2016年04月27日

晩年のナポレオン

 一八十五年、宿敵イギリスに敗れたナポレオンは、祖国フランスから遠く離れた南大西洋に浮かぶ絶海の孤島、セント・ヘレナ島に流されてはや一年が過ぎようとしていた。この灼熱の島で、部下の数人の将軍たちと共に、イギリス兵の監視のもと、木造の小屋で毎日野菜を栽培したり、運動をしたり、夜は回想録の執筆とそれに大好きな読書などをして過ごしていた。
 ある時、将軍のひとりがベランダの椅子に腰掛けて、熱心に本を読んでいる姿を目撃したナポレオンはそばによって尋ねてみると、
「はい、陛下。子供の本を読んでおりました」と将軍は答えた。
 話によると祖国にいる彼の夫人が、今度、子供の本を出版したということで記念に贈ってきたとのことだった。大の本好きであり、遠征中の馬車の中でも時間さえあれば本を読んでいたナポレオンだったので、すぐにその本を借りると、自室に入って読んでみた。多読で有名であったナポレオンだったが、子供向きの本は読んだことがなかった。しかし、読み進めるうちに、意外と面白く興味が湧いてきた。同時に自分でも書いてみたい衝動にかられはじめた。
 翌日ナポレオンは、その事を昨日の将軍に打ち明けると、匿名により自作の原稿を彼の夫人に送り、批評を受けると共に、出来れば自分の書いた物語を祖国で出版して欲しい旨を伝えた。
 若い頃から自信家で、演説のときにはいつも、『余の辞書に不可能という文字はない』と堂々と公言したり、決断する時には、『じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて進め』と部下に対しても自分に対しても口癖のようにいっていたナポレオンだったので、子供の書物など書けぬわけがないといわんばかりに、翌日から、自室にこもって回想録の執筆と並行して子供の物語を書きはじめた。
 文章は闊達とした折り目正しい美しいフランス語を綴るナポレオンだったが、その意気込みとは反対にどうした訳か思うように筆が進まない。さすがにはじめて書く子どもの話はずいぶんとナポレオンを悩ませた。しかし、数週間後どうにか三十枚ばかりの短篇童話を一編書きあげると、何度も原稿を推敲し、ぶじに完成させることができた。
「やれやれ、ずいぶん骨を折ったがなんとか出来上がった」
 ナポレオンはほっと胸を撫で下ろすと、翌朝、さっそく原稿を将軍に手渡した。
 それから約二ヶ月後、作者宛てに夫人から手紙が届いた。手紙には夫人の批評のほかに、近所の奥さんたちと子供たちの感想も付けてあった。だがその手紙によると、どれも作品に対する反応は芳しくなかった。
 奥さんたちの批評によれば、貴殿の物語は、はなはだ教訓的で、文章も演説口調、説教口調で書かれてあるので、子供たちにはまったく受けないという批評であった。夫人からも、もっと夢のあるお話を期待していると書き加えてあった。
 手紙を読んでひどく失望したナポレオンは、数日間ろくに食事も取れなかった。
「余の物語が子供に受けないとはどういうことだ」
 悩み落ち込んだナポレオンだったが、根っからの負けず嫌いな性格でもあり、いつも困難に立ち向かう時は、『逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されている』ことを思い出し、なんとかこの苦境を乗り切ろうと頑張ることにした。
 翌日から再び指摘されたことを思い出しながら、新しい物語を書きはじめた。だがすぐには直せなかった。子供のお話を書くことがこんなに骨が折れるとはまったく予想外であった。
 ナポレオンは疲れ果ててペンを置くと、部屋を出てベランダの椅子に腰かけた。庭を眺めると、将軍たちが自分たちの部屋に飾るための花の栽培をしている。熱帯地方に育つ、強い香りのする色鮮やかな花々である。鉄条網が張り巡らされた向こう側では、イギリス兵たちがその様子をじっと眺めている。
