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2013年03月22日

教養のすすめ

娘の高校入学前の宿題として ”課題図書を読んで感想文を書け” との課題を課せられた。
課題図書として、いくつか挙げられていた。
娘にとってはどの本も馴染みがない中で、
娘は池上彰さんの、”学び続ける力 (講談社現代新書)”という本を選んだ。

学び続ける力 (講談社現代新書)




そこで、私もちょっと読んでみたので、紹介したい、と思います。
まず、目次をみてみると、

第1章  学ぶことは楽しい
第2章  大学で教えることになった。
第3章  身につけたい力
第4章  読書の楽しさ
第5章  学ぶことは生きること

読んでみると、目次の題目とその内容から受けるイメージが私には違っている様に感じた。
私が題目から受けたイメージは、
題目から教養とか学ぶとかは、どういうことか?
ということを体系的に論理的に述べている様な印象をうけたが、
実際は、池上さん自身の体験をもとに、池上さんの感想を述べている内容であった。

第一章  学ぶことは楽しい
、とは池上さんのNHK時代で、自分がいかに勉強したがっていたか、
 また、その欲求に対して、以下に勉強していったか、の回想、
 その感想と自分の行動が態度が正解であった、との内容である。
 当時は景気のよい時代であり、会社を第一優先に考えることが美徳であった時代に、
 会社の付き合いより、自己の向上心・欲求のための勉強を優先させていった。
 それがいかに今の池上さんの充実した人生を送ることに有効であったか、
 と感じさせる内容であったと感じた。

第2章  大学で教えることになった。
 勉強したことを活用して、いかに学生に教えたか。
 人に教えることは池上さんにとって、楽しいことであり、
 池上さん自身の考え方をもとに、教え方、工夫をしたことが書かれている。
 第一章ではNHKにいるときも仕事に貢献するという立場ではなく、自分の教養を高める、 
 との観点で仕事をしていた様に受け取れたが、
 大学で教えるときは、自分自身の教養を高めるという観点より、いかになにをどう教えるかとの観点での内容であった。
  これもまた、教養のすすめ、といった内容ではなくて、
 教えることが楽しい、生徒の反応が嬉しい、との観点を加えて、日々の感想・日記の様な感じがした。

第3章  身につけたい力
 になって初めて、普通の HOW TO 本の様な雰囲気になった。
ノートの取り方からはじまって、左脳と右脳の伝える力、プレゼンテンション能力、紙の新聞を読もう、など池上さんからみて、やった方がよいことが書かれている。
それを具体的、話題となっている例を挙げながら、その理由をわかりやすく述べている。
本の題名からすれば、それに見合った内容ではあった。
池上さんということで、ついつい意外性を期待してしまっている分、ちょっとインパクトは足りなかったと感じたが、冷静にみれば、よいことがいっぱい書かれていた。

第4章  読書の楽しさ
 は、なかなか新鮮な切り口での話であったと感じた。
抜粋すると・・・・池上さんは、
本が好きで本を読むとホッとしていたし、読書は勉強になると思っていたが、
ショーペンハウエルはそうではない、と断言するのです。
他人が考えていることを追いかけているにすぎない。
本をよんでもその後に今度は自分でものを考える時間がなければダメだ。

とは、なかなかのご意見で、ここのところを強調したところがおもしろい。
情報を取りいれるだけでなく、自分で考えて消化しなければ、ということでした。

第5章  学ぶことは生きること

となって、話は哲学っぽくなってくる。
人間は考える葦である。 といった感じがした。
今の社会で、力を発揮し、よく生きるためには教養・勉強・考える力が必要になる、と実感している。
やるべきことがはっきりしていて、それだけやっていればいい、という時代ではなくなってきている。
時間がちょっと経てば、必要なことがころころかわる。
 この本にはすぐに役立たない勉強をする、とも書かれてあったが、
時間のない現代社会でも、すぐに役立たない勉強をして、視野を拡げておくことは、
いいことかと、思いはじめた今日この頃です。

追伸:
いままで、受験のための勉強でアタフタしていた娘が余裕をもってこの本お読めるか? ちょっと疑問ではあるが、 娘がどういう感想をもつか、楽しみにしている。

2013年03月21日

2%の物価上昇でどうなる?

