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2017年07月23日

「豊かに生きる」ための学校 〜 フォルケホイスコーレ 〜 デンマーク・Ryにて

2007.5.31 デンマーク・Ryホイスコーレにて

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この日の天気は、晴れ!空はとてもきれいだった♪

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Akiさんの授業が終わるまでの間、美しい庭を散歩していると、記念碑のようなものをみつけた。

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そこには「Ry HOISCOLE 1892−1942」(写真)と彫ってあり、このフォルケの歴史の深さをうかがわせた。

 後で、先生に聞いて知ったことだが、そもそもフォルケ・ホイスコーレは、

「民衆(その当時の農民)も学問を営み、豊かな生活を創造していくべきである」

というグルントヴィの思想から生まれた「民衆のための学校」であった。

そのため、一年を通じてというよりも農繁期が終わり、また忙しくなるまでの数ヶ月間、共同で生活し、学ぶ場所として始まった。

 今でも、様々な期間のコースが設置されていて、2ヶ月・4ヶ月・半年・・・といった感じらしい(終わるたびに更新することもできる)

 年齢は、高校を卒業した17歳半以上の人なら、年齢・性別・国籍問わず誰でも入学できる。

(しかもデンマーク人は学費は無料)

 だからデンマークでは、高校を卒業しても大学には行かず、一度就職してから、自分が本当に学びたいことが何か分かった時に、自分で行きたいフォルケをさがして入学する・・・ということが当たり前らしかった。

 もちろん、特に資格が取れるわけでもないので、それが次の仕事にそのまま結びつくかどうかはあまり重要ではなく、「豊かに生きるための学問」ということだった。

 また、100以上のフォルケの中でデンマーク人主体のフォルケと、インターナショナル系のフォルケ、キリスト教系、芸術系、体育系とがありまたその1つ1つで教えているカリキュラム・コース期間も違っているらしかった。
(2007年頃から、統廃合が進み、現在では70前後)

 訪問前にAkiさんから聞いていたのは、Ryフォルケは普通のフォルケで
66人くらいの生徒のうち、60人はデンマーク人ということだった。

(ちなみに日本人はAkiさん一人だけ)
 
授業内容も、自然が豊かなところなのでアウトドア系の授業がたくさんあり、Akiさんはアートを専門にしてるとのこと・・・

 今日・明日は普通の授業があり、金曜の夜はパーティー。しかもタイミングのいいことに、木曜は週に一度の、ミーティングの日だった。

 まずは寮の集まり、そして、全体の集まりがあるということで、案内してくれることになっていた。

時間になり、待ち合わせの食堂に行った。

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そこから、早速、寮に連れて行ってもらい、素敵な部屋を見せてくれた(さすがにプライベート空間なので、写真はやめておいた)

「寮での共同生活」というのも、フォルケの特色の1つであり、1つの部屋に、2人とか4人とかで生活するらしい。

国籍や年齢、人種も違うそれぞれが一緒に生活することで、お互いの多様性や個性を認め合えるように、、、との方針らしい。

Akiさんだけでなく、突然の訪問者の私を、寮のみんなも歓迎してくれた。

そして、寮のカンタンな集まりの後の、全体の集まりまでの間に、少し時間があるからと「アイスクリームを食べに行こう!」ということになり、寮のみんなで、駅前まで、散歩に行った。

Akiさんは、デンマーク語が上手で、みんなと自然な感じでふれあっている^^

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そして、全体でのミーティング、、、これはデンマーク語だったので、内容はよく分からなかったが、これまで訪問してきた学校と、やはり雰囲気は似ていて、「民主的な」感じ、、、

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その場にいる人の中で、言いたいことがある人が、臆せずに物をいう、、、誰か決まった人だけが、、、というようなことはどこに行っても見なかった(笑)

そして、最後は、とっても素敵な歌を、みんなで合唱して、会は終了した。

(つづく)

自由な「学び」を選べるなら、、、何を選びますか?


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2017年07月15日

ネバーランドのような学校 〜 Ry ホイスコーレ 〜 デンマークにて

2007年5月31日

 朝8時過ぎのオーフス発の電車に乗るつもりだった私は、7時にはユースを出発しなければならず、早起きして昨日用意しておいた朝食をちゃちゃっと食べ、荷物をまとめた。

 ただ、せっかく仲良くなったアルゼンチンからの大家族にまったく挨拶なしで行くのも気がひけたが、話をする時間はなかった。

 こういう時に役に立つのが・・・前もって作っていったネームカード。

裏に、「Thank you . Please have a good journey !」(ありがとう!どうか良い旅を!)と書いて、あの家族の車らしき大きなワゴン車の運転席の窓のすきまに入れた。

気が付いてくれますように^^

あとは運を天にまかせるのみ!

 いつものように、ザックを背中に、黒いスーツケースを手でゴロゴロと引きながら、森の中へ進みバス亭に向かった。

予定通り、8時少し前にオーフス駅に着いたが、人はほとんどいなかった。

Ryまでの切符を買い、電車に乗り込む、とてもクリーンで清潔な感じだった。バスと同じように、障害を持った人々への配慮がいたるところに見える。

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 やがて電車は動き出した。広々とした緑の草原、羊の群れ・・・

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ああ、やっぱりデンマークは美しい国だった。


そして8時49分、電車はRyに到着し、駅には、はにかんだ笑顔のAkiさんが立っていた。

 初めての対面だった^^

長い黒い髪に、いきいきとした瞳・・・初対面だったが、あまりそんな感じはしなかった^^ 

「お世話になります^^」と少しあらたまった私に、あまり堅苦しいあいさつはなしで・・・という感じで、Akiさんはすぐにすたすたと歩き出した。

 Ryフォルケは、なんのことはない、本当に駅からすぐのところだった。(これは迷いようがない)

 赤いレンガ造りの建物がいくつもあり、その中を歩いていく。

 彼女は1時間目の授業があったのを、先生に事情を話して途中で抜けてきてくれたらしかった。
 
中を案内してくれながら、さっそく色々と説明してくれる。

「とりあえず荷物を置きに行きましょうか」

いくつかの建物を通り抜け、左側に緑の芝生を見ながら下ったところにある建物に案内され、広々とした大きな窓のついた一室に通された。

 「ここが来客用の宿泊室です」と、トイレやシャワー、料金等の説明をしてくれた。

とても使いやすいいい部屋で、格安だった。久々に個室なのもありがたかった。

そして「ちょっとだけ待っててください。」と言って、授業に戻っていった。

 その間私は、奥の方に行ってみた。

そこは、まさしく夢のような空間だった。緑の芝生、大きな木々、美しい水をたたえた河・・・小鳥のさえずり・・・カヤックや、桟橋、バレーコート(芝生)や、キャンプ用のテントなどもあった。

