2017年03月03日

山のアトリエ

 そのアトリエは、人里離れた山の湖のほとりにありました。周囲は深い森におおわれて、民家はなく、その小屋だけがただ一軒寂しく建っていたのです。
 夏は涼しくて居心地がよかったのですが、冬は寒さのために湖の水は凍って、周りの草地は雪で一面覆われていました。
 この土地の人たちは、そのアトリエにどんな人が住んでいるのか誰も見たことがありませんでした。でもただひとり、夏のある日、アトリエの近くを通った村の木こりが、窓ごしに小屋の中で絵を描いている若い男を見かけたことがありました。
 はっきり見えなかったのですが、アトリエの中にもうひとり誰かいるようでした。モデルだと思いますがよくわかりません。
 そんな奇妙なアトリエでしたが、どうしたわけか、ときどき町から人がやって来ることがありました。
 その人たちは町の画商で、絵を売って商売をしている人たちの間では、このアトリエのことがいつも話題になっていました。だれもが欲しがるような絵がここで描かれていたのです。ときどき出来上がった絵を売りたいという手紙が画商のもとに届きました。
 ある冬の日のこと、ひとりの画商がこのアトリエを訪れました。小屋はシンプルな木造二階建ての建物で、小屋の周りには柵はなく、庭は雪に覆われていました。
 画商は、小屋の玄関までやって来ると、手紙に書かれてあるとおり、玄関のドアを開けて中に入りました。画商が来るときは鍵が開いているのです。すぐ向こうに居間があり、中央のテーブルの上に、布でくるんだ何枚かの絵が置いてありました。そばに手紙が添えてあります。
(お約束の絵、2枚が出来ております。お持ち帰り下さい。代金をテーブル上に置いて下さい)
手紙にはそう書かれてありました。
 画商は持ち帰る前には必ず絵を確認しました。布をほどくと、中から美しい色彩の絵があらわれました。
「さすがに見事な絵だ。この絵もきっと高い値がつくだろう」
 画商は丁寧にその絵を鑑定してから、代金の入った封筒をテーブルの上に置きました。それからまたその絵を布でくるんで、この小屋から出て行きました。
 ある年の冬にも町から別の画商がやってきました。
その画商もこのアトリエで描かれる絵に強い関心を持っていました。手紙を受け取ったときは、飛びあがって喜びました。
 ある日、画商はこのアトリエを訪れました。
玄関のドアを開けて中に入ると、テーブルの上に絵が置いてありました。
布をほどいて、絵を確かめました。
「うわさには聞いていたが、なんという美しい絵だ」
その画商も、絵を長い時間眺めていましたが、約束の代金をテーブルの上に置くと小屋を出ることにしました。画商はふと、アトリエの中を見てみたい衝動に駆られました。
「どうせ、家主は留守だ。アトリエを覗いても見つかりはしないだろう」
小さな小屋です。たぶんアトリエは二階でしょう。玄間のすぐ横に階段があります。
画商は階段をのぼっていきました。ドアの前に立ちノブを握りました。
「幸運だ。鍵がかかっていない」
そっとドアを開いてみました。
 部屋の中はカーテンが下りていて暗かったのですが、部屋の様子はなんとか分かりました。8畳くらいの広さの部屋で、中央にイーゼルが置かれ、その上に、布をかぶせた一枚の大きなキャンバスが載せてありました。その周囲には、絵具箱、絵筆、ナイフ、パレット、ペインティングオイル、薄め液、デッサン用の木炭などが置かれた棚がありました。
「製作中の大作かな、どんな絵だろう」
 画商はそっと布をめくってみました。その絵は、深海の中を描いた絵でした。いいえ、深海ではありません。湖の中の様子を描いた絵なのです。
 職業柄、画商はいろんな絵を観てきましたが、こんなにリアルに湖の中の様子を描いた絵を見たことがありませんでした。
 画商は、ある推理をはじめました。
「自分の想像だが、この小屋の絵描きは人間ではなく、この湖に住んでいる人魚ではないだろうか。男の人魚がいるかどうか知らない。いや、それとも魚かもしれないな。ここを訪れるほかの画商たちに聞いても、手紙をくれるのはいつも冬だと決まっている。だとしたら、いまは湖の中で暮らしているのだ。いや、氷が張っているので外には出られないのかも知れない。そして夏になると、このアトリエで絵を製作するんだ」
 画商はそんなことを想像しながら、この絵がぶじに完成することを期待して小屋から出て行きました。
 長い冬が終わって、湖の氷も解けてしまうと、山の小鳥の囀りがあちこちから聞こえはじめ、山の草木もきれいな花を咲かせました。湖には白い雲が映ってそれは見事な眺めです。
冬の間、氷に閉じ込められていた魚たちは水面まで上がってくると明るい太陽の光を浴びました。
 その中に、春が来るのをじっと待っていた一匹の魚が水面に上がってくると、勢いよくそばの草の中へ飛び込みました。小鳥たちがそれを観ていましたが、草の中なので何をしているのか分かりませんでした。
 その夜からです。いつもは真っ暗だったこのアトリエに明かりが灯もるようになったのは。アトリエにはひとりの若者がいて、昼もほとんど外にも出ないで絵を描いていました。その絵は、去年の夏から描きはじめた湖の底にある神秘的な御殿の庭を描いた絵でした。