アベノミクスでは2%のインフレ目標としている。
2%の物価上昇でどうなる?
ちょっと計算してみた。
 今年の物価を100円とすると、
 1年後は   102円
 2年後は   104円
 3年後は   106円

前年度に1.02倍をどんどんしていくと、
 10年後は、 122円
 20年後は、 149円
 30年後は、 181円

なんと、35年後は約2倍の 200円となる。

ということは、例えば、50歳の人が今5000万円貯金があるとすると、
85歳のときは、2500万円の価値になるってこと。
私的な年金を積み立てている人は、その価値が半分になってしまう。

歳をとって、仕事がみつからない人にとっては、
ただただ、資金が目減りしてしまうだけ、となってしまう。

ところで、過去の物価上昇率を5年毎にみてみると、
 1953−1957    3.0%
 1958−1962    3.2%
 1963−1967    5.4%
 1968−1972    5.9%
1973−1977   12.9%
1978−1982    4.6%
1983−1987    1.4%
1988−1992    2.2%
1993−1997    0.8%
1998−2002    -0.4%
2002年以降、物価上昇は0.0%またはデフレ傾向となっている。
 このところ20年間は、物価は上昇していないが、過去はかなり物価上昇している。

 戦後、物価上昇していない期間の方がみじかい、
 貯金の目減りという観点では2%ですめば、御の字ということになってします。
 私の場合、老後の年金扱いとして、一括で、1500万円を保険会社にあずけた。
 その間の運用金利は1%で、
 う〜んこのままアベノミクスが機能していまったら、確実に目減りしてしまう。
 物価上昇が2%で金利が1%、ということは、実質的に毎年1%目減りすることになる。
 ということは、1500万円の1%、毎年15万円ずつ、資産が減っていくことになる。
 もし、アベノミクスで過剰反応し、物価上昇が3%とか5%とか10%とかなったら、
 さらに資産は減って、将来の蓄えはどうなってしまうか、不安になる。
 
 株とか金とかで大儲けしようとは思わないが、なにもしないとただただ減っていく。
 焦るって中途半端に手を出すと、金融投資すると証券会社に手数料は取られるは、で減っていく。
 ぼけぼけしていると、どんどん資産は飛んでいく。
 なんとか、情報を集めて、勉強をしていかなければ、と思う今日このごろです。


2013年03月20日

高校受験が終わっても塾に行きたがる?

高校受験が終わって、合格発表が終わった、
と思ったら、高校からの宿題をいっぱいもらい、娘は四苦八苦。
その状況の中で、塾は高校入学前準備講座を格安で開催。

塾経営とすれば、当たり前の戦略と、よくわかる。
わからないのが、高校からの宿題をいっぱい抱えた状況で、娘は喜んで塾にいく。
親とすれば、いままでの張り詰めた状態から開放されても、次に向かって頑張ろうとする姿勢に
頭が下がる。
でも、なぜなんだろうか?
なんで、進んで塾にいくのだろうか?
また、中学で同じ様に通っていた友達も多くの人が参加しているとのことである。

実際の塾での教科書をみせてもらった。
単なる、高校で勉強する授業の予習に当たる内容であった。
高校からの宿題とかぶっている。

特に今やらなくても、いいんじゃないか?
せっかく、時間があるので、いままでできなかった勉強または読みたかった本などよんだら、どうか?
受験勉強とかでなく、もっと自分の興味に任せた勉強としたらどうか?

中学3年のときは、学校では教えきれない受験のための勉強をして、
志望校に行くためには、必要と感じていた。
また、ほとんどの人が塾に通っていて、娘だけが行かないとちょっと可哀想かな、
とは感じていた。
中学2年のときは、塾では学校の予習の勉強が多く、
娘に聞くと、塾で勉強して、学校ではあまり授業をきいていない、といっていた。
塾代払っているのに、それではもったいと思ったが、
授業が物足りないなら、仕方ないか、程度に思っていた。

じゃ、高校1年ではどうか?
まだ受験勉強ではないし、
学校の授業は、娘と同レベルまたは娘より優秀な生徒が集まって、授業が行われる。
学校の授業が物足りないどころか、授業についていけるかどうか、という感じである。
ということは、授業についていくための塾通い、ということになりそう。
学校の教材をみると、
万一、学校についていけなくても、高校1年であれば、親が教えてもできそうにも思った。

視点をかえて、塾の役割として、同じ様な目標をもった仲間と一緒に勉強でき、
他の人と比較して、自分自身を確認でき、自分自身の方向性を決められる、
という役割がある。
それについても中学の時とは違って、同じ様な能力、同じ様な目標をもった仲間が
周りにいるのが高校である。同じ目標をもつ仲間は周りにいるはず。

私には、高校1年で、なぜ、塾に行きたがるか? よくわからない。
しかし、娘は高校に入っても、塾に行きたがって、仕方ない。
そこで、私の少ない経験と私の独断から、娘には、
 とりあえず入学当初は塾はやめて、学校生活に味わって、
 それから、周りの状況、自分の状況を考えて、また考えよう、
といった。

