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joker1960
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2008年11月28日
坂本「ビックリ」G野手最高4倍!850万から3400万
 巨人・坂本勇人内野手(19)が27日、東京・大手町の球団事務所で契約更改に臨み、2550万円増の3400万円でサインした。正遊撃手としてフル回転、急成長したことが評価され、野手では球団史上最高のアップ率となる300%増をゲット。来季の背番号も「6」に正式決定した。オフはパワーアップを課題に掲げ、年俸が4倍になる来季は2ケタ本塁打を最低ノルマに設定。2年連続で全試合に先発出場し、打撃3部門で今季の数字を上回るという“自分超え”を誓った。

 もちろん不安も重圧もあった。疲れは想像を絶した。それでも1年間戦い抜いたからこそ、坂本の笑顔は達成感に満ちていた。「けがなく1年間通して試合に出られて、正直自分でもビックリしています。まして、オールスターにも出られたので、飛躍のできた1年だったと思います」会見では飾らない言葉で、19歳らしい本音を打ち明けた。

 高卒2年目の今季、言葉通りの大きな飛躍を遂げた。ポストシーズン11試合を含む、シーズン全155試合にスタメン出場。「いい評価をしてもらえたと思います。全試合出たことを高く評価してもらいました」と、声を弾ませた。わずか30分間の交渉で、2550万円増の3400万円で一発サイン。300%増は、野手では巨人史上最高のアップ率となった。

 球団からはこの日、背番号「61」から「6」への変更も正式に告げられた。落合、小久保ら右の強打者、好守で支えた土井、川相らそうそうたる内野手が背負った伝統ある番号。「まだ早いんじゃないかとも思いましたけど、自分へのいいプレッシャーにして頑張りたい。背番号に恥じない選手になりたいです」と、4倍になった年俸に期待の大きさを受け止め、さらなる成長を誓った。

 自ら、高いハードルも設定した。「全試合スタメン出場というのを目標にして、打率、打点、ホームランをさらにレベルアップして、すべての数字を超えたい」今季残した、打率2割5分7厘、8本塁打、43打点という数字に満足はしていない。来季は2年連続で全試合先発出場を果たした上で、打撃3部門での自己ベスト更新を誓った。

 特にこだわるのは本塁打数だ。「オフにパワーアップしていきたいなと思っています。来年は2ケタは最低でも打ちたいな、というのがある。ガツガツ食べて、ガツガツとウエートをしていくという感じです」と、力強く言い切った。体脂肪を増やさずに、現在74キロの体重を80キロ台までアップさせるつもりだ。

 その先の夢もある。来年3月に行われる第2回WBCの候補選手には選ばれていないが、4年後なら十分可能性はある。「将来は、という気持ちは持っています」と、さわやかに笑った。12月14日、20歳になる。坂本は一歩一歩、スターへの階段を上っていく。

Posted by joker1960 at 08:58 | その他 | この記事のURL
2008年11月27日
小笠原誓った「レベルUPして臨みたい」 全戦先発!
 巨人の小笠原が26日、契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来季は、現状維持の3億8000万円でサインした。

 シーズン前に左ひざの手術をしながら、打率3割1分、36本塁打と主砲にふさわしい働きをしてリーグ2連覇に貢献。「最低限の数字は残せた。少しは貢献できたかなと思います」と笑顔を見せた。

 来年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)については、「あらゆることを頭に入れて、一つ一つのことをクリアしたい」と、前回の世界一戦士らしく、出場に前向きな姿勢を見せた。

 プロ入り最低の打率2割3分6厘で、91試合出場にとどまった高橋由は4年契約の2年目となり、現状維持の3億6000万円プラス出来高でサインした。腰痛で思うような活躍が出来なかった高橋由は「あまり思い出したくない一年」と悔しそうに振り返った。まずはトレーナーと相談して腰の検査を行う。来季の開幕に向けては、「今はそこに(目標を)置いていない。検査の結果次第」と、腰のリハビリを第一に考えていく意向を示した。

