2017年01月02日
アスペルガー症候群の人とほどよい関係を継続するにはどうすれば?
−−アスペルガー・アラウンドにおける解決志向って何でしょうか?
SORAさん(以下、SORA):人は問題に行き当たるとその原因を追及する方向に志向し、「何が悪いのか」「悪いものをどうすればなくせるか」と思考をめぐらせがちです。
しかし自発的に変わることができないアスペルガー症候群のパートナーとの関係においては、アスペルガーを責めるというやり方は関係性を悪化させるだけです。アスペルガーの方は、周囲の方が思っているより、はるかに自分自身が見えていないので、問題になっていることが分かりません。本人が認識できていないために理不尽な責められ方をされていると感じ逆ギレします。解決志向で活路を見出すことを優先した方がよいわけです。
−−相手は変わらないのであれば、自分が変わるしかないと。
SORA:アスペルガー症候群は脆弱(ぜいじゃく)でキャパシティーが狭いのです。関係性が悪化してからでは、立て直しは難しくなります。「上手くいかなかった時は別のことをやってみる」「上手くいったことはもっとやる」という解決志向の発想法で、関係性を良好に保つことが、本人の自覚を促すという次のステップのために大前提になります。カサンドラの脱出にアスペルガー側の歩み寄りや協力は不可欠ですが、アスペルガーが自発的に協力を申し出ることはありません。それを促すのは、常にカサンドラ側であることも覚悟が必要です。
引用元:ウートピ
一部のアスペルガーの人からすると、カサンドラの人は
差別的であるということらしいですが、世の中にはカサンドラで
活路を見いだせない人たちがいることも事実です。
カサンドラの人でも症状は個人差がありますが、
本当に追い込まれている人は、上記のようなコメントをよんでも
むしろ自分が責められているような被害者意識に陥り、
「そんなことわかっているけど、できないんだよ!」と思うことでしょう。
そうなんです。心も体も疲弊してしまうと少し余裕を持った行動や発言などが
できなくなってしまうのです。その結果、
「私はこんなに頑張っているのだから、あなたももっと頑張りなさいよ!」
「どうしてこちらがこんなに真剣に考えてるのに」
そんな気持ちがこみ上げて、発狂してしまったり、孤独感にさいなまれたり
する事が多くなるかも知れません。
この状態のときは、何か即効性のある解決方法を求めるのは
個人的にやめた方が良いと思います。
自分はいたって冷静で家族のために前向きに考えているという正当性を
もっていますが、心と体には1ミリも余裕がなくなっているので、常に
緊張状態、臨戦状態でアドレナリンドパドパになっています。
さらに更年期障害などをわずらっているとさらに症状は悪化するでしょう。
カサンドラがまず目を向けなくてはいけないのは、アスペルガーの配偶者を
どうやってわからせるかと言うことよりも、自分自身の心と体の余裕をいかに
確保するか?ということの方が重要だったりします。
「自分が変わるしかない」と言う言葉を肯定的に受け止められるように
ならないうちは、自分自身のものごとへの考え方にすこし選択肢を増やすという
ことで心に余裕を作ることからはじめるといいかもしれません。
すでに頑張りすぎている体にむちをこれ以上打っても、相手は変わりません。
悪い表現で言うと「骨折り損のくたびれもうけ」です。
パートナーはいろいろないみで大切な相手ですが、それ以上に
自分自身を大切にすると言うことをもう一度見つめ直せるチャンスだと思って、
自分を育てる「修行」を始めましょう^^
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いつもコメントいただきありがとうございます!
