2017年08月13日
【No.13】英語を話せるようになったわけ
那覇市のストリップ劇場
『那覇ミュージック』
勤務初日は土曜日。
確か月の半ばを過ぎた頃だった。
開演から二時間経ち一回目のステージが終わった頃だった。
賑やかになってきたエントランスから聞こえるのは、明らかに日本語ではない。
私は場内の後方、一歩下がればエントランスが見える場所にいた。
様子を見ようと下がろうとしたとき、ぞろぞろと5人くらいの団体?が入ってきた。
彼らは私がスタッフだと云うことには気付かず、一瞥してステージ脇の席に座った。
およそ一週間殆ど沖縄に滞在していたが、初めての見るアメリカ兵。
若干圧倒されつつも今私が沖縄に居ることを実感した瞬間でもあり、ある種の感動が沸き起こった。
同じような感じで、複数名づつアメリカ兵がぞろぞろと場内を埋めていき、飛び交う言葉は英語のみ、ここが日本ではないような錯覚に陥った。
僅かに衣類日本人のお客が観光客の様相であり、極めて不思議な光景。
ショーとショーのインターバルは凡そ10分程あり、ショーの最中は基本的に静かに観劇しなければならないが、インターバルは完全フリーで、洋画で観た飲み屋の風景のようなイメージであった。
仕事も独特な雰囲気も私の其れまでの人生には全く無かったものであり、戸惑いもあったが、それよりもワクワクやドキドキといった感情や好奇心が大きくなっていくのが分かった。
さて、次のショーの開始まで後5分程あり、私は特にやることが無かったため、エントランスに移動した。
そこには、HとKがおりIは次のショーの照明音響MCをするために照明ブースに入っていった。
まだ、この時はHとKとは距離感があり、大した会話はしていない。
その時、老齢の大男が陽気に入ってきた。
『グッモーニン!』
キャップをかぶり後ろ髪を縛った風体である彼はそう挨拶をしたのだ。
その時、Hが彼に私を紹介した。
名前をFと名乗った彼は、アメリカ人ではあるが、長いこと沖縄に住んでおり、ある程度の日本語を理解し話すことが出来た。
彼もこのストリップ劇場のスタッフであり、『裏のサービス』を取り仕切る人物であった。
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『那覇ミュージック』
勤務初日は土曜日。
確か月の半ばを過ぎた頃だった。
開演から二時間経ち一回目のステージが終わった頃だった。
賑やかになってきたエントランスから聞こえるのは、明らかに日本語ではない。
私は場内の後方、一歩下がればエントランスが見える場所にいた。
様子を見ようと下がろうとしたとき、ぞろぞろと5人くらいの団体?が入ってきた。
彼らは私がスタッフだと云うことには気付かず、一瞥してステージ脇の席に座った。
およそ一週間殆ど沖縄に滞在していたが、初めての見るアメリカ兵。
若干圧倒されつつも今私が沖縄に居ることを実感した瞬間でもあり、ある種の感動が沸き起こった。
同じような感じで、複数名づつアメリカ兵がぞろぞろと場内を埋めていき、飛び交う言葉は英語のみ、ここが日本ではないような錯覚に陥った。
僅かに衣類日本人のお客が観光客の様相であり、極めて不思議な光景。
ショーとショーのインターバルは凡そ10分程あり、ショーの最中は基本的に静かに観劇しなければならないが、インターバルは完全フリーで、洋画で観た飲み屋の風景のようなイメージであった。
仕事も独特な雰囲気も私の其れまでの人生には全く無かったものであり、戸惑いもあったが、それよりもワクワクやドキドキといった感情や好奇心が大きくなっていくのが分かった。
さて、次のショーの開始まで後5分程あり、私は特にやることが無かったため、エントランスに移動した。
そこには、HとKがおりIは次のショーの照明音響MCをするために照明ブースに入っていった。
まだ、この時はHとKとは距離感があり、大した会話はしていない。
その時、老齢の大男が陽気に入ってきた。
『グッモーニン!』
キャップをかぶり後ろ髪を縛った風体である彼はそう挨拶をしたのだ。
その時、Hが彼に私を紹介した。
名前をFと名乗った彼は、アメリカ人ではあるが、長いこと沖縄に住んでおり、ある程度の日本語を理解し話すことが出来た。
彼もこのストリップ劇場のスタッフであり、『裏のサービス』を取り仕切る人物であった。
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