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2022年08月06日

何と凄い内容のご指導に大感動いたしました。(参考資料より)

日本を本気で憂え、全日本人に伝えたい内容の有難いご指導です。

本年の中盤六・七月法戦、全顕正会で誓願一万五千を遥かに突破する二万四千四百七十名の大法弘通の報に驚きと感激でいっぱいであります。

男子部も大聖人御照覧の御馬前の戦いをみつめ三百万を急がれる先生の御心をたいし総力を挙げて戦い切った結果、六・七月法戦としては過去最高の一万千八百二十名の赤誠を以てその一翼を担う事が叶い有難さの極みであります。

御遺命に背き戒壇の大御本尊様をも捨て奉った学会は公明党の比例得票数の激減が物語る通り、深刻なる崩壊が始まり、片や宗門の供養を収奪する事に血道を挙げる宗門は凋落の一途をたどり、餓鬼道に堕す姿を見ては「広布最終段階の御奉公を申し上げる仏弟子の大集団は理不尽なる解散処分を乗り越えて一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外にはあるべくもない」との先生の師子吼が殊更に重く命に響いたものであります。

そこに男子部は迎える原点の月・八月、入信した大勢の人材に総幹部会のネット配信を視聴させオンライン総部集会にも参加させて信心強き人材で打ち固めると共に後半戦を睨んだ先手の折伏を油断なく進めて参らんと決意するものであります。

今般、先生は富木殿御返事の「仏法は体の如し世間は影の如し、体曲がれば影ななめなり」また神国王御書の「仏法の咎あれば大風・大波の小船を破るが如し国の破れる事疑いなし」との御金言を引かれ「仏法と国家の関係」につき極めて重大指導を下さいました。

仏法の眼を以て仏法と国家の関係を凝視され、又それを今、詳らかにする資格を有する御方は唯おひとり、御遺命を護り奉られた先生をおいて他に断じて居られず、同時に亡国を眼前にした今こそ「国家の興亡盛衰の根本は仏法に因る」との先生の師子吼を急ぎ全日本人の耳に入れしめて参らんと思わずにはおれません。

先生は仏法が曲がれば必ず国家に大きな影響を及ぼす事を理解せしめる為に大正年間と敗戦時における二つの忌まわしき事例を挙げて御教示下さいましたが、「あまり言いたくない事」との仰せに正系門家の恥部を晒す事への逡巡と、しかし敢えてそれに言及された深き御心を拝察すれば先生の並々ならぬ御覚悟をひしひしと感じ、私自身一言一句なりとも聞き漏らすまいとの真剣勝負の気迫で拝聴致しました。

全男子部はこの度戴いた「仏法と国家の関係」をよくよく命に刻む中に今がいかなる時であるのか、そして先生率いる顕正会の前進に日本の命運の全てが掛かっている事を深く肝に銘じ、更なる大確信に立って先生の背景たる大前進を成さんと決意するものであります。

先ず先生は大正時代の「立正大師諡号宣下問題」につき大正十一年九月に身延を始めとする邪宗日蓮宗各派に日蓮正宗も加わり宮内庁に請願書を提出し「立正大師諡号宣下」を願い出た事を御示し下さいました。

「宗祖日蓮へ大師号を宣下そうろう事」との宣下書における無礼千万の文言には憤りが込み上げ、あろうことか宣下書を受け取った足で築地・水交社で日正管長が身延派管長導師の下、各派管長と共に読経・唱題するという謗法同座は驚くべき堕落であり、まして日蓮大聖人の御名にこめられた末法の御本仏・文底下種の教主・末法今時の本尊にてまします深義を伺うほどに未だ帰依していない天皇に諂い立正大師の諡号宣下を願い出る推尊入卑には言葉を失いました。

「謗法と同座すべからず与同罪を恐るべき事」との御遺誡。

更には涙なくしては拝し得ぬ日興上人の身延離山の大精神を思う程にやるせない思いとなりました。その翌年に日正管長は舌癌が発症して亡くなった現罰には息を呑み、何より同年九月一日には全焼家屋二十一万二千棟・死者十万五千人に及んだ関東大震災が発生し東京・横浜が灰塵に帰すと言う国家に甚大な影響が現れたのみならず、それより満州事変・三陸地方の大地震・大津波、太平洋戦争、そして敗戦の憂き目を見た事実には身震いを禁じ得ませんでした。

更に二つ目の僻事として敗戦直前、軍部が数百人の朝鮮兵の宿舎として徴用した客殿・書院にあろうことか天照大神を祀る神棚が祀られたその翌日、戒壇の大御本尊まします御宝蔵以外の大石寺の枢要の建物五百余坪が炎上し御当職の六十二世日恭上人が火中の御遷化をされた事には慄然と致しました。

殊に日恭上人の覚悟の御遷化につき先生は、その背景を克明に御教示下さいました。

伊勢神宮の信徒を国教として国民を統御して陸軍・海軍を統帥し大元帥陛下と呼ばれていた現人神の天皇の絶対権威を笠に着た軍部が権力を奮っていたいた時代背景があり、宗内に於いても小笠原慈聞なる野心家の悪僧が跳梁跋扈し軍部に諂った神本仏迹論なる邪義を説き、軍部や身延とも気脈を通じて何と大石寺を身延に吸収させ己が大石寺の貫首になる密約までも交わし日恭上人を不敬罪で特高警察に逮捕させようと策略の限りを巡らせていたと言う、およそ耳を疑うような事情を指導下さいました。先生は日恭上人の御遷化につき「逃げれば逃げられたにもかかわらず、敢えて大奥に身を留められた」として、その御胸中を拝察され、かく述べられました。日恭上人のこの時の御心を拝推すれば、それはただただ大聖人様へのお詫びの心以外にはあられなかったに違いない。

「我が力及ばずしてこの大過を招いた事、ただただ申し訳ないとその故に全責任を一身に負われて火中の御遷化を選ばれたのである」と正直で温厚篤実な日恭上人が火中の御遷化を遂げられた御心境には胸が詰まる思いとなりました。

かくて戒壇の大御本尊様の御傍近くに謗法の神棚が祀りこまれた事で大石寺に大火災が起きたその二か月後に広島と長崎に原爆が投下され日本が有史以来の敗戦となった事を思う時、「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」との御金言が千金の重みで五体を貫くと共に日蓮大聖人の下種仏法の唯一の正系門家・富士大石寺の重大性と下種御本仏の厳然たる賞罰を刮目致しました。

そこに昭和四十年代から宗門の最高実力者たる池田大作が宗門を圧伏し時の貫首を初め全宗門を諂わせ御本仏一期の御遺命の国立戒壇を否定して偽戒壇正本堂を御遺命の戒壇と偽った大悪。その上あろうことか「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と会長・原田稔に言わしめ、恐れ多くも戒壇の大御本尊を八百万学会員に捨てさせた極限の大謗法。

かたや阿部日顕は国立戒壇を否定する悪書をものして御遺命破壊に加担したばかりか己の出世の道が閉ざされるや戒壇の大御本尊様への許されざる大悪言を弄した挙句、学会と修羅と悪竜の合戦を始めるや戒壇の大御本尊を大怨嫉する身延派と連携し身延派の悪僧等を大石寺に何度も迎える無道心。このように現在の正系門家は学会も宗門もその悉くが戒壇の大御本尊に対し奉る信心もなく内部から進んで御本仏の御遺命を破壊する獅子身中の虫の獅子を食(は)むの腐敗堕落の極と言うべき為体には慄然と致します。

先生は立正大師諡号宣下問題は外からの誘(いざな)いに乗り、日恭上人の時の神棚祀りこみは、それを諌めなかった仏法上の咎ありと雖も所詮は軍部がやった事として、正系門家の中から起きたこの師敵対・大謗法は先に述べた二つの不祥事とは仏法破壊の深さが違うと断ぜられましたが、現在の正系門家における極限の師敵対・大謗法が日本に与える影響は関東大震災や有史以来の敗戦と言う甚大な結末をもたらした日正貫首・日恭上人の時とは比べるべくもない事に強い戦慄を覚えるものであります。

ここに深く思うは「仏法の滅・不滅は叡山にあるべし叡山の仏法滅するかの故に異国我が朝を滅ぼさんとす」とて正系門家の御遺命破壊によりいよいよ前代未聞の大闘諍が起こり他国侵逼により日本が滅びんとする時、正系門家に浅井先生がおられる不思議であります。

先生は御遺命破壊を御覧になるや御身が破れるのは顧みず捨身の諌暁を重ねられ死罪に等しい解散処分を被るとも遥拝勤行で広宣流布を進められ、その間偽戒壇正本堂を崩壊に至らしめ遂に亡国迫る日本に三百万の大軍勢を出現せしめ、いよいよ広布を決せんと第三回目の一国諌暁に臨んとしておられます。

順縁広布の入り口たる敗戦によりアメリカに依存しなければ存立し得ない属国となった日本にアメリカの衰退と中国の台頭と言う深刻な地殻変動が起き、一方信教の自由が保障された事で国家権力の弾圧を受けず日蓮大聖人の御大法を弘通できる時代となり、その第一陣の学会が第六天の魔王の働きにより覆る中に一念も大聖人様を忘れ奉らず「大聖人此処にましませば何を命じたもうか」との大忠誠心だけで御遺命成就に戦われる浅井先生が居られ真の仏弟子三百万の大集団が出現する不思議こそ大聖人様の厳たる御意志と謹んで拝するばかりであります。

私達は宿縁拙く過去の大事の御奉公に連なる事能わずとも浅井先生が六十有余年の激闘を背景として、いよいよ到達される大聖人御照覧の御馬前の戦いへ御供が叶う宿縁は地涌の菩薩の一分としてこれに勝る喜びはなく直属男子部として、どこまでも先生の御決意に殉ずる覚悟を固めるものであります。

されば迎える原点の月・八月、三百万を一日でも早めるべく一切の油断を排して力ある広布の人材で組織を打ち固め後半戦を睨んだ先手の折伏を果敢に展開し、以て全男子部一丸となって浅井先生にお応えして参ろうではありませんか。の御馬前の戦いをみつめ三百万を急がれる先生の御心をたいし総力を挙げて戦い切った結果、六・七月法戦としては過去最高の一万千八百二十名の赤誠を以てその一翼を担う事が叶い有難さの極みであります。

御遺命に背き戒壇の大御本尊様をも捨て奉った学会は公明党の比例得票数の激減が物語る通り、深刻なる崩壊が始まり、片や宗門の供養を収奪する事に血道を挙げる宗門は凋落の一途をたどり、餓鬼道に堕す姿を見ては「広布最終段階の御奉公を申し上げる仏弟子の大集団は理不尽なる解散処分を乗り越えて一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外にはあるべくもない」との先生の師子吼が殊更に重く命に響いたものであります。

そこに男子部は迎える原点の月・八月、入信した大勢の人材に総幹部会のネット配信を視聴させオンライン総部集会にも参加させて信心強き人材で打ち固めると共に後半戦を睨んだ先手の折伏を油断なく進めて参らんと決意するものであります。

