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2017年05月18日

Mr.Children25周年ベストアルバム発売!!歴代シングルCD売上ランキング公開!!






今週の総合アルバムチャート“Hot Albums”では、Mr.Childrenが配信限定でリリースしたベストアルバム『Mr.Children 1992-2002 Thanksgiving 25』と『Mr.Children 2003-2015 Thanksgiving 25』がワンツーフィニッシュを飾った。

このアルバムは、1992年5月10日にアルバム『EVERYTHING』でデビューし、25周年を迎えた、2017年5月10日に配信限定リリースとなった。
1stシングル「君がいた夏」〜35thシングル「足音 〜Be Strong」まで(36thシングル「ヒカリノアトリエ」は配信済み)のシングル楽曲を中心とした50曲を「1992-2002」「2003-2015」の2つの年代に分けて配信する。

ジャケットはこれまでの作品をコラージュしたものに。それぞれ25曲収録、2500円(税別)で、来年5月9日までの1年間限定リリースとなる。


90年代中盤にブレイク以降、00年代、10年代とシングル・アルバム共に類い稀な数のヒットを長期にわたり飛ばしており、幅広い世代に支持される国民的バンドはCDの売上枚数も驚異的でした。

TOP10をまとめてみたのでご覧ください。


≪Mr.ChildrenシングルCD売上ランキング≫


第10位 終わりなき旅 107万枚

1998年発売
前作から8ヶ月ぶりのシングル。13thシングル「Everything (It's you)」発売後に突然の活動休止宣言をしたが、本作で本格的な活動を再開した(ただし、活動休止期間中に14thシングル「ニシエヒガシエ」を発売している)。
3rdシングル「Replay」以来となる横向きのデザインのジャケットである。また、カップリング曲と表題曲が同じアルバムに収録された初のシングルでもある。
オリコンチャートでは、「Everything (It's you)」以来、2作ぶり通算10作目のシングルミリオンセラーを達成となった。累計売上107.0万枚。2016年10月現在、Mr.Children最後のシングルミリオンセラー作品。


第9位 Everything (It's you) 121.7万枚

1997年発売
前作から約半年ぶりのシングルで、突如発表された活動休止の直前に発売された。デビューアルバム『EVERYTHING』と直接の関連はない。オリコンチャートでは11thシングル「花 -Mémento-Mori-」以来、2作ぶり通算9作目のシングルミリオンセラーを達成。累計売上は121.7万枚。
この頃から作詞・作曲の際に「Kazutoshi Sakurai」、または「KAZUTOSHI SAKURAI」の表記が多くなっている。
メンバーはこの頃が一番長髪だったとベストアルバム『Mr.Children 1996-2000』のライナーノーツに記している。


第8位 everybody goes -秩序のない現代にドロップキック- 124万枚

1994年発売
前作「Tomorrow never knows」から僅か1ヶ月後に発売されたシングルで、Mr.Childrenのシングルでは前作との間隔が最も短い。
4thシングル「CROSS ROAD」から4作連続となるミリオンセラーを達成した。累計売上は124.0万枚。なお、本作発売の前週の1位は「Tomorrow never knows」(2週連続、通算3週目)で、Mr.Childrenは本作と併せて3週連続でオリコンシングルチャート1位を獲得している。


第7位 CROSS ROAD 125.6万枚

1993年発売
初回盤はジャケット写真の「CROSS ROAD」の文字が金色だが通常盤は黄土色となっており、中のプラスチックの色も初回盤は黄色、通常盤は白という極めて僅かに違いがある。
オリコンチャート初登場9位を獲得してMr.Childrenのシングルでは初のTOP10入りを果たすと、ドラマのタイアップ効果などもあり94年1月24日付で最高順位の6位を記録。その後も20位台を推移し続けて94年4月18日付のオリコンチャートで累計売上が100万枚を突破し、シングル・アルバム通じて自身初のミリオンセラーとなった。最終的な売り上げは125.6万枚。チャートイン数は50回でシングルでは自己最長記録である。
この曲で1993年末から94年前半にかけて『ミュージックステーション』『ポップジャム』に初出演した。


第6位 花 -Mmento-Mori- 153.9万枚

1996年発売
前作から約2ヶ月ぶりに発売されたシングルで、1曲のみの収録だったため500円で発売された。
4thシングル「CROSS ROAD」から8作連続でミリオンセラーを達成。累計売上は153.9万枚。また、本作が2週連続1位を獲得した1996年4月29日付のオリコンチャートで、2ndアルバム『Kind of Love』の売上が100万枚を突破した。


第5位 【es】 〜Theme of es〜 157.2万枚

1995年発売
前作から約5ヶ月ぶりのシングルとなるが、この間に桑田佳祐と桑田佳祐&Mr.Children名義でコラボレーションシングル「奇跡の地球」をリリースしている。4thシングル「CROSS ROAD」から5作連続でミリオンセラーを達成した。累計売上は157.2万枚。 ちょうどこの日がデビュー3周年である。


第4位 シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜 181.2万枚

1995年発売
前作から3ヶ月ぶりのシングル。4thシングル「CROSS ROAD」から6作連続でミリオンセラーを達成した。累計売上は181.2万枚。ジャケットには簡素な猿のイラストと田原の字でタイトルが書かれている。桜井はジャケットに猿の絵を使った理由を「映画(『【es】 Mr.Children in FILM』)も一件落着して新たな気持ちでリスタート、猿の気持ちでリスタート」と語っている。
Mr.Childrenでは2週目の売り上げが最も高く一番安定した売上推移だったシングルで、Mr.Childrenでは最高記録(合算週を含んでいない)のオリコンチャート3週連続1位を獲得し、オリコン集計におけるノンタイアップシングル歴代1位の売上を記録した。また、3週目の1位獲得と同時にオリコン集計によるシングル総売上が1000万枚を突破した。
本作で発生する「CD売上金」や「印税」は全て発売年の1月に発生した阪神・淡路大震災の義援金に充てられた。


