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2015年05月15日

災害や災難と神、人間との関係

災害が起こった時、われわれ人間はそれをどう受け止め、何をするべきなのかという問いで前回は終わった。
今回はそれについてヨブ記からひも解いてみようと思う。

古の先人らは災害や災難が起こった時には「天罰が下った」と解釈してきたと前にも述べだ。その際には神を畏れ、身を慎み、自らの不徳を恥じ、我々の穢れを祓うべく反省をして禊をしてきた、とも述べた。
また、神への畏れを失った現代人は災害や災難に直面しても身を戒めることを決して行わず、逆に「これが神の仕業なら、神様なんていない方がいい」などと神を罵るようになるとも述べた。

なぜそう思うのか。それは災難で被害を被った側も、それを傍から見ている側も「我々には落ち度がない」と思っているからに他ならない。雪道で「ちょと危ないけど急いでいるからスピード上げてさっさと帰ろう」と考えてスピードを出して運転していて、スリップして愛車を木にぶつけてしまったなどという事故のような災害や災難というものは、自分が犯した悪事(この例では危ないとわかっていながらスピードを出した)についての結果と理解することができれば、「自業自得だ」と納得することもできる。(「いや、滑ったのは車のトラクションコントロールがきちんと作動しなかったからだ!」などと人のせいにして納得や反省をしない人もいるだろうが)しかし、本当に自分は何も悪いことをしていない(少なくともそう思っている)のに、「不運」にも、「理不尽な」災害や災難に直面した時、我々は「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか!」と怒る傾向にある。
また、その様な災害に遭い、怒ったり悲しんだりしている人たちの周りでは、そのような人たちに寄り添うことなく、「何か悪いことをした報いだ」とか、「これはかくかくしかじかの理由でこうなって云々」と実況中継したりするとか心無いことをする人間がいたり、またはそれを支援するつもりが支援している自分に自己満足することで、知らぬ間に「支援してやってんだぞ」というようになる者まで出てくるしまつである。

しかししばし待ってみたい。罪人である、完ぺきではない人間に対して、慈悲深い神がその独り子であるイェシュアを通じて悔い改めの道を示しているのに、人がその悔い改めを促す差しのべられた手をつかみ自らの罪から赦される事を選ばないのならば、いずれ神があらかじめ耐え忍ぶとしてきた期間が過ぎた時にはその罪の罰が自分に下るのを至極もっともな事だと理解できないのだろうか。それこそ、前述のごとく「自業自得」として納得すべきものではなかろうか。災難にあった人からは、「俺は罪を犯したことはない!」と反論されそうだが、ではその前に神自身が「彼のように潔白で正しく、神を畏れ、悪から遠ざかっている者は一人も地上にいない」とまで言わしめたヨブの事例を見てみよう。

「私はヨブよりも潔白だ」と言う者は、神を嘘つき呼ばわりする事になること(これは明らかに罪なのだが)を十分に心してヨブ記を読んでみてもらいたい。また、そのような被災者に対して前述の態度をとる者も、ヨブの周りでだれが何をしたのかをよく読んでみてもらいたい。

大富豪であったヨブは、行いや人格にも欠点がみられない素晴らしい人物であった。

ヨブ記1章6〜12節
ある日、神の子らが主の前にきて立った時、サタンも来てその中にいた。
主はサタンに仰せられた。「お前はどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回ってきました。」
主はサタンに仰せられた。「お前は私のしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者は一人も地上にはいないのだが。」
サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を畏れましょうか。
あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との周りに、垣をめぐらしたではありませんか。あなたが彼の手の業を祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かって呪うに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をお前の手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。


この後、サタンはヨブの財産や部下と7人の息子と3人の娘の命を強盗や略奪、災害などにより奪い去った。
そのあとにヨブのとった行動はこうである。

ヨブ記1章20〜22節
この時、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
そして言った。
「私は裸で母の胎から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。」
ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。


はたして非常に裕福な者がその財産や子をを失った後に、このヨブのように神を礼拝し、愚痴の一つも言わないことができるのだろうか。いや、裕福でない平凡な一般市民でも、その少ない財産を失った時に愚痴をこぼさないでいられることができようか。このことからでさえもいかにヨブが主を畏れ、正しいことを行う義人であったことが十分にうかがえる。しかしサタンはまだ諦めない。

ヨブ記2章1〜10節
ある日のこと、神の子らが主の前に来て立った時、サタンも一緒に来て、主の前に立った。
主はサタンに仰せられた。「お前はどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回ってきました。」
主はサタンに仰せられた。「お前は私のしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者は一人も地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。お前は、私をそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」
サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮を持ってします。人は自分の命の代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
しかし、今あなたの手を伸べ、、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたを呪うに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼をお前の手に任せる。ただ彼の命には触れるな。」
サタンは主の前から出ていき、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。
ヨブは土器のかけらを取って自分の身を掻き、また灰の中に座った。
すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神を呪って死になさい。」
しかし彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、災いをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。


今度は彼の健康が損なわれ、全身腫物に覆われて見るからに悲惨なありさまとなった。その上、この世で人生を共に生き抜けるよう神から与えられた妻ですら、「いい加減もうあきらめたら?」と悪魔に屈服することを促すような状況にまで陥ってしまう。ここでの妻の状況は、妻が悪魔の手先となったと見るよりも、最後の最後まで見届けたくてもそれすらかわいそうで、もう死んだ方が楽になるのではと思われるぐらい悲惨な状況であったという事であろう。
たとえて言うなら、ずたぼろになりながらもリング上で死闘を繰り広げているボクサー(ジョー?いや、年代がばれるか。ロッキー?)に、セコンドが「立て!立つんだ!」と応援する事があまりにも酷で、もうリングにタオルを投げ入れようとしているのを、ぼこぼこに殴られながらも「待て!これはボクシングなんだ。相手にパンチを浴びせるのだから、相手のパンチをも受けなければならないではないか!」とボクサーがセコンドに叫んでいるという状況か。(いや・・・あまりにも下手な喩えで自分でも嫌気がする。)それを100万倍したぐらいの状況だと考えてほしい。

