ここしばらく、「生きていくために ── 仕事編 ──」というタイトルで仕事について書いてきましたが、大体現時点で書けることはほぼ書いたと思います。また、新しい展開が見えたら書きます。
この一連の記事を自分で読み返してみてはっきりとわかるのは、私の仕事に対する考え方は的外れであって、現在の社会との接点はまず無いということです。
以前の記事を自分で何度も読み直してみましたが (この「何度も」というところがなかなか哀しいところでもあります)、お金を稼ぐという視点、経営という視点、いかにして利益を上げるかという視点、一言で言えばビジネスという視点がまったくありません。
自分のやりたい好きなことをしたいなあ、という・・・それだけなんですね。
開発のこと、技術のこと、そういうことはもちろん必要ですが、上に挙げたようなビジネスの視点が無ければそれらは、日の目を見ることはないでしょう。
好きなことをやっているだけでそこそこの生活ができていける社会ならば、まあいいのでしょうが、現在の日本の社会ではそういった生活を実現することは極めて難しいことだと思います。
仕事というものについてもう少し考えてみることにします。それと、貯金はすでにほぼありませんから、ほとんど縁を切られている実家に頭を下げて当面の生活費を頼むつもりです。うまくいくかどうかはわかりませんが、とにかく頭を下げます。
51 歳の人間の屑になり果てた人間ですが、必死で頼んでみます。
ビジネスのことについては何もわかりません。私は会社に勤めていた時に何を学んでいたのでしょうか?
ただ、幸い当時の会社時代、私の一つ上の先輩でエンジニアから独立して会社を興こし次々とビジネスを成功させている方がいます。忙しい方ですが、何とかお願いして、経営ということの基本だけでも良いので教えてくださいとお願いするつもりです。
いつか決意したホームページ立ち上げですが、こんなことをするのにも対人恐怖症でパニックになってしまい、作成したページをどうしても公開できません。何とか公開したいです。挑戦というほど大袈裟ではありませんが。
後は、来るかどうかわかりませんが、将来のための勉強をしっかりやっておこうと思います。
それにしてもブログを書き続けていられるのは不思議です。匿名だからかな? なぜなのかはわからないのですが、ブログを書くと気持ちが落ち着きます。
いろいろと行き詰まっていますが、とりあえず日々やっていきます。
2014年11月12日
2014年11月11日
生きていくために ── 仕事編 (2) ──
いろいろと八方塞がりです。
前回の 記事 で私が仕事を行う上での障害について書きました。
しかし、さらに以下の問題もあります。
こうなると、はっきり言って仕事をしていくことは無理です。まともに仕事ができる状態ではありません。
クリニックで認知療法を担当していただいているスタッフの方に相談しました。
経済的な困窮のこと、貯金はもうほぼ底を付き、仕事も実質上できない状態でこれから生きていくために何ができるのか等。
スタッフからは、とりあえず先々のことは時間をかけて一緒に相談していくとして、障碍者年金を申請することを勧められました。
申請して、もし承認されたとしても支給開始までには数か月かかるそうなのでスムーズに手続きが進んで年金の支給が承認されたとしても、実際に支給が開始されるのは年明けになるだろうとのことです。
それまでの生活費は、実家に頼んでみては、とアドバイスをいただきました。
先週、障碍者年金の申請のための書類をもらってきました。
私の場合、95 年に初めて精神科の病院を訪れたのですが、その後引っ越したことなどもあり 2003 年に現在のクリニックに変わりました。
障碍者年金申請のためには、基本的にこの 2 つの病院の診断書が必要となります。診断書は、最初に通った病院、現在通っているクリニックの順番で書いてもらう必要があり、並行に進めることができません。
診断書一通でも書いてもらうのには 1、2 週間かかり、それから申請手続きを行って審査となるため、相応の時間がかかりますね。
実家とは、以前からの借金もあり疎遠になってしまっていますが、こういう事態なので、頭を下げて当面の生活費をお願いしてみます。
私の最近の体調ですが、午前中はほぼ毎日、抑鬱感と不安から来る動悸が激しく動けません。
実際に何かを行うのは午後からになります。
この午後の時間で掃除・洗濯などしています。
小さな仕事もします。データ入力や簡単な文章を書いたりといった内職の仕事です。まとまったお金にはなりませんが、コンピューターに近付く恐怖を克服するためにぽつぽつと続けています。
まとまった仕事はできませんが、もしかしたら将来、鬱が少しよくなってそのような仕事ができるようになるかもしれないので、勉強は続けていこうと思います。毎日続けることも私にとっては難しいことですが、できるようになりたいと思います。
絵を描くことは気分転換になるでしょう。
このような状況です。
破滅寸前という気もしますが、一つ一つやっていきます。
少し元気がある時には、このブログに何か書きます。文章を書くと気持ちが落ち着くので。
前回の 記事 で私が仕事を行う上での障害について書きました。
- 持続力が無い
- すぐに疲れてしまって寝込む
- 大切な仕事でも先延ばしにしてしまう
- 実際には完成していないのに、なぜか完成したと思い込んでしまう (妄想?)