第3位 innocent world 193.6万枚

1994年発売
前作から約7ヶ月ぶりのシングル。前作のロングヒットで知名度を大きく上げた状況での発売となった。
シングル・アルバム通じて初のオリコン週間チャート1位を獲得、その後2ヶ月足らずで100万枚を突破し1994年度のオリコン年間シングルチャート1位を獲得。本作のヒットによって過去の作品が再びチャートにランクインするなど大きな相乗効果も生まれた。最終的には193.6万枚を売り上げ、Mr.Childrenのシングルでは6thシングル「Tomorrow never knows」、10thシングル「名もなき詩」に次いで3番目に高い累計売上を記録している。
1994年の第36回日本レコード大賞で大賞を受賞したが、メンバーはオーストラリアで「Tomorrow never knows」のPV撮影のために授賞式を欠席するという異例の事態になった。代わりに所属レコード会社トイズファクトリーの代表でアマチュア時代のMr.Childrenを発掘した稲葉貢一が授賞式に出席しトロフィーを受け取った。以降9年間、日本レコード大賞に関わることはなかったものの、2004年に26thシングル「Sign」で10年ぶりに再び大賞を受賞した時は、メンバー全員が授賞式に出席した。
元阪神タイガースの筒井和也が主催試合での登場曲として、2008年から2014年まで使用していた。


第2位 名もなき詩 230.9万枚

1996年発売
前作から約6ヵ月ぶりに発売されたシングル。4thシングル「CROSS ROAD」から7作連続でミリオンセラーを達成した。累計売上は230.9万枚。
オリコンシングルチャートでの初動売上は当時の歴代最高となる約120.8万枚を記録し、オリコン史上初となる初動売上のみで100万枚を突破したシングルである。本作は月曜日の発売だったため店によっては流通の関係上前週の金曜日から販売されているところもあったが、全て発売週の売上として集計された。
Mr.Childrenのシングルでは6thシングル「Tomorrow never knows」に次いで2番目に高い売上を記録。オリコンの集計では1996年3月25日付にてCHAGE and ASKA以来2組目となるシングル2作目の200万枚突破を達成するとともに、オリコン史上3組目となる2度目のシングル年間1位を獲得した。
ジャケットは桜井の舌に「NO NAME」と書かれているもので、このジャケットを友人に見せたところ「もうインディーズじゃないんだから」と笑い飛ばされたという。
なお、次のシングル以降は、表題曲のインストゥルメンタルバージョンは収録されなくなる。


第1位 Tomorrow never knows 276.6万枚

1994年発売
前作「innocent world」から約5ヶ月ぶりのシングルで、4thアルバム『Atomic Heart』がロングヒットを記録している最中に発売された。
初動売上は約67.0万枚と前作の約20.6万枚を大幅に上回り、発売から3週目で累計売上が100万枚を突破し、4thシングル「CROSS ROAD」から3作連続でミリオンセラーを達成。最終的な売り上げは約276.6万枚で、Mr.Childrenのシングルでは現時点で最大のヒット作となっている。また、トイズファクトリーで発売されたシングルとしても最多である。
CDシングルでは歴代8位の売り上げであるが、年間1位は獲得していない。これは当時のオリコン年間チャートが12月 - 該当年11月までの集計であったため、発売日と集計期間の関係で1994年度(22位)と95年度(4位)にまたがってチャートインしたためである。
本作と「innocent world」の大ヒットによって、過去の作品が再びチャートにランクインする等の大きな相乗効果が生まれた。
この曲で、HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに初出演を果たした。




2017年05月13日

最強は誰だ!?喧嘩が強い芸能人と武勇伝特集!!






芸能界には、元暴走族やヤ○ザの経歴を持つ芸能人もいます。
生まれた時代も土地も違う彼らで誰が一番最強なのか、考察してみましょう。

若い頃からヤンチャな生き方をしてる男の武勇伝をまとめてみました!


≪芸能人の武勇伝≫


【宇梶剛士】

まず誰もが最初に思い浮かぶのはこの人でしょう。
日本最大組織の暴走族『ブラックエンペラー』の7代目総長で、鼻、前歯、アバラなどを折り、ガムテープでぐるぐる巻きにして泳がせたり、喧嘩を売ってきた相手のグループ全員のバイクを没収し、教習所までの送迎をさせたりしていた。
宇梶は決して自分からは手を出さず、相手の怒りのボルテージがMAXになるまで冷静に待ち、相手が殴りかかってきた時にボコボコにするという手法を使っていた。そしてボコボコにしたあとは必ず正座させて『次は病院のベッドだぞ』というのがお決まりだった。

【赤井英和】

中学・高校時代はケンカに負けたことが一回もなく、当時不良だらけだった大阪の街でも恐れられる存在だったという。電車の中で『風紀が乱れとる』と言って足を投げ出して座っている不良たちの足を蹴りまくり。駅を降りた瞬間に十数人に囲まれるも全員KOしてしまう。
当時の大阪で一番強いと言われていたのはトミーズ雅、前田日明、赤井英和。トミーズ雅とはプロボクサーとしてスパーリングしているが雅は『赤井のジャブはストレート並みの威力があった。物干し竿で突かれてるみたいだった』と語っている。

【ジョー山中】

ジョーは喧嘩の強さを聞きつけた金平ジムの金平正紀にスカウトされ、プロボクサーに。芸能界入り後も喧嘩エピソードを絶えず、安岡力也を喧嘩で半殺しにしたこともあるという。
日比谷野外音楽堂でコンサート中に、全共闘数十人から殴り込みをかけられるも、ボクシングで返り討ち。そのうえ演奏終了後に逃げた連中を追い掛け、半殺しに。

【藤岡弘、】

藤岡は松山聖陵高等学校に通っていたのだが、その学校は『ヤクザのエリート学校』と言われるほど、卒業生はその道にすすむことが多い学校の空手部で部長を務めており、不良に絡まれても、返り討ちにしていたという。
『胆力』が人並み外れている藤岡は飛行機の国際ライセンスを持っているのだが、アメリカで一人遊覧飛行していたところ、『近くで竜巻が起こった』との無線が。藤岡は『見たことがない』との理由で竜巻を見に行き、結果乱気流に巻き込まれてしまった。

