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2023年11月29日

長時間座ったままの仕事で健康を害し改善した記録

ここでは、自分の長年の経験を元に、長時間座ったまま仕事をする方が今後、健康を害することがないよう、少しでもお力になれればと思い述べさせて頂きます。

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プログラマー、動画編集者、経理、データ入力などに従事する方は長時間座ったまま作業をすることになると思います。

私もかつてプログラマー、サイト作成、経理、記事作成などで座ったまま一日を過ごした経験があります。

今はできる限り、座ったまま長時間が過ぎないよう気を付けていますが、それでも一日の半分は座っています。そのせいで病院に行く事態に何度か見舞われてしまいました。

最初に起きた不調


最初に起こった体の不調は胃の痛みです。胃の痛みを感じるようになり、1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月と経ち、一向に治る気配がないため、病院に検査に行きました。

最初の病院では、胃カメラで検査をしましたが、何も異常が見られませんでした。大きな病院の紹介状をもらい、精密検査を受けることになりました。血液検査、レントゲンなど何時間もの検査を受けて、最後に伝えられた言葉は・・・「姿勢じゃないですかね」

長時間座ったままで仕事をしていると、背骨がゆがんだ状態になりやすいのです。そのゆがんだ状態が胃のあたりの内臓を圧迫して痛みを感じるのではないかという結論でした。

それからは、姿勢を意識して正すようにした事で嘘のように胃の痛みが治ってしまいました。

二度目に起きた不調


数年後、2回目は腰です。少しづつ腰の痛みを感じるようになり、2年ほど苦しみました。突然の痛みで倒れてしまうようになり、最後はまともに歩けない程でした。

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意を決して病院に行きましたが、先生から最初にかけられた言葉は「痛みを和らげることはできるけど、腰は治りませんよ。」です。この言葉に絶望しました。現在、私は医者を信用できないでいます。それは、この時かけられたこの言葉の為です。全ての医者を信用していないわけではありませんが、医者を選ばなければ治るものも治らないと悟りました。


椅子に座ることも、歩くことも困難になり、色々な情報を得て、たどりついたのが、一冊の本です。そこには自分で腰の痛みを治す方法が書いてありました。詳しくは書きませんが、概ね書いてあった事はたった一つです。ペットボトルやクッションを股に挟んで内側に力を入れるというものです。

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結果は…完全に魔法でした。2年もの間、苦しんだ腰の痛みが一瞬で治ってしまったんです。医者に治らないとまで言われた症状が、たった一つの所作で治ってしまったんです。私が医者を信用できなくなったのもお分かり頂けるかと思います。薬もいらなければ、通院する必要もありません。医者からしたら、この事実を知られたら商売あがったりだと思います。

座りすぎで骨盤が脊椎を圧迫した状態になってしまったのだと思います。それからも、少し痛みが出たら寝る前にコレをするようになり、完治する事が出来ました。

三度目に起きた不調


そうこうして、それから10年くらいが経ち、起こった不調は、帯状疱疹と頻尿、膀胱付近の痛み、腹痛です。帯状疱疹は左足のすね。痛みは左足の付け根付近です。帯状疱疹は5年以上苦しみました。突然かゆみだし、ダメだと分かっていても血が出るまで掻いてしまうのです。

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これも、ある程度原因が分かりました。それは血流の停滞です。姿勢が悪いのと、座ったままで長時間過ごすので、足への血流が悪くなってしまっていたのです。その原因が内臓の下落。運動不足による下半身の衰えで、内臓を支える筋肉が弱くなっていたのだと思います。

これも本を何冊か読んでたどり着きました。実践した対策は、腸モミ、生姜湯、姿勢を正すことです。毎日、内臓を上に持ち上げるようにマッサージすることで、膀胱付近の痛みと腹痛が減りました。生姜湯を飲むことで、足の冷えが無くなり帯状疱疹もほぼ完治しました。ちなみに生姜湯は、毛細血管を拡げてくれると言われています。最後に、寝る前に背骨の付け根付近を伸ばす所作を行いました。これも本に書いてあった事を実践しました。そして、全てを実践したことで不調がほぼ改善したのです。

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本に書いてあることばかりを述べて申し訳ありませんが、人生の健康で最も大事な事を述べさせていただきます。