 プロ4年目で最多の96試合出場を果たした亀井は、1600万円増の3000万円でサイン。「結果には納得していない。けがをしない体作りと打撃向上を目指したい」とさらなる向上を誓った。来季から、西武に移籍した清水の背番号「9」をつけることも明かし、「常に3割を打った清水さんに負けないような数字を出すように頑張りたい」と語った。中継ぎで6勝2敗の成績を上げた西村健は、600万円増の3600万円で更改した。

Posted by joker1960 at 08:28 | その他 | この記事のURL
2008年11月26日
新婚・金刃ローテ奪回だ「2ケタ勝利目指したい」
 巨人・金刃憲人投手(24)が25日、契約更改に臨み、600万円減の2400万円でサイン。今季1軍未勝利に終わった左腕は、内角攻めを徹底して来季のローテ奪取、2ケタ勝利を誓った。

 悔しさだけが残る1年だった。「来年につながる1年だったと言えるようにするしかないです」金刃は厳しい表情で、振り返った。今季は2年連続で開幕ローテ入りしたが、8試合に登板して0勝2敗、防御率7.99に終わった。

 不調の原因は内角を攻め切れなかったこと。「去年はマウンドで球の軌道がイメージできたけど、今年はそれが見えなかった。不安なまま、投げてしまった」現在はカットボールを習得中で「カットも使って、内角で詰まらせる投球術を身につけたい」ともう一度、生命線の強気の投球を徹底する。

 球団側からは7勝6敗と成績を残したルーキーイヤーを「最低ライン」と指摘された。だが、最低で終わるわけにはいかない。「ローテ入りして、2ケタ勝利を目指したい」昨年6月に送られてきたファンレターをきっかけに交際を始めた三重県桑名市在住の会社員・伊藤愛さん(25)と、今オフに結婚することを改めて明かした左腕が、巻き返しを期す。

Posted by joker1960 at 08:32 | その他 | この記事のURL
2008年11月25日
来季登録名は「ラミちゃん」!?ラミレス本人が希望
 巨人のアレックス・ラミレス外野手(34)が、来季の登録名に「ラミちゃん」を希望していることが24日、分かった。来日8年目となった今季、8月19日にフリーエージェント(FA)権を取得。来季から日本人選手扱いでプレーできる権利を得たことで、ファンから親しまれている愛称「RAMICHAN」を、ユニホームの背中部分に入れるアイデアを披露した。移籍1年目ですっかりG党の人気者となったラミちゃんが、来季もグラウンド内外で話題を独占する。

 ファンのことを第一に考える、ラミレスらしいアイデアだった。日本人選手扱いとなる来季、登録名についての質問に「ファンから『ラミちゃん』って呼ばれているからね。それが背中に入ってもおかしくないでしょ」真剣な表情で答えた。

 待ち望んでいた権利を有効利用する。来日8年目の今季、8月19日に日本人選手扱いでプレーできるFA権を取得し、来季から外国人枠を外れることになった。それに伴い、「日本人選手として愛されるいい呼び方はないかい?」と考えた結果、G党の声が真っ先に脳裏に浮かんだ。

 練習中、試合後のスタンドからだけでなく、遠征先で町中を歩いていても、通りすがりのファンから「ラミちゃん」と声をかけられて親しまれてきた。誰に対しても手を振り、笑顔満開。常に身近な存在に感じてほしい、というR砲ならではの考えから、愛称をそのまま登録名にする考えが浮かんだ。

 ユニホームの背番号上の名前部分にも「RAMICHAN」を希望している。巨人では過去に、07年に途中入団したジェレミー・ゴンザレス投手が、愛称の「GG」で登録。それまでニックネームでの登録は許可されていなかったが、当時はチームにルイス・ゴンザレス内野手が在籍。ファーストネームと重なるために球団側が逆に提案した形だった。「ラミちゃん」が認められるかは今後の球団との話し合い次第となるが、実現すればプロ野球史上初の“ちゃん”付けのユニークな登録名となる。

 現在、ラミレスは、米フロリダ州の自宅で静養中。12月中に、知人が野球部の監督を務める近くの大学で始動し、1月下旬に来日予定。「来年は間違いなく、いい年になるので期待していてください」とリーグMVPを獲得した今年以上の活躍を誓った。日本一奪回を目指す移籍2年目も「ラミちゃん」がチームを先導する。

