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1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月31日
「天災は忘れた頃にやってくる」
自分達の世代は一度は口にしたフレーズである。
この警句は、寺田寅彦が東大地震研究所にいた頃に生まれたと言われている。

ところでこの警句についてはその本来の意味が正しく伝わっていないようである。

関東大震災で3 万 8 千人の死者が出た被服厰跡の大惨事を、前代未聞の天災と断じた人々に対して寺田は、旧幕政時代の火災史の記録から,江戸時代には火災に対する対策が十分立てられていたにもかかわらず、東京が発展するに従い、大火に対する対策を怠った為であると反論した。

つまり経験によって災害に対処する方法がすでに見い出されていても、人々がそれを忘れ対策を怠ったころに突然天災が襲うという意味であり、災害の真の原因は人間の側にある。

事実、関東大震災の死者の95%は火災によるものであったと言う。

寺田は又、津波など地震に伴い発生するさまざまな物理現象にも関心を持ち,発光現象の考察も行っている



寺田寅彦とは:
寅彦は自然科学者でありながら、文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。

その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。
「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉と言われるが、著書中にその文言はない。
又、俳人としても有名であった。

今日では、寅彦は自らの随筆を通じて学問領域の融合を試みているという観点からの再評価も高まっている。

漱石の元に集う弟子たちの中でも最古参に位置し、科学や西洋音楽など寅彦が得意とする分野では漱石が教えを請うこともあって、弟子ではなく対等の友人として扱われていたと思われるフシもあり、それは門弟との面会日だった木曜日以外にも夏目邸を訪問していたことなどから推察できる。

そうしたこともあって、内田百間らの随筆では、敬意を持って扱われている。











1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月30日
平成21年(2009年)8月11日5時7分頃、駿河湾を震源とするM6.5の地震が発生しました。

この地震は、東海地震の想定震源域で発生したことから、気象庁では平成16年1月に東海地震に関連する情報体系が変更になって以来、初めて「東海地震観測情報」を発表しました。

東海地震観測情報が今年の3月24日から新しくなったそうです。
危険度の低い順番に@地震観測調査情報A地震注意情報B地震予知情報の3つです。

一方、木村政昭教授はこの地震の発生により、気象庁の想定域での東海地震は今後30年以内には起きないとの見解を出しており、気象庁とは真っ向対決している。(2011年2月16日発表)

しかし、木村教授は、その代りと言うおまけが付き、南海トラフから枝分かれした銭洲断層で起きると予想している。

その銭洲地震の規模はM7.7でその 発生は 2011±4年と計算されている。震源域は東南海地震に近いエリアに近い海域としている



追記: 今回の東北大地震の前震は、ここ数年、嫌と言う程この地域には集中して地震が発生していました。

それにも関わらず東海地区の様に、地域がメジャーではない為に、これほど揺れても殆ど気にも止められず、危険情報さえも出ていなかったのである。

結局は、この事が被害を大きくした事は明らかである。

この揺れが頻繁に東海地区で起こったならば、対処は全然違っただろう。
勿論、以前から起こるとされている東海地震の事があるからである。

東海地震の予知が国家的プロジェクトになっているのは、当然訳がある事は、皆も納得する所。

首都圏から中京圏の太平洋ベルト地帯の一画は国内総生産は約50%を占める大動脈。
それに対し今回被害のあった東北6県の合計は7%程(山形含む)。

この事からしても、明らかに国の優先順位は衆知の事実。

日本では、1964年の新潟地震をきっかけに、翌年から「地震予知研究」が始まり、以前から研究者の間で心配されていた東海地震が切迫しているとの指摘を受け、大震法も1978年に制定されました。

しかし、切迫している割には、東海地震は起きず、その間、各地で起こった大地震が記憶に残る。
@阪神、淡路、A新潟中越、B岩手、宮城内陸部、そして今回のC東北大震災です。

中でも、B岩手、宮城内陸部では地震時の揺れでは、世界1のギネス記録となってしまいました。

この時の特徴的な点は、水平動に比べ上下動が大きかった事です。
又、ダム湖河岸崩落により荒砥沢ダムには津波が発生したが、崩落土砂の量がダム貯水容量の1割程度だった事や、梅雨入りを前に貯水量を下げていた事もあって、津波がダムの堤体を越えることはなく、「第二のバイオントダムとならずに済んだ」と研究者が語っている。

東北地方ではこの他にも、宮城県沖、福島県沖、茨城県沖の地震が多発しており、この揺れが今回の大地震の前震だった事は明らかではないのだろうか?

