って我慢していますが、我慢できない時があります。

母親が鉄不足だと子どもが多動児になるとありましたが、それはなかったので、妊娠中は貧血ではなかったのかも。
出産後の産後うつも鉄不足らしいけど、確かに産後うつになりましたね。
特に2人目出産後がきつかった覚えがあります。

鉄不足だからといって鉄だけ摂ればいいわけではなく、鉄不足=タンパク質不足ということなので、タンパク質をしっかり摂る必要があります。

ただ、アマゾンのレビューにもあるように、鉄不足がうつ・パニック障害の原因というのは男性にも当てはまるのかどうかは微妙・・・。
生理がある女性には当てはまると思います。

何にしてもタンパク質は重要なので、栄養療法でかかりつけの医師にも肉・魚・大豆をしっかり食べなさいと言われています。
かかりつけの薬局でも言われました。
私は下の血が高いため脈圧が低いのですが、脈圧が低いのは良くないらしく、血管もタンパク質でできているので脂の少ない良質なタンパク質をしっかり摂るよう言われました。

あともう一つ、血糖値の乱高下の疑いがあるため、2週間分の血糖値を自動的に測れるシールをつけてみないかと提案されました。
お値段は7,000円ぐらいだそうです。
即決できず帰ってきましたが、家で調べると「Free Style リブレ」という血糖値を痛みなしに2週間持続的に測定できる新型測定器ですね。

病院でしか利用できないと思っていましたが、アマゾンで売ってるんですけど・・・。


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2017年12月16日

フェリチン1.8から37に上がりました!

栄養療法を始めて3回目の血液検査の結果が出ました。

まず現在の体調ですが、喘息はまだあり。
たまに胸がヒューヒューいうので、シンビコートを朝晩吸入しています。
調子がいいと忘れますが。
息切れ、咳、痰はなし。
症状としては、たまにヒューヒューいうくらいです。
調子いいです!と呼吸器科の先生に言うと、聴診器でははっきり音が聞こえるので「まだまだだね」と言われてがっくり・・・。

9月10月と喘息が出て体調も悪化し、ほてりや不眠など更年期の症状が出てきたのでプラセンタの注射も週1で打ち始めました。
不眠は割とすぐ改善され、ほてりも落ち着きました。
この延長線上で喘息も治らないか期待しています。

風邪を引きやすい季節ですが、風邪は引いていません。
これはビタミンDのおかげらしいです。

しかし、胸のもやっとした感じ、不安感が取れません。
どうもいまだによくない糖質の取り方をしているようです。
自覚あります。
反省してます、はい。

血圧は上は適正値なものの、下が高いです。
かかりつけの薬局でも、脈圧が小さいのはよくない。血管もタンパク質でできてるので、脂の少ない鶏肉、豆など良質なタンパク質をとるようにと言われました。
やはりタンパク質はまだまだ足りてないのかな。

現在、栄養療法で処方されてるもの
・鉄剤
・ビタミンD
・EPA
・鉄強化のマルチミネラル

これらは、貧血・喘息・血圧改善のために処方してもらっています。

途中、親知らずを抜歯したときはビタミンCもプラスしました。
2回目の血液検査で数値が低かった亜鉛も一時期飲んでいました。
ほかに、マグネシウムはアマゾンもしくは楽天で自分で買って、水に滴下して飲んでいます。



毎回、症状に合わせた漢方も処方してもらっています。
あとは、低糖質・高タンパクな食事を心がけるよう気をつけています。

4ヶ月目、8ヶ月目の血液検査の結果は
フェリチンは、1.8 → 36 → 37
上昇したけど、4ヶ月目から8ヶ月目の伸びがありません。

ヘモグロビンは、11.7 → 12.6 → 13.0
順調に上昇。

亜鉛は、130 → 112 → 146
下がった時点で亜鉛を処方してもらったら、順調に上昇。

ビタミンD 10.2 → 63.6
ビタミンDの検査は高いので4ヶ月目ははしょったけど、大幅に上昇していました。

ほかも順調にいい数値が出たけど、γ-GTPだけ上がってるんです!
お酒飲まないのに・・・。
これはストレスでも上がるし、糖の取り方が悪くても上がるそうです。
最近イライラすることが多く、ついつい空腹時に甘いものを食べることがあります。
空腹時の糖はだめだと言われているのに・・・。