しかし、さらに以下の問題もあります。
- きちんと報告ができない・交渉力が無いなどの理由からチームで行う仕事はできない
- 思い付きでその場の判断を下してしまうことがあり、正確な仕事は不可能
こうなると、はっきり言って仕事をしていくことは無理です。まともに仕事ができる状態ではありません。
クリニックで認知療法を担当していただいているスタッフの方に相談しました。
経済的な困窮のこと、貯金はもうほぼ底を付き、仕事も実質上できない状態でこれから生きていくために何ができるのか等。
スタッフからは、とりあえず先々のことは時間をかけて一緒に相談していくとして、障碍者年金を申請することを勧められました。
申請して、もし承認されたとしても支給開始までには数か月かかるそうなのでスムーズに手続きが進んで年金の支給が承認されたとしても、実際に支給が開始されるのは年明けになるだろうとのことです。
それまでの生活費は、実家に頼んでみては、とアドバイスをいただきました。
先週、障碍者年金の申請のための書類をもらってきました。
私の場合、95 年に初めて精神科の病院を訪れたのですが、その後引っ越したことなどもあり 2003 年に現在のクリニックに変わりました。
障碍者年金申請のためには、基本的にこの 2 つの病院の診断書が必要となります。診断書は、最初に通った病院、現在通っているクリニックの順番で書いてもらう必要があり、並行に進めることができません。
診断書一通でも書いてもらうのには 1、2 週間かかり、それから申請手続きを行って審査となるため、相応の時間がかかりますね。
実家とは、以前からの借金もあり疎遠になってしまっていますが、こういう事態なので、頭を下げて当面の生活費をお願いしてみます。
私の最近の体調ですが、午前中はほぼ毎日、抑鬱感と不安から来る動悸が激しく動けません。
実際に何かを行うのは午後からになります。
この午後の時間で掃除・洗濯などしています。
小さな仕事もします。データ入力や簡単な文章を書いたりといった内職の仕事です。まとまったお金にはなりませんが、コンピューターに近付く恐怖を克服するためにぽつぽつと続けています。
まとまった仕事はできませんが、もしかしたら将来、鬱が少しよくなってそのような仕事ができるようになるかもしれないので、勉強は続けていこうと思います。毎日続けることも私にとっては難しいことですが、できるようになりたいと思います。
絵を描くことは気分転換になるでしょう。
このような状況です。
破滅寸前という気もしますが、一つ一つやっていきます。
少し元気がある時には、このブログに何か書きます。文章を書くと気持ちが落ち着くので。
2014年11月03日
仕事で失敗をしました その 2
仕事で大失敗をしてしまったこと は昨日、このブログに書きました。
昨日の夕方、担当者の方と打ち合わせをしました。
担当者の方は「こちらでのチェックが不十分だったこと、遅れたことには私にも責任があります。お客様への謝罪については、私が責任者として底彦さんと一緒に行うつもりです。今日はざっくばらんに話し合ってどうするのが一番いいのかを考えましょう」と仰いました。なかなか言える言葉ではないです。立派な方だと思いました。
とりあえず、納品はクライアントさんからの要求通り 11 月 4 日に行う、それは私が犯した欠陥を含んだものです。
同時に担当者の方からクライアントさんに今回の納品には問題があることを伝えていただき、具体的な対策、謝罪をどうするか等はクライアントさんに委ねることとなりました。
このように、担当者さんとの打ち合わせは意義のあるものとなったのですが、担当者さんと私とで食い違った事が一つあります。
