アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2011年03月19日
東北関東大震災
東北関東大震災(東日本大震災)


3月11日 大きな地震発生。
車中信号待ちの時、大きな揺れを体感した。
車の中でも相当大きな地震と感じたが、外にいる人を見ると立ってられないというより、アスファルトにしがみついているように見えるほどの大きな揺れでした。
遠くではスギ花粉がみるみる空に舞い、黄色い煙が漂っているような感じでした。

道路には割れ目や段差が生じ、瓦が落ち塀が倒れ歩道や道路に散乱しているところもありました。

自宅の様子が不安だったので帰宅してみると、いわき市の山の方ではさほど揺れも少なかったのか、自宅に関しては外傷もなく水・電気も大丈夫でしたので、一安心。

今度は事務所が気になり戻ろうとしたが、渋滞につかまりそれを避けるために脇道に行くと、今度は火災現場に遭遇。(ラジオではいわき市内で同時に4ヶ所の火災が発生との放送があった。)

さらに火災現場を避けるように脇道に入ると、道路が地震で凸凹になり電線は切れて垂れ下がっている状態。なんとか抜けて、小さな橋と道路の割れ目と段差を越えて抜けるが、あえなくまた渋滞に。少しづつしか進まない状態で、時間がかかったがさらに脇道に抜けて山の方へ向い、遠く迂回して自宅に戻る。自宅に戻る途中、事務所へ連絡し、今すぐ帰るように指示を出した。

南相馬市の実家に連絡するも、携帯電話はつながらない状態。

大きな余震も多く、夜は、念のため家から離れた庭先に車をとめ、車中に家族全員で就寝。


3月12日 事務所が気になり...
早朝、事務所の様子が気になり行ってみたが、物が少し飛散している程度でまた安心。
公衆電話からだと比較的連絡が取りやすいとラジオの情報があり、公衆電話にて実家に連絡すると全員無事とのことで、ほっとした。ただ、海沿いの親戚の家は流されていた。
本社へ電話を入れ社長や社員の安否を確認し一安心。

家に帰り改めて、地震の後の津波の被害を見て、その被害の大きさを見て愕然...

3月13日〜15日
テレビで原発状況や被災状況をテレビでみる。

3月16日 買い出しに。
多分この頃には、原発より20km以内は避難、20km〜30km以内は屋内退避となっていたと思うが、背に腹はかえらられないので、家族のためにも買い出しに行くことにする。
いわき市内の状況を確認しながら、スーパーへ到着するが、すでに人が並んでいる状態。50人ずつの入場制限で、最後の50人に並ぶことができ食料を買うことができた。ただし、牛乳は売り切れ、卵は一人1パックまでなど規制があるうえ、すでに欲しいものは売り切れ状態となっていた。ともあれ、最低限必要なものは買えたのでよかったが、今後の不安が付きまとう。

3月17日 社長より電話あり
「まだいるの?」とすでにいわき市から避難し関東に落ち着いてからの電話らしいことに、腹を立てつつ、仕掛っている仕事の現状を報告。電話を切った後に「市の職員も警察もすでに逃げてるんだから、テレビ見てるの?」と言われたことを思い出し、どこでそんなニュースやってんだよ!24時間テレビ見てるし、第一、逃げだして落ち着いてから連絡よこすんじゃないよ!!と怒り心頭となるが、給料どうなんだろう?...社員のことこれっぽっちも考えてないね。絶対こんな会社辞めてやる!

※このブログもいわきみんぷーもホームページ作成も趣味と実益を兼ねてアルバイト程度にやっており、本業は会社員です。もちろん会社には内緒ですけど...

突然、知らない携帯番号より連絡が入る。中学時代の同級生からだった。南相馬市にある中学の同級生である。涙が出そうになった。中学の同級生の安否を確認しているとのことだったが、思うように連絡が取れないらしい。一瞬中学の時の記憶が甦った。

3月18日 ヨウ素の薬を配布されて
18:30頃、いわき市の方がヨウ素の薬を配布してくれました。その際に、いわき市内から自主避難で県外に行っている人が増えている話を聞きました。また別情報で、市内の7割〜8割の人たちが県外に避難しているという地域もあると聞きましたが、市の職員の方々は勝手に避難できないとのことでした。

いわき市の場合、屋内退避地域の20km〜30kmに北部の一部は該当しますが、大半は30km圏外です。いわき市にある合同庁舎で放射線を測定していますが、福島市よりも低くしかも少しずつ減少しているようです。
原発のある双葉郡より避難しいわき市内の病院等に受け入れられている方もいるという状態です。

しかしながら、この時点で、私は悩みました。
このままいわき市に残った場合、今の会社は機能しないと思えること、県外に避難したとしてもいつまでも避難先の方のお世話にはなれないこと、ホームページ作成とか自分でできる仕事を始めたり、地元の会社に就職できたとして、今後のいわきの市場がどうなっていくのかという不安。
当座、給料が見込めない状態で、数万円の手持ちしかない状態でどうするか?

家内と話し合い、いわき市が避難命令を出さない限りは、ここで頑張ろうという結果に致りました。

3月19日 原発の状況
多くの人が原発事故を収束するために頑張っています。
いわき市内は放射能に汚染されているように感じる方もおられると思いますが、そうではありません。南相馬市や田村市も同じ状況ではないかと思います。
ただ、配給や支援がない状態で、自力で生活しなければならない人がいます。物流が回復し食料に困ることがなくなってきても、お金がありません。お金は仕事がないとだめです。今、いわき市内はそういう状況になってきているように思います。

正直、私には今現在仕事もお金もありませんが、原発がこのまま安定していくこと、地域がなるべく復興しやすい状況になっていくことを願います。(会社辞めたわけではないですが給料が出ないのでは、税金や毎月の支払をどうするか、悩むところです。)

原発の事故を収束するため命がけで頑張っている方もいらっしゃいますが、私も家族(家内・子供)を守らなければなりません。

だからこそ、多くの地域の人のため、原発で命がけで戦っていただいている多くの方に感謝しております。

Posted by ちりとまと at 15:21 | 社会 | この記事のURL
<< 2011年03月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
リンク集
カテゴリ別
最新の記事
プロフィール

ちりとまと
https://fanblogs.jp/estasir4/index1_0.rdf



×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。