【長渕剛】

長渕主演のドラマ『RUN』の打ち上げ会場にて、突如ドラマのADを殴りつける。グロッキー状態のADに金を投げつけ『訴えられるものなら訴えてみろ』と暴言を吐く。
長渕は81年石野真子と結婚。しかし、度重なる石野真子へのDV。そして離婚。1987年現妻の志穂美悦子と再婚。妊娠中だった志穂美悦子にまたもDV。実は志穂美は空手の熟練者。出産を終えたあと長渕をボコり返す。そこから長渕も空手をやるようになった。

【哀川翔】

俳優中野英雄が16歳で白スーツを身にまとい、十数人でたむろしてたところを哀川が『子供がそんなの着ちゃダメだろ』と注意。中野は『アァ?』と戦闘態勢に。しかし中野は哀川に3秒で負けたという。
哀川は夫婦喧嘩も激しく、怒ると物を壊す。今まで『ドアの強化ガラス』『車のフロントガラス』『自宅の壁』を見境なく壊してきた。自宅の壁は、投げた椅子が壁に突き刺さったのだという。3つの合計の修理費は『117万円』と高額に。哀川は後日業者にお詫びの電話を入れたという。

【鈴木雅之】

本物のヤンキーだった鈴木率いるラッツアンドスターは偽物のヤンキーが多かった横浜銀蠅良く思っておらず裏でボコボコにしていたという。
「ザ・ベストテン」でラッツ&スターと横浜銀蝿が共演する機会が何度かあった。横浜銀蝿に黒柳徹子が大学の話をしていた後ろで「不良なのに大学に行ってんだ」とボソリ。横浜銀蝿は震えることしかできなかった

【安岡力也】

安岡がディスコで飲んでいたら、あるレスラーが女の子を追い掛け回していた。女の子を助けようと安岡が間に入ったのだがそのレスラーは安岡の襟首を掴みどかそうとした。それが気に食わなかった安岡とレスラーは、表に出て、安岡はレスラーの額にブロック塀を叩きつけKOした。そのレスラーはアブドーラ・ザ・ブッチャーだったという。
安岡は1人で、愚連隊70人の相手をしたことがある。しかし、安岡がその中で強そうなやつを5〜6人倒した時点で他はビビリまくり、相手にならなかった。

【小沢仁志・和義兄弟】

ある日、事務所のトイレで暴れていた弟・和義を止めようとした兄・仁志と壮絶な兄弟喧嘩になって男トイレを半壊させたという。周りも止めようにも巻き添えになるのが怖くて止められなかったという。

【YOSHIKI】

あるライブでYOSHIKIと布袋寅泰が一緒になった。YOSHIKIは遅刻魔でこの日も遅刻してしまった。このライブはなんとか無事終えることができたが、打ち上げでこの2人がバッタリ。遅刻したことをなんとも思っていないYOSHIKIに『X(X JAPANの前名前)って何なんだよ』と発言。殴り合いのケンカに。hideが喧嘩の仲裁に入り一旦は収まった。
YOSHIKIはしょっちゅう暴れているという。『ツアー中のホテルの部屋がせまいとの理由でホテルの備品を窓から投げ捨てる』『禁煙中でイライラしすぎてスタッフに当たり散らしていたため禁煙禁止令が出た』

【佐田正樹】

小学生時代は目が大きかったことから『デメキン』といじめられていたが、そのいじめっ子を殴り返したことで佐田の喧嘩道が始まっていった。
佐田の不良化は中学生から本格的に始まり、仲間と閉店した時計屋のショーウィンドウを割って窃盗。それからも喧嘩三昧で遂には拳1つで暴走族の総長に登り詰めた。

【沢田研二】

ヤクザと喧嘩した際にうずくまった相手を沢田が蹴り上げると、ヤクザは伸びてしまった。それを見た他のヤクザはそんな沢田にビビっていたという。
当時安岡力也を舎弟に持つ誰もが震えおののく内田裕也を説教して泣かせる。あの松田優作も沢田の前では萎縮しておとなしかったという。

【岩城滉一】

クレイジーケンバンドの横山剣がヤクザとトラブルを起こし、事務所に監禁された際に岩城は単身で事務所に乗り込み、横山を助け出したという。


【氷室京介】

氷室京介といえばロックバンドBOØWY。BOØWYのメンバーにはYOSHIKIとも喧嘩した布袋寅泰がメンバーとして所属している。その布袋は氷室が怖かったという。氷室が布袋をBOØWYに入れるため呼びつけた時も布袋は『殴られる』と思ったと語っている。そして、氷室の誘いを断りきれずBOØWYに入った。

【GACKT】

一時期テコンドーという格闘技にのめり込み、黒帯を取得。しかも日本最速の黒帯取得記録の保持者でもあり、喧嘩は天才的に強いという。
ライブのバックバンドを決める時も楽器の腕ではなく、スパーリングで決める。『根性を見せたヤツだけを入れる』らしい。しかもバックバンドと沖縄で合宿がありそこではずっと海岸を走り、キックミットを蹴っていたという。

【松田優作】

優作が友人と飲んでいた時、酔っ払った優作がヤクザを睨みつけ、喧嘩になるもヤクザをボコボコにした。しかし、殴られたヤクザが優作ではなく優作の友人を探していることがわかり、その友人は遠くに引っ越さなければならなくなったとか。

【辰吉丈一郎】

中学入学してからすぐにソリコミを入れた辰吉。中学3年の番長が『ソリコミが生意気だ』と言ってシメに来たのだが、あっさりボコり返す。
ゲームセンターで高校の番長に喧嘩を売られるが、逆にボコボコにする。

【ジェリー藤尾】

藤尾は中学1年のときにアルコール依存症だった母を亡くし、父は家庭を顧みず家族崩壊。藤尾は繁華街で喧嘩に明け暮れ、そのうち愚連隊の『用心棒』に。藤尾の時代の新宿はヤクザで溢れていた街だったのだが、人ごみを藤尾が歩くと綺麗な一本道ができたと言われている。

