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2019年02月22日
連載小説「平行線の先に」 4章
一月。私と紗羅は一緒の日に働くことはなくなった。あっと言う間の一カ月間だった。そのかわりに今では定休日に一緒に家でご飯を食べたりDVDを観たりしている。お金のかからない遊び方を色々考えて。
私はこれって友情よりボランティア精神に近いと感じている。おかしい?友だちよりボランティアの方がしっくりくるし楽なんて。奉仕したいからしている。ただそれだけ。他人にサービスしている自分に酔ってるだけなのかもしれない。少なくとも紗羅と遊んでいるときは夫のことをうじうじ考えなくて済む。ありがたい。
私も小説を書いてみようかな。なんて。主人公はシングルマザーの女性で。大ちゃんびっくりするだろうな。
バイトが休みの日。紗羅と宇宙が家に遊びにきた。手土産に自家製ピクルスを持ってきてくれた。
「わお、ピクルス大好き。ありがと」
「こんなものしかなくって。わーあいかわらずキレイな家」
「ゆっくりしてって」
「おじゃまします」
宇宙は脱いだ靴をキチンとそろえた。ちゃんとしつけされているんだ。
「おりこうさんだね」
はにかむ宇宙。とてもキュートだ。
イッタラのマグカップで珈琲を出そうとしたが、
「お酒の方がよければワインあるけど」
「いいね。昼間っから呑んじゃおう」
「そらちゃんはオレンジでいいかな」
グラスとワイン、そしてジュースを取りに行く。紗羅と宇宙はマフラーとコートを脱いでソファで寛いでいる。
「ダンナさんの小説ってどんなの?」
「いわゆる推理小説ってやつ」
「読んでみようかな」
「一冊あげる」
「いーよ。貸して。必ず返すから」
「わかった」
宇宙はソファに座って部屋の中をキョロキョロ見ている。
「何か気になる?」
「いい匂い」
「ああ、フレグランスね。ラベンダーの。ルーム用の置いてるから」
「うちにもほしい」
「ダメ。うちは狭いから」
宇宙はブーとふくれる。さらに可愛い。
私は書斎から小説を一冊持ってきた。
「これ読んでみて」
「『刑事○○』?あたしこれ見たことある」
「本屋で?」
「ううん。たぶん電車の中。広告見たことある」
一番長く続いたシリーズ物である。広告を目にしていてもおかしくない。
「ありがとう、覚えていてくれて。うれしい」
紗羅はうそをつく人間ではない。むしろ正直過ぎるくらいだ。いい意味でも悪い意味でも表裏がない。
私はワインの栓を抜いた。
「カンパイ」
宇宙がサイドボードの上の写真立てをジッと見ている。
「ダンナさん?」
「そう」
「優しそう」
「ありがとう。大好きなんだ」
「いいね。あたしはもう忘れた」
「どんな人だったの?」
「基地の男でさ。横須賀で出会って。すぐこの子ができちゃって。報告したらアメリカ帰りやがった」
「ひどいね」
「手紙も仕送りも一切なし」
「訴えようか?」
「そんな金ないよ」
「…仕事かえたら?なんて、私が言うのおかしいけど」
「いいのがあればねえ」
「どんな仕事がやりたいの?」
「…ホテルとか。でも無理だろうな。あたし言葉づかいわるいし」
宇宙が退屈そうに見えたので外国映画のDVDを流した。宇宙は興味を示した。
「さっきの話だけど、いい仕事あるよ。もしかしたら合ってるかもしれない」
「どこ?」
「京都の旅館なんだけど。仲居さんやってみない?住み込みでまかないつきよ」
「サウンズグッド」
「見学に行ってみる?」
「行きたい。けど金ないし」
「私が車運転する」
「いーよ。悪いから」
「お詫び。いつかの」
「なんかあったっけ?」
「失礼なこと言っちゃって。ごめんなさい」
「忘れた」
「ね、来週京都に行く用事があるから一緒に行かない?一泊で」
「申し訳ないけど、断る。…京都は寒いみたいだし。東京が好きなんだ。ごめん」
「そっか。残念」
来週久しぶりに実家へ帰省する予定だ。一人では気が重かった。大人しく映画を観ていた宇宙が、