 ナポレオンは椅子に座りながら、憂鬱そうな様子でぼんやりとそれを見ていたが、やがて、疲労のためかいつの間にかうつらうつらと昼寝をはじめた。しばらくすると、過去の出来事が次々と夢となって現れてきた。それらの夢の多くは、ナポレオンの栄光の時代の思い出だった。
 今から遡る一七九六年、当時の総裁政府の総裁から遠征軍司令官に任命された時、大軍を引き連れてイタリア、エジプトに進撃して勝利を治めた。続く一八〇四年、フランス皇帝に即位した後、祖国フランスを治め、怒涛のようにオランダ、オーストリア、プロイセン(ドイツ)、スペイン、デンマークへ進撃して戦い、一時期イギリス、スウェーデンを除く全ヨーロッパを制圧した。彼にとって夢とは、敵を打ち負かし、世界を制覇することだった。
 その夢を題材にした物語がどうして子供に受けないのか彼には不思議であった。しかし、夢の中に現れたもうひとつの夢が、ナポレオンのそんな疑問を解決することになった。その夢は彼の幼年時代の思い出だった。
 コルシカ島の落ちぶれた貧乏貴族の屋敷に生まれたナポレオンは、幼少の頃から利発な子供だった。ある日、妹のブーリエンヌと一緒に砂浜で遊んでいたとき、突然の夕立にあった。
二人は近くの船小屋へ行って雨を避けた。やがて雨もあがり、二人がまた遊びはじめようとしたとき、砂浜の向こうに七色の美しい虹がかかっているのを見つけたのである。
 そのとき、虹をはじめて見た幼いナポレオンは、その虹をこの手で捕らえたいと思った。そして、その虹を家に持ち帰って、その鮮やかな糸で母親に新しい服をこしらえてもらおうと思った。
それよりも、あの大きな虹を捕まえたら、貧乏貴族の自分たちの暮らしだけでなく、この貧しい島の人々の暮らしをも助けられると思った。
 幼いナポレオンは、丘にかけあがり、虹をつかもうとしたが虹は向こうの丘に姿を移した。それでも幼いナポレオンは虹を追いかけた。しかし虹は、海の向こうに逃げてしまった。幼いナポレオンは、それを見ながらくやしがったが、夕日が沈みはじめたので妹をつれて屋敷へ帰っていった。
 そんな印象深い夢を見て目を覚ましたナポレオンは、これを物語にしようと思った。あのときの虹は捕まえることは出来なかったが、物語の中で虹を捕まえる子供を描こうと思った。
 ナポレオンは部屋に戻ると、すぐに原稿を書きはじめた。すると不思議なことに、筆は進み、あのくだくだしい演説口調、説教口調は影をひそめ、自然にやさしい言葉に変わっていった。
 数週間後、快作の百枚の原稿が完成すると、すぐにナポレオンは将軍の所へ行き、夫人のもとへ送ってもらった。
 それから二カ月後、夫人からの返事が送られてきた。その手紙の批評は、ナポレオンが思っていたよりもうれしいほどに良いものだった。親や子供たちの感想もよく、この作品であれば本国で出版しても国民に十分受けいれられると書いてあった。
 ナポレオンはぜひ出版を希望しますとの返事を書いた。ただし、作者名は必ずペンネームでお願いしたい旨を伝えた。現在囚われの身であり、この作者が本国のもと皇帝だと知られたくなかったからである。
 そのとき以来、ナポレオンは、これまでの権力への野心は少しずつ消えて行った。そして心の安らぎをも感じるようになっていった。
 それからもたびたびナポレオンは、子供の物語を書き、祖国へ送っていたが、六年後の一八二一年の五月、将軍たちに見守られながらこのセント・ヘレナ島でその五十二年の波乱に富んだ生涯を終えたのである。
 ナポレオンの出版した児童書は、「虹を追いかける子供」と題されてその後、フランス国内のたくさんの子供たちに読まれたが、その本はパリ近郊でひっそりと暮らす、最初の妻で、もと皇后だったジョゼフィーヌ・ボアルネの子供たちにも読まれた。
 しかし、その物語を書いた作者が、フランスのもと皇帝で、母親のもと夫だとは子供たちのだれも知らなかった。 