 御殿の壁や屋根は金色に塗られ、御殿の庭では人魚たちが戯れていました。東屋の椅子には、お姫さまと侍女が腰かけて、琵琶によく似た楽器を手にした楽人の演奏に静かに耳を傾けていました。この部分はまだ下描きのままで残っていました。
「明日は、お姫さまがここへいらっしゃる。そしたら、この下描きの部分を完成させよう」
 翌朝のこと、若者は、湖のほとりで立って、御殿から上がって来るお姫さまを待っていました。
 しばらくしてから水面に泡がつぎつぎと出来ると、やがて水の底から黒髪が見えました。水面にお姫さまの姿が現れ、そばの草の上に立ちました。 
「ようこそ、お出でくださいました。さあ、こちらへ」
 若者に案内されて、お姫さまは小屋まで歩いて行くと、二階のアトリエに入りました。
制作中の絵を観ながら、にっこりとほほ笑むと、窓辺に置かれた椅子に腰かけました。
 若者は、パレットと絵筆を持つと描き始めました。ときどき細目の筆に持ちかえたり、小型のナイフを使ったり、下描きの部分を塗り付けていきました。
 その日は夕方近くまで製作しましたが、お姫さまも疲れたようなので続きは後日にしました。
 絵の完成は秋になる予定です。その絵を世の中のたくさんの人たちに観てもらうのがこの絵描きにとってなによりの喜びでした。
「世の中にこんな夢のようなところがあるのか。何処にあるのだろう。一度は行ってみたいなあ」
そんな会話が人々の口から聞えてくるのが何よりの楽しみでした。
 お姫さまはときどきアトリエにやってきてはモデルになりました。 
 絵の制作は夏の間も続き、この大作は次第に完成されていきました。
 夏の間、若者は、月が美しく輝く夜には、ひとり湖畔を散歩するのが日課でした。
水面を観ながら、絵のことなど考えていましたが、その美しい情景とは似合わないような恐ろしい記憶がよみがえって来ることもありました。
 今から十年も昔のことです。
 都会の美術学校で絵を学んでいた若者は、ある日、同郷の幼馴染みの同級生に、山へ写生に行かないかと誘われたのです。同じ海の土地で育った二人だったので、以前から山の風景にはあこがれを持っていました。
 二人は、夏休みを利用して、絵を描く道具と画用紙を背負ってこの山へやってきました。
この小屋は当時から建っていましたが、誰の持ち物でもなく、その小屋に一週間ほど滞在して毎日絵を描きました。
 最初の日は、二人とも仲良く絵を描いていましたが、ときどき同級生の筆が止まることがありました。同級生は、自分の絵が妙につまらなく思いました、それに比べると、友だちの絵はなんと生き生きとした線と色使いで描かれているでしょう。才能の違いがはっきりと分かるのです。
 子供の頃も同じことを思っていましたが、美術学校で本格的に絵を勉強するようになってからは、その違いははっきりしてくるばかりでした。友だちの絵は教授たちの間でも大変評価が高く、権威のある美術展にたびたび推薦されました。郷里に帰っても、友だちの絵の評判ばかりで、幼馴染みの彼の絵などはまったく問題にもされず、友だちを妬む気持ちが強まるようになりました。
「この男が親友では、自分は永久に絵が描けなくなる」
 そんな強い嫉妬に駆られているうちに、恐ろしい考えが頭をよぎりました。
 ある日、二人で絵を描いている最中に、後ろから友だちを湖の中に突き落としたのです。海の土地で育った友だちでしたが泳ぎは得意ではなかったので、水面に沈んだまま姿を現しませんでした。
 友だちを殺してしまった同級生はすぐに山を降り、そして二度とこの山へは戻ってきませんでした。この事件は長く解明されないままになりましたが、死んだはずの友だちが誰かによって幸いにも助けられたことをその同級生は知りませんでした。それはまるで夢のようなことでした。
 湖の底へ沈んでいった若者は、湖の御殿に使える侍女に助けられました。意識を取り戻して、しばらく御殿で生活して、やがてお姫さまに使える魚になったのです。
 逃げて行った同級生は、学校を卒業したあと、プロの絵描きになりましたが、やはり二流の腕しかなかったので、絵も思うようには売れませんでした。
 あるとき、絵の仲間から、新進の凄い画家が現れた噂を聞きました。すぐにその画家の美術展を観に行きました。そしてその画風に見覚えがあるので大変驚きました。
「そんなはずはない」
 食い入るように絵を観ましたが、その画風はやっぱりあの友だちの絵に間違いないのです。死んだはずの人間の絵がどうしてー。
 その友人は苦悩しながら、何年か後には絵を描くことを完全にやめてしまったのです。
 秋が過ぎて、やがてこの山にも冬がやってきました。雪が山を覆い隠し、湖の水は厚く凍りました。翌年になるとすぐに、去年ここを訪れた画商がこの山へやってきました。大作の絵を売りたいという手紙を受け取ったからです。
「とうとう出来たのか」
 画商はその絵を非常に期待しました。最近ではこの絵描きの絵が高額の値段で売買されており、大作であれば相当の値が付き、大きな利益が出るからです。
 懐かしい小屋のドアを開けると、居間のテーブルの上に大きな絵が布にくるんで置いてありました。
 画商は、大急ぎで布をほどいてみました。そして食い入るように観ながら、
「見事だ。期待していた以上の絵だー」
しばらの間ただ嬉しそうに絵に見入っていました。