娘は一言 
 ”行きたいけど、どうもダメそうだ”
と寂しそう。

私自身は、中学、高校と塾にいった経験もなく、塾に通うという発想すらなく、大学に入学した。
残念ながら、娘の感覚が全くわからない。 塾ってそんなに楽しいところか?娘の向上心からか?
せめて、高校に入ってからの娘の様子に気にかけていきたい。

2013年03月19日

アベノミクスって、

アベノミクスって、

デフレと円高からの脱却と経済成長
そのための、政策として三本の矢
 財政政策
 金融政策
 成長戦略

といっても、よくわからない。
財政政策は公共投資を増やせばいいし、金融政策はお札をいっぱいすればいい。
では、もっとも大事な成長戦略は、どうするか?
円安にして、国際競争力を上げて、輸出を増やす?
ってこと?
円安で、海外からみて、日本株の割安感からの株高誘導?

一方、アベノリスクと称して、
3本目の矢に繋げることができるかどうかが正念場になる。失敗すれば、賃金アップが実現できないまま物価だけが上昇、国にはさらに巨額の借金が積み上がり、そのため更なる国債発行、
それを売るために金利上昇、借金が返せなくなり、国の信用がなくなり、ハイパーインフレ、
お金が紙くずになり、国家破綻。


本音の期待度はどの程度なのか?
輸入品が高くなることにより、燃料費が高くなり、インフレ誘導。
インフレになった分のわずかばかり給与が上がる程度か?

名目上の給与はあがっても、実質上の給与は下がる。
お金の価値は下がっていき、生活は現状維持ができれば、いいところで、
と、感じている。

一方、世界的にみれば、人間一人当たりの生産性は上がっている。
機械化、合理化、新規技術の発展により、生産性が確実に上がっている。
また、戦争などの破壊行為は減っているため、
世界的にみれば、どんどん生活レベルはあがって、どんどん楽になっていくはずである。

でも、日本は厳しくなっている。
いままで甘い汁を吸いすぎていたためか、
甘い汁を吸うのが当たり前になってしまったためか、
いずれにせよ、日本が今まで得しすぎた分、反動がきた様な気がする。

どうも、本質的な流れを考えずに、対症療法ばかりの様な感じがする。
毛利元就の三本の矢では、毛利は時勢の流れに勝てなかった様に、
アベノミクスもそうならない様に願っている。




2013年03月18日

「いる」の謙譲語と尊敬語

 ある就職前の講習で、ある先生は、
言葉使いの話がよくでる。
 尊敬語、謙譲語、丁寧語の問題をよく出され、普段意識してしゃべっていないこともあって、
よく混乱する。すぐに言葉にはでてこないけれども、聞かれればわかるけど、と思っていた。

しかし、今日、ちょっとした試験があって、「いる」の謙譲語と尊敬語を書きなさい、
との問題があった。
ふと、手がとまった。
おるだったけ、おられるだったけ、といした場合は謙譲語は??いらっしゃるはなんだったけ?
なんて考えているうちに、わかんなくなってきた。

そこでインターネットでしらべてみると、いろいろとみなさんも混乱している様である。
抜粋すると、次の様な文章がのっていた。

「いらっしゃる」は立派な尊敬語ですが、「される」に対応する尊敬語は「おられる」です。
もちろん「いられる」でいいのですが、実際には伝統的に
「黙っていられない」(可能)
「そばにいられると気が散る」(受身)
に対して、尊敬の場合は
「先生が立っておられた」
の形が使われたのです。
何年か前から、関東の人たちが「おる」は謙譲語だから、「おられる」は間違いだ、と言い出したのです。
「先生が立っていられた」なら文法上は正しい表現です。
「先生が立たれていた」は誤りです。
最近「何をされていますか?」などと言う人が出てきましたが、「何をしておられますか?」の方がよっぽどまともな日本語です。
繰り返します。「何をしていらっしゃいますか?」は立派な敬語ですが、ワンランク上になります。


結局、ややこしい。
そこで、言葉使いの講習を思い出した。
その先生の話では、尊敬語とか謙譲語とか意識してもよくしゃべれない。
人と接することが仕事の人は必要であるが、
普通のひとは、まず丁寧語でしゃべることと笑顔が大切である、とのこと。
まずは、丁寧語を余裕をもって、しゃべれる様にしたい、
と思う今日この頃です。

