2020年09月26日
2020年09月17日
進化する里山資本主義
価格:1,980円 |
■高度成長期以降の日本人は、「エネルギーは自給するものでなく買うものだ」と信じてきた。薪を集めて使っている農山村の老人は、エネルギーを一部でも自給しているわけで、その分日本が海外に支払うお金を減らしている。なのにそれを「遅れた人」のように感じるというのは、「輸入化石燃料依存症」がわれわれ頭の隅々まで生き渡ってしまった証拠ではないか。(P33)
■電気は大手企業が独占的に供給していて、一部でも自給している人をあまり見かけない。電力会社も、戦前には津々浦々に草の根のものがあったのだが、全部統合されて地域独占になってしまった。
だが、農産物を手にいれる方法に、店での購入と自給と直売者での購入と3種類あるように、エネルギーを手に入れる方法にも本来は3つの種類があるべきだろう。大手電力会社と契約し買ってくる以外にも、一部もしくは全部を自給してもいいはずであり、最近増えてきた再生可能エネルギーを発電する小さな電力会社から買ってもいい。(P33)
■化石燃料(+原子力)万能の時代には、人間はできるだけ密集して、集中生産されるエネルギーの分け前に効率的に預かっておければよかった。しかしこれからは、再生可能エネルギーと化石燃料をハイブリッドで使う生活様式が、普及していくのではないか。そうなれば人工密度の低い(つまり一人が利用可能な太陽光の量が多い)田舎で、エネルギーを"部分自給"する方が、経済上も有利であることが知られていくだろう。都会の高層マンションに住んで農産物をすべて金銭で購入しているよりも、家の横に畑が一枚ある田舎に住んで食料の中の何がしかを自給している方が、生活にゆとりがあるというのと同じことである。(P35)
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posted by hiroshimalibrary at 08:08| 人文・思想・暮らし