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しばし私は、その空間に酔いしれた。

(つづく)

♪のんのんのおススメ♪
自然が恋しくなったり、ちょっと疲れた時には、、、
ゆっくりとくつろげる、本物の癒し空間


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タグ:デンマーク

2017年07月10日

「生のための学校」〜デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」

今から、22年も前になる。その頃私はまだ大学生だった。
いつものように、本好きで世話好きな母が、「こんな本があるのよっっ」と紹介してくれた本が

「生のための学校」〜デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界〜
清水 満 著    新評論


の改訂前の本だった。

 厳しい受験校で高校生活3年間を送り、無味乾燥な大学の教育内容に嫌気がさしていたその頃の私にとって、まさに「夢のような学校」だった。

 特色は、試験を拒否し、資格も与えず全寮制で、教師と生徒が共同生活をして学び、

カリキュラムは自由で国家の干渉を受けない私立の学校であるということ。

民衆が生きるための民衆の力による自由な教育・・・私は、夢中になって読み、その世界に魅了されてしまった。

 
特に心惹かれたのは、「旅するフォルケホイスコーレ」についてだった。

廃車バスなどを安く購入して、1グループ8人から10人で、1人のリーダーがつく。

旅の目的地は、アフリカ諸国などの発展途上国が多く、その実情を知り、適切な援助活動を行なうことを目的とする。

そのコースは主に8ヶ月で、準備に2ヶ月・旅に4ヶ月・帰国してからのまとめに2ヶ月・・・といった感じだった。


 他にも心惹かれる内容がたくさんあった。

 一時は本気で、大学を休学してデンマークに行こうかとまで考えた時もあった。(結局実行しなかったが)そんなワケで、いつか行ってみたい!と「ずっと心にひっかかっている学校」だった。

 問題は、デンマークに100校以上ある中のどこに行き、またどうやって見学させてもらうかということだった。

(つづく)

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2017年06月29日

子ども達との楽しい時間と、またまた同志との出会い 〜サマーヒルスクール訪問A  〜 イギリス、サフォーク州、レイストンにて

こと細かに、親切に案内してくれた楽しい「サマーヒル・ツアー」の終盤、

「ゾーイの話が始まるよ」

と言われたので、子ども達に「ありがとう」とお礼を言って、小さな講堂らしき所に行くと、

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他の20人くらいの訪問者達はすでに集まって待っていた。

体験入学のような形も混じっていたらしく、子ども達の姿もちらほらと見える。

 ここで生活している子ども達いわく
 
「自分達にとっては普通の人」

という、創立者ニイルの娘さんであるゾーイ校長の話は、恥ずかしくてあまり書きたくはないが・・・

あまりの早口についていけずほとんど理解できなかった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)



こんなことなら、さっきの子ども達に通訳をお願いした方がよかったかも・・・と後悔したが、まあ、主役は子ども達なんだし・・・ホームページもあるし、と潔くあきらめることにした(^^ゞ


 サマーヒルの子ども達は、どんな子ども達だろう?

サンドスクールで、かなり個性的な子ども達に出会ってきた私は、その後、興味津々で子ども達を見ていた。
 
 いたって自然体で、今どきの普通の子ども達・・・

というのが最初の印象だった。

特に気負いもなく、自分が特別なところにいるという意識は感じなかった。みんな人懐っこくて、かわいい。

 日本人が多いといっても、ふだんはなるべくお互いに他の国の子ども達と一緒にいるようにしているらしい。

たまたま日本人の私が来て、どうしてもその日一日は、みんなで過ごす時間が多かったが、まあ、そうそうあることじゃないし、たまには・・・と、気にしないことにした。

 正直なところ、「学校訪問」に行ったというよりも「遊びに行った」という感じだった。

子ども達は、自分の行動を自分で決めるから、興味がある対象があればそちらに行き、別に行くところ(授業など)があれば好きな時に、そこに行っているという感じ。

 そう、日本の公立学校の子ども達との違いはまさにそこだった。

「自分がすることを自分で決める」

そして、どこか大人びた口調と表情・・・

「自分の責任で行動する」という環境が、彼(女)らにしっかりとした意識をもたせているように見えた。

責任の伴う「自由」の中で長い時間過ごすことで、その環境に見事に順応し、生き生きとしていた。


 そして、その中の一人の男の子(13歳)が、自転車に乗って、その日一日よく私の側に来てくれた。

彼は最近授業には出ていないが「自分の飛行機を作る」ことに熱中しているという。

 聞いたその時頭の中に浮かんだのは、子どもの頃によく作った紙飛行機・・・

しかし、彼の言う飛行機は、そんなチャチなものではなかった。

動力は基本的にゴムで引っ掛ける方式のもので、どんな形のものがよく飛ぶか、研究された軌跡のよく分かる、いくつもの模型飛行機が、教室の台の上にぶらさがっていた。

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「飛びすぎてよく木にひっかかっちゃうんだ」と彼は笑った。

 「そっか〜、将来は飛行機の整備士とかになったりして?」などと、話をしながら教室の中を見せてもらった。

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 ここに来てはじめの頃は、英語もよく話せなかったけど、半年くらいすると「ある日突然」分かるようになったそうだ。

それから、数字が1から20までを、順番通りに並べるおもちゃのような教具(真ん中の水色の部分がくるくると回る)

・・・を見せてくれて、「これも初めはできなかったけど、最近は簡単!」

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 私もチャレンジしてみたが、10分かかってもできなかった(^^”)

 さらに彼は、自分でブログを書いているという。

「まさかプログラミングなんかできないよね?」と
聞くと、

「ちょっとはできるよ」とのこと

「ええ?!Σ(゚Д゚)」

 パソコンルームに行って、

彼のブログを見せてもらい、ついでに私の当時のブログのことも教えると、何やらワケの分からない画面をカチャカチャと扱って、あっという間にリンクしてしまった。

おお〜!( ゚д゚)
 
 お昼ご飯は、学校の外で食べるべきかと思っていたが、

「別にみんなここで食べてるよ」

ということだったので、一緒にご馳走になることにした。(後で、何か手伝うか、お金を払おう)

 食堂があって、メニューは肉と魚を選ぶことができ、私は魚を選んだ。

フルーツまでついている。美味!

