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2011年09月14日

明日は愛猫の49日A

病気になってからというものの、沢山の不調が出てくるようになったゴン。

食いしん坊で、デブ猫だった体はだいぶ痩せました(それでも太ってたけど)。
ご飯を食べる量はガクンと減ってしまい、体調の波が激しい。
そして、薬の作用で免疫力が落ちてしまうせいか、突然体にシコリが出来たりして
本当に本当に心配しました。

私の仙台生活は、ほぼ動物病院と家の往復になり、いつも何をしてても気がかりで
たまらなかった。
毎日、不安で泣いてばかりでした。
でも、そうしていても余計ゴンの体が悪くなっては困る。

ただ、大の病院嫌いのゴン。
一度、シコリの検査をした時のゴンの様子を見て『もうこれ以上嫌な思いをさせるのはやめよう』
そう思って、昨年の春以来病院に連れて行くのをやめました。
その代わり、いいと思うものは何でもやってみよう。そう思う事にしました。
投薬は続け、落ちる免疫力の調整の為に、サプリメント、漢方などを飲ませる事に。

それが良かったのか悪かったのかはわからないけど、昨年の夏頃からゴンの体調は安定し始め
以前の元気だった頃のように戻ってくれました。
いつも、ゴンのことばっかり考えていて余裕のなかった私も、ようやく少しずつ、心から何かを
楽しむことが出来るようになって来ていた頃。


東日本大震災が起こりました。
幸い、その頃はまだ元気にしていたゴン。

でも、毎日起きる余震。
一時的避難の為に、夫が転勤で単身で居た仮住まいへの移動。
それから、また仙台に移動。
そして、転勤先の部屋が決まっての移動。
夫と私が別居することになり、フェリーで北海道への移動。
それからも、色々と移動移動が重なって、疲れてしまったんだと思います。


7月に入った頃、とうとうご飯をほとんど食べなくなってしまった。
心配だから無理やりにでも口に入れて食べさせるが、嫌がって逃げる。
この繰り返しで、ゴンは余計ストレスを抱えてしまったんだと思います。
だんだん息も荒くなってきて、逃げ回るのを追いかけ回しては無理やりご飯を食べさせるのは
本当に辛くて、可哀想で、どうしてあげるのが一番いいのか私にはわからず途方に暮れました。

でも、それでも頑張ってたらどうにか戻ってくれるんじゃないか・・
そういう淡い思いを抱いて、毎日ご飯やサプリやお薬を少しでも食べさせ続けました。


苦しそうな中、無理やりご飯を食べさせて汚れた口元を、温かい濡れタオルで
拭いてあげた時だけは気持ち良さそうな顔をしてくれる顔が、今でも忘れられません。
ごめんね。
無理やり辛い事してごめんね。


7月29日。
いよいよ呼吸がひどくなってきたゴン。
わたしは、ネットで調べまくって『ペット用レンタル酸素室』を見つけました。
迷うことなく、すぐにお願いしました。

午後に届けてくれた酸素室。
ヨロヨロしながらも、自分から入ってくれました。
少しはラクになったようにも見えました。

でも、私はまた無理にご飯を二口ほどあげてしまった。
それが余計に悪かったのかも知れません。
大きな、大きな、後悔です。

その夜、ゴンは、苦しくて苦しくてしょうがない様子で、それでも何度も窓からの風や
少し透かしてあった玄関のドアから来る風を感じようとしていました。
でも、とうとう口呼吸を始め、ヨロヨロとして倒れ込んだ。

駆け寄って触った私の指の爪を、穴が開いて血が流れ出るぐらい思い切り噛みました。
今までにない力で。
今爪は伸びて穴は消えてしまったけど、あの痛みは忘れない。

それでも、最後には私の腕の中にスッと入って、少しずつ呼吸はなくなり息を引き取りました。

7月29日。
甲状腺機能亢進症だということがわかってからちょうど丸2年でした。


私が悪かったのかも知れない。
病院にも連れて行かないで自分の判断で色々してしまった事。
それにこの半年、落ち着いた場所に居させてあげれなくてずっと苦しい思いをしてたと思う。


