【中古】 土からの医療 医・食・農の結合を求めて / 竹熊 宜孝 / 地湧社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 価格:737円 |
■食養生の基本的な考え方はできるだけ精白しないこと。病気によっては玄米菜食。雑穀を必ず使う(ムギ、アワ、キビ、ヒエ、ソバ、アウキ、ダイズ、ハトムギなど)調味料は自然の味。砂糖ぬき。塩分は一食四グラム。添加物一切使用せず手作りのもの、季節野菜と海藻、大豆製品、小魚の一物全体食。
食は薬であり、いのちであるという考え方(P18)
雑穀は、コメのようにあまり精白しないところに、何かの効用がありそうです。たべものには、皮目のところや芽の部分に特殊な成分があることは常識です。しかし、今の栄養学はそれを無視して、みかけと舌先だけのことを問題にしています。(P112)
■食訓
一、唾ば良薬、胃の薬。噛めば噛むほどききめあり。
一、腹八分目、胃の門限は九時。
一、アズキ、ダイズは肉に劣らず、いのち長らく病なし。
一、品物の山で病となる。これ癌といえり。白米は粕とも書く。共に読んで字の如し
一、文明病は砂糖づけ。甘いい、甘え、甘やかす。これ文明の遺産なり。
一、塩はなくてはいきられぬ。だが血圧も高い低いは塩加減。
一、農薬は農毒薬の略字なり、虫はころりと人間はじわっと殺される。
一、食は生き物、いのちなり。感謝なくてはいだだけぬ。(P18)
■自然の七人の名医(P88)
@日光、A空気(新鮮な空気)、B水(汚染なれてない水)、C食(添加物などのなり自然な食)、D運動、E休息、F精神
このいうち、病は気から、あるいは気の病ともいって、精神の働きが病気と最も関係がある。
■現代医学や近代農業は、邪魔者は殺せ主義の方法論で技術を進歩させ、合理化をはかってきました。その結果が薬の害や誤診などによるいわゆる医現病を生み、農薬禍をまねき、環境汚染にまでいたったといえます。人間は自然治癒力を失い、たべものは自然のものが食卓から姿を消しました。社会が必要悪を認めていく限り、人間は一歩滅亡への前進をはやめて行くことになるのです。
絶食療法は食を断つことにより、今までの悪癖を捨てさり、過去の生活を深く反省し、病根を悟り、心身ともに再出発することに大きな意義があります。断食後の食生活が正され、自然の生活が要求されるのは当然であります。そのことが実行できない人は絶食療法をうける資格はありません。逆に欲を断つことによる反動で危険さえともないます。・・・
ある外国の東洋医学者が、「たべものは薬ですよ、そして毒でもあります。自然こそ私たちの大先生です」といわれたことが、いま新たに甦ってきました。(P174)
■農業は人の命を守り人間も育てます。また生活の中で全ての自給が可能なのは農業をおいて他にありません。生活の豊かさだけでなく、人間の心の豊かさもおのずと培われるものであります。・・・
私の住んでいる近くに、まだ馬車を使っている人がいます。その人が次のような話をしていました。
「ちょうど農家に耕うん機がはいってきた頃、自分だけは、耕うん機は買わず、その、耕うん機の代わりに少しばかりの山林を買いました。
私は馬で田畑をすき、馬車を引いて畑に出ます。知人は数年もたたないうちに古い耕うん機を新しく買い替え、石油代、修理代と維持費はばかにならぬとぼやいています。化学肥料と農薬はどんどん使い、その費用もばかになりません。機械は堆肥を作りませんが、馬は子供も生むし、肥料も作ってくれる。石油代もいらぬ。田畑に出てのんびりできます。
焼酎を持っていって飲みながらやれます。飲酒運転でやられることもないし、飲み過ぎて畑で昼寝していると、馬が起こしてくれます。帰りはかあちゃんと二人で馬車に乗って帰ります。実に呑気なものですよ。馬は可愛いもので、主人をちゃんと知っとります。
また、耕うん機を買ったつもりで買った山林が、今では立派な美林になっています。農業もやり方しだいですね。考え方の問題です。」(P26)
■作物を作る時の知恵として、おふくろに教えられたことの一つに、"大豆を蒔く時期は柿の葉に大豆が三粒包めるようになった時がよい"と。というのも、阿蘇とここでは柿の芽の出る時がちがうのです。寒さがちがうから、これを一概に大豆は〇月に蒔きなさい、と言われたら、これはできそこないもいいとこなんですよ。作物というものは、早く植えても、遅く植えてもいかんわけです。
ところが、これがいまの教育となると、どうしても「大豆は〇月の××頃に捲きましょう」ということになる。そこに非常に問題があるわけです。人間にも個性があり、環境が異なるので、その人に合った教育、その場に即応した教育が必要であると私は思っております。(P76)
■昔から、"暖衣飽食"風邪のもとと言うております。要するに腹いっぱい食って、からだをぬくめて、それで周囲が寒くなるというと風邪をひくことになります。(P61)
■百姓屋育ちの体験
私の生家は、百姓家で、屋敷が相当広く、家が果樹園の中にある感じでした。
カキはガンザン、シブ、富有、トンボ、ベンケイ、コネリ、シモフリガンザンなど。柑橘類もミカン、キンカン、キンコウジ、夏ミカン。その他イクリ、ヒワ、ビワ、ブドウ、ヤマモモ、モモ、ザクロ、ナシ、ウメ、イチジク。竹の子とシイタケ。茶畑。
それらの木の下には、サンショウ、ミョウガ、ミツバ、フキ、ニラ、ラッキョウ、ゲンノショウコ、ドクダミ、ノビルなど、食用、薬用にできるものが自生していました。樹木に囲まれた菜園には、季節の野菜がたくさんありました。鶏小屋もあって、卵も買うことはなかったようです。もちろん平飼いでオンドリもいました。
その他、食料だけでなく生活のすべてが自給体制にあったのです。加工食品はみそ、納豆、漬物、干物。それらを作り道具は、蔵や納戸に大切にしまってありました。
風呂は五右衛門、燃料は山から下刈りのもの。当時は冷蔵庫はないので、井戸がその役をはたしたものです。夏ともなれば、スイカ、金ウリ、トマトがザルで井戸の中につるされました。井戸水はミネラルウォーターでもあるし、氷水の役もはたしました。
ときどき母がカイコも飼っていました。糸を紡ぎ、はたを織り、手染もやっていました。雨が降ると、父は投げ網を持ち出し、子供たちと魚とりに出かけました。とれた魚は干物にして、天井につるされてありました。
このような手作りは、すべて母が子供たちを相手にやっていましたので、遊ぶのに忙しかった私たちにはつらいことでもありました。
そのとき手伝わされたことは、人間の生きる知恵を親が子に伝える唯一の手段だったといえます。
食べるのもから生活全般にかけて、すべて自給自足できるように、屋敷から、家屋構造まで考えてつくられていたようです。
現代社会は、食べるものはおろか、水、電気、燃料、屎尿、そのた廃棄物にいたるまで、人の世話にならないと、一日も暮らせないようになっています。農業の近代化とは労働も肥料も金がなければ得られないということです。そして、医学の近代化は不養生をつくり、人まかせの医療になっています。(P21)