今般、先生は富木殿御返事の「仏法は体の如し世間は影の如し、体曲がれば影ななめなり」また神国王御書の「仏法の咎あれば大風・大波の小船を破るが如し国の破れる事疑いなし」との御金言を引かれ「仏法と国家の関係」につき極めて重大指導を下さいました。

仏法の眼を以て仏法と国家の関係を凝視され、又それを今、詳らかにする資格を有する御方は唯おひとり、御遺命を護り奉られた先生をおいて他に断じて居られず、同時に亡国を眼前にした今こそ「国家の興亡盛衰の根本は仏法に因る」との先生の師子吼を急ぎ全日本人の耳に入れしめて参らんと思わずにはおれません。

先生は仏法が曲がれば必ず国家に大きな影響を及ぼす事を理解せしめる為に大正年間と敗戦時における二つの忌まわしき事例を挙げて御教示下さいましたが、「あまり言いたくない事」との仰せに正系門家の恥部を晒す事への逡巡と、しかし敢えてそれに言及された深き御心を拝察すれば先生の並々ならぬ御覚悟をひしひしと感じ、私自身一言一句なりとも聞き漏らすまいとの真剣勝負の気迫で拝聴致しました。

全男子部はこの度戴いた「仏法と国家の関係」をよくよく命に刻む中に今がいかなる時であるのか、そして先生率いる顕正会の前進に日本の命運の全てが掛かっている事を深く肝に銘じ、更なる大確信に立って先生の背景たる大前進を成さんと決意するものであります。

先ず先生は大正時代の「立正大師諡号宣下問題」につき大正十一年九月に身延を始めとする邪宗日蓮宗各派に日蓮正宗も加わり宮内庁に請願書を提出し「立正大師諡号宣下」を願い出た事を御示し下さいました。

「宗祖日蓮へ大師号を宣下そうろう事」との宣下書における無礼千万の文言には憤りが込み上げ、あろうことか宣下書を受け取った足で築地・水交社で日正管長が身延派管長導師の下、各派管長と共に読経・唱題するという謗法同座は驚くべき堕落であり、まして日蓮大聖人の御名にこめられた末法の御本仏・文底下種の教主・末法今時の本尊にてまします深義を伺うほどに未だ帰依していない天皇に諂い立正大師の諡号宣下を願い出る推尊入卑には言葉を失いました。

「謗法と同座すべからず与同罪を恐るべき事」との御遺誡。

更には涙なくしては拝し得ぬ日興上人の身延離山の大精神を思う程にやるせない思いとなりました。その翌年に日正管長は舌癌が発症して亡くなった現罰には息を呑み、何より同年九月一日には全焼家屋二十一万二千棟・死者十万五千人に及んだ関東大震災が発生し東京・横浜が灰塵に帰すと言う国家に甚大な影響が現れたのみならず、それより満州事変・三陸地方の大地震・大津波、太平洋戦争、そして敗戦の憂き目を見た事実には身震いを禁じ得ませんでした。

更に二つ目の僻事として敗戦直前、軍部が数百人の朝鮮兵の宿舎として徴用した客殿・書院にあろうことか天照大神を祀る神棚が祀られたその翌日、戒壇の大御本尊まします御宝蔵以外の大石寺の枢要の建物五百余坪が炎上し御当職の六十二世日恭上人が火中の御遷化をされた事には慄然と致しました。

殊に日恭上人の覚悟の御遷化につき先生は、その背景を克明に御教示下さいました。

伊勢神宮の信徒を国教として国民を統御して陸軍・海軍を統帥し大元帥陛下と呼ばれていた現人神の天皇の絶対権威を笠に着た軍部が権力を奮っていたいた時代背景があり、宗内に於いても小笠原慈聞なる野心家の悪僧が跳梁跋扈し軍部に諂った神本仏迹論なる邪義を説き、軍部や身延とも気脈を通じて何と大石寺を身延に吸収させ己が大石寺の貫首になる密約までも交わし日恭上人を不敬罪で特高警察に逮捕させようと策略の限りを巡らせていたと言う、およそ耳を疑うような事情を指導下さいました。先生は日恭上人の御遷化につき「逃げれば逃げられたにもかかわらず、敢えて大奥に身を留められた」として、その御胸中を拝察され、かく述べられました。日恭上人のこの時の御心を拝推すれば、それはただただ大聖人様へのお詫びの心以外にはあられなかったに違いない。

「我が力及ばずしてこの大過を招いた事、ただただ申し訳ないとその故に全責任を一身に負われて火中の御遷化を選ばれたのである」と正直で温厚篤実な日恭上人が火中の御遷化を遂げられた御心境には胸が詰まる思いとなりました。

かくて戒壇の大御本尊様の御傍近くに謗法の神棚が祀りこまれた事で大石寺に大火災が起きたその二か月後に広島と長崎に原爆が投下され日本が有史以来の敗戦となった事を思う時、「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」との御金言が千金の重みで五体を貫くと共に日蓮大聖人の下種仏法の唯一の正系門家・富士大石寺の重大性と下種御本仏の厳然たる賞罰を刮目致しました。

そこに昭和四十年代から宗門の最高実力者たる池田大作が宗門を圧伏し時の貫首を初め全宗門を諂わせ御本仏一期の御遺命の国立戒壇を否定して偽戒壇正本堂を御遺命の戒壇と偽った大悪。その上あろうことか「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と会長・原田稔に言わしめ、恐れ多くも戒壇の大御本尊を八百万学会員に捨てさせた極限の大謗法。

かたや阿部日顕は国立戒壇を否定する悪書をものして御遺命破壊に加担したばかりか己の出世の道が閉ざされるや戒壇の大御本尊様への許されざる大悪言を弄した挙句、学会と修羅と悪竜の合戦を始めるや戒壇の大御本尊を大怨嫉する身延派と連携し身延派の悪僧等を大石寺に何度も迎える無道心。このように現在の正系門家は学会も宗門もその悉くが戒壇の大御本尊に対し奉る信心もなく内部から進んで御本仏の御遺命を破壊する獅子身中の虫の獅子を食(は)むの腐敗堕落の極と言うべき為体には慄然と致します。

先生は立正大師諡号宣下問題は外からの誘(いざな)いに乗り、日恭上人の時の神棚祀りこみは、それを諌めなかった仏法上の咎ありと雖も所詮は軍部がやった事として、正系門家の中から起きたこの師敵対・大謗法は先に述べた二つの不祥事とは仏法破壊の深さが違うと断ぜられましたが、現在の正系門家における極限の師敵対・大謗法が日本に与える影響は関東大震災や有史以来の敗戦と言う甚大な結末をもたらした日正貫首・日恭上人の時とは比べるべくもない事に強い戦慄を覚えるものであります。

ここに深く思うは「仏法の滅・不滅は叡山にあるべし叡山の仏法滅するかの故に異国我が朝を滅ぼさんとす」とて正系門家の御遺命破壊によりいよいよ前代未聞の大闘諍が起こり他国侵逼により日本が滅びんとする時、正系門家に浅井先生がおられる不思議であります。

先生は御遺命破壊を御覧になるや御身が破れるのは顧みず捨身の諌暁を重ねられ死罪に等しい解散処分を被るとも遥拝勤行で広宣流布を進められ、その間偽戒壇正本堂を崩壊に至らしめ遂に亡国迫る日本に三百万の大軍勢を出現せしめ、いよいよ広布を決せんと第三回目の一国諌暁に臨んとしておられます。

順縁広布の入り口たる敗戦によりアメリカに依存しなければ存立し得ない属国となった日本にアメリカの衰退と中国の台頭と言う深刻な地殻変動が起き、一方信教の自由が保障された事で国家権力の弾圧を受けず日蓮大聖人の御大法を弘通できる時代となり、その第一陣の学会が第六天の魔王の働きにより覆る中に一念も大聖人様を忘れ奉らず「大聖人此処にましませば何を命じたもうか」との大忠誠心だけで御遺命成就に戦われる浅井先生が居られ真の仏弟子三百万の大集団が出現する不思議こそ大聖人様の厳たる御意志と謹んで拝するばかりであります。

私達は宿縁拙く過去の大事の御奉公に連なる事能わずとも浅井先生が六十有余年の激闘を背景として、いよいよ到達される大聖人御照覧の御馬前の戦いへ御供が叶う宿縁は地涌の菩薩の一分としてこれに勝る喜びはなく直属男子部として、どこまでも先生の御決意に殉ずる覚悟を固めるものであります。

されば迎える原点の月・八月、三百万を一日でも早めるべく一切の油断を排して力ある広布の人材で組織を打ち固め後半戦を睨んだ先手の折伏を果敢に展開し、以て全男子部一丸となって浅井先生にお応えして参ろうではありませんか。

最後までお読みいただきありがとうございます。

またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年06月06日

何と凄い体験発表に大感動いたしました。(参考資料より)

癌が再発、毎日”最後”との思いで勤行

  癌消滅!不思議の大功徳に医師も驚愕

  私は平成27年、女子部の縁で顕正会に入信させて頂きました。

 このたび自身の病を通して御本尊様絶対の大確信をつかませて頂く

 貴重な体験をいたしました。

    「大腸癌」

   絶対信に立ち完治

  今から6年前、ステージ2の胃癌が見つかり、そのときは内視鏡で深く胃壁を

 削り取る手術により完治しました。しかしその後に今度は大腸癌が見つかり、

 自身の罪障深さを知り、暗澹たる思いになりました。

  この大腸癌は広範囲に転移が疑われる「ステージ3」との診断を受け、さっそく

 内視鏡手術にて二箇所の癌を除去して経過観察になりましたが、担当医からは

 「恐らく転移性の癌がどこかに発症すると思われる」と告げられました。

  一瞬、不安がよぎりましたが、浅井先生が常に指導下さる

  「何があっても大丈夫」

    とのご指導と、諸先輩の温かな励ましに支えられ、ただ一生成仏だけを願う

   絶対信に立たせて頂きました。

     すると不思議なことに、何回検査を重ねても身体のどこにも癌転移の兆候

    は見られず、昨年1月に「完治」と主治医から告げられたのです。

      顕正会員の功徳

       医学会で話題に

     その際、感激のあまり思わず持っていた広告文をその担当医の教授に

    手渡し、「自分は富士大石寺顕正会で信心しております」と伝えておりました。

     その際、担当医である教授は

    「ああ、顕正会は知ってますよ。あなたも顕正会員だったんですか」と言い、

     さらに

     「以前ある医学会で、大学病院の医師が『顕正会の信仰は重病の治癒に

     因果関係があるようだ』と発表していた」

       と述べ、医学会でも顕正会員の功徳の体験が話題になっていることを

     はっきりと口にしたのでした。

      そしてこの一件を昨年の五月度男子部班長会で登壇させて頂きました。

      そしてこのたび私にとって三度目となる癌の体験を通して、

     御本尊様絶対のさらなる確信を深めさせて頂きました。

       「肝臓癌」

        毎日の勤行 真剣に

      ある日、異常な身体の倦怠感から病院を受診すると、肝臓に五百円ほどの

     肝臓癌が見つかり、医師から「これは手術で取り除くしかない」と言われ、

     またしても自身の罪障の深さを痛感させられました。

       同時に私は現在、腎不全のため週に三回透析を受けており、常に倦怠感

     がありましたので、「手術して体が保つのだろうか」との不安が拭えずに

     おりました。

      加えて心臓の縮小により血圧は八十〜六十台にまで下がり、透析も

    ままならない状況になりましたが、浅井先生のご指導のまま、一回一回の

    遥拝勤行を「これが最後の勤行」との思いで真剣に申し上げると、

    なんとまたしても不思議なことが起こったのです。

      それは勤行の姿勢を改めてより数日後、血圧が上昇したことで

    通常と同じく透析が受けられるようになり、そのうえ抗がん剤等の治療を

    一切行っていないにもかかわらず、二月に肝臓癌の再検査をすると、

    五百円玉ほどだった癌が百円玉ほどにまで縮小していたのです。

     このことで手術の予定がキャンセルになり、経過観察になったのでした。

        癌消滅!