2006年には東海地震を提唱した、石橋教授が東海地震の切迫度に対する誤りを認めた会見も行われているが、地震そのもを否定する訳では無いとの、微妙な発言で幕が下ろされた。
もはや、此処まで来れば意地である。

地震予知に対する国家予算は地震学界のさじ加減一つで決められるのだろうが、面子に拘っている間に、尊い命が何人犠牲になった事か。

改めて原点に返り、多元的な予知体制の確立が早急に求められているのではないだろうか。

又、新潟中越地震は2003年、2005年と2回の大地震を記録し、2005年では柏崎原発でも被害を受け、微量の放射能漏れ事故を起したが、残念ながら今回の福島原発の教訓とはならなかったようである












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月29日
引き続き、気象庁が行っている東海地震に対する取り組みを紹介致します
気象庁HPより抜粋:

東海地域にはどのような監視体制がとられていますか?
東海地震の前兆現象を捉えるため、東海地域及びその周辺に各種の観測機器が設置されています。
これらの機器には気象庁が整備した地震計、地殻岩石歪計のほか、国土地理院、海上保安庁、独立行政法人防災科学技術研究所、独立行政法人産業技術総合研究所、東京大学、名古屋大学及び静岡県の各機関が設置したものがあり(地震、地殻変動、地下水等)、気象庁にデータが集められ、24時間体制で前兆現象の監視を行っています。

東海地震は必ず予知できるのですか?
必ず予知できるのかとの問いには、「いいえ」となります

東海地域の観測網により前兆現象をとらえることができた場合のみ、気象庁は東海地震に関連する情報を発表して皆さんにお知らせすることができます

どのくらいの確率で前兆現象をとらえることができるのかは、残念ながら「不明」です

東海地震予知の鍵となる前兆現象は、前兆すべりと考えられています。

前兆すべりとは、震源域(東海地震の場合、プレート境界の強く固着している領域)の一部が地震の発生前に剥がれ、ゆっくりと滑り動き始めるとされる現象です


気象庁は、東海地域に設置した歪計(ひずみけい)で前兆すべりをとらえようとしています。

逆に、このような前兆すべりがとらえられない場合(前兆すべりの規模が小さすぎた、前兆すべりが沖合で発生した等、観測網でとらえられなかった場合。前兆すべりが生じるとする考え方が誤りであった場合)や前兆すべりの進行があまりにも急激で時間的に余裕がない場合には、残念ながら情報発表がないまま地震発生に至ることになります。


追記: あの木村教授は気象庁の想定域での東海地震は今後30年以内には起きないとの見解を出しており、気象庁とは真っ向対決している。(2011年2月16日発表)

しかし、木村教授は、その代りと言うおまけが付き、南海トラフから枝分かれした銭洲断層で起きると予想している。

その銭洲地震の規模はM7.7でその 発生は 2011±4年と計算されている。
(2010年1月4日発表・特別篇3で紹介)

又、教授は同時に富士山の爆発も2011±4年と計算されているから2度ビックリ。
(2009年8月23日発表・特別篇4で紹介)

どちらが勝つかはさておき、今回の地震の教訓、「津波対策」に万全を期す事だけは、肝に銘じておかなければならない












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月28日
先日の東北、関東大地震で誘発も心配されているのが、富士山の爆発と東海地震です。
現在、気象庁が正式に地震予知を行っているのは唯一、東海地震だけです。