Posted by joker1960 at 09:05 | その他 | この記事のURL
2008年11月24日
大田、松井よりデカくなれ!!…球団初「ファン感」入団発表 新背番お披露目
 巨人のドラフト1位・大田泰示内野手(18)=東海大相模=が、華やかにプロの“第一歩”を踏み出した。23日、東京Dで「ジャイアンツ・ファンフェスタ2008」が開催され、球団史上初となるファンの前での新人10選手の入団発表が行われた。ヤンキース・松井秀喜外野手(34)が02年までつけていた背番号「55」のユニホーム姿を初披露した大田は“ゴジラ超え”を宣言。04年以来、4年ぶりに再会した尊敬する原監督を「たくさん胴上げしたい」と力強く語った。

 大きな拍手、無数のフラッシュを浴びながら、大田は勢いよくベンチを飛び出した。初めて袖を通したYGマークのユニホーム。背中には「55」が輝いていた。グラウンド中央、原監督の待つ壇上に上がり、指揮官と力強く握手。新入団10選手の中央で胸を張り、「以前つけていた選手が松井選手ということですけど、本当に重い番号。その重い55番をプライドにして、プロ野球生活をやっていきたい。ファンの方々に夢を与えられる選手になりたい。55番は大田だと言われる選手になっていきたいです」と尊敬する“ゴジラ超え”を約束した。

 偉大な先輩の背番号を継承した。02年までの10年間で首位打者1回、本塁打王3回、打点王も3度獲得した松井秀喜のつけていた背番号。壇上でゆっくりと一回転してファンに披露した。「プレッシャーがあれば自分の気持ちにプラスになるんで、期待通りのプレーが出来るよう頑張りたい」04年12月の野球教室以来の再会となる“あこがれの人”の前で、プロとしての決意を語った。

 「ジャイアンツ・ファンフェスタ2008」には、うわさの怪物をひと目見ようと3万9556人が集まった。例年の入団発表は、ホテルでマスコミを集めて行われ、発表後に場所を移してファンに公開していた。球団史上初となった東京Dでの入団発表は、巨人の将来を背負う18歳への期待の大きさが表れていた。

 プロとして、初めてグラウンドに足を踏み入れる直前、原監督から「これからプロになるんだから、それなりの覚悟が必要だぞ」と声をかけられた。その際に握手した右手は、4年前に出会った時と同じく「ごつかった」と振り返った。「夢を与えるのが僕の目標なので頑張ります」あこがれのチームに入れたことで、舞い上がっていた気持ちを引き締め直した。

 原監督は「大声援を受ける選手になってほしい。とにかく(新人は)頑張るしかない。期待して下さい」とファンに語りかけた。それに応え、大田も「原監督を多く胴上げできるように頑張りたい」近い将来、巨人の4番打者として恩返しすることを誓った。高校通算65本塁打の長打力にさらに磨きをかけ、松井以上の派手なアーチを描く。巨人の「55」は大田。その時代は必ずやって来る。

Posted by joker1960 at 09:00 | その他 | この記事のURL
2008年11月23日
大田に松井部屋 背番「55」に続き継承…出世ルーム「410号室」
 巨人の新入団10選手が21日、川崎市内にあるジャイアンツ寮などの施設を見学した。ドラフト1位の大田泰示内野手(18)=東海大相模=は、松井秀喜外野手(34)=現ヤンキース=が巨人で合宿所生活を送った最初の2年間、利用した「410号室」を与えられることが分かった。今季までの2年間、この出世部屋を使ってきた坂本勇人内野手(19)から引き継ぐ形となる。背番号「55」に続いて、寮生活でも怪物の魂を継承する。

 大田の胸は自然と高鳴っていた。「緊張しました。プレッシャーも感じましたね」寮内を見学している途中、樋沢寮長から「ここが松井も坂本も使っていた部屋だ」と説明を受けたのが、来年から自らの新居となる「410号室」だった。

 「410号室」は1993年に入団した松井(ヤンキース)が最初の2年間利用し、現在は坂本が使用している“出世部屋”。新人王を受賞した山口が寮生活を卒業し、空いた部屋へ坂本が引っ越すことに伴い、超大物ルーキーが「ゴジラ部屋」を継承することが決まった。