でも、もしも。
良いように考えれば、
ゴンは、私を解放してあげたかったのかも知れない。

もう自分の為にそこまでしなくていいよ。
行きたい所にどこでも行っていいんだよ。
僕のためにやりたい事を我慢しなくていいんだよ。
わざわざ酸素室なんてレンタルしなくてもいいんだよ。

わたしが故郷で少しずつ元気になる姿を見て、自分の役目は終わったと感じたのかも。

そんなキレイ事考えて亡くなったわけではないかも知れないけど、そんな風に今は感じるのです。



posted by hanogonn at 12:33| 愛猫ゴンのこと

明日は愛猫の49日@

12年前。
その頃働いていた会社の出張で、社員数名で泊まっていた旅館。

そこで、生まれてそれほど経っていない、2匹の猫に出会いました。
普段旅館にお客さんが居る時は、大きな段ボール箱の中に入れられてピョンピョン飛び跳ねて
『出して〜』と言うように鳴いていた、とっても可愛い仔猫たち。

旅館の人達の休憩時間、お客様が私たち社員しかいない時に箱から出して遊ばせてくれました。

聡明な顔と、キビキビとした動きで気品高いメス猫ちゃん。
それとは対照的に、目頭に目ヤニをいっぱいつけて、いつも情けない顔をしてドンくさい動きをする
オス猫ちゃん。

旅館の人は、この子達の里親を探していました。
わたしは猫と暮らすのが夢だったので、もらっていく事に決めました。

本当だったら二匹とも両方連れて行きたかった。
けど、やっぱり二匹は難しい・・。
この情けないオスちゃんは、もし外に出たらちゃんと生きて生きていけるだろうか。
何だかほっとけなくて可愛くてしょうがなくて、わたしはオスちゃんを連れて行くことにしました。

それが、ゴンです。

なんでゴンなんて名前にしちゃったんだろう汗
なんとなくドンくさかったから。

子供の頃から成猫になる大事な時期、なかなかきちんと育ててあげられなかった。
留守がちな私は、本当にゴンにとって可哀想なことを沢山してしまった。
いつも独りぼっちにして。
そのせいで、すっかりオドオドちゃんになってしまった。

でも、そんなわたしにでも本当にベッタリと、母親だと思って愛してくれた。
いつも私の帰りを待っては、玄関にお腹を出して寝そべって待っててくれた。
どんな時も、私だけを信じて頼りにして無償の愛を注いでくれて癒してくれた。


転勤のどんな土地にも一緒に付いて来て、きっとストレスも多かったのかも知れない。
3年前に転勤した仙台で、ある時からゴンの様子はちょっと変化しました。
大嫌いな病院に連れて行って、大変な思いで検査をした結果
『甲状腺機能亢進症』という病気であることがわかりました。

原因は不明だけど、おそらく色々なストレスも関係あるのだと思います。
でも、老猫は結構なりやすい病気です(突然凶暴になる、甘える、頻脈、呼吸が速くなる、食欲
があるのに痩せて行くなど)。
人間で言えばバセドー病です。

体の機能がとにかく一生懸命働こうとするので疲れてしまう。
やがて心臓や腎臓、色んなところに不具合が出てしまうというもの。


病気が発覚してからは、私たちの今までの生活はガラリと変わりました。
1日に2回は必ず飲ませないといけない薬があり、ほとんどどこにも出かけず、夫婦の楽しみ
だった旅行も行かず、帰省もせず、とにかく毎日必ず決まった時間に投薬しました。


たくさん寂しい思いさせて、ごめんね。
だから病気になっちゃったんだね。
もっと、色んなこと気をつけてあげれば良かった。
ごめんね。

だから、昔あまりかまってあげれなかった分、せめて、せめてこれからの猫生は穏やかに
不安になることなく、少しでも心地よく過ごさせてあげたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。


posted by hanogonn at 11:24| 愛猫ゴンのこと
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夫と出会って12年。 7年の結婚生活。 色々あって現在別居生活まる4年。 30代半ばだったのがそろそろ40近くになってしまった女性です。 別居して帰ってきた頃よりも、今の方が、将来の不安を強く感じて 過ごしております。 苦しいときはいっぱい訪れると思うけど、ひとつずつ乗り切って 素敵な独り身として生きていきたいです。
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