その気象庁のHPで、この東海地震に対する見解が出ていますので紹介致します。
気象庁HPより抜粋:


なぜ東海地域で大地震が起きると考えられているのでしょうか
東海地震は、プレート境界で発生するマグニチュード8クラスの巨大地震で、その切迫性が指摘されています。 
その根拠として、過去に起きた大地震の歴史が挙げられます。

駿河湾内にある駿河トラフから四国沖にある南海トラフにかけては、過去100年〜150年おきに領域の岩盤がずれてマグニチュード8クラスの巨大地震が繰り返し起きていたことがわかっています。

しかし、前回の地震(東南海地震[1944年、マグニチュード7.9]、南海地震[1946年、マグニチュード8.0])の際に、駿河トラフ周辺の部分の岩盤だけがずれずに残ってしまいました。

そのため、駿河トラフ周辺の部分の岩盤は150年以上もずれていないことになり、「東海地震はいつ起こってもおかしくない」と言われているのです。

また、駿河湾周辺の地殻の歪の蓄積状況が測量などによって調べられており、現在まで着実に歪エネルギーが蓄え続けられていることが確かめられています。

すなわち、駿河湾周辺域は日本列島で最も地殻の歪が蓄積された地域のひとつであり、このことがさらに東海地震の切迫性を裏付けています


観測データーの一つとして、御前崎市(水準点2595)の高さの経年変化では、1962年を0として、現在-25cmほど沈みこんでいますが、沈降の傾向には変化はない。

(右肩下がりの、ほぼ直線変化となっているが、沈みこみが鈍化・停止した時は、地震発生が近い可能性がある。これらの傾向は、これまでで記録された殆どの地震について一定しており、重要な目安ともなるのだ。)



追記: 東海地震とは:(気象庁HPより)
駿河湾の海底に、駿河トラフと呼ばれる細長い凹地(へこみ)が走っています。

これは、日本列島の南側にあり伊豆半島を乗せた「フィリピン海プレート」が、その北西側の日本列島を乗せている陸側のプレートの下に向かって沈み込むプレート境界だと考えられています。

このプレート境界を震源域として、近い将来大規模な(M8程度)地震が発生すると考えられています。
これが「東海地震」です。

震源域の想定として、山梨県南部町 − 大井川中流− 掛川市− 浜松市海岸部− 浜名湖南方近海− 浜名湖南方沖約 80 km 、そこから大きく南東に弧を描きながら再び南部町付近までたどって作られる形を範囲としている。











1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月27日
世界で初めての地震予知に成功した中国の海城大地震では、多くの人民の命を救うことに成功した事で、地震の予知は可能であると人々の期待は一気にわき上がりました。

日本でもこの発表を受け、後の地震予知研究に大きな影響を与えることになります


地震の予知は可能!日本ではどうなの?
その後、日本では東海地震が発生する時が迫っているという学説が発表され、
「大規模地震対策特別措置法」、いわゆる大震法が1978年に制定されました。

実は、日本では1964年の新潟地震をきっかけに、翌年から「地震予知研究」が始まっていたのです。中国の成功例よりも早かったのですね。

ただ、当初の目的は基礎データの収集で、それが、だんだんと東海地震の予知が出来るという考え方になって来たのです


現時点では、「今後、30年以内に起きる地震の確立は何パーセント」といった、長期予知についてはかなりの確立で知ることが出来ます。

2003年9月26日に発生した『2003年十勝沖地震』も、予測されていました。
そして、この地震については、断層のほぼ東側半分がずれずに残っていることがわかっており、今後また地震が発生する可能性が指摘されています。

しかしながら、「いつ」「どこで」「どれだけの大きさの地震」が発生するのか? の、一番大事な「いつ」を、どれだけ短い期間で予測できるのか?これが出来なければ、なかなか実用化のレベルとは認めて貰えません