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(未発表童話です)



2017年02月22日

風邪をひいたお月さま

 お月さまはすっかり風邪をひいてしまったのです。顔色も悪いのです。
「だれか風邪薬をくれないか」
 町を見下ろすと、薬局が見えました。
「お金がないから買えないな」
考えていると、冷たい風が足元でヒューヒューと吹きました。
アパートのベランダに洗濯物が干してあります。
「冬が近いから、なかなか乾かないんだなあ」
そのとき思いつきました。
「そうだ、あのマフラーをすこしのあいだ借りよう」
お月さまは、思い切り腕を町の方へのばしました。そしてベランダに干してあるマフラーをつかんで、スルーと腕を戻しました。
「やったあ、これで今夜は暖かく過ごせる」
 朝になって、アパートの人が、なくなったマフラーを一日中さがしていました。
あるときは、コートが欲しくなりました。
 町を見下ろすと、一軒の家の庭に毛皮のコートが干してあります。
「あれも借りよう」
腕を思いっきりのばしました。
「やったあ、今夜はこれを着て過ごそう」
お月さまはニコニコ顔です。
 それがくせになって、お月さまは、寒い日にはあちこちの洗濯物を借りていきました。
 町では、たびたび洗濯物がなくなるので大騒ぎです。
犯人が見つからないので、お日さまも疑われました。
「わしは、やっとらん」
お日さまは怒っていいました。
 真冬になりました。星がシャーベットのように冷たくキラキラと光っていました。
「ああ、今夜はとくべつに冷える晩だな。また風邪をひきそうだ」
お月さまは、町を見渡すと、マンションのベランダに今度は布団が干してあります。
「ああ、あれがいい」
また腕をうーんとのばすと布団をつかんで腕を戻しました。
「やったあ、これで今夜はポカポカだ」
すっかり満足して、その夜はぐっすり布団にくるまって眠りました。
あまりぐっすり寝込んだので、起きたのは昼でした。
町の方から、声が聞えて目が覚めました。
「犯人はお月さまだー」
急いでお月さまは雲の中へ隠れました。


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(オリジナルイラスト)

(未発表童話です) 



2017年02月17日

コウモリになったこうもり傘

 古くなってすっかり破れてしまったこうもり傘がこの世の最後に空を飛んでみたいと思いました。
そこで、木の上でさえずっている小鳥たちのところへ弟子入りに行きました。
「飛び方を教えてください」
「むりだね。羽がないもの」
断られて、次にいったのは、ムササビのところでした。
 ここでも断られて、次に行ったのはニワトリのところでした。
「飛び方を教えてください」
ニワトリは反対に、
「おれもそれが知りたいんだ」
と反対にたずねられました。
 最後にいったのはコウモリのところでした。
洞窟の中でスヤスヤ眠っていたコウモリは起こされて嫌な顔をしました。
「弟子にしてください」
「むりなはなしだな」
 そのとき冷たい風が吹きました。洞窟の中はひんやりしました。
「ああ、寒い。コートがほしいな。そうだ」
コウモリは傘の布を半分ちぎってからだに巻きつけました。
「これで大丈夫」
「飛び方を教えてくれるんですね」
「そうだよ、いまから食事をしに行くから、しっかりつかまってろよ」
 そういって洞窟から暗い森の中へ飛んで行きました。


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(未発表童話です)





2017年02月07日

灯油くんの話

 ホームセンターの地下タンクの中でスヤスヤ眠っていた灯油たちが、ある朝、大きな音で起こされました。
みんな眠気眼で、
「ああ、うるさいな。こんなに朝早くからどこへ出かけるんだ」
給油口のふたがはずされて、ホースが差し込まれ、グイーン、グイーンと吸い上げられていきます。
タンクの外に出た灯油たちは、何台かのミニローリーのタンクに入れられました。
「今日の分はこれで全部だ」
配達員は走り出しました。
 国道を走りながら、町のあちこちの家々を回って行きます。各家のお風呂のボイラータンクや、ポリ容器に次々と灯油を入れていきます。
 ミニローリーの一台は、町からずいぶん離れた、山の家を回っていました。
灯油を積んでいるので、グイーン、グイーンとエンジンを全開にして登って行きます。山の上には別荘がたくさんあるので、全部回るのに一日かかります。
 昼から、雪が降りだしてきました。
「ああ、天気予報じゃ、雨か雪だっていってたのに、山はやっぱり雪だな」
配達員は心配そうです。
 夕方になると、雪は本格的に降ってきました。雪のせいで1メートル先もよく見えません。
「困ったな、まだ10軒あるのに」
しまいに猛吹雪になって、まったく先へ進めなくなりました。タンクの中の灯油たちは、寒さのためにみんなガタガタふるえています。
「ああ、早く、ボイラーの中へ入りたいな。あの中は暖かくて気持ちがいいから」
 時間が経ってから、少し雪は弱まってきました。山道の向こうの方で、別荘の照明が付きました。すると、そのとなりの家の照明も付きました。
「よかった、あの家だな」
配達員は、残りの家に向かいました。積雪が増えているので、アクセルを思い切り踏み込んで先へ進みました。
そして、家のボイラータンクに灯油をいっぱい入れました。
「終わった。これで店に帰れる」
配達員は山を降りて行きました。
 もう一台のミニローリーは海辺の村を回っていました。海から雪まじりの物凄い強風が吹いていました。タンクの中の灯油たちは、車酔いと寒さのために死んだようになっています。
「ああ、早くファンヒーターの中に入りたいな。ぐんぐん燃やされて、冷たい液体から暖かい空気になって一晩中ゆっくり過ごせるから」
 ときどき冷たい海水が風に飛ばされて車体に当たったりしました。港に停泊している船なんか踊り狂ったように揺れています。
配達員は、海水がウインドーに当たるたびに、ワーパーを動かしました。
「残りあと5軒だ」
 日が暮れかかった頃、やがて目的の家が見えてきました。
家の窓から住人が見ています。
「よかった来てくれた、灯油が切れて困ってたんだ」
ポリ容器に、灯油を入れてもらって、家の人は喜んでいました。
ミニローリーが帰ったあと、灯油たちはファンヒーターのタンクに入れられて、ぐんぐん燃やされました。
 暖かい空気になった灯油たちは、やっと元気を取り戻しました。