(この作品は架空の物語です)

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(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)









(記事の更新は随時行います)

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2016年04月20日

人魚の子守唄

 その島は、本島からはずいぶん離れた島でした。砂浜は美しく、人々はしあわせに暮らしていました。
島の入り江に一軒の家がありました。その家には、漁師のおじいさんと小さな男の子が暮らしていました。
 ある日、おじいさんが漁から帰ってくると男の子にいいました。
「ぼうや、来てごらん。変わった魚を捕らえてきたよ」
 見ると、網の中に、けがをした幼い人魚の子どもがうずくまってふるえていました。
サメにでもおそわれたのか、からだのあちこちにはたくさんすり傷がありました。
「おじいちゃん、かわいそうだから家で介抱してあげようよ」
 何日かすると、人魚はすっかり元気になり、いつも男の子といっしょに遊びました。
 ある日、おじいさんが漁から帰ってくると、テーブルのうえに、たくさんの貝や魚が置いてありました。男の子にたずねてみると、人魚が海へ取りにいったことをはなしました。
 おじいさんは、それはありがたいことだと喜びました。けれども、おじいさんは、近いうちに人魚を沖へ返しに行こうと思いました。
「人魚はもうすっかり元気になったことだし、自分の家が恋しいだろう。きっと人魚のお母さんも、わが子が帰ってくるのをじっとまっているのにちがいない」
 ある晩、おじいさんは、男の子にそのことをはなしました。男の子はさみしい気持ちになりましたが仕方がないと諦めました。
 翌朝、おじいさんは人魚を船に乗せて沖へと向かいました。人魚はこれからこのおじいさんと男の子と永久に別れることになるとは知るよしもありません。
 やがて、おじいさんは、この人魚を捕らえた場所までやってくると人魚にいいました。
「お前のふるさとはこの海の底だから、気をつけてお帰り。そして、さみしく待っているお母さんの所へもどっていきなさい。もうお前とは会えないが、しあわせに暮らしなさい」
 人魚はそれをきいてとても悲しがりましたが、おじいさんのいうことをきいて、深い海の底へ消えていきました。
 何日かが過ぎました。男の子は、毎日さみしい思いでじっと海を見つめていました。もしかしたら、あの人魚がまたこの浜へもどってくるのではないだろうか。そしてまたいっしょに遊べるのではないか。
 けれども、生まれた海の底へ帰っていった人魚が、ここへもどってくることはなかったのです。
 月日が流れて、男の子はこの島の学校へ通うようになりました。
そして、いつも学校から帰ってくると、浜にきて、きょう習ってきた歌をうたっていました。
 そんなある日のことでした。男の子が浜でうたっていると、海の底から、あの幼い人魚が海面にそっと姿をあらわしたのです。
「あの子が歌っているんだわ。なんてすてきな歌だろう」
 人魚は、耳をすましてじっと聴いていましたが、そのうちに男の子にもう一度会いたいと思いました。けれども、ふと、お母さんのことばを思い出しました。
「お前を助けてくれた人たちは、ほんとうにまれな人なんだよ。大方の人間は大人になると冷酷になるから近づいてはいけない」
 そのことばを思い出すと、男の子のほうへ行くことができないのでした。しかし、人魚は男の子のやさしさを知っていましたから、お母さんのことばを振り切って浜へむかって泳いでいきました。
 海の中から、人魚のすがたを見つけた男の子が喜んだのはいうまでもありません。その日人魚は夕方になるまで、男の子とはなしをしたり、歌を教えてもらったり、たのしい時間を過ごしました。そして、潮が満ちる日には、いつもこの浜で遊ぶ約束をしました。けれども、幼い人魚との楽しい日々はそう長くは続きませんでした。
 ある日のことでした。本島からこの島へ、一隻の大きな貨物船がやってきました。
船が港についたとき、たくさんの船乗りたちが降りてきました。みんな夜になると、島の酒場で毎晩お酒を飲んでいました。そしてよっぱらっては宿へ帰っていきました。
 ある朝、数人の船乗りたちが散歩をしにこの浜へやってきたとき、浜の岩場でひとりで遊んでいる幼い子どもの人魚を見つけたのです。