 大田は、松井が合宿所内で、素振りを繰り返した一室に足を踏み入れ、その偉大さに触れた。「松井さんが素振りをしていた部屋が一番印象に残っています」松井秀が素振りを繰り返しボロボロにすり切れた畳の上で、自らも素足でバットを振った。「自分も松井さんのように素振りをして後を継ぎたいと思っています」偉大な先輩たちが努力を重ねた畳の上で、プロの世界に思いをはせた。

 「55」がついた真っ白いユニホームにも、初めて袖を通した。「責任もプレッシャーも感じています。重い背番号を頂いたので、期待に応えないと。頑張らないといけないですね」サイズを合わせるのが目的で、報道陣には公開されなかったが、23日のファンフェスタ(東京D)の大観衆の前でお披露目される。

 プロ野球選手としての自覚も十分だ。「これからは野球が仕事になる。社会人としてやっていくことになるので、周りの見る目も変わってくると思います。(ファンの)記憶に残る選手になるために、がむしゃらになって1つのボールに食らいついていきます」趣味も「野球」と答えるほど野球愛に満ちた18歳が「ゴジラ魂」を継承して、スターへの階段を駆け上がっていく。

 ◆ジャイアンツ寮の「松井部屋」 1993年に入団した松井が最初に入った部屋が「410号室」。現在は2年目の坂本が使用し、来年からは大田が使用することになる。松井は3年目の95年にバス、トイレ完備で、1軍の主力選手が生活する2階の「210号室」に移動した。98年に高橋由、99年には上原がこの210号室に相次いで入寮。生え抜きのスター選手として活躍したことから“出世部屋”と呼ばれている。

Posted by joker1960 at 07:09 | その他 | この記事のURL
2008年11月22日
ラミ断トツ!MVP 2位に519点差
 2008年度のプロ野球コンベンションが21日、都内のホテルで行われセの最優秀選手(MVP)は巨人のアレックス・ラミレス外野手(34)が受賞した。3年連続受賞がかかった2位の巨人・小笠原の381点を大きく引き離して900点を獲得する大独走受賞だった。

 スクリーンに最高の笑顔が映し出された。米フロリダの自宅でMVP受賞を伝えられたラミレスは、喜びを爆発させた。来日8年目でつかんだ初の栄冠。親族の結婚式の準備で来日できなかったためVTRでメッセージを寄せ、「大変光栄に思います。自分にとって特別な賞であり、神様とともに皆様に感謝したい」と声を弾ませた。

 文句なしの受賞だった。移籍1年目で全試合に出場し、打率3割1分9厘、125打点、45本塁打。本塁打王には1本及ばなかったが、2年連続3度目の打点王を獲得し、セ・リーグ連覇に貢献した。記者投票で900点を集め、次点の小笠原(381点)に大差を付けての圧巻のMVP獲得。巨人の外国人選手では1989年のクロマティ以来、19年ぶり2人目の快挙を達成した。

 2年連続3度目のベストナインにも輝いた。今年度の受賞選手中最多の177票を集めた。MVP同様に独走状態。巨人の4番打者としての存在感を見せつけた。

 MVPに匹敵するほどうれしかったのが打点王のタイトルだ。「打点はチームの勝利に結びつくので喜びも格別です。個人の賞ではありますが、チームで分かち合いたいと思います」シーズンを通して打点にこだわってきただけに、自然と笑顔がはじけた。

 来年の目標は日本シリーズで今季の雪辱を果たすことだ。「自分が巨人軍の一員になった理由でもあり、皆さんが期待していることでもある日本一になりたい」最強助っ人は自らのバットで「日本一」の称号をチームにもたらす。

Posted by joker1960 at 07:03 | ニュース | この記事のURL
2008年11月22日
育成初!山口新人王「中継ぎで取れたことをうれしく思います」
 左のセットアッパーとして活躍した巨人・山口鉄也投手(25)が21日、育成選手出身で初となる新人王を受賞した。2008年度のプロ野球コンベンションが21日、都内のホテルで行われ、発表された。また42票差の2位で新人王を逃した坂本勇人内野手(19)は新人選手特別賞を受賞した。またセの最優秀選手(MVP)は巨人のアレックス・ラミレス外野手(34)が受賞。3年連続受賞がかかった2位の巨人・小笠原の381点を大きく引き離して900点を獲得する大独走受賞だった。