それは「血の巡り」です。血流を止めないよう体にゆがみをつくらない。血管が収縮して血流を止めないよう体を冷やさないことです。また、ストレスでも血管は収縮してしまいす。

風邪を引いたり、体に不調をきたすのは、体が冷えたり、ストレスで血流が悪くなり、免疫が体の細部まで運ばれなくなるからです。血液は必要なものを体の各部へ運んでくれ、老廃物を運び出してくれています。止まればどうなるかは容易に想像ができます。

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これを知っていれば、不調が表れても改善できるヒントになると思います。

ちなみに、パソコンの不調の原因の引き金は「空気の流れの滞留」です。パソコンは熱を外に排出しなければ故障しやすくなります。コンデンサが膨張したり、熱により性能が落ちたり、ファン回転数異常、基盤の劣化などが起きます。長年、パソコンを修理してきて、壊れやすいパソコンは排熱性能が悪いという事に気づきました。自作する時は、ファンは必ず冷却性能の高いものを選び、空気の流れを意識して製作します。

人間は「血の流れ」パソコンは「空気の流れ」が命と言えます。

posted by エコ8 at 20:15| 回想日誌

2023年09月30日

世にはびこるイカサマに立ち向かうために

そう、あれはさかのぼるところ数十年前、スマホもインターネットも無い時代。わたくしが小学校低学年の出来事です。純粋無垢な少年が世の不条理、イカサマの洗礼を受けたお話です。

比較的バカ正直者だった私がイカサマに気づくきっかけは、いつも優しく接してくれるクジ屋のおじいちゃんでした。

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箱の横についているボタンを押すと色のついたガムが1個、コロンと出てくるのです。赤い玉が出たら100円。青色の玉が出たら50円。好きなお菓子と交換し子供にできる精いっぱいのギャンブルを楽しんでおりました。

色々な大きさのスーパーボール。私たちは当時ピンポン玉と呼んでいました。クジを引いて良い番号を引くと大きなスーパーボールが獲得でき、クジ1回の金額が比較的高く、これも子供にとってはギャンブル性のあるクジでした。これらはみんな昭和の時代のクジ屋さんの思い出。

当時、ファミコンが発売されたばかりの世。当時の携帯電話機なんてものは、今の人が見るとコンクリートブロックを持ち運んでいるのか? というくらい大きかった時代。

そんな時代に少年が、歴代もっとも高いギャンブル性のあるクジと対面することになりました。それは「鉱石ラジオ」クジ。スマートフォン5個を重ねたくらいの大きさがありました。今の世なら百円ショップに行けば、買えてしまうような景品ですが、昭和時代の少年にとっては目を輝かせるような魅力を備えていたのです。

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クジ1回の値段は300円。小学校低学年の懐事情を簡単に破壊できる価格設定です。月のお小遣いが1500円のわたくしにとってもそれは、とてもハードルの高い挑戦でした。

クジの数は100個。当たりのラジオは2つ。1等と3等が鉱石ラジオ。2等は何故か「おもちゃの銃」。わたくしにとってハズレに分類される景品です。2つのラジオに全てを集約しているのでしょう。その他の景品も300円にしては、どれもハズレと言えるものばかりでした。

正月から数日が経ったある日。日本全国の小学生のふところ具合が1年で最も良い時です。かく言う小学生の私もクジに挑戦するには格好の日より。お年玉の数千円を握りしめ、クジ屋に突撃したのであります。


高いクジなので、ほとんど引かれておらず、ラジオも2つ残ったままでした。1枚、2枚、3枚…、20枚ほどを引きましたが当たりを出すことはできませんでした。確率を良く分かっていなかった自分が恨めしく思えてきます。あと、6000円あれば、当時でもラジオくらい買えたのではないかと今では思います。

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小学生には大金である6000円程を一瞬で無くしてしまった悔しさと、この事を親などに話したら怒られるんじゃないかという恐怖に押しつぶされそうでした。今でもトラウマとなっています。

それから数日経ったある日。クジ屋の近くを歩いていたら、そこのおじいちゃんが手招きをしていました。大金を使い果たした事を申し訳なく思ったのでしょうか。それとも小学生低学年の上得意への接待でしょうか、50円ほどのお菓子を差し出してきました。悔しい気持ちが再び燃え上がりました。生意気な私は「いらない」と接待を断って去ってしまったのを覚えています。

