2020年01月27日
原爆を学ぶ
先日、英検を受験しに、長崎へ行った際、
たまたま試験会場の通り道だった山里小学校にある原爆資料館を訪れました。
平和公園の近くの有名な「原爆資料館」は何度か訪れていましたが、こちらははじめてでした。
受験前のわずかな時間でしたが、資料館の中へ入るとボランティアでご案内をしてくださる方が待機してくださっており、熱心に教えてくださいました。
小2の長女の漢字力は1.5年生程度。
なかなか自分で資料を閲覧し、内容を理解するのは難しいです。
しかし、ボランティアの方のお話で、またモンペや防空頭巾の試着、
原爆の熱線で溶けてしまった瓦を実際に触らせてくださったりと
言語以外からも、感じることがあったかと思います。
こんなサービスは他の資料館では経験がなかったので貴重な体験でした。
永井博士が刊行した本(被爆した子供たちの手記を集めたもの)の中の一部をプリントでいただきました。
実際、子供の時に被爆して、それを約4年後に振り返って書かれたものでした。
帰り道に長女に読み聞かせしました。
親や兄弟、友人、先生方が目の前で亡くなっていくのを目の当たりにした子供の
心はどんなだったのでしょう。
涙なしには読めないものでした。
同時に今の平和な世の中、
子供に求めすぎてしまうことが多くなってしまう自分自身に、
「生きていてくれるだけで感謝」
を思い出させてくれました。
長女はどのように受け取ったのか。
時間がなく、今回平和公園の近くの「原爆資料館」は行けませんでしたが
もっと自分で字が読めるようになったら、連れていきたいと思っています。
たまたま試験会場の通り道だった山里小学校にある原爆資料館を訪れました。
平和公園の近くの有名な「原爆資料館」は何度か訪れていましたが、こちらははじめてでした。
受験前のわずかな時間でしたが、資料館の中へ入るとボランティアでご案内をしてくださる方が待機してくださっており、熱心に教えてくださいました。
小2の長女の漢字力は1.5年生程度。
なかなか自分で資料を閲覧し、内容を理解するのは難しいです。
しかし、ボランティアの方のお話で、またモンペや防空頭巾の試着、
原爆の熱線で溶けてしまった瓦を実際に触らせてくださったりと
言語以外からも、感じることがあったかと思います。
こんなサービスは他の資料館では経験がなかったので貴重な体験でした。
永井博士が刊行した本(被爆した子供たちの手記を集めたもの)の中の一部をプリントでいただきました。
実際、子供の時に被爆して、それを約4年後に振り返って書かれたものでした。
帰り道に長女に読み聞かせしました。
親や兄弟、友人、先生方が目の前で亡くなっていくのを目の当たりにした子供の
心はどんなだったのでしょう。
涙なしには読めないものでした。
同時に今の平和な世の中、
子供に求めすぎてしまうことが多くなってしまう自分自身に、
「生きていてくれるだけで感謝」
を思い出させてくれました。
長女はどのように受け取ったのか。
時間がなく、今回平和公園の近くの「原爆資料館」は行けませんでしたが
もっと自分で字が読めるようになったら、連れていきたいと思っています。
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