きっとそのせいなんでしょうね。
何となくもやっとした不安感がとれないのは。
最近、ツイてないな〜と思うことが多々あります。
それって自分自身が呼び込んでいるんでしょうね。
今日もツイてないことがあり、凹んでいます。

食事療法だけでなく、気持ちの持ち方を整体の先生に教わったけど、なかなかできませ〜ん。
私は頑張りすぎるらしいです。
あきらめたり、ま、いっかと思えるようになるといいらしいのですが、何かね〜、つい頑張ってしまうんです。

でも、さすがに今日起こった出来事は、もうしょうがないというか、あきらめてしまうしかないような出来事でした。
本当恥ずかしいし、凹むような出来事です。
やっちまったよ・・・トホホと思い、眠れなくて、半年ぶりぐらいにブログを更新しています(^_^;)



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posted by keika at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 栄養療法

2017年12月15日

4.治りたいと努力するようになった時期(2004年)

********************************************
1.パニック障害だとわからなかった時期(2001年)
  パニック障害だとわからなかった時期(続き)
2.これはパニック障害だと気づいた時期(2002年)
3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期(2003年)
********************************************

今回は、「4.どん底まで落ち、あることをきっかけに治りたいと努力するようになった時期(2004年)」です。

パニック障害からのうつ病・・・。
ただ、息をしているだけの私。
ダンナはこんな私を責めず、支え続けてくれましたが、一度だけ「子どもの飯くらい作れよ!」と怒られたことがありました。

その後の私の態度はそれはそれはひどかったと思います。
まさに醜態!
怒られて当然なんですが、完全に病んでいたので、多分泣き叫んでいたと思います。
「私だって作りたいけど作れないんよっ! もう死んでやる!!!!」と髪を振り乱して、刃物を持ち出した記憶があります。

相当やばかったと思います。
でも、死ぬ気なんてないんですよね。
「死にたい、死にたい」と言い続けていましたが、本当は何とかしたかったし、助けてほしかったんです。

ダンナが刃物を取り上げ、「ご飯なんか作れなくていいよ。弁当買ってくればいいんだから」と必死で私をなだめました。
ダンナもその時プツンと切れたのかな。
「おれが悪かった。おれが死ねばいいんだ」と泣き始めました。
ダンナが泣くのを見たのはダンナの両親が亡くなったとき以外一度もありませんでした。
初めて見ました。

私は「えっ!? あなたが死んだら困るんですけど・・・」とパニック状態。
「死にたい」と言われると、言われたほうも傷つくということに初めて気づきました。
安易に「死にたい」と言い続けたことを反省しました。

今思うと気持ち悪っ!と自分でもゾッとしますが、「死にたい。死にたい。死にたい」と羅列したメールをダンナに送ったりしていました。
テーブルにマジックで「死にたい」と書き殴り、それをダンナがせっせと雑巾で拭いて消す。
新聞やチラシ、雑誌など破れるものはビリビリに破き続け、ゴミの山となった紙くずを拾い集めるのもダンナ。
今思うと本当に申し訳ないことばかり・・・。

いろいろ原因はあったと思うけど、栄養療法をしている今では、当時の高糖質・低タンパクの食事内容が大きな原因の一つだったなとわかります。
糖質に偏った食事で血糖値が乱高下し、ろくにタンパク質を摂らないので栄養失調になり、特に貧血もすごかったと思います。
ヘモグロビン6.9というときもあったし・・・。

話は元に戻り、何とかしたいと思ったきっかけは、ダンナに「おれが死ねばいいんだ」と言わせてしまったことがきっかけでした。
このままではいけない、治るために何をしたらいいんだろう。
全く回らない頭をフル回転させて、まず心療内科に行ってみよう。
そう思いました。

自分が経験したからわかりますが、病院に行ったほうがいいとわかっていても、病んでる真っ最中だと病院に行く気力も体力もありません。
でも、何とかしたいと思うようになり、心療内科を探し、自力で行くことにしました。
それはそれは大変なことでした。

一人で外出するのが困難だったし、ましてや運転なんて・・・。
とにかく近くの心療内科を探し、車で10分、経路も左折2回で着く病院なので大丈夫なはず。
絶対治したいという強い気持ちを持って、いざ行かん!