忘れようと努力していた糸が、この時プツンと切れる音が聞こえた気がします。気が付くと、家に帰り追加補充されたお年玉を握りしめ、クジ屋に再突撃しておりました。

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人間はこうやってギャンブルにはまってゆくのでしょう…。なんて早熟なギャンブル中毒。クジ屋のおじいちゃんは、ギャンブル中毒になりつつある小学生低学年の小僧を目の前にして、やめさせようと説得したのか。それともいい勉強だと、とことん使い果たさせたのか。頭に血が上りすぎていたため、当時の事を思い出せません。

数千円を握りしめているので、10回はできる計算になります。突撃した割には、最初の挑戦よりも弾数が少ないのは、臆病心です。気合を入れて挑んだ一発目。なんと1枚目で3等を引き当てました。あまりの嬉しさに涙が出そうになりながら喜びました。そうして「当たったよ」と言ってクジを見せたのですが…、おじいちゃんの顔はそれに反して残念そうな表情をしていました。

クジを1枚しか買っていない客が当てたのではありません。このクジ一番の上お得意様。しかも、ちゃんとお金を貢いだ後なのです。それなのに困ったような顔。子供ながら、この状況を不可解に感じたのを覚えています。


おじいちゃんは「ああ、おしいね。三等はこれだよ」と言いながら、どう見てもハズレのおもちゃの銃を指差しやがりました。明らかに銃の下には2の数字が書いてあるにもかかわらず。ラジオの下にもちゃんと3が書いてあります。

いくら小学生とは言え、「誰が見ても明らかな状況を、騙し通せると思うなョジジイッ」と、思ったか思ってないかは、今は思い出せませんが…。

「こっちが3等だよ。ほら、ちゃんと下に書いてあるよ」「いや、でもね違うんだよ」というやり取りをおおよそ10分程はしたでしょうか。

折れない小僧に負け、しぶしぶラジオを渡してくれました。10分間のやりとりで、小学生ながら感づいたことがあるのです。おじいちゃんは、口を滑らせ、当たりは入っていないというニュアンスの話をうっかりしてしまったのです。

本当は 0/98 の設定にしていた「イカサマクジ」でした。それを私が当たりを引き当ててしまったのです。店主の設定ミスのおかげで…。これが第二のトラウマとなりました。

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やっとの事で当てたラジオですが、うれしくて毎日のように聴いておりました。寝る時も横に置いていた記憶があります。しかしあまりにもいじくりすぎて半年も経たずして壊れてしまいました。

私にいくつものトラウマを生み出したクジ屋。それ以降、そこには行くことは無くなってしまっておりました。数ヵ月が過ぎたある日。友達に比較的に裕福で、小学生の分際でお小遣いを月に数万円もらっている花輪くんのような社長息子がおりました。その子からある話を聞いたのです。

「そのクジ屋でスーパーボールのクジを全部引いたけれど、1等は最後まで出なかった」と言うのです。「結局、おじいちゃんに1等のでかいボールを300円で売ってもらった。」と、いう話でした。花輪くんは騙されたというよりも、自慢っぽく話しておりましたが、私は、「ああ、やっぱりそうか」と、怒りよりもむしろ納得しました。

私が小学生低学年にして、「大人はイカサマをするもの」と、気づいた瞬間です。

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この事がきっかけで全ての事をまずは「本当に大丈夫なのか?」と疑って入る、ちょっとひねくれた大人へと成長してしまいました。

しかしその性格せいで何度もイカサマに気づいて回避する事もできました。太刀打ちできないイカサマと疑わしい案件には近づかないよう、心に刻んでいるおかけで荒波もかいくぐって生き残れたと言えます。

ついこないだ、車の販売修理を行ってる会社の不正がニュースになりましたし、産地偽装・横領・詐欺のニュースが絶え間なく報道されています。これは氷山の一角で、もっと想像以上の人間がイカサマをしています。

将来、事業などを計画されている方は、是非とも世のイカサマに惑わされないよう気を付けてください。

その後の、クジ屋には続きがありますので少し語らせて頂きます。私は小学生高学年になり、クジ屋には行くこともなくなっていました。近所でも悪名名高い悪ガキがいたのですが、そのくじ屋でイカサマ被害にあったようで、仕返しに投石でクジ屋のガラスを割りまくる事件がありました。