 壇上で無数のフラッシュを浴び、顔を赤らめた。どんなに緊迫したマウンドより、ヒーローインタビューを一番の苦手とする山口が手にした輝かしい栄誉。「まさかこんな素晴らしい賞を自分がいただけると思ってなかったので、幸せです」育成出身としては史上初の新人王を獲得。人生最大の晴れ舞台となった会見で、はにかみながらも素直な喜びを言葉にした。

 セットアッパーとしてのフル回転が評価された。勝敗を左右する試合終盤の大事な場面で67試合に登板し、11勝2敗2S、防御率2・32という驚異的な数字を残した。得票数91で次点の坂本に42票差をつけ、球団では03年の木佐貫以来、16人目となる最優秀新人に選ばれた。「一生に一度しか取れない賞なので光栄。中継ぎでこの賞を取れたことを、うれしく思います」と、控えめに胸を張った。

 どん底からはい上がった。「3年前に自分は育成選手としてジャイアンツに入って、その時はまさかこんな日が来るとは思っていなかった。頑張って良かったなと思います」と、感慨深げに振り返った。05年秋にスタートした育成ドラフト1巡目で巨人へ入団。07年4月に支配下登録されて頭角を現し、今季は大きく飛躍を遂げた。

 支えとなったのは、米国での武者修行だ。02年に横浜商を卒業後、野球をあきらめきれずに単身渡米。当時の月給は約10万円。食費を節約するためハンバーガーをかじりながら、ルーキーリーグで汗を流した。「アメリカの経験が生きています。向こうでは次の日に(チームメートが)クビになるのを見てきたので、一日一日を大事にしてがむしゃらに練習することを学んだ」と自ら分析した。今季も連投が続く中でも、ウエートトレーニングを欠かすことなく努力を重ね、1年間戦い抜いた。

 慢心とは無縁だ。「周りで支えてくれた人たちに感謝したい。この賞に恥じないよう、オフも一から頑張って、来年もチームに貢献できるように頑張ります」と、最後は力強く締めくくった。初心を忘れることなく、成長の歩みを続ける。

Posted by joker1960 at 07:00 | ニュース | この記事のURL
2008年11月21日
越智G魔神になる!新背番号22…原監督「佐々木のように」
 巨人・越智大祐投手(25)が20日、東京・大手町の球団事務所で契約更改に臨み、2280万円増となる年俸3000万円でサインした。来季の背番号も「62」から「22」に変更することも決まった右腕は、「佐々木さんのようになれるようにがんばります」と、現役時代に「大魔神」の異名を取った名ストッパー・佐々木主浩氏(40)=元横浜、マリナーズ=のように、剛球で相手をねじ伏せる投手になることを誓った。

 喜びを抑え切れなかった。会見場にやって来た越智は、着席する前から笑みを浮かべた。「納得してます。試合数と、これだけ投げての防御率を評価してもらい、すごくうれしかった」端正なマスクは、最後まで緩み通しだった。

 大きく飛躍した。3年目の今季、3月28日のヤクルトとの開幕戦(神宮)でプロ初登板を果たすと、シーズン中盤以降は「勝利の方程式」の一角として大車輪の活躍。チーム最多の68試合に登板し、3勝3敗、防御率2・40と一気にブレークした。「良くなかった1、2年目の分をすべて出した1年でした。投げるたびに自信がついた」720万円から3000万円へ、4倍以上の大幅アップを勝ち取った。

 来季は背番号も変わる。今季、福田が背負っていた「22」を付けることが決定した。19日にG球場で行われた秋季練習で、原監督から日米通算381セーブを挙げた佐々木投手を引き合いに出され、「彼のような選手になってほしい。期待をしている」と告げられた。

 150キロ近い速球、フォークで次々に三振を奪うスタイルは大魔神と重なるだけに「佐々木さんのようになれるよう頑張ります。将来的には抑えもやってみたい」と“巨人の大魔神”を目指すことを誓った。来季の課題としてはフォークの精度を上げることを挙げ「分かっていても打てない」と評された佐々木氏ばりのフォーク完成を目指す。

