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■長い間、日本人の食事というのは、朝はご飯に味噌汁、納豆と漬物、焼いためざし、昼はご飯と竹輪の煮つけに漬物と味噌汁、夜は飯と煮魚とホウレンソウのおひたしと味噌汁などが定番だった。
こうして日本食を繰り返し食べ継いできたために、私たち日本人は、体も心もそのような食べ物に対応してつくられてきたのである。そして、その情報が遺伝子に刷り込まれて現代の日本人に受け継がれてきた。たとえば、日本人の大腸が、繊維分の多い食事に適応して長くなってきたというのも、その長い食習慣から固定された遺伝子によるものである。
そんなところに、自分の体に適応していない外国式の食事ばかりをとっていれば、体や心に微妙な歪が生ずるのは当然の成り行きというものである。--日本人はここ数十年という、あまりにも速いペースで食生活を変化させてきた(P26)
■ミネラル不足も切れやすくなる原因の一つ(P33)
昭和30年代までは、米や野菜、果物など、水田や畑でつくられるものには、肥料としてほとんどすべて堆肥が使われていた。この堆肥こそが農作物に含まれるミネラルのもとであった。とくに、カリウム、カルシウム、マンガン、銅、亜鉛といった、生体を維持するのにきわめて重要なミネラルが、堆肥には多量に含まれているからで、農作物はその豊富なミネラル類を吸収し、それを日本人は食べてきた。
ところが、昭和30年代になると硫酸や燐酸・カリウムといった化学肥料が堆肥にとって代わったために、大切なミネラル類が農作物の中から減少してしまったのである。熊本県にある農業科学研究所の中嶋常允(なかしまとどむ)所長らの研究によると、現在の日本の農作物のミネラル分は昭和30年代に比べてかなり不足しており、なかでも亜鉛は著しく少ないという。
サルの動物実験では、ミネラル不足のグループは闘争心が激しくなり、生傷がたえなかったが、ミネラルが十分与えられた方は、非常に従順であり、あまり争いは見られなかったという。精神の安定に、いかにミネラルが重要がを示す実験結果である。
■娘が学生だった頃、医学部のカリキュラムを見せてもらって、解剖学や生理学、免疫学といった科目ばかりが並んでいて、命の根源であるはずの食べ物を学習する科目がない。栄養学はあるものの、これはなんたることかと、私は驚いたのであった。食べ物は生きる基本である。正しい食事学を学ばずして医学といえるのだろうか。
美食が過ぎて太ると、心臓病のリスクが大きくなるといったことは誰でも知っている。逆に、いい食べ物をとることによって、症状を軽くしたり病気を治したりできることも理解できる。食生活が人間にとっていかに大切なものか、ちょっと考えれば誰にもわかることである。
ところが、明日の健康を守ってくれるはずのお医者さんが、食べ物学を学ばないとはどういうことなのだろう。他の医学部のカリキュラムも調べてみたが、「食べ物学」を設けている大学は皆無に等しかった。これに対しお隣の中国はさすが食文化の伝統国だあって、医学と食べ物の研究は密接に結びついている。(P42)
■鰹節(P121〜)
鰹節がなぜ硬いかというと、カビを表面に増殖させ、一番カビ、二番カビ、三番カビまで発生させるため、鰹節内部の水分が全部カビに吸い取られてしまうからである。カビといってももちろん有毒なものでなく、麹カビの一種である。このかびは、乾燥してくれるだけでなく、イノシン酸を中心に旨みをつくり出してくれる。
ところが、鰹節の旨みがグリタミン酸とイノシン酸によるものだということが研究でわかっていたので、そのグルタミン酸を化学合成してグルタミン酸ナトリウムをつくることに成功したのである。その後、イノシン酸も工業的に生産され、昭和20年代後半から30年代にかけて一般家庭に拡まっていった。こうなってくると鰹節を削る必要がない。白い粉をパッパッと振るだけで、味噌汁にもお吸い物にも旨みがたちまち加わるのだから。
このグルタミン酸ナトリウムは日本国内でなく、海外に輸出されたことによって、アジア全域で驚くべきことが起こっている。
中国でみる「味精」という名のビニール袋が中国のグルタミン酸ナトリウムである。今では、中国でこれを使わない家庭や料理店はほとんどないという。
これが日本から輸入される以前、中国人は豚骨や牛肉、鶏ガラなどを使ってうまい出汁を取ろうと懸命に努力したものだった。ところが、中国人も手軽さと経済性を選んだ結果、日本から伝来してきたグルタミン酸ナトリウムによって食文化を一変させられてしまった。
これは韓国でも同様、タイ、ラオス、マレーシャ、カンボジア、ネパール、ベトナム、ミャンマー、フィリピン、インドネシアといった東南アジア諸国でも、まったく同じことが起きている。
グルタミン酸ナトリウムの危険性 化学調味料の味の素は危険?