激高したクジ屋のおじいちゃんが、その親へ抗議に行ったのですが、その親も一癖ある人物。返り討ちに合ってしまい、結局、被害を泣き寝入りすることになりました。また、それが原因でクジ屋をたたんでしまいました。

当時は、嫌な思い出としか考えていませんでした。しかし、大人になってからはクジ屋程度のイカサマであれば社会に出る前の学び場として最適だったな、と気づきました。このような経験の無い方に、教訓として共有して頂ければと考え、まとめてみました。

こちらのサイトでは、パソコン修理屋として経験した様々な事を中心に、読んでいただいた方の今後にお役に立てるようまとめさせて頂いております。

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ご興味がありましたら、是非、記事含め参照いただければと思います。



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posted by エコ8 at 14:44| 回想日誌

2022年12月07日

プログラマーが明かした「福引・クジ」の必勝法

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この話を聞いた方は、人生においてクジの当選率が格段に上がります。
クジっていうのは、100%運だと思っている方は「目からウロコ」だと思います。

この話は20年以上前に上司のプログラマーから直接聞いた話になります。


当時私が勤めていた会社は大きなシステムの受注の傍ら、ちょっとしたプログラム作成の依頼も入る会社でした。仲良くなった上司のプログラマーが休憩がてらに話してくれた内容です。

その上司は、パソコンのキーを押したらアニメーションと共に画面に等数やハズレが表示されるプログラムを作っていました。

「いいこと教えてやろう」
「今、イベントの福引プログラムを組んでるんだけど…」

「テーブル方式なんだよ」「抽選方式じゃない」
オペレーターという操作専門の仕事をしていた私には、その時、その意味をあまり理解していませんでした。

それを知った上司は、分かりやすく説明してくれました。

「通常はランダムに抽選してクジの当たりハズレが決まるだろ」
「今、作ってるのは何番目に当たるかが決まってる」
「イベント最終日の午後1時ごろに特賞が出るようにした」
「特賞は海外旅行だからな」
「狙って行っていいぞ」

もちろん冗談で言ったのであって、納品会社の関係者が特賞を引き当ててしまったら、それこそ大問題になります。当然、「行きませんよ」と返しました。

イベントは3日間行われるものでした。
1本しか入っていない特賞が初日に出てしまうと、その後に福引を引く人たちは盛り上がりません。

かと言って、イベントが終わる直前だと、人も少なく盛り上がりません。
イベントが最高潮に達する時間、かつ人が一番多い時間を狙って特賞が出るのが望ましいのです。

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この事を知ってからは、私はイベントは最終日がねらい目だと思って生きてきました。驚くような賞品はありませんが、数千円から1万円程度の賞品は何度も当たりました。それは偶然ではありませんでした。

最終日に当たりやすい理由がもう一つあったのです。予想よりも人の入りが少なかった場合、賞品を最終日に放出するのです。本来よりも当たりやすく調整して福引やクジを引いてもらうんです。

用意した賞品が大量に残ってしまうと、来場者に印象が良くありません。また、残っても処分しなければならないものもあります。

そのような理由から、福引やクジはイベントが終わる数時間前に引くのが一番期待値が高いのです。パソコンでの抽選の話をさせて頂きましたが、アナログのガラポン抽選機や紙のクジにおいても、最終前に特賞や一等を入れるのは常識なんです。

子どものころ、身内が食料品販売店をしていたのですが、クジ式のおもちゃを置いていたことがありました。クジはシート状になっており、1枚づつ切り離して箱に入れるようになっていました。

切り離す前のシートの状態だと等数が分かるのです。そして店舗向けの説明書には、「一等は最後あたりで投入してください。」という一文が記載されていたんです。子どもながら、衝撃を受けた記憶があります。

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いきなり一等が出てしまうと、誰もクジを引かなくなります。「ラストワン賞」なんていう画期的なシステムが当時はありませんでした。