船乗りたちは、あの人魚を捕らえて本島へ持って帰れば、いい金儲けができると思いました。そして慎重に近づいていくと、人魚を捕らえてしまいました。人魚は泣きながら、船乗りたちに連れて行かれてしまいました。
 しばらくして、男の子が浜へやってくると、悲しげな声が船の方から聞こえてくるので驚いて走っていくと、船に載せられる幼い人魚の姿をみつけました。
 夜になりました。男の子は、船乗りたちが船でお酒を飲んでいる隙をねらって船から人魚を救い出しました。
 そして、すっかり弱りきっている人魚を家へ連れて行きました。
おじいさんは、そんな人魚のすがたを見ると、こころを痛めながら介抱してやりました。そして男の子にいいました。
「お前にもこれでわかっただろう。人魚にとっては海の中が一番安全な場所なのだ。また船乗りたちがやってこないうちに、はやく沖へ返しに行こう」
 おじいさんは、翌朝早く、人魚をつれて海へ返しにいきました。そして男の子にはもう人魚のことは忘れるようにいいました。
 長い年月が過ぎました。
男の子は、りっぱな若者になると、仕事をさがしに島を出ていきました。おじいさんは、若者を見送りながら、本島で仕事をみつけてしあわせに暮らしてほしいと願っていました。
 それから何年かたち、仕事もみつけて、本島でまじめに暮らしていた若者が休暇をもらって島へ帰ってきました。
おじいさんは、久しぶりに若者の元気なすがたを見てたいへん喜びました。
 数日間、ふたりは、いろんなことを語り合いましたが、あしたは島を出て行く日でした。若者は夕焼けを見に、浜へ出てみました。この島で見る夕焼けの美しさは、むかしと少しも変わりません。若者は、ふと、子どもの頃に遊んだ幼い人魚のことを思い出しました。
「あしたはもう本島へ帰らなければいけない。だったら、もういちど子どものときに遊んだあの人魚が暮らす海の沖へ船で出てみよう。もしかしたら、人魚に会えるかもしれない。夜になるまでには時間があるから」
 そういうと、 船をこいで沖へ出てみました。風はなく、静かな波の上をゆっくりとこいでいくと、やがて沖へ出ました。若者は、船の床板に寝転びながら、こころの中でこの深い海のどこかで、あの人魚が元気に暮らしている様子を思い浮かべていました。
 そのうち、気持ちがいいので、うつらうつらと居眠りをはじめました。
やがて、夜空に白い月があらわれて、きらきらと星が美しく輝きはじめた頃、眠りの中で若者はすてきな夢を見ていました。それは、どこからか美しい歌声が聴こえてきて、目を覚ましてみると、むこうのしずかな海の上に、かわいい赤ん坊の人魚を抱いたあのときの幼かった人魚が、りっぱなお母さんの人魚になって、やさしい声で子守唄をうたっている情景でした。
その歌は、若者が子どものときに人魚に教えた歌でした。
 驚いたことはそればかりではありません。あちらの海の方からも、こちらの海の方からも聴き覚えのある歌声がきこえてくるのです。どの歌も、若者があの人魚に教えた歌ばかりでした。
若者は、しばらくそんなふしぎな夢を見ていましたが、やがて目が覚めると、夜も深くなっているのに気づき、浜へ帰ることにしました。
 船をこぎながら、若者はあの幼い人魚がりっぱな母親になっていることを思い浮かべながら、月明かりのしずかな波の上をゆっくりと帰っていきました。
 けれども、さっき若者が見ていたのは夢ではなかったのです。船が浜に近づきはじめた頃、海の底から、子どもの人魚を抱いた母親の人魚が、海の上に姿をあらわしました。そして、悲しげな様子でいつまでも若者がこいでいく船の方を見ていました。
 人魚は、あの若者が船の中で眠っていたとき、じっと船のそばにいて、なんども声をかけようとしたのですが、とうとういうことが出来ませんでした。人魚は船が沖へやって来たときから、すぐにあの若者が幼かった頃いっしょに浜で遊んだ男の子であることを覚えていたのです。
 母親になった人魚は、もう子どものときのように浜へ行ってあの若者と会うことも話すことは出来なくなりました。けれども、自分の子どもが大きくなって、人間のことを尋ねたときは、子どものときの楽しかった思い出を話してあげようと思いました。
  やがて、船は見えなくなりました。人魚の母親もまた海の底へ消えていきました。しずかな夜の海の上には、白い月とたくさんの明るい星がいつまでも美しく波の上に輝いていました。
 翌朝、若者は、おじいさんに見送られてこの島から出て行きました。


