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2016年11月12日

巒頭について

「巒頭」で重要なのは「龍穴砂水」と「四神相応」です。
巒頭の良い地にはエネルギーがあります。


龍穴砂水とは



大地の気の流れの道筋のこと。
山脈の尾根づたいに流れるため、起伏があり曲がりくねった山脈の形が良いとされます。
「龍脈」ともいいます。


龍脈から流れてきた気が集まるスポット。
山脈が終わり平地になる少し手前にあります。
龍脈の終点なので「穴を結ぶ」ともいいます。
龍脈が真龍であれば吉穴となり、起伏がなく真っ直ぐに伸びた龍脈は凶穴を結びます。

龍穴にはものすごいパワーがある為、土や石に
「大極暈(たいきょくうん)」という太極図のような模様が出ます。
龍穴.PNG
中国のサイトより拝借

ちょっと分かりにくいですが、あまりにもハッキリ太極の模様が出ているとアヤシイです。
中国人の中には自分で色を付けちゃう人もいるみたいなので(笑)

こちらは石です。
龍穴の石.jpg
台湾のサイトより拝借



穴を守る環境のことで、小さな山や丘を差します。
風に吹かれて穴の生気が散じない様、穴の左右を囲んで守る様になっていると吉です。
(詳しくは下記)


水の流れのことで「水龍」ともいいます。
穴の生気を蓄える為に水が必要とされ、川が龍穴を包むように流れていると吉です。
反り返る様だと凶です。
現在では、道路も川の役割を果たします。


京都は理想的な地形で、藤原京、平城京、長岡京、平安京、は龍穴の上に建てられていると言います。
また、富士山と秩父山地からの龍脈が流れてくる皇居は日本で最も強いパワーを持っています。

ちなみに、富士山から皇居へ流れる龍脈の上には、田園調布や自由ヶ丘、広尾、赤坂、永田町など
高級住宅地や主要な施設が多くあります。
土地にパワーがあるからこそ、運の良い人が好んで集まるのでしょうね。
龍穴に近くなるほど土地の値段も高くなっていきます。

今は高級住宅地に住めなくても、龍穴のパワーを体感することはできますよ。
江戸城本丸や二の丸、天守閣の跡地である、現在の『皇居東御苑』は無料で入場できます。

余談ですが、皇居東御苑に行った後、「平川門」からは出ない方が良いです。
江戸城内での死者を運び出した門で
せっかくもらったエネルギーを吸い取られてしまうらしいので。




四神相応とは



四神とは、方位をつかさどる神獣です。
背後が「玄武」、前方が「朱雀」、
玄武を背にして左側が「青龍」、右側が「白虎」の配置が良いとされています。

玄武は龍穴砂水の「龍」、青龍・白虎は「砂」にあたり、朱雀は「水」にあたります。

平安京は、玄武が丹波高地、青龍が大文字山、白虎が嵐山、朱雀が巨椋池です。
ただ、巨椋池は昭和16年に完全に干拓されてしまったので
今では朱雀が不在となっています。
京都の四神相応.PNG      
NIKKEI TRENDYより


江戸城は玄武が富士山、青龍が平川、白虎が東海道、朱雀が江戸湾だと言われています。
江戸の四神相応.jpg
一般社団法人東京建設業協会より

でも実際は富士山は玄武じゃありません。遠すぎます(笑)
龍脈の起点は「太祖山」の山頂にあります。
富士山はこの太祖山にあたります。

龍脈の途中で再び峰をなす山頂を「少祖山」といい、丹沢山・大山などがそれにあたります。
大山には「大山阿夫利神社」の神様がいますので、
御神気を浴びて途中でさらにパワーアップしているのでしょう。


そして龍が穴を結ぶ直前の山を「父母山」と呼び、これが玄武です。
江戸城.皇居の玄武.PNG
地図中の赤く囲った場所を麹町台地といいます。

現在の東京都区部のデジタル標高地形図を見てみると
麹町台地のすぐ後ろには淀橋台という台地があります。
東京の台地.png
父母山は麹町台地、さらに後ろにある淀橋台に守られている感じですね。