ただ、いくら強い気持ちを持っていても、やっぱりしんどいのはしんどい。
当時は軽自動車に乗っていましたが、その軽自動車の空間に息が詰まりそうになりながらも、赤信号で止まる度にぐったり。
呼吸を整えて、青信号でまたアクセルを踏む。
そんな繰り返しで、息も絶え絶え心療内科に到着。

初めての心療内科。
入ると、待合室に患者がたくさん。
重たい雰囲気。
こんなところに通って治るんだろうかと不安になりました。

まず最初にアシスタントみたいな若いスタッフに別室に呼ばれ、家族構成や生育歴、病歴など詳しく聞かれました。
その後、診察室に入り診察。
といっても心療内科だから、症状を話して先生は聞くだけ。
パニック障害とかうつ病とかの診断もされず、「大丈夫、治るからね」と薬をもらって初診は終了。
何の薬をもらったか忘れましたが、漢方と精神安定剤なのかな、何かもらいました。
もしかしたらデパスだったかな。
電車でパニックを起こしそうになったら飲んでみてと言われた気がするようなしないような・・・。
結局、その時もらった薬は飲みませんでした。

心療内科ってこんなもんなんだと正直拍子抜け。
どう考えても、通ってもよくなる気がしない。
これは自力で何とかしないと無理だ。
何とかしていこう、そう決心しました。
そうしていろんなことにチャレンジしていきました。


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2017年05月01日

3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期(2003年)

1.パニック障害だとわからなかった時期(2001年)
  パニック障害だとわからなかった時期(続き)
2.これはパニック障害だと気づいた時期(2002年)


今回は、「3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期(2003年)」です。

★2001年、不景気でボーナスが出なくなり、金銭的不安で押しつぶされる。私も働くが、子どもが小さいため収入は微々たるもの。ダンナもメニエールになる。将来を考え、ダンナが転職を決める。(長男・年長 / 次男・年少)
★2002年、転職のため、中国地方から北関東に引っ越し。(長男・小1 / 次男・年中)
★2003年、1年で転勤。北関東から中部地方に引っ越し。(長男・小2 / 次男・年長)

2003年といえば、私はまだ33歳。若っ!
長男が小学2年、次男が年長ですね。

2003年の5月という中途半端な時期に引っ越し。
移動途中に大きなパニック発作に襲われたものの、その時はただ疲れているんだろうと思っていました。
とにかく自分の事は後回し。
まずは子どものこと。

子どもが転居先でなじめるか本当に心配でした。
しかし、私の心配はよそに、子どもたちはすぐなじんでいきました。
なじめてないのは私だけ・・・。

方言になじめない。
車や人の多さになじめない。
自然がない、見渡す限り平地の土地になじめない。
子ども会や町内会が活発なのになじめない。
食生活になじめない。(スーパーで売っている食材が微妙に違う。外食しても慣れ親しんだ味ではない)

そして、友人はおろか、知り合いが誰もいない・・・。

私は仕事が増え、在宅とはいえ、休みなく馬車馬のように働きました。
ずっとパソコンの前に座り、何時間も集中して座ったまま。
これもいけなかったですね。

ひたすら座ったまま。
仕事のやりとりはメールか電話で済ませられるし、納品もメールか宅配便でOK。
お茶やランチに行く友人もいないし、この時は仕事優先だったので、もしいても断ってたかな。
夜は深夜0時まで仕事。
盆も正月もGWも仕事。

以前は長期休暇はダンナの実家に帰省していましたが、車で15分というところに住むようになったので、年に一度私の実家に帰省するときだけ仕事をしていませんでした。
ちょうど繁忙期の年度末を過ぎた春休みに大抵帰省していました。

パソコンの前でひたすら仕事をしていると病んでいきますね・・・。
既に壊れかけていた私ですが、仕事が忙しく、食事も簡単に食べられる炭水化物中心、座ってばかりで運動不足、納期に追われて睡眠不足。

まず体がおかしくなっていきました。
すでにパニック障害の症状がありましたが、どんどんひどくなっていきました。
寝ても寝ても疲れが取れない。
子どもを学校に送り出し、ちょっと寝ようと思ったら、子どもが帰ってくるまで寝ていたり、ご飯を作ろうにもご飯を炊くことさえできなくなっていきました。

