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2016年02月29日

越生梅林(おごせばいりん)と大高取山_改訂版

『青梅』の梅林がなくなって、
梅の関東三大名所は『水戸』『越生』『熱海』と、なったよう。

で、閑話休題。

亀子と二匹で越生へ里山歩きに行ってきました。
住処を7時20分に出発。池袋、坂戸を経由して越生へ。
越生には8時55分に到着。
越生の町は2月20日からの『梅まつり』で梅林には多くの人集り。
まだ少し早かったのか蕾が目立った梅ですが
園内はイベントや露店が出て祭りを盛り上げていました。
ここで思わず長居をしたのと、またまた亀が道を間違えてロスタイム。

今日のハイキングコースへと道を急ぎます。
梅林入口まで戻り登山口を探します。
民家の間に登山口はありました。
山頂までは長い登りです(400mに満たない低山です。が、舐めてました。
登りの途中で亀は登るのを止めたくなりました)。
尾根道に出て少しは楽になった亀。亀子は元気に前を歩きます。
頂上からの眺めは東側に少しあるだけですがベンチが置かれて休憩には良さそうなところ。

一休みして今度は『桂木観音』を目指し一気に山を下ります。
桂木観音は行基菩薩が東国行脚をした際に、大和の国『葛城山』に似ていることから
『かつらき』と名付けられたと伝えられるところ。
東南に開けたこの地からは関東平野が一望できますが、
観音堂と仁王門があるだけの住職が居ないところで、W荒れ果てた感Wが漂うところでした。

少しだけ車道を歩きすぐに『虚空蔵尊分岐』を分けて『ゆうパークおごせ』を目指します。
この辺りは『ゆず』の産地として有名だとか。
ゆず畑の間を抜けるハイキングコースはゆずの香りが漂い、
農家の玄関先にはゆずやポンカンが売られていました。

ゆうパークおごせは越生町が作った入浴施設で、水着で入る『ふれあいゾーン』は広く
いろいろなお風呂が楽しめます(ちなみに混浴です)。
が、二匹は裸で入る普通のお風呂に。温泉ではありませんがのんびりと手足を伸ばしました。
他にもカラオケやキャンプ場、バーベキュー場などの施設があり楽しめます。
二匹はお風呂の後、宴会場に侵入。カラオケを楽しむ人達を横目に見ながら
二匹でミニ宴会。またまたカロリーを摂取してしまったのです。

ゆうパークおごせHP<http://www.youpark.jp



越生駅.jpg
レトロ感が漂う越生駅舎

酒蔵.jpg
越生にただ一軒の造り酒屋『佐藤酒造』

梅.jpg
梅林1.jpg
越生梅林 まだ蕾が多いような感じ
満開の時はきっと素晴らしいに違いないと亀子が言う

猿まわし.jpg
大道芸の公演も
「可愛い!」の黄色い声が盛んに飛んでいた

ハイキングコース.jpg
大高取山 ハイキングコースの序盤は植林の中を歩く

山頂.jpg
大高取山山頂からの眺望 あいにく靄っていた

三角点.jpg
頂には三等三角点がある

桂木観音.jpg
桂木観音 観音様は拝観できなかった

ゆうパーク.jpg
ハイキングコース最終地点から『ゆうパークおごせ』をみる
山行の疲れを取るにはお風呂が一番!











2016年02月24日

雨の万世橋

何か演歌の題名みたいなタイトルを付けてしまいましたが、
荒天の中、二匹で住処から『万世橋』までノソノソとお出かけ(雨の中を歩きました)。

万世橋際にはお馴染みの『肉の万世』があります。
創業は昭和24年。電気部品商から肉屋さんに転業して今に至ります
(この店のお肉しか食べられないと言う可笑しな上司がいましたっけ。
 んで、特に安いとか…言うわけでもないのですが『肉』=『万世』って言う図式が
 二匹の頭の片隅にはあるようです。で、ここのキャラクター『モーちゃん、ブーちゃん』は
 可愛くて好き。これも創業当時から変わらないもので包装紙に使われています)。

で、荒天なのでお客さんは少ないと思いきや、
とんでもない、フロアには順番待ちの行列ができていました。

二匹は四階のフロアへ。ここはJRの線路とほぼ同じ高さなので
北側には『総武線』、西側は『中央線』を見ることができます
(亀は鉄オタではないので興奮はしませんが…)。

で、久しぶりの万世で洋食を頂き、益々、太る亀二匹。

肉の万世HP<http;//www.niku-mansei.com>


雨の万世橋.jpg
雨に煙る中央通り

ステーキ.jpg
万世ステーキ(メニューと印象が???)




