価格:880円 |
■海外メディアが「日本会議」をどう報じてきたか (P11)
・イギリス「エコノミスト誌」2015.6.6 東京発
「日本会議」は、日本の最も強力なロビー団体のひとつとして、国粋主義的かつ------目標を掲げている。西洋の植民地主義から東アジアを解放した日本を讃え、再軍備をし、左翼の教師に洗脳された生徒に愛国心を植えつけ、戦前の古き良き時代のように天皇を敬う。日本会議のメンバーは戦後における米国の占領と戦後の憲法が日本を弱体化させたと言う。
奇妙なことに、この団体は、日本のメディアの注目をほとんで集めていない。政権の中枢でますます影響力を強めているにもかかわらず。
・イギリス「ガーディアン」誌 2014.10.13 東京発
安倍首相の内閣改造により、日本が急速に右旋回しているという懸念が生じている。安倍閣僚内閣の閣僚19人のうち15人が所属している日本会議は、愛国主義的な教育を推進し、戦時下の日本がアジアで行った軍事行動にかんする”自虐史観”を終わらせることを目指して1997年につくられた団体である。
・オーストラリア ABCテレビ 2015.12.3 マシュー・カーニー(北アジア特派員)
日本で最も影響力を持つと思われるこの政治組織の正体は、ほとんど知られていない。
日本会議とは、日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビー団体である。安倍晋三首相以下、閣僚の8割および国会議員の半数が名を連ねている。究極のロビー団体として、ほとんど表に立たないような形で活動し、3万8000人の会員を使って支持を集め、国策を練りあげている。日本会議は超国家主義的な一連の目標−−天皇の権威の復権、女性の家庭への従属、そして再軍備−−を掲げている。
(日本では、朝日が2016年3月になって「日本会議研究」と題した連載をスタートさせた)
■日本会議は1997年5月30日、有力な右派団体として知られていた「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流する形で産声を上げた。(P18)
「国民会議」は元号法制化運動に成功し(元号法制定は1979年)、せっかく結集した組織が解散してしまうのはもったいないとう声が高まり、新たなテーマに取り組む国民会議をつくろうということになって、財界や政界、学会、宗教界などの代表が中心になって800人ほどが集まって「日本を守る国民会議」が結成された。
一方、「日本を守る会」は1974年、主に右派系の宗教団体が中心となってつくられた。
結成の発端になったのは、臨済宗僧侶の朝比奈宗源だったらしい。伊勢神宮に参拝した時”天の啓示”を受けたそうで、彼が、以前からつきあいのあった明治神宮の伊達巽宮司や富岡八幡の富岡盛彦宮司、そして谷口雅春先生といった方々に「守る会」をつくろうと声をかけ、その輪が広がって各宗教団体の指導者や思想家、文化人も加わって結成。
■明治神宮権宮司の田中安比呂の発表した「設立宣言」(P26)
我が国は、自然と共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく-------国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人たちが培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向かいつつある。
加えるに、冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にすごせば、亡国の危機が間近に忍びよってくるのは避けがたい。
我々は、かかる時代に生きる日本人としての自覚にたって、国の発展と世界の共栄に貢献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する。された。
この「独立宣言」からは、さまざまなことを読み取ることができる。
「国の伝統」の重視である。しかし、それは主に明治維新後に形づくられた「伝統」であり、これを「輝かしい精華」とまで称揚しつつ、戦後日本の歩みについては、経済発展を賞美しながらも「伝統文化」や「光輝ある歴史」、そして「国を守る気概」が失われつつあると嘆く。典型的かつ極めて陳腐な戦後右派の論理であり、そこになんらの目新しさを見出すことはできない。
また、「マルクシズムの誤謬」を声高に指摘するのも戦後右派の特質がよくあらわれている。
