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2012年03月11日

思いを寄せる 思いを馳せる

こんばんは。
言葉が思いつかない。

言葉は思いつかないけど、どうしても今日はこのブログを書きたい、そんな気がします。


今日はやっぱりいつもと気持ちが違う。
そんな1日を過ごしました。

朝から仕事だったけれど、いつもよりも静寂な日曜のお店の中、わたしは1年前を
ずっとグルグルと思い出していた気がする。


忘れない、忘れられない。

まるで真っ暗な孤島に取り残されたようなあの時。
途方に暮れ、寒さと状況の異常さに震えた夜。
一体、何が起こったのか。これからどうなるのか。いつ終わるのか。

あんなにも、夜が明ける事を願ったのは初めてかも知れない。

そして明け方とともに、ただ生きること、ゴンを守る事だけを考えて動き出した毎日。
必死だった
どんどん、どんどん、溢れるように思い出されていくあの日からの記憶。

あの日の色々な偶然の重なりを感じたりもする。
わたしの生かされた意味はなんだろう。


ただ言えることは、今、わたしは、今を真っ直ぐに生きてる気がする。
1年前じゃ考えられないような自分を、今、生きている。
仕事を始め、悩んだりしながらも、しっかりと生きている実感を感じて、笑って生きてる。

わたしの考え方や価値観のようなものも、あれから随分と変化したと思う。

1年の間で、少しずつ進んでこれたことが、あの時期の自分から考えると信じられない。
まだまだこれからだけど、きっと、わたしは生きることをあきらめない。


どうしても黙とうをしたかった、14時46分。
偶然にも、銀行に行く為に車を運転していたわたし。
黙とうをしながら(運転中に危ない?)駐車場へ。
銀行の駐車場のカードに印字された時刻は、奇しくも『14時46分』だった。
posted by hanogonn at 21:00| 東日本大震災

2012年03月07日

あの日を思えば あの時を思えば

こんばんは。
ようやく、お休み以外の日にもパソコンにちょっとだけ向かえるようになってきました。

自分の中では怒涛の2月を終え、3月。
まだまだ自分の出来無さ加減に不甲斐なさを感じるものの、なんとか赤ちゃんが
ハイハイする程度には流れがつかめてきました。
一歩、一歩、進んでるかな。


3月の始めはあまりに辛くなってしまい、友人に電話して号泣してしまいました。
1時間に渡って話を聞いてもらい、思い詰め過ぎてたものが解き放たれたような気持ちと
大きな勇気をもらった気がします。

そしてこうしてブログに書くことによって暖かい励ましをもらえて
わたしは幸せな人間だと思えます。

仕事をしたことによって、新たな暖かい出会いがあったりもします。
皆、色んなこと抱えながら頑張ってるんだな。
そう思える出会いです。


最近、どうしても思い出されるのは、もうすぐ来る3月11日。
今でも、鮮明に思い出されるあの日。あの時。
『わたしは生きてる』と強く感じたあの時。
『ただ、生きる』ことだけを強く思って行動したあの時。

それがここ最近、とても強く思い出されるのです。

間もなく、生きてきてあれほど失望した事がないと言える、夫の裏切りを知った時。
それからは死んだ魚のような毎日を過ごしていました。
もう這い上がることなんて出来ないと思っていた。


そしてさらに追い打ちをかけるように愛猫『ゴン』が死んだ時。
今も、自分のやり方が正しかったのか、辛い思いをさせてしまったのではないかという
後悔を感じる。

弱っているゴンに無理にでもご飯を食べさせなきゃという気持ちに駆られて、嫌がってるのに
無理やりご飯を放り込んだあの時。
むせたような咳をしたゴン。
ひょっとしたら、最期はわたしがゴンの死期を早めてしまったのかも知れない。


それは、今でもわたしの脳裏に焼き付いて離れません。
自分が何かを食べてむせて咳や涙が出るほど苦しい時、わたしはゴンにそういう辛さを味あわせてしまったのだと、思わずにはいられない。

涙が出るほどむせた時は、ゴンが『忘れるなよ』と言ってるのかも知れない。


あの日を思えば。
あの時を思えば。

なんてことない。


最近、そんなことを考えながら過ごしています。


ちょうど、テレビでは平原綾香が『ジュピター』を歌っています。
心に響きます。
posted by hanogonn at 21:26| 東日本大震災

2011年11月28日

備えは大事 『タタメット』ってあったんだ

おはようございます太陽

先ほどたまたま、みのさんの朝の番組を観ていたら出ていた

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こういったものが紹介されていました。

薄くたためて、持ち運びしやすい。
薄っぺらいから強度はどうなの?と思っていたら、検定合格品という強度らしいです。

わたしは、幸いにして頭に物が落ちてくるということはなかったのですが
これはあると良いと思いました。

転勤族ということもあり家具は低くて小さめの物を選んでいたり、地震の多い地域への
転勤が多かったので(十勝沖地震で震度6、福島に住んでいた頃は岩手・宮城栗原地震で
震度5など)、そんな経験から耐震に力を入れたアパートを借りたのも幸いしたのかも知れません。
家の中はグチャグチャになったものの、頭上は幸い無事でした。

