幾度も誕生日を重ね、自分の考えでは既に年増の、「暇人の独り言」管理人です。
少し前までは胸を張って「自分は若い」と言えたのですが、そろそろ自分から若人と言い張るには辛い年齢に差し掛かっています…
月日の流れは無情よのう。
そんな、なかなかに歳を食った管理人、近頃はフィクションのキャラクターを見ていて「若さゆえの危うさ」を感じることがあります。
若くして確かな才覚や実力を持っているがために、それに驕って失敗してしまう…という場面が、昔よりもよく印象に残るようになったのです。
そこで、今回は突発企画として、『ドラゴンボール』『幽遊白書』『るろうに剣心』の3作品から、才能があるものの危うい若人について語ってみようと思います。
当然、各作品のネタバレありなので、閲覧の際はご注意を。
ドラゴンボール
・孫悟空
『ドラゴンボール』の主人公で、戦うことが大好きなキャラクターです。
戦闘民族と呼ばれる異星人戦士サイヤ人の生き残りながら、地球を侵略するために現地へ送り込まれた際、頭部を強打したことで自身の出生に関する記憶を失います。
さらに、武術の達人の孫悟飯に拾われると、彼の教育の下、心優しい地球人として成長しました。
時を経て孫悟飯を亡くし、山奥で1人暮らしをしていた悟空は、7つ集めれば神龍(シェンロン)なる龍の神が願いを叶えてくれるというドラゴンボールの存在を知ると、「神龍を見たい」「修行ができる」といった動機から、それを集める冒険へと出発。
その冒険が切欠となって多くの良き仲間と師匠に恵まれ、人としても武道家としても、めきめきと成長していきました。
特に最初の師匠となった亀仙人からは武術以外にも、学問や最低限度の礼儀も教わったり、修行で力を付けてもつけ上がることがないように取り計らわれたりと、手厚く導かれています。
しかしそんな悟空にも、驕りを抱いていた瞬間が2つほどありました。
その1つが、神龍を殺してドラゴンボールを消滅させ、世界を恐怖で覆ったピッコロ大魔王を倒した後。
悟空はドラゴンボールの製作者である神にボールの復活を頼もうとしますが、面会資格を得るためのテストとして、神の付き人であるミスター・ポポと試合をすることになります。
ピッコロ大魔王を破った悟空の楽勝かと思いきや、この時点では
その際にポポから「お前 ピッコロを倒して 自分がいちばん強いと思った 世の中 上には上がいること忘れた」と指摘され、「めんぼくねえ…」と意気消沈する姿を晒す破目に遭っています。
最終的に「やらなきゃいけないし やってみたい」からと、ポポに勝てるまで挑戦する意志を見せたことを気に入られ、神の方から悟空に会うと言い出して、話がまとまったのですが…
もしもポポから慢心を指摘されないままであったら悟空はそれ以上実力を伸ばせなかったかもしれない、そうすると神にも会えずドラゴンボールも復活させられなかったかも…と想像すると、なかなか恐ろしいものがあります。
そしてもう1つが、青年期に修行を積んだ時です。
自身と同族であるサイヤ人の王子にして、以後の永遠のライバルとなるベジータが地球を侵略しようと迫っていた頃、悟空はこれに対抗するべく、全宇宙の神の頂点に立つ人物である界王から修行を受けていました。
それからベジータとの交戦中までは特別にのぼせ上がっている向きは見られなかったものの、対戦後は「界王様のところで修行して頂点を極めたつもりでいたけど ベジータはもっと上を行っていて驚いた」と口にしています。
ミスター・ポポ戦の時と同じ慢心を抱いていた形になっていますが、こちらは仲間達に助けられたこともあり、自身より格上であったベジータの撃退に成功し、大事に至らずに済みました。
良かった良かった。
これらより後のシーンでは、悟空に慢心からの失敗はほぼなくなっているのですが、それも年を重ね、経験を積んだためなのかもしれません。
熟練の戦士になった悟空も、昔は青二才だったのだ。
…ちなみにそんな悟空は、人造人間編から最終章の魔人ブウ編にかけて、後輩達の慢心に手を焼かされることになります。
特にそれを強く感じられるのが、魔人ブウ編です。
後述の経緯から死人となっていた悟空は、仲間達と再会するため特別に1日だけ現世に戻ったところ、邪悪な魔導士の手によって復活した魔人ブウとの戦いに巻き込まれました。
幾度も姿を変えた途轍もない実力者の魔人ブウではありますが、最終盤の悟空の言によれば、劇中最初に登場した
しかし悟空は、「本当はもういないはずの自分より 若いヤツ(アニメでは『生きている人間』)が何とかした方が良い」との考えを抱いていました。
よって、善ブウとの戦いでは決着を付けないまま引き下がり、自らが「超天才」と見込む世代に望みを託してあの世に戻ったわけですが…
…如何せん悟空の賭けた世代は、それこそ若くして実力に恵まれたがゆえに有頂天になる者ばかりで、全員して魔人ブウ撃破に失敗。