でも、そういえば最初に案内してくれたベテラン君は、

「食べ物だけは、絶対日本の方がいい!」と力説してたっけ・(ノ´∀`*)
 
 その後は、子ども達の写真を撮らせてもらったり、一緒に遊んだりした。

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体験入学中の子ども達も一緒になって、木登りやトランポリンをしている。

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それから、広い広場で、みんなでフリスビーをやった。

これがまた楽しい!あまりさわっていない子に、ちゃんと投げてあげたり、自分の番なのに譲ってあげたりといった、子ども達の優しい一面がかいま見えた。

みんな笑顔いっぱいだった(^^)


二時前くらいから「スクール・ミーティング」が始まり、フリスビーに熱中していた私たちは、気がつくと一番最後に講堂に入ることとなった。

 サマーヒルオフィスからのメールには、「まれに訪問者が参加できない時がある」となっていたが、今日は大丈夫なようだった。

 しかし、ちょうど入り口近くの見えにくい位置に座ってしまって、司会者が見えない(^^”)

そこから眺める限り、ほとんどの子ども達が参加している様子だった。

 実は、事前に案内してくれた子ども達にミーティングについて聞いてみたが、「たいくつで眠くなる」という実に正直な見解だった(^^)

 そして、ちょっとためらったが「いじめ」についても聞いてみた。

「最近はないけど以前にあった」らしいということ

「え?そんなのあったの?」と周りで聞いていた子も知らなかったようだ。

集団ではなく個人間のもので、その時もスクールミーティングで話し合われて、何らかのペナルティが与えられ、今は、もう大丈夫だそうだ。

 この時のミーティングの内容は、正直なところあまり覚えていない。

形式と雰囲気などは、サンドスクールとよく似ていたことを思い出す。(どちらかといえば向こうがこちらをモデルにしていると思うが)

 言うまでもなく、ファーストネームで呼ばれる大人と、子ども達の1票は同等であり、違いといえば、誰かが何かを発言して、それに呼応して掛け声がかかるのが独特だった。

 会が終ると、入り口のところでゾーイ校長が、訪問者集団に挨拶をしてくれて、一応訪問の流れはひととおり済んだようだった。

 他の訪問客は帰っていったが、4時まではまだ見学可能と聞いていたので、私はもう少し残ることにした。

最初に行った事務室の女性から、「台湾から来ている教師がいるから、話してみたら?」ということを聞いていたので、さっきの男の子・シービ君(ネット名)に聞いて、その人をさがしたが、どうやら彼女は午後から校外にでかけているらしく、話はできなかった。

しかし、その途中でアメリカから来ているという白ひげのおじいさん先生と少しだけ話しができた。

子ども達も彼を慕っていて、ここでの生活を楽しんでいるようだった。

 そして、最後の時間はやっぱり子ども達と・・・と思って、他の国の子ども達にも話し掛けてみた。

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ドイツから来たという自転車に乗った少年に「 Do you like this school ? 」(この学校が好き?)

と聞くと少しはにかんで 「 Yes ! 」と元気に答えてくれた。

 トランポリンの上では、韓国人の女の子と、金髪の女の子が弾むように跳んでいて、「 May I take a picture of you ? 」(写真撮ってもいい?)と聞くと、とってもいい笑顔をしてくれた。

 そして、日本人の子ども達(特に女の子)がたくさん集まってきて、トーテンポールを囲んで写真を撮っていると、

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少し年長っぽい男の子が通りかかり、

「お兄ちゃん!」と一人の子が声をかけた。

「兄弟で来てるんだ〜!いいね〜こんなステキな所で・・・」と言うと、

「うちの母もそうやってうらやましいって言ってますよ」と、笑った。

 そのうち、木の遊具の上でみんなで遊ぶことになった。その名も・・・何だっけ〜??(お〜いシービ君、教えて〜)
 久々に大爆笑して、ものすごく楽しかったのは覚えているのに名前が思い出せない(^^”)日本から伝わった(?)遊びらしいのだが、私自身は見たことのない遊びだった。

 ・・・と、こうして遊びに熱中している間に時間は4時を過ぎていた。

 荷物が置いてある事務所の方に戻る途中で、日本人らしき大人の男性をみかけた。

話が聞けるかもと思って見ていると、彼の方でも私をみつけてくれて「日本人ですよね」と話しかけてくれた。

これまた、シービ君は親しげだ。(っていうか、中にいる人同士みんな親しげだった)

 彼は、実はここサマーヒルの卒業生で、一度日本に帰って就職したのだが、今は、ここの寮母ならぬ寮父さんをしているということだった。

私は、自分の旅のこれまでやこれからのことを話した。

すると、つい昨夜のようなことが起きた。

 「実はぼく、日本にサマーヒルみたいな学校を作りたいと思っているんです。」

「ええ?( ゚д゚)」

またも「同志」がいた〜!(もっともここならいても不思議はないが)

彼はTOMOさんといって、そのまま時間が経つのも忘れ、寒くなってくるのも忘れ、しばらく話し込んでしまった。

彼の知っていることや、考えていることの多くが、私自身のそれとリンクしていて、ほんとに不思議な感じだった。

ちなみに年齢は、私とほとんど同じくらいだった。

日本にもたくさん同志がいるとのことで、ただ「時期」を見て動きたいとのこと・・・
 
 そこにちょうどさっきの「お兄ちゃん」が用事で通りかかり、私は時計を見た。

なんと5時前!

さすがにちょっと図々しすぎ・・・(^^”)

事務所を見ると、金曜日だし当たり前に閉まっていた。私の荷物〜っっ!
(まさしく時間を守らない自分が悪いわけだが)

 ありがたいことにTomoさんとシービ君が、カギを持ってきて事務所を開けてくれた(感謝!)

そして、ちょうどそこに忙しそうなゾーイ校長がタイミングよく登場!

