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2021年10月09日

番付表の相撲字は手書きに びっくり!習得に10年

番付けの字の太さは、出世のバロメーター

693815.jpg
番付は今で言う、ランキング表にあたります。
現在ある全く同じ形式の縦の番付表は宝暦七年に作られました。

当時は7段ありましたが、結局見やすい5段の番付に落ち着きました。

根岸流と呼ばれる相撲文字で書かれています。
裏方と行司による毛筆書きです。
番付表はすべて手書きです びっくり

使われている紙は、武州の小川和紙。
今は、ケント紙みたいです。
木の板に鯨尺で線を引き、手書き。
縮小印刷して完成。
番付表サイズ:57cm×44cm

調べていて、番付表のYou tubeがあり観たところ、
大文字、小文字、すべて手書きでした。

番付表の乱れのない文字は、印刷文字かと思っていました。
まさか手書きだったとは、びっくりです。
江戸時代から、ずっと続いているのでしょうね。

You tubeでは
下書きなしで、すらすらと書かれていました。
すごいです。


You tube 
●大相撲の知られざる世界 〜行司の相撲字教習〜(日本相撲協会公式チャンネル)より
行司さんの相撲字の習得には10年かかるそうです。

●大相撲葛城場所より 板番付製作
ひとつひとつ手書きで間違いなく書いています。
ちょっと、びっくりしますよ!!




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posted by hime at 02:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 相撲

2021年10月06日

日本一の巨人力士☆生月 鯨太左衛門

生月 鯨太左衛門 つづき

日本一の巨人力士●生月 鯨太左衛門(いきつき(いくづき、いけづき) げいたざえもん)
 
身の丈:七尺五寸 目方:四十五貫(身長227cm 体重169kg)

jpegOutput  700 生月 大男.jpg
w0000017 生月鯨 相撲  700.jpg

(上)一勇斎国芳『生月鯨太左衛門』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1313377)
(下)国芳,小 『「平戸 生月鯨太左衛門」』(国立国会図書館所蔵)
「ARC浮世絵ポータルデータベース」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/arc_nishikie-NDL_103_03_017)


ダウンロード クジラ (2).png
(左)『 諸国名所百景備前五島鯨漁の図』(長野県立歴史館所蔵)
「信州デジタルコモンズ 長野県立歴史館所蔵資料」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/sdcommons_npmh-03OD02M2459000)







文政10年3月21日(1827年4月16日) - 嘉永3年5月24日(1850年7月3日)
肥前国松浦郡(現在の長崎県平戸市生月町)出身の江戸時代の力士。
本名は、墨谷要作。
身長が227cm、体重が169kg日本一の巨人力士でありました。

平戸藩生月島は江戸時代中期より捕鯨で有名であった。
鯨太左衛門という四股名はその生地と体格にちなんでつけられました。

鯨漁師の家に産まれる。
普通の赤ちゃんの倍の大きさで生まれたという。

子供の頃、漁に出る父親の船に一緒に乗ろうとしましたが、あまりにも身体が大きく乗らせてもらえませんでした。出漁の際、だだをこねた要作は、船に積んだ網から手を離さず、逆に船を陸に引っ張り上げてしまったという話が伝わっています。

そのほか、14歳で鯨を仕留めたことや、八丁櫓の勢子船と砂浜の要作が綱引きをして勝ったなど話も残っています。

港に戻った船をたった一人で引き上げ、船を返して水抜き等、家の手伝いをよくしていたそうです。
並外れた大きな身体で怪力の持ち主ですが、実際は地元の皆に愛され優しい心を持った少年だったようです。

平戸に巨童あり

テレビもなかった時代、すでに「平戸には巨童あり」と、要作の噂は全国的に知れ渡っていました。

角界入り等の誘いを見世物にさせたくないと両親は断り続けていましたが、その後、大阪の小野川嘉平次(小野川部屋)の門に入り、翌年1844年(天保15年)に江戸相撲の玉垣額之助(玉垣部屋)門下に入りました。
船または徒歩での上京だったと思いますが、目立って大変な騒ぎだったと思いますね。

「生月鯨太左衛門」の名は、当時の平戸藩主から与えられた、とされています。

初土俵は18歳。大変な人気者となりました。
姿、顔立ちも整い、女性からも人気がありました。

実際のところはわかりませんが、江戸で女遊びを覚えた鯨太左衛門。
両国の水茶屋の評判娘に振られ、腹いせに水茶屋の近くの見世物小屋に出ていた一寸 玉之助と言う身長 1m程度の女性を妻にしたというエピソードが残っています。
                                   
主な成績
幕内在位:12場所(1844年10月場所-1850年3月場所。但し実際に相撲を取ったのは1846年11月場所のみ)
幕内通算成績:3勝2敗115休 勝率.600(休場の大半は土俵入りのみの出場)
現役在位:12場所                  
                            (Wikipedia参照)     



 
                             
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posted by hime at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 相撲