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(未発表童話です)




2017年01月27日

バッハの毎日

 ヨハン・セバスチャン・バッハが、ライプチッヒのコレギウム・ムジクムの指揮者を兼任しながら、教会音楽家として作曲活動に打ち込んでいたのは一七六二年のことである。生涯に二度結婚したバッハであるが、子供の数も二十人と多かった。しかし幼時死亡率が高かった昔のことだったので、実際に生き残ったのは十人である。特に、バッハの作曲活動の旺盛だった四十歳から五十歳にかけては、小さな子供たちの面倒をみながらの慌しい毎日だった。
 教会から依頼された数多くの教会カンタータを作曲中、子供たちが部屋に入ってきては仕事のじゃまをするのが常だった。仕事部屋には作曲用のクラヴィアが一台置かれ、バッハは、その前に座って朝から夕方まで仕事をしていたが、隣の部屋から聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声と子供用のチェンバロの調子はずれの音にはいつも悩まされた。しかし、もともと社交的で、頑固ではあったが、明るい性格でもあったバッハは、子供たちの騒々しさにも我慢して熱心に作曲に励んでいた。
 バッハにはミサ用の教会カンタータのほかに、世俗カンタータとよばれる作品がある。こちらの方は、かえってにぎやかな環境の方がよいこともあった。当時、ライプチッヒの町ではコーヒーを飲むことが流行った。バッハはこれにヒントを得て、「コーヒーカンタータ」といわれる楽しい音楽を書いた。ほかにも、友人の娘たちの結婚を祝っていくつもの「結婚カンタータ」を書いている。どちらも、大変ヒットしたのであるが、やはりバッハにはバッハらしい厳格な宗教音楽を求める声が多かった。
 バッハも妻のマグダレーナに、「神は、崇高なものを求めておられる」といって、一方で気まじめな音楽を書き続けていた。けれども、厳格で崇高な宗教音楽を書くには、このような環境の中ではやはり無理があった。
 バッハが四十一歳の時に心血を注いで書き上げた最高最大の傑作といわれる「マタイ受難曲」の作曲のときは、とうとう家の中の騒音にたまりかねて、町の静かな教会に足を運んでコツコツと作曲を進めたのである。新約聖書の「マタイ福音書第26、27章」をテキストに、イエス・キリストが、十二使徒の中のひとりユダの裏切りによって十字架を背負い、ゴルゴタの丘で磔(はりつけ)にされ処刑される顛末を描いたこの崇高な宗教音楽は、演奏時間に3時間を要する大曲であり、バッハは御堂のオルガンを弾きながら、キリストと共にその苦しみを味わいながら、毎日精魂を傾けてペンを進めていた。
 ところが、ある日、出来上がった部分を家で手直ししていたとき、数枚楽譜が見当たらなかった。その部分は、十字架に磔にされたイエス・キリストが苦しみの中で息絶える、この曲の重要な部分だった。バッハは慌てふためきながら、部屋中を探しまわった。しかし、いくら探しても見つからなかった。もしやと思い、子供部屋へ入って探してみることにした。子供たちは遊びつかれてみんな昼寝をしていた。バッハは、散らかしほうだいの子供部屋を丹念に調べていった。すると、ゴミ箱の中に、楽譜らしき物が丸めて入っている。取り出してみると、まさしく探していた楽譜であった。
「よかった。よかった。見つかった」
 バッハは、ほっとため息をつくと、楽譜を取り出し、しわを伸ばしてみた。すると楽譜の裏面にはパステルで、ガチョウとアヒルの絵が描かれている。労作の「マタイ受難曲」の楽譜に子供たちの落書きが描かれていたことは後世には伝えられていない。
 そんなこともあってか、バッハは宗教音楽を書くときは、もっぱら教会の中で作曲することにしていた。バッハは美食家であり、同時に大食漢だった。腹八分目で済ますことはなく、いつもお腹いっぱい食べていた。そしてすぐに横になると、大きないびきをかいて朝まで眠る習慣だった。子供の頃からそんな癖だったので、子供のときから肥満児だった。だから仕事は明るいときだけに限られていて、バッハの多くの作品に明るさと健康さがあるのはそのためだった。
 五十歳を過ぎると、バッハの子供たちは成長し、大部分が自分と同じように音楽家になった。バッハ家ではそれが当たり前だったが、彼はそれを喜ぶと同時に、静かになった環境の中で、新しいジャンルである器楽曲とオルガン曲の作曲に打ち込んでいた。
 数年後のある日のことだった。未知の外国の貴族から一通の手紙がバッハ宛に届いた。手紙を開いてみると、ドレスデン駐在ロシア大使カイザーリンク伯と署名がされている。手紙を読み始めたバッハは、その文面があまりに深刻なので思わず息を詰まらせるほどだった。

―拝啓、ヨハン・セバスチャン・バッハ殿

 貴殿の作品は、昔から興味を持って拝聴しております。特に崇高な宗教音楽においては、従来のどんな音楽家の作品よりもすぐれたものと確信しています。あなた様のような才能豊かな方とお知り合いになることができればどんなに幸せなことだろうと思っています。さて、私事、数年前から駐在大使として、この国で公務に励んでおりますが、日に日に公務が多忙を極め、激務のためか最近不眠症がひどくなる一方で、医者通いを続けております。医者の話では、なにか心安らぐ音楽を聴くのが最良の方法であると教えられ、ならば才能ある音楽家にそのような作品を書いてもらい、召し使いの演奏によって疲労した心を癒し安眠することを勧められました。はなはだ不躾なお願いとは思いますが、どうかお引き受け下さるようお願い致します。―