「マミィ、アタシ行ってみたいキョウト。だめ?」
紗羅は何も言わずに宇宙の顔を撫でている。
羨ましい。真央はもしもこどもを授かることができるならば女の子がいいと思っていた。だってお人形さんみたいなんですもの。女の子のいる母親は、生意気だとか本気で喧嘩するとか言ってるけど。絶対、楽しいと思う。
「ごめん。やっぱり一度、見てみたいわ」
「そうこなくっちゃ」
私たちはもう一度乾杯をした。
火曜日の夜、東京を出発して、水曜日の早朝に京都に着いた。
老舗旅館『万葉』に到着するや否や私たちは小さな露天風呂に入った。宇宙は車の中で寝ていたせいかすごく元気だった。キャーキャー騒ぐので静かにさせるのに苦労した。
「見て、星が見えるよ。いいじゃん、ここ。気に入った!」
「いいでしょ」
「まさかあんたが旅館のお嬢さんとはね」
「継ぎたくなくて東京へ逃げたの」
「そんでダンナと出会った」
「そう」
「明日は面接だよ、早く寝よう」
「うん。はーきもちかったー」
客室で布団をひいて寝たのが朝の四時ごろだった。九時に電話が鳴って起こされた。母だった。挨拶に来いと。
慌てて紗羅と宇宙を起こし、事務所へ向かった。母は小柄だが態度はデカイ。
「遅い」
「真央のおっ母さん?」
「おっかさんやて、変わったお人どすなあ」
母も紗羅もお互いに高圧的な態度をとっている。まずい。
「紹介します。友人の黒田紗羅さん。職場の先輩。接客のプロです」
母はじろじろ紗羅と宇宙を見ている。
「この子はサラの娘さんでソラちゃん」
「そらです。よろしくお願いします」
「ママよりしっかりしてはるなあ」
母は笑った。
「京都の人って腹黒いんでしょ?」
母はきょとんとした後、大きな声で笑った。
「はっはっは。紗羅さん、おもろい。ほんとにここで働きたいんどすか?」
「できれば…」
母は厳しい顔つきになった。
「お着物一人で着らはりますか?」
「ハイ」
「体力ありますか?」
「体力しかありません」
「掃除は好きですか?」
「ダイスキ」
「…合格どす」
紗羅がぱあっと顔を赤くして笑った。
「よかったね!」
私も嬉しくなった。
「いつから来られますのん?」
「なるべく早く働きたい」
「よろしい。こっちへ来なはれ」
母が紗羅に旅館の中を案内してくれた。
私と宇宙はロビーでお茶をして待っていた。
「ねえ、そらちゃん。転校するの嫌じゃない?」
「嫌だけど、ガマンする」
「えー、我慢するのお?」
「だって、ママが楽しくお仕事できる方がいいから」
「オトナだね、そらちゃんは」
「ふつう」
「そっか…。後で金閣寺に連れて行ってあげる」
「きんかくじ?」
「うん。金ぴかぴんのお寺だよ」
「金ぴかぴん?それ、もらえるの?」
「ううん。見るだけ」
「な〜んだ。もらえたらいいのに金。金ておカネのことでしょ?」
「お金ではないけど、みたいなものだよね〜」
「あーあ、ママにあげたかったのに」
子供の発想って面白い。
宇宙は、出会ってまだ二ヵ月くらいだけどもう初めて会った時と顔つきが違う。少しずつ大人のカラダになっていく。成長のスピードが速い。マミィはついていくのが大変だ。宇宙もいつか大人の女になってしまうんだ。たくさん傷つかないと素敵な大人の女にはなれない。少しだけ切なくなった。そして心から応援したくなった。
紗羅たちが京都に引っ越したら、毎月遊びに来よう。あれ?なんか友達みたい。ボランティアは卒業か。
やっぱり友達の方がいい。宇宙の濃くて長いまつ毛をぼんやり見ていたら宇宙がニコッと白い歯を見せて笑った。
おわり
(この物語はフィクションです)
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2019年02月15日
連載小説「平行線の先に」 3章
帰宅した。紺色のポーチに挨拶する。ただいま。あれ?今日はちび太が来ないな。どうしたんだろ?
「ちび太〜、ただいま〜」
リビングにいない。キッチンにもいない。寝室のベッドにもいない。あれ?どこいった?