SNSなんて無い時代だから許された説明書ですが、今、このような事があったらすぐに炎上してしまいそうですね。

大人買いして全部引いたら、当たりが入っていなかったなんて動画が良く上がっていますが、店の人は「入れるタイミングが無かった…」と思っているところも多いはずです。

posted by エコ8 at 12:10| 回想日誌

2022年09月26日

会社をある日突然辞めることになり路頭に迷う

当時、働いていた派遣会社の事務ですが、特に不満はありませんでした。派遣社員60名ほどのケアをするのは楽しくも感じました。

しかし、それはある日突然やってきました。派遣会社の所長兼上司からこのような話をされたのです。

自分が親しい大きな会社で、派遣部門を立ち上げる。いわゆる「引き抜き」をされた。待遇も良いとのこと。

そこへお前も一緒に連れて行きたい。同時に会社を辞めると本社から詮索されるおそれがあるから、先に会社を辞めて待っていて欲しい。後始末が済んだらそこへ呼ぶ。とのことだった。


そして、突然、2週間ほどの引継ぎを行って辞めることとなりました。


辞めたはいいけれども、仕事を探すわけにはゆかない事に気づきました。すぐに仕事に就くためには、仕事をせずに待たなければならない。たとえバイトにしても、引継ぎをしている時間は無いし、すぐに連絡が来たら、バイト先には申し訳ない。そんな思いから仕事を探すことはやめました。蓄えはあったので、少しの間ならそのような状況でもよいかもしれませんでした。

とはいえ、いつまもでもジリジリと蓄えを減らしながら待ってはいられないと、悩みました。そこで始めたのが「パチンコ」です。パチンコと言っても、時間つぶしにやっていたわけではありません。

収入がある事を考え、勝つパチンコを始めたのです。実は「スロット」の方が主なんですが。学生時代には、ちゃんとプラス収支を出していました。月の収支で負けたことはありません。

勝つ自信はありました。しかし長い間離れていたため、初月は12万円しか勝つことができませんでした。それでも、まったく収入が無いという状況は打破することができました。そうして、2ヵ月目からはそこそこ稼げるようになり、貯蓄はどんどんと増えて行きました。

当初、一か月後くらいには連絡があるだろうと考えていました。しかし、2ヵ月経っても、3ヵ月経っても連絡が来ません。後に聞いたは話では、引き抜きであることが会社側にバレて大変なことになったというのを知らされました。しかし、それを聞いた時、「辞めさせるために騙されたのかな」という考えも脳裏をよぎりました。さらに後々会った時には、その元上司も会社が変わっており、ウソであるとは考えにくい状況でした。

転職の待機をするために始めたスロットですが、結局気づいたら4年以上もそのような生活をしていました。いわゆる「スロプロ」として生活していたことになります。4年もブランクがあり、再就職をするのは難しいとも考えていました。


パチプロになりたいと思う人は少なからずいると思います。しかし自分はなりたいからなった訳ではありませんでした。生活をしのぐ為に仕方なく始めたのです。

ここで詳細はあえて書きませんが、なかなか特異な経験でした。

20代後半のある日、ある人物からの電話でその生活が終わりを迎えました。派遣会社の上司ではありません。

大学時代に将来、会社を設立しようと話していた知人からの電話でした。何の業種で立ち上げればよいのか、迷いはありませんでした。パソコン関連です。

当初、修理をすることは考えていませんでした。周辺機器の販売をするつもりで会社を立ち上げたのです。

最近になって、NHK党の立花隆さんや、俳優の阿部寛さんが昔パチプロをやっていたという話をききました。ちょうど自分がそうだった時期と重なり、とても稼ぎやすい時代だったから、そんな人が多かったんだと、納得しました。

会社を設立して18年以上経ちました。人生の中では、そちらでの出来事の方がとても印象深い事だらけです。そんな修理屋としての出来事をたくさんつづっておりますので、他の記事も是非読んで頂ければと思います。
posted by エコ8 at 10:58| 回想日誌

2022年08月24日

文系の私がSE (システムエンジニア) を目指して挫折した理由 (その3・最終回)

大したプログラミングの知識もないのに、アクセスで1回アプリケーションを作成しただけで勘違いしていました。

しかし、あっさりと上司はプログラマーとして派遣にOKをくれたのです。

派遣先は、アパレルの卸問屋から6億円の商品管理・経理システムを受注した企業。臨時で6か月間の人員増強のための派遣でした。

私と一緒にもう一人、自分よりも5歳ほど年上の方と一緒に派遣されました。私よりも確実に経験と知識のある方でした。

最初に与えられた仕事は、仕様書と出来上がった部分的なプログラムを渡され、不具合が無いか、出力される数値に間違いがないかをチェックする作業です。いわゆる「デバッグ」です。