     そのなか四月二十二日に、いつも通り就労支援の作業所で仕事をしていると

    急に胸が苦しくなり、救急車で富山県立中央病院に搬送され、救急車で

    搬送中に意識が遠のく中、「臨終」が頭をよぎりました。私は

  「何としても成仏させて頂きたい」との思いで心の中で必死にお題目を唱えて

   おりました。

    意識が戻った時、担当医から「○○さん危なかったですよ。肺に少量の血液が

   溜まっており、もし数時間遅れていたら命がなかった」と言われました。

  そしてその後、肺に血液が溜まった原因を調べるために精密検査を受けましたが、

  その際、俄かには信じられないことを告げられたのです。

    医師は興奮しながら

  「大腸も肝臓もきれいです。あったはずの癌がどこにも見当たりません」

    と説明してきたのでした。

   その後の癌マーカー検査も正常値になっており、なんと肝臓癌が完全に

  消滅してしまったのです。

    不思議の現証に

       医師も驚愕

    この現証を目の当たりにした医師は不思議そうに首をかしげており、

   「この期間に何かされましたか?」と聞かれたので「富士大石寺顕正会で

   信心しており、朝夕に勤行を行っております」と伝えると、

   「それは本当に不思議ですね」と大衝撃を受けておりました。

     さらに医師は「本来、五百円玉サイズの肝臓癌であれば黄疸が出ていても

    おかしくない中、抗がん剤の投与もなしで癌が消えるなどあり得ない」

    と驚愕しており、私も身体の倦怠感がなくなったことで癌が完治したことを

   実感し、さらなる大確信をつかませて頂きました。

      忠誠の証・遥拝勤行

             叶う有難さ

    四月二十八日、厳粛に奉修された立宗御報恩勤行会において浅井先生は、

   大聖人様の金剛のごとき大誓願を拝し奉られ

  「大功徳まします戒壇の大御本尊であられば、今、御遺命を守り奉る顕正会員

  が、恋慕渇仰して遥拝勤行し奉れば、その唱題は直ちに日蓮大聖人の御当体たる

  戒壇の大御本尊様に通じて、大功徳が頂ける」

    と指導下さいましたが、これまで数え切れないほどの大功徳を頂くことが

   叶ったのも、すべては正しき師匠・浅井先生のもとで、「忠誠の証」たる

   遥拝勤行に励めればこそと報恩感謝の念でいっぱいになるものであります。

    されば頂いた功徳に甘えることなく、富山の地より御報恩の大折伏を

   必ずやなし、無二の師匠・浅井先生にお応えしてまいる決意であります。



    最後までお読みいただきありがとうございます。

    またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年05月21日

御本仏に対する絶対信を貫かれる信心強盛な会員の登壇に感動いたしました。(参考資料より)

 「日蓮大聖人が我が心にお宿り下さる」

  「絶対信」を貫かん!御守護の連続

  私は平成12年、創価学会から入会させて頂きました。

   しかし入会後、夫と娘の大反発ですぐに未活動になり、以来十数年間、○○班長が

  ずっと励まし続けてくれました。そしてあるとき手渡された広告文の浅井先生の

  ご温顔に涙が止まらず、深い改悔のなか信心を貫く決意をいたしました。

   夫と娘は逆上し、私は家を出て離婚になりましたが、定年後も再雇用になって

  経済的に守られ、思う存分に御奉公が叶う有難さを嚙みしめては、浅井先生が

  おられればこそと、ひれ伏す思いであります。

    私は御奉公において、私の顔を見るなり「何しに来た。帰れ!」と怒鳴られる

   ことが多く、私自身、それでもと広告文と特集号を差し出して「読んで下さい」と

   口にするのがやっとで、申し訳なさを常に懐いておりました。

    そのような中、昨年12月に支区で行われた基礎教学書の全章のリモートでの

   読み合わせに参加すると、曽てないほどの大感動があふれ、ことに浅井先生の

   孤忠の激闘には涙が止まりませんでした。

    また、支区部長とのリモート座談会において、曽て日曜勤行で浅井先生より

   頂いた、新池御書を引かれての

   「信ずることによって、一足飛びに成仏の境界に入らせて頂ける」  

    とのご指導を伺い、さらに二月度総幹部会における

   「日蓮大聖人が我が心に宿って下されば、心法が変わる、命も変わる。

   貪欲の心は成仏を願う心に、瞋恚は慈悲の心に、愚痴は智恵に変わってくる。

   勿体なくも我ら凡夫が、大聖人様の分身にならせて頂ける」

     とのご指導に、何の力もない自分でも、大聖人様への絶対信だけで貫いて

    いこうと、清々しい思いでいっぱいになりました。 



    それよりは、御奉公が以前にも増して有難くてたまらず、班長より一歩前に

   踏み出して語っている自分に変わらせて頂きました。

    何度訪ねても、大反発の元夫や娘に対しては、「救い切りたい」といっそうの

   思いが湧き、また、未だ学会に籍を置く兄夫婦には「忠誠の証・遥拝勤行」

   特集号における

  「共に御遺命成就に戦う同志になってほしい」との先生のご慈愛あふれるお心を

  伝え切らんと実家に赴くと、門前払いされましたが、諦めず特集号を読み続けると

  ドアの陰で読み終わるまでずっと聞いていた兄の気配を感じ、入会近しを確信

  いたしました。

   そしてこのたび有難い展開がありました。

  4年ほど前から、班長とともに青森県東目屋村の配布を続けておりますが、

 「創価学会に入信しひどい目に遭った」と打ち明けてきた八十代の○○さんが、

 訪ねるたびに決定はするものの、家族に反対されたと入会勤行に至らないまま、

 施設に入所してしまいました。

  諦めきれず、息子の○○さんに特集号を手渡し、遥拝勤行を励まし続けていくと、

 三月二十日 「何度来ても自分はやる気はないから、顕正新聞は父の従姉妹に

 いつも渡している。訪ねてみればいい」と紹介してくれたのです。

  さっそく訪ねると従姉妹の○○さんは、「やっと来てくれた」と心待ちにしており

 「この新聞は凄い。日蓮大聖人様、南無妙法蓮華経と唱えていたら、悩みが次々と

いいほうに向かっているんです」と、黒石会館において求めての入信が叶ったのです。

  ○○さんが入信勤行を終えて帰宅すると、○○さんから「どうだった?」と

 電話があったそうで、○○さんの励ましもあり、翌日には、○○さんの息子と

 ○○さん二名の素直な入信が叶い、○○さんの純粋な信心に大感激しては、

 これも先生のお心が込められた特集号の威力と、ひれ伏す思いになりました。

   先日、○○総部長のリモートでの新入信者との語り合いに参加した○○さんは、

  「勤行が有難いです。今がいちばん幸せです」と大感激で語り、入信してすぐに

  折伏し、逆縁だった妹にも、施設に入所している○○さんにも早く勤行させたいと

 さらなる決意に立っており、共に戦う同志を頂けた有難さでいっぱいになりました。

  四月度総幹部会において浅井先生より頂いた

 「まさしく遥拝勤行こそ『忠誠の証』であるとともに、『広布前夜の時に敵った

  信行』なのである」

   とのご指導に命が震え、正系門家が師敵対の中、ただ御一人、大忠誠を貫かれる

浅井先生の弟子になり得た有難さが幾重にも込み上げては、どこまでも真心を尽くし、

以て報恩とさせて頂かんとの決意でいっぱいであります。

  されば、「入阿鼻獄」から救って頂いた自身こそ、浅井先生の願われる信心で

 打ち固めた三百万へ向け、頂いた同志と共に大成長を遂げ、お応えしてまいる

 決意であります。

   最後までお読みいただきありがとうございます。

   またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年04月20日

「第三次世界大戦こそ前代未聞の大闘諍」の内容の登壇を紹介させていただきます。(参考資料より)