そうですね。長所と短所は紙一重というようにものごとを
どの目線で見るかという点でも受け止め方は良くも悪くも変えられると
いわれていますから、なるべく悲観的な妄想ばかりしないくせがつくと
ストレスが緩和するだろうなぁと感じます。
自分を大切にする事がパートナーを大切にする事にも繋がる気がします。
確保するか?ということの方が重要…
このコメントを見て思い出したのが、介護職に就いている同好(古典オタク)の友人の言葉でした。
彼女は施設の人たちに接するとき
「障害を持った人たち」「自分は職員として介護する立場」と思うのではなく「前世は平安時代のお姫様だった人たち」「自分はその女官」と思うようにしているのだそうです。
なぜかというと、平安時代のお姫様は、自分から何かをしてはいけない存在で、着替えもトイレも何から何まで女官任せ。「生きたお人形のような日常生活」「現代の重い障害を持った方々とそう変わらない生活」を送っていたからだとか。
失礼な!一緒にするな!と思う方もいらっしゃるかと思いますが、これも一つの「余裕の持ち方」だな…と思いました。
コメントありがとうございます。
心の内を語っていただき嬉しく思います。
私自身結婚したころは、結婚し続けることが良いことで、離婚は悪いことであると
信じて疑いませんでした。(私の母がそういう考えでかなり押しつけられました)
ですので、どちらかというと知人でも芸能人でも離婚をした話ときくと
「なんでそんな簡単に離婚しちゃうのだろう」と相手の事情も知らずにダメの
烙印を押していたような気がします。
しかし、実際に結婚生活をつづけていくとその価値観は変わりました。
現実的には私は婚姻を継続していますが、離婚もありきという考えで日々過ごしています。
結婚をすることに余り理由がなかったとしても、離婚をすると言うことは
周りが知らないような何かしらの事業が当事者同士の中にあるのだとわかるように
なったためです。
まとめが下手で、前置きが長かったですが、そういう理由でマロン様の
離婚についてマイナスな感情はいっさいありません。ご自身は自分を冷酷だ
とおっしゃっていますが、そんなことはありませんね。むしろより筋の通った
考え方の持ち主なのだろうとかってに憶測しました^^
離婚は相当エネルギーが掛かったと思います。私のように続けてサポートする
ことは必ずしも良いとは思いません。私自身、もうむりだと思ったら離婚しよう
と決めているから逆に少し気が楽に受け止められるのかも知れません。
継続するも離婚するもどちらも無傷というわけにはいきませんから、
マロン様の選択を私は尊重しますよ!あまりご自身を傷つけすぎないように
してくださいね!
コメントありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
にぼし様はご両親からもかなり強烈なことを幼少期からいわれているという
環境でしょうから、いろいろな罪悪感があるのかもしれませんね。
必ずしもすべての人がカサンドラになるわけではないでしょうし、結果的に
カサンドラの人は自信にも問題がある場合も多いですから、そういったことに
気がついて少しでもお互いが過ごしやすい空間になることが望ましいですね。
正直に事実だけ言いますと、私は既に離婚の話を始めています。
同居始めて一カ月経過した時にその決断をしました。
自分が一番驚きです。慎重に熟考した結婚であったはずなのに、まさか一カ月でこうなると思わなかったのです。
結婚を考えた時に、チェックポイントとして発達障害というものを入れてませんでした。そんなものに気づきもしませんでした。
他人との生活で多少のことは我慢し合わないといけないことは重々承知ですが、私には耐えられませんでした。非常に自分を恥ずかしく思っています。でも、やはり無理なのです。
脳の機能障害によるものなので治しようがないこと、医学的には証明されていませんが遺伝の可能性あること。それが離婚を決断させた直接的な理由です。
脳の機能障害であれば彼自身には非がないとも言えます。だからとても苦しいです。
だけど現実問題、無理なのです。
私には障害を持った兄弟がおり、将来はそれをサポートしなくてはいけません。二人兄弟なので免れません。
もし私らに発達障害を持った子供ができれば、私は何人を支えていく生活になるかと思うと、全くその自信はありません。
新年早々に重たい話ですみません。
私のような決断をどのように感じますか?
自分がひどく冷酷な人間に思え、でもどの角度から考えても無理に近いと思え、ずっと悩みました。
発達障害の方を排除するような自分のやり方に納得できない部分もあります。
そんな考えのループで日々過ごしています。
同じ発達障害をパートナーに持った方の、リアルな意見を聞いてみたいのです。
もし私の意見の中に失礼があったら申し訳ありません。
自身とパートナーの距離感、難しいですね。とは言え私、独身なので説得力ありませんね。
私自身、自分の事もイマイチ良く分からない半端者なので(この感覚説明出来ません、すみません)恋愛や結婚は私には縁が無いものだと思ってます。
私の考えですが周りに必要以上に迷惑かけないと生けていけない人種だと感じています。申し訳ないと思うんですよね。後ろめたさもあるので。
大切な人を「カサンドラ」にしないために人と関わらないのは消極的で正解だと思いませんがつい距離を取ってしまいます。踏み出す一歩が難しく悔しいです。
はっきり言えるのは、カサンドラありきで問題から結論まで全部を人に押し付ける様な思考の止まった考え、嫌いです。