 面識のない、そのロシア大使の手紙を読んだバッハは、気の毒に思うと同時に、自分も昔騒々しい家の中で、幾度か不眠症に悩んだときのことを思い出した。
「よおし、この依頼主のために、心安らぐ音楽を書いてあげよう」
 幸い子供たちはみな、成人になり、多くは自分と同じ音楽家になってよその町で暮らしている。家の中はいつも静かで落ち着いた気分で仕事ができるのだ。
 翌日からバッハは、クラヴィアの前に座って朝早くから作曲をはじめた。ところが意外なことがおこった。ちょうど、夏の頃で、子供たちがみな里帰りにやってきたのだ。半分は子供がいるので、またまた家の中は子供たちの騒々しさで思うように仕事ができなくなった。
 仕方なく町の行きつけの教会で仕事をすることにしたのだが、教会のオルガンは現在取り替え中で使えなかった。しかし、バッハは、騒音と戦いながらも作曲を続け、一ヶ月後にはみごとな作品を完成させたのである。曲名は、「アリアと三十の変奏曲」。チェンバロ又はクラヴィアのための作品で、現在では、「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれている名曲である。バッハは自信に満ちた気持ちで、翌朝、依頼主に浄書楽譜を送った。
 それから、一週間後のことである。依頼主のロシア大使からの手紙が送られてきた。バッハはさっそく手紙を開いて読んでみた。しかし、その文面はバッハが予期していた内容とはまったく違っていた。

―拝啓、ヨハン・セバスチャン・バッハ殿

 数日前、確かに作品を戴きました。どうもありがとうございました。さて、作品を聴かせて頂きまして、大変充実したすばらしい作品であると感じました。規模の大きさといい、品格といい、文句のつけようのないすぐれた音楽であると思います。しかし、私が願っている音楽とはどこか違っているようです。私は、もっと安らかな音楽を期待しておりましたが、全曲は明るく、にぎやかな部分が多く、(静かな部分は最初と最後のアリアの部分だけ)で、とても眠りにつくことが出来ません。この曲では不眠症は治らないような気がします。ほかの音楽家の方、ヘンデルさんか、ヴィヴァルディさんにお願いするつもりでいます。無理をお願いしまして申し訳ありませんでした。では失礼いたします。今後ともあなた様のご活躍とご健康をお祈り致しております。
ードレスデン駐在ロシア大使伯爵 W・Tカイザーリンク拝。

 手紙を読み終わったバッハは、がっくりと肩を落とすと部屋のソファーに寄りかかった。
「そうだった。わたしは勘違いをしていた。依頼主は静かな音楽を求めていたのである。私は子供たちの騒々しさに負けないような曲を書いていたのだ。力作であることは間違いないが、心休まる曲ではなかった」
 バッハは、カイザーリンク伯に申し訳ないことをしたと思うと同時に、早急に別の曲を贈り届けることにしたのである。
 幸い、行きつけの教会のオルガンの取替え工事もおわり、静かな環境の中で落ち着いて仕事ができる。その日の午後、さっそく騒々しい家から抜け出したバッハは、五線紙と筆記用具を携えて、教会へ走っていった。そして、異例ともいえるもうスピードで曲を完成させ、ロシア大使館で激務にさらされている依頼主に曲を贈ったのである。
 その曲の感想についてはバッハのどの伝記を読んでも書かれていないが、その後カイザーリンク伯とバッハは親友になったといわれるから、おそらく依頼主は送られてきた曲に満足したものと思われる。


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(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)