探し回ってやっと発見した。カーテンの裏で倒れていた。
「ちび太!」
動かない。かろうじて息はしている。急いで病院へ連れて行った。
ちび太は入院することになった。年齢を考えると回復するのは難しいかもしれないと言われた。がっくりして家へ帰る途中、マリアとすれ違った。マリアに声を掛けられてハッとした。マリアに抱き付いて泣いた。
「マオ、どうしました?」
近くのバルに入った。たまたま二人席が空いていたので座らせてもらった。泣きながら説明するとマリアが背中をさすってくれた。
「イノチってはかないね」
「難しい言葉知ってるんだね」
私は冷静になっていた。ちび太がもうおじいちゃんだってこと前からわかってたから。大輔の時とは全然違かった。当たり前だが。そうでもないか。夫よりペットの方が大事って女性は少なくないのかもしれないし。お酒を飲んで落ち着いたころ、マリアが聞いてきた。
「シゴトのほうはどお?」
「うん、慣れてきたよ。お客様もみんな素敵な方ばかりだし。楽しいよ」
「ヨカッタ」
「紗羅さんのお嬢さんに会ったよ」
「ハーフの」
「可愛いね」
「ワタシもハーフ、だけどあのコは…」
「どうしたの?」
「なんでもない。シングルマザーのひとって、コドモをそだてるためならなんでもヤルってかんじで、ニガテ」
「私も」
そうかマリアのとこもこどもいないんだったっけ。だから気が合うのかな。マリアにだけは夫のことを話してある。私が夫を溺愛していたのを知っていたからこそ、仕事を与えてくれた。
母親になれた人というのは神様から子育てという素晴らしい仕事を与えられた幸運な人々であると私は思う。私のように子宝に恵まれない人は自分でやるべき仕事を探さなければならない。
楽でいいじゃない、自由でいいじゃないという声が聞こえてくるが、これがけっこう大変なのだ。
こどもがいる人といない人の間には深い谷がある。と感じているのは私だけだろうか。こどもがいる喜びや、逆にいるがうえの悲しみや不安を私が正確に理解することはできない。想像することはできても。反対に、こどもが産めなかった劣等感とか、寂しさつまらなさを理解してもらえるとは思っていない。
「もうイッパイのむ?」
マリアが提案してくれたが断って店を出た。じゃあまたと言って別れた。別れ際にマリアがぎゅっと抱きしめてくれた。こういうことができる人はなかなかいない。元気が出た。
三日後、ちび太がこの世を去った。こないだあげたおつまみがよくなかたんだろうか。何がいけなかったのでもない寿命ですと言われた。とてつもなく寂しい。ちび太の遺灰の入った小さな壺はグリーンの布で作ったポーチに入れた。
夫の遺灰の入った壺を包んでいるポーチは夫が良く着ていた紺色のパジャマの布で作ったものだ。お寺さんが気のすむまで持っていていいと言ってくださったので遺灰はずっとそばに置いている。そしていつも話しかけている。ポーチが二つになった。
バイトの日が何日か続いた。クリスマスシーズンで繁忙期だったから。入るのは、もう七回目か八回目。仕事は全部教えてもらったと思う。その日は雨が降っていてお客様もあまり来なかった。今日の売上目標にぜんぜん達していない。一着買おうかしら?なんて売り物の洋服を眺めていた。
「真央さん最近暗いね」
「わかります?愛猫が亡くなったんです」
「え?猫が死んじゃったの?」
「そんな、猫ふんじゃったみたいに言わないでください」
「ごめん。あたし動物嫌いなんだ」
カチンときた。
「そんなんでこどもちゃんと育てられるんですか?」
「うるせえなあ。あんたなんかに言われたくない。ウマズメのくせに」
頭がくらくらした。
「ウマズメっていつの時代ですか?」
「大人しそうな顔して酷いこと言うよ」
頭に血が上ってしまった。
「アメリカの方なんですか?紗羅さんの彼氏って」
「だからなんだってんだよ」
「日本で知り合ったんですか?」
「どこだっていいだろ、いちいちうるせーなー」
あーイライラする。
「私これ買います」
十万円の黒色のワンピースを台の上にバーンと乱暴にのせた。
「売らない」
「え?なんですって」
「あんたには売らないっていってんの!」
「嫉妬ですか?」
「いいかげんにしろ。今すぐ出ていけ。顔も見たくない!」
「出て行きません!」