アクセスで SQL を学んでいたおかげで、難解な仕様書を理解する事ができ、なんとか仕事をこなすことができました。それから、たまたま簿記の資格を持っていたことも、仕様書に出てくる科目の理解の助けとなりました。

現在、思い返してみると、あの程度の知識でよくプログラマーとして働きたいと思ったものだと恥ずかしくなります。

プログラミングの知識が低いのを補うため、コミュニケーションに特に気を使いました。挨拶は快活に。返答や受け答えは、はっきりと活舌よく、を心掛けました。そうしていると、一ヵ月ほど経ったある日の事。

一緒に派遣されたもう一人の方が、契約解除されてしまったのです。上司の話によると派遣先に仕事ができないと判断されてしまったようです。確実に自分の方が知識がないにもかかわらずです。

その方は仕事はできるのに、コミュニケーションを取るのが少し苦手がゆえに、解除されてしまったのです。本当は自分も苦手なのですが、必死に補おうとしていました。

結局、仕事において重要なのは「コミュニケーション」というのを学んだ25歳夏の出来事です。

少しずつ、難しい仕事もするようになり、半年はあっという間でした。半年といいますか、一日があっという間なんです。物事に集中していると会社に来て、あっという間に昼になり、あっという間に夜になる。という日々を繰り返しました。別に楽しいからではありませんよ。


現在でも、パソコンを使って長丁場な仕事をしていると、時間の進みを速く感じ、一日では大した作業がこなせない事にいら立ちを感じることがあります。これに似た感覚です。


プログラマーとしての派遣の半年が過ぎ、派遣会社の事務へ戻ってくることになりました。仕事の満足感はあったものの、目指している SE は、はたして本当に自分がやりたい仕事なのか、という疑問にブチ当たりました。


やりたい仕事ではなく、体験してみたい仕事、だったのかもしれません。一日中、パソコンと向き合って、あっという間に日が暮れる生活に一気に熱がさめた気がしました。

作るのは好きですが、与えられた設計図を組み立てる。同じことを延々と毎日繰り返す。この事に冷めてしまったのだと思います。

自分はどちらかというと、自分で考えたアイデアを形にしたい。色々な仕事をやりたいと思う性格です。SE になれば、自分の考えたアイデアをある程度形にはできます。しかし、下積みを何年もやっての話です。それから、いくら SE でも顧客の要望を無視してアイデアを形にすることはできません。そして SE になるとパソコンにあまり触らなくなるという現実。

そういった「自分の性格に合ってないんじゃないか」という仕事内容を、より垣間見ることができて挫折してしまったのです。

最後は体よく言葉にしましたが、「もっと楽しそうな他の仕事が見えて来た」というのも大いにあります・・・。


次回は、そんな目指すものが無くなってしまった私が、ある日突然、無職になったお話をさせて頂きます。
posted by エコ8 at 18:26| 回想日誌

2022年07月31日

文系の私がSE (システムエンジニア) を目指して挫折した理由 (その2)

仕事を始めて半年もたった頃、会社からの信頼も得ることができました。

そのおかげでオペレーターをこなしつつ、その会社のホームページ作成やCG検定試験セミナーの講師助手を任されるようになりました。

大学に入った直後には、日本でインターネットはまだ知られていませんでした。代わりに「パソコン通信」というものがあり、利用していました。大学3、4年あたりで日本でもやっとインターネットが普及し始め、のめり込んだのを覚えています。

周りの誰もインターネットをしていないのに、本を買ってきて見よう見まねでホームページを作成しアップロードしたのを覚えています。

今は会社のホームページがあって当たり前ですが、当時はそうではありませんでした。たまたま、ホームページを持っているという話をしたことで、会社のホームページ作成を任されたのです。ただの派遣社員が一部上場企業のホームページ作成です。当然クオリティは低いものでしたし、与えられた資料を見やすく表示させるように組んでいくだけでした。

ちなみに自分のホームページでは、大学時代に描いた絵を紹介していました。そこで自分用にリンク集を作成し、公開もしていました。本を沢山買ってきて、便利そうなサイトをかたっぱしから追加していました。そうすると、いつの間にか、なかなかなのアクセスがあるようになっていたんです。

