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■古来、日本人は生と死を同一視していました。一万年を超える歴史を持ち、この世とあの世を精神レベルで自在につなぐことができた日本人は、死は単なる肉体死であり、魂は永遠の存在であると知っていたからです。
自分たちが大いなる存在に生かされているっ事実を知り、大自然と融合して生きることが最も大切だと知っていたのです。だからこそ、そうした霊性の高さを失いつつある現在の状況は困ったものです。(P21)
■今は何でもスピード重視の時代です。それが全部悪いわけではありませんが、早く答えを出さなくてはいけないと、誰もが見えない感情に支配されているように思えます。答えを早くださないと時代についていけない、取り残されてしまうという恐怖心です。
そもそも、そんな恐怖心を持つ必要はどこにもありません。時代のスピード感は、どこかの誰かが自己利益のために勝手に作りだしているものです。
だからこそ、「急いてはことを仕損じる」という言葉を、私たちは再度、噛みしめる必要があります。(P50)
■立ち位置を知る。これは自分をいかに客観的にできるかということです。自分の位置を「俯瞰」するということですね。物事を判断する際に俯瞰できれば、これほど強い武器はありません。
立ち位置とは立場であり、きちんと立場をわきまえてこそ、相手と自分との関係が成立します。立場をわきまえない人は、気づかないうちに周囲の失笑を買っていきます。立ち位置を知らずにふるまうと、ます訪れるのが信頼関係の失墜です。失った信頼を取り戻すことは、コミュニケーションにおいて最も困難な作業です。常日頃から自分を取り巻く環境を「俯瞰」するくせをつけるととが大切です。(P93)
■知識と経験が積み重なると「その時代の平均的な意識レベル」が生まれますが、そのレベルをものさしとして、すべての出来事が良いと悪いに区別されます。この平均的な意識レベルを「常識」と呼びます。
常識とは、限られた期間(時間)内における多数の賛成に基づく合意と釈明されますが、多数の賛成の裏には反対意見があります。数のバランスは時代で変わります。権力者が代わるごとに時代が刷新された事実、それを私たちは「歴史」と呼んでいますが、その歴史ごとに常識は変わります。
常識は万能ではありません。実はとてもあやふやな存在なのです。だから、他人が嫌がる行為、他人を傷つける行為など、人としての道徳上、明らかにダメなことを除けば、良いとか悪いといった尺度には限界があります。(P127)
■私が若い頃、恩師にこういう言葉をいただきました。「運・鈍・根・金・健」周囲に振り回されず自己実現するには、運気、鈍感(他人の評価や噂話など気にならない)、根気、金銭、健康が大切な要件というわけです。必要以上にそれらを欲することは、無明にほかなりませんが、ある程度身につけることで他人が気にならなくなります。(P130)
■私たちには皆、良心があります。良心が発した内側からの声をブロックするのは「我欲」です。我欲は私たちに囁きます。もっとお金がほしい。周囲の自分の評価が低い、凄いとか羨ましいとか言われたい、もっとモテたい・・・、私たちの人生の場面ごとに我欲は耳元でそっと囁きます。我欲のコントロールがきかなくなると、途端に日常が変化します。
不正は隠蔽できたけれどもビクビクしている、お金は入ってくるけれども家庭が荒んでいく、周囲の評価は高まったけれども悪口も増えた・・・、無理して獲得しようとすればするほど、獲得したものの大きさに比例して欲しくないものがやってきます。
実はこの「無理する」ということこそ、私たちを苦しめている大きな要因です。無理という言葉の意味は「道理に反すること」、つまり筋道が通らないということです。無理せず、等身大で生活すればいいだけなのに、周囲の評価や人の目を気にするあまり、自分がやるべきことを全うできず、最後はストレスまみれになって苦しむのです。(P78)
■愛国心とは、自分が暮らす郷土に対して感じる自利・他利の心です。自利・他利とは、自分を生かし、他人を生かすことですから、
どちらかが犠牲になる関係はだめです。見えないけれどおかげさまという気持ちを抱き、ともに社会で暮らす仲間へのお互いさまの気
持ちがなければなりません。
郷土=国家は、人と自然という二つの要素から構成されています。このような単純な事実を理解するだけで、愛国心という本来の意
味へと戻ります。
自分が生まれた国家を愛することだけを愛国心と呼ぶのではありません。生まれた国家と今暮らしている国が違ったとしても、その
人の心が今住んでいる郷土を愛するものなら、それは立派な愛国心です。
たとえばドナルド・キーンさんは、「源氏物語」に感動し、自然や文化も含めた日本が大好きで帰化されました。(P138)