でも、もしもあの時外出していたら。

震災後しばらくしてガソリンが手に入ってから、車で家の周りを行動した時は驚きました。

仙台でも高台の方に住んでいたので被害が少ないかと思っていたけど
わたしがいつも行ってたショッピングセンターのエスカレーターは落ちてブルーシートに覆われてました。
ガラス張りの電気屋さんや、インテリアのお店、車屋さんなどはガラスがバリバリに割れてグチャグチャになってました。
中には、3階建ての会社の2階がペチャンコに潰れていたり。

私の場合はたまたまあの日、家の中に居たから良かったんだと思いました。

もしも買い物などで外出していたら、しばらく家に帰る事も出来なかったかも知れません。

今日、この特集を観て、備えは大事だと改めて思いました。

posted by hanogonn at 08:41| 東日本大震災

2011年09月11日

今のお気に入りCD

私の今のお気に入りはSMAPのアルバム。


SMAP AID


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もともとSMAPのことは好きな方だけど、でもそんな熱心なファンというわけではなかったです。
その時その時で、あ、この曲いいな〜とか番組を観て面白いな〜とか思ったりするぐらいで。
中居くんのトーク面白いな〜草なぎ君の演技いいな〜とかそんな感じです。


それが変わったのが、震災後初の『SMAP×SMAP』。
ようやく、電気がついてテレビが観れるようになって少し経った頃。

神妙に、真剣な顔で、戸惑いながらも一生懸命に震災について話し合う5人の姿に心が揺さぶられ、涙が溢れて止まりませんでした。
そして、歌ってくれた数曲の歌。
どんな歌番組で観ていた時よりも、すごく気持ちを込めて一生懸命歌ってるのが伝わって来て、歌詞もすごく良くて。

『♪僕らはいつだって独りじゃないんだよ〜』

『♪どうか届きますように 君のもとへ〜』

そして、最初に『世界にひとつだけの花』を歌った時の中居くんが歌を詰まらせた時からもう号泣。
5人とも本当に真摯な表情をして歌っていて感動しました。

挙げた拳や指先にまで
『頑張れ!負けるな!』って言ってくれてるのが伝わってくるようで。

あれ以来、わたしはSMAPが前よりも好きになりました。


北海道に戻って来て久々に友人と会った時、友人がくれた『SMAP AID』。
本当に、歌詞も曲ももいい歌ばかりで、ブログ更新しながら聴き入ってます。




特に好きなのは
『どうか届きますように』
『オレンジ』(これだけは、切ない曲ですが)
『この瞬間きっと夢じゃない』
『ありがとう』
『not alone 幸せになろうよ』

です。

勇気づけてくれる素敵な曲です。

posted by hanogonn at 12:12| 東日本大震災

2011年09月09日

もうすぐ震災から半年

最近、また結構大きな地震が増えてきました。

あの日から、もうすぐ半年ですね。
ちょっと今回は震災の経験について書いてみようと思います。

もう半年?
いや、まだ半年。
だけど、本当に濃い半年だった気がします。


わたしは仙台在住だったので、地震に遭いました。
転勤族の夫は、年明けから転勤になり、また新たな土地に単身赴任していました。
わたしも、部屋が決まり次第引っ越すということで、少しずつ荷物をまとめながら過ごしていました。


いつもと変わりない1日だけど、ちょっとナーバスになっていたその日。
なんとなく自分が孤独な気がしていた。
それは、とても黒い気持ちだった気がします。

転勤、転勤で、せっかく築いた関係も離れてしまう。
北海道の友人とも疎遠になってしまう気がして。
夫はいつも居ない。
『どうせ私はどこに行っても、結局最終的には独りだ』と、どこか投げやりになっていた
そんな時。


突然、あまり耳にしない大きな携帯の警告音にビックリしたと同時に、地鳴りのような音と揺れがやって来ました。
それはだんだんと強くなり、いつまで経っても止まる事がなく『何か変だ』と思ううちに、激しい揺れと共に、部屋の物がドタンバタンと倒れたり壊れたりする音が聞こえました。


わたしは悲鳴を上げながら、大事なコーヒーカップが入った食器棚を必死で押さえてました。
部屋の電球(シャンデリアのような)がブルンブルンとものすごい勢いで回っていて