私は、彼女に「メッセージ」をお願いし・・・断られそうな雰囲気のところTomoさんが一声かけてくれたおかげで、貴重な一言をもらうことができた。

 「 I hope you enjoyed your visit to Summerhill 」 
(あなたがサマーヒル訪問を楽しんでくれたことを願います)

 そして、あわただしく学校を後にしたのだった。

結局のところ、前もって考えていた通りの訪問になったわけだが・・・それ以上にすばらしかったのは、たくさんの子ども達と楽しい時間を過ごせたことと、貴重な「同志」に出会えたことだった。

 Tomoさんの別れ際の言葉は、「じゃあ、いつか学校を作る時にまた」というもので、それがごく自然な印象として、心に残っている。

 昨日のビルの言葉といい、この彼の言葉といい、「夢」が「現実」になるかもしれない・・・

可能性がどんどんふくらんでいく感覚を、これまで以上に大きく感じながら、レイストンの町を歩いて行った。
  
(つづく)

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2017年06月28日

「自由」というもの 〜サマーヒルスクール訪問@  〜 イギリス、サフォーク州、レイストンにて

2007年5月25日(金)

 緑の芝生に覆われた広い敷地の中を、入り口から一番近い建物に向けて歩いていくと、事務所らしき所に辿りついた。

中の女性に訪問の約束をしている旨を伝えると、笑顔で歓迎してくれた。

そして、日本のどこから?と聞かれたので「大阪」だと答えると、なぜか目を輝かせて喜んでくれ、歓迎ぶりにさらに熱が入ったようだった。

そして「日本人の生徒がいるから呼んで来る」と言って、すでに近くにいた小さな女の子に「それまで相手しててね」と頼んでどこかへ行った。

 その女の子も日本人で、なんとなく9歳くらいかな?という感じだった。

それで彼女に「日本人は何人いるの?」と尋ねたところ「16人います」とのことだった。

 「16人!!」・・・( ゚д゚)

「学校全部で何人いるの?」

「だいたい70人〜80人くらい」

・・・ということは5分の1が日本人ということになる・・・ビックリ!

後で聞いたところによると地元イギリス人も同じくらいだとのこと・・・なんだかフクザツな心境だった。

 やがて、2人の男の子を連れて、さっきの女性が戻ってきた。

どうやら年長らしい一人はサマーヒルのベテランという感じのさわやかな少年、主に彼が色々説明をしてくれた。

もう一人は、落ち着いた優しい感じで、主にサポート&フォローという形で、「サマーヒルツアー」が始まった(๑•̀ㅂ•́)و✧

途中で、他の日本人の子ども達が何人かそのツアーに加わって、学校中を案内してくれた。


 結論から言うと、これなら、世界中の人がこの学校を理想とし、モデルにしようとするのもまったく納得がいった(≧▽≦)


 気持ちのいい緑の芝生、そこらじゅうにある大きな木々、

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手づくりの遊具、さらにプールや広いグラウンド、などのそろった広い敷地。

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その中には、教室に加えて子ども達の寮や、先生方の住んでいる家もあった。

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中には古い列車か車みたいな家もあって「窓際のトットちゃん」を思い出した。

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 基本的に、高い建物はほとんどなくて、横に長い木造の建物が多く、周囲の自然に見事にマッチしていた。

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全体として、居心地がよさそう。

開放的で、閉じた感じがまったくない。

 木の上の居場所やバーベキューの道具とベンチなど、あちこちに「楽しむための道具」が用意されていた。

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 教室の中も見れるところは見せてくれた。

木工のための道具、数や図形などに関するおもしろそうな道具などなど・・・。

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まったく、自分が子どもだったらとっても楽しいだろう環境だった(*゚∀゚)

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 実際、案内してくれた子ども達はみんな、とてもいい表情をしていて「ここは何でも自由なの」と、生き生きと語ってくれた。



さて、その自由についてだが、、、今の日本の教育現場に立っている人の中で、「自由」と聞いて「すばらしいもの」と感じる人は、もしかしてそれほど多くないかもしれない。

 かくいう私も、その当時は「自由」と聞くと何かしら不安な気持ちにさせられていた。それは、過去の現場経験によるものからかもしれない。

今の子ども達には、安易には「自由」を与えることができない。

 いざ与えられると、「何をしていいのか分からない」それは、大人にとっても同じこと。

 まったく無くせば、子どもはそれを求めて何らかの動きを起こすし、また、それがその時すぐとは限らない。

子どもも相手を見て行動する術を知っているから、反抗して危険だと感じる相手には無理には動かない。

「この相手なら大丈夫そうだ」と感じる相手に行動を起こすのである。

 また、与えすぎると今度は、とどまるところを知らない。自分を制御することができないのである。
もしくは、どこまでかの線引きがわからない。
かくして、それを「力」で押さえつけざるをえなくなってしまう。

 さらにほんのちょっとのケガでも「責任」がどうのとクレームが来る時代なのだ。

ちょっと自由にさせると、ケンカ、ケガということは日常茶飯事。

安全に気を使えばつかうほど、子ども達から「自由」をうばうことになってしまう。

実際のところ、日本で今「木登り」が自由な学校など、どれくらいあるだろうか。
 
 「自由」の与え方次第で学級運営が決まると言ってもいいくらいかもしれない。
 
もちろん、その加減をとてもうまくされて、子どもが生き生きしている学級はたくさんある。
 
そして、今の現場の厳しさが「自由」の与え方だけで決まるものでもないことも当たり前の事実である。(色々な要素が絡み合っている)

 しかし、ある一つのキーワードになっていることは確かなような気がする。どこで、どのようにして「自由」を与えるか・・・。

そして、現実問題として「カリキュラム」というものがある。自由な時間を少しでも多く与えてあげたいと思っても、「こなさなければならないノルマ」が存在する。

 さらに通知表での「評価」というものが、1年中、子ども達と先生をありとあらゆる角度から、がんじがらめにしている。

 だからこそ、カリキュラムもなく「授業にでることすらも自由(自己責任)」というこのサマーヒルを実際に見てみたいと思ったのだった。

(つづく)

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2017年06月27日

「自由学校を作りたい」という夢の原点 〜 サマーヒルスクールに惹かれる理由 〜

そもそも、私が「自分で学校を作りたい」と思い始めたのは大学生の頃・・・その当時から10年ほども前のことになる。

正直なところ、「大学」という場所は私にとって「学問をする」ところではなかった。

初めはそういう志がなかったワケではないが、あまりにも講義がつまらなかったし、実用性があると思えなかったのだ。

結果、私の大学生活の半分はワンダーフォーゲル部の活動。

そして4分の1は、生活費のためのアルバイト。

残りがかろうじて勉強・・・という感じで、それはそれなりに充実していた。

 そんな中でたった一人だけ、私が毎回夢中になって講義を受けた先生がいた。

その先生は、毎日のように「不登校」や「いじめ」で苦しむ子ども達から相談を受け、「生」の声を聴いては、勇気付け、はげましておられる方だった。

今の子ども達の苦しみ、悲しみ、絶望・・・時には自殺に到るまでの精神状態が、一体、なぜなのか・・・そして、私達がどうすればいいのか・・・そうしたことを、講義の始めに必ず語ってくださった。

