最寄り駅周辺の繁華街では、少しずつですが店を開けるところが出てきました。
いろんな意見があるでしょうが、実店舗を構える人には生活があり、家族や従業員1人ひとりの生活も当然あるのでお店を開けるのは個人的には賛成です(ギャンブルや酒は好きではないので、そこは閉じていてもらいたいところですが…)。
リラクゼーションサロンもぼちぼち営業を始めているところもあるようです。
東京も6月にはさすがに緊急事態宣言を解除して、一部の三密が予想される業界に釘を刺す程度に緩和されていくのではないかと思います。そうなると、私の1ヶ月以上におよぶ自粛も終わりを告げて仕事再開となるでしょう。うーん、働きたくないわあー。。。
自分の価値観を認識するものの…?
今まで主にサービス(接客)業に従事して「自分の不得意である分野=対人コミュニケーション」に慣れて人生をイージーモードにしようと10年やってきましたが、この自粛期間を通じて「もう、いいかな」という気持ちになっています。
手技療法の世界に飽きたわけではないですし完全に辞めるつもりはありませんが、四六時中不得意な接客に勤しんで日銭を稼ぎ、お客様来るかこないかわからない不安定な仕事に人生の大半をベットするのは30代半ばの今がピークなのかな…と。
仕事がある日々から離れ、時間ができると色々思い浮かぶものです。
「じゃあ、お前になにができるっていうんだよ?」と自問すると…なのですが。
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とりあえず試すしかない。後悔とは…
最近は請け負っていない「ライティング作業」をはじめとした複数の趣味を同時に行なっています。イラストを描いてみたり動画を撮ってみたりプログラミングを学んでみたり…。
「おいおい、その年齢で始めてどーすんだ?」と”常識“という不明瞭な概念が私の理性に訴えてきますが、
「始めないかぎりはわかりようがない」のが純粋なる事実だと知っているので手を動かすのみです。
少なくても手を動かしているうちは健全でいられます。
先日書きましたが、2年間お世話になった店が廃業になった場所に立ち寄った際のあの光景が1つのドーピングになっているのもあります。きっと今やれることをやらないと後悔することになるだろう、と…。
”成功“の定義は人それぞれですが、大半のものは”成功“に届くことなく潰れていきます。それは仕事の話だけでなく趣味や生活、自身の理想から考え方までも…。「こうであるはず」という常識は簡単に破壊されるし「こうであってほしい」という願望のような思いこみは一瞬で吹き飛ばされます。
人はその思いこみを「事実」にしたいがために行動にうつさず”常識“として曖昧にし、生涯を終えていくのでしょう。当然、私にもそういった部分はあるでしょうし完全に思いこみを消すことはできません。
ですが、やらない後悔はやった後悔よりも深く、永続的に続いていきます。
「あの時、ああしていれば…」と思うこと、ありませんか?
その記憶はかなり前のものであっても鮮明に思い出すことができませんか?
後悔はその後の行動に多大な影響を与えるものです。
良くも、悪くも。
今を”チャンス“にする作業
前職からの付き合いである元院長は、結果として廃業に至りましたがおそらく一定の満足を得ているのではないかと思います。
事業をたたむ結果に終わったのは無念であることは間違いなくても、前職の役員のキャリアを捨てて起業する選択をしたことに後悔はないんじゃないかと想像できるのです。
あのままあの場所で悶々としながら仕事をしてキャリアを終えたとしたら、一生残る後悔を抱えながら生きていくことになったと思います。その後悔はやがて風化するかもしれませんし、楔として心に刺さったまま生きることになるのかはわかりません。どちらがいいということでもないでしょう。
でも、自分だったらそれはイヤだな。
…と、この自粛中に実感したので、私は手を動かすことにします。
さまざまなところで停滞が起こっていますが、「あの時がチャンスだった」と言えるようにいまを必死に生きるしか後悔を減らす方法はありませんよね。
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セラピストとしての体験談/"住みたい街"で働くフリーの施術屋|H=ヒカリ|note(ノート)
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痩せ型人間が「自重筋トレ」でどこまで身体が変わるか検証『H=HIkaRIの自重筋トレ日報』
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