亡国眼前に迫るとき一時に広宣流布  

このたび浅井先生は「創価学会必ず崩壊」特集号を発刊して下さいましたが、

 連日ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにしている今、第一面の

 「第三次世界大戦こそ『前代未聞の大闘諍』」との大見出しが人々の目に留まり、

 受け取る姿が多く、特集号の威力を実感するものであります。

  ご講演において浅井先生、「人心の荒廃」についてご教示下さいましたが、

 目を覆い、耳を塞ぎたくなるような惨たらしい事件が相次ぎ、罪のない人まで

 巻き込まれていることに胸が痛みました。

   まさに立正安国論御引用の「金光妙経」に仰せられる

   「一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・嗔諍のみ有って相讒し、枉げて

   辜無きに及ばん」

    そのものと痛感するものであり、そこに

   「三毒の心を根底から変えて下さるのは、日蓮大聖人の三大秘法だけである。

   ・・・・・・日蓮大聖人が我が心に宿って下されば、心法が変わる、命も変わる。

   貪欲の心は成仏を願う心に、瞋恚は慈悲の心に、愚痴は智恵に変わってくる」

    とのご指導には大感動込み上げ、恋慕渇仰の信心にいっそう励んでまいらんと

    の思いで一杯になりました。

     さらに先生は、日寛上人のご指南を引かれ

    「『国主の地位喪失』と『一切の人衆皆善心無く』の二つは、他国侵逼の

     前兆・予兆」

      と指導下さいましたが、今の日本の姿そのものと深く頷くばかりでした。

     同時に、一期弘法付嘱書における

    「国主此の法を立てらるれば」との御文と併せ拝しては、すべては

     「仏法より事起こる」であり、日本を金剛不壊の仏国となす「国立戒壇を

     建立せよ」との御遺命の重みを深く嚙みしめるものであります。

      本来ならこの仏国実現の重大使命ある正系門家が、いま師敵対に陥って

     しまっていることには暗澹たる思いになり、第六天の魔王の障碍とはいえ、

     民衆の心の乱れよりも、亡国を招くことにおいて百千万億倍の大悪に

     身が震えました。

       先生は、「大聖人様はこの大悪を許し給わず」と仰せになり、

     偽戒壇・正本堂建立を指して「仏教三千余年、史上空前の偉業なり」と

     大慢心し、「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉った池田大作が12年も

     姿を現わさず、今や「生ける屍」になっていることを示され、「学会は

     必ず崩壊する」と断ぜられました。

      さらに先生は、昨年制定された「創価学会 社会憲章」が、大聖人様を

     呼び捨てにした上に世間に諂う低次元な内容であることを示されましたが、

     憤りを通り越し長大息のほかはありませんでした。

      先生は

     「『仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重する』とは

     何事か。大聖人様の折伏は自讃毀他ではない。三大秘法だけが一切衆生

     成仏の大法であり、国家安泰・世界平和の唯一の正法である。他宗は

     ことごとく人を不幸にする邪法である。ゆえに邪法を捨てて正法を立てよ

     と仰せ給う。まさに破邪・立正の折伏こそ大慈大悲なのである」

      と獅子吼されました。

       日興上人の

      「御弟子悉く師敵対せられ候いぬ」との仰せが胸に迫り、浅井先生

     ただお一人、御遺命を死守せんと学会・宗門を諫め続けられ

     「本意忘るること無く候」との御心のままに御遺命成就に戦っておられる

     ことを伏して拝しては、偉大な師匠に畏敬の念でいっぱいになった

     ものであります。

       先日、学会から入会の○○さん宅に突然 学会婦人部長が来て

      「顕正新聞を見た。学会員のところには行かないで」と懇願して

      きました。その確信なき姿は不憫であり、先生の

      「悪師に付いて阿鼻獄に入る学会員を思えば、まことに不憫。

      何としても全学会員を救いたい」とのご慈愛を拝し、八百万学会員が

      雪崩を打って正義にめざめることを確信し、本特集号片手に楔を打つ

      戦いに邁進してまいらんと決意を堅めるものであります。

       いま、ロシアのウクライナ侵攻により他国侵逼の恐ろしさをまざまざと

     見せつけられておりますが、このロシアより強大で残忍な中国の習近平が、

    昨年秋の新型コロナウイルス110周年記念式典において台湾統一を

    「必ず実現できる」と自信満々で言い切っていたことは衝撃であり、台湾有事

    は即日本の有事、日本国が受ける大罰の悲惨は今のウクライナの比ではないと

    思えば、日本に残された時間はないと緊張感で一杯になるものであります。

     そして、この亡国の時「自惟孤露・無復恃怙」となる日本国一同は、

   「撰時抄」「新尼抄」「四十九院申状」の仰せに眼を開き、たとえ戦禍の中でも    

  「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う」

   と恋慕渇仰の有難さを深く嚙みしめ、「お救い下さるは日蓮大聖人ただ御一人」

    と一斉に遥拝勤行を始めることを確信しては、この広布最終段階に胸は躍り、

   いま力強く大恩徳を叫ぶ顕正会員になり得た宿縁に勇躍歓喜を抑えられません。

    されば大事な初陣、二万大突破を念願される浅井先生に、信心の熱誠を以て、

   新潟先陣の使命を断じて果たしてまいる決意であります。



    最後までお読みいただきありがとうございます。

    またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年04月08日

正しい仏法には決して犠牲がないそんな登壇を紹介させていただきます。(参考資料より)

 芸能活動において多大な御守護!

    大聖人様の御尊容を拝し、折伏に立つ

   私は令和元年5月、同じダンススタジオに通っていた○○支隊副長から折伏を受け、

  東京会館において入信させていただきました。

    芸能活動で御守護

   折伏の際、副長が某大手芸能事務所に入所できた功徳の体験を語ってくれました。

    ちょうどそのとき、私も別の某大手芸能プロダクション主催のオーディションで

   書類審査を通過したばかりで不安が募っており、副長が頂いた功徳に強い衝撃を受けて

   入信いたしました。

    以来、朝夕の遥拝勤行と折伏を実践し、有難い入信も叶いました。

   すると、約5,000人規模の参加者から、事務所初の男性ボーカルダンスグループの

   メンバーを6人選出するオーディションで、もともと芸能界で活動する実力派が多く

   選ばれる中に、何の経験もなかった私がその内の一人に選ばれてデビューでき、

   さらには若い世代に人気の番組に私が選ばれて出演できる功徳を頂きました。

     その感激を胸に戦うと続々と人材が集い、すぐに組長職を拝命いたしました。

        未活動状態に

     しかし、徐々に芸能の仕事が忙しくなり、日曜勤行に参加できなくなってしまい、

   さらに両親に信心していることを打ち明けると、両親は気が狂ったように私の信心に

   反対して怨嫉し始め、私は耐えきれず未活動になってしまいました。

    すると生命力も弱まり、だんだんと芸能活動の前途に不安を懐き始め、

   「どうして自分が選ばれたのだろう」とまで思いつめるようになり、悶々とする日々を

   過ごしておりました。

     そして広布の決戦場たる20年代に突入するや、新型コロナウイルスが蔓延し、

    そのことによって芸能界も大打撃を受けて思うように仕事ができず、先行きが

    全く見えない状況に焦りを感じておりました。

         久しぶりの

             遥拝勤行

      そのようなときに、一年半の間、連絡をし続けてくれた○○副長と○○総支隊長補

     に昨年の12月に久しぶりに会い、二人が信心の大事を教えてくれました。

      副長より、「亡国の大難の前では人は何もできない。御奉公で積んだ功徳で

     成仏させて頂くことこそ最も大事」と励まされては、そのことがスッと胸に収まり、

     久しぶりに副長とともに遥拝勤行を申し上げました。

       するとその直後、注目を集めている有名人を取り上げる大きなイベントが開催

     されることになり、そこに所属するグループの中で私だけが出演できる功徳を頂き、

     有難い思いになりました。

       基礎教学書の

           拝読重ねる

      さらに信心の転機になったのは、本年の1月度総幹部会において浅井先生より頂いた

    「教学は、何も学者になるためでもなければ名利のためでもない。

    まさに信心を深めるためなのである」

        とのご指導でした。

      教学を心肝に染める大事を嚙みしめる中に、私は昨年夏ごろから患っていた

    気胸の手術を2月に行うことになり、芸能活動を休止する入院中の二週間、毎日、

    病院のベッドの上で、○○副長とリモートで基礎教学書を拝読いたしました。

      ことに第七章「日蓮大聖人の一代御化導」を拝読しては大感動いたしました。

     絶体絶命の竜の口の頸の座において

    「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」

      とお悦びあそばす大聖人様の御尊容、また佐渡御流罪におかれては、蓑一枚で

     佐渡の極寒を耐え忍ばれ、その中に数々の重要御書を弟子のために遺し給うた

     大慈大悲には、ただひれ伏す思いになりました。

       退院後には約一年半ぶりに東京会館に参詣が叶い、御本尊様を眼前に拝した

      ときには有難さが湧き上がってまいりました。

        私が頂いた大功徳を語っていくと、有難くも今法戦、五名の入信が叶っております。

          両親の怨嫉も

             乗り越える

        気胸の手術も上手くいき、安静期間も終わり芸能活動を再開することになった私は

       「怨嫉している両親の誤解をとき、自宅で堂々と遥拝勤行をさせて頂きたい。

      今度こそ退かない」と決意し、また平成25年度の成人式における浅井先生の孝養の

     ご指導を拝した感激で、肚を決めて○○副長・○○総支隊長補とともに自宅に行きま

     した。しかし、話を始めると母は泣き始め、父においては一方的に「黙れ、黙れ」と全く

     こちらの話に聞く耳を持ちませんでした。

       その中、誰人も否定できない臨終の証拠や、現在の世界情勢等の話を一歩も

      退かず話していくと、父は「芸能活動か仏法か、どちらを取るか選べ」と

      迫ってきました。

        私は怯まず「どちらもやめない」と言い切ると、両親の様子が変わり始め、

       自宅で勤行をすることを認めてくれたのでした。

         この一件を通し、すべては私の信心を試す魔障であったのだと仏法の道理に驚き

       肚を決めた信心で魔障を乗り越えたとき、宿命転換が叶うことを実感いたしました。

        浅井先生は「中国の台湾攻略」と「ロシアのウクライナ侵略」について

       「第三次世界大戦の口火となる可能性がある」と指導下さいましたが、想像を

       超える速さで「前代未聞の大闘諍」がいよいよ眼前に迫っていることを思えば、

       急ぎ友人・家族を救ってまいる決意であります。

         されば頂いた功徳に決して甘えることなく、急ぎ広布の大人材へと成長し、

       三百万を明日のごとく願われる無二の師匠・浅井先生に○○組も大折伏を以て

       お応えしてまいる決意であります。



        最後までお読みいただきありがとうございます。

        またどうぞよろしくお願いいたします。 

2022年04月03日

修羅の国の実態に戦慄を覚えました(参考資料より)