龍脈は山脈の尾根づたいに、幾つもの支流をつくりながら流れるので
都内には龍穴がたくさんありそうです。

本郷台、目黒台にも龍穴はありそうですが
淀橋台が一番高さがあるので、ここが選ばれたのでしょう。
台地の高さ.png
淀橋台>目黒台>本郷台の順に高い様です。



また、神奈川県の箱根神社もパワーのある龍穴として知られていて、
玄武のすぐ後ろには「神山(かみやま)」という山岳信仰の聖地があります。
(玄武はゴルフ場にされてしまっていますね・・・)
箱根神社の四神相応.PNG
箱根神社.PNG
青龍が張り出し、白虎が坂になっていてとても良い形です。



四神はそもそも本物の神様ではなく、良い形の龍穴砂水を神獣に例えているだけです。
なので人工的に本物の神様のパワーを借りるということが行われています。

京都では玄武に賀茂別雷神社、青龍に八坂神社、白虎に松尾大社、朱雀に城南宮が建てられました。
四神の中央に「黄竜(おうりゅう)」を加えて「五神(ごじん)」と呼ばれたりもしますが
黄竜には平安神宮が建てられました。

京都五社めぐりなんていうのもあって、全部回る人は
最初にお参りする神社で「五社めぐり四神色紙(初穂料1000円)」をもらうといいですよ。
すべてのご朱印(各300円)を集めると最後の神社で「満願記念品しおり」をいただけます。
京都五社巡り.jpg


黄竜は龍穴にあたる訳ですが
龍穴の真上って、エネルギーが強すぎて普通の人が住める場所じゃないです。
なので平安神宮を建てたのだろうなぁと。

私も一度、戸隠神社の奥社のそばにある、
地面からのエネルギーが吹き出す所に行ったことがあります。
(穴を掘っていないので龍穴だったかどうかは不明 笑)

山登りで疲れていたこともあり、まっすぐ立っていることができなかったです。
強靭な人や天皇になる位の人なら立っているくらいは何てことないと思いますが
そこで寝たり食事をしたりを繰り返すのは、生身の体には相当な負担だろうと思います。

皇太子妃の雅子さんの鬱病が良くならないのは
皇居に住んでいるせいじゃ・・・?と思ったりもします。
強すぎるパワーは弱っている人には毒になるので、療養には向かないのです。
龍穴の真上で生活している訳ではないでしょうが、
日本有数のパワースポットですからね・・・




陰宅風水


龍穴の真上を使えるのは陰宅風水(いんたくふうすい)です。

陽宅風水(ようたくふうすい)は生きて生活する人間の住まいを見るものですが、
陰宅風水とは、死者を龍穴に埋葬することでその恩恵を子孫がこうむるというものです。
中でも「天子穴」というとても良い龍穴があり、
先祖がその地に埋葬されると、皇帝になる様な運を持つ子供が生まれるそうです。

中国、明王朝の太祖「朱 元璋(しゅげんしょう)」が誕生したのは、
祖父の「朱 員外(しゅいんがい)」が風水師に探させた天子穴のおかげだそうです。

そうして皇帝になった「朱 元璋(=洪武帝)」のお墓である明孝陵は南京にあります。
でも、川に囲まれた場所で、山龍ではなく水龍を使っています。
長江が力強く曲がりくねった感じになっていて陽宅風水的には良いのですが、
龍穴はなさそうですね。
明孝陵.PNG
ちなみに、この長江の北側の様に反り返るように曲がっている所は
水龍の無情の地と言われ、陰宅にも陽宅にも良くありません。


第2代皇帝の建文帝(けんぶんてい)は皇帝の地位を追われ行方不明となった為
お墓は見つかっていません。
2008年にそれらしきものが見つかったそうですが、確定はしていない様です。


第3代皇帝からは「明の十三陵」に埋葬されています。
(皇帝13人と皇后、皇貴妃と皇太子等の陵墓群)
陰宅風水の見本の様なところで、とても有名です。
中国明の十三陵.jpg明の十三陵.jpg
明の十三陵碑亭.jpg

私も行きました。さすが中国、とんでもなく広いです。
同じ縮尺の地図で見てみると、港区と同じ位の広さです。
まぁ、中国の感覚だと、城や街を作るには狭すぎるのでしょうけど(笑)
港区.PNG中国明の十三陵.PNG