「グーグル」や「Yahoo!!」 がまだ無い時です。インターネットで人が一番欲しているのは良いサイトのアドレスなんだ、と、当時、少し気づいていましたが、それ以上広げることができなかったのが残念です。

また、後に「絵画に関するディスカッション掲示板」のコンテンツを追加した時も、大量の書き込みがあり、管理が大変な時期がありました。「2ちゃんねる」がまだ無い時です。だから「2ちゃんねる」が全盛になった時には、「ああ、コレもみんなが求めていたものだったなぁ」となりました。

「人が求めるものを、一番最初に便利に提供できる人が成功をつかむんだなぁ」と、思っていたのを思い出します。

さて、話は戻りましてSEに加えプログラマーの人とも仲良くなり、「プログラミングの仕事もやってみるか?」、「上司に相談してやろう」というところまで行っていました。ちょうど会社に入って1年が経過しようとしていた頃です。

当時、派遣社員の契約は1年単位。継続で更新があればもう1年働くことができる話でした。しかし、社員の知り合いが入社することになり、私が行っていたオペーレーターの席を空ける必要があったのです。

残念ながら、ちょうど1年で辞める事になり、次の仕事を探さなければいけない状況となったのです。

本来、派遣期間が終了すると次の仕事がすぐに用意されているわけではありません。しかし、たまたま簿記の資格を持っていたので、「派遣会社の経理をやらないか」という話をもらいました。

選んでいる余裕はなかったので、不本意ではあるものの承諾しました。初めの話では派遣会社の経理・営業を主に行うということでした。

実際に働いてみると、60名ほどいる派遣社員の給与計算や勤怠確認、派遣社員の募集を見て来た方の面接、派遣先の会社へ訪問でした。

派遣されていた従業員は理系を卒業して、プログラマーとして派遣されているプログラマーとSEがほとんどでした。

能力はあるのに社員として入社せず、派遣社員で SE をしているのはなぜなのか。それは実際に働いている人と仲良くなって知ることができました。私は給与管理をしていたので、従業員全員の給与金額を知っていましたし、能力も分かっていました。


ある能力のある SE の月給は60万円ほどでした。能力のあるSEにしては少ないです。しかし、この SE さん。遅刻・欠勤しまくりなのに60万円だったんです。

派遣先からクレームはしょっちゅう。しかし、派遣先はSEの能力が高すぎて本人には強く言えてなかったんです。「突然欠勤するけど、来たら人の何倍もの成果を出す」本人も給料分の仕事はやってるから文句言うなよ的な感覚だったんでしょう。

さらに暴露すると、派遣先から支払われていた契約額は月120万円でした。半分ピンハネです。当時、能力のある SE であれば月120万円でも引っ張りだこの時代でした。

また、そこそこ能力のあるプログラマーは突然、会社を3ヵ月休みたいと申し出ました。貯めたお金で世界一周を計画していたそうです。

普通に就職していたら、却下される相談です。しかし、派遣会社だから契約の期間さえ調節すれば、何の問題もありません。3ヵ月後、戻ってきて普通に働いていました。


そんな仕事をこなしていたある日、私の上司が一人の派遣プログラマーにある相談をしていました。それは、「給与計算の管理と帳票印刷ができるようソフトを作成して欲しい」というものでした。

特殊な入力項目が多く、対応したソフトが無いため毎回エクセルで全て作成していました。毎月あるのですが、約60名分を一覧で確認できる表を作成するだけで数時間かかるのです。

ソフトをつくれば、その作業が数字の入力だけでできるようになる予定でした。

私は経理の仕事の間に、マイクロソフトの「アクセス」を使って作成に挑戦してみたのです。本を一冊買ってきて、試行錯誤して作成してゆきました。


出来上がったものを、上司に見てもらうと採用されてしまいました。この件がきっかけで、プログラマーとして世に出てみたい気持ちが再び燃え上がってしまいました。

そして、上司に「派遣に出してください」とお願いしたのです。
posted by エコ8 at 13:25| 回想日誌

2022年06月24日

文系の私がSE (システムエンジニア) を目指して挫折した理由 (その1)