中国共産党の驚くべき実態に戦慄

     政府が「誘拐・臓器売買・死体遺棄」に加担

   広布決戦場第三年の初陣も中盤に突入し、誓願大勝利の折伏の証拠を以て、

  お応えせんとの闘志でいっぱいであります。

    昨年の十二月度総幹部会において浅井先生は、

   「広告文と遥拝勤行で広宣流布は必ず成る」と改めて仰せられましたが、

  隊内にも広告文に威力を実感する展開が相次いでおります。

    先日、○○支隊長が折伏した対象者は投資で生計を立てていることから、

   「自分はいま幸せだし、おカネにも困っていないから仏法に興味はない」

     と反発を繰り返しておりました。

    そこで支隊長が広告文を広げ、立正安国論に示されている通り、大聖人様に背けば

    国が保たないこと。そしてコロナウイルスの蔓延こそ罰の現証であり、後災たる中国の

    侵略も足下まで迫ってきていると言い切ると、その対象者はそれまでの反発がウソの

    ように支隊長の言葉に耳を傾け始めたのでした。

      さらに、竜の口における国家権力を以てしても大聖人様の御頸を刎ねることが

     できなかった大現証を聞くに至っては、「もし中国が攻めてきたら、最後は仏様に

     頼るしかないとは凄い話です」と大感激し、大逆縁の空気から一転、有難い入信が

     叶ったのでした。

       また同じく○○支隊長が、高校時代から宗教哲学に興味を懐いている人を折伏した際

     広告文を見せつつ、「臨終には善悪があり、成仏の相と堕獄の相が如実に顕われる」と

     教え、臨終こそ人生の総決算であることを大確信で伝えると、その者は「仏教を学んで

     いたが、臨終の証拠なんて聞いたことがなかったです、ぜひ、やらせて下さい」と、

     興奮を抑えきれない様子で自ら願い出ての入信になったのでした。

       これらの展開こそ、広告文の威力を如実に表わすものと確信しては、広告文片手の

      戦いこそ三百万の道を切り拓くカギと大確信するものであります。

         現在、北京オリンピックが閉幕し、いよいよ中国による他国侵逼が迫る中、

        ○○〇支隊の○○班には中国人の若き人材が続々と集まって来ており、

        中国人の班員から現在の中国の脅威を聞くにつけ、中国共産党の驚くべき

        実態に戦慄をおぼえたものであります。

          中国人の一班員は「北京五輪を成功させるために、中国政府は新型コロナの

        封じ込めを目的とした突然の都市封鎖を強行した。それによって食糧が入らなく

        なってしまい、餓死する中国人が多発した」と教えてくれました。

         また他の中国人の班員は「コロナが蔓延している地域で、中国政府が用意した

        大型バスで全住民をホテルなどに隔離しようとした際、ホテルが満員になったので

        真冬にもかかわらず、防寒具など一切支給せず、橋の下やトンネルの中に住民を

        置き去りにしていた」と、およそ日本では考えられないことも教えてくれ、コロナ感染

        以上に命の危険に晒されている中国人の現状にただ驚くばかりでありました。

          また、コロナウイルス蔓延防止策として国民一人一人にQRコードを強制的に

        付けさせて徹底管理し、そのQRコードには病歴や健康状態だけでなく、個人情報

        の詳細まで登録されているとのことでありました。

          ○○班長の母親は、このQRコード管理の異常さに不安を感じ、中国在住の

        友人に、とあるアプリでそのことに触れた瞬間、突然アプリが強制遮断され通話

        不能になったそうで、このことからも中国共産党がいかに外部からの不利益な情報

        を中国国内に入れさせまいとコントロールしているかが窺えました。

          さらに中国政府は臓器売買に加担していることを、○○班長の母親が

         教えてくれました。

            それは三十年前から起きているとのことで、ことに十代から二十代の

          健康的な若者を標的に誘拐し、麻酔なしで臓器を取り出し、それを病院に

         提供しては共産党の資金にしており、驚くべきことに臓器摘出後の遺体は

         川に遺棄されるとのことです。

           そのことを被害者家族が警察に通報して訴えるも、一切の捜査を拒絶されて

         しまったそうで、人を人と思わぬ中国共産党こそ、まさに独裁国家そのものと

         思わずにはいられませんでした。

           そして、いよいよ中国が台湾侵攻を本格的に開始することを思っては、

         浅井先生の「台湾有事は、即日本の有事なのである」との仰せが千鈞の重みに

         なって身に迫り、すべては顕正会の前進にかかっていることを肝に銘じるもので

         あります。

            二月度総幹部会において浅井先生は、学会が昨年十一月十八日に

         「社会憲章」を制定したことに言及され、ことに三項・四項について先生は

         「大聖人様の折伏の大精神を全く否定するものである」と断ぜられましたが、

          私自身、仕事上で多く目にする学会員宅には神社や寺の守り札が

          事も無げに貼られており、まさに池田大作によって知らぬ間に

         戒壇の大御本尊への信を抜き取られ、謗法に与同しても何とも思わない

        学会員の姿は哀れでならず、先生の「全学会員を救いたい」との仰せが耳朶を打ち

        一人でも多くの学会員を救ってまいらんと決意したものであります。

          現在、第○○○隊は誓願比96%の前進が叶っておりますが、世界の客観情勢

        が激変している今、第三度の一国諌暁を見据えられる先生が、いかに

        三百万を急いでおられるかを思っては、今法戦、誓願比150%の折伏を断行し、

        同時に鉄壁の組織構築にも油断なく取り組み、いついかなるご命令下るとも

        お役に立てる実力部隊へと急ぎ成長してまいらん、との覚悟を堅めるもので

        あります。

          されば無二の師匠・浅井先生に全員でお応えしてまいる決意であります。



    最後までお読みいただきありがとうございます。

    またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年04月02日

亡国のテンポが早まってる原因とは(参考資料より)