『ああ、この電球も落ちるのか?ガラスのテーブルの上に落ちたらどうしよう・・』

と恐怖を感じているうちにようやく揺れが収まってきました。

もう、家の中がグチャグチャでした。
でも、私も愛猫ゴンも無事でした。

気づくと電気も水もガスも使えなくなっていた。
でも、何だかあまり頭が回らなかった。

その後も、何度も何度も大きな揺れがやってきました。

外に出ると、救急車や警察、消防車のサイレンの音。
お店もコンビニもあっという間に行列ができ、真っ暗でグチャグチャな店内の中
水や食料を買い求める人達。

わたしも、気づけば暗くなるまで並んで買い物をしました。
でも水も食品もほとんど品切れで、お腹に溜まりそうなお菓子や飲料などを買いました。


帰宅した頃には辺りが暗くなり、そのうち何にも見えなくなりました。
真っ暗。
孤島に独りになった気がした。

外って、全ての家や外灯が消えると本当に真っ暗闇で何にも見えないものなんですね。
その日は雪。
家の中がすごく寒くて震えた。
スキーにでも行くような格好をしても寒くて。
ゴンにも毛布を何枚もかけて暖めました。
今の状況がわからなくて震えました。


こんな時に限って携帯の充電も無くなり、ガソリンすらエンプティマークになってしまってた。
『まだガソリン入れなくていいや』と放ったらかしてた事をすごく後悔した。

それでも、手探りで家の中を探し見つけたアロマキャンドルを鍋の中に入れて火を灯し
ようやく少しだけ明るくなりました。

でも、きっとわたしは黒い気持ちを抱えたから本当に孤独になってしまったのかな。
そんな事を考えていた。


そんな中、アパートのお隣の奥さんもたまたま1人だったので、真っ暗な中少しお話したり
調達した食べ物などを交換し合ったりして少しホッとした。


ほんの少しだけ今の状況が知りたくて、ガソリン不足の車中でラジオを聴いた。

ラジオでDJが一生懸命今の状況を伝えていた。
自分も大変だろうに。

そして、その時『仙台市だけで、確認できるだけでも200〜300の遺体が・・』
という情報を聴きました。
ショックでした。
ハンドルを握ったまま、震えが止まらなかった。


でも、その時DJの言葉は忘れられない、絶対。
『あきらめないでください。あなたは、独りじゃありませんから』
涙が溢れてきました。


明け方になり、わたしは動き出しました。
なんと、防災袋があった事に気づいてテンションがグッと上がった。
すっかり気が動転してて忘れてたのでした。

防災袋の中には、ラジオ付きの懐中電灯があり大喜びしました。
そして、ペットボトルの水数本や、乾パンなど。
簡易トイレも入っていた為、本当助かりました。


その後は相変わらず電気も水も電話も携帯も繋がらない数日でしたが
明け方から活動を始め続けました。

お店に並んで食糧をゲット。
6時間並んだ末どうにかガソリンを少しだけ入れてもらえたり
給水所に数時間並んでペットボトル数本にお水をもらいに行ったり。

小学校の給水所に1人で水を汲みに行った時はあまりの行列と家族連れに
また泣きそうになった。
やっぱり独りだ・・そう思って情けなくなった。
しかも、水が行き渡るかわからないといった情報を聴き、すごく不安になった。

2時間ほど並んだのに、もう水がないと聞いた時は泣いた。
でも、その時近くのコミュニティセンターで水がもらえると聞いて必死に走った。
リュックサックに空のペットボトルを詰め込んで、両手に給水袋を持って。

そこもものすごい行列で、絶望的になった。
でも、その時コミュニティセンターの上の方から、どこかのおじさんがコッソリと声を
かけてくれた。
『こっちにも水道あるよ』って。
ありがとう!おじさん!


その後数日間サバイバルな体験だったけど、近所の人や並んでる人達と
情報交換などし合ったりしてほんわかとした気持ちになったりしました。

お風呂に入れない為、ようやくゲットできた『赤ちゃんのおしりふき』は
体を拭くのに助かりました。
こういう時必要なんだな〜って思うものが色々ありました。
(それはまた今度の機会に書きたいです)


そして、携帯や電話がようやく繋がるようになって沢山の不在着信メールが
送られてたことがわかった。

何度も両親兄や、友達、疎遠になっていた人までもが電話やメールをくれていた事で
本当に、本当に泣ける思いだった。

『わたしは、孤独だと思ってたけどそうじゃなかったんだ』と。


なんだか夢のような出来事でしたが、あの経験は一生忘れられません。
忘れたくない思い出です。
posted by hanogonn at 15:35| 東日本大震災
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夫と出会って12年。 7年の結婚生活。 色々あって現在別居生活まる4年。 30代半ばだったのがそろそろ40近くになってしまった女性です。 別居して帰ってきた頃よりも、今の方が、将来の不安を強く感じて 過ごしております。 苦しいときはいっぱい訪れると思うけど、ひとつずつ乗り切って 素敵な独り身として生きていきたいです。
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