私だけでなく、そこにいる学生みんなの心に響いていることが、その表情からうかがえた。時には、涙をうかべている姿さえ見た。

 なぜかは分からないけれど、その先生の話を聞いていると、「自分で学校を作りたい!」という想いがもくもくと湧いてきた感覚を、今でも覚えている。

(ちなみに、広木克行先生といって、数多くの著書も書いておられる)

それは、講義を受けては私の胸に現れ、時間が経てばうすれ、また講義を聴いては現れ・・・の繰り返しだった。

 そして、とうてい実現不可能なように思われるこのまさしく「夢」は、最終的な私の人生の目標として、心の中で、歩いていく道の向こう側に常に意識されることとなった。


 和歌山にある「きのくに子どもの村」学園を訪問したのは、大学を卒業して、大分の由布院で働いている頃だった。

「まちづくり」で、全国的にも有名なあの町では、私にとって興味のあるあらゆる分野のあらゆる情報を、その実践者からダイレクトに入手することができ、あの3年間で学んだことは、今の私にとって欠かすことができないものとなっている。

何しろ、月に1度は必ず誰かの講演会が開かれたり、何かのイベントが行なわれていて、とにかく色々な出会いがあった。

その中の一つが、「きのくに」との出会いだった。

 1992年開校。日本で唯一、私立小学校の認可を受けた「手づくりの自由学校」。

テストも通知表もなく、「先生」と呼ばれる大人もいない。学年もない。

畑を耕したり、建物を建てたり「ラーニング・バイ・ドゥ−イング」(為すことによって学ぶ)が実践されている、寄宿生の学校。

 普通の公立学校に通い、普通に卒業した私からすれば、「こんな学校があるんだ〜っっ」と、本当に感動したのを覚えている。

ただ、私達が訪問した時はまだ開校して間もない(3年目か4年目)頃で、子ども達の顔が期待したほどのいい表情でなかったことが印象的だった。

もっとも、「木曜日」は「訪問日」であり、外部からの見学者に対して緊張していただけなのかもしれない。最近、テレビで見た時は、子ども達の表情はとてもいいものだったように思う。(今度、もう一度行って見てみたい)

 しかもこの15年の間に、中学校、高等専修学校、福井県かつやまでの小・中学校開校、さらにさらに・・・と勢いは衰えないようだ。

 その「きのくに」のモデルとなっている学校がイギリスの「サマーヒル・スクール」そしてスコットランドにあった「キルクハニティ・ハウス・スクール」であった。

実は、今回の旅でキルクハニティにも是非行ってみたかったのだが、残念なことに「閉校」になっていた。なぜだか、事情は分からない。

 そんなワケで、サマーヒルだけを訪問することにしたのだった。

 ただ、私の中で「注目され過ぎることでいいことはあまりない」ということを経験上よく知っていたので、正直なところ、「期待し過ぎるのはやめておこう」というような気持ちもあった。

その気持ちは以前に書いたブログにもあるメールのやりとりの中から生まれたものだった。

サマーヒルは今、次から次へとやってくる訪問客の対応に追われているようだった。

 1日だけで本質を理解するのはまず不可能だし、逆にサマーヒルについての書物はたくさんある。注目すべきは、その時しか見れない「環境」と「子ども達の表情」だという結論に達した。

 ・・・とはいえ、楽しみなことに変わりはなかった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、中に歩いていった。

(つづく)

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2017年06月20日

テストや通知表(評価)は、どうしているの?〜 Sands School 訪問Bの続き 〜  イギリス、Devon州にて

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みんなが「先生達の評価シート」に取り組んでいる時に、ふっと思いついて聞いてみたことがある。

「子ども達の評価」はどうやってなされているのだろう?

 ちなみに、ここでは教科書は使う科目もあれば使わない科目もあり・・・特に強制ではないらしい。

そして、テストはといえば、普通の学校のようなテストは行なわれないらしいが、イギリス全体で共通のなんちゃら「EXAM」(試験)というものを子ども達は年中(休み中と9・10月以外)受けているらしく、私が訪問している間も、何人かの子ども達が学校から別の場所で行なわれる「EXAM」に行っていた。

どうやらそれは、進学や就職に重要な意味を持つらしく、学校全体でその試験に対応していた。
(もちろん、受ける受けないは本人の意志にまかされる)

 では、評価は?通知票というものは存在するのだろうか?

答えは、「ACADEMIC REPORTS」(教養教科についての報告)というシートが存在するということ・・・、内容は全ての教科について、受けもちの教師が以下のことを記入するものだった。

@Attendance(出席)、Attitude(態度)、Ability(能力)についての4段階評価

Aそれに記述式の空欄が2・3行分

Bその下に総合評価の欄があって、上記の3つに関しての4段階の指標があった。
(出席率がどれくらいか、態度が前向きかどうか、能力がどれくらいあるか・・・といった感じ。)

そして高学年用にもう一枚、記述式でつぎの3つの欄があった。

@「Careers Advice」(職業に関するアドバイス)

A「Disciplinary Procedures」(訓練の手順)*おそらく上記の職業に関すること

B「Health Issues」(健康の問題)

 もっともこれは、「保護者への報告」という性質のもので、しかも「能力」に関しては、テストという評価基準もないので、子ども達は、授業で分からなかったことがあっても、後でいくらでもフォローできるチャンスをもらっている。

しかもひとつのクラスがほぼ15人以下というこの学校では、生徒の様子について、先生達はじっくり観察することができる。

 もっとも、15人とは言っても、その一人一人の抱えている背景などを考えると、とても「楽」だとは思えない。

始めに書いた通り、色々な事情がありそうな子ども達が多かったから・・・。

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 そこまで書くと、思い出すのはあるハーフ(日本人とイギリス人)の男の子のことだった。