欠陥の部分をどうするか? です。
私はできれば私以外の方に担当してほしいとお願いしました。理由としては、欠陥部分の修正は、直す部分の量はたくさんあるけれど、ミスのパターンはすべて同じなので、自動検索・置換と関数名や変数名の手作業による修正で済むから、ということです。さらに私自身の鬱の状態が現在良くないため、私が修正を行った場合、寝込んだり発作が起きたりで時間がかかってしまうし、集中力が欠けているのでさらなるミスを作り込んでしまう可能性があるから、とも付け加えました。
担当者さんは私に最後までやって欲しい、最後までやるべきだ、という立場でした。底彦さんが鬱病だということは私も知っているけれど、鬱病だから他の人に、というのは甘えですよ。鬱病の人だって食事もするしトイレにも行くし風呂にも入るんでしょ。普通の人と同じじゃないですか。鬱だからというのは甘え以外の何物でもないですよ。最後まで責任を持つのが大人ではないですか。
この話し合いは平行線に終わりました。
心情的には、担当者の方の言っていることが正しいと思います。大人は自分のした事に責任を持つのです。
しかしできないものはできない。コンピューターの前に座るまで怖くて数時間かかる人間が取れる責任というのは何だろう? 気合いや心構えでどうにかなるのだろうか?
担当者の方とはあらためて話し合います。
昨日の夕方、担当者の方と打ち合わせをしました。
担当者の方は「こちらでのチェックが不十分だったこと、遅れたことには私にも責任があります。お客様への謝罪については、私が責任者として底彦さんと一緒に行うつもりです。今日はざっくばらんに話し合ってどうするのが一番いいのかを考えましょう」と仰いました。なかなか言える言葉ではないです。立派な方だと思いました。
とりあえず、納品はクライアントさんからの要求通り 11 月 4 日に行う、それは私が犯した欠陥を含んだものです。
同時に担当者の方からクライアントさんに今回の納品には問題があることを伝えていただき、具体的な対策、謝罪をどうするか等はクライアントさんに委ねることとなりました。
このように、担当者さんとの打ち合わせは意義のあるものとなったのですが、担当者さんと私とで食い違った事が一つあります。
欠陥の部分をどうするか? です。
私はできれば私以外の方に担当してほしいとお願いしました。理由としては、欠陥部分の修正は、直す部分の量はたくさんあるけれど、ミスのパターンはすべて同じなので、自動検索・置換と関数名や変数名の手作業による修正で済むから、ということです。さらに私自身の鬱の状態が現在良くないため、私が修正を行った場合、寝込んだり発作が起きたりで時間がかかってしまうし、集中力が欠けているのでさらなるミスを作り込んでしまう可能性があるから、とも付け加えました。
担当者さんは私に最後までやって欲しい、最後までやるべきだ、という立場でした。底彦さんが鬱病だということは私も知っているけれど、鬱病だから他の人に、というのは甘えですよ。鬱病の人だって食事もするしトイレにも行くし風呂にも入るんでしょ。普通の人と同じじゃないですか。鬱だからというのは甘え以外の何物でもないですよ。最後まで責任を持つのが大人ではないですか。
この話し合いは平行線に終わりました。
心情的には、担当者の方の言っていることが正しいと思います。大人は自分のした事に責任を持つのです。
しかしできないものはできない。コンピューターの前に座るまで怖くて数時間かかる人間が取れる責任というのは何だろう? 気合いや心構えでどうにかなるのだろうか?