システムエンジニアという言葉だけにあこがれていたのかもしません。
「パソコンのソフトを作り上げるまとめ役の人」というイメージを当時は持っていました。


仕事の中心は「プログラマーの中の一人としてパソコンの前で仕事をするんだろうな」とも考えていました。


就職超氷河期に文系の三流大学を卒業した自分には、成りたい職業を選ぶという事ができない時代でした。


それでも、パソコンが好きで大学時代には200万円以上を注ぎこみ、機器やソフトを揃え、パソコンに触ったことが無い人が多い時代に、それなりに扱えるようになっていました。


田舎の社員募集を見ると、パソコン関連の会社は1社のみ。募集人員も数名なのに、そこへ百人以上応募するようなイカれた時代でした。

大学は九州でしたが、福岡で就職活動をしてみると、田舎の数百倍とも言えるような募集がありました。
IT系の募集は特に多く、SEをなんとなく意識し始めていた自分には好都合でした。


それでも厳しい就職難。就職説明会、入社試験・面接をたくさんしていると、正直、心が折れました。
自分は元々、自分を良く見せようと説明するのが苦手なのです。
それでも面接ではそのアピールが必要です。
「犬に木に登れ」と言ってもできる訳がありません。


また、「圧迫面接」というものが当時は普通に行われていました。
故意に侮辱したり怒らせるような発言をされます。今考えれば、冷静に対応でき、ストレスに耐えうる人間を見分けるのに必要だったんだと納得できます。
しかし当時は、圧迫面接を理解せずに暴言をあびせられ、半分病んでしまいました。


仕事を見つけなければ生きていくことができない。
そう思った私は、ハローワークへ足を運んだり、就職雑誌、はたまたバイト雑誌まで入手し、新卒がやる事ではない行動をし、情報だけでも得ようと必死でした。


そんな中、目に止まったのがバイトの求人広告に出ていた「IT派遣」というものでした。
「バイトと社員の中間?」と考えていた私は、すぐにプログラマーやオペレーターの派遣募集している会社の面接に申し込んだのです。


就職難の時代でしたが、当時の福岡は後に「ITバブル」と言われるほどパソコンに関わる仕事があったんです。


面接をして数日後でした。


電話があり、「夜勤の仕事なんだけど、大丈夫?」という内容でした。
仕事は、ある上場企業の印刷オペレーター。
保険証や診断書、公的な書類を印刷する仕事です。
特殊な印刷工程作業をパソコンを使って操作するというもの。


本来なら正社員として就職したいところですが、文系の自分が正攻法で目指せる世界ではないと気づき始めていたので、二度返事で受け入れました。


印刷オペレーターの仕事は、1年間でした。仕事を始めて1ヵ月で10kg痩せたり、30時間ぶっ続け労働を体験したこともありました。
死ぬような思いをした事もありましたが、そんなことでSEを諦めようとは思いませんでした。


仕事にも慣れ、落ち着いた頃、上司の SE の方と仲良くなり仕事内容を見る機会がありました。
その SE は日中でも、夜勤上がりの午前3時ころでも、祝日の日も、いつも会社にいるのです。
寝袋は常備。椅子を並べて寝る方法も教えてもらいました。



まるで会社に住んでいるようでした。
どんなにサボっているように見えても、会社の社長がこの人だけには逆らえない状況も垣間見ました。


それから、SE の生態で一番驚いたのは「パソコンを触っているのをほとんど見たことが無い」という事です。
SE なのにパソコンに触らないのか?と思うところですが、その時に私が理解したのは、 SE とは顧客との打ち合わせ。設計作成。プログラマーに手書きの個別仕様書を渡す。
という流れです。パソコンはあまり必要ないのです。


SE に必要な技能にはプログラミングの深い理解もありますが、「コミニュケーション能力」の方が大事だと感じました。


打ち合わせで何度も何度も顧客と合って話すからです。


先生のトップである校長は授業をしません。
野球監督もバットを振るワケではりません。
そう、校長や野球監督のような存在が SE です。
成りたいと思うべき職業ではなく、行き着く職業だったんです。


それを理解し始めた私は、SE に対する憧れが急に冷め始めたのを覚えています。
とは言え当時は、急な方向転換ができず、プログラマーの端くれまでは経験をしました。




以降の内容につきましては (その2) で述べさせていただきます。
posted by エコ8 at 12:57| 回想日誌
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