頭は常に孫悟空の頭についている輪っかみたいなやつが締めつけているような感覚。
電車に乗れなくなり、特急・快速は怖くて乗れず、普通電車に乗って、気分が悪くなったらすぐ降りて、また普通電車に乗るの繰り返し。
エレベーターには乗れないので階段。
車の運転中、雨が降ると動悸が激しくなる。
離人感が激しく、自分が自分ではないような感覚に陥る。
スーパーのレジ待ちの時間が耐えられなくて、一人で買い物に行けなくなる。
美容院も無理。
自分が運転していなくてもトンネルに入るとパニックに陥る。

最終的に、どこにも出かけられない。
ご飯も作れない。
寝てるだけ。
ただ息をしているだけの人間になってしまいました。

口癖は「死にたい」。
その時は自分のことしか考えられなかったけど、ダンナも相当しんどかったと思います。
仕事から帰った後、ご飯も作らず、真っ暗な中で寝ている私の面倒を毎日見るわけですから。

ご飯も作れない私は母親失格、妻失格だと自分を責め、ただただ泣いていました。
ダンナへのメールには「死にたい」という言葉ばっかり。
新聞か何か紙類をひたすらビリビリにちぎって部屋中紙くずだらけにしたり、マジックでテーブルの上に「死んでやる」と書き続けたり・・・。
思い出すだけで、あの時の私の行動はひどかったです。
ダンナは黙々と紙くずを拾ってゴミ箱に捨てたり、マジックをぞうきんで拭き取ったり、私の行動の後始末をしてくれていました。

毎日毎日、ただ息をしているだけの、何の役にも立たない、何の価値もない人間でした。


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2017年03月16日

フェリチン1.8でした

血液検査の結果を聞きに行きました。

ピロリ菌はなし。
健康的な胃粘膜だそうです。
甲状腺も問題なし。
糖過剰もなし。

ヘモグロビンの値は11.7。
低いけど、二桁なので自分ではまずまずと思ってしまいました。

そして問題のフェリチンの値は1.8でした。

1.8?

初めて検査したので、この数値が低いのかどうかわかりませんでしたが、1.8ってきっと低いんだろうなと思ったら、とてつもなく低いそうです。
二桁はあったほうがいいし、欧米では100以下は貧血と見なされるらしい。
だったら、めちゃくちゃ低いんじゃん!!

不定愁訴は更年期のせいかと思ってたけど、鉄分不足なんだ。

あと、マグネシウムも足りないらしい。
最近、寝ている時に布団の中で背伸びをしたら足がよくつるのはマグネシウム不足だったようです。
疲れると目の下がぴくぴく痙攣するのもマグネシウム不足。
緊張が取れないのもマグネシウム不足。
筋肉の緊張を緩ませるマグネシウムが不足していると血圧も高くなるらしい。

とりあえず鉄剤とマグネシウムスプレーを処方してもらいました。
カルシウムはあまり取らないようにという注意も受けました。
ちゃんと説明をしてくれたけど、何でだっけ?思い出せない・・・。
カルシウムとマグネシウムのバランスが大切だとか何とか。
だから乳製品は取らないようにと。
積極的に取るべきものは豚肉と海藻。

ビタミンDの結果はまだです。
いろいろ過去を振り返ってみると、産後うつも育児ノイローゼもパニック障害も全部鉄分不足だったのかも。
子どもを生んでから心身ともに雪崩のように崩れていったんですよね。
出産で相当鉄分を放出するらしいです。

閉経後の女性が元気で生き生きしているのは、生理がなくなってフェリチンの値が増えるからなんだろうな、きっと。
60代、70代の女性の方と接する機会があるけど、まあ、元気なこと。
40代の私はしょっちゅう体調を崩しています。
第2の青春とか言っている人もいました。

私も閉経してしばらくしたら元気になるのかなと期待していますが、閉経までにはまだ数年。
待てません。
フェリチン値、上げます!!