■梅干(P145〜)
梅は奈良時代に中国から日本に渡来してきた。当時は、薬木として扱われ、平安時代の「医心方」には「鳥梅」としてその薬効が説かれている。
その後、梅干しは日本に広く定着し、武士は戦場での大切な兵糧として持ち歩き、家庭では保存食として大切にされてきた。
風邪をひいたときや、食あたりには下痢止めとして飲ませた。妊婦のツワリにも効果があり、疲労回復にも薬効があり、夏負けの防止にもしゃぶたり、こめかみに梅肉を張りつけて頭痛の特効薬にもした。
また、弁当やおむすびの中に梅干しを入れたのは、梅肉が防腐の働きを持っていることを経験的に知っていたからである。
梅干しに薬効があるのは、クエン酸やリンゴ酢、フマール酢などが含まれているからである。これらの成分は、現代医学によっても、疲労回復、整腸、食欲増進、殺菌作用などに効果のあることがわかっていて、さらに、梅の種子に含まれる薬効成分は、鎮咳、解熱、利尿、健胃、発汗、解毒、精神安定などに効果があるとされている。
そんなオールマイティーの力を持つ伝統の梅干しなのだが、最近の梅干しには残念なことがいくつかある。
昔は天日に干した梅を塩付けしてから、真夏の太陽に再び晒し、太陽の香りをいっぱいにかがせた日向香梅を、紫蘇とともに漬けなおしてつくっていた。
近ごろに梅干しは、太陽の光に晒すことなどほとんどなく、グルタミン酸ソーダや甘みを含んだ調味液につけて短時間でつくってしまう。(太陽に晒さない梅干しには薬効の効果が少ないようだ)
■握り飯の神秘(P148)
私が握り飯で想像するのは、終戦直後のある一枚の写真である。バックは焼け野原となった東京。まだ硝酸くすぶる民家の焼け跡の前で、さもおいしそうに握り飯を食べている、ボロボロの服を着た人たちの写真だ。本当に美味しそうに食べているのが印象的だった。写真家の巨匠木村伊兵衛さんが写したものだったと記憶している。
梅干しと同様、握り飯もまた、戦後の日本人に力を与えてきた食べ物で、戦後のこの国の原点のひとつになった救荒食といえよう。
握り飯は「おむすび」とも言うが、単に手で結ぶからだけではない。江戸時代の国学者新井白石が著した「東雅」によると「むすび」は「古事記」の中に現れる「産巣日(ムスヒ)」」または「産霊(ムスヒ)」と関係があるという。いずれも、「万物を生み、成長させる、神秘で霊妙な力を指すことばで、「むす」は「発生する、生きる」の意、「ひ」は「心、霊」の意である。
確かにそう言われてみれば、握り飯を食べると、何だか知らないが体の中から力がわいてくるような気がする。
運動会でむすびを食べると「ようし一等賞になるぞ」という気分になったものだ。また、田植えのときに田んぼの周りで大勢の人たちと握り飯を食い、連帯感をもったものだ。握り飯は実に不思議な食べ物である。
しかし、最近の機械でつくるコンビニのおむすびは昔のような心温まる感じがしない。
■水を墜落させた日本人(P183)
昔は素晴らしかった日本の水が、いつのまにか汚されてしまった。
こんなことになった第一の原因は、言うまでもなく工場や家庭の汚水を平気で垂れ流したからである。第二の理由は、やたらと地域開発をしたために、自然のバランスが壊れてしまったからである。宅地の造成やゴルフ場の建設のために山林を伐採したことによって、十分に土に浸透しないままに水が川に多量の有機物を運んでくるようになった。さらには、産業廃棄物やゴミ焼却場の埋め立て、農薬の過剰使用などによって、土壌が汚染されたことも大きな痛手となった。雨の多い日本では、土壌が汚染されたら水が汚染されるのは当然の結果である。
いい水が飲めなくなり、汚染された臭い水が増えている。こんなことをいうと「水がタダというのは、日本人のわがままだ。外国に行ったら、水はみんな金を出して店で買うのが当たり前なのだ」と反論する人がよくいるが、問題は、昔はいい水が飲めたのに、いまは飲めなくなったということにある。
■湖を浄化したフィンランドの試み(P187)
フィンランドのパイヤネン湖という美しい湖がある。そこの水がうまいことは有名でEUの各国からやってきた旅行者は必ずこの湖の水を飲んでいくのだという。
しかし、驚いたのは十年前までは、湖の生水は飲めなかったということだ。フィンランドでも、水が汚染されていたのである。
さらに驚かされたのは、ここ十年間の環境への取り組みである。ヘルシンキ工科大学とヘルシンキ大学が中心になって、パイヤネン湖に面している高等学校、中学校、小学校の生徒たちに徹底した環境教育を行なった。その結果、子どもたちは、誰ひとりとして汚いものを湖に投げることをしなくなったという。そして湖を大切にしようとする心が子ども全体に芽生えて定着した。
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