「じゃあたしが出てく!」
紗羅は鞄をつかんで傘もささずに店を飛び出した。私はドアを開けて叫んだ。
「帰ってきなさい!勤務中ですよ」
紗羅は走って見えなくなった。
マリアに電話して事情を話した。もう一人でも店番できるでしょうから頑張ってと言われた。初めて一人で接客をした。少し緊張したがエキサイティングで興奮した。洋服を売るってこんなに楽しいんだ。たまたま沢山買ってくださったお客様がいて、売上目標を軽く達成してしまった。それでも黒色のワンピを買って帰った。喪中だったから。バイト代の倍の金額だった。
家でワンピを着てみる。鏡に老婆が映っていた。ひどい顔。私こんな顔で紗羅さんと喧嘩したんだ。鬼婆みたい。言い過ぎちゃったな。人とあんなに言い合ったのって学生時代以来かな。いや、飲食店でバイトしてた時も店長とやりあったっけ。私って喧嘩っ早い。よく大ちゃんに注意されたっけ。
紗羅さんに悪いことをしてしまった。今度会ったら謝ろう。
クリスマス。大輔の命日。本来であればお墓参りに行くべき日であるが、遺灰を私が持っているためお墓へ行く必要がない。夫の親戚からは早くお墓に入れろと文句を言われている。三年経ったら入れますから。でもまだ入れたくなかった。肌身離さず持っていたかった。
先日買った黒色のワンピを着て出勤した。紗羅は相変わらずいつものスーツだった。朝からずっと慌ただしくて休憩も別々に取った。プライベートな話をする余裕がないまま夜になった。
珍しく残業していると宇宙ちゃんが入って来た。
「マミィ」
「ダメだよ入ってきちゃ」
「だって寒いんだもん」
「いいじゃないですか。今日は」
「悪いわね。じゃあ大人しくしてて。こっちに座って」
紗羅は宇宙ちゃんをバックヤードへ連れて行った。バックヤードには私たちのコートと鞄が置いてあった。嫌な予感がした。私が本日最後のお客様を送り出してドアを閉めた時、裏でガチャンと何かが割れる音がした。まさか。紗羅と目が合った。
私が血相を変えてバックヤードへ行くと、トートバッグが床に落ちて、中から紺色のポーチが飛び出していた。それを拾おうとする宇宙。
「さわっちゃだめ!」
自分でも驚くくらい大きな声だった。宇宙はビクッとして泣き出してしまった。私は大輔を拾うために床にしゃがんだ。紗羅がきて、
「そら、なにした?」
「なにもしてない」
「カバンに触ったのか?」
「さわってない」
紗羅が宇宙の腕をひっぱって横面をバチーンとビンタした。
宇宙はぎゃあと言って、泣き喚いた。私も心が痛かった。壺が割れたショックとこどもが傷つけられるのを見た嫌悪感で吐き気がした。紗羅がまた手を上げようとしたので間に入った。
「やめて!」
「ごめん」
「いいの。謝らないで。骨壺なんか持ってた私が悪いの」
「骨壺?」
「主人なの。亡くなったの。毎日毎日ずうっと考えちゃって。死にたくなって。頭がおかしくなったからここへ来たの。笑えるでしょ」
「笑えないよ。…大変だったね」
大変だった。そう、私、大変だったの。とってもとっても大変だったの。ただ寝てるだけ、ただDVD観てるだけだったけどずっとずっと戦っていたの孤独と。今も孤独なの。ずっと孤独なの。死ぬまで孤独なの。きっと。
宇宙は泣き止んで、ごめんなさい、でも自然に落ちてきたの、本当なのと言った。
「そらちゃんは悪くないよ。正直に言ってくれてありがとう。きっと大ちゃん、夫がもうお墓に入りたいって言ってるんだと思う」
「ずっと一緒にいたの?」
「うん」
「羨ましい」
「え?」
「好きな人とずっと一緒にいられるなんて羨ましいって言ったの。あたしは少ししかいられなかったから」
「…そういう考え方もあるんだね」
私は、骨壺を抱きしめながら、やっぱりバイトをしてみて良かったと思った。こうして新しい知り合いができて、世界が広がった。大ちゃんも喜んでいると思う。
つづく
(この物語はフィクションです)
九州産野菜にこだわった完全無添加の酵素「優光泉」
2019年02月14日
連載小説「平行線の先に」 2章
朝、電話の音で起こされた。母からだった。ちゃんとご飯は食べているのか。いつ京都へ帰ってくるのか。いつもの質問攻めにあった。
「私、こっちで仕事始めたからしばらくは帰れないよ」
「仕事?なんでなん。必要ないやろ。年末には帰るん?」