追記: 地震予知の手法の中で、地震学者や行政が公式に認め取り組んでいるのは、殆どが地震学・測地学的な見地に基づいた地震予知である。

これは、地質構造・断層などの、応力変化・地盤変位などによる予知 から 主にプレスリップ(前兆すべり)を検知し、大規模な地震の発生を予知する方法である。

東海地震の直前予知はこの手法を用いており、日本においては、政府行政や学界の主要な地震予知活動は、この手法に重点が置かれている。

東海地震を予知する為に、現在までの約40年間でおよそ1600億円が使用されてきました。
この金額が多いか少ないかについては、いろいろと議論の分かれるところではあります。

しかし、地震の予知は「地震大国日本」での悲願ともいえます。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月25日
それではヨーロッパでは地震予知はどうなっているのでしょうか?探ってみましょう。
やはし地震予知と言えば、地震大国で有名なギリシャですよね


ギリシャでは自治体も採用
VAN法と呼ばれているのは、日本と同様に地震大国であるギリシャで開発され、バロストス教授ら三人の研究者の頭文字を取って命名された予知法である。

地面に多くの電極を埋め、その間の地電流を測る。つまり串田氏等が試みた電離層の乱れではなく、地面から直接、地震の前兆である電磁気異常を読み取ろうとする試みだ。

「そんなことできるはずがないという反感も強かったが、バロストス教授らはあきらめずに研究をすすめ、自らの予測を政府に送り続けた。

その結果、ここ10年間に起きたM5.5以上の地震13回のうち、8回の予知に成功したのです」
93年にはVANグループの予知を受け、ギリシャのピルゴス市は警戒宣言発令に踏み切り、住民は避難した。

この措置に対して、保守的な地震学者を長とする国家の防災委員会は、VAN法による予知結果をマスコミを通じて徹底的に否定。

ところがその翌日、予知通りにピルゴス市はM6.7の直下型地震に襲われ、4000棟を超す家屋が大被害を受けた。この地震を契機に、VAN法の認知度は高まったという。

ただし、VAN法は感度のいい測定場所を見つけるのが非常に難しいとされ、日本では電車や工場など地下のノイズが多く、地下鉄の営業キロ数も僅かであるという、ギリシャに比べて条件が悪いと、日本の専門家も認める。

その点では、地面近くの雑音に邪魔されにくい、電波や衛星を使った電磁気異常測定の方が、日本向きともいえるだろうと判断している



追記: 地電流観測に基づくギリシャ式地震予知法は,その創始者3名(P. Varotsos, K. Alexopoulos, K. Nomicos)の頭文字をとってVAN法と呼ばれています。

VAN研究グループは,1984年にその地震予知法を世界に公表して以来,現在までギリシャ国内の観測網を維持し,観測と予知を続けて来ています。

この方法での予知が成功したかどうかの判断基準は、次の様に設定されている。
@震央の位置の誤差100km 以下
Aマグニチュードの誤差0.7以下
B前兆検知の数時間後〜1ヶ月後に地震が発生
以上、3つの条件をすべて満たした場合とする。

結果は、1984年から1998年までの15年間にギリシャで発生したマグニチュード5.5以上の地震12個のうち,VAN法は8個の予知に成功。

1個は一応予知できたものの基準から大きく外れ,3個は予知できなかった.つまり地震数当たりの予知成功率は2/3であった。

また,予知情報を出した回数当たりの予知成功率も2/3程度とのことである。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月24日
予知に成功した事を世界に発表した海城大地震ではあったが、その翌年、地震史上、最大の犠牲者(約70万人)を出したと云われる、唐山地震が起こったのである。

唐山地震は、1976年7月28日3時42分(現地時間)に、中国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュード7.5 − 7.8の直下型地震である。