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posted by keika at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧血

2017年03月05日

最近の貧血検査

私のパニック障害履歴の続きを書いている途中で、そんな余裕がなくなる出来事があり中断していました。
義父が肺がんになり、入院した時点で末期。
本人の希望で退院し、最初は歩けていたのにみるみるうちに容体が悪化しました。
3週間で寝返りも打てなくなり、肺がんとわかってから3ヶ月もしないうちに亡くなりました。
あっという間でした。

葬儀が終わってから、どっと疲れが出て、年明けから体調が良かったのに、何だかめまいがしてきました。
貧血の症状がまた出てきたようなので、病院に行って検査をしてもらうことにしました。
血液検査の結果によっては栄養療法を行おうと思い、栄養療法をやっている病院を検索して行きました。

10年前から貧血で血圧が高めなこと、3年前からは喘息の症状も出てきたことを話すと、ピロリ菌の検査もしましょうということに。
ピロリ菌があると鉄剤を飲んでも吸収が悪く、貧血が改善しづらいそうです。
そんな情報初めて知りました。

もちろん貧血の検査ということでフェリチンの値も調べてもらいますが、あとアレルギーがあるならビタミンDの検査もしておいたほうがいいと言われました。
自費になるので強要はしないと言われたけど、ついでなのでお願いしました。
結局、会計は1万5,000円くらいになりました。
高い・・・。

血もいっぱい採りました。
ただでさえ貧血なのに、こんなに抜いて大丈夫か???
結果は1週間後、ビタミンDだけは3週間後だそうです。

貧血にピロリ菌、アレルギーにビタミンDという視点は初めてです。
結果が出るまでは、空腹時に糖類を食べない、牛乳・ヨーグルトを食べないという宿題が出ました。
もともと牛乳とヨーグルトは好きではないのでこれは簡単にクリア。
空腹時に糖類を食べないというのは結構つらい。

三時のおやつとか無理じゃん。
お昼にうどん、夕食に焼きそばとかダメなので、どうしよう。
うどんの前にサラダでも食べるとか?

朝一発目に口にするものが果物だったので、それもダメ。
果物は食後に回せばいいのかな。
葬儀の果物のお下がりが大量にあるんだけど、どうしよう。

早く血液検査の結果が知りたいです。


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タグ:貧血
posted by keika at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧血

2017年02月07日

2.パニック障害だと気づいた時期(2002年)

「2.パニック障害だと気づいた時期」(2002年)
ここまではちゃんとまじめに書いてましたね。

***ここからコピペ

さて、パニック障害だと気づいたのは大きな発作が起きたのがきっかけです。
ダンナが転職し、引っ越したのを機に体調を崩していったのは以前書いたとおりです。

それから1年で今度は転勤になり、また引っ越しをすることになったのです。

今住んでいる愛知県に引っ越すわけですが、愛知県はダンナの実家もあり、毎年帰省しているのでなじみもあり、また知り合いもいたのでそんなに大変ではないだろうとそのときは思いました。
むしろ楽しみにしていたぐらいです。

でも、1年で転勤はきつかったですね。
長男は小学2年になったばかり。
次男は年長になったばかり。
次男は結局、幼稚園を3回かわったことになります。

住むところは自力で探さなくちゃいけないので、ダンナが出張のときに不動産屋に寄って探しました。
そこで大活躍したのが、全国賃貸情報 アパマンショップです。

最近はネットで賃貸情報が簡単に得られます。
家賃、家の外観、間取り等を確認し、目ぼしい物件をチェックしてから不動産屋に行ってもらいました。
今ではこの地域でも結構広くてきれいな賃貸物件が多くなりましたが、あのときは広くてボロボロか、きれいで狭い物件しかなかったんです。

結局、妥協を重ね、ダンナが選んだ物件は見た目一軒屋で、1階と2階で2世帯暮らせるような物件でした。
私は実物を見ないまま引っ越し当日を迎えました。

引っ越し当日、全部の荷物を一台のでっかいトラックに詰め込み、私たちは車でダンナの実家に向かいました。
でっかいトラックを送り出しながら、このトラックに何かあったら我が家の家財道具一式全部パーになっちゃうんだろうなぁなんて思っちゃいました。

では私たちも、いざ北関東から愛知県へ出発!
時間がかかるので、途中運転を交代しながら行きました。

ところが、そのときに私の体に大きな異変が起こったのです。
長い長い恵那山トンネルを運転中、突然心臓がドキドキし、気分が悪くなりました。
さらにハンドルを持つ手は汗をかき、震えだしました。
それでも恵那山トンネルは長いので全く出口が見えません。

何これ? 何これ?
完全にパニックになりました。

「やばい・・・。無理・・・」

そんなことトンネルの中で言われても困りますよね。

ダンナが「大丈夫か? と、とりあえずトンネルを出るまでそのまま、そのまま・・・・」。
ダンナも慌ててました。
そりゃそうですよね。
震えている私の腕に家族の命がかかってるんですから。