「まだわからない」
「もう半年も待ってるし」
「来年には一度顔を出すから」
受話器を置いた。固定電話をやめようか、と悩む。携帯は切っておけるが、固定電話は留守番電話にしてある。三年前と環境を変えていない。大輔を忘れたくなかった。しかし大輔のことを考えない時間も必要だと最近気付いた。
いつまでも引きずってちゃだめだ。顔を洗って化粧水をつけた。幸せを呼ぶというディオールの香水を軽くふり、ダイヤの指輪をはめた。今日はバイトなし。何をしよう。
リビングで朝食を取りながら、フィギュアスケートのDVDを観た。真央は子供の頃スケートを習っていたし、自分と同じ名前の選手のファンだったので試合を観るのが趣味だった。チケットは高かったが大会に何度も足を運んだ。間近で観る試合は迫力満点で感動でいつも泣いていた。夫も時々付き合ってくれたが大抵一人で観に行った。一人が気楽だった。
独身の頃は友人と呼べる女性が何人かいた。けれど結婚して、こどもが生まれたり生まれなかったりでみんなバラバラになった。真央はこども好きだったがなぜか母親にはなれなかった。一度だけ妊娠したが流れてしまった。ようやく諦めた頃、夫が先に旅立ってしまった。
大画面では美しい衣装を身に着けた若い選手が華麗に演技している。真央の横には紺色のポーチが鎮座している。そうだ、と思いついて急いで朝食を片付けた。
街の本屋。大輔の書いた小説がまだ棚に並んでいる。すごく安心する。『刑事○○』だの『名探偵○○』だのシリーズものがほとんど。真央はもちろん全部読んだし、家の書斎にすべて保管している。大ちゃん良かったね。真央のベージュのトートバッグの中には例のポーチが入っている。
本屋の一角にクリスマス特集が組まれている。サンタクロースなどにまつわる本がたくさんディスプレイされている。真央が好きな絵本もあった。今年はサンタさんに何をお願いしようかな。一つしかないけど。大ちゃんに会いたい。会わせて欲しい。無理に決まってるけど。亡くなってから一度も夢にすら出てきてくれない。ひどい。
ワインに合うおつまみのレシピ本を一冊買って店を出た。最近お酒を飲む量が増えた気がする。家には常にワインがストックされている。寂しくてついつい飲み過ぎてしまう。外で飲むことはなかった。家で一人で静かに飲んだ。
占いに行ってみよう。電車に乗って銀座まで来た。そこそこ有名な占いの店に入る。行列が出来ていた。一時間待ちですって。やめた。時間がもったいない。映画でも観よう。たまたまやっていた夫婦の愛の物語にした。予想通りいい映画だった。途中ハンカチが必要になった。
銀座の街もクリスマスムード一色。きれいだ。ああ、大ちゃんがいればもっともっとハッピーなのに。手と手をつなぐカップルを観ては虚無感に襲われた。恋人をつくるべきなのだろうか。わからなかった。結婚相談所の前をうろうろしたがやめた。
夕方、家に帰ってさっそくおつまみを作ってみた。ツナとゆずこしょうのガーリックトーストとアンチョビトマトのタルト。具材をバゲットにのせて焼くだけだが非常に美味。ワインがすすむ。ちび太にもおすそわけ。嬉しそうににゃあにゃあ鳴いた。大ちゃんも好きそうだな。いけないまた考えてる。この三年間ずっとこんな感じだ。結婚して十年以上大輔中心に回っていたから急にいなくなられて本当に困っている。
三年前の十二月。二人で新潟へスキーに行った。スキーをするのなんて久しぶりだった。それは夫も同じだった。まさかあんな事故になるなんて。夫が勢いよく滑っていた先に小さな子どもが立ち往生していた。それを除けようと曲がった先が運悪く危険区域だったのだ。雪崩に巻き込まれて救出されるのに二時間もかかってしまった。助けを呼びに行って待っている間ずっと震えが止まらなかった。絶対帰ってくるって信じていた。大輔は傷一つない綺麗な体で戻ってきた。ただ息はしていなかった。
あの日の絶望を渇きを焦燥を忘れることは一生ないと思う。あのこどもを探し出して訴えてやりたいと考えたこともあったがやめた。やめたというより気力がなかった。ただただ疲れて寝ていた。三か月寝続けて、三か月フィギュアのDVDを観続けて、やっと普通の生活を送れるようになった。