2017年01月16日

まわる男の物語

 その男には不思議な能力がありました。回るものをみてると身体もいっしょに回るのです。朝、顔を洗いに洗面所へ行き、蛇口をひねっただけで身体も回るのです。
目覚めにコーヒーを入れて、スプーンでかき混ぜていると、身体も回るので、身体が壁にぶつかって仕方がありません。
 外に出ると、もっといろんな回るものがあるので大変です。走っている自動車のタイヤ、自転車のタイヤ、遊園地のメリーゴーランド、風力発電用の風車、気象台の風速計など。だからいつも下を見て歩かないといけません。
 でも便利なこともありました。空を飛ぶことが出来るのです。昨日も、雲の上まで散歩に行ってきました。
 男の家の洗濯機は外に置いてあり、シートがかぶせてあります。洗濯するときは蓋をして回さないといけないのですが、空を飛ぶときは、蓋を外してじっと中を覗き込みます。
 しばらくすると、ふんわり身体が浮き上がってきます。手首と足首を内側に曲げると浮力で上まで登って行けます。まるで竹とんぼです。
「そうだ、もっといい方法があるぞ!」
 ある日、玩具店でモーターで動く小型の扇風機を買ってきました。それを両手に持って、じっと観ながら回転して、空の散歩に出かけました。
 風に流されるまま、どこへでも飛んでいきました。鉄塔や電信柱に注意さえしていれば、どこへでも飛んで行けるのです
 あるとき、山のてっぺんに登って、岩の上で缶コーヒーを飲んでいると、後ろから日本の山にはいないと思っていた毛むくじゃらの雪男が立っていました。
「あんた、どこからやってきたんだ」
 一瞬男は身構えましたが、雪男は親切で、洞窟の住み家へ案内してくれました。洞窟の中は意外と暖かく、中で雪男手作りのイノシシの肉やシカ肉、熊肉、山菜などが入った鍋を一緒に食べながら、いろいろ話をしました。
 雪男はどこで見つけてきたのか、携帯ラジオを持っていて、いつも天気予報や世の中のニュースなどを聞いていました。
 昔は、ヒマラヤに住んでいる親戚の雪男たちが、テレビのリポーターや新聞記者たちに追いかけ回される話題があって、自分も用心しないといけないと思っていましたが、最近では、そんなニュースはまったくなく、雪男の存在も忘れられてしまい退屈しているといっていました。
 最近は、アメリカの大統領選挙のことや、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領のスキャンダルなんかを興味を持って聞いているそうです。ご馳走になったあと、帰りに記念写真を撮ってきました。
 あるときは、冬の季節に分厚いジャンバーを着て山へ出かけたこともありました。
山の湖でイササギ釣りをしている人を見に行ったのですが、帰りにジャンバーがかちかちに凍って、身体が重くなって、氷の壁で一夜泊まったこともありました。
 ほかに何度も空飛ぶ円盤と間違えられて、UFOマニアや新聞記者に追いかけられたこともありました。
 一番、印象に残っているのは、鳴門の渦潮を見に出かけたときのことです。
大鳴門橋(おおなるときょう)までやってきたとき、海がぐるぐると渦を巻いていました。
「これが、鳴門の渦潮か」
 ふと、昔、読んだ、エドガー・アラン・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」を思い出しました。漁に出かけた漁師が嵐の日に、渦潮に飲み込まれる物語でした。
 渦潮にばかり気を取られて、身体が下の方へ降りて行きました。
「まずいー!」
思った瞬間、もう遅かったのです。海の中に引き込まれて、渦と一緒に身体が回りはじめました。
海の水は冷たいうえに、息もできません。
「ああ、もう、だめだー」
男は、観念しました。次第に意識が遠くなってきました。
 長い時間が経過しました。
ふと、男は意識を取り戻したのです。そこは、奈良時代か、平安時代の貴族の住居のようでした。襖の絵は見事で、屏風も置いてあり、丸窓から庭の様子がよく分かりました。庭の中ではヒラメやカレイがのんびり泳いでいました。男は、美しい刺繍を施した布団の中で眠っていたのです。
 しばらくしてから、巫女のような装いをした若い女性がやって来て、すっかり目覚めた男に、
「こちらへどうぞ」
といって、どこかへ案内してくれました。廊下を歩いて行くと、突き当たりにりっぱな扉があり、扉の向こうから、賑やかな声が聞えてきました。
 巫女に扉を開けてもらうと、中は広い大広間で、たくさんの来客が来ていて、みんな食事をしながらお酒を飲んだり、ルーレットのようなゲームをしたり、中央のステ−ジでは踊り子が芸をしていました。
「もしかして、ここは竜宮城?」
 ドラが鳴り響き、乙姫さまが、家来を従えて入ってきました。
 巫女に連れられて、男は乙姫さまのところへあいさつに行きました。
珍しいTシャツとジーパン姿に、乙姫さまは驚いていましたが、
「時間のゆるすかぎり、どうぞごゆっくりおくつろぎください」
といってくれました。
 男はお腹も減っていたので、テーブルに行って料理を食べることにしました。家では、カップラーメンやカップ焼きそばしか食べてなかったので、たいやヒラメ、まぐろのお刺身、エビ、さざえ、あわび、うにの味噌和え、ワカメのお味噌汁、海がめの卵で作った茶碗蒸しなど美味しい物ばかりでした。お酒は、沖縄の泡盛に似たおいしいお酒でした。
 お腹が脹れたので、こんどはルーレットを観に行きました。
みんな大金を手にして、ゲームに夢中でした。クルクルと回るルーレット台を観ているうちに、男の身体が回りはじめました。まわりの来客は驚いてそばから離れました。
 男の身体は浮き上がり、竜宮城の天井を突き破って、海面に向かって勢いよく回って行きました。
 海の上に顔を出してみると、そばにボートが浮かんでいて、麦わら帽子を被ったおじいさんが釣りをしていました。
「あんたは、どこからやって来たんじゃ」
「竜宮城からです」
 いくら話してもおじいさんはぜんぜん信じてくれませんでしたが、なんとかに助けられて、ようやく無事に帰宅することができました。
 その後も、男はまったく懲りずに、あちこちへ出かけて行きました。
 空を見上げると、こんな男が飛んでいるかもしれません。


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(未発表童話です)





2017年01月06日

幽霊ホテル

 山の麓に、古びたホテルがありました。
 ある日、ひとりの会社員が、そのホテルに泊まりました。
「都会と違って、なんて静かなところだろう」
 会社員はお風呂に入り、晩御飯を食べると早めに寝ました。
 夜半が過ぎた頃、ホテルの廊下をぞろぞろと人が歩く音で目が覚めました。
「おかしいな。このホテルにはおれひとりしか泊まってないのに」
 会社員は不思議に思いながらも、また眠ってしまいました。
 明け方近くになった頃です。エレベーターがさかんに動いている音で目が覚めました。
「こんな時間に誰なんだ」
 会社員は、ベッドから抜け出すと、部屋の鍵穴から、そっと廊下の様子を眺めてみました。
「ひえー!」
 会社員は思わず悲鳴をあげました。
 ホテルの廊下を歩いていたのは、タオルと石鹸を持った作業服姿の男たちでした。
 みんな顔が妙に青ざめて、なんだか寂しそうなのです。
 会社員は、このホテルに向かう途中、山の大きな吊り橋を渡ったことを思い出しました。
 受付の従業員から聞いた話によると、昔、その吊り橋を作る工事のとき、事故が起きてたくさんの作業員が亡くなったということでした。
 作業員たちは仕事が終わると、よくこのホテルのお風呂に入りに来たそうです。
 朝になり、会社員は朝食も食べずに、すぐにこのホテルから出て行きました。昨夜のことがよほど怖かったのでしょう。
 その後も、このホテルには、何人かのお客がやってきましたが、やっぱりみんな夜になると、お風呂へ入りに来る作業服姿の男たちを見ました。
 そんなことがたびたび繰り返されていくうちに、お客がすっかり来なくなり、いつのまにかこのホテルは取り壊されたということです。