そのせいで、悟空は生き返ってまでブウとの決戦を担う破目に遭いました。
地球の未来を思えば文句なく真っ当であったはずの行いが、最悪のレベルで裏目に出てしまった。
単純な力量なら悟空さえ追い越した者もいたというのにかような有様では、悟空がいなくなった時、強力な悪人が次々寄って来るドラゴンワールドの地球の行く末が危ぶまれるばかりです…
…などと言いつつ、悟空を排除したのでは『ドラゴンボール』が盛り上がらないので、止むを得ないところでもありますが。
・孫悟飯
悟空の長男として生まれた、サイヤ人と地球人の混血児です。
名前は悟空の育ての祖父である孫悟飯から取られています。
単に「悟飯」と言った時は、こちらを指していることが多い模様。
初登場時の年齢は4歳。
「人に対する厳しさが全くない」と言われる悟空を父親に、過保護な教育ママのチチを母親に持ったため温室育ちであり、かなりの泣き虫でした。
学者を志望している上、「平和になったんだから武術は必要ない」というチチの考えから、悟空に修行を受けたこともない身。
これでは到底、父親のように戦いを担うことはないか…と思われました。
ところが、サイヤ人が地球に接近し出した頃、自身の秘めたる力を見込んだピッコロによってさらわれ、強引に修行をさせられます。
それによって泣き虫を克服すると、以後は悟空やピッコロをはじめとする仲間達と共に、戦いへ身を投じるようになりました。
ピッコロに連れ出された件からも見て取れますが、潜在能力の高さが度々強調されているキャラクターであり、才能面では父親の悟空や、彼のライバルであるベジータをも凌いでいます。
…しかしながら、敵より強くなると天狗になる悪癖があり、そのせいで痛い目を見る場面が2つほどありました。
まず1つは、少年期に経験した、人造人間セルとの戦いでのこと。
悟空を殺そうとする悪の科学者によって生み出されるも、さしてその使命にこだわらないセルは、自分の力の確認と全世界を恐怖に陥れること、そして単純に楽しむことを目的とし、悟空達を相手取った格闘大会を開催します。
そんなセルに勝てる戦士として悟空に指名された人物こそ、悟飯でした。
最初は戦いに乗り気でなかった悟飯も、自身の真の力を発揮させるためにと悟空達をいたぶるセルに激怒すると、静かでありながらも威圧的な性格へと豹変すると共に、セルを容易く打ちのめします。
しかし、調子に乗った悟飯は、「何をするか分からんから早く止めを刺せ」という悟空の忠告をも無視し、いたずらにセルを追い詰めていました。
その末に、セルに地球全土を巻き込む自爆を決心させた挙句、被害を抑えるためにセルを地球外へ連れ出した悟空の死をも、招いてしまいます。
これにはもちろん悟飯も、号泣するまでに深く後悔。
奇跡的に永らえたセルを完全に消滅させることで、せめてもの落とし前を付けました。
もう1つはセル戦から7年後に当たる、魔人ブウとの戦いでの出来事でした。
悟飯は魔人ブウへの対抗策として、大界王神と呼ばれる神の超能力で、潜在能力を引き出してもらいます。
そのパワーアップが完成すると、悟空やベジータでも優位に立てない魔人ブウ(悪)をも、圧倒できるようになりました。
しかし、そこで悠長に構えて止めを刺さずにいたせいで、悪ブウの逃走を許してしまいます。
そして、再度現れた悪ブウに仲間達を吸収されたことで形勢逆転され、一方的に打ちのめされる側となってしまったのです。
あろうことか、父を間接的に殺めてしまった少年時代の一件から何を学んだのかも疑われるような有様でした…
もっとも、このような事態を招いたために、大界王神は悟空の力が必要と判断して彼を生き返らせ、その悟空が最終的に魔人ブウを完全に消滅させた事を考えると、ある意味宇宙を救う失態だったと言えるかもしれませんが。
上述のように大界王神に潜在能力を解放してもらったことで、単純な力量なら単体の戦士(フュージョンやポタラ等の合体をしていない戦士)としては、おそらく悟空の仲間内で最強となっていることでしょう。
ただし、悪ブウ戦での様子から、強くなると自惚れる致命的な悪癖は直っていないことが見て取れる上、平和になると武術の修行を怠っているようなので、その地位は盤石とは程遠そうです。
…学者志望の悟飯にしてみれば、最強の戦士の座を失ったところで、あっけらかんとしていそうだけれども。
幽遊白書
・浦飯幽助
『幽遊白書』の主人公。
自称に違わぬ「超不良」で素行はろくでもないものの、交通事故に遭いかけた子供を庇ったり、仲間である桑原の弱味を握って盗みをさせようとした不良を成敗したりと、心根には優しさや正義感を持っていることが描かれています。
一度は命を落としてしまいますが、それが霊界にとって予定外の死であったため、生き返るための試練に挑むことに。
その試練に成功して蘇生を果たすと、背後に妖怪等が絡む事件を解決する霊界探偵に着任。