現実逃避するために海外旅行にも行った。でも、パリに行ってもロンドンに行ってもカナダに行ってもオーストラリアに行っても思い出すのは大輔のことばかりだった。
結局、場所を変えてもダメなのね。私自身が変わらないと。で、やっと生活を変えられるかもしれない十二月の初めなのであった。
あたりまえだと思ってた日常って本当はあたりまえじゃなかった。ありがたい日常だ。だから毎日感謝しながら生きるべき。クリスチャンではないけれど。夫が亡くなってからは感謝していない。
「おはようございます」
「おはよう」
「よろしくお願いします」
「とりあえず、商品整理おねがい」
「はい。わかりました」
商品整理とは、お客様がご覧になった洋服を畳んだり、欠品しているものがあれば補充したりすること。店舗自体そんなに広くないのですぐに終わってしまう。お客様もまだ来ない。
「じゃあ、レジの使い方ね。うちはタブレットを使ってんの。真央さん使ったことある?」
「ないです」
「スマホのでっかい版だから大丈夫。こうやって、金額を入れて、合計を押して…こうすればおつりが出てくるから。ね、簡単でしょ」
「はい。やってみます」
「ちょっと練習してて」
お客様が来られたので紗羅は接客しに行った。お客様に対しては一応敬語を使っている。ちょっと不思議な敬語だった。真央は十数年前までレストランでウエイトレスの仕事をしていた。夫の小説が売れるようになって辞めたのだ。だから接客には自信があった。案の定、真央はお客様からすぐに気に入られた。三十代から五十代くらいまでの女性がよく来られた。
休憩時間。真央と紗羅は『ぱられる』でパスタセットを食べた。
「真央さんさあ、語尾が下がるくせがあるでしょう?あれ直した方がいいよ。いらっしゃいませ〜、ありがとうございました〜、またお待ちしてます〜って上げないと」
「そうですか。無意識に下げてました。気を付けます」
紗羅は先日と同じ灰色のスーツを着ていた。視線に気付いたのか、
「あたしこれ一着しか持ってないの。制服みたいなもの。社長にお古もらった」
「そうですか」
「真央さんはいっぱい持ってんでしょ?」
今日は『マダム・マリア』の桃色のワンピースだった。
「ワンピ好きなの?」
「ええ」
「ええっていう人初めて会った。こないだもなんか変わった人だなあって思ったけど」
「私も、紗羅さんみたいな人と会うの初めて」
「みたいなってどういう意味?」
「ええと…」
「貧乏なシングルマザー?馬鹿にしてんの?」
「とんでもない」
「別にいいけど。あんたこどもいないんでしょ?なんで作んないの?」
「できないんです」
「え?できないの?かわいそ〜」
「ご主人がいない方がかわいそうだと思いますけど」
「いらないよ男なんか」
「変わってますね」
「あんたこそ」
午後三時。店に戻らねば。急いで珈琲を飲んだ。やっぱり全然違うんだ私と紗羅さん。どんな相手のこどもを産んだのかしら?何歳くらいで産んだのかしら?興味ある。好きじゃないけど興味ある。なんでかな。好奇心?だって小説より面白いんだもん。
午後七時。店を閉める準備を始める。ゴミ袋の口を締めようとすると、
「まって。まだまだ全然入るじゃん。もったいないよ袋が。これだから金持ちは嫌だよ」
「…すみません」
「頼まないことやらないで。頼んだことだけやって」
この人すぐイライラするのよね。きっとキャパが狭いんだわ。そして教えるのが下手。相手の立場に立てないタイプ、自分を優先するタイプね。
「なんか言った?」
「いいえ。何も」
「じゃ、閉めるよ」
「おつかれさまでした」
店を出ると黒人の女の子が立っていた。抱っこちゃん人形が成長したみたいにおめめぱっちり。手足が長い。うちのお店に用があるのかしら。紗羅が出てきて、
「宇宙、おまた」
「そら?」
「あたしの娘。かわいいでしょ」
「え?紗羅さんのお嬢さん?」
相手は黒人なんだ。でも本当に可愛い。黒人とのハーフの女の子。
「こんばんは」
「こんばんは。マミィ腹減った。なんか食べよ」
「さようなら」
「バイバイ」
びっくりした〜。十二歳くらいかしら。大人っぽいけど。お化粧してるみたいだったし。紗羅さんすごい。私には絶対真似できない。未婚でハーフのこどもを産むなんて。かっこいいな。私は頭が固いからまずは好きな人と幸せな結婚が先。色んな人がいるのね。世間は広い。