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(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)









(記事の更新は随時行います)
       

2016年04月13日

あの花はどこへ行った

 野原に咲いている花が、みんなお日さまが大好きだとだれもが思っていますが、そんなことはないのです。
小川のほとりに咲いているタンポポの花なんか、一日中、お日さまの日差しが強いので、いつも文句をいっていました。
「やれやれ、きょうもこの日差しだ。もう喉がからからで仕方がない。はやくひと雨ほしいところだ」
近くの木陰では、なかまのスミレの花たちが涼しそうに咲いていました。
「あそこはいいな。おれもあんな場所で咲きたかったな」
強い日差しは、そのあともつづき、タンポポの花たちはみんなぐったりしていました。ときどき友達のモンシロチョウやミツバチがやってきて声をかけてくれます。
「みんな元気がないな。こんなに気持ちのいい日なのに」
「そんなこといったって雨が降らないからどうしようもないよ。もう一週間水を飲んでいないんだから」
暑さでぐったりしているタンポポの花たちは、そんな不平をいっていました。
 ある日、小川の向こうから人がやってきて、タンポポの花を何本か摘み取っていきました。
あるとき、目をさましたタンポポの花は、まわりの景色を見渡しておどろきました。
「ここはどこだろう」
そこはエアコンのよくきいた涼しい部屋の中でした。たんぽぽの花は、花瓶の中に入れられて眠っていたのです。茎の下から冷たい水があがってきて、ものすごく気持ちがいいのです。
「まるで天国だ」
タンポポの花はうれしそうに、きょろきょろと部屋の中を眺めてみました。
部屋の壁には、絵がたくさん飾ってあって、絵描きさんの家のようでした。部屋のすみには、イーゼル、絵の具箱、筆、ペインティングオイル、キャンバスなどが置いてありました。
しばらくすると、となりの部屋からピアノの音が聴こえてきました。
この家の人は絵描きでしたが、趣味でピアノも弾くのでした。タンポポの花は、毎日絵を眺めたり、ピアノの音を聴いたりしながらこの家で暮らすことになったのです。
 ある日、仲間のモンシロチョウとミツバチが、ピアノの音を聴きつけて、この家の開いた窓から部屋の中へ入ってきました。
花瓶に入れられたタンポポの花を見つけるとすぐに声をかけました。
「やあ、こんな所にいたのかい。みんな君のことを心配していたよ」
「そう、でもここはまるで天国だよ」
「じゃあ、みんなにそのことを話しておくからね」
モンシロチョウとミツバチはしばらくこの部屋に居ましたが、やがて帰って行きました。そして、その後もときどきこの家にやってくるようになりました。
タンポポの花がいうように、ここは日差しの強い原っぱとくらべて、ほんとうに居心地がいいのでした。
 夕方になると、いつも花瓶に冷たい水を入れてもらえるので、ぐったりすることもありません。
毎日午前中に、この家の人はこの部屋へ入ってきて絵を描きました。花の絵を好んで描きました。いま製作中の絵は、友達の娘さんにプレゼントする絵でした。
 絵を描き終わって午後になると、決まってピアノを弾きました。そのピアノの曲は、いつも楽しい空想をかきたててくれました。
「月の光」という曲を聴いたとき、ほんとうに原っぱで毎晩見ているような、美しい月の情景が心の中に見えてきました。キラキラと明るい月の光が野原や小川の水面にふりそそぎ、本当に幻想的な世界が感じられるのです。
「水の戯れ」という曲を聴いたときも、小川の淵をゆったりと流れている水の様子や、流れの早い場所で岩にぶつかりながら、勢いよく流れている水の様子などもよく描かれていました。
 ある日、そんな情景をこの絵描きさんは、大きなキャンバスで描き始めたのです。はじめに木炭でデッサンをすると、色を塗りつけていきました。それは美しい月夜を描いた絵でした。
 静かな野原には、透きとおった小川が流れ、そのほとりには、タンポポの花やスミレの花などが丹念に描かれました。絵描きさんは、花瓶に入れてあるタンポポの花を見ながら描いていきました。
 製作はひと月くらいかかりました。ようやく絵が完成しました。でも、タンポポの花はしだいにしおれていきました。
「ああ、おれの寿命もこれでおしまいか」
タンポポの花は、やせ細っていきましたが、絵の中には美しい花として描かれているのです。
 ある日、いつものモンシロチョウとミツバチが遊びにやってきました。でも、花瓶にはタンポポの花はいませんでした。
 けれども、部屋のすみに立ててあるイーゼルの上のキャンバスには、月の光を浴びて気持ち良く眠っているタンポポの花が美しく描かれていました。