本日も、一人ひとりの登壇に感動いたしました。熱鉄の信心と情熱は素晴らしいですね。

先月も申し上げましたが、こんな清らかな団体は他にないですね。

  今、日本国中が三悪道、正系門家、学会も堕落をしている。その中で大聖人様の御心だけを

 仰いで真剣に広宣流布を勧めているのは、顕正会だけであります。

  さっきも活動報告にありましたがね、もう日本だけではない、イタリアでも弘通が始まっている

 んだって。

  私は壁に日本地図を貼ってあるんです。日本のどこで折伏が行われているか把握する為に。

 その地理を頭に入れておこうと思って。今、イタリアのフィレンツェなんて聞くと、日本列島の地図

 じゃ間に合わなくなるんで、今度は世界地図の大きなものを、天上に貼ろうと思ってる。

   それぐらい時が来れば本当に進んでいくんですね。有難いことだと思っております。

  まさに広宣流布は近いんだという瑞相であります。そして本年は広布決戦場の第三年、

  世間を見れば、総罰たるコロナが全世界に蔓延して、2月にはちょうど24日でしたね。

 総幹部会の日、第三次世界大戦の口火ともいうべき、ロシアの謀略なる侵略が始まった。

 そして日本を見れば、人心の荒廃、まさに末法濁悪そのままであります。その中で、顕正会の

 大法弘通はいよいよ力強く2万の誓願を立てて、2,3,4月この法戦を勧めておりますが、

 3月21日現在で一万八千一百三十名、率にして91パーセントに達しております。

  大事な本年の初陣、何としても2万を大きく突破して、大聖人様に応え奉らんとわたくしは

 強く念願しておりますが皆さんどうでしょうか。

   大聖人様は竜の口の法難のとき、全門下に対して次のごとく大教令を発し給うた。

  法華経の観心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字とは、法華経本門寿量品文底に秘沈された

 三大秘法ということ。この三大秘法を大聖人様は大難を偲び給うて、弘通くだされた

  のであります。和唐共ニ陣三陣続きて、迦葉・阿南にも優れ、天台、伝教にも超えよかし。

 これまさに広宣流布の大教令、仏勅であります。また二祖・日興上人は御入滅に際し、

 未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて、隋力弘通をいたすべき事。

  御入滅の一月前の御遺誡であります。

   まさに広宣流布への御一念こめられた御遺誡であります。而に広布前夜の

 今になって、なんと正系門家が御遺命に背くという師敵対に陥ってしまった。この濁乱の中、

 大聖人様の仏勅のまま、日興上人の御遺誡のままに、一筋に広宣流布に戦っているのは、

 いま三百万の大集団に成らんとしている顕正会だけであります。



  もし顕正会の前進が遅れたらば、何とも大聖人様に申し訳ない。いつも私は思っております。

 その中で私は次々に喜びを感じております。それは、男子部、女子部、婦人部において、

  毎月、総部会の集会がオンラインで行われておりますが、其の参加人数が月月に

 目覚ましく伸びつつあることですね。私は毎月、総合部長から報告を受けておりますが、

 毎月、毎月、著しく延びている、何というすごいテンポなのか、いうことをいつも感じて

 いるんです。ついこの間まで、数百や、あるいは千人強だった総部集会が今では三千名を

 超えるところが続々とでてきたんですね。

    これほどの人数になると、前までは公会堂を借りなければ、できなかったんですよ。

   ところがコロナになってオンライン形式になって、何千名でも可能になった。

    ここに私は願っております。入信して未活動の人がまだ多いですね。どうかこれらの人々

   を総部集会に参加させて、改めて強き信心に立たせてほしい。かくて信心で固めた

三百万の大集団が、いよいよ亡国の日本を揺れ動かし救っていくのであります。

    ところで、先般発行された「創価学会必ず崩壊特集号」爆発的ですね。

   通常の発行部数では到底間に合わず、65万部も只今増刷されています。

   これからもどれほど出るかわかりません。私は真面目な学会員が不憫なのです。

   折角大聖人様の正しい仏法に縁したのに、悪師池田大作に誑かされて、国立戒壇の

   御遺命を捨てたのみならず、さらに戒壇の大御本尊様をも捨て奉る身となってしまった。

    ついに入阿鼻獄となる。これが何とも不憫なのですね。

 早く正義に目覚めて、共に御遺命成就に戦う同志になってほしい。こう願うばかりであります。

 さて顕正会の体験発表では、良き臨終のこと、誠に多いですね。ほんとに私は聞くたびに

有難いなあと思うんですね。我ら三毒深き凡夫が、わずかの信心で成仏させて頂ける。

 大聖人様の大慈大悲によるのであります。故に上野殿御返事には

「ご臨終に刻み、生死の中間に日蓮必ず迎えにまいり候べし」と仰せ下され。

  ついで次の行で、飢えて食を願い、渇して水を慕うがごとく、恋て人を見たげがごとく

病で薬を頼むがごとく、乃至法華経には信心を致させ給え。さなくしては、後悔あるべし。

後悔あるべし。とこうお教え下されております。これ、恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と

唱えなさい。さもなければ後悔するであろう。という大慈悲の言葉ですねえ。

    さらに臨終について仰せ下された。弥源太殿御返事を拝します。

   この弥源太殿は北条弥源太という方で、北条一門大聖人様に迫害を加えたその権力者の

  一門でありますが、北条一門の中で唯一人、大聖人様に帰依した人であります。

  立正安国論奏進の頃から、日蓮大聖人に心を寄せ、度々大聖人の御元に通われていた

  という人であります。弥源太殿は重き病にかかった時、佐渡にまします大聖人様に

  三条小鍛冶宗近の名刀を蹴上してるんですね。これ大聖人様が佐渡にましまして

  最後の時ですね、間もなく鎌倉に御帰りになるその直前、佐渡にましますその時にですね、

  弥源太殿が病にかかって大聖人様に名刀を御供養申し上げたんです。

    この三条小鍛冶宗近は平安時代の刀匠で、まさにこれは国宝級の名刀であります。

   弥源太殿御返事にはこの刀について、こう仰せですね

   「御祈祷の為に御太刀、同じく刀、御太刀というのはそれはもう立派なもんです。

   同じく刀というのは、まっすぐの刀のことですね。この太刀は然るべく名刀匠が作ったに

   ちがいないと思われる。日本におけるはおいての名刀、天国あるいは鬼切あるいは

   やつくり 御覧あそばしたのであります。これを法華経にまいらせ給う。

     殿がお持ちの時はこの刀、今仏前にまいりぬれば、善の刀なるべし。例えば

   鬼の道心を起こしたらんがごとし。不思議や。不思議や。後生にはこの刀を杖と

   頼み給うべし。法華経は三世の諸仏法身の杖て候ぞかし。こう仰せられたのち、

   臨終の大事について、次のごとくご教示下されているのであります。

     いいですか。ただ日蓮を杖と頼み給うべし、険しき山、悪しき道、杖をつけねれば

    倒れず。ことに手をひかれぬれば、まろぶことなし。南無妙法蓮華経をしての山にては、

   杖、柱となり給え。釈迦仏、多方仏、上行等の諸仏手を取り給うべし。  

       日蓮先にたち候わば御迎いまいり候うこともやらんずらん。この事少しも空言あるべからず

    ただ日蓮を杖、柱とも頼み給もうべし。険しき山であっても、悪い道であっても

   杖をついていれば倒れない。ことに手を引かれれば、転ぶことは絶対にないのだ。

   南無妙法蓮華経はしての山、臨終の後の生命がです、険しき道を通るその譬えとして、

   しての山と教えになっておられる。南無妙法蓮華経はしての山にては杖、柱となり給え。

    釈迦仏、多方仏、上行等の諸菩薩は手を取って下さるのだ。日蓮先にたち候わば

     御迎えまいり候うこともやらんずらん。この事少しも空言あるべからずと仰せになって

   おられる。もし自分が先立つことがあったならば、必ず弥源太殿の臨終のときにです、

  迎えにまいるであろう。こういうことを仰せになって、この事少しも空言あるべからずと

  仰ってる。いいですか。上野殿御返事には、臨終の刻み、生死の中間に日蓮必ず

  迎えにまいり候うべし。と仰せられ、今弥源太殿御返事には、この事少しも空言あるべからず。

   こう仰せられている。      仏様のお言葉には絶対に嘘はない。だから自我偈には

 佛語實不虚とあるでしょ。仏語は実にして虚しからず、少しも嘘をおつきにならない。

  故に、大聖人様は臨終のときに必ずお迎えに来て下さるのであります。

 本当に有難いことだ。だから、三毒強盛の我ら凡夫が、臨終に成仏の相を現じることが

 可能なのであります。仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのままの御守護が

  頂けるのであります。それにつけても、いま深く思うことは、なぜ広布前夜の今になって、

  正系門家が学会、宗門ともです一同して、国立戒壇建立の御遺命に背いてしまったのか。

   いう事であります。

      富士大石寺の清き流れにおいて、日興上人、日目上人以来七百年、

    国立戒壇が否定されたということは、ただの一度もないですよ。

     歴代の貫首上人は皆、異口同音に国立戒壇建立を宿願とされてきたのであります。

    その文証を、近世の猊下のお言葉を引いてみます。文証として引いてみます。

      第64世・日昇上人は、奉安殿落慶慶讃文、これは昭和30年でしたね。

    構造たいへん狭くなったということで、御宝蔵に代わって奉安殿というものを建てました。

    その時の慶讃文において、その時の貫首の第64世・日昇上人はこう仰せになって

    おられる。

     「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」

    こうはっきり仰せになっておられる。

      また、第65世・日淳上人は本山の元旦勤行においてこう仰せになっておられる。

    「この元朝勤行とても、、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を

    念頭されての広宣流布祈願の勤行を、今に伝えたものであります。

      さらに、第66世・細井日達管長すらも、日淳上人から御相承を受けた御塔座直後に

     おいては、こう言ってますね、

    「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」

    これを学会の大白蓮華昭和35年1月号に載せております。

      御遺命破壊の元凶たる池田大作すらこう言ってる

    「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、

    また創価学会の唯一の大目的なのであります。」

     これも、大白蓮華31年4月号に載っております。

       以上を見れば、正系門家七百年の唯一の宿願が、国立戒壇建立にあったことは、

      太陽のごとく明らかであります。

        然るに、この大事な御遺命が破壊されるという大悪が、正系門家に起きた。

      それも個人の見解ではない。宗門の公式決定として、国立戒壇が否定され、

     優雅に建てられた偽戒壇・正本堂が御遺命の戒壇などと決定されたのであります。

       なぜこんなことが起きたのか、仏法の上からその本質を見れば、これこそ

     第六天の魔王の働きですね。大宇宙には仏法を守護する諸天善神が存在すると同時に

    仏法を破壊せんとする第六天の魔王も存在する。そしてこの第六天の魔王が仏法を破壊

    するときはまず、智者、指導者の身に入って仏法を乱すのです。大聖人様は

    最蓮房御返事には、

    「第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす。

 経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に

  入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」と。

こう仰せられます。    

  第六天の魔王は何よりも大聖人様の御身に入るこういうことを企てた。しかし用心堅固の

  大聖人様の御身に入ることはできない。そのとき天魔はどうするかというと、良寛等の悪僧

  ども、あるいは平左衛門などの権力者の身に入って、大聖人様の御命を奪わんとするのです。だが、大聖人様の御身は、金剛不壊であられる。迫害は御本仏成道の助けとなったので

あります。そして、この第六天の魔王は第六天の魔王は、大聖人御在世だけではなくて、

 広宣流布のときにも、再び妨害をするんですねえ。

    御在世と広宣流布前夜です。すなわち広宣流布前夜には、御本仏の御遺命を破壊せん

   とするのです。昭和30年代、正系門家において最高の権力者は、創価学会第三代会長の

   池田大作であった。彼は強大な組織力と財力を背景にして、宗門を圧迫しておりました。

     すごいとにかく力だったですねえ。時の貫首を始めとして、全僧侶は彼の威を恐れとして

    恐々として、諂うのみでありました。第六天の魔王は、この池田大作の身に入ったので

    あります。やがて池田は慢心し、大野心を抱くに至る。それは政権を奪取して、日本国の

    最高権力者たらんとする野望であった。

      このとき彼は大幹部を集めた席上でもって、私は日本の国主であり、最高の権力者

    であるなんてことを言った。その時のことですね、彼は大野望野心を抱いたんです。

      その権力獲得の道具が、彼にとっては公明党だったんです。学会を選挙にかりたてる

     口実に国立戒壇を利用した。すなわち国立戒壇建立の為に選挙をやるのだ。

      こう言って煽った。いまこの言葉を信じて、学会員は選挙に戦ったのです。

     昭和39年、池田は正式に公明党を結成し、衆議院進出を宣言いたしました。

      これを見て共産党を始めとする国民評論家等は一斉に、池田がそれまで政界進出の

     口実にしていた国立戒壇建立を取り上げて、国立戒壇は政教分離を定めた法律に

     違反する。批判を一斉に始めたんです。池田はこの批判を強く恐れた。

      