明の十三陵.PNG
数字は埋葬された順番を示しています。
@(長陵)は第3代皇帝、「永楽帝(えいらくてい)」のお墓です。
この辺りに一番良い龍穴があるのでしょうね。

ちなみに、ひとつ外れて白虎の上に位置しているL(思陵)は
最後の皇帝、「崇禎帝(すうていてい)」のお墓です。
元は崇禎帝の寵愛を受けた皇貴妃「田 秀英(でんしゅうえい)」のお墓だったのですが、
地位を追われ自殺した崇禎帝が後から合葬されたそうです。



徳川家康のお墓の日光東照宮も龍穴の上に建てられました。
日光東照宮奥社.PNG
中禅寺湖を朱雀にすれば良かったのに〜
とか思うんですが、きっとお墓を建てた場所の龍穴が良かったんでしょうねぇ。
中禅寺湖から流れてくる大谷川(だいやがわ)が朱雀の役目を果たしています。
家康のお墓.PNG
当時は何もない山奥だったでしょうから、よく見つけたなぁと思います。



ただ、龍穴は200年くらいでエネルギーがなくなる、又は移動すると言われています。

陰宅風水はピンポイントで龍穴を使う為、それがよく表れます。
(墓地が広くても遺体は人間サイズですからね・・・)

永楽帝(3代目)の生前から用意されていた陵墓に、永楽帝が埋葬されたのが1424年頃です。
そして最後の皇帝の崇禎帝が生まれたのが1627年。
203年です。

明孝陵の効き目はどうだったのかと思い、調べてみました。
洪武帝(初代)が亡くなったのは1398年ですが、明孝陵が完成したのは1413年だそうです。
なので永楽帝の埋葬の時期と10年位しか変わらず、
このお墓に隠宅風水の効果があったかどうかはよく分かりませんね。


家康が亡くなったのは1616年、日光東照宮に埋葬されたのは1617年です。
最後の将軍、徳川慶喜が生まれたのは1837年。
220年です。


最後の皇帝や将軍が生まれる頃には、財政難などでだいぶ運気が下がっていますので
良い子孫が生まれなくなるというよりは家運が段々傾くという感じですけどね。

第11代皇帝の正徳帝(せいとくてい)は
地元の美女を誘拐する為に大軍を動員して各地へ行軍したといいますし、
そういう働く気のない皇帝や将軍は他にもいたと思います。
でも隠宅風水の力で何とかなっていた感じでしょうね。




陽宅風水は範囲が広いのでもう少し長く作用するみたいです。

ちなみに、藤原京は694年〜710年の16年間、平城京は710年〜784年の74年間、
長岡京は784年〜794年の10年間と、短い期間に遷都を繰り返していますが
衰退というよりは風水を優先させたら住みにくかった・・・みたいな事情もあった様です。

平安京は794年に遷都され、
鎌倉幕府が開かれた1185年(イイクニからイイハコになっちゃったやつです)までの
391年間、政治的権力の中心地でした。
1180年の治承・寿永の乱で武家政権に敗北した時点が平安時代の終期とされているので
386年間と考えても、長かったですね。


紫禁城は元の時代に作られて清朝滅亡まで使われていました。
愛新覚羅溥儀(清のラストエンペラー)の退位が1912年なので
明の永楽帝(3代目)が遷った1421年から数えても491年の間、中国の都でした。


気になる首都東京はというと、江戸に幕府が置かれたのは1603年で、今から413年前、
遷都(天皇陛下のお引っ越し)が1869年で、今から147年前です。

龍穴にエネルギーがなくなるとすると東京の発展はなかったので、
やはり龍穴は移動するのではないかと思います。
東京湾の埋め立てで朱雀の位置もだいぶ変わりましたしね。
(・・・というか、これ以上埋めると朱雀がいなくなってしまいます。。。)




まとめ



・良い龍穴砂水を四神相応と呼ぶ

・陰宅風水と陽宅風水は同じ様に使っちゃだめ

・陰宅風水は天下を取れるくらいの効き目があるけど200年位しかもたない

・陽宅風水はそれだけで政治的権力を維持できるほどの効き目はないけど長く効く



右矢印1 理気についてはこちら



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posted by 管理人 at 11:08| 風水について

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