生き返ると共に体得した技・霊丸(レイガン)を武器に、悪名高い妖怪達を次々と打ち倒していきます。
そんな幽助の危うさは、宿敵である戸愚呂(弟)との決戦にて垣間見えました。
元は人間だった戸愚呂は、より長く力を維持するため、闇の世界に深く関わる人間が強制参加させられる『暗黒武術会』で優勝した褒美として、妖怪に転生します。
その戸愚呂の全力を目の当たりにした幽助は、恐怖を抱きながらもどこかで彼の力に憧れも持ち、「全てを投げ打ってでも戸愚呂のようになりたい」との思いも頭をかすめていたようです。
しかし、自身の師匠にして、昔は戸愚呂と仲間同士でもあった幻海から「お前は間違えるな」と教えを受けていたことが幸いし、真っ向から戸愚呂を全否定する形に落ち着きました。
もしも幻海の教えがなかったら、幽助も戸愚呂と同じ道に踏み入っていたかもしれません(死後の戸愚呂も「間違えたら俺みたいになる」として、幽助を支えるよう幻海に伝えている)。
この幽助のケースからは、若いがゆえの不安定さと、人生の勝手が分からない若者を導いてくれる先達の貴重さや偉大さを、同時に思い知る気分です。
余談ですが、戸愚呂は自分と違う道を行く事を宣言した幽助に対して「何か一つを極めるということは他の全てを捨てること それができぬお前は結局半端者なのだ」と言い放ちます。
これについて幽助は、原作では「捨てたのかよ? 逃げたんだろ?」という落ち着き払った台詞を返していますが、アニメでは「捨てただと?そいつは違うな… 逃げたんだよ… てめえは逃げたんだ!」と、叫んで反論していました。
管理人は原作の冷静な一言より、アニメ版の熱い叫びの方が魂に訴えて来る感覚がして、好きです。
同志はいないかな(/ω・\)チラッ
るろうに剣心
・緋村剣心
明治時代を舞台とする作品『るろうに剣心』の主人公です。
幕末には維新志士として人斬りを重ねたものの、明治になってからは不殺(ころさず)を誓い、流れの剣客「流浪人(るろうに)」として人々を守る生活をしています。
年齢は本編開始時点で28歳と、少年漫画の主人公としてはなかなかのおっさ…ゲホゴホ
…豊かな人生経験を重ねており、明治政府を忌み嫌っていながらも世の中をより良くすることを諦めて喧嘩稼業に明け暮れていた相良左之助を叱るなど、その言動には常に重さと深さが宿っています。
そんな剣心がかつて人斬りを犯したのは、師匠の下で学んだ剣術「飛天御剣流」の教えを正確に掴めていなかったためでした。
れっきとした殺人剣である飛天御剣流ですが、その理は「時代時代の苦難から人々を守る」こととしています。
ところが、人々を守るという点だけに目が行き、血気に逸るばかりだった14歳の剣心は、飛天御剣流が「いかなる権力にも属さない自由の剣」として振るわれなければならないものであることを理解していなかったのです。
結局剣心は、師匠と喧嘩別れして維新志士への助力を強行したことで、新たな時代を切り拓くためとはいえ夥しい数の人間を斬り殺し、時代が明治になってからも「人斬り抜刀斎」と呼ばれることとなりました。
劇中で師匠と再会した際に指摘されている通り、「剣腕は卓越していても精神が成長し切っていない」状態だったわけです。
若人たるもの、意気軒昂である方が似合いですが、それも使い方を間違うと目も当てられないものがあります…
若さとは危うさであると、間々耳にする気がしますが、今回挙げた中ではこの剣心が最もそれに当てはまっているかもしれません。
終わりに余談
今回の記事は、これくらいにしておきます。
前触れなしでの突然の語りでしたが、少しでも訪問者様に何かを感じていただけたなら幸いです。
昔は各作品を見ても特に気にしなかった若人ゆえの危うさに目が行くようになったのも、自分が年を取ったからだろうか…
そう思うと、心意気だけは若いつもりの管理人も、肉体はいい歳になっているという現実を否応なく思い知らされます。
ただ、噂に聞いたところだと、その昔95歳まで生きたバーナード・バルークなる政治家は「私にとって年寄りとは常に自分より15歳年上のことだ」と語ったというし、108歳まで生きた彫刻家の平櫛田中(ひらくし でんちゅう)は「六十、七十は鼻たれ小僧 男ざかりは百から百から」と唱えたそうです。
それらの言葉に学ぶなら、病は気からであると同時に、老いも気からというところなのでしょう。
落ち着いて考えればすぐに思い出すことですが、誰しも昨日までの自分よりは幾ら若作りしようと老人で、明日からの自分よりはどんなに背伸びしてもお子様です。
過ぎ去った年月の長さを見て老けたとしょげたり、もう何歳なのにまだ成長できていないなどと悩むのではなく、昔の自分にも未来の自分にも恥じずに誇れるくらい、張り切って今を精一杯生きる自分で在り続けたいと思います。
それでは、また。