      しかし、この批判は当たってないんですね。批判する方が間違いだ。

     なぜなら国立戒壇は広宣流布の暁に初めて実現するもの。

      広宣流布すれば、マッカーサー押し付けた憲法などではなくて、当然仏法を根本にした

     憲法に制定されることは当たり前のことでしょ。そのうえで建立される戒壇であれば、

     憲法違反などという批判は当たらないのであります。

       だが池田はこの批判を恐れたんです。ということは彼が叫んでいた国立戒壇は

      学会員を選挙に駆り立てるための怨嫉に過ぎなかっただけなのであります。

        彼には国立戒壇が仏国実現の唯一の秘術であることも、三大秘法抄に

       示されている御本仏究極の御遺命の重大さも、全く分かっていなかったんですね。

       だから国立戒壇への批判が選挙に不利をもたらす。こういうことを診るや否や

       忽ち彼は国立戒壇を否定して、それに代わる偽戒壇・正本堂にはにわかに建てて

       これを御遺命の戒壇と偽った。

          この大それた謀りをなすのに池田は卑劣にも自分は姿を隠してですね、

        この大それた謀りを日蓮正宗にやらせたんですね。日蓮正宗自らが責任役員会

      を開いて、これを議決した形を取らせたわけであります。宗門は昭和45年4月27日、

      日蓮正宗責任役員会を開催いたしました。出席者は代表役員、管長細井日達

      責任役員総監早瀬道応、責任役員さとうにちじょうこの三人、議題は国立戒壇名称

      不使用の件、この議題について次のような議決をしたんです。

         本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当に付き、一切名称を

        使用しない。こういう議決をしたんです。これが国立戒壇を否定する宗門の

       公式決定である。国立戒壇否定とする理由に挙げた本宗協議の本質より鑑み、

      とはいったい何事か。三大秘法抄には、王仏冥合王臣授受の故、勅宣、御教書

      即ち、国家意志の表明を手続きとして、戒壇を建立すべし。と決めてある。

        お決めになっておられるでしょ。国家意志の表明を手続きとして戒壇を建立する。

      これが国立戒壇じゃないですか。三大秘法抄のこの恩、この厳重なる御定めこそ、

      本宗協議の本質ではないか。それわ無視してですね、逆に本宗の、本宗協議の本質

     と鑑みて、国立戒壇の名称を使用しない。馬鹿げたことを決めたんです。

       ついで宗門は、47年4月27日の日蓮正宗責任役員会において、訓諭の交付を

     議決いたしました。その訓諭は、日蓮正宗管長・細井日達の名を以て、正本堂の意義を

     内外に表明するものである。て発表されたんですね。だがその訓諭の内容というのは、

     正本堂御遺命の戒壇に当るという空言、虚言をくどくど連ねたものであった。

       二つの日蓮正宗責任役員会によって、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇

     を否定され、偽戒壇・正本堂が御遺命の戒壇とすり替えられたのであります。

      これは個人の見解ではない、宗門の機関決定、公式決定であるから重大なんですね。

     取り返しがつかない、宗門として公式決定してしまった。この正系門家の重大な師敵対

     をご覧あそばせば、大聖人様はいかなる思召されるか。大聖人様は仰せ下されている。

     滝泉寺申状ですね、   

      「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」

     また撰時抄には、

      「むしろ身命を喪うとも、教を匿さざれ」と仰せであります。

    さらに日興上人は、

   「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と。

   御遺誡下されております。

     もし法主の権威を憚り、学会の強大を恐れて、この御遺命破壊の大悪を黙過したら、

    黙認してしまったならば、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。

    大聖人様に申し訳ない。ただこの一念で私は御遺命守護の御奉公に立ち上がった。

      池田大作は何としても妙信講、いまの顕正会、これを潰さんとしたんですね。

       池田の手先となっていた、宗務院役僧、ことに阿部日顕は国立戒壇を捨てなければ

      登山させない、解散処分もあると言って、顕正会への威しを繰り返しました。

        だが、国立戒壇を捨てて参詣して、大聖人様はお喜びくださるか。

      かえってお叱りを受けるに違いない。

        私は講の安穏よりも、大聖人様への忠誠を選んだのであります。

       そして諌暁を開始してより4年後の昭和49年8月12日覚悟のごとく、解散処分は

      下りました。その宣告書には日蓮正宗管長・細井日達の名を以て、つぎのごとく

      処分理由が示されておりました。国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定

      に違反し、さらにまた昭和47年4月28日附けの訓諭に対し、意義を唱えたゆえに

      妙信講を解散する。

        まさに妙信講は、国立戒壇の御遺命の故に、信徒団体にとって死罪にも等しい

      解散処分を受けたのであります。この宣告書を手にした時、大事の御遺命破壊される

      としている時、妙信講が安穏であっては、いかにも大聖人様に申し訳ない。

        これで、一分でも申し訳が立つ。御遺命を守るに懈怠の弟子勇気行者とお𠮟り

      だけは免れる。この思いが私の胸に沸きました。だが、広宣流布はどうなるのか。

      御遺命に背いた上に、戒壇の大御本尊様を捨て奉った創価学会。またこの学会に

      諂って、国立戒壇否定と偽戒壇・正本堂公式決定した宗門に広宣流布戦う資格は

      すでにない。私は遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とうと決意いたしました。

       思えば、戒壇の大御本尊様は日興上人密布ひそか附属された秘仏にしてましまし

      広宣流布の時まで御宝蔵に秘蔵厳護されべき大御本尊であられる。

        いつごろからか深い信心のものに、特別の内拝が許されましたが、現今のごとく

      平時のために御開扉するなどは言語道断、不敬の極み、大聖人様に強くお叱りを

      受けるに違いないんですね。参詣すればいいんじゃない。内房の尼御前は氏神の

      帰りと言って、帰りについでに身延の大聖人様のところに立ち寄ったところ、

      大聖人様はお目通りを許されなかった。大聖人様の御意に叶わぬ参詣は

      かえって罰当たりになるんですね。熱原の方々は、入信わずか一年だったんですよ。

       大聖人様にお目通りを頂く機会もなく、個人授与の御本尊も頂いてはいなかった。

      だが、大聖人様を恋慕渇仰して身命も惜しまず純粋熱烈な信心は、大聖人様の御意

      に叶い、ついに戒壇の大御本尊の願主たるを許されております。

       この御在世の信心が、解散処分を機にこうはいとして、顕正会に湧き上がって

      きたのであります。いいですか。信心に距離は全く関係ないのです。

        どれほど遠く離れていようとも、日蓮大聖人眼前にましますの思いで

       恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに日蓮大聖人との御当体たる

      戒壇の大御本尊様に通じて、現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、

      死後の生命も大安楽をいたしていただける。それが現当二世の大利益ですね。

        繰り返します。信心に距離は全く関係がない。信心がなければ、眼前に大御本尊

      ましますとも、通ずることはない。もし恋慕渇仰の信心があれば、千万里離れて

      いようとも、直ちに大御本尊様に通ずるのであります。故に大聖人様は身延から

      千里も離れた佐渡に住する千日尼御前に対し、「御身は佐渡の国におわせども、

      心はこの国に来たれり。乃至、御顔見ては何かせん。心こそ大切にそうらえ。」

       即ち、御顔見るとか見ないではない。心こそ大切なのである。こう仰せであります。

      これこそ、遥拝勤行の大精神であります。いま宗門では、収入を図るため、

     末寺単位で登山の人数を割り当てて、付け願いでもいいからなどと言って、法華講員

     を、登山に駆り立てている。このようなことをすれば、寿量品の経文にあるでしょ、

     教師の心、えんだいの心思いを懐く。かえって人々はですね、誇り高ぶる教師の心を

     懐く、えんだいの思いと言うのはそんな何回も行くのやだな、こういうようなえんだいの心  

     を懐く。何とも畏れ多い限りのことになってしまう。

       いま顕正会員は御遺命の故に解散処分を受け、登山を妨害されるとも、

     戒壇の大御本尊様に対し奉る恋慕渇仰は、いよいよ深く澄み切っております。

    そしてひたすら遥拝勤行に励み、広宣流布を進めている遥拝勤行こそ、まさしく忠誠の証

    であります。そしてこの遥拝勤行こそ、広布前夜の今まさしく時に叶った信行であると

    私は確信しております。解散処分のとき、顕正会わずか12,000であった。

   いま三百万になんなんとしている。濁悪の日本国の中に三百万に清らかな大集団が出現

  することは、何という不思議なことか。これ大聖人様が御守護下される以外には絶対に

  ありません。今後、前代未聞の大闘諍起こる時、他国侵逼迫る時、この恋慕渇仰の遥拝勤行

  は、必ず日本国中に満ちるのであります。そして全国民の熱烈なる信心が凝集して、

  勅宣・御教書の申し下される時、ついに御遺命の本門戒壇、即ち、国立戒壇が富士山・

  天生原に建立され、いよいよ戒壇の大御本尊様が、お出ましあそばすのであります。

    さて大聖人様は、建治元年の元寇御書に次のごとく仰せ下されている。

  「大悪は大善の来るべく瑞相なり。一閻浮提うち乱すならば閻浮提世も疑いそうらわじ。

  すなわち全世界が、大動乱に陥る時、世界広宣流布は疑いなし。こう仰せであります。

   いまロシアがウクライナに暴虐なる侵略を開始した。これは一閻浮提の大闘諍の口火で

  あります。これに背向して、ロシアよりもさらに強大で残忍な玉砕国家中国がアメリカの覇権

  に、いま挑まんとしております。まさに一閻浮提内乱れての核を用いての大闘諍がいま

  起こらんとしているのであります。この激増の中で平和憲法と日米安保条約だけを頼りと

  している日本が、どうして存立することができようか。大聖人様は、家に柱なければ保たず。

   と仰せられている。大慈悲をもって三大秘法を授与して下さった日蓮大聖人様こそ、

  日本国の柱であられる。然るに日本国は御本仏を流罪、死罪にし奉り、未だに改悔

  していない。あまつさえいま正系門家は、御遺命に背いてる。ここに諸天は瞋り、

   隣国をして、この日本を自罰せしむるのであります。この他国侵逼の大難いよいよ

   日本国に迫る時、初めて大聖人様の大恩徳に目覚める。「おのおのこえをつるべて

  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え、掌を合せて、たすけたまえ、日蓮のごぼう

  日蓮のごぼうと叫びそうらわんずるに」と仰せであります。

    また上野抄には

  「ただおかせたまえ、梵天・帝釈等の御計らいとして、日本国一時に信ずることあるべし」と。

   この時はもう遠い将来ではない。いま刻々と近づきつつあります。

    この広布最終段階に召し出だされて、大事な御奉公が叶うとは顕正会は何という

   有難い宿縁か。三百万こそ、広布の一大関門であります。



   さあ、全顕正会一揆結束、大歓喜の中に、早く三百万を成し遂げ、何としても

 大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。



  最後までお読みいただきありがとうございます。

  またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年03月21日

有難い仏法にお値いできた感動の体験発表に感激いたしました。(参考資料より)

92歳の父が臨終、唱題のなか良相へ

   米在住の娘、オンラインで葬儀に参列

   このたび92歳の父の臨終を通し、御本尊様絶対の大確信に立たせて頂く貴重な体験を

  いたしました。

       上品の孝養

    父はたいへん穏やかな性格で、私は父が怒った姿を一度も見たことがありませんでした。

     そして三人の子どもを抱えて離婚した私を、精神的にも、経済的にも助けてくれました。

    私はちょうどそのころ顕正会に入信し、無我夢中で御奉公する中、総務省の

    選挙管理委員会で働いていた父は、長年の功績が認められ、国から瑞宝章を頂き、

    母と共に皇居に招かれました。

      さらにメニエール病をはじめ、数々の難病がいつのまにか完治する功徳を頂き、

     親に功徳が回向されていることを理屈抜きに感じては、苦労をかけた父に

     何としても成仏してほしいと、折伏いたしました。

      父は長年、選挙管理委員会の仕事をする中、公明党の大規模な選挙違反を間近で

     見てきたので、権力にへつらわず、時の政治権力をして仏法に帰伏せしめる

     「在野の諌暁団体」顕正会の清らかな姿に感激し、「浅井先生は正しい、凄いお方だ」

      と言うものの、入信には至りませんでした。

       その後、姉が平成26年に脳内出血で倒れたとき、最初に母が入信し、父も

      平成26年10月に入信し、上品の孝養が叶った有難さで涙が止まりませんでした。

       父に対し、三か月後の登用試験の受験を促すと、「九州に帰郷する大事な用が

     あるから」と断ってきましたが、不思議な経緯で九州行きはなくなり、母と揃って

     無事に受験することが叶い、試験が終わって会場から出て来たときの晴れやかな顔は、

     今でも忘れられません。

         突然の臨終

      その後、父は平成28年に「悪性リンパ腫」を発症し、高齢のため特別な治療はせず

     経過観察になりましたが、体の不調はなく、このままずっと安穏な日々が続くと

     思っておりました。

      しかし昨年12月26日、父が突然けいれんを起こし、緊急入院になりました。

     面会ができなかったので、父に電話で「南無妙法蓮華経だよ」と言うと、

     声にならない声で返事をしていました。

      そして五日後の12月31日、父は苦しむことなく臨終を迎えました。

         唱題のなか良相へ

      一月の初めで、オミクロン株の爆発的感染前だったことで、葬儀までの10日間、

     時間の制限なく、毎日耳元で唱題することが叶い、湘南支区の同志も次々に

     唱題に来てくれました。

      そのたびに父の相が変わり、赤黒かった耳もピンク色に変わり、閉じていた目は

     うっすら開き、穏やかに笑っているような表情に変化したことには、たいへん

     驚きました。

       麗わしい異体同心

      父の希望で、葬儀は顕正会儀礼室で執り行って頂き、儀礼室委員の細やかで

     温かい指導には大感激し、女子部班長として御奉公するアメリカ・カリフォルニア

     在住の次女はリモートで参列が叶い、故人の成仏を願う丁寧で荘厳な勤行に

     たいへん感激しておりました。

        次女の総班の方々も、アメリカの各州から回向の唱題をして下さり、浅井先生

       ご統率の顕正会の、壮大で麗しい異体同心に有難さが込み上げてまいりました。

        葬儀が終わり、儀礼室委員を玄関まで送った際、

      「葬儀前より綺麗なお顔になりましたね」

       と声をかけて頂き、安堵感で涙が込み上げてまいりました。

          浅井先生に

              師事すればこそ

         その直後に拝聴した平成25年度の成人式における先生のご講演は、

        特別なものになりました。

      「もし父母の慈しみがなかったら、今日の自分はとうていあり得なかった。

     この慈しみを恩という」

      「人倫の根本は孝養である」

         とのご指導は涙なくしては拝せず、先生に師事し得ればこそ、拙き我が身も

       親を思うことができ、上品の孝養が叶ったのだと、有難さが命の底から

       込み上げました。

        この御恩に報いるには折伏しかないと、父の友人・知人を次々に折伏し、

      入信も叶えることができ、感激でいっぱいになりました。

        二月度総幹部会において先生は、ウクライナ問題・台湾問題を挙げ

       「第二次世界大戦以後の米国主導の世界秩序がいまゆらぎ、いよいよ

      第三次世界大戦が始まりつつある」

        と指導下さり、戦慄が走りましたが

       「日本が亡びんとし、我が命も危うくなるという危機が迫った時、始めて日本一同が

      日蓮大聖人の偉大な御存在にめざめてくる。・・・・・・・そのとき、日本国中が一斉に

      遥拝勤行を始める。それが『日本国一時に信ずる事あるべし』との仰せである」と、

      広宣流布までの道のりをはっきりと見せて頂き、感激とともに、広宣流布の要たる

      三百万を急がなければと、焦る思いでいっぱいになりました。

        されば、広布決戦場第三年の初陣に死力を尽くし、神奈川の地より

       お応えしてまいる決意であります。



      最後までお読みいただきありがとうございます。

      またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年03月19日

信じられない有難い体験発表に感動いたしました(参考資料より)