つづく
(この物語はフィクションです)
女性ホルモンの専門家が作った、女性のためのハーブティー
2019年02月11日
連載小説「平行線の先に」 1章
『平行線の先に』
登場人物
赤城真央(39)ブティック店員
黒田紗羅(43)真央の同僚
黒田宇宙(10)紗羅の娘
マダム・マリア(53)社長
真っ白い世界。私はパラレルで斜面を下降する。突然ゴゴゴと音がして雪崩が起きる。私は雪の波にのまれる。息が苦しい。また同じ夢をみた。昼間だというのに。
十一月下旬。高級ブティック『マダム・マリア』はクリスマスの飾り付けで忙しかった。真央は今日からここでアルバイトをすることになった。社長のマリアとは昔からの知り合いというか真央はこの店の常連客だった。三年ほどご無沙汰だったが。
マリアから先輩の紗羅を紹介された。紗羅はここにきて半年ほど。以前もアパレルの仕事をしていたらしい。年齢的には真央の一個か二個上という風に見えた。とにかく感じの悪い人。という印象。
小さな店なので店員は一人で十分である。紗羅が入れない日に真央がヘルプで入るような話だった。ここでの仕事に慣れるまでの一カ月間、何日か真央と紗羅の二人で店番をする。その後はそれぞれ一人でやるという約束をした。
真央はお金が欲しいわけでも特別洋服に興味があるわけでもなかった。欲しいのは社会とのつながり。真央は主婦なので一日夫以外の誰とも話さない日がよくあった。これでは精神衛生上よろしくない。誰かと話がしたい。ちょっと世の中を見てみたい。それだけだった。奥様の暇つぶしと言われてしまえばそれまでだが。
マリアとはひょんなことから再会した。お互い西麻布に住んでいるのでそれまで会わなかったのが不思議なくらい。真央が花屋で買い物をしていた時にマリアから声をかけられた。
「どうしていたの?シンパイしたわ」
「ちょっと体調を崩してしまって」
近くの喫茶店で二時間も話し込んでしまった。真央の愚痴というか悩みというか世間話を聞いたマリアがそれならうちで働かない?と誘ったのだ。初めはちょっと戸惑った真央だったが数十分後には承諾していた。働くのなんて十何年ぶり。大丈夫かしら。
「マオ、サラはやさしいでしょう?イロイロおしえてもらってね」
紗羅はこの店の灰色のスーツを着ていた。恐らく八万円くらいのものだろう。似たようなタイプを真央も何着か持っている。今日は飾り付けで脚立に上ったりするからキュロットタイプにしたらしい。黒いタイツの脚がやけに細い。優しいですって?どこが。下品な話し方。それに貧相。
真央は紗羅に言われたことだけやっていた。小さなサンタの人形をテーブルの上に置いたり、玩具のキャンドルの電池を交換したり。細かい仕事をやっていた。今日は定休日の水曜だからお店はやっていない。真央は四年前に買ったというか夫に買ってもらった青色のワンピースを着ていた。
ちょっと型が古いけどとても気に入っているものだった。胸にはダイヤモンドのブローチをしている。左手の薬指にはダイヤの指輪をしていた。
雑巾を絞ったり、毛糸のセーターを畳んだりする時、ダイヤがひっかかるので仕事の時は指輪を外そうかなと考えながら作業していた。
「オチャにしましょう」
午後二時。この店の休憩時間。午前十時に開店し、午後二時から三時はクローズド。三時から夜七時まで営業している。ブティックのすぐ近くにある喫茶店『ぱられる』に三人で入った。マリアがサンドイッチと紅茶のセットを三人分注文した。
「マオのダンナサン、ゆうめいなサッカ」
マリアが余計なことを言った。
「えっ、そうなの?」
紗羅は興味ないけど驚いたフリをしたように見えた。
「いえいえ、ぜんぜん。やめてよマリア。あ、ごめんなさい、社長。でしたね、今は」
本当にやめて欲しい夫の話は。
「カタイコトいわない、マリアでいいわよ」
紗羅は無表情である。
「サラさんのことは、『紗羅さん』とお名前でお呼びしてよろしいかしら?」
「どうぞ。じゃあたしは『真央さん』で」
「よろしくお願いします」
仕事を命令される以外で今日初めてしゃべった。自分のことを「あたし」という人種と今まで付き合ったことがない。これは面白いことになりそうだぞ、と真央は直感でわかった。紗羅はマリアに対しても私に対しても敬語を使わなかった。お客様に対してはどうなんだろう?考えているとサンドイッチが運ばれてきた。とても美味しそうだ。紗羅はそれをガツガツ食べた。
