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■ビットコインBitcoin(P120)
ビットコインという仮想通貨は、国家と国境線と税金制度を超えていく思想から始まった。だが次々に捕まって、国家や権力(体制)の檻の中に入れられつつある。しかし、またそこから脱出して生き延びていく動きもある。
コインcoinとは鋳造された貨幣(硬貨)のことだ。金貨や銀貨、銅貨だ。このコインを鋳造して発行する業者がコイナーcoinerである。通貨の発行権者は、国家や中央銀行である。だが、必ずしも国家の独占物ではない。大きな信用さえあれば、そこが発行できる。
14世紀のベネチアで、コイナーたちが鋳造した金貨がダガット金貨だ。このダカット金貨が、ヨーロッパ中で通貨として使われていた。18世紀まで流通した。ヨーロッパで一番の金持ちはベネチア共和国なのであって、各国の国王たちではなかった。
ベネチア共和国は自治都市であり、王様も貴族もいない。通貨は国家が発行しなくてもよいのである。信用があるものが発行する。それを皆が使う。
「日本国政府と、日本銀行が発行した通貨しか強制通用力はない」と、国家が法律で勝手に決めただけだ。この威張り腐った国家発行の通貨を法貨(リーガル・テンダーlegal tender)という。だが、国家や政府、官僚はとにかく偉いのだ、という考えがどんどん崩れつつある。信用をなくしつつある。
■リバータリアンの思想からビットコインは生まれた。(P135)
ビットコインの出現の恐ろしさは、このヘンなお金が各国の通貨当局の「外側」にいることだ。すなわち各国の政府、財務省である。ある事情で中央銀行は民間企業でなければいけないという強烈な仮想をやっているのだ。ビットコインは、国家が管理できるお金以外のお金である。各国の通貨当局は困惑している。必死で研究している。
外国にビットコインのまま送金すると為替が立たない。外国為替公認銀行の法律を無視する。
また、国内でビットコインが勝手に流通すると、自分たち通貨当局のお金の統計数値の中に入らない。そして税金をごまかして逃がす、あるいは蓄える手段として使われるという恐怖感を当局は持つ。さらには投機の手段になる。
ところがお金は人間の便利のために生まれたものであって、何でもかんでも国家が威張って管理すればいいものではない。人々の信用さえあれば、それが通貨なのである。「リバータリアンLibertarianの思想からビットコインは生まれた」のだ。
リバータリアンとは、1950年代にアメリカで生まれたリバータリアニズムLibertarianismという新型の政治思想の信奉者たちのことだ。このリバータリアンの勢力が米大統領選挙でトランプを育てて支えたのである。私、副島隆彦は、このリバータリアンである。この思想を日本に広めるために、もう20年頑張っている。
リバータリアニズムは、簡単に言うと@反国家統制、A反官僚支配、B反税金、C反過剰福祉、そしてD反グローバリズム(外国支配)を掲げるアメリカ民衆の保守思想である。現在のアメリカでこのリバータリアンの勢力が大きくなっている。
ビットコインは、私が唱えてきた「国家から逃がせ隠せ」思想の実験場として始まったので、投機のための新しい金融市場として始まったのではない。