基本的に「親米米国」を基軸としてきた戦後日本の右派は、なによりも「反共」を最大の結節点としてきた。逆にいうなら冷戦体制の崩壊は、戦後日本の右派陣営にとっては「最大の敵」を喪失し、混乱を誘発した面すらあったのではないかと私は思う。
■日本会議が設立大会で披露した「基本運動方針」内容
@皇室の尊崇、A憲法の改正、B国防の充実、そして、C愛国教育の推進に集約される。もうひとつつけ加えるとすればD極めてアナクロで復古的な(彼らに言わせれば「伝統的」な)家族観の重視であろう。
■現実政治への影響(P29)
「日本会議国会議員懇談会」が日本会議とほぼ同時に発足していることに注目しなければならない。単なる市井の運動団体でなく、政治に直接的な影響力を行使して自らの右派的政策や主張を実現に導こうとしていくことにこそ日本会議の特質があるからである。
■第3次安倍政権の大臣の20人のうち、13人が懇談会のメンバー(P48)
■地方から都市へ(P39)
日本会議が特に力をいれているのが、地方組織の充実化であり、全国各地で支部づくりとその充実に力を注いでいる。2016年1月18日現在で全国に243(海外ではブラジルに1)地方支部がある。
■宗教団体が下支え(P36)
日本会議には、神社本庁や明治神宮、靖国神社といった神社界のほか、神道系や仏教系などの新興宗教団体も多数、役員を送り込むなどして活動を下支えしている。
戦前に創設された新興宗教では、国柱会(コクチュウカイ)などはその代表格であろう。田中智学によって1914年に結成され「純粋日蓮主義」を掲げた国家思想の色濃い右派系宗教団体として知られ、「八紘一宇」を造語したのは田中智学であったし、満州事変の実質的な首謀者だった石原完爾らにも大きな影響を与えた。戦後も国粋主義を標榜していて、日本会議には教団として加盟している。
■創価学会へのライバル意識と危機感 P70
池田大作が1960年に会長に就くと、政界進出の方向をますます強め、1964年に公明党の決起大会を開く。それにライバル宗教団体が危機感を持ったとしても不思議ではない。生長の家は、1964年に生長の家政治連合を結成(1983年に政治関与を止め活動停止)神社本庁も1969年神道政治連盟を結成。
■日本会議のメンバーの中には、生長の家の関係者が多い。しかし、「生命の実相」の中には、エスノセントリック(自民族中心主義)的な色彩は薄い。しかし、谷口が大本教時代に上梓した処女作「皇道霊学講話」(1920年)の中には、「全世界の人類が幸福な人間らしい生活を送るためには神から先天的に首脳者として定められたる日本皇室が世界を統一しなければならないのである。それは、日本自身のためでない。全世界の人類の永遠の幸福のために必要なのだ。」「先天的に日本国が世界の首脳国であり、日本人が世界の支配者として神がら選ばれた聖民である」と記されている。(P82)
(生長の家は戦争遂行を前面賞賛し、教勢を拡大)
■日本会議の源流は生長の家に出自を持つ右派政治家だが、生長の家が巨大な動員力や資金力を持っているわけではない。
現在の日本会議を支えているのは、伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁頂点とした神道の宗教集団である。(P122)
2016年の正月、初詣でにぎわう各地の神社で、日本会議が主催する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のポスターを貼ったり、のぼり旗を立てたりして、神社境内で憲法改正への賛成署名を求める活動が繰り広げられた。
そうした神社は相当数にのぼったとみられ、このことを「東京新聞」は同年1月23日付の朝刊でこう報じている。
〔東京都港区の乃木神社を訪れた----売店の横に異質なスペースがあった。「憲法は私たちのもの 私たちが考える憲法改正」と記されたのぼり旗。ポスターには「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」と書かれている。
手前の机には「私は憲法改正に賛成します」と題した署名用紙があり、氏名と住所、電話番号を求める案内があった。----これは一部の神社ではなく、各神社が実情に合わせて署名集めをしている。
ただ、乃木神社にあった署名用紙の下部にはこんな注意書きがあった。ご賛同の皆様には、国民投票の際、賛成投票のご賛同の呼びかけをさせていただくことがあります。〕(P139)
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image