2016年02月17日

スズメ






良くないことと、思いながら
ベランダに『パン』を撒いた二匹。

最初は三匹の兄弟らしきスズメたちが来た。
そのうちにスズメの数は多くなり十数匹にも増えてしまった。
パンを啄ばむスズメたちの仕草をみていると
可愛くて仕方がない二匹。

でも、スズメの数は増えすぎた。
心を鬼にして『パン』を撒くことをやめた。

やめると途端にこなくなった。が、二匹のうちどちらかが
ベランダへ出るとどこで見ているのだろう
「パンをください」と催促するように
部屋の中を覗きにきてWチュン、チュンWと鳴く。

ヒヨドリはベランダで栽培していた『大根』の葉を啄ばみ、
カラスは巣作りに忙しいらしく盛んに飛び回っている。


スズメ.jpg


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2016年02月13日

石見神楽(いわみかぐら)

島根県の石見一円で演じられている『神楽』を『石見神楽』と言い、
神々を招いて収穫の感謝をあらわす神事として夜を徹して奉納されます。
演目は30種以上にのぼり神楽を舞う団体数は100以上。
地元ほか各地での定期公演や各種イベントへの出演など多彩な形で、
見る機会が多くなっています。

文京シビックセンター小ホールで行われた公演会に行ってきました。
演目は二題。『十羅(じゅうら)』と『大蛇(おろち)』です。

『十羅』は<彦羽根>と言う悪鬼が日本に来て庶民を悩ませている時、
<須佐之男命>の末娘<十羅刹女>が鬼を改心させる物語。
『大蛇』はご存知<須佐之男命>と<櫛稲田姫>、<ヤマタノオロチ>の物語。

その神楽は勇壮なテンポ、絢爛豪華な衣装で、
演劇性、エンターテインメント性が高く、見るものをWグイグイWと
神話の世界へと引き込んでいきます。
概ね二時間の公演時間はあっという間に終わり
神楽社中に御花(おんはな=ご祝儀)が送られWヤンヤWの大喝采。
機会があれば是非、石見の現地で見てみたいと二匹で思うのでした。


DSC_0279.JPG









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2016年02月08日

旧伊勢屋質店

菊坂通りにある『旧伊勢屋質店』は樋口一葉が本郷菊坂の借家に暮らしていた時代を
語るのに欠かせないお店です。
父の死後プロの作家を目指す一葉がその生活の苦境の折、駆け込んだのがこの質店です。

昨年の11月から内部が公開されています。
二匹、散歩の折に見学してきました。

木造建築の良さは、日本人の肌に馴染むことでしょうか。
建物の中に入ると懐かしさと居心地の良さが感じられます。

公開は土曜と日曜日の10:30から16:00(入場は15:30まで)。
詳細は跡見学園女子大学のHPにて。

アドレスは<http://www.atomi.ac.jp/


伊勢や質店.jpg












2016年02月07日

新内


亀子の義理の叔父さんが
新内の公演へ誘ってくれました。

浅草の『文七』と言う喫茶店を借り切っての小さな公演会。
二匹でお邪魔してきました。

新内を聴くのは二回目。
一回目は急用で行かれなくなった、やはり亀子の義理の叔父さんから
チケットを譲ってもらったものでした。
初めての公演会は途中で落語が入っての二部構成。
知らない世界を体験するので二匹とも“ワクワク、ドキドキ”でした。

んで、にわか蘊蓄

<新内>
何となく色っぽい♀エじがしませんか?
それもそのはずテーマの多くは男女の色恋で、日本人特有の恋愛感情と死生観を反映しています。
調べると
<以下出典:人間国宝 I賀流11代目家元 鶴賀若狭掾(つるが わかさのじょう)HPより「新内の発展」から。一部改変>

・三味線音楽
日本の伝統音楽の一つ。
大阪で生まれ文楽人形と共に今日に至る義太夫節、京都の一中節、
江戸で生まれた豊後系浄瑠璃、長唄、小唄、地唄、荻江、歌沢、宮薗など15のジャンルに分かれます。

・唄物(うたもの)と語り物(かたりもの)
三味線音楽は、唄物(うたもの)と語り物(かたりもの)に大別され、
どちらも三味線を伴奏楽器として、唄物は物語や情景を叙事的に唄い、浄瑠璃は物語を叙情的に語ります。
浄瑠璃の方が幾分感情移入が多くドラマチックで、
唄物には長唄、地唄、小唄、端唄、荻江などがあります。
語り物は浄瑠璃物ともいわれて義太夫、豊後系浄瑠璃の新内・常磐津・富本・清元等があります。
各々それぞれ曲調の特色があり、節も発声も違い、三味線も棹・糸の太さも、
駒も皮の厚みも張り具合も、そして撥の大きさも厚みも目方も、
その上材質まで違うジャンルもあります。
また、語る演目(文章)も流派によって異なります。