息も絶え絶え、失神しそうなのを耐え、何とかトンネルを出ました。
トンネルを出た瞬間、急ブレーキをかけ車を止めました。
もしあのとき後続車がいれば完全に追突されていて、最悪死んでたかもしれません。
そう思うと今でもゾッとします。

すぐダンナと交代しましたが、私は震えが止まりませんでした。

自分でも気がつかないうちに心身共にいっぱいいっぱいだったのでしょう。
私は理想が高く、完璧主義者です。
自分に自信がなく、もっと頑張れる、もっと頑張れるっていつも思っていました。
限界を超えていたのかもしれません。

長い長いトンネルの中でブチッと張り詰めていた糸が切れちゃったのかも・・・。
私はあれ以来、高速道路もトンネルもダメになりました。
8年も経っているのにまだ高速道路とトンネルでの運転はできません。

トンネルの中での私の状態って一体何なんだろうとそのときやっと気になり、インターネットで調べました。
そうしたら、そのときの症状にぴったり当てはまるものが見つかりました。

それが「パニック障害」でした。

ああ、私はパニック障害なんだとわかったものの、じゃあ、どうすればいいのかはそのとき全くわかりませんでした。
パニック障害だと自覚してからは、今度は予期不安に悩まされました。

行動範囲が徐々に徐々に狭まっていき、最後には家から出ることもままならなくなりました。
心も体もボロボロになり、ただ息をしているだけの状態。
家事もできなくなり、妻として、母としての役割も全くできなくなりました。

そんな自分を責め続け、口癖は「死にたい」。
状態はどんどん悪化していきました。


「3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期」に続きます。

(2010年06月04日記)


***追記です。

う〜ん、重い・・・。
この頃は子ども優先で自分は二の次、三の次でしたね。
今は疲れたらすぐ休みますが、子育て真っ最中の時は自分が疲れていることにさえ気づいていなかったです。

さて、ここで頓挫してしまった「私のパニック障害履歴」ですが、思い出しながら書いていこうと思っています。


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2017年02月06日

1.パニック障害だとわからなかった時期(続き)

さて、「1.パニック障害だとわからなかった時期」の続きです。

「ん? 変だなぁ〜」と気づいたのはディズニーシーに行ったときのことです。
あれは忘れもしないクリスマスシーズンのときです。
小1の長男、年長の次男を連れてウキウキしながらディズニーシーに行きました。

でも、行ったアトラクションについては1つしか覚えてないんです。
『海底2万マイル』というアトラクションです。
わざわざファストパスを取ってまで入った『海底2万マイル』で自分の体の異変に気づきました。

小型潜水艇に乗って海底の旅をするというアトラクションです。
潜水艇には私たち家族4人とカップル1組が乗り込みました。
どんどん暗い海底に沈んでいくというシチュエーションだったと思うんですが、別に本当に海底に沈むわけではありません。(←当たり前だっ)

なのに、だんだん息苦しくなっていき、動悸もし、冷や汗も出て、息ができなくなりました。
「なんじゃこりゃぁ〜!」って初めての経験でビックリしてダンナに助けを求めようと思ったけど、カップルに迷惑かなと思って我慢して、一人でパニックになっていました。

やばい、やばい、死んじゃうー、うーーーー・・・とか思っているうちに終わりました。
そのときは何がなんだかわかりませんでした。

私は乗り物は好きなほうです(でした)。
遊園地も好きで、ジェットコースター系、お化け屋敷系も全然平気です。(「でした」ですね)
高いところも平気で、観覧車に乗っても全然平気。
電車も新幹線も車も、映画館も好きなほうです。(「でした」。これも過去形で)
それがそれ以来、次々とダメになっていったんです。

『海底2万マイル』はその序章に過ぎなかったんです。

それから、お正月映画『ハリー・ポッター』を観に行ったときも、満員電車に乗って宇都宮の友達に会いに行ったときも、同じ状態になりました。

何かおかしいと思っていましたが、そのときは「パニック障害」という言葉すら知りませんでした。

しばらく何がなんだかわからない日々が続きましたが、決定的な激しい発作が起こり、ようやく気づきました。

これはパニック障害というものだと。

(2010年05月01日記)


***追記です。

知り合いも誰一人いない、縁もゆかりもない土地にダンナの転職により移ったのですが、大変でしたね。
ダンナは転職したばかりなので正月休みもなく働きづめ。
一人で幼い子2人の面倒を見ていました。