文化革命中に起きた地震であった為、死者数は誰も知らない。
又、誰も調査はしていないのである。調査の方法もまるで無く、文献もしばらくは発禁であった。

当時、中国は文革中であり、政府は「自力で立ち直る」と、外国からの援助を拒否した。
この事が犠牲者の拡大を齎した。

その為、この地震の情報もすぐには公表されず、日本に地震発生が伝えられたのは、地震発生の21時間後であったと報道されている。

又、政府方針により被害実態の多くが伏せられ、死者の数に付いても公式では24万人、非公式には60万から80万人、若しくはそれ以上とも言われている。

一方、鍵田元市長はその著作の中で、唐山の150万人の市民(紅衛兵は除く)の町が一挙、壊滅。
それに3回の大余震があった事を考慮すると、海城大地震の100万人で86万人、後者の150万人では(比率から)ウイキペデアの80万人、それ以上が正解ではないかと見ている。

しかし、この死者数は文革の犠牲者から見ると微々たるものであった



追記: この唐山地震の被害を受け、中国の地震予知は世界最高のレベルではない事が浮き彫りとなってしまいました。

結局は海城大地震での予知の成功は、度重なる前震が続く為に、遅かれ早かれ起きると観測されていた。
そこに、幾つかの前兆現象を基に避難させたと言うのが実情の様です。

この唐山地震を基に、中国の地震予知に対する日本の専門家のコメントが出ていますので紹介いたします。

@当時の中国では、民間人からの動物の異常行動などの「宏観異常現象」情報を活用する方法が採用され、日本でも一部で注目されたが、実際には宏観異常現象は主観に頼る部分が多く、客観的・合理的根拠を欠き、地震予知の手段とはならない。

A情報を出した際の混乱を恐れたとはいえ、結果的に死者20万人(公式)を越える大被害を出したのであるから、地震を予知しながら任務を遂行しなかったとして関係者には何らかの処分又は処罰が科されるはずであるが、そのような事は報道されていない。

B当時の新聞報道では、唐山地震直後に中国当局は2・3日以内に大きな余震があると警報を出したが完全な空振りとなり、数日後に警戒を緩めた後、激しい余震が起こって再び警戒を強めるという不手際を続けており、地震予知技術の信頼性に疑問がある。

C 1970年代当時に既に地震を予知する方法がある程度でも確立されていたのなら、予報を出し損ねたという苦い教訓も含めてその後更に研究を重ね、パニック対策も取り入れた予報技術が開発されているはずであるが、実際には2008年7月の四川大地震、2010年4月の青海地震では全くの不意打ちとなって大きな被害を出し、中国で地震の予知技術が進んでいるとは考えられない。

D世界的に見ても地震の予知は極めて困難とされており、日本でも予測できた例は皆無であり、しばしば地震被害が起こっている。

以上のような理由から、唐山地震が事前に予知されていたとは考えにくい。
中国に地震発生を予知・予報する技術や理論がある可能性も同様である。

以上の見解は、以下の中国側の発表を受けてのものであった。

「唐山付近で地震が起きる可能性が高い事も分かっていた。そして、地震発生を直前に予測していたにもかかわらず、唐山市が北京に近いこともあり、パニックを懸念して発表を躊躇してしまった。このことは、地震を予知出来たとしても、それを発表することの難しさを知らしめた。」












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月23日
2度の地震予知に失敗した八ヶ岳南麓天文台の串田氏は、それでも民間の地震予知研究のパイオニア的存在である事には相違がない。

それでは世界では地震予知はどうなっているのでしょうか?

世界で一番有名な地震予知の話としては、何と言っても、1975年に起こった中国、海城大地震の予知成功が上げられます。

予知に成功した海城大地震では、避難人口は約100万人。死者は僅少(1839名)だった。
もし予知に失敗したら86万人の死者が出たであろうと言われている。(死者の数値は構造物の耐震等からも算出される)

1975年2月4日、中国の遼寧(りょうねい)省に住む人々から通常では考えられないような、動物たちの異常な行動が、続々と中国国家地震局に寄せられました。

寄せられた情報は…
@雪が積もった道路上に数匹のヘビ
A群れで空を飛ぶニワトリ
B甲高く鳴きながら飛び回るガチョウ
C走り回るネズミの大群
D深いはずの井戸から水があふれ出て、水質も変化したと観測