担当者の方とはあらためて話し合います。
2014年11月02日
生きていくために ── 仕事編 (1.5) ──
私の覚え書きのために書き留めておきます。
今回のような失敗 は過去にもありました。ただ、それらは比較的小さな、後からのリカバリーが行える範囲の失敗だったために何とかなってきたものです。
こういう失敗は、もし私が今のままのやり方で仕事を続ける限り、再び発生する可能性が高いです。もっと大きな規模で発生するかもしれません。
今回の後始末をどのようにして行えるのかは、先方と会って話し合ってみないとわかりません。
しかし、これから先の仕事という観点からは、私にはすでに現在のコンピューター業界・IT 業界のシステムの中できちんと仕事をやっていくことは不可能なのではないかと思います。
コンピューターの仕事から離れる、もしくは続けるにしても小さな小さな世界でのみ行う、という道筋しか残されていないような気がします。
私自身の資質や性格などが関係している事で、これを病気のせいにするのは乱暴と思いますが、私が仕事を行う場合、以下のような障害があります。
こういったことも念頭に置いて、これからの事を考える必要がありますね。
今回のような失敗 は過去にもありました。ただ、それらは比較的小さな、後からのリカバリーが行える範囲の失敗だったために何とかなってきたものです。
こういう失敗は、もし私が今のままのやり方で仕事を続ける限り、再び発生する可能性が高いです。もっと大きな規模で発生するかもしれません。
今回の後始末をどのようにして行えるのかは、先方と会って話し合ってみないとわかりません。
しかし、これから先の仕事という観点からは、私にはすでに現在のコンピューター業界・IT 業界のシステムの中できちんと仕事をやっていくことは不可能なのではないかと思います。
コンピューターの仕事から離れる、もしくは続けるにしても小さな小さな世界でのみ行う、という道筋しか残されていないような気がします。
私自身の資質や性格などが関係している事で、これを病気のせいにするのは乱暴と思いますが、私が仕事を行う場合、以下のような障害があります。
- 持続力が無い
- すぐに疲れてしまって寝込む
- 大切な仕事でも先延ばしにしてしまう
- 実際には完成していないのに、なぜか完成したと思い込んでしまう (妄想?)
こういったことも念頭に置いて、これからの事を考える必要がありますね。
仕事で失敗をしました
先日納品を行った仕事があるのですが、その中に重大な欠陥があるとの電話が先方の担当者からありました。
クライアントさんに引き渡すのが連休明けの 11 月 4 日なので、今からどうなるものでもありません。
今日の午後、担当者の方と直接会ってこういった事が起こった経緯を説明してきます。
11 月 4 日には担当者さんと一緒にクライアントさんを訪問して謝罪と状況の説明を行います。
この失敗は完全に私の責任ですので、厳しい事になるのは当然ですが、正直に精一杯対応してきます。
担当者の方は、私が鬱病であることを知ってはいるのですが、病気のせいにするのは認めないと仰っていますし、私もそのつもりはありません。
ただ、本題とは別に時間があれば病状についても担当者の方に説明しておきたいとは思います。
何とか乗り切ってきます。
クライアントさんに引き渡すのが連休明けの 11 月 4 日なので、今からどうなるものでもありません。
今日の午後、担当者の方と直接会ってこういった事が起こった経緯を説明してきます。
11 月 4 日には担当者さんと一緒にクライアントさんを訪問して謝罪と状況の説明を行います。
この失敗は完全に私の責任ですので、厳しい事になるのは当然ですが、正直に精一杯対応してきます。
担当者の方は、私が鬱病であることを知ってはいるのですが、病気のせいにするのは認めないと仰っていますし、私もそのつもりはありません。
ただ、本題とは別に時間があれば病状についても担当者の方に説明しておきたいとは思います。
何とか乗り切ってきます。
2014年11月01日
メモ ── Mac の OS をアップデートする ──
3 日ほど前から心の平穏がちょっとだけ戻ってきたこともあり、Mac を OS X Yosemite にバージョンアップしました。
作業自体は昨晩就寝前に始めたのですが、なぜか「残り時間 1 分」の表示が出てから一向に終わらず今朝になって終わりました。
都合 9 時間くらいかかったのではないでしょうか?