田舎なので圧倒的に人口が少なく、公園に行っても誰も遊んでいません。
夏は毎日、雷と夕立があり、冬は雪でしょっちゅう幼稚園バスが運休して自由登園になりました。
私は車を持っていなかったので、みんな車で子どもを幼稚園に送っていく中、私は雪の中歩いて次男を幼稚園に送り届けていました。

あまりに雪が降っている時はつらくて涙が出てしまい、ローンでいいから、軽でいいから車を買ってほしいとダンナに泣きついて買ってもらいました。

仕事は在宅でできる仕事だったので家でやっていました。
仕事をしている間はたとえ家にいても子どもの相手ができないので、幼稚園には行ってほしかったんです。

ダンナ以外の話し相手は、次男の幼稚園のバスの送り迎えで一緒になるお母さん2〜3人とバスを待っている間話す程度。
寂しすぎるのでジムに入会したのですが、一度初級エアロビで生徒が私一人という時がありました。
ジムに通っている人も少な過ぎ・・・。

とにかく孤独。ひたすら孤独の毎日でした。

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2017年02月04日

1.パニック障害だとわからなかった時期(2001年)

私のパニック障害履歴です。
以前のブログでは最後まで書いてなかったのですが、移転を機に最後までまとめてみようと思っています。

「1.パニック障害だとわからなかった時期」を書いたのは今から7年前です。
今では忘れてしまったことも書いてあり、若い頃の私って悲惨というか頑張ってたなと思います。



**********************

さて、私のパニック障害履歴ですが、簡単にまとめるとこんな感じです。

1.何かおかしいなと気づいていたけど、パニック障害だとわからなかった時期(2001年)
  〜*人生の転機でした〜
2.これはパニック障害だと気づいた時期(2002年)
3.どんどん悪化し、うつ病も併発していた時期(2003年)
4.どん底まで落ち、あることをきっかけに治りたいと努力するようになった時期(2004年)
5.いったんよくなった時期(2005〜2006年)
6.家を建てて再発(2007年)
7.ちょっとよくなったけど交通事故でまた再発(2008年)

**********************

今回は「1.パニック障害だとわからなかった時期」について書きます。

いわゆる人生の転機というものは誰しも持っていると思いますが、私の場合、まずは「結婚」でした。

で、もう一つの転機は「ダンナの転職」でした。
これはしんどかった。本当に私もよく頑張ったと思います。

今も不況だ、不況だと言われていますが、10年前、ダンナが勤めていた会社も相当不況でした。
給料は上がらないわ、ボーナスは出ないわでお先真っ暗でした。

マンションのローンどうするのよ〜って感じ。
私も働いたけど、小さな子どもを抱え、誰も頼る人もいない土地では4〜5万稼ぐのがせいぜい。
ダンナはそのうちメニエールになっちゃうし、本当ヤバいかもと思っているうちにダンナが転職をすることになりました。

転職自体は反対ではありませんでした。
でも、トントントンと転職話が進んでいき、最初の赴任先が北関東の超田舎って聞いたときは「無理!」って思いました。
当時は中国地方のある都市に住んでいました。

マンションはどうするの?
長男はあと4ヶ月で幼稚園を卒園するのに転園?
どこに住むの?
引っ越費用すらないよ〜。
絶対ムリ!

結局、「妻が反対しているので」と内定を断りました。
一次面接、二次面接と大阪に行ったり、愛知に行ったりと頑張っていたのはわかってるけど、現実的に受け入れることができなくて猛反対してしまいました。

しか〜し、何と会社のほうから私に電話があったのです。
「奥さんが反対されているということですが、ぜひうちに来てください」みたいな内容で、そんなにダンナを必要としてくれるのかとちょっとビックリ。
引っ越し費用を出してくれるという条件で受け入れることにしました。

それからが大変でした。
最初の3ヶ月ぐらいは試用期間ということなので、ダンナだけ先に行くことに。
そして、その間に住むところを見つける。
私と子どもは残って、長男の卒園と同時に引っ越す。