【ガッツ石松】

当時世界チャンピオンだったガッツが弟と一緒に歩いているとチンピラ8人の絡まれ、弟に危害が加えられた。これにはガッツもたまらず8人をあっという間にKOしてしまい、逮捕。事情聴取でガッツは『いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない』と書いてあると言ったというのは有名。

【吉川晃司】

吉川が歩いていると少年3人組が『金出せ』とナイフを突きつけられた。無視しようとしたらしいが『礼儀を教えなければ』と少年3人組を成敗。吉川曰く『軽くストリートセッション』したとのことらしい。
喧嘩の腕には相当な自信を持っているようで暴行事件の記者会見では『酒と喧嘩が強いアピール』になったり、『水の中だったらジャイアント馬場にも勝てる』と豪語。吉川の中では『喧嘩は水の中でやるもの』という持論があるらしい。

【石倉三郎】

石倉三郎は芸能人とはケンカはせず、ヤクザとすることが多かったよう。『売られた喧嘩は必ず買う』がモットー。組事務所を潰したとの噂もあったり、北野武と夜の街に繰り出しヤクザから金をたかっていたという。
石倉が飲んでいた飲み屋にみかじめ料をしつこく要求するチンピラと大喧嘩し、相手の肋骨を折る。しかし石倉は無傷で、次の日の撮影にいつもどおりにやってきたという。

【北野武】

昔、バラエティー番組で芸人同士の柔道やレスリングが流行ったことがあり、これにたけしは興味を持ち、自宅に腕に覚えのある芸人を集めて戦わせた。そして最後に勝ち上がったものとたけしがやることに。相手はガタイのいい武道家だったのだが、たけしは頭突きでKOしたという。
たけしが新宿に飲みに出かけると警察が動いていたという。『あれだけ寝ないで仕事しているのに、飲み歩けるということは覚せい剤をやっているに違いない!』と。たけしはおもしろがって『そんな噂出てんのか。じゃあもっと寝ないでやろう』と1日1時間しか寝なかったという。

【オール巨人】

巨人は番組収録で、空手の先生の上段回し蹴りをしてきた足を鷲掴みにしてもう片方の手で襟首を掴み、客席に投げ飛ばした。収録後にその空手の先生は自分の師匠に『オール巨人殺しに行くんで破門にしてください』と巨人を殺そうとしていた。
巨人がバーで飲んでていたときに、ヤクザが巨人に絡んできた。あまりにしつこかったため巨人はヤクザをボコボコにし、吉本から謹慎処分をくらった。

【ウド鈴木】

新宿歌舞伎町でウドは若者グループと路上で喧嘩になり、暴行容疑で事情聴取をうけた。ウドが歌舞伎町を歩いていると若者グループからサインを求められたが、若者の態度に腹を立て口論に。この騒ぎをデジタルカメラで撮影していた5人組の若者ともみ合いになったという。
柔道の有段者で、歌舞伎町での若者との乱闘の際も友人に危害を加えたとして実力行使に至ったとされており、両者の間では示談が成立。

【鈴木拓(ドランクドラゴン)】

「鈴木は喧嘩が強いらしい」。こんな噂が芸人仲間の間を駆け回った。真偽を確かめるために喧嘩を売られた鈴木は、10人とガチの勝ち抜き戦をやることに。鈴木は「やらなきゃやられる」と思い、3人の骨をためらうことなく折ったのだとか。
テレビで見る鈴木がやけに堂々としているのは「俺のことをイジってる奴を殺そうと思えば殺せる。こう思えば余裕ができる」と独自の持論を展開。

【渡瀬恒彦】

渡瀬の武勇伝はいちいち豪華で、『松田優作を一瞬で倒す』『ヤクザにさらわれた友人を1人で事務所へ行った』兄の渡哲也でさえも『喧嘩も勉強も弟のほうが上だった』と兄も認めるほどの腕っ節だった。
渡瀬はアクションシーン・スタントシーンを全て自分でやり、猛スピードで走っているオートバイからバスに乗り移るシーンや、バスでパトカーを何十台も轢き潰すシーンも運転手は渡瀬だった。

【南こうせつ】

南が乗っていた新幹線に酒を飲み酔っ払ったヤクザが暴れていた。南はあの笑顔で近寄り耳元で何かを囁いた。そのヤクザはみるみるうちに青ざめていき、次の駅で降りていったという。
若い頃、態度が悪かった長渕剛。そんな長渕に堪忍袋の緒が切れた南は長渕を呼び出し、土下座させる。

【ASKA】

復活ライブの打ち合わせをしていた際に薬物の影響でろれつが回っておらず、わけのわからないことを口走るASKAを見てCHAGEは『クスリをやめろ』と注意したところ、ASKAは逆ギレ。CHAGEをボコボコにしてしまった。
覚せい剤に溺れていくASKAを妻が止めようとするたびに、家の中で暴れまわっていたという。暴れまわる度に妻は息子に助けを呼び、息子がASKAを抑止していた。息子はあまりの頻度に『このままじゃおふくろが殺される』と実家に戻ってきたらしい。

【岸谷五朗】

喧嘩に負けたことがなく、ついたあだ名は「三多摩の五朗」。
当時そのあだ名の知らない人はいなかったほど恐れられていたらしい。

【石垣佑磨】

2008年に居酒屋で店員と争いになり、店員のこめかみを殴り警察署に連行。その後新宿署の前で警官に怪我をさせ逮捕。
石垣は小さい頃から、剣道・空手・柔道をやっており、中学時代に習ったテコンドーは特技欄に書くほど得意だという。

【中居正広】

SMAPの下積み時代にホテルに滞在していた木村拓哉のもとに来客が。扉を開けると中居で、殴りかかってきたという。理由は『木村拓哉が嫌いなメンバーを代表して』とのことらしいですが、昔から頭に血が上るとどうしようもないタイプのよう。
『美味しんぼ』で一緒になった今井雅之とマジゲンカのシーンでは演技を忘れて、本当の罵り合いをしたという。撮影が終わったあともお互い組み合ったままでスタッフは大変だったという。

【和田アキ子】

和田が行きつけの寿司屋で寿司を食べていると、犬猿の仲で知られる朝青龍が店にやってきた。朝青龍が来た瞬間に和田の顔付きは変わり、日本の相撲について言いたい放題。和田が帰るときに朝青龍は座りながら頭を下げた瞬間、『挨拶は立って頭を下げるんだ!』と横綱だった朝青龍にケンカを売ったのだった。




2017年05月12日

B'zファン必見!再始動決定!!歴代シングルCD売上ランキング公開!!