やはりこういうことは事前に調べておくもので、既知の現象だったようです。「残り時間 1 分」の間、/usr/local 以下のファイルを延々とコピーしていたことによるものでした。Yosemite のインストール時に /usr/local 以下のファイルをすべてホームディレクトリー配下に退避させておいたのを、最後に元に戻していたみたいです。詳細はわかりませんが。
それで使い始めたのはいいのですが、たちまち日本語入力として使っている AquaSKK がまともに動いてくれない問題に遭遇してしまいました。
しかし、ありがたいことに Yosemite 対応の AquaSKK を作ってくださった方がいらっしゃいました。これで AquaSKK を使えるようになりました。
GNU Emacs の開発版も素直にコンパイル・インストールできました。
Yosemite にしたことによる問題は今後しばらくはいろいろ出てくるでしょうが、それぞれにすぐに対応してしまう方がいらっしゃるのはすごいなあ、ありがたいなあ、と思います。
しかし「残り時間 1 分」というのは・・・
インストール完了の瞬間を見ようと、10 分くらいずっと身動きもせずにディスプレイを見つめていたのですよ?
作業自体は昨晩就寝前に始めたのですが、なぜか「残り時間 1 分」の表示が出てから一向に終わらず今朝になって終わりました。
都合 9 時間くらいかかったのではないでしょうか?
やはりこういうことは事前に調べておくもので、既知の現象だったようです。「残り時間 1 分」の間、/usr/local 以下のファイルを延々とコピーしていたことによるものでした。Yosemite のインストール時に /usr/local 以下のファイルをすべてホームディレクトリー配下に退避させておいたのを、最後に元に戻していたみたいです。詳細はわかりませんが。
それで使い始めたのはいいのですが、たちまち日本語入力として使っている AquaSKK がまともに動いてくれない問題に遭遇してしまいました。
しかし、ありがたいことに Yosemite 対応の AquaSKK を作ってくださった方がいらっしゃいました。これで AquaSKK を使えるようになりました。
GNU Emacs の開発版も素直にコンパイル・インストールできました。
Yosemite にしたことによる問題は今後しばらくはいろいろ出てくるでしょうが、それぞれにすぐに対応してしまう方がいらっしゃるのはすごいなあ、ありがたいなあ、と思います。
しかし「残り時間 1 分」というのは・・・
インストール完了の瞬間を見ようと、10 分くらいずっと身動きもせずにディスプレイを見つめていたのですよ?
生きていくために ── 仕事編 (1) ──
いつの間にか 11 月になりました。
年齢も 51 歳になりました。
今のところ、これからも生きていくつもりなので、生活の糧を得るためにどんなことをして収入を得るのか、あらためて考えておいた方がいいと思っています。馬鹿な事 をした後だけに、です。
昨日、そんなような事について思い付くままにノートにいろいろと書いたのですが、読み返してみたら次のような記述がありました。
このあたりで行き詰まったのでしょう、この下には意味不明のゴチャゴチャした落書きが書いてあります。
こんな仕事、あるのでしょうか。私の知る限りではかなり限られそうです。
特に納期が無い仕事、鬱でも大丈夫な仕事って・・・
仕事編 (2) に続きます。
年齢も 51 歳になりました。
今のところ、これからも生きていくつもりなので、生活の糧を得るためにどんなことをして収入を得るのか、あらためて考えておいた方がいいと思っています。馬鹿な事 をした後だけに、です。
昨日、そんなような事について思い付くままにノートにいろいろと書いたのですが、読み返してみたら次のような記述がありました。
- やってて楽しい仕事がしたい
- 一人でもできる仕事
- 自分の能力でできる仕事
- 納期が緩い、もしくは無い仕事
- 鬱でも続けられる仕事
このあたりで行き詰まったのでしょう、この下には意味不明のゴチャゴチャした落書きが書いてあります。
こんな仕事、あるのでしょうか。私の知る限りではかなり限られそうです。
特に納期が無い仕事、鬱でも大丈夫な仕事って・・・
仕事編 (2) に続きます。