訪問初日、O2クラス(だいたい16歳くらい)の数学の授業の時のことだった。

一生懸命先生に質問しながら勉強している学生達の横で、彼は「バカばっかり」と日本語で言ったのだった。

もちろん、周りのみんなには彼が言ったことは分からない。

私は驚いたが、授業中だったから、彼に向かってだまって首をふった。

 授業が終って

「なぜ日本語が話せるの?」と聞くと、

「日本で生まれ育ったから」ハーフで、ファミリーネームは「シミズ」というらしかった。

そして、その後気になってよく観察していると、彼はどうも他の子ども達と距離を置いているようだった。
 
気になりつつ、2日目。

今度は、かなり自分の考えをアピールすることにに盛り上がりを見せた授業の後、

「ね?バカばっかりでしょ?」と、話しかけてきた。

 反射的に「私は、そんなこと思わない。二度とこの学校の子ども達のこと、そんな風に言わないで!」
と、激しい口調で言っていた。

考えるよりも先に口が動いたという感じ・・・。
 
すると彼は「だってみんながそう言うんだも〜ん」と、小さい子が言い訳するように、いたずらっぽい顔で去っていった。

 そして、それ以後は、見事にこの学校の仲間に溶け込んでいる彼の姿があった。おそらくそれが彼の普段通りの姿なのだろう。

 私は、どうやら試されたらしかった。そして、安心されたらしかった・・・。

芝生の上で無防備にお互いにもたれ合っている姿は、「ありのままの自分」でいられる空間・・・そんな
ステキな学校の象徴のようだった。

(つづく)

実際の旅に役立つ情報編へは、こちら
ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜

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2017年06月17日

「水爆弾」とスクールミーティング 〜 Sands School 訪問B 〜  イギリス、Devon州にて

 2007年5月23日(水)サンドスクール訪問3日目 

 この日も天気は快晴・・・というか「いい天気」を通り越してかなり暑かった。

午前中は、いつものように授業を見学させてもらい、「クッキング」の授業が入っていたので、私も一緒に作るのを手伝わせてもらった。

メニューは、「ペンネ・アラビア−タ」と、お菓子だった。
 トマト缶を開けるのを手伝ったが、缶切りが日本のものと全く違っていて、初めは使い方がよく分からなかった。

ヘイゼルの相棒・ジョージョーがお手本を見せてくれて、何とかクリア。

全部で80人分くらいの食事を、だいたい3,4人くらいで作るようだ。(毎日違っていて、洗い物の時はもっと多い)

 イタリアンの美味しそうな匂いが 漂い始め、あらかた準備ができたところで、私は、他の授業を見に行かせてもらった。

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 ちょうど、「GEN STUDIES」という授業で、「麻薬」に関するビデオを見ていた。その恐ろしさがどういったものか・・・という。

この授業では、他にも様々なテーマについて、映像を通して現実を知っていくらしい(エイズや環境問題など・・・)

先生が、時々説明を入れ、子ども達は真剣に見てうなずいている。

 次は、「科学」の教室に行ってみた。これまた、みんな真剣な表情・・・。
先生が中心というよりも、子ども達と、先生との相互のやりとりで成り立っている。

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 しかし、途中で入り口とは反対のドアから、この前会ったチャーリーが水風船を片手に騒々しく入ってきた。

その途端、「チャーリー!!」と、先生・・・ではなく、子ども達みんなの叱責の声が飛んだ。

「ごめんごめん」と言って、彼はおとなしく座った。
 
そこから外に出ると、一人の少年が、大きな丸い板と角材を使って、木工仕事をしていた。

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「これは何?」と質問してみたが・・・答えてくれているのだが、残念ながらよく分からなかった(・・;)

そこで話をしているちょうどその時、目の端に何か色のついたカタマリが映ったかと思う間もなく、私の腕に

「ビシャッ」っと当たった。
(何なんだ〜っっ)

 「オーッッ!ソーリー!!」と、一人の少年がすっ飛んできた。

腕は少し濡れていたが、大したことはなかった。

そして、ひょっと見上げると隣りの建物の上にチャーリーが水風船を持って立っていた。

顔には笑顔をいっぱいに浮かべて・・・。

 「水爆弾がくるぞ」

他にも何人かの子ども達が同じように水風船を持ってあちこちに散らばっていた。

これはこの近くにいたら被害に遭いそうだと、とりあえず、違う場所に避難した。

なんとも楽しそうだが、、、

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これは、先生達はどう対処するのだろう?
 
もちろん、こういったことも「スクール・ミーティング」次第なのだった。


 さて、もうすぐスクール・ミーティングということで、事務所ではなにやらたくさんの印刷物が印刷されていた。

実は、この週が終ると来週からはしばらく学校はお休みになる。確か「ミッド・ホリデー」とか言っていたような・・・一週間くらいの短いお休みだそうだ。

そして夏休みはちゃんとまた別に7・8月ほとんど2ヶ月いっぱいの長期休暇となり、子ども達はもちろん先生達も長い休暇に入るらしい。

 その話を聞いた時、「日本では、夏休みも学校に仕事に行かなければいけなくて、お盆休みも一週間かせいぜい長くて2週間くらいだ」と言うと

「ええ?!一体子どもがいないのに何をするの?」とびっくりされ、

「そんな所にいないで、イギリスの学校にいらっしゃい」と、冗談まじりに言われた(^^ゞ

 実際、ヨーロッパの学校の夏期休暇は、普通の学校でもかなり長い。

そして、学校だけでなく社会全体でキリスト教の「安息日」の教えの影響からか「休むべき時は休む」という主義を徹底している。

 だからだろう、ヨーロッパの時間の流れは本当にゆっくりに感じる。そして、何より人との距離が小さく感じた。見知らぬ相手と、話を交わすのも、ごく当たり前のこと・・・。そう、その余裕を彼らは持っているのだと感じた。

 さて、二時半になっていよいよみんながミーティングルームに集まってきた。みんな部屋のはしに座って 中心に向かって円をえがくような感じで、思い思いの姿勢でリラックスして座っていた。ほぼ全員が参加しているようだった。

 ルールは以下の通り。

@意見がある人は挙手。指名権は議長にある。

Aその意見に対して意見がある場合も挙手。

B教師と生徒は同等な一票と挙手権を持つ。

C決定は多数決の場合もあれば、教師の話し合いに持ち越される場合もある。

 そして、議長らしき一人の年長の男子生徒が司会役を務め、会は進められていった。

正直なところ、英語力の関係で、電話の次に苦手なのが、この「会議(ミーティング)」だった。

状況判断ができないからだ。しかし、一生懸命聞いて、所々は何とか理解できた。

 それにしてもみんな積極的なこと!挙手の数が多くて、議長が指名を選ぶのに苦労している。

休み前のちょっとした管理の話や、その前に行くキャンプに関してなど・・・教師からも、生徒からも様々な議題が出された。

 そしてしばらくたって「水爆弾」のことが出てきた。(やっぱり出た!)