6月から『UCC BLACK無糖』新TVCMソングとして全国でオンエア開始される、B'zの最新楽曲「声明」と、TBS系 日曜劇場『A LIFE〜愛しき人〜』主題歌として感動を呼び、リリースが待たれていた「Still Alive」。双璧をなす書き下ろし2曲をタイトルにした新作がついにリリースになる。

ソロ活動を経て、ついにB'z再始動を飾る新作のリリースが決定した。前作シングル『RED』から2年ぶり、53作目となるニューシングルは、6月からコラボレーションキャンペーンもスタートする『UCC BLACK無糖』新TVCMソング「声明」、高視聴率を記録したTBS系 日曜劇場『A LIFE〜愛しき人〜』(主演:木村拓哉)主題歌「Still Alive」の初リリースに加え、劇場版『名探偵コナン 純黒の悪夢』の主題歌で人気を博した「世界はあなたの色になる」と、今回、初CD化となる映画『疾風ロンド』主題歌「フキアレナサイ」の全4曲を収録したボリューム満載の作品に。

来年結成30周年の節目の年になるので、ツアーやアルバムなどイベントが組まれることが予想されます。

そんな日本一とも言えるモンスターロックバンドはCD売上も驚異的な数字です。
その売上をまとめました。


≪B'zシングルCD売上ランキング≫


第10位 ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE 123.6万枚

1996年発売
B'z初の両A面シングルで、B'zの公式両A面シングルはこの作品と46thシングル「イチブトゼンブ/DIVE」のみ(10thシングル「BLOWIN'」や25thシングル「HOME」は正式には両A面ではない)。両A面となった理由は松本曰く「どちらも出来がよく、両方ともタイアップが付いたから」。なおシングル盤には「1st beat」「2nd beat」の区別した表示はなく、当時の会報誌には「ダブル1st beatシングル」と記載されていた。
「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜」は自身初のアニメタイアップ曲。アニメの放送開始に合わせて、タイアップ用の限定パッケージも発売された(シングル自体の発売はアニメの開始より1か月以上も前だったため、限定パッケージも4月以降の発売だった)。ケースには勝新太郎からプレゼントされたテンガロンハットの写真が載せられている。
松本は今作について「派手なイメージが付いた「LOVE PHANTOM」の次のシングルということは意識して製作に入った」とコメントしており、両曲とも8ビートの曲になっている。
両曲ともオリジナルアルバムには未収録となった。
発売に際してメンバーのテレビ出演は一切なく、現在においてミリオンセラーとなったシングル曲では唯一テレビ未演奏のままとなっている。


第9位 ZERO 131万枚

1992年発売
6thアルバム『RUN』からの先行シングル。
B'zのシングルは4thシングル「BE THERE」から2曲目を「2nd beat」と表記しているが、本作のジャケットには「COUPLING WITH:恋心 (KOI-GOKORO)」と表記されていた(CDレーベルには他のシングル同様「2nd beat」と表記されている)。前述の12cmシングル盤では、曲名を明記したシールには「2nd beat」と表記され、CDレーベルに「COUPLING WITH:恋心 (KOI-GOKORO)」と表記されている。
裏ジャケットでは薔薇と蝶をあしらったロゴが登場した。「B'z」部分は表ジャケットのロゴと共通である。このロゴはRUNの裏ジャケットの他、「LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"」および「LIVE-GYM '93 "RUN"」のステージやメンバーの衣装にも使用された。
発売当時ノンタイアップにも関わらず2週連続の1位を獲得し、累計でも100万枚を突破した。ノンタイアップで初動売上約60万枚は当時の歴代1位であった。
2003年3月26日にリマスタリング、12cm化で再発売された。
発売から約17年後の2009年2月25日には、表題曲の「ZERO」がキリンビールの発泡酒『麒麟 ZERO』のCMソングとして起用された。


第8位 MOTEL 131.1万枚

1994年発売
「Don't Leave Me」以来9ヶ月ぶりのシングル作品。ライブツアー「B'z LIVE-GYM '94 The 9th Blues」の最中のリリースである。前作からインターバルがあったのは松本曰く「2枚組の大作(=『The 7th Blues』)の後でしばらく曲を作る気が起きなかったから」とのこと。2012年現在、B'zとして11月に発売された唯一のシングルで、(1月から数えて)発売日が最も遅い。
1年にも及んだロングツアー「LIVE-GYM'94 THE 9TH BLUES」のPart1、Part2の合間にレコーディングされた4曲のうちの2曲を、シングル化したものである。残りの2曲は後に、「東京」が17thシングル「love me, I love you」の2nd beat、「敵がいなけりゃ」が8thアルバム『LOOSE』にそれぞれ収録された。
B'zが現在の手法(スタジオ入りした後、初めて2人で作曲と作詞を、同時進行する)で収録する前の最後のシングルであり、今作をもって製作チーム「B+U+M」が解散することとなった。
オリコン週間ランキングでは初登場1位を獲得。初動も前作に続き70万枚を突破し、ミリオンヒットを記録した。