「朝ごはん食べてないの」
「いつも食べないんですか?」
「うん。お金ないから節約」
予感的中。こういう女性のことを貧困女子とか言うのよね、確か。初めて会ったわ。でもどうしてマリアはこの方を雇ったのかしら?まるでお店に合わないけれど。マリアは私の気持ちを察したのか、
「サラは、ともだちのショウカイでハントシマエからテツダッテもらってる」
「社長、また時給あげてくんない?」
「アラ、せんげつアゲタバッカリじゃない」
「あと百円あげてほしい」
「…カンガエテおくわ」
確か私の時給は千円って言ってた。紗羅さんはもっといいんだ。当たり前なのかな。それにしても話題が想像していたのと全然違った。もっとお天気の話とか、お洒落の話とかするのかと思っていた。おもしろい。
真央は何でも面白がるクセがあった。これは夫の大輔の影響だ。大輔はものすごく好奇心旺盛な性格だ。年齢は真央よりずっと上だがまるで五歳児のような柔軟な頭を持っていた。真央たち夫婦にはこどもがいないので大輔が真央の息子みたいな感じだった。
夕方、店の飾り付けが終わった。紗羅は今日働いた分ももちろん給料に入っていることを確認してからサッサと帰った。マリアが溜息をつく。
「あのコ、ヤめさせたいけど、どうしたらいい」
「えっ、そうなの」
「シングルマザーでセイカツくるしい」
「旦那さんいないの」
「ここだけのハナシ。フリンしてた」
「えっ。…じゃあ、めかけってこと?」
「そうソレ」
「えー。すごい。っていうか恐い」
「マオみたいなオクサマにはわからないセカイね」
「そんなことないけど」
驚いた。いるんだ本当にそういう人。奥さんもこどももいる男性のこどもを産んでしまう女性。ますます初めて会った。世の中には色んな人がいるのねえ。やっぱりバイトして正解だった。早く帰って大ちゃんに報告せねば。
マンションの最上階。八○七号室が真央と大輔の家だ。いわゆる億ションというもの。大輔は結構有名な小説家だった。売れる前までは少し生活も大変だったが今では印税で普通に、いや普通以上に暮らしていけた。真央のこんな暮らしを知ったら紗羅に何と思われるか。想像しただけで恐ろしいので絶対ばれないようにしようと誓った。
リビングに入ると猫のちび太がすり寄ってきた。
「ただいま」
お気に入りのピアノの音楽をかける。
「大ちゃん。バイト先に面白い人がいたの」
紺色のポーチに向かって話しかける真央。
「貧困女子っていうの?しかもシングルマザーだって」
真央はポーチに両手をあてる。
「大ちゃん。『ぱられる』のサンド相変わらず美味しかったよ」
真央はポーチを開ける。中から白い壺が出てくる。ちび太がエサをくれとばかりににゃあにゃあ鳴く。
「はいはい。ごはんいまあげるから」
真央は壺をそっと置いてキッチンへ向かった。
夜、バスルームの中。髪が伸びたなあ。日中はロングの黒い髪を一つに結んでいる。いつも大輔にカットしてもらっていたのだが。三年間のばしっぱなし。作家として売れなかったころに節約のために美容院へ行かなかった習慣が残っているのだ。切って欲しい人がもうここにいない。真央は湯船の中で涙を流した。バスルームの外にちび太がいる。曇りガラスの向こうに茶色い丸い物体が見える。
大輔は風呂が好きだった。好きと言うより、風呂に入っている時にいいアイデアが閃くそうで、一日に五回も風呂に入ることもしばしばだった。真央はふっと思い出し笑いをした。深呼吸をし、髪を洗った。
暗い寝室。大きなダブルベッド。隣に大輔はいない。代わりにちび太が寝ている。真央はリラックス効果のあるアロマオイルを焚いてベッドに横になった。夫のパジャマを着て。頭がおかしくなったのではない。心が壊れてしまったのだ。私は一体何歳まで生きるのだろう。自分の寿命が知りたい。今度占いに行ってみよう。外はとても寒かったが部屋の中は温かかった。窓に水滴がたくさんついていた。
つづく
(この物語はフィクションです)
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