実質的に被害をこうむっているのは、近くの科学棟だった。
最初に意見を言った人は「みんなの迷惑になるから止めてほしい」というもの。

「EXAM(試験)勉強している人にとって特に迷惑」というものもあった。

当事者のチャーリー達の意見は、

「でもこんなに暑いんだから少しくらいいいだろう」

「場所を変えれば問題ないんじゃない?」

中間的意見としては、「森の向こうのグラウンドでやったら?」

「グラウンドが水浸しになるのも困るよ」などなど・・・。

結局、みんなの意見はまとまらす、先生同士の話し合いに持ち越されたようだ。

 最後に、今日印刷されていた白い何枚かのプリントが配られ、説明を受け、会は終った。

みんなはそれぞれ、バラバラに散っていき、学校中の様々な場所でその白いプリントと真剣な表情で向き合っていた。

 私も見せてもらったが・・・実はこれは「先生に関する評価」だった。

 授業を受けている全ての教師について10問ほどの問いがあり、それぞれBad(悪い)からGood(良い)までの5段階の中からの選択性と、別に「コメント・アドバイス」という空欄があって、自由に書けるようになっている。

 内容は・・・というと、

「授業の中で、ショーンはみんなを平等に扱いますか?」

「ショーンは、あなたの質問を聞いたり、答えたりしてくれますか?」

「授業の中でショーンの知識についてどのように感じますか」

などなど・・・

「どれくらいの頻度で、これをやるの?」とショーンに尋ねると、

「年に一度」と答えが返ってきた。

思わず「年に一度!」とリピートしてしまった。

(じゃあ、確率としてはすごい時に来たんだ・・・)
 
 この学校の光景として、仲間同士で教えあっている様子や、教師と子ども達が友だちのように親しく色々質問したりしている姿がほほえましいのだが、

この時も、初めてこのシートと向き合っている一番下のグループの子達が

「ねえ、これはどういうふうに書けばいいの?」と質問している様子があちこちで見られた。

子ども達は、「友だちのように」接しながら、ちゃんと教師のことを尊敬し、認めているのだ。

 大きな声で叱らなくても、「信頼関係」が成り立ち、「なぜそれをしてはいけないのか」みんなで考え、意見を出し合い、話し合う中で、子ども達はみんな納得する。

 「スクール・ミーティング」によって自治が成り立つには、お互いの「信頼関係」が不可欠であり、意思疎通が可能な、小さな学校だからこそできることだろうと思う。そして、先生達の「人間力」も、、、

(つづく)

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2017年06月16日

次の訪問先はどこ?!part.2 〜 電話かけまくり大作戦 〜 イギリスにて

サンドスクール3日目の訪問の前に、私にはやらなければならないことがあった。

「次の訪問先と連絡を取ること」これは、旅の間中ずっとある課題だった。

訪問をしながら、次の訪問先と連絡を取りつつ、交通手段、宿などを手配していく。

そして、遅くても2,3週間前には「訪問したい」という打診をしておかないと急な訪問は相手の迷惑になるから、できる限り早目に連絡をするようにしていた。(そうはいかない時もあったが)

 手段としては、まず、インターネットで調べてメールを送る。そして必要なら電話で話をする。というパターンだった。

 しかし、もともとそんなに英語力があるわけではない私にとっては、「電話」というものはよっぽどの時にしか使わない「最後の手段」だった。

 直接会って話をする分には、何とかなる。特に生活に関することは、状況や身振り、相手の表情とかでお互いに言いたいことがある程度理解できる。しかし、顔の見えない電話ではそうはいかない。

 しかし、その日どうしても私は、2つの連絡先と、直接話したかった。この町にネットカフェはないし、一つはメールを3度も送っているのに返事がない・・・でもどうしても訪問したい学校だった。
 
 こんな時どうするか。

@まず、前もってノートに自分が伝えたいこと、聞きたいことを細かく英語で書いてみる。

A「Sorry, I am not good speaker of English 」(ごめんなさい、私は、あまりよく英語が話せません。)ということを、話の前に相手に言っておくこと。そうすると相手も、ゆっくりと分かりやすく話してくれる。

Bそして、相手の言ったことが分からなかった場合は「I beg your pardon?」(すみません、もう一度お願いします。sorryだけの時も)と素直に聞くこと・・・分からないことをそのままにすることが一番信頼関係を損ねることになる。

・・・と電話1本かけるのに、すごい大冒険をしたようなエネルギーを使う。

 ちなみに、国際電話は普通にかけると大きな出費になるので、使うパターンとしては次のような優先順位でやっていた。

 @最も安い方法・・・スカイプ  WindowsXP以上のネット環境とマイクつきヘッドフォンが必要

 A次に安い方法・・・ブラステル国際電話 ピンコード式(会員のみ・自動クレジット払い)
          一般電話と公衆電話から使える
(北欧ではまだ使えなかった)

 B同じ国内とか近くの時・・・公衆電話

 C何もなくてせっぱつまった時・・・携帯電話

 そんなわけで、この時はB&Bの電話を借りて、ブラステルを使った。    

 まず1つ目、スイスの「エコール・ド・フマニテ」ここがメールの返事がない相手だった。

でも、スイスアルプスという恵まれた環境にある、この寄宿生の学校は、今回の旅の中でもっとも心惹かれる場所の一つだった。

ドキドキしながら電話をすると、どうやら事務所が2つあるらしく、「アメリカ式の方につなぎます」と言われた。(なるほど・・・それで返事が来にくいのだな・・・)

 あたたかい声の女性が電話に出てくれた。自己紹介をし、旅の目的を話し、単刀直入に、「訪問したい」旨を伝えると、一瞬の間があった後、「Yes」という返事だった。

(ほんとに?!心の中で大喜び)

どの日がいいか聞いてくれたので、希望の日程(6月の終わり頃夏休み直前)を伝えると、それでOKとのこと・・・やった〜!!