第7位 love me,I love you 139.4万枚

1995年発売
前作「ねがい」からわずか1ヶ月のインターバルで発表されたシングルで、カセットテープと同時発売された最後のシングルである。ライブツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 "BUZZ!!"』の初日に発売日を合わせた関係で金曜日の発売となった。B'zロゴは前作『ねがい』で使われたものにパースを付けた専用デザインとなっている。
発売日が金曜日であったが故にオリコンの集計期間が短かったため、初動売上は前作を大幅に下回ったが、14thシングル「Don't Leave Me」以来となる2週以上の連続1位獲得作となった。
オリコン、日本レコード協会の集計では共に売上が100万枚を突破し、日本人アーティストとしては初めてオリコンシングル連続ミリオンセラー作品数が10作を突破した。


第6位 Don't Leave Me 144.4万枚

1994年
7thアルバム『The 7th Blues』からの先行シングル。
このシングルから、松本の英語での表記が"TAKAHIRO MATSUMOTO"から現在の"TAK MATSUMOTO"に変更される。しかし、『The 7th Blues』の作曲のクレジットにはTAKAHIRO MATSUMOTOが使われている(プロデュースのクレジットにはTAKと表記)。また、「love me, I love you」までそれぞれ専用のB'zロゴマークが使われた。
この頃は長期にわたるライブのためメディアへの露出が少なかった上に曲調がかなり暗い作品が目立ったため、このシングルのリリースの頃からB+U+Mを解体する「MOTEL」のリリースの時期までは「暗黒の時代」と言われた(現在はメンバー自身も1994年を「暗黒の時代」と呼んでいる)。
8thシングル「LADY NAVIGATION」から7作連続で2週以上連続1位を獲得。先行シングルにも関わらず初動で80万枚近い数字を記録し、3作連続の初動70万枚越えとなり、2週目にはミリオンセラーとなる。B'zのシングルでは「LOVE PHANTOM」に次いで2番目の初動売上となり、累計売上も6番目のヒット曲である。


第5位 ねがい 149.9万枚

1995年発売
前作『MOTEL』より約半年ぶりに発表されたシングル作品。本作よりプライベート・レーベル『VERMILLION』が発足。このシングルと「love me,I love you」は蜂(bee)のお尻を模したB'zロゴマークが使われた。B'z初の平仮名だけのシングルである(2012年現在でも平仮名だけのシングルは、本作と2006年発売の「ゆるぎないものひとつ」のみ)。
これまでの制作陣(B+U+M)を解体して「B'zは2人である」という原点に立ち返り、稲葉が編曲にも参加した最初の作品。松本は「B'z7年目のターニングポイントになる作品でした」と述べている。
B'zのシングルでは「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」から5作連続で初動70万枚越え。同一アーティストではオリコン史上初となった。


第4位 裸足の女神 173.6万枚

1993年発売
前作「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」から約3か月ぶりに発売されたシングルである。「ALONE」の頃から使われたB'zロゴマークの最後のシングル。
オリコンチャートでは、当時のビーイングブームに乗り2週連続の1位を獲得。前作に続き2作連続の初動70万枚越えとなり、ピンク・レディーの5作連続ミリオンセラーを破り、6作連続のミリオンヒットとなった。1993年の年間シングルチャートでも5位(前作が2位)となり、前作と共にトップ10入りを果たした。B'zの中で、売上が4番目に多いシングルである。
ジャケットは「日本ではあの雰囲気は出せないから」という理由でハワイで撮影された。
2003年3月26日にリマスタリング、12cm化で再発売された。


第3位 LOWIN' 176.4万枚

1992年発売
オリコンでは『BLOWIN'/TIME』と両A面シングルとして扱われており、一部メディアでも両A面と紹介されることが多いが、公式では「BLOWIN'」の単独A面である。本作品では1曲目と2曲目の曲間がほとんどなく、「BLOWIN'」が終わったと同時に「TIME」が始まるようになっている。
2003年3月26日にリマスタリング、12cm化で再発売された。なお、リマスタリングに際し、上記とは違い曲間が存在するようになっている。
オリコンチャートにて2週連続1位を獲得、初動および累計売上は前作を大きく上回り、オリコン集計では3作目、日本レコード協会からは初のミリオンセラー認定を受けた。最終的に、B'zのシングルでは3番目の売上を記録した。


第2位 LOVE PHANTOM 186.2万枚

1995年発売
8thアルバム『LOOSE』の先行シングル。
このシングルからB'zロゴが現在でも使用されているデザインに変更された。このシングルとアルバム『LOOSE』、次シングル「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE」はロゴの下に「TAK MATSUMOTO」・「KOHSHI INABA」と表記されている。その後、シングル「Real Thing Shakes」よりメンバー名表記が無くなり現在のロゴになった。2000年発売の『B'z The "Mixture"』はこのロゴが使用されたが、1999年発売の「ギリギリchop」から2003年発売の「野性のENERGY」まではオリジナルロゴが使用された。2004年発売の「BANZAI」から再び使用開始され、一部例外もあるが数あるB'zロゴの中でこのシングルのロゴが最も息が長い。
当初は9月末発売予定だったが、現在の発売日に変更となった。B'zのシングルで発売延期となったのは今作が初であった。
ジャケットから「BE THERE」より続いたタイアップ表示がなくなり、シールで保護フィルムに貼る方式に変更された。また、Rooms RECORDS(現在のVERMILLION RECORDS)より発売されたそれまでのシングルのジャケットにもタイアップ表示が消えた。しかし、「BE THERE」から「裸足の女神」までが12cm化で再発売された時、曲名が表記されたシールにタイアップ表示が復活した。
CDジャケット及びCDラベルのLOVE PHANTOMの"T"の表記は十字架(♰)となっている。


第1位 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない 202.1万枚

1993年発売
B'zのシングル初めての横向きデザインのジャケット。『B'z LIVE-GYM '93 RUN』ツアー中に発売された。
B'zの最大のヒットシングルであり、オリコン週間シングルチャートで4週連続1位を獲得し、1993年度オリコン年間チャートもシングルでは自身最高となる2位を記録。また、発売から10年後の2003年に再発盤との合算で累計売上202.1万枚となり、シングルでは唯一200万枚を突破した。
当時はビーイング系列の売上を伸ばしたビーイングブームだったこともあり、1993年度オリコン年間1位を獲得した「YAH YAH YAH/夢の番人」(CHAGE and ASKA)の勢いを2週間で止め、1993年3月29日付のオリコンチャートでは本作が1位となった。本作を皮切りにビーイング系列のシングルは同年7月26日付のオリコンチャートまで18週連続で1位を独占した。
2003年3月26日に34thシングル「IT'S SHOWTIME!!」と他のB'zの過去のシングル10作(4thシングル「BE THERE」- 13thシングル「裸足の女神」)と共に再発売(リマスタリング、12cm化)され、2003年4月7日付けオリコン週間シングルチャートでは再発売シングル10作が上位を占め(本作は5位)、トップ10中9タイトルを独占した。




2017年05月09日

ピース綾部のアメリカ挑戦は成功するのか?過去に海外挑戦した芸能人とは!?