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(未発表童話です)


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(記事の更新は随時行います)

2016年12月27日

海の魚の話

 南の遠い海のなかで、魚たちがみんな仲良く泳いでいました。
ある日、網を引いた船がやってきて、魚たちを釣り上げていきました。
「 ぼくたちは、どこへ連れていかれるのだろう」
魚たちは、船の冷凍室に入れられて、みんなしくしくと泣いていました。
 やがてある港についたとき、魚たちは市場でより分けられました。
大きな魚はお寿司屋さんが買っていきました。小さな魚は缶詰工場へいきました。
缶詰工場へついた魚たちはバラバラにされ、味付けされて缶のなかにいれられました。
「ああ、なんて狭苦しい場所なんだ、息もできやしない」
バラバラにされた魚たちは、音もしない缶詰のなかでじっとしていました。
 何日かして、缶詰になった魚たちは、町のスーパーへ連れていかれました。
みんな棚の上に並べられて、退屈そうにしながら、南の海のことを考えたりしました。
「もう一度帰りたいな。こんなところはまっぴらだよ」
 でも、缶詰の棚には、いろんな海からやってきた魚の缶詰たちのほかにも、山や畑、川、湖からやってきた果物や、野菜、豆、川魚などの友だちがたくさん出来ました。
 スーパーが閉まり、夜になると、みんな自分たちのことを互いにいいあいました。
南国で育ったパパイア、パイナップル、マンゴーの話、山の渓流で育ったイワナやヤマメの話、凍てついた北の寒い海で育ったカニの話など面白くて珍しいものばかりでした。
 またペルーやブラジルで育ったコーヒー豆や、ロシアやノルウエーで育ったサーモンたちの話も聞きました。
 ある日のこと、ひとりのお客さんが魚の缶詰をたくさん買っていきました。
缶詰は袋に入れられて、スーパーから出て行きました。
 何日かして、夕食の時間になり。缶詰が開けられました。
「わあ、ここはいったい、どこなんだ」
 缶詰のなかの魚は驚きました。でも、耳をすますと、波の音が聴こえてきます。それに懐かしい海の匂いもしました。
「わあ、ぼくが暮らしてた海だ」
 缶詰を買った人は船員さんでした。
船員さんは、食事が終わると、台所でお皿を洗いました。お皿の表面には魚の油が残っていました。油は水と一緒に、船の外へ出ていきました。
 油は、やがて海の上に浮かび上がりました。
しばらくすると、なかまの魚たちがたくさん集まってきました。
「やあ、ひさしぶりだね。どこへ行ってたんだ」
 みんな油を取り囲んで尋ねました。
「遠いところさ」
「これからどうやって暮らすの」
「波にゆられてのんびりとね」
 油になった魚はそう答えると、自分の旅の思い出をみんなに話してあげました。



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(自費出版童話集「本屋をはじめた森のくまさん」所収)


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(記事の更新は随時行います)

2016年12月14日

冬の子守唄

 もう〜いくつ寝ると、お正月〜
クリスマスの夜でした。乞食のおじさんが、公園のベンチに座って歌を口ずさんでいました。ずいぶん寒い晩で、いまにも雪が降ってきそうです。
「お正月はもうすぐだけど、その前に今夜は楽しいクリスマスだ。どのお店にもクリスマスツリーが飾られて、人もたくさん歩いてるな」
 乞食のおじさんは、おんぼろなマンドリンを抱えると、仕事を探しに出かけました。町をあちこち歩き回ってお客を探しましたが、ぜんぜん聴いてくれません。しかたなく、また公園へもどってきました。
「ああ、誰もおれの演奏を聴いてくれる人はいない。みんな買い物に忙しいんだ。でも今夜稼いでおかないとお正月の餅も買えない。困ったな」
考えていると、どこからか声が聞えてきました。
「おいらのために一曲たのむよ」
声をかけたのは、松の木のそばに立ってる雪だるまでした。
「弾いてやってもいいけど、お金はあるのかい」
「もちろん」
「じゃ、何曲か弾いてあげよう」
マンドリンをかまえると、弾きはじめました。
ぜんぜん聴いたことがないイタリアの曲ですが、雪だるまは大満足です。
「いま弾いたのは、イタリアのオペラの曲なんだ」
「ふうーん、イタリアは雪が降るのかい」
「暖かい国だけど、雪は降るさ」
「つぎは、何を弾いてくれるんだい」
「冬の夜って曲を弾くよ」
 いいながら、今度は歌を歌いながら弾きました。
「ずいぶん古い歌だな。みんながよく知ってる曲がいいよ」
「じゃあ、ジングルベルはどうだい」
「たのむよ」
マンドリンの軽快な演奏を聴きながら、雪だるまはご機嫌です。
そのあとも、「赤鼻のトナカイ」、「サンタが街にやってくる」「ウィ・ウィッシュ・ユー・ア・メリークリスマス(たのしいクリスマス)」なども弾いてくれました。
そんなことをしているうちに、やがてどこの家の照明も消えはじめました。
「ミニコンサートは、これでおしまいだ。ところで、お金はちゃんとくれるのかい」
「うん、足元の雪の中に入ってるよ」
雪を掘ってみると、500円玉が2枚落ちていました。
「驚いた。だれかが落としていったんだな」
「サビちゃう前に使った方がいいよ」
「じゃあ、このお金でスーパーでお餅を買うよ」
 いいながら、アンコールとして、もう一曲、「きよしこの夜」を弾きました。
雪だるまは、聴きながらだんだんと眠くなってきました。
「いい音色だ。眠りにつくまで弾いててくれよ」
「いいとも」
子守唄のように、公園の中にマンドリンの音色がいつまでも流れていました。