ここで目に留めたいのは、実は神ご自身がヨブは潔白で、誠実を保っているにもかかわらず、サタンが何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたと述べていることである。神はこのような災難が起こったのはヨブが何かをしたからではないと知っておられるのである。(ヨブはそれを知らないから苦しんでいるうえ、同じようにそのことを知らない彼の友人が、「もしかしたらあなた何か罪を犯したんじゃないのか、悔い改めろ。」と言ってヨブをこの後悩ませる。)

ここで突然だが、イェシュアの言った言葉を見てみたい。

ヨハネの福音書9章1〜3節
またイェシュアは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイェシュアに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、その両親ですか。」
イェシュアは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業がこの人に現れるためです。
私たちは、私を遣わした方の業を、昼の間に行わなければなりません。誰も働くことのできない夜が来ます。
私が世にいる間、私は世の光です。」


その後、この盲人はイェシュアの奇跡により目が見えるようになる。

しかし、ここで見てみたいのは、先天性の視覚障害といった「不運」な事象について、事の道理を分からない未熟者の弟子たちは、人の考えに基づき、「このような災難は誰かが犯した罪の結果なのではないか」と考えているのに対し、イェシュアは「そうではなく、神の業がこの人に現れるためだ」と言っているのである。
ヨブの3人の友人も、そのような弟子と変わらない考え方で、神が潔白であると認定しているヨブに対して「何か罪を犯したんじゃないのか」とその不幸の理由についてああだこうだと問答しているわけである。

そのような悲惨な目に合っている中、ヨブが友人に対し一つ求めている物がある。

ヨブ記6章14節
落胆している者には、その友から友情を。
さもないと、彼は全能者への畏れを捨てるだろう。


災難に遭った人たちに対して我々がどのような態度をとるべきかという答えは、このヨブの言葉に凝縮されている。共に悲しみ、共に祈る事が望まれているのであり、そのような災難が起こった原因を穿り返し、傷口をさらに広げるという事が求められているわけでは決して無いという事である。そのような愛の行いをすることこそ、イェシュアの言う「神の業がこの人に現れる」ということに他ならない。

一方、災難に遭ったヨブは神からの説明を切に望み、「なぜだ!なぜだ!」の答えを得ることになる。
その答えは、以下の通りだ。

ヨブ記38章1〜2節
主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
知識もなく言い分を伸べて、摂理を暗くするこの者はだれか。

ヨブ記40章1〜2節
主はさらに、ヨブに答えて仰せられた。
非難する者が全能者と争おうとするのか。
神を責める者は、それを言い立ててみよ。

ヨブ記40章6〜14節
主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
私はあなたに尋ねる。私に示せ。
あなたは私の裁きを無効にするつもりか。
自分を義とするために、私を罪に定めるのか。
あなたには神のような腕があるのか。
神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。
さあ、誉れ、気高さで身を装い、
尊厳と威光を身につけよ。
あなたの激しい怒りを吐き散らし、
全て高ぶる者を見て、これを低くせよ。
全て高ぶる者を見て、これを押え、
悪者どもを、その場で踏みにじれ。
彼らを共に塵の中に隠し、
その顔を隠れたところに繋ぎ止めよ。
そうすれば、私はあなたをたたえて言おう。
あなたの右の手があなたを救えると。

ヨブ記41章10節後半〜12節
だから、だれが一体、
私の前に立つことができよう。
誰が私にささげたのか、
私が報いなければならないほどに。
天の下にあるものは皆、私のものだ。
私は彼のおしゃべりと、雄弁と、美辞麗句に黙っていることはできない。


神はヨブに、「お前にはこれがわかるのか。お前にはこれができるのか。」と様々な神秘的な、奇跡的な神業の数々を見せ、ヨブに対しこれらがわかるのか。これらがお前にできるのかと問うことで、潔白ではあるがただの人間であるヨブが神ではないことを示し、人としての立場をわきまえさせたのである。ヨブはそのような恐ろしくも神々しい神業を見せつけられ、やっとこう答えるしかできなかった。

ヨブ記40章3〜5節
ヨブは主に答えて言った。
ああ、私はつまらない者です。
あなたに何と口答えできましょう。
私はただ手を口に当てるばかりです。
一度、私は語りましたが、もう口答えしません。
二度と、私は繰り返しません。

ヨブ記42章1〜6節
ヨブは主に答えて言った。
あなたには、すべてができること、
あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
知識もなくて、摂理を覆い隠した者は、誰でしょう。
誠に、私は、
自分で悟りえないことを告げました。
自分でも知りえない不思議を。
どうか聞いてください。私が申し上げます。
私はあなたにお尋ねします。
私にお示しください。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ、
塵と灰の中で悔い改めます。


何たることであろう。神自身がも潔白な人だと認めているヨブが、自分をさげすみ、塵と灰の中で悔い改めます。と言っているのだ。私はヨブの足元にも到底及ばない黒羊の分際で、しかもヨブが体験したような凄まじい災難に遭ってもいないし、単に自分の思い通りにならない事があるだけで、すぐに神に対し「なぜだ!なぜだ!」と叫んで憚っていない・・・
私は本当に悔いて改めなければならない。
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