お笑いコンビ・ピースの綾部祐二がついに渡米。4月10日放送の「しゃべくり007」(日本テレビ)が最後のテレビ出演となりました。

ピース・綾部祐二がアメリカ・ニューヨークに活動の拠点を移すと宣言したのが昨年10月。渡米予定の今年4月が近づいても一向に具体的な内容が見えず、就労ビザ取得すらしていない状況が報じられるにつれ、「ただの話題作り」「行く行く詐欺」なんて声が大きくなっていたのですが、4月10日放送の「しゃべくり007」を持って日本でのテレビ出演はいったん終了。いよいよ本当に渡米するようです。

是非綾部さんには日本人として成功してほしいところです。

実は過去に海外挑戦した芸能人の方々がいたのはご存じですか?
その先駆者達をまとめてみました。


≪海外挑戦した芸能人≫

【野沢直子】

1990年代、あのダウンタウン・ウッチャンナンチャンと共演した伝説の番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)に出ていた野沢さん。
多くのレギュラー番組を抱えていた中、突然の活動休止宣言をしアメリカへ。
路上でサルのモノマネをする大道芸人として活動するも芽が出ず、現地で知り合ったギタリストと結婚。
毎年、サンフランシスコから日本に出稼ぎに来るのはもはや晩夏の風物詩に。
彼女のアメリカ挑戦は客観的にみれば失敗かもしれませんが、この破天荒キャラにとっては成功も失敗もあまり関係ないのかも。
1ヵ月ほどの期間、出稼ぎするという独自ポジションで、いまだ日本の芸能界でも需要があり、また第一線で活躍するダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの大御所のパイプも太いため、今度も変わらず活躍されることでしょう。

【なかやまきんに君】

2006年に休業し、ロサンゼルスで”筋肉留学“宣言!
4年4ヶ月の筋肉留学の成果が「体重5kg減」と芸人としてはオイシイ結果に。
しかし留学中には米国人女性と交際したり、全編英語のライブを行ったり、サンタモニカカレッジを好成績で卒業するなど意外にも(?)積極的に活動されておりました。

【長井秀和】

2007年9月、”世界に通用するコメディアンを目指す” という志を抱き、ニューヨークに渡り活動を開始。
ニューヨークのクラブで定期的にライブを開催し地道に活動するも、自身の不倫が原因となり2008年11月に奥様と離婚。
フィリピン滞在中に美人局被害にあうなど、女性関係の問題で色々失敗した印象が強い長井さん。
今は語学力を生かし英語講師をしたり、警備員のバイトや社交ダンスの活動などを精力的にこなされているようです。
お笑いライブにもたまに参加しているとのこと。

【ぜんじろう】

平成の明石家さんまとも言われ、1990年前半に関西でレギュラー番組17本とブレークした吉本興業のお笑いタレント!
しかし東京では関西ほどの人気は出ず、ナイナイやロンブーなどの台頭もあって徐々にフェードアウト。
1998年にアメリカに移住し、2001年まで海外現地で活動されました。(スティーヴン・セガールの子・剣太郎セガールと映画『PP兄弟』で共演を果たす)
日本帰国後も、日本と海外の仕事をこなしながら芸人だけでなく音楽分野にも手を出したりと幅広い活動をされていたようで、最近はネット配信番組「zenjiro show」に力を注いでおります。

【松田聖子】

1990年6月、アルバム『Seiko』で全米デビューを飾ったアイドル歌手の松田聖子さん。
当時、アメリカの雑誌メディアやイギリスBBCテレビにも出演し、話題となりました。
1996年5月、日本と米国の合作となりますが映画『サロゲート・マザー』で主演を務めます。
聖子さんのアメリカ挑戦は失敗という見方もされているようですが、歌手だけでなく女優としても全米デビューを果たしているところはさすがの一言。
アメリカに暮らしていたこともあり、英語はペラペラです。

【ATSUSHI】

2018年までの”期間限定” という形で、活動拠点をアメリカに移し海外留学することが決まったエグザイルのATSUSHIさん。
海外留学の理由については様々な憶測が飛び交っております。
が、本人が語った理由としてはあくまでもR&Bやダンスミュージックの本場アメリカで自身のヴォーカリストとしてのスキルを磨くため。
二年間のアメリカ修業が終わった後のATSUSHIさんを楽しみにしていましょう!