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(未発表童話です)


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(記事の更新は随時行います)

2016年12月02日

バイオリンが弾けたら

 50歳を過ぎたおじさんが、バイオリンを習ってみたいと思いました。
「でも、この齢になってからバイオリンなんて弾けるだろうか」
不安な気持ちで電話をかけてみました。
「だいじょうぶです。やる気があるのでしたら」
バイオリン教室の先生がいいました。
 翌日、仕事がおわってから教室へ行ってみました。
「楽譜も十分に読めないんですが、弾けるようになるでしょうか」
バイオリンの先生は、
「毎日練習していれば、楽譜も読めるようなります」
気を良くしたおじさんは、さっそく最初のレッスンを受けてみました。
 最初は、バイオリンの構え方と弓の持ち方の練習でした。
「バイオリンを弾くためには、まず正しい姿勢を身につけなければいけません」
先生に教えてもらって何度もバイオリンの構える練習と弓の持ち方を練習しました。
「背筋をちゃんとのばして、体をやや後ろに反らすように」
なんとかバイオリンの構え方はできましたが、弓がうまく持てません。
 バイオリンの弓は、親指と中指、薬指で持って、人差し指と小指は軽く添えるだけです。
「いや、むずかしいな。家に帰ったらたくさん練習しないといけないな」
 それから3か月間というもの、おじさんにとって最大の試練がはじまりました。いくらがんばっても弓がうまく持てないのです。だから、音を出す練習をさせてもらえません。毎週教室へ行くのが苦痛になってきました。
「今日は行くのやめようかな。今日は焼き鳥屋へよって酒でも飲もうかなあ」
ストレスが溜まってきたおじさんに、なまけ心が出てきました。
 ある日家でビールを飲んでいたとき、こんなことを思い出しました。
「そういえば、バイオリンの先生は、3歳からバイオリンをはじめたっていってたな」
そんなことを口にしながら、自分が3歳の頃のことを思い出してみました。
「おれが3歳のときは、毎日家の中で積み木をしたり、飼い犬のポチといっしょに、いつも泥だらけになって庭で遊んだりしてたな。それとくらべたら、バイオリンの先生はなんて高尚でレベルの高い幼年期を過ごしていたんだろう」
 おじさんはつぶやきながら、もっと早いうちからバイオリンを習っておけばよかったなあと後悔しました。
 でも、今からそんなこといったってどうしようもありません。なんとか今年いっぱいはまじめに通おうと思いました。だけど、現実は甘いものではありません。教室へ行っても、いつも弓の持ち方とバイオリンの構え方の練習ばかりです。
疲れてしまったおじさんは、思い切って先生にいってみました。
「お願いです。少しだけでいいですから、弾かせてもらえませんか」
すると先生は、
「だめです。基本的なことが出来てないうちは」
と怖い顔でいいました。おじさんは、がっかりです。
「やっぱり、齢とってからのバイオリンなんて無理なのかなあ。芸術の世界もきびしいものだなあ」と思いました。
 ある日、おじさんがゆううつそうな顔をしていたとき、友達から、クラシック音楽のコンサートのチケットをもらいました。それは、バイオリンリサイタルのチケットでした。
「本物の演奏を聴いたら、少しはやる気が出てくるかなあ」
 当日、おじさんが町のコンサートホールへ行くと、たくさん人が来ていました。おじさんは一番うしろの席に座って開演をまちました。
 やがて、美しいステージ衣装を身につけた、女性バイオリニストとピアニストがステージに現れました。拍手がおわると、演奏がはじまりました。
 その日演奏された曲はどれもおじさんがよく知っている曲ばかりでした。中でも、アンコールに演奏された、「ゴセックのガボット」を聞いた瞬間、やっぱりバイオリンを続けようと思いました。
「ゴセックのガボット」はおじさんが小学生のときに、レコード鑑賞の授業のとき、はじめて聴いたバイオリンの曲だったのです。
 おじさんは、コンサートから帰ってくると、押入れの中から、クラシック音楽のレコードを取り出してみました。
 その中にむかしの有名なバイオリニストたちの演奏を集めた復刻盤のレコードがありました。

クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」
ハイフェッツ「チゴイネルワイゼン」
ティボー「フォーレ子守歌、ドリー」
エルマン「タイスの瞑想曲、ユモレスク」
エネスク「サン=サーンス白鳥」

 録音は古いですが、どれも味わいのあるすぐれた演奏ばかりです。
解説書には、五人のバイオリニストたちの演奏会のときの写真が載っていました。みんな、背筋をちゃんとのばして、先生が教えてくれたように、きちんと同じ弓の持ち方をしています。おじさんは、それを見て気がついたのです。
「そうなんだ。バイオリンを上手に弾くためには、やっぱり正しい姿勢と弓の持ち方が大切なんだ」
おじさんはそう理解すると、また練習にやる気が出てきました。
そして、自分にいいきかせました。
「いまは苦しいけれど、これからもがんばって続けて行こう」
 翌日から、おじさんはまじめにバイオリン教室へ通いはじめました。
それから2か月後、努力のかいがあって、ようやく音を出すことを許されました。
今は、まだ初歩的な曲しか弾けませんが、数年後には、教則本に載っている「ゴセックのガボット」も弾けるようになるでしょう。
 おじさんは、毎日仕事から帰ってくると、夜遅くまで、バイオリンの練習に励みました。そして、懐かしい復刻盤のレコードを何度も聴きながら、
「早く、クラシックのいろんな名曲が弾けるようになりたいなあ」
と、今はそんなことを思っています。


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(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)


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