マンションの借り手を見つけたり、引っ越し業者を見つけたり、引っ越し先の次男の幼稚園を探したりするのは全部私一人でしなくてはいけませんでした。

何だかとっても大変だった覚えがあります。

当時、1台しか持っていなかった車はダンナが乗っていったため、足は自転車のみ。
ある日、夜中に次男が「耳が痛い」と泣き始めたことがあります。
とりあえず様子を見ようと思ったけど、あんまり「痛い、痛い」って言うもんだからタクシーで病院に行きました。

そのとき、家には現金が全然ありませんでした。
銀行に行けばあるんだけど、手持ちのお金がない。
今みたいにコンビニ銀行とかないので、ないまま行きました(よく行ったよ)。
タクシーにも病院にも「絶対後で払いに行きます」と言い、後日払いに行きました。

そんなことを同じマンションのママ友に話したら、「何で言ってくれなかったのよ。お金ぐらい貸すし、車も出したのに」と涙目で言ってくれました。
よっぽどかわいそうに見られたのでしょうね〜(^_^;)

結局、ただの中耳炎でした。
子どもが2人とも中耳炎になり、病院に通って治療しました。
私も実は中耳炎だったけど、自分のことは放っておきました。
そのせいで後々ひどい目に遭いました。

引っ越し業者を見送り、電気・ガス・水道の手続きもし、すぐ飛行機に乗ったのですが、中耳炎のまま飛行機に乗るもんじゃないですね。

バリバリバリッというものすごい音が耳の中でし、飛行機から降りたらほとんど耳が聞こえなくなっていました。

引っ越してすぐやったことは耳鼻科通いでした。

就学前の子どもを2人連れ、飛行機から降りて今度は新幹線に乗らなくちゃいけないというのに耳が痛くてほとんど聞こえない。
あまりにも自分が悲惨に思えて泣けてきました。

あと、テンパってたなぁ〜っていうエピソードがもう一つ。
卒園式が終わったらすぐ引っ越しということで前日に引っ越し業者が準備に来て、家具や荷物を梱包して1部屋に集めてくれました。

全部終わったぁ〜と思ったら、自分の着替えを用意してなかったことに気づきました。
子どもの着替えはちゃんと用意していたのに、自分の着替えはすっかり忘れていました。

引っ越すということで、とにかく子どものメンタル面が気になったし、自分のことは常に二の次でした。
結局、下着まで含め前日と同じ格好で旅立ちました。

まあまあの都市から超田舎への引っ越し。
慣れ親しんだ西日本から東日本への移動はカルチャーショックの連続でした。
言葉が違う、気候が違う、何もかも違う。
見渡す限りの田園風景、昼間歩いていても誰にも会わない。
映画館もない、病院も総合病院だけ。
大きなスーパーは2軒だけ。

今の私だったら、そういう田舎も十分楽しめます。
むしろそっちのほうが犬には住みやすそうだし。
でも、当時の私はショックのほうが大きかったです。

大変なことは重なるもので、このとき「ダンナの転職」だけではなく、人間関係のトラブルもありました。
特にダンナが先に行っていた4ヶ月間はひどく、相談する相手もいないし、頑張っているダンナに心配させたくないということでダンナにも話しませんでした。

引っ越しと人間関係のトラブル、う〜ん、本当に大変だったなぁ(しみじみ)。
引っ越してからはよく隠れて泣いていました。

でも、ま、引っ越しちゃったんだし、トラブっていた人間関係も引っ越しを機に何とかなったわけだし、これからこれから。
そう自分を励ましつつ生活をしていました。
ディズニーランドも近いんだし、楽しまなくちゃね〜♪ということで、ディズニーシー(何でランドじゃなくシーに行ったのかよくわからないが)にも行きました。

そのディズニーシーで自分の異変に初めて気づきました。
長くなったので(続く)。

(いったん書き始めると長いし、くどいですね〜)

(2010年04月20日記)



若いときは本当苦労してましたね。
車もない、金もない、助けてくれる人もいない。
私もダンナも実家が遠いので親にも頼れない。

今では一人一台車があるし、家に現金がないなんてことはありません。
友人、知人もたくさんでき、困ったときは助けてくれる人もいます。
若い頃の私はよく頑張ったと思います。


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プロフィール
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keika
2002年にパニック障害を発症。
一時はうつ病にも陥りました。
良くなったり、また悪くなったりを繰り返してきましたが、現在ほぼ治っています!
ところが2014年に突然、喘息になりました。 今は薬でコントロールしています。 『パニック障害完治を目指すアラフォー主婦の日記』から引っ越してきました。
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