「ほんとに嬉しい。訪問を楽しみにしています。またご連絡します」と言って、電話を切った。やっぱり直接電話してよかった〜(^0^)

 次は、サマーヒルだった。

水曜日現在、すでに次の月曜にデンマークのオーフスに向かうべく予約をしていて、予定を組んでいたのだが、どうしても2週間後の訪問日に戻るのは効率が悪く、しかもスイスの予定がはっきりした今、そのさらに次の訪問日となると、これもまた無理が生じるのだった。

こうなると直接交渉しかない。
 
電話をして、事情を説明すると・・・「あなたは今週の金曜日に来ることができる」と言われた。

「ええ?!ほんとに?!」これは声を大にして言ってしまった・笑

 「本当にありがとう!」何度もお礼を言って、楽しみにしている旨を伝えて、電話を切った。

かなり急ぎ足の訪問にはなるけど・・・一番いい形になった・・・。

 やっぱり「直接交渉」の威力は大きい。

「電話かけまくり作戦」大成功!私は喜びいさんで、3日目の訪問にでかけた。

(つづく)

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ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜

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ちなみに、今はこちらの方がオススメかも(^^)



2017年06月13日

緑の芝生の上で、、、 〜 Sands School 訪問A 〜  イギリス、Devon州にて

2007年5月22日(火) サンドスクール訪問2日目

 この日は、午前中の休み時間(11:00〜15分間)明けから訪問させてもらった。

学校に向かって町を歩いていると、サンドスクールの学生らしい2人組の女の子が「ハーイ!」と笑顔で挨拶してくれた。

どうやら町のお店に買い物に行っているようだった。
 
時間割では、ドラマ(劇)という授業があって、しかも初日で仲良くなったヘイゼル達のクラス(Y3:14歳くらい)だったから、じっくり見せてもらうつもりで早々にその部屋で待っていた。

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 しかし、なかなか始まらない。担当はメリルという年配の女性だった。(彼女も20年ほどこの学校で教師をしているらしい)
そのうち何人かが集まってきたが、最後の2人は10分ほど遅れて入ってきた。
それはまさにさっき町で出会った2人組だった。
 
そして、さらにそれから10分ほど・・・彼女らはメリルの怒りに満ちたお説教を聞くハメになった。
(この旅の中では、後にも先にも、お説教らしいお説教はこれ1回くらいだったと思う)
どうやら、あの2人はアイスクリームを買いに行っていたらしい。
そして、劇の方はというと・・・もうすぐ発表会をしなければならず、一刻の猶予もならないという感じだった。

「あなた達は事の重要さをわかっていない」と、メリルはしめくくった。
 
そして、それを間で聞いていた一人が「だったら、さっさと練習しよう。この時間がもったいないよ」と言って、練習は開始された。

 さすが、それまでゆったりしていた雰囲気が、役に「入る」とともに真剣モードに切り替わった。 

演じる人数は、6人、舞台はどうやら第二次世界大戦、ナチスドイツ支配下にある強制収容所らしかった。
 
「私は、私たち家族は幸せだった。戦争が、ナチスが来るまでは・・・」

 ナチスの兵隊役のヘイゼルの演技は、特に見事なものだった。
堂々と、憎らしいまでにその悪役ぶりを表現してみせた。
そして、囚人役の子達もまた。自由をうばわれ、いつ死をむかえるか分からない悲痛さを、体いっぱいで表現していた。

 メリルの指導は、なかなか手厳しかった。時には自ら、舞台に上がった。

 私から見れば子ども達は十分がんばっていたように見えたが・・・メリルにとっては不満足な瞬間があった。

一人の子の「おなら」で、緊張の糸がゆるみ、みんなが笑い出してしまったのだ。
別にバカにするでもなく、ただ単に楽しんでいるように見えたが・・・メリルにとっては笑い事ではなかった。

 「あなた達には真剣さが足りない」と、一喝・・・時間がきて、子ども達は不満そうに部屋を出て行った。

私自身の感想(子ども達の演技に圧倒されたこと)をメリルに伝えて、私も部屋を出た。

 次は、その隣りの部屋でショーンを中心にミーテイングらしいものが開かれていた。
私が入ってもいいのかどうか少し迷ったが、大丈夫な様子だった。

 メンバーは、いつものクラスの集まりではなく、ぞれぞれバラバラだった。

後で分かったことだが、これは「スクール・ミーテイング」の前の「どんな課題があるか」といった、事前討議だった。

さすがに何もなしでいきなりだと効率が悪いからとのこと・・・。つまりここにいたのは、各グループの代表ということになる。

 内容がすべて理解できたわけではないが、なるほど、小さな学年の子も臆せず、言いたいことを言っていた。

そして、それぞれに「責任」というものをしっかり意識していた。時々、先生達のことも話題にのぼっていた。

ちなみにさっきのドラマの件も、Y3の代表の子がメリルに対する不満を打ち明けていた。

学校で起こっていることはみんなで共有できるというわけだ。

 最後にショーンが、「だいたい内容はこれくらいかな」としめくくり、

「今日は天気がいいから、芝生を楽しんでおいで」とみんなに声をかけ、解散した。

 この日は、本当にお天気がよくて、ランチはみんな外の芝生の上やテラスで食べていた。

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空はどこまでも青く、時々白い雲が筋状に流れていて、上空の風の強さをうかがわせた。

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ぽかぽかの陽気・・・芝生の上にお互いにもたれ合いながら横になったり、ギターを弾いている姿もある。

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大地のあたたかさと、仲間の体温に触れることで、子ども達の心は安定しているように見えた。

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 あまりにシアワセそうなので、見ている私もうれしくなる光景だった。 



さて、午後のアートの授業を見学していた時のことだった。

どうやら最近入ったばかりらしい女の子のそばに母親らしき女性が座っていた。

興味をひかれてじっと見ていると、彼女の方も、日本人である私の方に興味を示しているようではあった。

 しばらく自分の娘の様子を見て、話をした後で、彼女は席をたって外に向かった。

私は、せっかくなので彼女の後を追って「ちょっとだけお話できますか?」とたずねると、「Yes」と言ってくれた。 

 単刀直入に、この学校のことをどう思っているかを聞いてみた。

「娘は気に入ったみたいだし、私もいい学校だと思うわ。」
たとえばどんなところがかを聞いてみた。

「ここでは何でもスクール・ミーティングで決められるの。先生も、生徒も平等な一票を持っているのよ」

そして彼女は、逆に私に、質問してきた。

私は、自分の旅のことを話した。

すると彼女は「すばらしい!」と言って、
「私も、娘のために色々な学校をまわって、見てみたの。そして、娘と二人でここに決めたのよ。
 彼女がここを気に入ってくれてよかったわ。」

そして「シュタイナー学校にはもう行った?」と聞かれた。

「いいえ、知らなかった。ここにもあるの?」

 と聞くと、彼女はうなずいて、住所と電話番号を書いたメモをくれた。お礼を言って、彼女とは別れた。
*切符と日程の都合で、ここでは訪問できなかったが、この後、ちょこちょこと耳にすることになる。

(つづく)

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