表現の方法と形がジャンルによって異なり、それぞれの特性を出して聴衆に訴えます。
各流派が特徴ある表現方法と演者の個性が三味線と語りにのって、
あるときは豪快に繊細に、優雅に大胆に、激しく優しく、嬉しく哀しく、大小細太と、
愛欲と涙と喜びの織り成す人間模様を美しい日本語で創造します。

・江戸浄瑠璃
江戸浄瑠璃=新内は浄瑠璃の一派であり初代鶴賀若狭掾を始祖に1760年頃生まれました。

一中節の始祖・都一中(みやこいっちゅう)の門人である都半中は
1730年頃に京都から江戸へ出て宮古路豊後と改名(後に豊後掾)して豊後節を創りました。
官能的で頽廃的な曲調は江戸市民に一大ブームを巻き起こし大流行となりました。
しかし、その頃江戸で心中が流行しており、その原因が豊後節の流行と結びつけられ、
また風紀上の理由と 他の幾つかの理由とを付けられて、豊後節を語ることを禁じられました。
その上稽古する事も名前を使う事もすべて禁止という弾圧を受けました。
そのため宮古路豊後掾は京都へ戻りました。
しかし、江戸に居る門人たちは困りました。芸も出来ず生活もできません。
そこで門人は宮古路や豊後の名を捨てて名前を変えて新しい歌詞と曲を創り始めました。
その中の一人が常磐津節・富本節・清元節そして新内節を創設しました。
これを江戸浄瑠璃4派と呼び、親を同じに生まれた4派ですが、
それぞれが新作を創り独自の道を歩み始めたのです。
常磐津・清元は主に歌舞伎や舞踊の伴奏音楽となり発展をしました。
しかし、新内は他の芸能とは提携せず素浄瑠璃の形態で今日まで続いて来ました。

新内の始祖である初代鶴賀若狭掾は、他の豊後節系浄瑠璃とは違い江戸三座(江戸町奉行所によって
歌舞伎興行を許された芝居小屋)には出演せず、座敷浄瑠璃、素浄瑠璃(すじょうるり)として
他の芸能とは提携せずに発展し、多くの作品を残しました。
その若狭掾門下から盲目の鶴賀新内が現れました。彼の鼻に抜ける美声の新内に人気を得て大当たり。
そのためいつの間にか鶴賀節が新内節と言われるようになりました。
それは、他の豊後系の諸流とは別の芸風を生み、素語りの自由な語り物としてもっぱら遊里を中心に定着し、
いっそう官能的、情緒的な語り口となり、庶民から愛される身近な音楽となりました。
(以下省略)

で、今回のメイン演目は名曲「蘭蝶」と「瞼の母」。
気忙しい昨今の曲とは縁遠いゆったりとした時間の中で
しばし、泳いだ二匹です。









2016年02月02日

標高80m! 3座連続登頂成功(ってか)!

住処から新宿を経由して京王線で『東府中駅』へ。
ここから『武蔵小金井駅』行きのバス5分ほどで
『浅間山公園』(都立の公園です)に着きます。
『武蔵野』の面影を残している小さな公園です。
小さな丘が三つあり、それぞれに『前山』『中山』『浅間山(堂山)』の名前が付いています。
『浅間山』の頂上(海抜80m)には『浅間神社』が鎮座しています。
北東側の隣は『多磨霊園』、西南の方向には『府中の森公園』があります。
また近くには『野川公園』『武蔵野公園』『武蔵野の森公園』があり
散歩やピクニックには良いところ。

亀子と二匹、落ち葉を踏みしめ園内を一回り。って、何もない公園でした。
それでも園内には小さなアップダウンがあり、それなりに草臥れます。
また、公園の飛び地には梅の花が咲いていました。

この後二匹はウロウロ、ノロノロと『府中の森公園』へ。
ここはスポーツ施設や文化施設を含む大きな公園でした。

浅間山公園HP<http://musashinoparks.com/kouen/sengenyama/


案内図.jpg
公園内案内図

園内.jpg
武蔵野の雰囲気を残す園内

富士山VS.jpg
好天だとここから富士山が見えるらしい

前山.jpg
中山.jpg
浅間山.jpg
前山/中山/浅間山の頂?

浅間神社.jpg
頂上には浅間神社

梅.jpg
公園の飛び地には梅の花が






プロフィール
ハゲの亀さんの画像
ハゲの亀
無知蒙昧な亀がノロノロ、ウロウロと徘徊。 知ったか亀の譫言にお付き合い下さい。そして間違え等有りましたら教えて下さいね。よろしく。
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