2021年10月02日

江戸時代の相撲興行 巨人力士や怪童力士たち

1301080  300.jpg

江戸時代、相撲興行というのがありました。

巨人力士や怪童力士を、一人で土俵入りをさせた見世物でした。当時、観客の興味を集め興行的に大変人気があったそうです。

彼らは、相撲を取らされることがない土俵入り専門の力士が多く、その後活躍する者はごくわずかでした。




もくじ
●巨人力士
 歴代2位「大空武左衛門」
 歴代1位「生月 鯨太左衛門」
●怪童力士 
 「鬼若力之助」「鬼勝力〇?」
 「鬼童丸竹松」「小戸平亀四郎」「大童山文五郎」


江戸時代の巨人力士や怪童力士たち

巨人力士 歴代2位
●大空武左衛門 身長213cm 120kg 

DSC_1388 (2).jpg

肥後国上益城郡(現在の熊本県上益城郡)出身。農民の子として生まれる。
地元の村々でも巨漢さは有名で、牛を跨ぐことができたそうで牛股あるいは牛跨ぎという、
あだ名がありました。

文政10年(1828年)熊本藩主細川斉護に連れられて江戸に赴き、勝ノ浦与一エ衛門(元大関・鬼面山与一右エ門)に弟子入りして江戸相撲の看板力士となりました。
生月鯨太左衛門(1827-1850)に次ぐ歴代2位の巨人力士とされています。
土俵入り専門の看板力士で肝心の相撲の方は、番付にのることはありませんでした。

_________________

日本一の巨人力士 歴代1位
●生月 鯨太左衛門 身長227cm 体重169kg
(いきつき(いくづき、いけづき) げいたざえもん)
jpegOutput  700 生月 大男.jpg

一勇斎国芳『生月鯨太左衛門』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1313377)

文政10年3月21日(1827年4月16日) - 嘉永3年5月24日(1850年7月3日)

肥前国松浦郡(現在の長崎県平戸市生月町)出身の江戸時代の力士。本名は、墨谷要作。身長が227cm、体重が169kg日本一の巨人力士でありました。

鯨漁師の家に産まれる。普通の赤ちゃんの倍の大きさで生まれたという。
子供の頃、漁に出る父親の船に一緒に乗ろうとしましたが、あまりにも身体が大きく乗らせてもらえませんでした。出漁の際、だだをこねた要作は、船に積んだ網から手を離さず、逆に船を陸に引っ張り上げてしまったという話が伝わっています。

まんが日本昔話みたいですね。

_________________
怪童力士
●鬼若力之助 8歳で、身長121cm、体重68kg
鬼若力之助.jpg

歌川国芳筆 嘉永期(1848–54)木版多色刷 大判錦絵 37.2×25.5cm

上総国武射郡(現在の千葉県山武市)の農民の子として生まれる。
子供の頃から身体が大きく、怪童力士として1850年11月に初土俵を踏みました。
明治5年3月に入幕。明治7年には「勝ノ浦与一右エ門」と改名。明治16年5月まで場所をつとめました。最高位は東前頭筆頭。
成績を残し活躍した、ごくわずかな怪童力士のうちの一人です。

__________________
怪童力士
●鬼勝力〇? 13歳で109kg
DSC_1410_2   700.jpg


__________________
怪童力士
●鬼童丸竹松 10歳で68kg
DSC_1388 (3).jpg


__________________
怪童力士
●小戸平亀四郎 13歳で体重105kg
DSC_1388 (4).jpg


__________________
怪童力士
大人気かわいいね、文五郎ちゃん

●大童山文五郎(だいどうざん ぶんごろう)
寛政年間の怪童力士 8歳で81kg
A-10569-488_C0103148  文五郎 怪童力士 700.jpg

東洲斎写楽筆『大童山文五郎(碁盤持ち)』(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-49102)引用
羽列村山郡長瀞村産とあります
 
山形県で農民の子として生まれる。
寛政6年(1794年)9月、数え年7歳(満6歳)で初土俵を踏み、
江戸中を席巻しました。勝川春英,勝川春山,喜多川歌麿,東洲斎写楽などの人気絵師たちが文五郎を好んで描きました。中でも、写楽は「大童山土俵入り」シリーズとして、4点浮世絵に描いている。
文化年間に相撲を取った記録が残っていますが、肝心の相撲の方は大して振るいませんでした。1812年(文化9年)4月場所で引退。
引退後、神田下谷広徳寺の前でモグサや手拭を売って繁盛しました。

初土俵では小さく、ころころとして、みんな大笑いしたでしょうね。

__________________

土俵入り専門の力士たちは、
入幕しても出世する例は少なく多くは、廃業して国に帰ってしまう者が多かったそうです。


細川 斉護(ほそかわ なりもり)(1804年10月19日-1860年6月6日):江戸時代後期の大名。肥後国宇土藩8代藩主のち肥後熊本藩10代藩主。





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posted by hime at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 相撲
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