この異常な状況を、地震の前兆と判断した「中国国家地震局」は 、遼寧省の住民約100万人をキャンプに緊急避難させたのです。そして…その日の夜に「海城地震」が発生。

マグニチュード7.3という規模の地震だったにもかかわらず、建物への被害は多数確認されたものの、人的災害は最小限に抑えられたのです。

この予知の成功を受け、中国は地震予知に関しては世界トップに位置するとの声明を出し、中国4000年の歴史に世界は圧倒されたのである。 が、しかし・・・



追記: 私たちが普段よく耳にする前兆現象は宏観異常現象と呼ばれ
「動物・魚類・ 昆虫・植物・雲・電化製品の異常など」があります。

これらの宏観異常現象は自然現象の変化が、私たちの身近なモノに影響して引き起こされる現象と言えそうです。

先日の東北、関東大地震でもこの手の話題が取り上げられていた。

一つ目は、「地震の津波は沖に逃げろ」で助かった漁師さんの話である。

湾内でワカメ漁の間引きをしていた時に地震に遭遇したが、いつもと様子が違い、船底からガタガタと大きな音がした。湾を囲む岬の森から、スギ花粉が山火事の火の粉のように舞い上がるのが見えた。

先輩漁師から「昭和8(1933)年の三陸大津波で、沖に出て助かった」と聞いたことがあったので、エンジンを全開にして数キロ先の沖をめざした。

船が津波を越えていった感覚はなかった。 だが、振り返ると、漁港の方で波が盛り上がり、白波が立つのが見えた。

しかし、中には慌てて港に戻ろうとして波に呑まれた船も多かったそうである。

大体、水深50m以上であれば津波の影響を受けないと言われている。

二つ目は、「津波のときは井戸を見ろ」との教えで助かった人の話しである。
地震後に井戸の状況確認に井戸を覗くと、今まで見た事が無いほど水が濁っていたので、急いで逃げて助かったと言う。

明治29年に起きた、明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた時の事を、肝に銘じていたそうである












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月22日
2度の地震予知に失敗した串田氏の八ヶ岳南麓天文台(地震前兆電離層観測研究センター)では、現在も研究は続けられている。

串田氏の地震前兆検知実験と、他の多くの「地震予知実験」との違いは、予測と結果が異なった場合でも、その原因を検証し、次回への資料として公開している事である。

そして、その観測結果は学術的に評価対象となり得るものとなっている。

しかしながら、著書のなかで「地震は予知などではなく予報することができる」と述べる一方、「研究は予知の段階にも至っていない」と公開情報に記述しているなど、その公開情報の不正確さ、研究の未熟を認めている。

結局、2度目の地震予知に失敗した事を受け、公開HPの閉鎖を表明。
2005年6月30日をもってサイトの更新を停止した。

公開実験そのものはFAX会員に対してのみ続けられており、問題となった地震に関する情報も観測結果の見直しなどで発生推定日の修正が行なわれている。

串田氏の理想であった「地震予報の確立」の目標は、果てしなく遠くなったと言わざるを得ないが、串田氏の研究は北海道大学が引き継ぐ形で研究が行われている



追記:自分も当時、串田氏の八ヶ岳南麓天文台からの情報を得ようと、資料を貰いFAX会員を検討。
寸前まで悩みましたが断念した経緯もありましたので、非常に思い出深い出来事でもありました。
又、地震には非常に興味がありましたので、鍵田元奈良市長の地震雲の本などを購入して、しょっちゅう空を眺めていた事を思い出します。

それまでは、先人達の気象、地震、津波などの言い伝えが雑誌、マンガ等に「話の宝箱」として掲載されていた程度で、テレビでも日本TVの「11PM」が取り上げていた位である。(1977年頃らしいが、その番組の中で予知した地震が起き、地震雲が認知されるきっかけとなった)