2013年03月17日

高校からの宿題

 高校合格と同時に宿題を出される。
  国語は課題図書と感想文
  英語は問題集1冊
  数学は教科書60ページ分の予習とその中の問題を全て解いていく。

 私の高校受験合格時は、確か課題図書と感想文で、
 それでも四苦八苦していた思い出がある。

 今はいろいろと厳しいけれども、と思いつつ、
 自分自身で考えてする勉強がなくなってしまっていないか、ちょっと心配している。
 高校の受験勉強も、自分で本屋にいって、分析して勉強する内容・方法を考えるのではなく、
 学校と塾から出された課題をどんどんこなしていくだけで、自分で勉強方法を考える時間が
 なくなってしまってはいないか?
 ちょっと心配している。
 高校へいっても、塾にいって勉強内容を詰め込むことになり、
 大学へいったら、糸がきれて、目標を見失わないか、
 と思いつつも、
 受験後、高校からの宿題のおかげで、羽目を外しっぱなしの娘が勉強しはじめて、

 高校合格を喜んでいる、今日このごろです。
 

 
 

2013年03月16日

受験合格後

高校受験も終わった。
合格発表も終わって、塾の祝賀会、中学への報告、
高校入学準備のために、高校への手続き、制服注文へといろいろと忙しい。
高校から国語、数学、英語、それぞれ多くの宿題が出され、
今まで見れなかったTVをみつつ、娘は早速、高校からの宿題にとりかかる。
塾も終わったか、と思ったら、
高校入学準備と称して、500円で4日間と格安で授業に開催され、それに参加する、とのこと。
一方、友達からは遊びの誘いがかかり、ゲームセンタにいったり、ディズニーランドにいったり、と
合格後もいろいろとやることが次から次へと、娘は大忙し。

親とすれば、といあえずホッとして、心に隙間ができた状態であるが、
娘は絶好調。
とりあえず、よかった、と思う、今日この頃です。

2013年03月15日

学問のすすめ

学問のすすめ 初編

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。

とのこと。
人の上に人を造らず人の下に人を造らず、
といっても、貧しき人・富める人、貴人・下人など、
人と人には、雲泥の差がある。
賢人と愚人の差は、学ぶか学ばないかで違いが出来てくる。
だから勉強しよう、とのこと。

いまは、家柄でどうのこうの、ということはなくなった。
細かく言えば、実際は、塾にいく子、いける子といけない子で、成績もかわってくる。
子供の性格、能力、姿勢も親の生活に大きく影響を受けているが、
やる気及び能力が極端に高い人は、潰されることなく、成長できる世の中にはなった。
特に、福沢諭吉の時代は大きく世の中が動き、
勉強することが世の中に貢献出来る時代になってきた。
今も大きく世の中が動いていて、価値観が大きく変わって、
勉強することが世の中に貢献または自分の生き残りに繋がる。
しかし、今までと同じ勉強ではダメでしょう。
なにを勉強したらいいか?なにをしたらいいか?
(福沢諭吉の時代と違って、)それを見つけることが難しい。
ただただ感受性を高め、アンテナの感度を高め、勉強することか、と思う今日この頃です。



2013年03月14日

高校受験 合格発表

娘の受験の合格発表に同行した。
学校で10:00時発表。
学校に向かう道中は重苦しい雰囲気。

受験後の自己採点では、どうも合格か微妙。
同じ中学から受けた仲間の中では、娘は成績が悪い方だし、

娘、親とも落ち着かず沈黙。
まだ15歳、いきなり不合格で試練を受けるのも可哀想だし。
かみさんは最近、心配で寝不足で苛立っているし、

結局は、合格していて、
娘はルンルン、笑いを抑えられない、状態になった。

高校から、
 合格はスタートであるとのお言葉といっしょに
 宿題をいっぱい受け取る。

今日の予定としては、
  学校にいって、お祝いのお言葉を受ける。
  塾の祝賀会でいっぱい食べる。
とのこと。

なんとか、うまく進んできた。
高校に入っても、また順調に成長をしてほしい、
と願う、今日この頃です。





2013年03月13日

中学卒業

中学卒業

長い様な短い様な卒業式を迎えた。
娘は楽しそうな笑顔で、よかった。

高校受験後は、受験勉強からも開放され、見たかったTVをみつつ、娘はゲームざんまい。
友達といっしょにゲームセンタにでかけては、遊びつかれて帰ってくる。

しかし、明日は、高校入試の結果発表で、
親しとしては、微妙に、落ち着かない。
娘が最も気にしているはずではあるが、・・・・

娘はそれを紛らす様に遊んでいるのか?
受験で満足する結果であったのか?
今は、受験の結果を気にしている様子をみせていない。

いろいろと順調に進んできたが、
中学最後の締めくくりとして、
明日、よい知らせがくることを願っている。



自分への投資 



自分への投資

 未来への投資 
 

生活 



生活 

 生きている私
 

一休み 



一休み 

 息抜きしている私
 

人生の調味料 



人生の香辛料

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