【赤西仁】

元ジャニーズの赤西仁さん。
2010年にKAT-TUNを脱退後、個人活動を精力的にこなされております。
いまやアメリカだけでなくアジアでも活躍されており、最近では俳優・山田孝之さんとのユニット「JINTAKA」(ジンタカ)が話題になりました。

【宇多田ヒカル】

2004年、Utadaとして全米デビュー!(デビューアルバムは全曲英語詞の『エキソドス』(EXODUS))
シングル曲「Devil Inside」はiTunes Music Storeで見事1位に!アルバムは160位を記録。
しかしながら2016年の今、宇多田旋風が巻き起こっております。
ニューアルバム『Fantôme』がiTunesアルバム総合ランキングで全米3位(9月29日付)!
全世界のiTunesアルバム総合ランキングでも6位と驚くべき結果に。
世界でも通用する日本人アーティストといえるでしょう。

【YMO】

細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人による伝説的な音楽ユニット。
海外移住をしたわけではないが、1979年に全米デビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ(米国盤)』を発売し海外挑戦!
アメリカでライブ活動を開始し、徐々に注目される存在に。
イギリスなどでワールド・ツアーを行った後、日本でYMOブームが起こりました。
YMOは当時、海外の評価も高かったため
「世界に通用するジャパニーズ・バンド」
と言われております。

【電撃ネットワーク】

こちらも海外移住してはいませんが、海外挑戦して大成功を収めたグループです。
1991年、デーブスペクターの紹介でアメリカの番組に出演したのがかけで、いまや欧米で大人気に!
ちなみに海外では “TOKYO SHOCK BOYS” という名で活動されております。




2017年05月08日

ガキ使いのジンクス!田中が再婚したら浜田が離婚する![成功者のジンクス一覧]






ダウンタウンの松本人志が7日放送のワイドナショー(フジテレビ)に出演。お笑いコンビ「ココリコ」田中直樹の離婚について「芸人の離婚は楽しく」あるべきと提言した。

田中は2日、タレント小日向しえと協議離婚したことを発表。長男(12)と次男(9)の親権は田中が持つ。

松本と田中はダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)で長きにわたって共演。田中からの報告は「もちろんありましたよ」と松本。「でも当然どういう理由かっていうのは、僕は聞きたくないから言わんでいいと。まあ夫婦いろいろあるやろうと。詳しいことはあえて聞いてもないんで、語ることないんですけど」と続け、離婚の原因などは問わなかったという。

また、松本は「ガキはレギュラー5人いるんですけど、たいてい誰か1人が1回独身になる。僕が独身の頃はみんな結婚してて、僕が結婚したころには遠藤が離婚して。田中が再婚するころには浜田は捨てられるんでは」と冗談めかして笑いを誘った。

さらに「辛気臭いなと思って」と田中の離婚への印象を語ると「芸人の離婚は笑とけ、笑とけっていうね。楽しくっていうか、あまりにもみんな暗い感じになるから」とその意を明かした。

そして「離婚はお互いしたくてしたわけやから。前よりは絶対よかった。(世間は)子どもが被害者みたいに言うけどそれは知ったことかと。被害者って決められることが被害」と両断。「芸人の離婚は暗くしないでほしい。まあボケみたいなもんやから。今はちょっと…田中がスベってんねん。田中が明るくせないかんねん」と独自の視点から、“芸人の離婚は明るい方がいい説”を唱えた。




この記事のように、芸能界にはたくさんのジンクスが存在しています。
過酷な芸能界を生き抜くために、それぞれゲン担ぎをしたり、何かにあやかったりと、みなさん見えないところでおこなっていることが様々あるようです。
芸能界以外でも成功者と呼ばれる有名人も含めたジンクスを紹介してみたいと思います。



【松本人志】
「ネクタイの結び目が細(こま)いと番組が盛り上がらない」


【勝俣州和】
「財布の中の一万円札を折って一億円札にする」


【西川きよし】
「劇場のお客様が空になるといけないので、おからを大入りと言う」
「1ヶ月の間の1日と15日は家の敷地内の表鬼門と裏鬼門にお榊とお水とお塩」
「台所では三宝さんの神様とお伊勢さんに盛り塩とお米」
「夜に爪を切らない」



【西川峰子】
「財布に入れるお金は全て新札に交換して入れる」


【的場浩司】
「お札の向きを全て揃えて財布に入れる。小銭は入れない」


【佐々木蔵之介】
「赤いパンツを履く」


【武田鉄矢】
「ラッキーカラーは黄色。ライター、Tシャツなど全部黄色にしている」


【山口百恵】
「小さいころから自分の運勢を決めるラッキーナンバーを17に決めていた」


【AKIRA (EXILE)】
「部屋に牛系の頭骨をインテリアとして飾る」


【松尾和子】
「家の玄関にニンジンが2本お皿に並べておいく」


【里田まい】
「頬から伸びる長い毛を大事にしている」


【森進一】
「大きな公演前に霊柩車に会うと必ず大成功」


【長嶋茂雄】
「試合前に記者にくばられる大入袋を必ずもらって『これがツキを呼ぶ宝物』とポケットに入れていた」


【星野仙一】
「勝った試合のアンダーシャツを次の試合にも着ていた」


【桑田真澄】
「グランドの白線は踏まない」


【佐々木主浩】
「生まれた日の22日をラッキーナンバーにしている」


【イチロー】
「朝起きたらその日の『メインイベント』を設定する」
「スパイクは必ず左から履く」

【高橋由伸】
「実家の近所の御守をもらい試合の際には必ず持つ」


【上原浩治】
「球場までの道順を変えない」


【田中将大】
「実家に帰かえらない」


【前田健太】
「前日の夕食は豚肉と野菜のあんかけ丼」
「寝る前は同じ曲を聴く」
「同じパジャマで就寝」
「試合開始の7時間前に起床」
「ブルペンでは決まって真ん中のマウンド」
「35球を投げ込む」
「塩で体を清める」
「左足からグラウンドに入り」
「右足からグラウンドを出る」



【武田修宏】
「試合前や前日はカレーを食べる」


【高橋尚子】
「試合の時はユニフォームにお守りを貼っておく」


【横峰さくら】
「勝負カラーをイエローと決めいる」


【マイケル・ジョーダン】
「ここぞという場面で舌を出して動かす」


【羽生善治】
「大局前にうどんなど軽い食事をとる」


【鈴木おさむ】
「嫁の森三中の大島が買った宇宙刑事ギャバンのTシャツを着る」


【日本マクドナルド創業者 藤田田】
「耳の裏を丹念に洗う」


【ネスレ社長 高岡浩三】
「机の上は必要最小限のものだけにする」


【エジソン】
「血管を一切圧迫しない服を着る」


【アインシュタイン】
「小さな成功をイメージしてから作業する」


【マッカーサー】
「心ときめく椅子にしか座らない」




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