 チームは日本ハムからM・中村(マイケル)をトレードで獲得。右の中継ぎに強力なライバルが加わった。「負けないように頑張ります。70試合くらい投げたい」と05年、シコースキーがマークしたシーズン登板数の球団記録(70試合)更新も視野に入れた。来季もここ一番の勝負どころで越智がマウンドに仁王立ちする。

 ◆巨人の背番号「22」 初めて公式戦に臨んだ1936年、藤本定義監督が背負ったのが最初。その後、千葉茂、加倉井実らが受け継ぎ、川上監督時代は「ライフルマン」と呼ばれた船田和英が代表。90年代に入ると中尾孝義、大久保博元、杉山直輝ら捕手が続けてつけた。他球団では横浜・佐々木主浩、ヤクルト・高津臣吾、阪神・藤川球児ら、球史に名を刻むクローザーが22番で、守護神の代名詞となっている。

Posted by joker1960 at 08:30 | ニュース | この記事のURL
2008年11月20日
3年で年俸20倍!山口育成ドリーム!…240万→1400万→4500万
 巨人・山口鉄也投手(25)が19日、東京・大手町の球団事務所で契約更改し、3100万円増の年俸4500万円でサイン。月給10万円の米国武者修行時代、年俸240万円の育成選手を経て、大幅増をつかんだ。先発で2勝した東野峻投手(22)、堅実な守備で支えた寺内崇幸内野手(25)も大幅アップ。メーク・レジェンド達成に貢献した若手が、そろってバラ色のオフを勝ち取った。

 ほおを真っ赤に上気させながら照れ笑いした。どんなに年俸が上がっても、控え目な山口の人柄は変わらない。「すごい評価をしていただいて、自分が思ったよりも多かった」と驚きを隠せない。3100万円増の年俸4500万円で一発サインし、素直に喜んだ。

 3倍を超える大幅増にふさわしいフル回転だった。今季はセットアッパーとして急成長し、全67試合に救援で登板。球団史上初となるリリーフ登板だけでの2ケタ勝利(11勝)を積み上げた。黒星がついたのは2度しかなく、防御率2・32で安定感も抜群。「日本一にはなれなかったけど、個人的には満足のいくシーズン」登板しない試合でも、ポストシーズンを含めて年間155試合のうち、ほぼ全試合ブルペンで肩をつくった。グラウンド内外での労力も評価された。

 どん底からはい上がった。02年に横浜商を卒業後、野球をあきらめきれずに単身渡米。米ルーキーリーグでほかのメキシコ人選手ら6人と共同でアパートを借りた。「ハンバーガーばっかり食べてましたね」食費も節約して野球に打ち込んだ。当時の月収は約10万円。巨人へ育成選手として入団した06年の年俸は240万円だった。

 07年4月に支配下登録され、32試合に登板した昨季は1400万円まで上がった。それでも昨年、購入した最も高価なものは、10万円未満のスーツ。今年、購入した念願のマイカーもチームメートの加藤から譲り受けた中古のキャデラックだった。大幅アップを勝ち取った今オフは、選手寮から横浜市内の賃貸マンションに移り、一人暮らしを始める予定。夢の高級外車にも新車で手が届くが、「まだ決めていません」と相変わらず控え目だ。米国時代と比べ、年収は50倍近くまで増えたが、素朴な人柄は変わらない。

 来季も全力でチームに貢献する覚悟だ。チーム事情により、来季は先発転向の可能性もあるが、「言われたところで全力で投げるだけです」と迷いはない。「ロングリリーフもしてみたい。50試合以上は投げたい」とさらなるレベルアップを目指し、オフはスタミナ強化などに努める。おごることがないから、山口の成長は止まらない。

 ◆山口 鉄也(やまぐち・てつや)1983年11月11日、横浜市生まれ。25歳。横浜商から米大リーグ・ダイヤモンドバックスのルーキーリーグを経て、05年の育成ドラフトで入団。07年4月に支配下登録された後、5月9日の阪神8回戦(甲子園)でプロ初勝利をマークするなど32試合に登板。今季はセットアッパーとして活躍した。183センチ、74キロ。左投左打。

Posted by joker1960 at 08:31 | ニュース | この記事のURL
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