不思議の御守護!白血病細胞が消滅「完全寛解」

 ”急性骨髄性白血病” ただ成仏だけを願う

   「余命10日」 本部会館で涙のお暇乞い

  私は平成四年に顕正会に入信させて頂きました。株式評論家としてリーマンショックが

 起きた翌年、宝島社の「2008年度・ベストアナリストランキング」で1位になる等、

 仕事上においても功徳を頂き、有難い思いでいっぱいであります。

   急性骨髄性白血病

  しかし、今から二年前に血液のガンである「急性骨髄性白血病」を発症しました。

 すぐに抗がん剤治療を開始したところ、骨髄中に存在する白血病細胞が5%未満になって

 寛解し、二ヶ月で退院したものの、担当医からは「まだ予断を許さない状態。今後は

 骨髄移植を視野に入れ、大量の抗がん剤で治療をしなければ、再び白血病細胞が増殖し

  感染症にかかりやすくなる。半年後にはカンジダ菌血症などの感染症によって死に至る

 可能性が高い」と告げられました。

     「余命宣告」

   その三か月後、危惧していた通り、白血病が再発しました。白血病細胞の増殖を抑える

  抗がん剤を4ヶ月間投与したものの全く効果はなく、副作用による酷い口内炎で食事も

  思うように摂れなくなり、昨年1月末、とうとう骨髄中に存在する白血病細胞が80%まで

  増殖し、医師より「余命二〜三ヶ月」との宣告を受けたのです。不安な先行きや残された

  家族のことを思うと涙が込み上げました。

     松野抄講義録に

          感激と勇気

     そのとき

    「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」との御金言と、「『松野殿御返事』を

   拝し奉る」における

     「人間にとって最も恐ろしいのは『死』である。・・・・・ところがその『死』が、かえって

    仏界の自受法楽を得る入口となる」

     「成仏の叶う叶わぬは、まさに信心の強弱にかかっている。・・・・・だから、苦しい時も

    楽しい時も、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え奉ることこそ肝心

    なのである」

      との浅井先生のご指導が思い起こされ、言葉にならない感激と勇気が

     込み上げました。

          抗がん剤をやめ

             御奉公にかけ切る

       医師からは入院しての抗がん剤治療を勧められましたが私はそれを断り、

      一切を御本尊様にお任せし、漢方薬のみを服用する自宅療養を選び、

      折伏の御奉公に身体をぶつけました。

       体力が低下していることから、対象者との待ち合わせ場所に行くことさえ

      休み休みで、やっとの思いで辿り着く状態でしたが、いざ折伏すると不思議と

      生命力がみなぎり、対象者からは「元気そうだね!とても余命二〜三ヶ月とは

      思えない」と驚かれ、御本尊様から頂く生命力に有難さでいっぱいになりました。

           再入院

             成仏だけを願う

        しかし日に日に病状は悪化し、肺炎を三度発症し咳が止まらないうえに

       胸は痛み、熱は乱高下を繰り返し、食欲も体力もなくなり、とうとう再入院を

       余儀なくされました。

        抗生物質の点滴を約1ヶ月続けましたが、かえって体全体が強くむくみ、

       ついには自力での歩行が困難になってしまいました。

       「このまま病院のベットで最後を迎えるのか」

         との不安がよぎりましたが

       「いま正系門家において、大聖人様の仏勅、日興上人の御遺誡のままに、

      広宣流布を見つめて戦っているのは顕正会だけである」

        との先生のご指導を拝しては理屈抜きに病魔と戦う闘志が湧き、

       信心を貫く肚が決まりました。

        さらに恋慕渇仰の信心口唱に徹すると、それまで目を背けていた自身の臨終も

       真剣に見つめることができ、ただ成仏だけを願う気持ちが幾重にも込み上げました。

          「余命10日・・・」

              本部でお暇乞い

         昨年12月4日には、医師から妻を通し、私の余命がわずか「十日」と

        告げられました。私は不思議と冷静に受け止めることができました。

         そして妻と共に「これが最後」と、お暇乞いをする思いで本部会館に

        参詣させて頂きました。

          すると身体をぶつけて御奉公していた思い出が走馬灯のごとく駆け巡り 

        「御本尊様そして浅井先生、今まで本当にありがとうございました」

         と、心ゆくまでお題目を唱えると、熱きものが込み上げてまいりました。



          不思議の御守護

               完全寛解!

           すると、その日を境に驚くべき現証が起こったのでした。



         それは、信じられない速さで、みるみる血液の数値が改善し始めたのです。

       白血球・血小板等の数値が健常者の基準値まで増加し、一方で「芽球」という

       白血病細胞は急激に減少し、何とわずかな期間で完全に消滅してしまったのです。

         この不思議な現証を目の当たりにした医師は目を丸くして

       

       「あり得ない!芽球がゼロになる理屈などない。奇跡としか言いようがない!」

        と驚いておりました。

          本年1月11日、改めて骨髄検査をしたところ、芽球の増加は認められず、

        医師より、ガンの症状が全く見られない「完全寛解」と告げられたのです。

           「余命十日」と宣告されてからわずかひと月あまりでの「完全寛解」に

        「御本尊様のお力は何と凄いのか」と大感激が込み上げました。

         さらに心配していた入院費用もすべて保険で賄うことができ、

        この信じられない展開に御本尊様の御守護を実感しては

       「暗きにともしび、海に船、恐ろしき所には守りとなる」

         との御金言が思い起こされ、滂沱たる涙を抑えることができませんでした。

            先生に信心を

              育んで頂けばこそ

          このたび更賜寿命の大功徳を頂けたのも、我ら弟子を常に温かく励まして

        下さる浅井先生のご慈愛あふれるご指導により、臨終を見つめ肚を決め切る  

        信心に立たせて頂き、御本尊様より格別の御守護を頂いたゆえと、

        報恩感謝の念でいっぱいであります。



         されば、本日の浅井先生の重要指導を心肝に染め、多くの日本人に

       日蓮大聖人の大恩徳を伝え、三百万を急がれる先生に

       お応えしてまいる決意であります。



        最後までお読みいただきありがとうございます。

       またどうぞよろしくお願いいたします。

2022年03月13日

教学を学んでの大感動と大確信の登壇を紹介させて頂きます。(参考資料より)

 国主の威光勢力衰退こそ亡国の兆

   先生の捨身不退の大忠誠 深く心腑に

    私もこのたび三級試験に向け、心を込めて「立正安国論謹講」と「最後に申すべき事」を

   拝読し、曽てない大感動と大確信が衝き上げ、沸き立つ闘志を抑えられません。

    立正安国論は、大聖人様が著された御書四百余篇の中で、一代御化導を貫く大綱の御書

   であり、日蓮大聖人の一代御化導の目的は、三大秘法を以て日本および全世界の一切衆生

   を現当二世にお救い下さる仏国実現にあられること。

    かくも重要な御書を、七百数十年の時を経て、浅井先生より御聖意のままに教示頂ける

   有難さに、ただ命が震えました。

   現在、起こり始めた総罰たるコロナの大疫病と巨大地震、財政破綻、そして一閻浮提大闘諍

  日本の他国侵逼が現実味を帯びる中、本文を拝し、大聖人様はあらゆる経文を引かれ、

  理論と現証の一致を以て災難興起の原理を御教示下されていること。

    まさしく立正安国論こそ、未来永遠にわたる国家安泰・世界平和の一大明鏡であり、

   大聖人様の大恩徳と大慈悲のすべてがこの一書に込められていることに、理屈抜きの

   大感動が込み上げました。

     また、国亡ぶ前兆として、国主の威光勢力が衰退していくとの御指南に、まさに

   今の日本の皇室が重なり、浅井先生が「皇室の一大使命」特集号を以て諌暁されたこと

   こそ、立正安国論の実践たる大聖人様の重大御化導なのだと、畏敬の念でいっぱいに

   なりました。

     さらに

    「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神国を捨てて相去り聖人所を辞して還らず、

   是を以て魔来り鬼来り、災起こり難起こる」

     との仰せには、「奥書」の「未来亦然るべきか」の仰せと併せ、御在世の比ではない

   大難が間もなく日本に起こることが迫り、残された時間は限りなく少ないと、慄然と

   いたしました。

     そこに、亡国の根本原因も、真の安泰・解決方法も知らぬ全日本人に対し、

   一刻も早く「実乗の一善に帰せよ」との御心のまま、捨身の御奉公に徹するのみと、

   曽てない闘志五体に充満したものであります。

     また「最後に申すべき事」を拝読しては、先生が阿部日顕の三大謗法を挙げ、

   顕正会の命運を賭して、捨身不退のご決意で対決を申し入れた大忠誠心に、

   熱涙を禁じ得ませんでした。

     先生のこの尊き申し入れを逃避した阿部日顕の無慚無愧は

    断じて許し難く、何より

   「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」

     との魔言は、立正安国論の御聖意をも踏みにじるものであり、悪比丘・阿部日顕への

    憤激を抑え切れませんでした。

      先生は、阿部日顕に対し「後生の大苦を恐れよ」と、世親・馬鳴のごとくの改悔を促し、

    「これが小生の最後の諌めである」として文末に

    「用捨は貴殿に任す。小生はただ謹んで 御本仏日蓮大聖人に言上し、御裁断を

     仰ぎ奉るのみである」と括られましたが、その後に起きた「大扉開かず」の大現証には

    息をのみました。

      さらにその翌月、阿部は宗規を変えてまでしがみついていた猊座を自ら退いたことに

     先生の諌暁の偉大さにひれ伏し、この凡慮を絶する不思議を拝しては

    「日本国一時に信ずる事あるべし」の「時」を大確信するばかりでありました。

      振り返れば、昭和54年、学会一家で育った私がまだ小学生だったころ、

     福岡県田川郡の宗門末寺に来た阿部日顕を周囲がもてはやす中に、

    私はその不気味な悪人の相を見て、幼心にも「怖い」と感じたこと、今でもハッキリと

    覚えております。

      その前年に、あろうことか阿部は、河辺慈篤に対し、戒壇の大御本尊を「偽物」と

    断ずる重大な悪言を吐いていたことを知っては、あのとき見た「悪人の相」は、

    かかる大謗法を犯した者の相だったのだと、雲晴れる思いでした。

      この間、先生は、宗門の中で唯お一人、御遺命の正義を貫かれ、いついかなる時も

     大聖人様に忠誠を尽くされ、諌暁に次ぐ諌暁を捨身でなされていたのであり、

    学会員であった自身も、先生に師事し得ればこそ救って頂けたのだと、熱涙があふれて

    止まりません。

      これまで私は教学を苦手としておりましたが、このたび「立正安国論謹講」と

     「最後に申すべき事」の二冊を真剣に学ばせて頂いたことで、御遺命の大事と共に、

    「先生の捨身不退のご決意とは、大忠誠心とはいかばかりか・・・」と始めて

     深く命に収まり

    「もっともっと先生に大きくお応えしたい」

      との熱き決意が肚の底から衝き上げました。

        そして学んだ感激により、自身の殻を大きく破ることができ、班内も未活動者が

       戦列に加わり、一名の入信が叶う等、その有難さは筆舌に尽くせません。

        されば「正本堂崩壊」と「大扉開かず」の大現証を刮目して拝し、国立戒壇建立の

       一点を見つめて戦い、学会員が多く在住する福岡県田川の地より大潮流を

       巻き起こし、三百万を急がれる無二の師匠・浅井先生に、

      断固お応えしてまいる決意であります。



         最後までお読みいただきありがとうございます。

        またどうぞよろしくお願いいたします。
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