残念ながら鍵田元市長は、阪神・淡路大震災の数ヶ月前に「今度の大震災は、自分の方だよ」という言葉を残して他界されたそうです。

後に出版された「阪神・淡路大震災・前兆証言1519」(東京出版)の中には驚くべき事に雲に関する異常が200例近くファイルされているようです


現在、気象庁が正式に地震予知を行っているのは唯一、東海地震だけです。
その気象庁のHPで、この地震雲に対する見解がでていますので紹介致します。

気象庁HPより抜粋:

地震雲はあるのですか

雲は大気の現象であり、地震は大地の現象で、両者は全く別の現象です。
雲のたなびく向きは、上空の気流によって支配されています。

気流が地形の影響を受けることはありますが、地震の影響を受ける科学的なメカニズムは説明できていません。

「地震雲」が無いと言いきるのは難しいですが、仮に「地震雲」があるとしても、「地震雲」とはどのような雲で、地震とどのような関係であらわれるのかが科学的な説明がなされていない状態です。
日本における震度1以上を観測した地震(以下、有感地震)数は、概ね年間2,000個程度あり、平均すれば日本のいずれかの場所で一日あたり5個程度の有感地震が発生していることとなります。
震度4以上を観測した地震についても、平成16年で105個、平成17年で49個、平成18年で28個、平成19年で57個発生しています。

このように地震はいつもどこかで発生している現象です。
雲は上空の気流や太陽光などにより珍しい形や色に見える場合がありますし、夜間は正確な形状を確認することができません。

形の変わった雲と地震の発生は、ある程度の頻度で発生する全く関連のない二つの現象が偶然見かけ上、そのように結びつけられることがあるという状況であり、現時点では、科学的な扱いは出来ていません。











1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2011年3月21日
昨日紹介しました、八ヶ岳南麓天文台の串田氏の騒ぎにはもう一件尾びれがついています。

2003年の騒動から2年後。2005年5月にも、串田氏は自身のウェブサイトで南関東圏での大規模地震を予測したのである。

この時の内容は、「関東圏でマグニチュード7.2前後(少なくとも6.3前後以上)、時期は5月27日の前後4日(5月23日から6月1日の可能性大)」と、地震の領域・規模・時期を「推定」したのだ。

この「推定」が公表されて以来、インターネット上の掲示板やブログで串田氏の予測をめぐってさまざまな情報が流れ、中にはあきらかにデマや虚偽と判る社会不安を煽りたてる情報もみられた。

同時期に、日本各地でいわゆる地震雲を観測した、という情報もインターネット上で流されたこともあって、5月下旬に南関東圏での大規模地震発生という「噂」が広まった。

結局はこの時も、関東圏には該当する地震が起きなかったのである。

串田氏はこの件の補足を30日付で公表した。
内容は、地震の発生を27日前後4日と推定したが、「推定時期の失敗があったことが確実」と述べ、新に6月1日(前後4日)から5日(前後4日)に地震が発生すると「推定」し直したのである。

その2日後、6月1日夜から翌2日未明にかけて、東京湾北部(多摩川河口沖)を震源とする地震が5回にわたって発生し、いずれもマグニチュードは3.1から4.2、震源の深さは40kmから50kmで、東京や横浜市内では最大震度3を記録した。

この連続地震は、串田氏の「推定」した震央と期間の範囲内の地震ではあったものの、規模は串田氏の「推定」とは大きく異なっていた。

この地震について気象庁は、新聞報道等で、「東京湾は普段から地震が多く発生する場所で、地震発生のメカニズムをみても、とくに緊張を要する地震ではないが、短時間にこれだけ連続するのは珍しいケースなので、推移を見守りたい」といったコメントを発表した。

これ以来、地震予知の報道は鳴りを潜めていったのである



追記: 余震が18日を境に大分減って来た様に感じる。
減って来たと言っても、震度が3から4以上のものについての話である。

今までだったら、それこそ、ほぼ1時間おき位には大きく揺れていたのでは、と思う位に揺れていたのが、19日からは、日に数回程度まで減って来た様に感じる。

その影響か、偶に揺れが来ると驚くから不思議である












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