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(未発表童話です)








(記事の更新は随時行います)



2016年04月06日

ある日のモーツァルト

 幼い頃から神童と呼ばれたモーツァルトにも、ぜんぜん曲が書けない日があった。そんな時の父親のあわてようといったらなかった。
「ウオルフガングや、いったいどうしたというのだ。今日も一曲も書いていないじゃないか。来週のオーストリア皇帝陛下のお誕生日に披露する、バイオリン・ソナタの作曲は間に合うんだろうな」
 父親レオポルトの心配そうな顔を見ながら、ピアノの前で頭をかかえている十二歳のモーツァルトは、寂しげな様子でじっと鍵盤を眺めている。
父親のそばで、さっきから本を読んでいる姉のナンネルも、じっと黙りこんでいる。
 やがて、モーツァルトは、父親の方を見ると、静かな口調で呟いた。
「お父さん、午後から馬車に乗って、ドナウ川のほとりを散歩してきます。美しいウィーンの町並みを、一時間も見れば、自然と楽想が湧いてくると思います。僕は陰気な部屋の中ではどうも作曲がうまく出来ないのです」
 昼食を済ませると、さっそくモーツァルトは馬車に乗って午後の散歩を楽しんだ。軽快な馬の蹄の音を聴きながら、馬車の窓から身を乗り出して、変わりゆくウィーンの町並みを眺めていると、やがて明るい調子のメロディが浮かんできた。
規則正しい、蹄のリズムに合わせて、やがて音楽の神が、この純真無垢で感性豊かな少年に、天国からの素敵な贈り物を届けはじめたのだ。
 少年モーツァルトは、すぐさまそれを五線紙に書き写していった。まるで澄んだ泉の水が絶え間なく湧くように、すらすらと音符が埋まっていった。
 流れるドナウ川のせせらぎの音、町の公園から聞こえてくる子供たちの笑い声、小鳥たちのさえずり、そして風の音。それらの音が、この少年の音楽に色どりを添える。
 やがて、三楽章形式のバイオリン・ソナタは、午後の散歩の時間にすっかりと出来上がってしまった。
幼い頃から馬車にゆられ、いろんな国に演奏旅行へ出かけていったモーツァルトの音楽は、馬の蹄のリズムのように快活で、移り行く馬車の窓から見える美しい風景のように色彩豊かだ。
 家にもどったモーツァルトは、心配そうに待っていた父親に、出来上がったばかりのバイオリン・ソナタの楽譜を渡し、すっかりとみんなを安心させたのだ。


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(自費出版童話集「白馬の騎士とフリーデリケ」所収)

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