今日は「小山評定」の日だよ

慶長5年7月25日(西暦1600年9月2日)の今日、日本の将来を
大きく動かす会議が行われました。それが、「小山評定」です。

その流れは…
慶長3年に天下人・豊臣秀吉さんが亡くなられて豊臣政権が不安定に。
それは五大老の一人、前田利家さんが後を追うように亡くなって
徳川家康さんを担ぐ武断派と豊臣政権の官僚トップ石田三成さんら
文治派との対立が先鋭化。
三成さんが武断派に襲撃される事件が発生!
三成さんが逃げ込んだ先は…なんと、家康さんの屋敷!
この騒動を収めた家康さん、三成さんを佐和山城にちっ居謹慎に。
三成さんが指を咥えて遠くで眺めている間に、着々と次期政権の
布石を打つ家康さん。利家さんの長男、利長さんを屈服させると
今度は会津の上杉景勝さんを標的に。それを、上杉さんの重臣の
直江兼続さんが「直江状」で挑発!
これはチャンスと、秀頼さん(秀吉さんの遺児、名目上の政権トップ)
の名のもとに上杉征伐軍を催す家康さん。
軍団を率いて会津に向かいますが…

小山(現在の栃木県小山市)までやって来た家康さんのもとに、
ちっ居謹慎中の三成さんが挙兵したとの報せが届き、家康さんは
上杉征伐軍に参加している諸将を呼び会議を催します。
三成さんが挙兵したのと、大坂城下に残された諸将の妻子が人質に
とられた可能性を伝えます。
「妻子が大切なら三成さんの陣に行ってもいいよ」と家康さん。
そこに三成さん嫌いの福島正則さんが「家康さんにつく!」と発言。
更に、山内一豊さんが自らの居城掛川城の提供を申し出ることで
一気に流れは、打倒(三成率いる)西軍!上杉征伐軍は東軍にチェンジ!

この後、正則さんら諸将は、正則さんの居城清須城に向かって進軍。
残った家康さんは、上杉軍の南下対策を講じてから江戸城に。
「関ヶ原」へのカウントダウンが始まります。

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